《臺北零話》

《2007年・1月》

初詣 1月 1日(月)

 いよいよ2007年が幕を明けた。台湾では、「新玉の新年」と言う雰囲気は無い。心静かに除夜の鐘を聞き、心新たに新年を迎える、と言う日本とは大違いで、台湾では、年越しの大イベントライブや年越し花火のお祭り騒ぎ(但し、若者だけ、年よりは関係無い)で、誠に賑やかなものである。
 小生も、除夜の鐘など聴くべくもないので、自宅マンションの屋上に上がり、日本から持って来た「深大寺蕎麦」を一人で食べながら、101ビルの年越し大花火を見学して、年越しをした。例年の郷里の島根の神社での、凍て付く寒さの中での弟と二人の年越しとは異なり、今年は、生暖かい風の吹く南国での花火を見ながらの一人の年越しである。
 小生も年を取ったせいか、矢鱈に過去が偲ばれ、花火を見ながら「今頃は弟が一人で神社で太鼓を叩き、祝詞を挙げて、参拝客を迎えているなあ」等と感傷に耽ったが、はたと気がついた。時差の関係で、台湾の年越しは日本では新年の一時である。小生が弟に思いを馳せた時、日本での弟は、既に神社から降りてきて、布団の中で白河夜船なのである。いやはや、年は取りたく無いものである。これも、ボケの兆候であろう。
 で、本日は新年元旦である。例年なら自宅神社で初詣であるが、如何せん、台湾には神社が無い、さりとて、仏教や道教の廟に御参りするのも、あまり気乗りがしない。色々考えたが、結局今年の初詣は「孔子廟」に決めた。
 2007年の初詣は、台北孔子廟である。孔子様の像を拝し、今年一年の安全と大学の繁栄を祈願したが、果たして孔子様は、小生の願いをお聞き届け下さるのやら否や、答えは、365日後の年末に分かろうと言うものである。

事始、三大スキャンダル 1月 3日(水)

 昨日は正月の二日で、事始の日であるが、台湾ではその事始に合わせるが如く、三大スキャンダルの事始となった。
 一番目はセックススキャンダルで、新年早々またまた大学人がセクハラである。屏東科技大学の既婚で子供も居る助教授が、指導中の女子大学院生に対し、研究室内で後ろから抱きついたり胸を揉んだり等等のセクハラを行ったのである。女子学生があまりの行為に耐え切れず父親同伴で訴え、助教授は行為を認めて反省陳謝しているが、とても大学人教育職の人間として、許される話ではない。
 二番目は強盗事件である。これは現金輸送車強奪事件で、輸送車強盗としては台湾史上最高金額の5600万元が奪われた。犯人は李姓なる警備会社の現金輸送車運転手で、同乗の仲間の警備員に、強力な睡眠薬入りサンドイッチを食わせて眠らせ、その隙に現金を奪って逃走したのである。警察が手配した時には、犯人の李は既に香港に逃亡して更に大陸に逃げ込んだのである。準備周到で、前日香港行きの飛行機を予約しておき、昨日事件を起こした後一時間後には出国である。同乗者が睡眠薬で未だ混沌としていたため、警察の事情調査もやや遅れ、出国規制をかけた時には、既に李が逃亡した後であった。
 三番目は「やっぱり」と言う馬鹿事件である。昨日台湾新幹線の切符が発売された。今まで安全性等について何かととやかく言われて、延び延びになっていた新幹線ではあるが、兎に角五日に開業することになり、やっと昨日切符が発売されだしたのであるが、その初っ端に切符の券売機がシステムダウンを起こし、駅員の手作業での切符販売となった。切符を買うために並んだ人たちは長蛇の列である。数時間待ってもまだ買えないと言う状況で、駅員と客の罵りあいは言うまでもなく、並んでいる客同士の間でも怒号が飛び交い大騒ぎである。将に、台湾新幹線の先行きを占うが如き騒動であった。
 これが、今年の台湾の「色、欲、呆け」の三大事始で有りました。

新幹線開業 1月 5日(金)

 本日5日は、台湾新幹線の記念すべき開通日である。 三日前の切符発売の初日に、システムダウンという見っとも無い馬鹿さ加減をさらしたばかりであるが、今回はその影響で、手作業で販売したため、18000人のダブルブッキングを起こしたのである。
 つまり、本日の座席指定券を持っているにも関わらず、実際席が無い人が18000人も発生したのである。 大慌ての台湾新幹線は、急遽本日10分遅れの臨時便八本を増発して、急場を凌ぐこととしているが、果たしてどうなることやら。
 切符発売で混乱が生じた原因は、単にシステムダウンだけの問題ではなく、自動販売機の数があまりにも少なく、且つ当日券と予約券が分かれておらず、同じ販売機を利用している。因って、ビジネス客が当日券を買って飛び乗ろうとしても、予約客が前に並んでいたら時間がかかり、当然乗ろうとした列車に乗れないことになる。こちらの新聞が、「新幹線開通で南北が一日経済圏となったが、切符を買うのに一日かかる」と皮肉っていたが、将に、不安だらけでの開業である。
 朝七時から夜九時まで、一時間おきの運転であるが、一年後には10分間隔での運転となる。台北高雄間90分、全席禁煙であり、「臭豆腐」など匂いのキツイ食べ物は、持ち込み禁止である。車両は快適である。何と言っても、日本の「のぞみ系統」をベースに台湾仕様に作り上げられた列車であれば、快適なはずである。 後は運行システムの問題だけで、正確にシステムを運用し、無事故運転を続けて、早く「台湾新幹線神話」を築くことを、望まずにはいられない。
 尚、どうでも良いことであるが、新幹線関係者の制服は、はっきり言って「ダサイ」、一流デザイナーのデザインを採用したと言ってはいるが、「超ダサイ」である。しかし、接客態度は、何時まで続くのか分からないが、今のところは馬鹿丁寧である。

狂想曲 1月 6日(土)

 昨日台湾の二箇所で、それぞれ悲喜劇の狂想曲が鳴り響いた。 先ず喜劇の方であるが、昨日の新幹線開業は一種のお祭り騒ぎで、笑うに笑えないドタバタが発生した。
 一つは、やっと買った乗車券をあまりにも大事にし過ぎて、折り曲げて仕舞い込んでいたため、いざ乗車と成った時、改札機が曲がった切符を読み取れず、改札機が止まってしまい、手作業での切符改札となったのである。
 もう一つは、孫を連れたお爺さんが、あまりにも興奮してはしゃぎ過ぎ、うっかり孫の手を話して自分一人だけ改札を通ってホームに上がったのである。孫は一人改札口の外に取り残されて泣き出し、お爺さんは全く気がつかない。慌てた駅員が、孫を抱きかかえてホームを駆け上り、お爺さんを探して渡して事無きを得たのである。
 この様にドタバタ喜劇が繰り広げられた新幹線開通であったが、日本からの乗客も多数居り、台湾観光の形態が大きく変わることだけは明白である。後は、既存鉄路駅と新幹線駅との間のアクセスが、何処まで整備されるかであろう。
 次に悲劇の方であるが、台湾で一時代を築いた大企業グループ「力覇集団」の経営危機が表面化した。
 力覇集団は既に三年前に経営改善を図り、グループを三つに分割し、それぞれを創業者である王氏の長男や四男、二番目の妻や四番目の妻などが代表として運営して来たが、四男が統括する東森グループ(マスメデア中心)以外の経営危機が大きくクローズアップされ、その中の一つである中華銀行では、顧客の取り付け騒ぎが発生した。多くの顧客が、眦を決して銀行に押しかけ、預金を引き出したのである。こちらは、将に悲劇のドタバタ騒ぎである。
 新幹線開通に伴う、台湾全土の一日経済圏化と、力覇集団の経営危機、この二つが同日にそれぞれ狂想曲を奏でたのを見て、何か今後の台湾経済の行方を暗示している狂想曲の様に思えてならない。

逃亡 1月10日(水)

 今、力覇集団事件が大きく発展して大騒ぎである。 取り付け騒ぎなどは序の口で、遂に検察が動き出した。今年度最大の経済事案になる可能性が出てきた。国会議員の影も見え隠れすれば、政局がらみになる可能性も有る。
 創始者の八十歳の王氏は、四番目の妻と共に、八億元もの金を持って中国に逃亡中である。上海に居るらしいが、帰ってはこない。残されたのは、各企業のトップにすえられている五十代の子供たちである。彼らは、台湾できちっと責任を果たすと言っている。
 オヤジは一代でもうけまくったどんぶり勘定の発想で、会社の金はおれの金と言う考えのようであるが、流石に二代目の子供たちは、一応企業家である。少なくとも、表面的には企業人としての、社会や社員、顧客などに対して、きっちり責任を取ろうとしている。
 国会では、政府の金融行政の不備が追及されだし、金融管理庁の責任者も会見で、「自分たちも騙された」などと、馬鹿な発現をして顰蹙を買い、財政部長も矢面に立たされだして来た。進民党は、「国民党時代の政商癒着の悪弊だ」と騒ぎ立てるが、流石に副総統の呂女史は賢明である、「民進党が既に七年も政権を担当していれば、何でもかんでも国民党時代の悪弊とは言えない」と述べている。 この経済事案は、政財官を巻き込んで、恐らく泥沼化するであろう。

試乗 1月11日(木)

 本日偶々故有って、鹿港に行くこととなり、台北台中間の新幹線往復に試乗した。
 感想は、一言で言えば、極めて快適である。日本よりも座席の前後が広く取ってあり、普通車のリクライニングも相当深くなっていれば、車両自体は、明らかに日本よりもはるかに快適である。また、頭では分かっていたが、実際に我が身で往復してみて、その時間の短縮加減を改めて実感認識させられた。新幹線であれば、当然のことではあるが、台北から台中まで55分である。小生が家を出て大学の東松山校舎に行き着くより短い時間である。
 今までであれば、一日がかりの観光であった鹿港観光が、午後1時25分の新幹線で出発して台中に行き、鹿港の旧跡を二時間ほどじっくり参観して、夕方6時29分に台中で乗車して、7時20分には台北である。つまり、今まで一日観光のコースであったものが、半日コースに短縮されたのである。
 この新幹線に因る時間短縮は、恐らく日本人の台湾観光形態を大きく変えるであろう。例えば、午後に日本を立って台湾の桃園飛行場に着き、そのまま新幹線で台南に行き台南泊する、その次の日は台南観光して夕刻新幹線で台中に行き台中泊、次の日半日台中見学してまた新幹線で台北に行き、午後の半日台北観光し台北泊、次の日は故宮博物院などを観光してそのまま飛行場へ行き、夕刻の便で帰国する。三泊四日で台南台中台北の目ぼしい所は全て回れるのである。
 以上は、実際試乗してみての感動と言うか、今後の展開の予想であるが、次は、感動しなかった点である。
 如何なる点に感動が薄いかと言えば、あまりにも日本の新幹線と同じなのである。駅のチャイムも車内放送も、何処か聞き覚えのある音やチャイムである。また駅舎も近代的な立派な駅舎で、これも全く日本と同じなのである。更に、駅のコンコースやエントランスに張られたコマーシャルは、台北も台中も一面「ソニー」である。且つ、駅舎内の食事所は、スターバックスの珈琲にローヤルホストのお食事、山崎パンのサンドイッチである。
 これでは、「日本と同じじゃあ、何処が台湾なのだ」全く面白くない。地方の名産も駅では売られていない。要するに、「台湾風情」が何処にも見られないのである。日本人の小生としては、非常に面白くないし、艶消しである。 せめて駅舎ぐらいは、如何にも台湾だあと言う建築物にしてほしかったし、駅舎内には、それぞれの地方の名産品(台南名産某某、台中名産某某、等等)ぐらいは売っていてほしかった。
 台南の駅舎で、地元のタンタン麺を立ち食いで流し込み、そのまま上りの新幹線に飛び乗る、などと言うことは、まだまだ先であろう。 またもう一つの問題として、新幹線駅舎から近くの観光地までのアクセスが気になる。団体旅行であれば、専用のバスが用意されるであろうが、個人の観光旅行の場合は、概ねタクシーとなる。この駅舎から観光地までの交通手段が早く整備されることを、望まずにはいられない。

モラル 1月13日(土)

 一昨日小生が乗った新幹線の一本後の新幹線で、車両に煙が充満して大騒ぎになったが、問題は、高鉄の説明が二転三転したことである。
 最初に第七車両のトイレの煙探知機が鳴り出し、車掌が駆けつけて調べた結果、冷房の配電盤異常に因る冷気の異常であった(冷房の冷気の変化ぐらいで煙探知機が鳴る訳が無い)との判断で、そのまま走行させたのである。
 所が、新竹駅付近では、その煙が車両にまで充満しだし、乗客が慌てたため大混乱になり、板橋到着後に検査の結果、トイレ上部に有る変圧器の延焼であった、と発表された。これは大問題である。何故なら今まで不慣れやシステムミスなどの小さな事故は多々あったが、車両の変圧器火事となれば、完全な車両事故である。ましてトイレ上部の変圧器など、間違っても火事になるような場所ではない、そこが火を噴いたとなれば、車両を納入した日本企業が責任を追及されることになる。これは、マスコミが日本を叩き出すぞ、と些か心配になったのである。
 所が、昨晩高鉄の説明が三転して、煙の原因は、誰かがトイレでタバコを吸い(全車両禁煙である)、それをチャンと消さないままにトイレのゴミ箱に投げ入れた為である、と言うのである。この説明が正しいか否かよく分からないが、高鉄の説明通りだとすれば、この事故は単純に乗客のモラルの欠如が誘発したものである。因みに本日は、新竹駅取材のマスコミが、意図的にふざけて火災警報器を押し、火災ベルが暫く鳴り響き大騒ぎであったが、これもモラルの欠如以外の何者でも無い。
 台湾新幹線に携わった日本の技術者の人たちが、常々心配して「台湾の人たちは、規則とかマニュアルをきちっと守ってくれないんですよ、まあモラルの問題なんですが、それが一番心配なんですよ」と言っておられたのを、よく小耳に挟んだが、将にその心配が的中したのである。僅か一時間三十分しかかからない全工程の台湾新幹線である。全面禁煙となってもさしたる問題ではない、ちょいと一刻ほど我慢すればすむ話である。それをわざわざトイレに隠れてタバコを吸い、それをそのままゴミ箱に投げ入れるなど、社会道徳の欠如と言うかモラルの欠如と言うか。
 要するに、規範遵守意識の低さであろう。何故わざわざ「匂いのキツイ物は持ち込み禁止」など、日本では見られぬ標語が明示してあるのか、今まで良く分からなかったが、このタバコ事件で、良くその意味が分かった。
 尤も、一番頓珍漢な様を見せてくれたのは、慌てて駆けつけた車掌殿で、何処が煙の元かも確認できず、変な説明をすることになったのである。 馴れないとは、こう言うことであるが、例え初めての事象でも適切に対処するのが、プロの鉄道マンであるはずであるが、残念ながら彼らはプロでは無いのである。台湾新幹線関係者は、全てゼロからの出発で、全くの素人を急ごしらえで仕立て上げたものに過ぎず、運転手にしろ車掌にしろ、はたまた司令室の人員にしろ、過去に新幹線はおろか一般鉄道の経験さえ全く持っていないのである。
 因って、台湾新幹線の人的実態は、やっと普通車の免許を取った人に、突然公道でF1を運転させる、ようなものなのである。しかしながら、ルール通り運行すれば安全である、何故なら、時速三百キロの世界は目視で云々出来る世界ではなく、運転席の計器と司令室からの指示を正しく理解確認し、正しく操作さえ出来れば、全く問題無く安全なのである。とは言うものの、司令室からの指示は英語(国際的ですなあ)です。しかし、運転手は英語を母国語としないフランス人とドイツ人です。無論車掌も英語を母国語としない台湾の人です。
 さてさて、一体どうなるのでしょうか、新幹線自体は安全です、何たって世界に冠たる日本の「のぞみ系」ですもの。でもでも、何故だか分かりませんが、「アテンション、プリーズ」でありまする。で、貴方はお乗りになりますか????。

成功嶺之花 1月15日(月)

 本日懐かしい名前を見た。それは「成功嶺之花」である。「成功嶺之花」と聴いてピンと来る人は、相当の軍事オタクである。
 十年前、台湾では当時二十歳の女子大学生達を集めて成功嶺で二十日間に渉る本格的軍事訓練を行った。これは、国防部はあまり乗り気ではなかったが、教育部が熱心であった。当然マスコミが注目し、若い娘達のきりりとした軍服姿は写真に撮られるし、その中でも此れはと言う美女に、マスコミが送った名が「成功嶺之花」である。
 彼女達も今や三十歳になり、この名を貰った当時の女子大学生も、今では人妻で二児の母でもある。既に無くなった人、海外に移住した人、結婚した人、等等その後の人生は千差万別であり、当時彼女達を指導した女性教官も、大概が除隊している。当時のこの女性兵団は、マスコミの餌食となり、映画化もされたが、その後この様な大掛かりな訓練が行われたとは、ついぞ聴いていなかった。因って、一昔前の懐かしい話でしかない。
 所が、今朝の新聞に「成功嶺之花」が再度登場したのである。何事かと思ってみたら、台湾の国軍が、今年度中に将校から二等兵に至るまで、全て女性で構成された百十名に及ぶ女性兵団を創設するのである。これは、訓練などの話ではなく、本格的な女性だけの軍事兵団である。現在の所、主な任務は通信、運輸などの後方支援が予定されているが、将来的には本格的戦闘部隊である「女性特兵団」とか、「女性憲兵団」も創設するみたいである。
 この女性兵団出現の暁には、恐らくマスコミが今度は「国軍之花」を作り出すであろう。「成功嶺之花」から「国軍之花」へ、「十年一昔」とは良く言うが、十年後の「花」は、一体如何なる「花」であろうか、見てみたい気がする。

夜光石 1月15日(月)

 先日、清朝の灰玉の「円柱形佩飾」を買った時、紐を通してやろうと思ったのだが、さて何で紐を止めてやるか、はたと考えた。

 偶々「円柱形佩飾」を買った店に、何だか分からない穴の開いた米粒大の小さな石を沢山売っていたので、この石で止めてやれと思い、老板娘に「くれ」と言った所、渋い顔をする。「佩飾を買ったんだからくれよ」としつこく言った所、しぶしぶ「一個だけよ」と言ってくれたのである。
 小生「こんな米粒大の砂利一個なのに、結構ケチな老板娘だな」などと思っていたが、彼女が何故渋ったか、その理由が本日分った。例の如く佩飾をせっせと磨きながら学校から帰り、薄暗い店に入った途端、その小さな砂利が紫色に光るのである。己の目の錯覚かと思い、もう一度見るとただの砂利である。そこで再度外に出て日の光を当て、再び店に入ると確かにえもしれぬ美しい紫色に光るのである。発光ダイオードが紫に光っていると思えば好い。
 つまり、この砂利は、ただの砂利ではなく、蛍光石だったのである。実に美しく光る。今まで夜光石と称するものは多々見たが、これだけはっきりと美しく光る石は初めてである。一寸した感動ものである。中国の唐詩に「夜光の杯、葡萄の美酒」と言う句があるが、これだけ美しく光る「夜光の杯」など買える訳も無く、小生にはこの砂利一粒で十分であるが、ここが教員の悲しさである。
 己が感動したものだから、ぜひともこの美しい光を学生にも見せてやり、「夜光の杯」の感動を味合わせてやりたくなったのである。因って、今週末再び「ただで貰い」に行くが、果たして今度は「ただでくれる」のか否か、兎に角、美しい紫色を発する夜光石である。

ビギナーズラック 1月16日(火)

 今回えらい物を入手した。ビギナーズラックとは、将にこのことであろう。小生「玉」の良し悪しなど全く分かる訳はなく、せいぜい新しいか古いかぐらいで、卓上で使えそうな小物を安値で買い漁っていたが、一昨日偶々白玉の「レイ(令+羽)管」を入手した。
 本物の「レイ管」には、なかなかお目にかかれず、サンプルとして一個は欲しいと常々思ってはいたが、偶々一昨日某所で見かけたので、小生としては「ちょいと高いなあ」とは思ったものの、まあいいかと買ったのである。因みに「レイ(令+羽)管」とは、清朝の官僚が天子に見える時、正装した冠に孔雀の羽を挿すための道具で、官位に因って使用材料が異なり、確か「玉」は三品官以上だったと記憶している。
 先日その「レイ管」を磨きながら歩いていたら、偶々以前に話した「玉屋」のオヤジにして且つ宝石学校の先生である某氏にばったり会った。彼は小生のレイ管を見るなり、「一寸見せろ」と言うので、見せた所「高かったろう」と言う。小生が、「ああ、清朝のレイ管だから高かったよ。3000元もしたぞ」と言うと、「何言っているんだ、もっと高かったろう、一万か一万五千か」と聞き返すのである。小生が「いや、3000だよ」と言うと、彼は「本当か、お前は好い買い物をした、売った奴は物が分かっていなかったんだろう、恐らくこれは最高品と言われる本物の和田老白玉だぞ」と言う。小生が「そんなことは無いだろう、ただの白玉だよ」と言うと、彼が「兎に角、三日ぐらい磨いてみろ、表面が銀幕を張ったように光出したら本物だよ、おれは本物だと思うぞ、分からずに買ったとは、お前も運が好い奴だなあ」と、呆れた顔をして言う。
 以下、オヤジの「玉」に関する説明であるが、 「磨いても光らない玉は下の下の雑玉だ。磨いて光るだけの玉は、まあ下品だ。磨いたら光るのではなく、油でも含んだようにしっとりと湿潤になるのが、中品だ。磨いたら、湿潤感と光沢と両方見られるのが、上品だ。そして、磨いたら、湿潤と光沢が渾然一体となって、表面に銀幕を張ったような光が出てくるのが、極上品で、それが和田老白玉と言われるものだ。最近は何でも和田玉と言うが、それは和田で採掘したと言うだけの話で、本当の和田老白玉はものすごく数が少ない」 と言うのである。
 最後にオヤジが、「間違いなく一品官が使っていた本物だな、こんなものをたったの3000元とは、今年はお前は福気だぞ」と言う。そこで、言われた通り今日まで磨き続けたら、確かにオヤジの言った通り、「銀幕を張ったような光」を発するようになった。
 いやあ、驚いた。完全なビギナーズラックである。「犬も歩けば棒に当たる」とは言うが、質の良し悪しなど全く知らない小生が、偶然とは言え、こんなものを入手してしまうとは、ビギナーズラック中のビギナーズラックである。それにしても、一見して一発で見抜いたオヤジは、流石に宝石の先生と言うべきであろう。伊達に玉屋をやっている訳では無いのである。本当に恐れ入りました。

故宮博物院の顔 1月19日(金)

 また一人、懐かしい人が歴史のかなたに去られた。それは秦孝儀氏で、彼の葬儀が昨日執り行われた。秦氏は二十五年近くに渉って蒋介石の幕僚を勤め、三十年程前に、日本の産経新聞が『蒋介石秘録』と言う本を出版した時、多大な尽力と情報提供をされたのが彼である。
 しかし、秦氏の名前を天下に知らしめたのは、蒋氏の幕僚であったことよりも、十八年間に渉る故宮博物院の院長としての活躍である。院長時代に秦氏が積極的に手がけた、故宮所蔵の文物を通じての国際交流は、台湾の文化的国際外交と言う意味に於いて、大きな成果を挙げたと言えよう。将に彼は、故宮博物院の顔の様な存在であった。
 秦氏の葬儀には、日本から産経新聞の社長住田氏が来ておられたが、献花された花々の中には、北京故宮博物院院長や日本の美秀博物館館長などの名前も見られ、彼が、国際的にも認知された故宮博物院の顔であったことを、端的に示していた。また秦氏は、嘗て日本のテレビが故宮の文物に関わる話を放映した時、インタビューに応じて当時の経緯を語り、画面に登場されたことも有った。
 彼は、故宮文物の経緯に関わる実際の裏話を熟知する人物の一人であったが、あたかも故宮博物院大改造の完成を見届け、安心したが如く旅立たれたのである。

乱闘 1月20日(土)

 昨日台北で、派手な乱闘劇が繰り広げられた。と言っても、ヤクザの乱闘とか酔客の乱闘騒ぎではない。有ろうことか国会内で、国会議員殿達の大乱闘である。
 昨日は、今国会会期の最後の一日で、何か選挙法の改正案の審議と通過を予定していたみたいであるが、反対する側と通過を目指す側(どちらがどうなのかは、良く分からないが)との攻防戦で、派手な大立ち回りである。議長宣布を阻止せんと議長席に駆けつける民進党議員の一団、議長を守らんとする国民党議員の一団、怒号と罵声が飛び交い、取っ組み合い、殴り合い、蹴り合い、何でも有りの大乱闘である。
 特に勇ましいのが女性議員殿で、以前スカートを巻くし上げパンツ丸見えで、相手の男性議員に飛び府ザ蹴りを食らわせた議員殿が居られたが、今回も同様である。議場を大きな鎖で封鎖する議員、殴りあう議員などは、まだ可愛い方で、某女性議員殿は、議長席に詰め寄るや、己の靴を脱いで議長に投げつける、更に他の男性議員の靴を奪って投げつける、かと思えば、他の議員の投票用紙を奪って破り捨てる、等等兎に角派手な立ち回りである。
 因って、議長殿は投げられた靴に因って唇の辺りが切れ、殴られた議員殿は額から血を流し医者が駆けつける、と言う流血の大惨事である。
 いやはや、此方の国会は派手である。日本の牛歩戦術や欠席戦術など、此方に比べたら何と上品で静かなことか、日本に居れば決して想像だにしない「日本の国会議員は上品だ」などとの思い、昨日は何故だか思わずにはいられなかった、「日本の国会議員は何と紳士淑女の集まりだろう」と。
 で、何故この様な状況が分かるのかと言えば、テレビが30分以上に渉って、その現場をライブ中継するのである。昨日は、「守るも攻めるも鉄の」と軍艦マーチがけたたましく鳴り響いた台湾の国会であったが、此方の人に聞くと、「なーに、何時もの事ですよ」の一言で終わりである。パフオーマンスと言えば、確かにパフオーマンスに過ぎないが、それにしても度派手なパフオーマンスである。

夜光石、U 1月21日(日)

 先日の夜光石以来、どんな夜光石が有るのか気になりだし、遂に昨日丸半日かけて夜光石探しを行った。
 半日の夜光石探索の結果、取り合えず四種類の夜光石(発光色は三種類)を見つけた。
 1、表皮が灰色や黒色をしているが、中は黄緑色。
 2、表皮が灰色や黒色をしているが、中は柿色(赤色)。
 3、表皮が灰色や茶褐色しているが、中は灰色から薄紫色。
 4、表皮が黒色をしているが、中も真っ黒色。
 の四種類である。この中で、一番良く見かけ数も圧倒的に多く値段も安いのが、1であり、多くの加工品も散見している。因みに1と2は共に黄緑色の光を発するが、特に1の発光力はとてつもなく凄く、実際真っ暗な中で本に近づけると文字が読める。将に「蛍の光、窓の雪」の「蛍光」である。因って、1と2は、電灯や蛍光灯の光を当てただけでも光るのである。3と4は、流石に太陽の下で光を当てないと発光しないが、3は絵も知れぬ美しい紫色を発し、これは圧倒的に原石自体が少ないみたいである。4に至っては、殆ど見かけず、こんな物が発光するのかと思うが、有る程度太陽光に当てて暗い中に入れると、漆黒の夜空に輝く満点の星の如く、白っぽい光を発するのである。しかし、4は、数が少なく且つ値段が高く、小生も一点を見ただけである。
 そこで、さて学生に見せるサンプルはどれが好いかと思ったが、現実に財布の中身と相談した結果、1と2と3を5個ほどサンプルに買った。金額は1000元であれば、一個200元、700百円強である。加工した品は、模造品に間違われ易いので、石の表皮が付いている原石で、一面だけが磨いてある板石にしたのである。

結婚披露宴 1月23日(火)

 昨晩台北の一流酒家で、連勝文氏の結婚披露宴が行われた。テレビもその模様を放映していたが、目出度いことなので、あまり気にはならなかった。
 所が今朝の新聞である。三大新聞である中国時報、聯合報、自由時報を見たところ、中国時報と聯合報が、この模様を二人の立ち姿と共に大々的に一面に掲載しているのである。自由時報は、一面は力覇集団の経済問題で、披露宴の報道は三面であった。
 連勝文氏は、元国民党主席連戦氏の長男であるが、国会議員でもなければ、国民党自体も現在は野党である。つまり一般人に過ぎないのである。 果たしで日本では、野党の小沢党首の長男が結婚したからと言って、三大新聞が一面トップで報道するであろうか、例え、小泉元総理の子供であれ、総理の安倍氏の子供であれ、間違っても一面トップを飾ることは無いであろう。そんなことをしたら、新聞としての良識、見識を問われる。結婚関係が一面トップを飾るのは、恐らく皇室関係の時ぐらいであろう。  で、今朝の新聞を見て考えさせられたのは、台湾に於ける政治家のポジションである。社会に於ける彼らの存在は、何か日本以上に特権階級(彼らの言動が芸能人並の扱われ方をする、と言う意味でも)の様に見受けられる。それと同時に、台湾の新聞は将に如実にバックの政党の色が現れるものである。因って、中国時報と聯合報は国民党、自由時報は民進党と言うことになるのである。

玉は磨かなくても 1月26日(金)

 古来「玉は磨かざれば」と言われているので、小生安物の雑玉をせっせと磨き、雑玉でも光りだすと心嬉しくなり、一人悦に入っている。
 先週の日曜日夕刻、久しぶりに建国路の玉市に顔を出した。夕刻であるためそれぞれの店が店じまいの片付けをしていたので、早足で流し目で見て回っていたら、出口付近に古そうな握豚が三個ほど有った。一つは一対ものである。 小生、この一対は漢玉だと思うが、小さいから婦人用だな、こちらの汚いのはもう少し古そうだなあ、などと勝手に推測し眺めていると、片付け作業中のオヤジが、「今年は猪年だから買え、もう最後だから安くしとくぞ」と言う。
 そこで小生「じゃあこの汚いのを買うから1000元だ」と言ったら、オヤジが「これは5000元だ、此方の漢玉にしろ、此方は一対だぞ、いいものだぞ3000元にしてやる」と言う。しかし小生、漢玉にはあまり気乗りがしないので、「こっちが良いよ」と言っても、オヤジはひたすら漢玉を勧め「一対で2500元にしてやるから、こっちにしろ」と言う。小生「いやだ、こっちが好い1500元」と言うと、親父は「最後だから3500元」と言う。小生「2000元、売らないなら要らないよ」と言って帰ろうとすると、親父が「分かった、何でこんな古いだけで汚い玉が欲しいんだ」などとぶつぶつ言いながら売ってくれた。
 で小生、この豚を磨きながら歩いていたら、またまた例の玉屋の大先生に会ったのである。と言うより、お互い同じような場所を散策していれば、時間帯さえ合えばぶち当たるのは当然と言えば当然であるが、その大先生が「今日は何を磨いているのだ」と聞く。 小生「豚だよ」と言って見せたら、大先生「お前何でこんなものを磨くんだ」と言う。小生この言葉で、しまった、目利き違いをしたか、贋物を買ったのか、と思った。
 そこで小生、「贋物か、2000元は高い買い物だったが、豚だからまあいいよ」と言って分かれようとしたら、大先生が「何言っているんだ、これは本物の古代玉だぞ」と言う。小生「だって貴方は、何で磨くんだと言ったろう」と言うと、彼は、「これは磨いてはいけないのだ」と言う。
 以下、またまた大先生の玉に関する講釈である。普通玉は磨くものだが、だからと言って何でも磨けば好いと言うものではない。漢代以降の玉は、磨けば磨くほど良くなるが、古代玉は違う、特に今お前が持っているような、土中で風化し、鶏骨化した玉は、磨いてはだめだ。磨くと表面が剥離しぼろぼろ壊れる。鶏骨化した玉は、磨かないで水に濡らした布で汚れを拭き取るだけだ。水に濡らすと言っても、あまり水分が多いとその水が玉に沁み込んで玉を悪くするから、良く硬く絞った布だ、何でもかんでも、玉だからと言って磨くのは愚の骨頂だ。
 と、のたまうのである。小生、また一つ教えられた。「玉は磨かざれば」とは言っても、磨いてはいけない玉も有ると言うことを。磨かずとも玉は玉なのである。

禁じ手 1月27日(土)

 昨日国賓大飯店で「台聯」の総会が行われ、新主席に前李総統時代の総統府秘書長であった黄氏が就任した。その黄氏が、国民党、民進党、台独派大老などの来賓が居並ぶ前で就任演説を行ったが、一種の「禁じ手」をぶったのである。
 彼は、「台湾独立も、統一も、所詮幻虚に過ぎない、そのスローガンは、政争のためのスローガンに過ぎない、台湾は、既に立派な独自の主体性を持った主権国家である」と言うのである。確かに台湾は、半世紀に及んで、独自の領土、独自の貨幣、独自の軍隊、独自の外交、そして独自の人民を保有している。その様な意味に於いては、現実は確かに「独自の主体性を持った主権国家」である。中国大陸がこの地域を実効支配した経験は、一度として無いのである。しかし、国際政治と言うパワーゲームの中で、大陸が「中国は一つ、台湾の独立は許さない」と叫ぶのも、また現実の一つである。
 黄氏の狙いは、台湾政治がややもするとと言うより実際に、独立か統一か、外籍か本籍かで両極端にぶれ易い国民党と民進党との争いの中で、どちらにも馴染めない人々の受け皿になって、第三勢力となることに眼目が置かれているみたいである。所謂「民主社会派的」な中道左派を考えた発言で、本年の年末に予定されている立法委員選挙を多分に意識した発言である。 「台湾は既に一つの主権国家だ」と言うのは、前李総統がよく言っていた言葉で、これはこれでそれなりに現実を表してはいるが、これを声高に叫ぶのは、一種の禁じ手であろう。
 党勢拡大と年末の選挙を狙って、藍緑両党を切って捨てた台聯ではあるが、果たしてこの賭けは、吉と出るか凶と出るか。

暴走族 1月27日(土)

 本日テレビで暴走族の特集をしていた。逃げる若者、追いかける国道警察のパトカー、見慣れた風景で、日本同様に台湾でも暴走族が存在する。
 台湾の暴走族の特徴は、先ず活動時期が春から夏にかけてで、秋風が身に沁みる頃になると、どうも冬眠期間に入って大人しくなるみたいである。次に、乗り物であるが、台湾はバイクではなくスクーターである。彼らは、車輪の小さいスクーターで大暴走をするのである。最後に道具であるが、これは大きく日本と異なる。有刺鉄線を巻きつけた金属バットなどと言う生易しいものでは無い。刃渡り50CMは有ろうかと言う山刀である。但し、当然のことながら特攻服は無い。単なる派手なシャツである。スクーターに跨って山刀を振り回しながら、暴走行為を行うのである。
 因って、当然国道警察も荒っぽい。追いかけてとっ捕まえると、有無を言わせず地べたに叩き伏せるのである。若者の世界は、何処も同じだなあ、と見ていたら、最後にテレビが面白いテロップを流した。それは、「台湾暴走族の源は、日本の暴走族である」と。
 いやはや、日本が暴走族まで台湾に輸出していたとは、驚木桃木山椒木である。

亜洲鉄人 1月29日(月)

 昨日午前中に亜洲鉄人が「走了彼岸」された。74歳であった。亜洲鉄人と言って楊伝広氏を起想する人は、相当古い人である。
 確か、戦前の新聞には「亜細亜の鉄人楊伝広」と銘打って、日の丸の旗を胸に疾走する彼の姿が、掲載されていたはずであるが、楊氏の日本統治時代の活躍は、現在では全て彼の経歴から消されている。
 楊氏は台東の阿美族出身の陸上競技選手で、その活躍は、将に「亜洲鉄人」に相応しいものであり、1960年のローマオリンピック陸上十種競技では、アメリカの選手と死闘の末銀メダルを獲得しているが、これは、オリンピック史上最初の華人のメダル獲得である。その後楊氏は、陸上世界から銀幕世界に参加し、更に国会議員にもなり、晩年には神掛かったタンキーの世界に入られるなど、その一生は、誠に数奇な一生でドラマのようである。しかし、現在の台湾陸上界の基礎を築かれたのは、間違いなく楊氏であり、台湾体育界に於ける彼の功績は、決して忘れ去られるものではない。
 昨年は「台湾之星」と言う言葉が、新聞紙上に躍ったが、これは大リーグのニュウヨークヤンキースで活躍した投手、王建民氏を評する時の冠称である。だが小生の記憶に因れば、この「台湾之星」の冠称をスポーツ界で最初に戴いたのは、確か楊伝広氏であったはずである。 昨日は、一方ではテニスの豪州選手権の女子ダブルスで、台湾の17歳と21歳の若い二人が勝ち上がって銀メダルとなり、その歓喜の凱旋帰国の日でもあった。その彼女たちを称える称号も「台湾之星」であった。
 昨日は、過去と未来が一瞬交差したような日であった。最古の「台湾之星」が「走到了」し、最新の「台湾之星」が「回来了」した日であった。 この様子を見聞しながら、改めて時の流れの速さと歴史の皮肉さとを感じずには要られなかった。

チャイナマネーと骨董 1月30日(火)

 今朝の新聞に、「台湾は嘗ては中国の珍貴な宝物の一大収蔵センターであったが、それは既に過去の夢物語で、今や海外流失の中国文物の殆どが、大陸に帰っている」と言う文章が有った。
 これは、経済発展著しい中国経済に裏打ちされたチャイナマネーが、世界の骨董界を席巻して駆け巡っていることを、端的に認めた話である。些か古い話であるが、昨年十二月に日本の大阪で開かれた骨董のオークションに参加したバイヤー150人前後の内、その九割近くが中国のバイヤーで占められ、出品された清朝白玉香炉に対して、二人の中国人バイヤーが競り合い、最終的には天津から来たバイヤーが3200万円で落札した。彼の話では、今中国人バイヤーは日本中を飛び回り、中国文物を買い漁って中国に持ち帰っており、金に糸目はつけない。幾ら高くても中国に持ち帰れば更に高値で転売出来る、とのことであった。
 この様な傾向は、当然台湾にも現れており、多くの中国人バイヤーが台湾で中国骨董を買い漁っている。昨年来小生に「玉」の薀蓄を教授してくれている宝石学校の教授で玉屋の老板が、「昔は台湾人が中国へ出かけて良質の玉を買っていたが、今はとても高くて買えるものではない、逆に中国人が台湾に来て良質の玉を買い漁っている。もう暫くすると、台湾には良質の玉が無くなってしまうだろう」と、悲しそうに嘆息していたのが、思い出されてならない。
 今月末には、オランダでベトナム沖からの海上がりの清朝陶磁器を中心としたサザビーズのオークションが開かれるが、恐らくここにも中国人バイヤーが押しかけ、六万点近い品々は、全て中国国内に還流することになるであろう。
 将に、世界の骨董世界を席巻するチャイナマネーである。小生が、細々と手慰みで買っているような品は、所詮「ゴミ、芥」の部類にしか過ぎないのであり、貧しい老人の更に貧しい小遣いに因るゴミ拾いなのである。

歴史教科書 1月30日(火)

 日本では高校の歴史教科書の記述、特に戦前の亜細亜に関する部分が、色々と問題になり、その度ごとに中国と韓国で「反日」の嵐が吹き荒れるが、実は、台湾にも歴史教科書問題が有り、その記述が今政争になりかかっている。
 台湾では、2007年度から高校の歴史教科書が変わるが、今その記述がクローズアップされている。それは、今までの中国史(国史)の比重を減らし台湾史の比重を高めたことと、今までは「本国」「中共」「大陸」などバラバラであった中国に対する呼称を「中国」で統一したこと、「国父 孫中山先生」をただの「孫中山」に改めたこと、「武昌起義、武昌革命」を「武昌起事」に統一したこと、日本統治時代のことを「日拠、日領、日治」から「日治」(因みに台湾では日帝と言う言い回しは無い)に統一したこと、等等である。
 教育部や教科書審査委員会は、「95年と06年の委員会の審議決定事項に基づいた記述で、何も恣意的な記述や政治的配慮は無い」と言い、更に「記述用語の変更は、現実の社会状況に基づき、客観的に史実を可能な限り中立的用語で表記することに努めた結果であり、決して史実を消滅させたり覆い隠したりするものではなく、独立、統一などの政治性とは、全く無関係である」と表明し、歴史学者や識者や現場の教師は、それを概ね当然の事として受け取っている。
 しかし、一部のマスコミが「これはどうだ、これはどうだ」とワザとらしく大々的に報道した(日本でも同じであるが)ため、とうとう政争の具となってしまったのである。国民党の馬主席は、「これは、特定の意識形態に基づいて書かれており、中国化を取り去るのみならず、中華民国化さえ取り去ろうとするものである」と批判し、親民党も、「台湾意識を用いて歴史を改竄するものであり、一種の文化大革命である、教育部長の杜正勝は即刻辞任すべきである」と攻め立てている。
 これに対し、台聯の国会議員黄氏は、「台湾が台湾主体の歴史を書くのは当然であって、今までの誤った史観を訂正したに過ぎない。アメリカがイギリスを本国史などと称することが有ろうはずも無く、同様に台湾にとって中国史は、本国史ではない、因って教育部を断固支持する」と言い、民進党の国会議員王氏は、「今までの記述は、極めて政治意識と結合した表記であり、今回は現実の社会状況や中国と台湾の現実的政治実態に依拠した表記であり、何も問題無い」と言う。
 これに加えて外野も騒がしくなり、台湾南社、台湾高雄医師会聯盟、台湾教師聯盟、教育台湾化聯盟、台南市愛台湾協会、日本桜社などが、聯盟で意見表明を行い、「台湾にとって本国史とは、台湾史以外に有り得ない。高校で、中国史と台湾史をそれぞれ一冊の教科書で教えるのは誤りである。中国史は、世界史の中の一部分とすべきである。国文学とは言うまでも無く台湾文学のことであり、中国文学は、世界文学の中の一つであり、音楽も美術もそれは同じである」との、可なり過激な宣言を発している。
 さて、この教科書問題政争は、果たして何処で決着がつくのか、実際の現場で教える教員の間では、おしなべて改訂版の評価は高いのであるが、政治の世界は、一寸先が闇ですから、どうなることかさっぱり分かりませんが、せめて学生が混乱しないような配慮だけは、講じてほしいものである。

 

恋は盲目 1月31日(水)

 昨日台南の家庭裁判所で、一件の離婚裁判の判決が下されて、目出度いか否かは別として、離婚を認めると言うことになった。
 これは、借金とか暴力とか浮気などが原因では無い。年齢差を誤魔化していたのが原因である。「恋は盲目」とは言うが、将にそれを絵に描いたような事件である。
 当時29歳の朱氏は美貌の女性葉女子と知り合った。その時彼女は五才年上の34歳と称していた。しかし、この二人は直ぐに恋仲となり、年齢差などものともせず深い愛情に基づいて、朱氏は結婚したのである。 その後の朱氏は、好亭主の模範の如く、毎月四十万円程の月収を全て妻の葉女子に渡し、家や車も買い、本人は毎朝妻の葉女子から1000円弱の小遣いを貰い、只管真面目に働き幸せな家庭を築いていたのである。
 所が、ある朝小遣いを貰うのを忘れて、妻の鞄から貰おうとして鞄を開けた所、偶々妻の身分証が有り、其れを見て彼女が実は五才ではなく、十七歳も年上であることを知ったのである。現在の朱氏は、七年間の結婚生活を過ごしていれば36歳で、妻の葉女子は53歳である。結婚当時は、29歳と46歳である。 46歳の女性が34歳に見えたのであるから、将に「恋は盲目」である。朱氏はショックで一度実家に帰ったが、子供も出来た七年間の幸福な結婚生活を振り返り、一旦は結婚生活の継続を考えたが、その後彼女の戸籍謄本を見た所、彼女には一度の離婚歴が有ることも分かり、遂に離婚裁判となったのである。
 裁判官は離婚を認めたが、その裁判官のコメントが面白い、「朱氏は、とても36歳とは思えないほど老け込んでおり、逆に葉女子はとても53歳には見えない美貌と若さで、頭も聡明で、口も達者で行いも立派であるが、年齢と離婚歴を偽ったのは、やはり宜しくない」と言うものであった。
 しかし、女性の美貌とは実に恐ろしい、客観的な裁判官にさえ53歳を41歳に見せてしまうのであるから、であれば「恋は盲目」中の朱氏が46歳を34歳に見誤っても、何ら不思議ではない。因って、世の男性諸氏はクレグレモ注意が必要であろう。「美女は七難を隠す」と言うが、とんでもない、「七難」どころか「二十歳」を隠すのである。将に「変身」でありまする。


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