《臺北零話》

《2006年・12月》

俗語 12月 1日(金)

 台湾では、地下鉄の乗り口で毎朝ただで配っている新聞が有る。「爽」と言う多色刷りの新聞であるが、内容的に言えば、日本の駅で売っている「夕刊ゲンダイ」などの朝刊版だと思えばよい。
 例えば、「背後霊」と言うのがあるが、これは言葉は同じでも日本の背後霊ではなく、「ストーカー」のことである。また「車震」と有るので何のことかと読んでみると、これは「カーセックス」のことらしい。 また「好麻吉」とあり、これも内容から「上手く合っている」と言うことで、「麻吉」は英語の「マッチ」の音訳である。当然のことながら、日本語の音訳も多く「かわいい」などはそのまま音の合う漢字が当てられている。「元気」などは、そのまま「元気」と書いて「げんき」と発音している。
 この様に、ただの新聞とは雖も、俗語を覚えるには極めて便利な新聞なのである。

紅楼劇場とクラシック 12月 3日(日)

 店の裏に有る西門広場には、紅楼劇場が保存されている。この紅楼劇場は1908年に建築された建物で、もう直ぐ築百年を迎える木造赤レンガ造りの、古風漂う芝居小屋である。
 普段は、舞台芝居や伝統的舞台話芸などが夕刻八時から架けられているが、本日は午後の二時から室内楽団の演奏会が有った。弦楽四重奏にオーボエを加えた五重奏の室内楽団の演奏で、何十年ぶりかで生の室内楽団演奏を聴いた。
 建物の構造から、果たしてクラシックに向くのか否か最初は危惧していたが、結構それなりに良い音で十分耳を楽しませてくれた。赤レンガの壁、板敷きの床、そして伝統的な木製机と椅子に腰掛け、中国茶を啜りながらのクラシック鑑賞もまたおつなものである。
 但し、途中でチェロに代わって電気ベースとドラムが加わったが、どこかやはりクラシックには馴染まないような気がした。特に電気ベースの音が、やけに耳についた感じがした。考えられない

事故 12月 5日(火)

 日本でも大型高速バスの整備不良に因り出火する事故が問題になっているが、台湾ではもっと悲惨である。この五年間に六件の観光遊覧バスの事故が発生し、多くの死傷者を出しているが、一昨日最大の事故が台南の梅嶺で起きた。
 高雄の小学校のPTAが主催した一日観光で、父兄や子供の乗った遊覧バスが崖下に転落し、二十一人死亡で二十三人の重軽傷者が発生したのである。
 しかし台湾では、この様な大事故も政争の具にされ(今、台北と高雄の市長選挙の真っ最中)、国民党の国会議員が行政の罪を詰りまくって攻め立て、一方交通部長は「危険な山道は大型遊覧バスの通行を禁止する」などと、これまた馬鹿げた答弁を繰り返して逃げまくっている。
 現場を見たが、それほど危険な道ではない。緩やかなS字カーブの緩やかな下り坂に過ぎない。ではなぜこの様な大惨事が起きたかと言えば、全く考えられないようなミスが重なったためである。先ず、バス事態が老朽化していて整備不良のためブレーキが利かなかったこと、そして費用節減のため磨り減ったタイヤを更に補修した補修タイヤが使われていたこと、更にあろう事かドライバーが大型バスのライセンスを持っていなかった、つまり無免許運転であったことが重なったのである。カーブでブレーキをかけたドライバーは、ブレーキが利かないのであわてて急ブレーキをかけたが、その結果補修タイヤがバーストしてハンドル操作が利かなくなり、経験不足の無免許ドライバーでは如何ともしがたく、そのまま谷底に転落である。
 どうも台湾には、遊覧バスを規制し取り締まり監督する基本的な法律と部署が無いみたいである。因ってもぐりやいい加減な業者が氾濫している。台湾で遊覧バスを使うときは、くれぐれも注意しなければいけないが、因みにこの事故を起こしたバスの所有者は、ただ今雲隠れ中である。

冷戦の悲劇 12月 6日(水)

 現在では台湾の人々が大陸に観光に行き、逆に大陸の人々が台湾に観光に来ると言う如く、経済と人々の往来は可なり自由であるが、政治的には未だ冷戦状態であることを見せ付ける事件が起きた。
 25年前に台湾の軍情報局の少尉であった当時28歳の李氏は、情報活動のために大陸に潜入していたが、中国に逮捕されて死刑判決を受けていた。台湾の軍当局は、李氏は死亡したものとして処理し、以来25年の歳月が過ぎたのであるが、実は李氏は中国で減刑を受けて刑務所で生きており、今般25年ぶりに釈放されることになったのである。
 因って、李氏の妻子が上海刑務所に彼を迎えに行くことになったのであるが、それに先立ち妻子の記者会見が行われ、この25年間の苦労と軍の不誠実さを涙混じりに詰っていたが、それを見て、改めて中台冷戦の悲劇の現実を突きつけられた気がした。

拳銃 12月 8日(金)

 台湾に滞在していて前から気になっていたことではあるが、拳銃がらみの事件がやたら多く目に付く。極端なことを言えば、拳銃がらみ事件が新聞に載らない週は無い、と言えるぐらいである。
 しかも、それは必ずしもヤクザとかその筋の人が絡んでいる(当然そのような事件も有るが)と言う訳では無く、素人がやたらに拳銃をぶっ放すのである。また場所も一定せず、ナイトクラブ、カラオケ店、更には路上、車中と色々である。台湾は兵役が有るので、誰もが銃火器の取り扱いには慣れているとは言え、それでも些か多すぎる気がする。拳銃も口径の小さいリボルバーではなく、口径の大きいブローバックのオートマチック拳銃である。所謂軍用拳銃であるが、多くはブラックスター(中国解放軍仕様)が使われているみたいである。
 更に悪いことには、その拳銃を至近距離から発射する。そのため、狙った相手だけではなく、相手を貫通した弾が関係ない別人に更に当たるとか、跳弾があかの他人を殺すとか、巻き添えも多く発生している。
 因って、台湾では、あまり夜な夜な一人で歓楽街に出歩かないことが肝要であろう。何時拳銃事件の巻き添えになるか分かったものではない。

合作映画 12月 8日(金)

 最近日米、日中などの合作映画が多く作られているが、本日台湾では「日中韓香台」の合作映画『墨攻』が封切られた。
 この映画の監督は香港の張之亮であるが、原作は言うまでも無く日本の週間雑誌に連載された森秀樹の漫画である。カメラとライトと音楽を日本人が担当し、主役は香港の劉徳華であるが、その脇を演技達者なな中国の王志文や安聖基、韓国の崔始源、台湾の呉奇隆らが固め、それに新人女優の范氷氷を絡ませると言う布陣である。
 最近は張芸某監督(彼は元々カメラ出身の監督)の映像美を追求したような古装劇が多かったが、この『墨攻』は、それらとは一線を画しCGなどは一切使わず、それなりに見ごたえの有る映画である。特にライテイングが出色であるように思われた。

新幹線、V 12月 9日(土)

 またまた昨日新幹線が事故を起こした。今度はポイントが完全に切り替わらなっかようである。確認ミスではなく、完全なシステムミスである。ポイント故障と聞いて前から不思議に思っていた。車庫への引き込みなどには、ポイント切り替えが有るだろうが、通行ラインは日本同様完全複線ではないのかと。所が、どうも事情が異なる様である。
 昨日学校で同じ日本人の中年のおっちゃんと話をしたら、彼は新幹線関係の人で、帰国する前に中国語を習っているとの事だった。その人の話に因れば、「台湾新幹線は、日本のように完全複線ではなく、部分的にポイント切り替えがあるらしい。それは仏蘭西のシステムを採用しているためであるが、本場の仏蘭西では列車衝突の大事故が起きており、その不安が無い訳ではない。日本関係者は何回も台湾に注意し指導するのであるが、どうも話は聴かず注意事項も守ってくれない。」ということであった。
 更に「台湾新幹線の運転手は全てヨーロッパ人で、台湾の運転手は一人もいません、だから公用語は英語なんです。自国を走る鉄道なのに、自国の運転手を育て上げようとする努力の欠片も見られない、だから怖くてしょうがない、あなたも乗らないほうが良いですよ」との忠告を頂いた。システムや軌道はヨーロッパ、車両は日本、この接木の様な台湾新幹線の現状を見るに、とてもまともに開通するとは思えない。
 これは、台湾縦貫新幹線と言う党派を越えた国策であるものを、政争で弄んだ愚かな行為の付けであろうか。であれば、今も揉めている「軍費」問題も、本来は国家の安全と言う国策であるべきはずであるが、この政争の結果も、いずれ台湾の人々の頭上に覆い被さって来るであろう。政治家には、「政争の愚の結果は、結局人民が払わされる」と言うことを、夢夢忘れずにいてほしいものである。

痛み分け 12月10日(日)

 昨日台北と高雄の二大市長選挙が行われたが、結果は、台北は国民党のカク氏が民進党の謝氏に十六万票強の差をつけての快勝であり、高雄は逆に民進党の陳女史が国民党の黄氏に千票近くまで追い詰められながらも振り切っての辛勝であり、要するに南北の痛み分けである。
 痛み分けとは言うものの、民進党からすれば善戦であり、国民党からすれば攻め切れなかった、と言うべきであろう。八月以来の「総統下台」運動や十一月の総統夫人起訴などの逆風の中で、兎も角金城湯池の高雄だけは守りぬいたのであるから、良く守りきったと言えよう。同時に行われた市議会議員選挙では、台北も高雄も数人の差で国民党が第一党となっているので、今後の議会運営は、国民党主導で行われることになるであろう。
 尚、今回の台北市長選挙には、元台湾省長で親民党主席の宋氏も参戦していたが、彼は五万強の票しか取れず台湾政界からの引退を発表した。
 連氏も李氏も既に一線から退き、今また宋氏の退陣である。今でこそ党を異にし意見の相違も見られるが、嘗ては共に国民党の一員として、台湾政治の一時期を共に指導してきた三氏である。
 さばさばとした表情で三十年来の支援の謝辞を述べ、淡々と引退表明した宋氏の姿を見ていて、時代の変転の残酷さを感じさせられたが、同時に、今回の選挙戦で、連氏の長男や陳総統の長男が表舞台に登場してマスコミで取り上げられ、更に当選したカク氏が、嘗ての行政院院長カク伯村氏の長男である点などを考え合わせると、台湾政界もいよいよ二世議員の時代に突入し始めたのかも知れない。

拳銃強盗 12月11日(月)

 外地に居ると色々なことに出くわすが、昨日は拳銃強盗に出くわした。
 家の近くの建国路の陸橋下では毎週の土日に「暇日玉市」と言う玉の市場が立つ。玉市とは言うが、内容は玉だけでなく翡翠などの宝石も多く、若干の骨董も有る。 所謂「露天」形式であれば、それぞれの一店が二メートル四方の台座の上に、所狭しと玉を並べて売っている。数百元の雑玉から上は数万元の高級玉までピンきりであるが、店の数は膨大な数で、丹念に全部見て回れば二時間強は必要で、交渉などを繰り返しながら回れば、あっという間に半日はたってしまう。
 その玉市に散歩がてらにぶらぶらと出かけ、何か安いものは無いかと見て周り、ちょうど入り口と反対の出口近くの店で、一個千元と言う雑玉の山をかき回し、中から一つ白玉の印を探し出し、百元から交渉し始めたとき、帽子とマスクで顔を覆った三人組の強盗が、拳銃をちらつかせて翡翠の店を襲ったのである。
 この店は、入り口付近に有ったので身の危険はそれほど無かったが、襲われた店には日本人観光客が偶々立ち寄っていた。強盗は、一人が散弾銃、二人が拳銃と言うスタイルで、翡翠の袋を奪い取ると、待たせてあった車で逃走したのであるが、僅か三十秒弱の早業である。一時玉市は騒然とした雰囲気になった。観光客の日本人に影響が無かったのが、不幸中の幸いであった。
 で小生はどうしたかと言うと、この混乱の中で、「危険、危険、二百好了、二百、二百」と言って、強引に二百元で白玉印を買って帰ったのであるが、何か「火事場泥棒」でもしたような忸怩たる思いで、深く反省している。

薬物事件と女子大生デモ 12月12日(火)

 この数日間、新聞の三面を賑わしているのが、薬物事件である。
 大麻吸引疑惑で、九人の芸能人が検察の調査を受け、最初は全員否定していたが、主犯格の二人は自白して吸引事実を認め、涙ながらの謝罪記者会見を開いた。しかし、他の七人は未だ否認しているが、尿と毛髪検査から陽性反応が出た者が数人おり、他に合成薬物の反応も出ている。どの国でも、芸能界と薬物は、なかなか切っても切れない縁が有るみたいである。
 また昨日は女子学生のデモが有った。 これは現在立法府で、女性が堕胎前に考える期間六日を法的に設定しようと言う論議に対するものである。この法規制は、立法府自体でも、生命の尊重、女性の権利、宗教、哲学、家族観等等が絡み、反対、賛成の論議が激しく行われているが、その法規制に反対するデモを女子学生が挙行したのである。 ミニスカートの女子大生たちがプラカードを持ってのデモであったが、中に男子学生も混じって声援を送りデモっていた。
 但し、この男子学生たちは積極的に参加したと言うより、どちらかと言えば女子学生に引っ張られて参加している風が見られた。なぜかと言えば、皆な気の弱そうな男子学生ばかりで、どう見ても、自ら積極的と言う風には見られなかった。

一寸感動 12月13日(水)

 今朝新聞を見ていて一寸感動した。普段はドギツイ見出しが躍る台湾の新聞であるが、今日の聯合報に「止於所不可不止」と言う見出しが有った。
 これは、宋氏の政界引退表明に対する評論の見出しであるが、これを見た瞬間「流石に伝統文化を守る台湾だ」と、一寸感動した。この見出しの言葉は、言うまでも無く北宋の大文章家蘇軾の晩年の「自評文」の一節である。蘇軾は、己の文章創作に就いて、「行於所當行、止於所不可不止」と述べている。 「當に行なふべき所に行なひ、止まらざる可からざる所に止まる」と言う、最後の一句を以って、宋氏の引退を評しているのである。
 しかし、問題はこの見出しを見て直ぐに理解出来る読者が幾人居るかと言うことである。因みに、知り合いの大学生に聞いてみた所、「良く意味が分からない」と言い、三十分ほどして「分かった」と言ってきた。 台湾でも、古典はやはり古典なのである。

名門梨園のセックススキャンダル 12月14日(木)

 今台湾では、名門梨園である「明華園」で団員同士のセックススキャンダルがもち上がっている。「明華園」とは、七十七年の歴史を持ち、内外にその名を知られた台湾を代表する伝統中国歌戯団であるが、「明華園」は単独の歌戯団の名前ではなく、十二組の歌戯団の総称名である。
 では、この十二組の構成は如何なるものかと言えば、直属の内組である天組、地組、玄組、黄組、日組、月組、星組、辰組の八組に、友好協力の外組みである繍花園、勝秋園、陽明園、芸華団の四組が合わさっての十二組で、各組には団長がおり大概三十名前後の劇団員を擁し、その上に「明華園」の総団長が存在すると言う構成である。
 この「明華園」の創立者は陳明吉なる人物で、彼が1929年に作り上げているが、彼は六人の妻を持っていて妻妾共に生活し、最初の妻が次の妻を夫に紹介すると言う形式で、次々と妻が増えて六人になったのである。しかも彼女たちは喧嘩や言い争うことは無く、陳氏は一女七子をもうけたのである。
 誠に男性から見れば羨ましいような艶福家であり、そこには芸人世界の独特な家族観と言うだけではなく、伝統中国の大家族制度の一端が見て取れる。 この八人の子供たちに、それぞれ分け与えたのが、天地玄黄日月星辰の内組八団である。更に陳氏の弟子達がそれぞれ独立して協力友好団体となったのが、外組の四団なのである。
 では問題のセックススキャンダルとは如何なるものかと言えば、内組みの一つである星団の女優を、外組みの一つである繍花園団の団長の倅が寝込みを襲った強姦未遂事件で、下着を脱がす途中で気付かれて騒がれ、止めた後は傍で自慰行為を行った、と言うものである。
 問題は、この「明華園」が、国法も家規も同じと称されるぐらい宗族的家族的運営がなされている独特な芸人世界の中でのことで、テレビでは地団の団長であり同時に総団長でもある陳勝福氏が会見を開き、「ご先祖様に申し訳ない、こんな問題を起こして。屏東の総本部に各団長を緊急招集して事情調査に乗り出す」と言い、被害者の女優と星組団長の張秋蘭女史は、その時の様子を生々しく語って陳謝を要求し、犯人とされる陳子麒は冤罪を訴え、陳子麒の父親陳勝国は我が子の子麒を祖先の位牌の前で処罰する、と言う騒ぎである。 流石に歌劇団のスキャンダルだけに、各自の立ち振るまいも、そのどたばたも、何処か芝居がかっている。
 因みに、陳明吉は既に世を去っておられ、今はその一女七子の時代であるが、当然この一女七子は異母兄弟であり、現在の総団長は第三子の陳勝福氏であれば、何処か劇団内の権力争いと言うか、指導権争いの要素も無い訳では無い。皮肉なことに、被害者である美形の二十代のその女優は、最後に首を吊って死んだ明末崇禎帝の母親役を、今演じているが、舞台の華やかさとは異なり、彼女ら劇団員の生活は相当苦しく、地方公演も旅館に泊まるのではなく、舞台裏に雑魚ね状態で、好きでなければ出来ない商売である。
 被害に遭った女優が、「十六歳でこの世界に入って十数年、初めてこんな目に遭った」と涙ながらに訴えていたのは、何処か哀れを誘い、台湾最大の歌劇団とは言うものの、実際はまるで日本の「どさ回りの旅役者一座」の風が無い訳でも無い。

梨園の解決策 12月15日(金)

 先日来の「明華園」のセックススキャンダル問題は、昨晩総本部の屏東に二十人弱の幹部が集合して緊急会議が開かれ、一応の決着を見た。
 会議は、幹部全員が先ず祖廟の位牌に線香を上げてから開かれ、数時間の討論を経て、「問題の被疑者陳某は退団、被害女優はお咎め無し、黄組と星組みの団長は、自主的に団長の地位を退く、事件に関わりのある組は、二週間の公演自粛」との結論が、総団長より発表された。
 被害女優の所属する星組団長の自主的団長辞退が求められたのは、事件を警察に通報して「明華園」の恥を世間に晒した為らしいが、これなどは明らかに「明華園」の掟に従った処罰であり、将に家規が国法を凌駕した現象であろう。鉄の掟の「明華園」とでも言うべきであろうか、尤もこの様な「身内の恥は外に晒すな」と言う宗族的掟が有ればこそ、七十七年にも渉って大団体を維持できたのかもしれない。
 この決定を受けて、被害者女優は、「私の夢は破れた、何処に公理が有るのか、団長が辞めるなら私も行動を共にする」、との悲壮な決意を語り、今日も健気に舞台に上がっているが、早速今朝の新聞には「墨臉花旦、為五斗米忍涙上台」なる見出しが躍ったのである。流石に漢字の国、上手い表現をするものである。
 この見出し、さしずめ日本なら、「悲嘆の女優、舞台化粧で涙を隠し、今日も舞います家族の為に」、とでもなるであろうか、いやはや「ど演歌」の世界である。見出しの裏では、「決めた、決めた、お前と道連れに」と、渡哲也が歌っているように思えてしまう。

劇場都市 12月17日(日)

 台湾の政治やマスコミの報道を見ていて、ふと感じるのは、何かこの国の政治は劇場化しているのではないのか、と言うことである。
 立法院での互いの罵りや議員同士の取っ組み合い、はたまた互いの非難合戦の記者会見等等、マスコミも面白可笑しくこれでもかこれでもかと報道する。 この傾向は政治だけではない、厳正中立であるべきはずの司法や裁判に就いても、ほぼ同様な傾向が見て取れる。一昨日、総統の国務費流用事件の裁判が開廷したが、先ず、大弁護団と検察との鍔迫り合いが行われたが、これは当然の成り行きである。
 問題は、被告の一員として総統夫人が出廷していたが、途中で体調を崩し昏倒したために、急遽台大病院に搬送された。医師団が検査の結果の深刻な病状を発表し、暫時の養生が必要であるとしているにも関わらず、わざわざ病院前まで駆けつけて、医師団の発表を取材するマスコミの前で、「仮病は使うな、出て来て刑務所に入れ」と大声で罵るご婦人方が現れたことである。
 病院前まで押しかけて「出て来い」と、まるで親の敵でもあるかの如く罵る婦人、それを受けて、「夫人の病状は真実か否か」と報道し、事の是非より、当日の夫人は何を着ていたか等の、下らない瑣末なことを追求するマスコミ、これを自由と言えば自由であるし、民主と言えば民主であろうが、本当に自由と民主であろうか。何か台湾のマスコミが劇場化し、読者は観客化し、台湾全体が劇場都市化しているように思えてならない。

語彙力の欠如 12月17日(日)

 本日は、己の中国語の語彙の少なさを痛感させられた。昨日の氷雨とは異なり、本日は冬ばれであるが、気温は昨日より低い8度である。此方の連中は「寒い、寒い」と言うが、小生には爽やかな冬晴れである。
 そこで、先週の拳銃強盗事件もさらっと忘れ、本日再び玉市に出かけた。朝一番で客もまばらな中、老板が品物を並べている隣の「一個500元」の雑玉の箱を漁っていた。何しろ金が無いから、高いものは全く買えない。
 すると、「あれ、これは相当古い古玉の剣飾だぞ」と思われる品が出てきたので、500元を老板に渡してさっさと帰ろうとしたら、老板が「不行、不行、13000」と言って、小生が持っている古玉を取り返した。そこで小生、「一個500、対不対、写了500」と言ったら、老板が、「放錯了、漢朝老玉、13000」と言う。
 で、茲からが交渉の攻防であるが、何とか安く分捕ってやろうと、「老板錯了、写了500、好、好、1000、2000」などと言い張って、3000元まで上げてやったのだが、老板は13000と言い張る。 何しろ小生は「老板錯了」とか、「写了500」ぐらいの単語しか出て来ない。さすがに「新的玉」とは言えない。小生だって「老玉」と踏んだのだから。そのうち客も増えだし、野次馬も現れだしたので、已む無く諦めた。
 今回は己の語彙力の乏しさを、いやと言う程痛感させられながら、交渉決裂白旗撤退である。13000を3000で分捕ろうと言うのが、所詮無理な交渉ではあったが、それでももう少し中国語が達者なら、或いは何とか成ったのかもしれない、と思うとやはり悔しい。話せないと言うことは、本当に悲しいことである。「語学は若い時に学べ」との先人の教えが、ずしっと肩に重くのしかかる撤退であった。
 しかし、手ぶらで帰るのもしゃくであるから、何かないかと漁ったら、桑の葉の上に乗っかった蚕の白玉が出てきた。口の部分の左右の穴の大きさが違うので、恐らく清朝末あたりの佩飾であろうと思い、手にとって見ていたら、老板が空かさず「清末、白玉、500」と言う。
 小生、さっきのやり取りで些か悔しい思いをしているので、こちらも間髪入れず、「500、那児話、一会児前、老板錯了、300、好」と言って、300元を手渡し、更に今度は台湾語で、「老板、福気了、(タオケイ、ホッキイラ)」(この言葉は、テレビコマーシャルで覚えた)と言ったら、売ってくれた。
 帰りがけに老板が「謝謝、老板」と言ったので、小生がうっかり日本語で「ありがとう」と言ってしまった所、老板が「エー、リシジップンランナ」と言うので、「シレラ、シレラ、ワシジップンラン」と言って、逃げ帰ってきた。
 中国語は全く進歩せず、いい加減な発音で語彙力の乏しいままであるが、何故か骨董屋との駆け引きは、それなりに進歩しているみたいである。

観音様の御開帳 12月21日(木)

 

 こちらの新聞には、実に面白い話が載るものである。昨晩台中県で観音様の御開帳が有ったと言う話であるが、実はこれは「エロ話」である。
 昨晩氷雨の降る気温十度前後の寒い中で、台中県清水鎮の某廟の「普渡大拝拝廟会」が行われたが、廟会には、大概娯楽の演芸などが行われ、この清水鎮の「普渡大拝拝廟会」でも、演芸が行われたのである。ここまでは普通の話で何も問題無いが、問題は、その演芸である。各種演芸が終わり近づいた頃、一人の「小鳳」なる芸名の若い女芸員が、突然ストリップを始め、一糸纏わぬ姿を晒したのである。
 これこそ、生き観音様の御開帳である。男性信者の喜ぶまいことか、やんややんやの大喝采で、観客打ち揃っての「大拝拝」である。観音様の「普渡大拝拝廟会」で、「生き観音様の御開帳」が行われ、信者一堂「大拝拝」とは、これ如何にである。ご本尊の観音様も「もう観音(堪忍)してー」(オヤジギャグです)と仰ったとか仰らなかったとか。
 誰が写したかは定かではないが、この生き観音様の有り難くもあられもない御姿と、身を乗り出してそれを「拝拝」する信者の、匂い立つ程のカラー大写真が、一流新聞紙上に掲載されたのである。流石に写真の一部分には暈かしが入ってはいたが、とにかく面白い「エロネタ話」である。
 所で、小生としては、この観音様を拝観した信者たちが、その後「精進落とし」に何処へ向かったのか、甚だ興味が有るのであるが、残念なことに、新聞には記載が無かった。

浴硯書屋、U 12月24日(日)

 「浴硯書屋」とは、乾隆時代の王府の堂斎銘であるが、その清末の放品である「浴硯書屋在銘白磁墨彩山水文墨床」を二ヶ月前程に入手した。その後、何とか「浴硯書屋」の白磁墨彩山水文の品々を集め、浴硯書屋在銘の同文様の文房四宝を一式揃えてみたいと思っていた。
 以来、彼方此方の骨董屋を巡って捜し歩き、本日までに大概700元から1000元の間で、墨床、印箱、筆架、筆洗、水う、の五点を集め得た。普通に考えれば、後は筆筒と紙鎮、合子の三点であるが、これにもし陶硯、硯屏、筆管などが加われば、万々歳である。
 しかし、恐らく陶硯、硯屏、筆管の三点は無いであろうと思っている。また仮に見つけても、この三点はゆうに1000元を越えるであろう。

焼き芋 12月24日(日)

 台湾の焼き芋は美味しい。小生は、本日も買って食べた、しかも二十元で安い。ただ、好みは人に因って異なるであろうから、「ホクホク系」の焼き芋が好きな方には、口に合わないかもしれない。
 しかし、小生は水分の多い「ネットリ系」が好きなため、台湾の焼き芋は、非常に美味しく感じる。また味も色も軟らかさも、子供時代に自宅で栽培していた中身が黄金色の「金時芋(今の金時ではなく、昔の細長い金時である)」にそっくりで、その味は、何処か郷愁を誘うのである。

大学教授のセクハラ 12月25日(月)

 昨晩大学教授のセクハラ事件が発生した。これはセクハラと言うより強姦未遂と言った方が正しい。
 事件は、共に妻帯者である水運系の主任(日本風に言えば学部長であろう)、黄某教授(32歳)と呉某教授(40歳)の二人が、学術討論会終了後に宴会で酒を飲み、その後同伴の女子学生を真理大学の教員用宿舎に連れ込み強姦に及んだ、と言うものである。
 この二人の大学関係者は一様に驚き、同僚も学生も「ありえない、真面目な先生だ、嘘でしょう」と言う答えが、一報を受けたときの最初の反応である。それ位普段から真面目で熱心な教員であったらしい。因みに、黄某の妻は嘗ての教え子であり、呉某の妻は同じ大学の外語系教授で二人の娘がいる。
 元来二人は酒が強くなかったらしいが、二人とも若くして主任となったため、外部との付き合い上酒席に臨むことが多くなったらしい。最初、警察の聴取に対し、二人は「酒に酔っていて何もしていない、突然大声がしたので良く見たら、女子学生が裸で立っていた」などといっていたが、そのうち「彼女たちが求めたもので合意の上の行為で強姦ではない」と変わってきている。
 供述内容が変化すること自体、それに類する行為を行ったことを暗に認めたに等しいが、問題は、なぜそのようなことが起きたかである。関係者一堂が誰も「信じられない、それは嘘だ」と言うほど、普段の仕事態度が真面目で熱心な二人が、突然有る夜狼に変身したのである。恐らく「酒」のせいであろう。酒量が過ぎたため、前後不覚となり理性が失われたというか、一瞬魔がさしたというか、これは、単に酒量の問題だけでなく、普段の真面目さも関係有るであろう。真面目な分だけ箍が外れた時は暴走するものである。
 若いときから遊びもせず生真面目一方の人が、晩年に女性に溺れると泥沼に落ち込んで行く傾向が強いが、彼らは、若くても生真面目一方の評価を受け、大学教員然として振舞っており、尚且つ酒量オーバーで箍が外れたと考えれば、それなりに納得できる。
 当地の新聞には「性器官既接、未及性交」と書き、暗に強姦未遂であることを示しているが、写真は、手錠を架けられ引きずられて警察に入る哀れな姿と、検察の出口で上着で頭を隠し、慌てたために片方の靴が脱げ、危うく転びそうになった某教授の間抜けな姿が、大きく掲載されている。
 因って教訓である。孔子様も申されています、「過ぎたるは及ばざるが如し」と。 酒も程ほど、遊びも程ほど、真面目さも程ほど、熱心さも程ほど、何事も程ほどの「いい(良い)加減」が、一番良いのである。

奇人変人 12月25日(月)

 これは台湾の話ではないが、今朝の台湾の新聞に記載された奇人変人と言うか、金持ちの馬鹿道楽と言うか、要するに、成金のアホさ加減を現す話である。
 何処の国でも、金持ちが突然訳の分からぬことを行い、世間を唖然とさせることは多々有るが、中国の天津では張連志なる金持ちが、21億台湾元相当(84億円)の家を建てた、と言う話である。この家は、建築費用が21億元相当と言うのではない、建築費用であれば単に高いと言うだけのことで、別に奇人変人ではない。では何が21億元かと言えば、使用された材料が全て中国の古陶磁器や漢玉石など、所謂「骨董品」であり、その総額が21億元に相当するのである。
 門柱は漢代の白玉柱で、外壁内壁を問わず、壁と言う壁には大概清朝の民窯大型瓶がはめ込まれ、天井は明清の大型盤がはめ込まれ、外の排水管にも清朝磁州窯の猫形陶枕が使われている、と言う具合である。
 内壁や天井などは、それでも居住者が注意して生活すれば壊れることは少ないであろうが、問題は外壁や屋根である。何かが飛んできたり、誰かが当たったりしたら、直ぐに破損である。無論地震に襲われれば一発で粉々である。 如何に民窯製品とは雖も、明清の古陶磁器であれば骨董品である。恐らく中には、必ず夜中に剥がして盗む輩も現れるであろう。
 これを、成金の道楽と言うべきなのか、それとも愚行と言うべきなのか、兎も角金持ちには奇人変人が多く、小生の如き俗人には到底理解出来ない突飛な行動を採られるものである。
 因みに張氏は49歳で、天津市越唯鮮集団の総裁であり、自らが収集した二万余件の文物を展示している「華ウン博物館」の館長様でもある。恐らく彼からすれば、展示するに当たらぬ雑器を材料に使ったに過ぎないであろうが、一般俗人からすれば、それでも「骨董大御殿」である

二股 12月26日(火)

 昨日に引き続いて、今朝の新聞にもまたまた大学教員の不祥事が登載された。「二足の草鞋」と言うのは昔から良くある話で、ヤクザが十手持ちを兼ねるとか、或いは家業の寺や神社を運営しながら他の職業に就くとか、或いは産学協同で大学教員であると同時に企業の顧問であったりとか、更には褒められた話では無いが、大学教員でありながら予備校で教えるとか、等であるが、これは「二股」の話である。
 新竹の私立大学の劉某なる37歳の講師が、妻が有るにも関わらず、23歳の女子大学生と親密な関係になり、妻と離婚後はこの女子学生と同居していたが、その後別の25歳の女性と親密になり、要するに「二股」をかけて同時に二人の女性と肉体関係を続けていたのである。しかし、捨てられたと思った女子学生が自殺未遂を起こして大騒ぎになり、大スキャンダルと成ったのであるが、当事者の劉講師は、「二股」ではない、純粋に愛情の変化の問題だ、等とのたまっている。
 最近やたらと目に付くのが、この手の大学教員の女性関係スキャンダルで、しかも大概が40歳以下の妻帯者である。逆に40歳以上の大学教員のスキャンダルは、収賄事件が多い。台湾の大学教員のモラルの低下とは思いたくないが、特に若い教員(博士であったり、留学したりと、その学問経歴は確かに素晴らしいが)の女子学生とのセックススキャンダルを見るにつけ、情けなく悲しい思いが強く、やはり「モラルの低下」だと思わざるを得ない。如何に大学人は学問や研究成果が一番だとは言っても、教壇に立って教育に従事する教員である以上、学問研究は言うまでも無く、やはり同時に「人柄やモラル」が求められるべきであろう。
 因って教訓である。勉強が悪いとは言わないが、勉強ばかりしていると世間知らずに陥り、社会的モラルが低下する恐れが有るから、若い時は良く遊ぶ(多種多様な社会を見聞する)ことが重要である。 大学生は、「一に遊び、二に勉強、三四が無くて、五にいい加減」である。

台湾版チャーリーズエンジェル 12月27日(水)

 昨日調査局の第43期卒業式が行われ、新たに59名の調査員が誕生した。調査局とは、警察と国税局とを兼ねた様な調査機関で、主に汚職や脱税などの経済事案を扱い、調査内偵して告発する機関である。
 経済事案とは雖も危険を伴うことは多々有り、その訓練は、専門の法律や鑑識などは言うに及ばず、射撃、護身術等等多岐に渉る。昨日誕生した59名の新調査員の内訳は、男が45人で女が14人であるが、その女性14人の中に、飛びぬけた美女3人が居るのである。
 三人とも才色兼備で、台大大学院卒の張女史(26歳)、雲林科技大学卒の林女史(28歳)、交通大学卒の傳女史(28歳)の三人である。まあ、若いとは言えないが、きりっと顎の締まった美女たち(何故か三人とも口が大きいが)である。
 当地の新聞は、三人の顔写真を載せて(極秘の調査員の顔写真を載せることが、良いのか悪いのか良く分からない。面が割れては、今後の調査に影響するだろうと思うのであるが)、「女007団」と持て囃しているが、小生に言わせれば、「台湾版チャーリーズエンジェル」である。或いは三人の姓から、「チャンリンフーエンジェルズ」とでも命名した方が、面白い。

大地震 12月27日(水)

 昨晩台湾の南部を大地震が襲った。震源地は、台湾最南部の恒春の西南23kmの海中であるが、規模はマグニチュード6.7で、台南では百年に一度の大地震である。
 震度は恒春が5、高雄、台南、台東が4、台中、花蓮が3、台北が2である。台北では、緩やかな揺れを感じる程度であったが、南部は大変で、道路寸断や火災や家屋倒壊が発生しており、一時的ではあったが、停電や携帯電話の不通も生じ、家屋の下敷きで死亡した人3名のほか、負傷者42名に上っている。
 ただ一つ気になったのは、この地震発生直後にテレビニュースをつけたが、日本と異なり「地震速報」が可なり遅いのである。また、報道機関の現地到着と言うか現場速報と言うか、所謂マスコミの足が遅いように感じた。本格的な地震報道が行われたのは、大概30分ほど後である。
 普通この規模の大地震が起きれば、日本では番組を中断して即地震報道に切り替えるのであるが、こちらでは、そんな様子は全く見られなかった。因みに昨日は、あの悲劇のインドネシア大津波二周年の日であったのだが、何か防災危機の対応が緩いように感じられてならない。

走光封后 12月27日(水)

 本日の「爽報」紙上に「走光封后」なる見出しが躍った。流石に漢字の国である実に言い得て妙である。「走光封后」とは、誰を走光女王に選ぶかと言うことであるが、問題は「走光」である。この言葉はいくら辞書を調べても出てこない。「走光」とは、日本で言う所の「パンチラ」「胸チラ」のことである。
 要するに、今年度「爽報」紙上に掲載された「パンチラ」「胸チラ」写真の中で、誰が一番光を走らせた(走光)かを、読者投票で選ぶ遊びである。
 投票の結果、一位は、腕を張った途端に胸の乳首までポロンチョと見せてしまった白韻恵(3725票)、二位は、日本のAV女優で、抱き上げられる時バッチリ見せてしまった黒のパンチラの観月雛乃(2200票)、三位は、欧米の女優で白のパンチラ(1941票)、四位は、蔡依林の赤いパンチラ(1604票)、五位は、大女優劉嘉玲の胸チラ(1488票)、と言う順序である。
 走光の光量からすれば、二位の観月雛乃の方がはるかに多いのであるが、読者の「ワザとらしい」との批判に因り、二位になったようであるが、それでも日本人が、堂々の二位である。また走光は、自然の走光が尊ばれ、一寸でもワザとらしいと、読者の厳しい批判を浴びるのである。
 いやはや「走光」とは実に面白い言葉である。花の長安から西域に行けば、さすがに「走光」にはお目にかかれなかったのであろう、故にかの大詩人様も思わず「春光渡らず玉門関」と申されたのであろう、ははは。

判決 12月28日(木)

 昨日インサイダー取引の罪に問われていた陳総統の娘婿趙建銘に対する、裁判の一審判決が下された。実刑六年、賠償金3000万元(約1億2000万円)である。趙氏は直ぐに上告手続きを取ったので、三審制度の台湾では、最終判決が下るまでにはまだ時間がかかり、また揉めるであろう。
 この量刑が妥当か否かであるが、インサイダーの末席に連なったと言う経済事犯から考えれば、「こんなものだろう」と言う気がしない訳では無いが、一般大衆と言うか世論と言うか、街の声は「短すぎる」と怒っているが、何処か貴顕に対するやっかみと恨みが入り混じった感情論の様な気がする。
 それよりも問題は判決文で、今回の裁判官が下した判決文を見ると、そこには色濃く「貴権の罪は許さじ」と言う気概が伺える。嘗て宋氏の引退表明を、新聞は蘇軾の一文を持って評したが、今回の判決文にも古典が使われている。判決文の中に「窺国者侯」と言う言葉が使われていたが、これは『荘子』の中に有る「彼窺鈎者チュウ(言+朱)、窺国者諸侯」の一節である。「ゴウも悔意無し」と断じ、「窺国者侯」と称して六年の実刑を下した裁判官は、まるで江戸南町奉行大岡忠相か、皇帝の密使包青天の様である。
 台湾では、古典が今でも脈々として現実社会の中に息づいている。孔子の「過を見て仁を知る」の精神に依拠すれば、趙氏の行為は「不仁、無仁」の最たるもの、と言うことになるのであろうか。

宝くじ 12月29日(金)

 日本ではもう直ぐ年末ジャンボ宝くじの当選発表が行われるが、台湾でも宝くじが有り、昨晩発表が有った。
 台湾の宝くじは「楽透」と言い、番号あわせの宝くじであるが、日本と異なるのは、当選者が居ないとどんどん賞金が加算されることである。昨晩の抽選は、今年最後の抽選で、今まで当選者が居らず、溜りに溜った賞金は総額22億元、つまり日本円にして約85億円である。当選番号は、010407082531で、特別番号は33であった。結果は三人の人が当り、それぞれが六億数千万元(約25億円)の山分けである。
 台湾では、この高額賞金のジャンボドリームに人々が踊りまくり、全台湾民衆の約三分の一の人々が「籤」を買い捲り、払われた金額の中に、米ドルや日本円が有ることから考えれば、観光客も買いまくっていたことになる。人々が一瞬の夢に群がるのは、何処でも有ることであり日本でも同じである。世相が厳しければ厳しい程、大衆は一時の夢を求めるものである。
 しかし、問題は政治家である。国政の舵取りを誤り厳しい世相を大衆に強いている元凶の責任の一端を、担わねばならないはずの政治家が、この宝くじ協奏曲に群がったのである。多数の国会議員殿が、この宝くじを買いに列を作って並び、しかもテレビのインタビューを受けて、当たったらどうしますかの質問に、「当たったら国会議員を辞める」等とのたまっていたのである。
 台湾では、たった数日前に百年に一度と言う大地震が南部を襲い、その被害たるや甚大であり死者も出ている。その最中に国会議員が宝くじを買いに並び、嬉々としてテレビインタビューを受けるとは、一体どのような神経であろうか、日本であれば、この様な国会議員は即辞職に追い込まれるであろう。 しかも、どうせ当りはしないのだから、せめて「当たったら全額地震被災地の屏東県に寄付する」ぐらいの台詞を言えば、まあ褒めてやるが、それを「当たったら議員を辞める」などと言うとは、国会議員として被災地の人々に顔向け出来ない台詞であろう。
 或る人が、「民主化されたとは言っても、台湾の政治は金、金、金ですよ」と、吐き捨てる様に言ったが、今回の宝くじ協奏曲に群がる国会議員の言動を見ていて、全てとは言わないが、台湾の政治家の何か本質的な部分が露見した様に思えてならない。
 因みに、小生も買いに行ったが、あまりの人の多さと行列の長さに唖然として、諦めて帰った。元来、小生は並ぶのが嫌いなのである。

呪い札 12月30日(土)

 今年日本では、東大、阪大、早稲田大などなどの大学教員の論文捏造が多発して、研究者の品格が問われた一年だったが、台湾の大学でも、多種多様な事件が発生した。
 台湾では台湾大学の教授の科学論文捏造疑惑が一件あっただけで、後は全てスキャンダル事件ばかりである。こちらの理工科系の教授は、日本以上に産業界と結びつきが強く、やたらに汚職や賄賂での摘発が目立った。次はセックススキャンダルで、セクハラから始まって、不倫、強姦などなど(対象は全て女子学生)、出るは出るはである。
 で、本年末を飾るのが、女助理教授に因る「呪い札」事件である。雲林科技大学の女助理教授王美心が、夜中に黒ずくめに白手袋の服装で、自分の大学にやって来て、法律研究所教授呉進安と、法律研究所所長教授張国華との部屋に、道教の五色の呪い札を投げ込んだのである。
 この若い王美心助理教授は、可なりの美貌で、以前には司法院副院長城仲模とのセックススキャンダルを起こしたことが有ったらしいが、今度は、その時彼女を弁護してやった呉教授の部屋に、呪い札を投げ込んだのである。彼女は最初否定していたが、夜間監視カメラに、その一部始終がバッチリと映っており、それを突きつけられた彼女は、今度は、「投げ入れたのは学会の案内状だ」等と言い張っているが、公開された呪い札は、間違いなく、茅山系道教の呪い札である。
 問題は、何ゆえ彼女がこの様な奇怪な行動を行ったかであるが、その理由は、未だに明白ではない。 台湾の大学にも、実に不可思議な品格の教授連中が、結構多く居るもので、この一年間の、大学教員に纏わるスキャンダルは、汚職賄賂で始まって、呪い札で幕を閉じるのである。
 それにしても、欲得塗れの金銭スキャンダルから年が開け、セックススキャンダルを経て、オカルトスキャンダルで年が終わるとは、「人生色々、品格色々、大学人色々」である。

結婚 12月30日(土)

 本日、2006年の最後を締めくくる、御目出度い結婚式が執り行われた。道ならぬ恋を貫き通し、伝統社会の因習を打破しての結婚である。誠に御目出度い限りである。
 これは、屏東県の魯凱族の大頭目の公主(お姫様)が、排湾族の平民青年と華燭の典を挙げられた、と言う話である。元来台湾の原住民社会では、今でも階級意識が厳然として存在しており、貴族が平民と結婚するなど許される話ではなかった。嘗て、公主が漢族の男性と結婚した例は有ったが、同じ原住民同士の社会での、身分差を越えての結婚は聞いたことが無かった。
 しかし今回、魯凱族の大頭目の公主で28歳の呂耶安嬢は、反対する両親を説得し、八年間に及ぶ忍ぶ恋を貫き通し、排湾族の平民青年である30歳の朱光国君と、目出度く結ばれたのでありまする。新聞紙上には、「魯凱公主、下嫁排湾平民」の見出しが大きく踊り、民族衣装に包まれ手を握り合った、二人の幸せそうな姿が、大写しされている。
 若いと言うことは何にもまして素晴らしい。既に棺桶に片足を突っ込んだ小生としては、ただただ羨ましく「末永く幸有れ」と祈らずにはおられない。

筆管 12月30日(土)

 2006年最後の土曜日の30日になって、本当のどん詰まりで遂に陶磁器の骨董筆管を入手した。嘗て大学のギャラリーで、「陶磁器に見る文房四宝展」を開こうと思ったことが有ったが、どうしても筆管が入手出来ず、諦めたことが有った。
 無論現代のお土産品であれば、書道具店に行けば数万円で大明万暦年製銘の青花の大筆を売っているが、実用の骨董品となれば、殆どお目にかかったことが無かった。時たま見かけても、全てが破損品であった。
 所が本日見かけたのは、間違いなく実用の骨董品であり、しかも蓋付きである。「孔雀釉有蓋筆管」で「大清乾隆年製」銘であるが、無論乾隆時代の品では無い。篆文陽刻の彫り銘文であれば、その字体、形態などから、明らかに清朝光緒時代の「放乾隆」品である。例え「放乾隆」であっても、清朝の骨董品であることに違いは無い。
 これで一通りは揃ったことになる、陶硯、硯屏、紙鎮、筆筒、筆洗、水注、紙筒、印合子、印箱、陶印、墨床、筆管、筆架、腕枕など、全て清朝から民国時代にかけての骨董品である。因って、明年は、「陶磁器に見る文房四宝展」を開かせて頂こうと思っている。
 一年間に及ぶ台湾生活の中で、何が最大の成果かと言えば、間違いなく本日入手の「筆管」である。他の品々は、所詮無聊を慰めるための手慰みに過ぎない。最大の戦利品と言うことは、当然値段も最高である。「清末の本物だ、滅多に出ない珍品だ」と言い張る、物の分かった老板との二時間に渉る涙ぐましい交渉の結果、何とか7000元を4500元まで下げさせた。4500元といえば15000円弱である。
 果たして高い買い物だったのか、安い買い物だったのか、それは神のみぞ知る話であるが、要するに、小生が買い漁った品々の中では、最高金額の品である。


[戻る]