〜地理圖(輿圖)〜

閑話8

 地理図(輿圖)とは、一種の地図のことであり、地理書とは異なる。地理書は、地理や地方の物産・山川・風物等の様子を文章で書き記す事自体を目的としたもので、古来数多く作られ、『三輔黄圖』を初めとして唐の李吉甫撰『元和郡縣志』・釋元奨撰『大唐西域記』・宋の樂史撰『太平寰宇記』・歐陽サ撰『輿地廣記』・清の顧炎武撰『天下郡國利平書』、更には官撰の『某某通志』等々、その數は枚挙に暇無い程である。これらの書は、その中に地図を伴っているものも有るが、それは文章を補足するための図であり、決して地図自体を描くことをメインとしたものではない。
 一方、地図自体を目的とした地理図は、逆に極めて少なく、宋の程大昌撰『禹貢山川地理図』・元の李好文撰『長安志図』・清の畢ゲン撰『関中勝蹟図志』等、誠に寥々たるものである。
 所が、清末から民國初期にかけては、わりと活発に地理図が作られるのである。その理由として二点が考えられる。一つは、西欧列強の圧迫を受けて国土に対する関心や意識が非常に高まっていた、と言う時代風潮の要因、もう一つは、石印本が多量に作られ出した、と言う印刷技術上の要因(木版に比べて石印は曲線が格段に描き易い)である。
 ここに提示する二色套印の地理図(輿圖)は、左側が光緒三十年刊楊守敬稿の『前漢地理図』であり、右側が同じく楊守敬稿宣統二年刊の『續漢郡國図』である。

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