北京・散策

BeiJing Promenade

《2005年夏・北京点描》

【觀光地チケット】

【高い所は只だ人を見るだけ。安い所ほど内容が有り面白い。】

 一見日本圓に換算すると安い様に見受けられるが、バス1元、最低保障月給600元と言う北京の生活水準からすれば、20元以上はやはり高いと言わざるを得ない。

安い所・・10元以下

 白雲觀(10元)は、髷を結った道士とゆっくり話せるし、のんびり奥まで見學出來る。成賢街に在る國子監(6元)は、辟雍に通じる橋に合格祈願の絵馬が鈴なりで、その裏の彝倫堂が受験予備校として使用されているのは、如何にも自力更正の現代らしい。同じく隣の孔子廟(10元)は石刻十三經や進士題名碑が有り、蟇にも乗れる(蟇の首が白く成っているのは、如何に多くの人が跨ったかの証左である)。北三環路の大鐘寺(10元)の大鐘(永樂年間)は一見の価値有り、その他の多數の鐘も面白い。

【白雲觀賣店で求めた道教手印本】

 白雲觀は、全眞教の本山で、中國道教學會の本部も置かれている。奥の方を參觀中に、若くて(五年程修行しているとの事)人なつこい道士が、色々話しかけて來た。日本人が珍しいらしく、「日本に道觀は有るか」と聞くので、「關帝廟が有る」と言うと、「マ祖は」と言うので、「無いと思う」と言うと、「いや絶對有る」等々、一頻り問答した後、細々と道教の手印を教えてくれたが、「よく分からない」と言った所、「入り口の賣店で本を買え」と言う。それで買い求めたのが、この道教の手印を述べた本である。

【成賢街】

 道を一つ隔てた雍和宮が觀光客の人の波・波・波なら、こちらは時代から取り殘された静かな別天地であり、涼しい木陰の古道と言う感じである。喧騒から離れてほっとする。

【國士監】

 昔の超超エリート、進士(當時、せめてなりたや舉人様、と謡われた舉人様より、更に上である)樣達の夢の跡である。今は有名大學(絵馬には、北京大學・清華大學・ハーバード大學、と書かれたものが多い)に入って、超超エリートに爲ることを夢見る、御受験組樣達の鍛錬の場(扇風機をかけながら頑張っていましたぞ)である。

【孔子廟】

 孔子様の徳の世界は、今何處に在りや、「萬世師表」の額がやけに眩しく見える。「徳は得なり、己の心に人の道を得ることこそが徳であるぞ」と、宣っておられる様に見えたのは、不徳・不道の日々を過ごしている爲であろうか、「ハハー、肝に銘じておきまする」。

【大鐘寺】

 小さい鐘は叩いて見ることも出来るが、さすがに大鐘は叩く譯には行かない。でも建物の二階に上がり、人がいないのを見計らい写真を撮った。本當は撮影禁止である。鐘が吊してある大きな梁の五爪の龍紋は、恐らく清朝時期のものであろう。

中間・・20元

 萬壽寺(20元)の藝術博物館には、古代家具館・佛像藝術館・篆刻藝術館・明工藝品館・明清瓷器館等が有り、明・清の文房四宝や佛像が展示してある。展示物の多さに比して參觀者は少なく、静かで可成り面白いが、些か照明が暗く且つ冷房が無いので夏は避けるべきであろう。亦、「藝術博物館」と言っても殆どの人が知らず、その前を通るバスの車掌でさえも「知らない、無い」と言うが、「萬壽寺」と言えば大概の人が知っている。

【萬壽寺北京藝術博物館のチケット】

 右横の小さな門からこっそり入れば、無料で見學できますぞ。但し、人に見られぬことが肝要、要するに、見學者があまりにも少な過ぎて、皆様暇を持て余し、讀書・談話・居眠り等々に、集中しておられます。

高い所・・20元以上

 故宮(60元)も頤和園(30元)も雍和宮(25元)も建物と人を見るだけ、ただただ人を掻き分け、疲れ果てて通り抜けるだけである。
 それどころか雍和宮のチケット賣り場に至っては、相手が外人と見るや、入場券を誤魔化そうとさえする。「大人3人・學生1人」と言った所、「學生は無い」と言う。學生証を示しても「無い、大人を買え」の一點張り、窓口の上を指さしながら、「どうして無いのだ、ちゃんと書いてあるではないか」と言うと、「こいつは漢字が分かるのか」と言う顔をして、しぶしぶ學生用チケットを出すのである。これが、國家一級文物指定觀光地のチケット賣り場である。
 故宮は故宮で、肝心の建築物もあちこちで改装中で、展示物は更に別口で入場料(10元)を取られる。建物(感激する程ではないが)を見るなら北京故宮、物(感激する)を見るなら台北故宮、であろう。

【故宮内珍宝館のチケット】

 茲は、チケット賣り場が建物の可成り手前に有り、あの有名な「九龍壁」の外側である。故に珍宝館に興味が無く「九龍壁」だけ見たいと思った人でさえ、結局更に10元を払うことになる。つまり、金のない人は、60元だけ払い、同じ様な建物と硝子越しの玉座だけを見て、はい終わり・・・と言う具合である。こりゃあ一体何じゃいな???。

【雍和宮】

 茲は、西藏仏教・喇嘛教の建築群で構成されており、喇嘛教關係の展示物も有るが、其程珍しい品が有る譯では無く、やはり建築群がメインであろう。しかし、建物はどれも皆同じ様な構造で、一つ見れば十分である。

【病院の天國と地獄】

 有難くも北京で有名な、中日友好病院に二度(二度目は妻のみ付き添い)も行く機會を得、恐ろしきも不可思議な病院事情を垣間見た。

天國か?

 最初は國際部が工事中で間借りしている別フロアーに案内されたが、ドアーを開けたとたん別の病院かと我が目を疑った。廊下にはふかふかの椅子、待合室にはテレビ、飲料水は飲み放題、スタッフの對應は極めて丁寧である。驚いて見回すと壁に「干門専用」と有る。則ち高級幹部専用フロアーである。醫師の値段表も有り、高級専家は300元・専家は200元・主治醫は100元・普通醫師は50元である。見てもらったのは主治醫で、診察代100元・治療費100元・書類代25元の225元を払った。
 確かに、對應は天國されど代金は・・・。

地獄か?

 二度目(當事者の報告に因る)はたまたま國際部が休みで一般病棟の眼科(目の上の切り傷を縫うためであるが、なぜか外科ではなく眼科)、先に自分で藥や注射器を買った上で診療、眉の上を三針縫って、破傷風の注射を打つ、診療室は汚くて醫師の對應はぞんざい、藥の説明など一切無しである。でも代金は5元5毛であった。
 確かに、對應は地獄されど代金は・・・。

 同一病院に於ける高級幹部と一般庶人との差、貴方ならどちらを選びますか。將に、「金の切れ目が命の切れ目」と言う感じで、北京に長期滞在するには、金をケチらぬ事が肝要と思う事一頻り、「命有ってのものだね」である。怪我や病氣をして、のたうち回ったり死んだりしたら、それこそ「花實が咲きません」ぞ。嗚呼、神様・御錢樣・御醫者樣、そして御錢樣・御錢樣・御錢樣である。
 個人的にお歡めの病院は、朝陽區光華路1號の嘉里中心ビルの地下一階に在る、《維世達診所(ヴィスタ クリニック)》である。茲は日本語可能な醫師と看護婦さんが常駐し、病院も綺麗で對應も丁寧である。

【何はとも有れ先払い】

 北京は何でも先払いである。病院は、先にお金を払って注射器を買ってきてやっと打ってもらえる。携帯電話も料金先払いで、使っても使わなくてもとにかく先払い。本屋も、先に代金を払ってからでないと現物がもらえないし、食堂も先払いである。
 こちらの人に買う物の明細を書いてもらい、それを銀収臺の人に持っていって代金を払い、その領収書を再び別の人に持っていって、やっと現物を頂くと言う流れである。甚だ面倒くさくまだるっこしい。
 日本であれば一人で済む事に、數人の手を煩わす。これは、一人に全て任すと危険で信用出來ないと言う事であろうか、それとも一種の失業對策で多くの人を雇わねばならないのであろうか。
 また、何でも先払いと言うのは、事が終わってから払うとなると、誰も払わないで踏み倒すのを避ける爲であろうか。
 とすれば、日本人は何とくそ真面目なお馬鹿さんであろうか。病院では、「では受付で払って下さい」と言われて、唯々諾々と払いに並ぶ。携帯電話も請求書が來てから、「こんなに使ったかなあ」と思いながらも、正直に払い込む。買い物してもお釣りが多いと、馬鹿正直に「多いですよ」なんて言う。ああ、これでは何時まで經っても日本人は、中國の人に小馬鹿にされ、良い鴨にされるでしょう。本當に日本人って、お馬鹿さんですねえ。

【味と音】

 北京の食べ物は不味くないし値段も安い。口に合うか否かで言えば、合うと言えるであろう、しかし、過大な期待を持って食べるとがっかりする。普通に食べれば、それなりに美味しいのである。妻が「折角北京に来たのだから北京ダック」と言う。某有名店は味が落ちたとの事で、「鴨王」なる店へ出かける。小生は元來肉を食べないので、卵炒飯を注文、妻は北京ダックを丸ごと一匹、互いに無言で黙々と食べ、妻「味はどう」、小生「上手いよ」、妻「そう?、尤も貴方は米が食べられれば幸せな人だから」、小生「で、そちらは」、妻「こんなもんかなあ?」、何か感激したような、しないような・・・。
 後日某學弟と「何か美味いものは」と言うことで、ジャージャン麺を食べに出かける。これは確かに美味い、二杯でも三杯でも食べられる、しかし、周囲の會話の聲があまりにも大きい、將に騒音と言っても良い。折角の美味もこの騒音にかき消され、味どころか食べたことさえ忘れてしまう。どうも北京では、ゆっくりと静かに美味を味わおうとしたら、高級ホテルのレストランにでも行かなければ無理なようである。つまり、北京に在っては、折角の美味も美景も周囲の騒音もどきの音聲に因って、半減とは言わずとも相當減少させられている様に思えてならない。

【お菓子は可笑しい】

 北京のケーキは凄い、何が凄いかってとにかくど派手である。特にデコレーションケーキは、原色てんこ盛りの華々しさである。目には面白いが果たして口には如何。食べるには、些か勇氣がいる。
 傳統的な駄菓子は、昔とあまり變わらない。郭沫若が「口の中で雪の様に融ける」、と感動した「氷ヨウ」も美味しいし、山査子の飴まぶしもいける。ドライフルーツも、物に因っては美味しい(但し、人參はいただけない)。
 ただ様変わりしたのは月餅である。普通月餅と言えば小豆餡が相場であるが、今風と言うべきかやたら種類が多い、苺餡・チョコレート餡・パイナップル餡・メロン飴・抹茶飴・胡麻餡等々であるが、小生には傳統的な小豆餡が一番である。

【氷ヨウ】

 「氷ヨウ」を初めとして、傳統的駄菓子は、清朝末以來の名門老舗の流れを汲む「紅螺食品」の品々が、やはり美味い。

【果物あれこれ】

 北京の夏の果物は、將に花盛りで多種多様であり、葡萄も梨も瓜も桃蟠も、どれも美味しい。路上のあちこちで賣っている。北京は水に不自由するので、喉が渇いたら果物、特に西瓜に限る。個人的に好きなのは「瓜」系統である。「瓜」の種類は數多いが、どれも安くて美味しく、「まくわ瓜」で育った小生には、特に甘くないのが嬉しい。
 その中で「香瓜」だけが些か高い。聽けば「香瓜」は輸入品だとの事である。「香瓜」の輸入先として考えられるのは臺灣であるが、値段の割には不味い。昔臺灣で食べた「香瓜」は、とてつもなく美味しく、一箱ごと買って食べた經験が有る。これは不思議である。
 恐らく「一番美味しいお米は生産農家が食す」の俗説通り、美味しい「香瓜」は、臺南の人が食べるのであろう。故に、北京では「香瓜」以外の「瓜」を食べ、「香瓜」は臺灣で食べましょう。

【スリルをお望みなら】

 北京で何が一番スリリングかと言えば、北京の町を自轉車で駆け抜けることである。北京の交通事情はひどく、交通法規も信号も全く無視である。道路と言う道路は、一般車・タクシー・バス・自転車・人が混在したまま一齊に動き出す。信号など全く關係無い、とにかく通れる所を通れる時に通るのが肝要である。己の感と度胸で渡り歩くのである。優先順位が、「車が一番、自轉車二番、人は三番」とは良く言ったものである。
 その様な状況の北京市内を3時間に渉って自転車で疾駆した。疾駆したと言うより、疾駆せざるを得なかったのである。ちんたら運轉していたら、間違いなく己が交通事故の當事者になる。それを避けるには、ひたすら前を見て目的地まで、一目散に疾駆・疾駆・疾駆である。
 しかもこの自轉車たるやブレーキは利かず、前輪タイヤはふらつき、サドルは動く、と言うしろものである。妻と病人の二人の自轉車を引き連れて、後ろふ振り返る餘裕は無し、無事付いてきてくれている事をひたすら信じて、自動車が疾駆する幹線道路を何回も横切り、車に撥ねられて倒れている人を横目に見て、多數の車と人の波をくぐり抜け、病院に行くまでに己が怪我人になるのではないのか、との危惧と戰いつつ、往復3時間の自轉車散歩、今夏一のスリリングな一時であった。
 土地勘の有る人なら、懐かしい胡洞の細道や、涼しい木陰の裏路地等を辿って、其れなりのサイクリング氣分を味わえるであろうが、土地勘の無い外國人にとっては、危険集中地帯である幹線道路を、ひたすら目的地に向かって突っ走るだけである。

【古書事情】

 北京で古書を探すのは容易ではない。古本市場が無いのではなく古書が無いのである。例えば、藩家園の一画には可成り大きな古本市場が有るが、殆どが新中國以後の洋装古書で、時たま民國物を見かける程度である。
 市内の大型書店では、奥の方で古本も扱っており、確かに清末から民國時代の線装本が置いてあるが、如何せん値段がべらぼうな高値である。神田の古本屋の数倍、中には十倍以上の値が付けられており、しかも本の質たるや雜本が多い。
 ただ面白いのは、藩家園や大鐘寺で地方から骨董を売りに来て、露天で地面にじかに物を並べている様な所に、時たま面白い線装本を見かける事であるが、殘念な事にこれは端本が多い。

【骨董市場】

 北京の骨董市場は、以前は南環三路の西角に位置する藩家園が面白かったが、今は駄目である。以前のいかがわしさとゾクゾクする様な遣り取りは、すっかり影を潜ませ、今や健全な觀光地である。
 薄暗い裸電球が垂れ下がった掘り割り長屋であった藩家園は、綺麗に整理され石畳に舗装された通りには、カラフルなパラソルが立ち並び、店も明るく開放的に成っている。以前は、地元の好き者や香港のバイヤーが、ポケットに現金をねじ込み銜え煙草で交渉し合い、一種獨特な鐵火場的雰囲氣が有ったが、今や家族連れと欧米の觀光客で一杯である。清潔で明るくなった藩家園、でもそこに並べられる品々は、全て贋物と新物である。
 今、面白いのは、東環三路の北東に在る亮馬と、北環三路沿いの西北に在る大鐘寺とである。亮馬市場は目が利けばそこそこ面白く、店主との遣り取りも樂しめる。大鐘寺境内兩脇の骨董店は、お土産品の合間にそこそこ清末・民國物(但し、破損品が多い)が並んでいる。因みに大鐘寺の左隣に玉を中心とした一大骨董市場を建設中である。

【南北格差】

 持てる人(豊)と持たない人(貧)の格差は、數年前より格段に進んでいる。ある時大學關係者の案内で、ピザ屋で晝食を取ることになった。食べ放題39元である。日本圓にして約500圓、確かに安いが北京の物価からすれば高い。その店に高校生の一團が賑やかに宴會を晝間から開いている。聽けば一月の小遣いが800元から1000元だそうな。彼等にはたかが39元であろう。
 ふと大學構内で仕事をしている勞働者の晝飯を思い出した。毎日見かける晝飯である。ホーローの缶に饅頭を三個ほど入れて、野菜炒めの様な一つのおかずを互いにつつき合いながら、饅頭を食べている。恐らく數元にも満たないであろう。額に汗して働く大人が數元以下の晝飯、それに對して39元のピザを何とも思わぬ御ぼっちゃまやお嬢様の出現、「この糞餓鬼どもが」と思いつつ、この國は果たして何處に向かうのか・・・。

【厠所今昔】

 北京市内のトイレは、昔に比べれば遙かに清潔で、特に観光地が綺麗になっている。恐らく北京オリンピックを目指して、三つ星トイレに改装中のためであろう。
 しかし、やはり間仕切りは無い所が多く、女性には不便であろう。裏路地のトイレはほぼ昔のままで懐かしい。目に見える所のトイレは、確かに綺麗になったが、どうも「流す」と言う行爲が一般的ではないらしく、あちこちの便器に現物がてんこ盛りで、麗しき匂いを漂わせている。
 この匂いを嗅いで、何かほっとして落ち着くのは、子供時代に田舎の田畑で自由に排泄しまくり、同じような匂いの中で育ってきた經験を持っている爲であろうか。因って、小生にとっては何の問題も無い。トイレは、有ればそれで十分なのである。

【裏町とネオン】

 裏路地からの哀愁漂う何か語りかける様な乙女の眼差し、少頃考えさせられるメッセージを含んだネオンの數々、この路地・この店、進むべきか否か、將に「往きは良い良い、帰りは怖い」である。果たして「天神様の細道なのか、將又弁天様の細道なのか」。
 氣樂な一人旅であれば、一二歩ぐらいは足を踏み入れたかもしれませんが、今回は學生の引率者であります。僅かな危険も敢て犯すこと無く、瞬時に視線で確認しただけであります。嘘ではありません、本當です。御信用の程を。
 「所變われど人慾は是れ同じ」と言うことでしょうか。これ以上は、茲では言えません、御許し有れ。

嗚呼、悲喜劇(學生還是老師?)之余滴・・・

【38年ぶりの中國語】

 學生14名の引率で北京外國語大學に行ったのであるが、學生諸君は午前中は中國語の授業である。引率者である小生は、本来は閑であるから遊んでいれば良いのであるが、朝から遊びに出かけるのも氣が引ける。そこで「どんな授業か聽かせてほしい」と申し出た所、快く「どうぞ」との話しでテキストを頂き、嬉々として教室の後ろで聴いていたのである。
 所が、「口は禍の元」とはこの事である。突然擔當女性教師殿が「貴方は先生だから全部讀んで」と言う。「おいおい、一寸待てよ、俺はただの聽講生だよ」と思ったが、そんな中國語は言える譯も無いし、學生の視線から後に引ける状況でもない。18歳で大學の第二外國語で一年間學んで以來、38年ぶりの中國語である。發音も四聲も全く分からない、えーい、ままよ、と漢字の音を頼りに讀むが、盡く直される。この恥さらしは一日で辭めたいと思ったが、宿題(多忙な職業・日本の節句・成りたい職業等々に就いて、毎日中國語で發表)が出されたため、とうとう辭める譯には行かなくなった。
 結果、丸々二週間、朝8時から12時までみっちり中國語の授業である。「俺は何しに中國へ來たのだ、引率じゃあなかったのか」などと、ぼやきながらの授業である。この歳だと何も身に付かない。昨日聴いた發音を、今日は忘れている。我が娘より若い教師殿に怒られながらの56の手習いである。
 しかし、馬鹿にされっぱなしでは些か間尺に合わない、如何に中國語が出来ないと言っても、一應小生だって中國學(當然古典であるが)の教員である。色々考えたあげく、最後の授業が終わった時、次ぎの様に言った。
 「今天別的老師來了北京、所以我明天回去日本。二個星期、很麻煩老師、多多保重、學弟告辭了、我正作一對句、燕都梅花迎吾開、三河楊柳送我新」。
 で女教師殿曰く「貴方は文人」だって。何を仰います「過奨、過奨、不敢當、不敢當」であります。でも、今は「過奨」も「不敢當」も、それどころか「那里」も使わないそうである。こんな言葉は、テレビの武侠ドラマの中だけで、今は「謝謝」と言うそうである。昔、小生が習った言葉は、今では死語であり、言葉は時代と共に變化し、變わらないのは己の記憶だけである。
 嗚呼、我的身體老了、頭脳也老了。そうよ、やっぱり俺は、二十世紀の遺物、訓讀一筋五十年、昔ながらの「漢文の讀み屋」だぜい。

【涙的課本】

 初心者には若干難しい。38年ぶりの授業、實質初心者の小生にとっては、豫習に追われる日々、某學弟に急遽『中日大辞典』を借り、何とかかんとかこなし、一應自分としては、真面目にテキストの豫習はしたつもりであるが、・・・。


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