《臺北零話》

《2007年・2月

身銭を切る 2月 1日(木)

 昨日を以って国語日報社の授業も終わり、残りの帰国までの一ヶ月ちょっとは、単なる一観光客として、ノンビリ過ごす予定である。
 思えば、昨年四月に来台して諸手続きを行い、五月から昨日まで一時帰国を挟んで丸々八ヶ月間の授業、無遅刻無欠席の真面目さ、日本では到底考えられない、グウタラな小生の真面目さは、単に身銭を切っているからに他ならない。 人間、身銭を切ると何と真面目でケチになることか、これは骨董世界でも同じことであり、身銭を切って血を流すからこそ、物の良し悪し真贋などが分かるようになるのである。
 で、その身銭を切った程の進歩が有ったかと言えば、残念ながら中国語に関しては、全く進歩が無い。六十前の初老の男には、昨日習ったことは今日は忘れていると言う有様で、進歩など望むべきも無い。ただ言える事は、学生時代のレベルに復活したかな(37年前来台した時は、一人で勝手にいい加減な中国語を駆使して、台中、台南、高雄と動き回り、台北駅で私服警官に捕まり、阿里山では宿屋のガキに騙されて珈琲売りをさせられ、台南では地場のヤクザの口車に乗って、海岸線を夕涼みがてらに散歩していて軍のパトロールに銃を構えて止められる等のドタバタを、何とか潜り抜けていれば、会話力に関しては、当時のほうが上であった)、と言うぐらいである。将に「語学は若いときに学ぶに如くは無し」である。
 では、骨董の方はどうかと言えば、こちらは「玉」に関して、膨大な知識を獲得して目を養うことが出来た。中国の玉文化に関しては、紅山文化の玉鳥や浪渚文化の玉ソウなど、それが魔除けであったり権力の象徴であったりと、知識としては知っていても、中国人の玉に対する思い入れは、彼らのDNAに組み込まれているもので、中国独特の文化であり、外国人にはなかなか伺い知れない部分が有った。
 小生昨年五月、ひょんなことから玉屋のオヤジ殿と知り合いになった。この御仁、現役の某宝石学校翡翠部門の鑑定主任教授であって、同時に玉屋として日日身銭を切って修羅場を渡り歩いている商売人のご老人である。この御仁が、何故か小生に「玉」に関する薀蓄を語って聞かせてくれるのである。毎週土曜日の午後、顔を出すとその度ごとに、己の成功談失敗談などを織り交ぜながら語り、店に有る現物の玉を撫で回しさすりまわし眺め回させてくれるのである。
 今日はこの話、来週はこの話と、まるで大学の講義の如く小生を待ち受けていて語ってくれる、「玉の歴史」「玉の良し悪し」「玉の見分け方」「玉の文化」「玉に対する中国人の思い入れ」「玉と権力」「玉の風俗」「玉質の時代的変化」等等、エトセトラ、エトセトラである。小二時間程の茶のみ話では有るが、暇と言うかよく飽きないものだ、小生のような外人相手に、と思ったが、この御仁、教えるのは手馴れたものである。何故かと言えば、玉屋の以前は、某私立大学の教授殿であったのである。則ち彼の話は、外国人留学生に対する講義なのである。因って、八ヶ月間に及ぶ毎週土曜日の茶飲み話は、マンツーマンに因る大学での「玉」講義と同じである。こんな講義、日本では望んでもとても適う話では無い。このオヤジ殿には、感謝せずにはいられない。誠に得がたい「玉」の先生であり講義であった。
 思い起こせば、小生は実に人に恵まれた。十年ほど前にカリキュラム委員として「中国文化史」を設定した時、授業用資料として古陶磁や青銅器を少し集めておくかと思ったが、その時は、大先達で同僚のH教授が懇切丁寧にご指導下さった。また、数年前から日本文学科の「日本漢文学史」を担当しだして、講義資料として江戸儒者や文人の書を少し集めるかと思った時には、周囲に居られたその道の大先達であるO先生やS先生が、ああだこうだとお教え下さった。そして今回は、「玉文化」に関してのこのオヤジ殿である。本当に、得がたい大先達や知友に巡り会えたものだと、天の配剤に感謝せずにはいられない。
 帰国前には、このオヤジ殿の店に立ち寄り、一年間の講義料代わりとして、オヤジ殿が勧める逸品を一点買って帰ろうと、思っている。

老将の親征 2月 1日(木)

 数日前に前総統の李氏が「台湾は既に一個の主体的な主権国家であり、独立も統一も虚言であり、政争の具に過ぎない」と、一種の禁じ手を打って国民党、民進党の両左右を切り捨てたが、数日たっていよいよこの論議が、喧しくなってきた。
 国民党主席馬氏は、「この様な発言が五六年前に行われていれば、台湾は今のように没落していなかった」と遠まわしの批判を発表し、民進党は、主席の発言こそないものの台独派の大老たちが「李氏の発言は現状の大衆意見から乖離したものだ」と、これもやや遠まわしな批判を発表し、一番ストレートな批判は、親民党の「李氏は機会主義者に過ぎない」と言うものである。
 李氏の今回の発言は、特段目新しいと言うものではなく、以前からの主張を再確認したに過ぎないが、問題は、今まで李氏が「台湾独立の教父」と見做されていたことである。故に、「変節だ」「裏切りだ」の感情的批判が飛び出すのである。
 実際、陳総統の七年間の選挙は、民進党の「独立」と国民党の「統一」との政治的スローガンの熾烈な争いに終始し、お互い省籍問題を煽って不毛な論議と対立を繰り返し、人々の中に可なり鬱積した恨み辛みを蓄積させたことは否めず、同時に、どちらにも組し難いと考える中間派の人たちが登場してきたことも事実である。
 李氏が今回このような発言をする下地は、既に昨年の夏から有った。昨年の夏発生した施氏率いる赤色軍団の「総統下台」運動に対し、藍党が「下台」を叫べば緑党は「愛台」を叫び、感情的対立が増幅する中で、李氏は「デモで意見表明するのは、民主主義の世界では許された当然の行為である。しかし、意見が通らない限りはデモで圧力をかけて混乱させる、と言うのは民主主義の破壊である」との意見を表明していた。
 土着を標榜する緑色民進党、正統を標榜する藍色国民党、その中で「台湾は以前より台湾なり」と叫び、黄色台聯を率いて年末の立法委員選挙で第三勢力の構築を図らんとする李氏。 何かまるで三国志の世界の様である。八十五歳の歴戦の老将李氏が、悲壮な覚悟の意見表明を行い、親から弱小勢力の台聯を率いて、親征の途に就いた感が有る。
 李氏が見据える先の台湾がどの様なものであるのか、小生には分からないし、また台湾政治や中国の政治、更には国際政治が如何なるものであるのか、などとは一切関係なく、単純に李氏の今回の態度に、思わず拍手してしまった。
 その様な意味では、小生は限りなく日本人である。もしこれが舞台にかかった芝居ならば、間違いなく小生は、「いよっ、芋っ子、骨は拾ってやるぜい、頑張れや」と、大向こうから声を掛けていたであろう。 台湾では、年末の立法議員選挙、そして来年の総統選挙に向けて、既に軍艦マーチは鳴り響きZ旗は揚がり、戦闘の火蓋は切って落とされたと言えよう。

薬物汚染と性侵被害 2月 2日(金)

 2007年になってまだ一ヶ月ほどであるが、どうも台湾では、薬物汚染とセックススキャンダルが拡大しているみたいである。昨年は芸能人の薬物汚染が大々的に報じられたし、中学、高校、大学と教員の性侵報道も多かった。しかし、今ではこの手の報道は、毎日のように目にする。
 今回は、薬物が小学生にまで拡大して、有ろうことか小学四年生が、学校で薬物を使用したのである。小学校の四年生と五年生の兄弟であるが、それに従兄弟の中学生と高校生も加わっている。彼らの話では、薬物は叔父さんから貰ったとのことであるが、薬物汚染の低年齢化は、確実に進行している。
 また、教員に因る女子学生への性侵、つまりセクハラも結構多く、先日は主任教員が女子中学生に無理やりキスをした問題が発覚した。台湾の性侵は、日本の様に覗いたとか盗撮したとかの生易しいものではない。主任室で無理やり性交に及び、その後何回も性交を行ったとか、胸や下腹部を撫で回したとか、無理やりキスをして舌を差し込んだとか、可なりえげつない行為が多い。
 何か最近の台湾教育界も、世紀末的なスキャンダルに揉まれている様であるが、これらの被害者の大半が、経済的弱者の家庭の子女であれば、台湾に於ける経済格差の歪みが、弱者を直撃した結果、この様な現象を多発させているのではないのか、と思えてしかたない。

千両役者 2月 4日(日)

 この一週間、前総統李氏の発言と其れに対する人々の反応を考えていたら、今朝の新聞に李氏のインタビュー談話が載った。
 何故緑色と藍色の両党を批判するのかとの問いに、李氏は「民主化が始まったとき人々は希望を持っていた、しかし今はどうであろうか、下らぬ口号(独立と統一)で政争を繰り返すべきでは無く、政治家はもっと台湾国民の生活を論議すべきだ」と答え、人が貴方は変わったと言うがとの問いに、「私は変わってなどいない、私は変と不変の間にいる」と答えていた。
 将に千両役者の真骨頂である。この「変と不変の間にいる」と言う言葉は、中国古代の『荘子』の中で、荘子が「才が有っても殺されるし、才が無くても殺される」と語ったのに対し、弟子が「それでは先生は、どこに身を処せられるのですか」と問い、彼は「我は才と不才との間に在り」と答えているが、将に、そのもじりであろう。
 国民党時代の総統として、漢民族2000年来始めて人民による統治者の直接選挙選出と言う快挙を行い、台湾の民主化に歩を進めさせた李氏である。その李氏を党から除名した国民党、李氏の成果の上に乗っかって政権を取り独立を叫ぶ民進党、馬主席にしろ、陳総統にしろ、李氏の政治的眼力に比べればはるかに大根役者である。
 嘗て、蒋時代に在っては、台湾と中国とは互いに非難合戦をしていれば良かった。何故なら、国民党も共産党も共に孫文を国父と戴き、共に中国で成立した政党である。言うなれば兄弟喧嘩の度派手な骨肉の争い的様相が強かった。しかし、今は異なる。民進党が「独立」を言えば中国は対抗上「反対」を声高に言えばよい。国民党が「統一」を言えば中国はわが意を得たりと黙って拍手すれば好い。
 だが李氏の発言の如く、独立も統一も無い、台湾は既に一つの主権国家で、その歴史は50年以上に及ぶ、と現状を改めて提示されたら中国はどう対応すべきであろうか。幾らなんでも歴史事実と現状は否定できない、かと言って「その通りです」とも言えないであろう。 残念ながら中華人民共和国は、一度として台湾地区を実効支配した経験を持っていなければ、口号の「中国は一つ」を言うくらいしか手は無いであろう。後は武力侵攻が残されているが、これは国際社会が容認しないであろう。小生が先に「李氏は禁じ手を打った」と言ったのは、この様な意味でである。
 恐らく李氏の狙いは、台湾の更なる民主化と社会的発展及び安定を図り、現状の既成事実化の積み重ねで、国際社会が現状を現状として認定せざるを得ない所まで持って行くことであろう。嘗ての宗主国である日本にしろ、米台関係法を持つアメリカにしろ、内政不干渉の建前上敢て口には出さないが、本音は現状維持であろう、まして台湾が中国に飲み込まれることなど決して臨んではいないはずである。
 数日前アメリカの国会で成立した「米中経済安全検討委員会」の公聴会での政府関係者の報告に、「中国の対台湾軍事力の継続的増加に対する不満と、ロケットに因る人工衛星打ち落としに対する不満が述べられ、更にアメリカは安全な台湾に格段の興味が有り、両岸関係は、両岸の全ての人民の同意の下に平和的に解決されることを強く望むものである」と述べられている。これが、アメリカの本音であろう。
中国が、今回はやけに大人しい。中国の対台湾政策が、戦略的には今まで通りであっても、何か戦術的な部分で微妙な変化が有る様に思われる。中国も今までは、民進党を非難していれば良かったが、昨年末の台北高雄市長選挙で、追い風であったにも関わらず国民党が高雄で敗北した件や、陳総統が取り敢えずは危機を脱して2008年まで持ちそうな雰囲気、2008年の総統選挙の行く末が可なり不透明になってきた点、等等を勘案して、台湾の全ての政党に対して全方位的対応を取らざるを得なくなったのではなかろうか。
 現在の中国の胡主席は、前の江主席に比べればはるかに現実的で実務者である。軍部の対応如何に因っては、右に大きく舵を切ることは有っても、軍部さえコントロール下に置けば可なり現実的な政策が実行可能となろう。アメリカも中国に、民進党の首脳と接触するように圧力をかけている節が伺える。
 以上のようなことを全て読み込んだ上での李氏の発言と考えれば、李氏は政治家として将に「千両役者」である。それに比べれば、残念ながら陳総統も馬主席も、二枚も三枚も格の下がった「大根役者」である。

艶消し 2月 4日(日)

 小生が屯する台北の西門町が、どんどん日本化されて行く。昔は確かに似て非なる味の日本料理を売る老舗の「美観園」なる店が有り、今も元気に営業を続けている。その後、同じような店が開店して日本料理を売り、続いてマクドナルド、セブンイレブン、モスバーガーと続き、回転寿司から日式ラーメン、日式うどん、日式カレー(どれも味は似て非なり)までもが登場した。
 昨年は、とんかつの「福勝亭」が開店し、店の店員は「いらっしゃいませ」と日本語で言う。昨年末には「和民」が登場し、ここでも呼び込みは日本語である。 そして昨日、「ミスタードーナッツ」が店開きである。日本語の呼び込みこそ無いものの、看板には日本語が踊っている。売っている品は、東武練馬駅前の店と全く同じで、商品も店構えもそっくりである。
 これが時代の変化であろうが、小生にはちょっと艶消しで寂しい、西門町はもっとイナセデ粋な町であったはずなんだが、、、、、。
 所で、こと食材に関しては、日本の品が何でも手に入る、納豆、豆腐、梅干、沢庵、蒲鉾、天麩羅、薩摩揚、煮豆、佃煮、味噌、醤油、饂飩、蕎麦、ラーメン、素麺、日本の野菜から日本のお菓子(和菓子、駄菓子、雛菓子、洋菓子、シュークリーム)等等、手に入らないものはあまり無い。
 因って、日本食しか口に合わない人でも、台湾で食に困ることは無い。小生のように自炊している人間には、誠に有り難いことである。 しかし、西門町の日本化は、やはりちょっと悲しい。

排隊 2月 5日(月)

 本日始めて物を買うのに排隊、つまり行列に並んだ。一昨日開店したミスタードーナッツでドーナツでも買うかと思った所、長蛇の列である。まさかミスドのドーナッツを買うのに、台湾で行列に並ぼうとは思わなかった。ついつい東武練馬駅前の店で買う感覚で、買いに行ったのが間違いの始めであった。
 止めようかとも思ったが、このまますごすご帰るのも癪だから、兎に角並んでみた。並ぶこと40分、やっと買えることになったが、小生が「オールドフアッション」一個と言ったら、店員が「一個、一個」としつこく聞く。しょうがないから五個買ってしまった。
 味は、日本と同じだが、ただ「オールドフアッション」系がやや異なる。油のせいであろうか。値段は全て30元、110円ぐらいであり、日本より安いものも有るにはあるが、台湾でのお菓子の相場としては、高いと言えるだろう。 高いけれども長蛇の列、恐らく物珍しさであろうが、圧倒的に若い子が多い。暇潰しを兼ねて、小生も始めて並んだ。

過激な脱蒋行為 2月 6日(火)

 来る二月二十八日の228六十周年記念日に、大デモンストレーションを予定している民進党が、またまた過激な政治的要求を持ち出した。
 228事件とは、終戦後台湾に乗り込んできた陳儀集団の圧政と腐敗に対し、台湾の人々が反対抵抗し、数多くの台湾人が殺害投獄された事件である。嘗ての国民党執政時代には、この事件は長らく政治的タブーで触れられることが無かったが、戒厳令解除以後は声高に論じられるようになり、18年前の1989年に侯孝賢監督が作った『悲情城市』は、この事件を題材としたものである。
 この事件の本質は何で有ったのか、「不正腐敗の圧政集団に対する民衆の抵抗が本質であり、その対象が陳儀であれ誰であれ、不正に立ち向かう精神こそが、本質である」との、極めて本質論的な意見もたまには提出されるが、しかし、陳儀集団の派遣を決定したのは蒋介石であり、殺害投獄されたのが台湾人民である、と言う現実の方が遥かに記憶に重く残り、台湾の人にとって228は独立抵抗の日にもなっている。
 現在、台湾の国軍関係施設には228個の蒋介石の銅像が有るらしいが、それを全て撤去しようと言うのである。更には、台北市内にそそり立つ「中正記念堂」の名前を変更しろとか、或いは他所に移せとか、もっと過激なのは壊してしまえとまで言う意見である。
 台湾の本土政権にとって蒋介石は所詮外来政権であり、今の民進党執政の本土政権には、蒋介石の銅像も記念堂も必要ない、と言うのは分からない訳では無いが、この論理の行き着く先には、当然「国父」も必要ないとなり、国父記念館や中山堂の名称さえ変更しろと言うことになる。 如何に政治的スローガンとは言え、過激なことを言えば好いと言う問題でもあるまいに、この過激な要求に対して、民進党支持者の中にも嫌悪感を持つ人々が、必ず出てくるはずである。

新装開店故宮博物院 2月 9日(金)

 昨日故宮博物院が新装開店し、昨晩は陳総統や蘇行政院長などが出席して、盛大な新装オープンセレモニーが行われた。そこで小生、早速今日出かけてみた。
 一言で言えば、「厳荘な故宮からモダンな故宮へ」と言う感じである。新装開店とは言うものの、実はまだ工事中で、展示作業中の部屋も多々有り、昔の四階部分は全くオープンしていない。また、展示物に関しては明らかに展示数が減少した。嘗ては、青銅器であれ陶磁器であれ、書画であれ玉であれ、仏具であれ日用器具であれ、「茲は天下の故宮だぞ、これでどうだ」と言うぐらい逸品が展示してあり、見るものをして中国文化の大海に飲み込まれるような感じを抱かせたが、新装開店後は全く異なり、歴史的流れのテーマをそれぞれ設定して、そのテーマ毎に青銅器や陶磁器及び玉などが混在して展示してあり、一見分かり易くは有るが、中国文化の大海と言う感じは全く無い。
 恐らくこれが新装故宮の新たな方向であろうが、その結果、今まで所蔵していても故宮の沽券にかけて決して展示などしなかった様な品々も展示されている。それは清末から民国初期にかけての陶磁器である。「陶磁器の変遷、近代から現代」と銘打った211番ルームである。故宮の二階正面に向かって右側の奥に位置するこの部屋には、清朝の均釉や清末民窯青花盤及び民国粉彩など、小生の研究室の授業用資料と同じレベルの品々が展示されている。
 問題は、展示品の一つに今まで扱わなかった雑器部分であるが故の錯誤、としか思えない表記ミスが有る。故宮としては決して認めないであろうが、間違いなく錯誤であると、小生は確信している。それは、「粉彩仕女図花盆」であるが、「清朝、1862年」と表示してある。これは、誰がどう見ても民国ものである。口紅の金彩にしろ裏面の墨彩の「玉人云々」の文章にしろ、粉彩の色調にしろ仕女の形態にしろ、民国である。どう見ても清朝とは考えられない。
 そこで小生、聴いてみることにした。何しろ天下の故宮に対して、表記錯誤ではないのかと聴く訳であるから、如何に厚顔無恥な小生でも些か躊躇われたが、20分ほど現物を眺めて意を決し、故宮の官員に聴いてみた。
 小生曰く、「ちょっとお尋ねしますが、これは、本当に清朝の品ですか」。官員曰く、「そうです、どうかしたのですか」。小生曰く、「民国の品の様に見えるのですが」。官員曰く、「裏面に壬戌(1862)と書いてありますよ」。小生曰く、「それは分かっていますが、この壬戌は1862では無く、1922、民国11年ではないのですか」。
 ここで官員殿の顔が少し険しくなり、明らかに目が怒っている。官員曰く、「あなたは、どうしてそう思うのか」。小生曰く、「口紅的金彩、墨彩的文章、仕女的形態、粉彩的色調、都表現了、民国時代的様子、所以我想、差不多民国時代的東西、不是清朝、是不是真的清朝」。そしたら何故だか官員殿の口調が急に丁寧になり、今まで「ニー」と呼びかけていたのが、「先生」に代わり、 官員曰く、「どちらのお国からお出でになられたのですか」。小生曰く、「日本です」。官員曰く、「どうぞこちらのお部屋にお出で下さい。ゆっくりお話しませんか。名刺はおもちですか」。言葉は丁重、顔も笑っているが、目はやはり怒っている。これはちょいとやばい雰囲気になった、名刺は有るがややこしくなったら大変である、内心「やっぱり聴くんじゃあなかった」と思い、 小生曰く、「没有名刺、好、好、故宮説清朝、就是清朝、算了、算了」。と言い、官員殿を振り切って帰ってきたのでありまする。
 恐らくこれは、今まで扱わなかった三級品を扱い、しかも「壬戌」と書いてあるために間違った、単純な記載錯誤だと思われるが、天下の故宮である以上、表記は慎重にしてほしい。運が悪かったのは「壬戌」と書かれていることである。これが無ければ他の品と同じように「清末」と表記されたであろう。「清末」と言えば僅かに11年の差であれば、所詮ご愛嬌ですまされるが、「壬戌」と有ったばかりに「清朝、1862年」の表記になったのであろう。これでは清朝後期であり、流石にご愛嬌とは言い切れないのである。
 因みに小生は、国民党時代の「中国文化の大海」的な故宮の方が好きである。今の民進党政権下の新装故宮は、どうも好きになれない。どこかすっきりし過ぎていて、中国文化のごった煮的様相が薄れているからである。

正名の嵐 2月10日(土)

 今台湾は「正名の嵐」が吹き荒れている。「名正しければ言順ふ」とは、確かに孔子の言葉であり、物事の本質を提示するには、確かに名を正す必要が有るが、その動機が政治的であったり、手法が強引であったりすると、どこか胡散臭さを感じてしまう。
 この正名運動は、本土政権を標榜する民進党が、台湾の国営企業から中国化、中華化を取り除き、台湾化を全面に出そうとする行為である。昨日「中華郵局」を「台湾郵局」に変更する理事会に、郵局工員が反対デモを仕掛け大乱闘となった。名称変更ぐらいでは、工員の権益には何ら影響は無いはずであるが、それでも大デモである。正名も政治的、反正名も政治的、何か空しい争いである。
 「中国石油」は「台湾中油」と変わり、「中国国営造船」は「台湾国際造船」に変わり、そして「中華郵局」は「台湾郵局」に変わる。では「中華航空」はどの様に変わるのか、変更ははっきりしているが、名称はただ今考慮中と言うことらしい。
 昨日の郵局工員のデモに対し、民進党の幹部連中は、「国民党が裏で煽っているのだ、台湾が台湾として名を正すのは、自然の道理である」とコメントし、有ろうことか蘇行政院長はテレビの前で、突然「台湾よ、台湾よ、二千万粒の芋っ子は、敢て母の名を呼ばなかったし、母は聴き難い名に甘んじていた。今勇気を出して母の名を呼べば、台湾、貴方の母の名は、それは台湾よ」などと言う歌まで、だみ声を張り上げてご披露なさり、途中で一瞬涙ぐまれたのである。
 日本の総理がテレビに向かい、「日本よ日本、我が母の名は日本」などと歌いだし、涙ぐむ姿を想像してみて頂きたい。これはもう、単なる政治運動を越えた世界である。怨念と言うか、執念と言うか、情念と言うか、要するに理屈では無い世界である。だみ声を張り上げる蘇氏の姿に、確かに一台湾人の恩讐の匂いと台湾の有る種の歴史が感じ取れた。
 ではこの「正名」運動を、論理的に推し進めて行けば「故宮博物院」は「故宮」である必要など微塵も無いことになる。「故宮」とは「北京紫禁城」に対する呼び名である。であれば、「国立故宮博物院」は「国立台湾中華文物博物院」とでも変更するのであろうか。
 恩讐は恩讐を呼び、情念は情念を掻き立てる。何処か人の性の「愚かさ」としか言いようの無い「正名」行為の様に思えてならないが、そう感ずるのは小生一人であろうか。

外交問題 2月11日(日)

 今回台湾政府が行っている「正名」運動が、いよいよ外交問題となって来た。国営企業の名称変更は、当然英語表記の変更も伴い、単純に国内の漢字表記変更だけに止まるものではない。
 例えば、台湾の中央銀行(日本の日本銀行に相当)は、今まで正式名称は「中国中央銀行」であり、英語表記は「CETRAL BANK OF CHINA]である。しかし改名後は、「中華民国(台湾)中央銀行」で英語は「Central Bank of the Republic of China(Taiwan)」である。
 アメリカのホワイトハウススポークスマンは、「台湾の国営事業の改名を支持しない」との談話を九日に発表した。国民党主席馬氏は、この談話を受けてすぐさま「政府が行う正名運動は、稚拙で幼稚な党利党略に基づいた行為で、アメリカの信頼と友情を損ない、台湾の経済や外交及び人々の生活に被害を齎す何ものでも無い」と政府を非難している。
 一方政府側は、「アメリカは支持しないと言っているが、反対するとは言っていない。この正名は、純粋に国内の内政上の問題であり、現実の実態に名称を合わせるだけのことであり、両岸の立場を変えたり独立を目指すものではなく、陳総統がアメリカに約束した四不には、一切抵触しない。アメリカの要求が有れば、いくらでも詳しく説明する」と言い、運動の続行を強調している。
 さて、この運動は、内政問題から外交問題へ発展するのか否かは、アメリカの今後の出方一つにかかっているが、一つだけはっきりしているのは、次期総統選挙を睨んだ政治問題だと言うことである。
 台湾の切手は、去る六日に最後の「中華民国郵票」表記の情人節記念切手が発行され、今後は「台湾郵票」表記となるが、その最初の「台湾郵票」表記切手の図案は、「二二八国家記念館」であり、その記念式典は、言うまでも無く、二月二十八日に二二八国家記念館で盛大に挙行される予定である。
 この台湾郵局の一連の行動を見れば、政府が行う「正名」運動は、外交問題以前に、いや内政問題以前に、いや政治問題以前に、怨念問題が深く横たわっているのが、一目瞭然であろう。

桜の日 2月11日(日)

 今、台北の草山は桜の花が咲き乱れていて、美しい桜並木の山道を心行くまで散策できる。茲に植えられている桜は多種多様で、緋寒桜、八重桜、山桜、吉野桜、昭和桜などである。
 因みに、二月十日は「台日桜花の日」である。日本の「育桜会」は、世界の各地に桜の苗木を寄贈しているが、昨年は、台湾の南部の河津に一千株の苗木を寄贈し、それが今では全て見事に根付いている。「育桜会」は、今後も継続して九千株を寄贈する予定であり、将来は、見事な桜並木が出来上がるであろう。
 台湾で根付いた桜は、気候が暖かいせいであろうか、全体的に日本より紅味が強いように感じられるが、それでも、二月に南国で緋寒桜並木の下を歩くのは、結構おつな味がして一興である。
 ただ止めて欲しいのは、夜の多色のライトアップである。折角の桜の夜目の美しさが台無しである。ライトアップは、白色灯だけの普通のライトアップで十分である。

琢彫の名工陸子岡 2月11日(日)

 最近玉市に行くと「子岡款牌」を多く見かける。大概上質の白玉に、吉祥文様と詩文が陽刻されており、「子岡」の銘が有る。
 陸子岡とは、明代の嘉靖から万暦年間にかけて活躍した玉の琢彫職人で、名工の名を世に喧伝された蘇州の人である。彼は、上質の和田玉しか扱わず、皇帝用器も琢彫したと言われているが、その技は、後世に伝えられることは無く、彼一代で終わっている。その為、名声だけが広く流伝し、以後陸続として「子岡款」の写しが作られるが、大半は方形牌が主流で、今でも多くの「子岡款」牌が作られている。
 現存する「子岡」作品は、その殆どが中国や台湾の博物館に所蔵され、万が一にも本物の明代「子岡」作品が市場に登場すると、その値段は目が飛び出る程の高値である。彼の落款は、「子岡」と「子剛」と「子剛制」の三種類が有り、使用文字は、篆書と隷書が中心であるが、清朝以後の放子岡作品(尚、写しの作品は「子岡款」作品と称し、「款」の一字を入れることに因り、本物の「子岡」作品と区別している)は、篆書と隷書のみならず、楷書、行書、草書と多種多様であるが、共に共通しているのは、一面が吉祥紋で一面が詩文であり、共に陽刻つまり浮彫されている、と言うことである。
 その為「子岡款」牌は、玉質と時代と彫り具合に因って値段が決まり、当然上質白玉で清朝初期で琢彫技術も素晴らしい、と言う品が高値で取引されることになる。
 小生も、一年に及ぶ滞台の記念に「子岡款」牌を一個買った。値段は4000元つまり14000円程の白玉牌である。一面は松下に三匹の山羊を配した吉祥図、一面は唐詩である。白玉自体は、やや灰色がかった白玉で茶色の石目が入っている清朝中期ぐらいであるが、琢彫は恐らく清末から民初にかけての時期であろう。詩文は、有名な「江碧にして鳥いよいよ白く、云々」であるが、結句の最後の一字が「年」では無く「看」になっているのは、ご愛嬌である。 玉質は中の下、時代は清朝末、琢彫技術は上、と言う組み合わせの「子岡款」牌であるが、4000元が高いのか安いのか、まあ、それは知らぬが花でしょう。

南京大虐殺 2月12日(月)

 台湾で新たに編集された高校の歴史教科書であるが、先には、国史(中国史)部分が削減され台湾史部分が増え、記述用語も第三者的客観用語が多用されたことに対し、一部のマスコミや国民党が批判を繰り返したが、その余波が今度は日本にも飛び火した。
 高校の中国史教科書の中から、「南京大虐殺」に関する記述が、大幅に削減したのである。今までは必ず乗せられていた、座っている中国人の側で軍刀を構える日本軍人(東京日日新聞からの転載)の写真も消えたし、中には、全く触れていない教科書会社のテキストも有る。執筆者や教科書会社は、「削減されたページ数の中で、一通り中国史を記述すれば、この程度しか書けない」とか、「既に中学の社会のテキストで触れているため、過度な重複を避けただけだ」とか、「殺害人数に関して中国と日本とでは、未だに見解の相違が有り、今まで通りだと客観性に問題が生じる」とか、政治的配慮は一切無かったことを強調している。
 是に対し、攻める方は香港や中国の教科書が「南京大虐殺」を大きく扱っていることから、「中国人にとって忘れることの出来ない悲惨な事件を歴史から消すのか」とか、「中国史から南京大虐殺を消すのは、台湾史から二二八事件を消すのと同様である」とか、「政府はなぜ日本に肩入れするのか」とか、論議が喧しくなってきた。
 この論戦は、小生の見る限り、政治性は無いと政府は言うものの、民進党の意識が微妙に働いていると思われる。批判意見の中で、「中国史から南京大虐殺を消すのは、台湾史から二二八事件を消すのと同様である」との指摘は、尤もなことで肯首せざるを得ない。
 偶々台湾では18日から、クリントイーストウッド監督のアメリカ映画「硫黄島からの手紙」が封切られるが、この映画に引っ掛けて、「硫黄島の犠牲者は三万人、南京大虐殺は三十万人、我々はこの映画を見て、南京大虐殺の悲劇と悲しみと日本人の行為を、思い起こそうではないか」との意見が、新聞紙上に載ったのである。

衝突 2月12日(月)

 今日午後、陳総統を初めとして政府要人列席の下、「中華郵局」の看板が「台湾郵局」に架け替えられた。しかし、これは総本部の看板だけで、街中の郵便局はまだ「中華郵局」のままである。鉄条網と警察が警備する中での、新看板除幕式で、「中華郵政工員会」は2000人の反対デモを敢行して、「反対」の怒号を放っていたが、との近くで一人の男性が「祝慶正名」と大声で叫んだ。
 この「祝慶正名」の大声を契機として、デモ隊と警察との衝突に突入し、つかみ合い引っ張り合いの大騒動が繰り広げられている。同じ様に「中国石油」も本日「台湾中油」に看板を切り替えたが、こちらの工員会は何も無く静かなものである。
 鉄条網と警察に守られての「正名」とは、これでは本土政権を標榜する民進党の政権自体が、何か鉄条網と警察に守られた政権のように思われ、それでは以前の国民党時代の政権と、手法的に何処が異なるのだろうか、と思わせてしまう。
 列席者の賑々しい顔ぶれとは逆に、何か見ていて悲しい思いを抱かせた除幕式であった。この様な状態が、台湾民主化の先行きを暗示する事態で無ければ好いが、と思わずにはいられなかった。

民営化と台湾製品 2月13日(火)

 一昨日来の騒動である郵局の名称変更問題であるが、他かだか名称変更ぐらいで何故かくも過激な反対行動を工員は起こすのであろうか、理事会は民進党、工員は国民党と言う政治的背景の違いだけであろうか、等等考えていてふと在ることに気付いた。
 日本でも郵政の民営化は大問題で、小泉首相が捨て身の選挙戦を打ったのは記憶に新しいが、台湾も同じ事で、国営企業である郵局は、元来政府の行政機関である交通部に隷属していた政府機関なのである。故に「正名」運動の裏には、もう一つの問題つまり民営化と言う問題が大きく横たわっているのである。蘇行政院長が、「名称が変更されても、工員の権益は終生変わらず保護される」と説得に努めるのは、そのためである。
 「正名」は「正名」であると同時に「民営化」でもあるのである。であれば、政治問題化するのは当然である。国民党は「中華郵政条例」を盾にとって、「名称変更は違憲」であると批判し、政府は「単なる名称変更に過ぎず、法的には何も問題なく違憲では無い」と主張して、国会に「中華郵政条例修正案」を提出するが、今度は、場所を国会に移して、この法案を巡る攻防が展開されることになる。
 では在野はどうか、小生が聞きまわった所では、「アホらしい、勝手にすれば、ごちゃごちゃで訳が分からん」などの意見が圧倒的に多かった。しかし、思わぬ所から「正名」の援軍らしきものが現れた。それは、陶磁協会の会長が「愛用国貨(Made In Taiwan)」を始めると宣言したのである。
 これは政治とは全く関係なく、現在台湾には中国産の多種多様な品々(タイル、木材、食品、衣料等等)が流入しており、しかもそれが可なりの粗悪品であったり、禁止薬物を使用していたりしているが、何しろ安い。その為、悪貨が良貨を駆逐するように氾濫し、国内産業の衰退を招いているのである。
 この状況に危機感を抱いたのが産業界で、投資を国内に向けて優良な国内産品を育て上げ、国民は国内製品を使うべく、陶磁協会の会長が率先して「愛用国貨」運動を起こしたのである。 産業界が求めるのは「Made In Taiwan台湾」であって、「Made In China中国」でもなければ、中国産台湾のコピー商品「Made By Taiwan」でも無い。あくまで「Made In 台湾」の使用奨励である。

大学生のレベル低下 2月13日(火)

 日本でも大学生のレベル低下が言われだしてから、相当の年月が経っているが、台湾でも、大学生の質の低下は甚だしく、それを象徴するような馬鹿な事件が発生した。
 冬休みを利用して北京に遊びに行っていた台湾の大学生四人が、北京の警察に捕まったのである。 彼らは一体何をしでかしたのか、万引きを競い合ったのである。二十歳の女子学生一人を含む四人の大学生は、北京に遊びに出かけ、ことも有ろうに、北京の西城区に有る阜成門市場で二班に分かれて万引き競争を行ったのである。
 彼らが万引きした品々は、日用雑貨など十種十五件で530人民幣ぐらいであるが、単独行動を試みた、夏姓の女子学生が保安員に見つかり摘発されたのである。この女子学生は西城警察署に14日間も拘留され続けているが、残りの男子学生三人は、同学である彼女を見捨てて逃走し、現在も警察が探し回っている。
 外国に出かけてスーパーで万引き合戦とは、中学生並の発想であるが、同時に同学である女性を見捨てて逃げ回るとは、呆れ果てた見下げた根性である。「男の風上にも置けない」とは、この様な男どもを言うのであろう。しかし、他国のことはとやかく言えない。何処の国もまた同じと言うことであろうから。

三峡古老街 2月13日(火)

 先日、三峡に古老街が復活したらしいと話しに聞き、本日出かけて見た。三峡とは、台北市の近くの台北県三峡鎮である。板橋から車で30分ぐらいで、土城の付近である。
 嘗ては、特に面白いものは無く、ただ三百年ぐらい前の祖師廟が有る片田舎と言う風情であったが、そこに古老街が復活したのである。この古老街に興味を持って出かけてみたのには訳が有る。三峡の古い町並みは、確か大正時代に日本人が建築に着手した赤レンガの町並みであった、と記憶していたからである。
 その町並みも、歴史の変転の中で荒廃し忘れ去られていたはずであるが、恐らく観光客誘致を目的の一種の村興しで復活させたのであろう。台北市内からだと、車で一時間弱であり、どうでも好いことでは有るが、板橋付近の道路沿いには、かの有名な「びんらん西施」の小姐達が、思わず目を釘付けにさせられる服装で手を振り、優しく語り掛けてくる。
 三峡に着くと、祖師廟の横手を流れる川の土手が、見事な枝垂れ柳並木になっており、美しい緑葉を風に晒してなかなか粋な風情である。この河に掛かる祖師廟横の橋も修復されたらしく、橋の手前には「長福橋」の額を掲げた橋門が作られ、橋の中ほどには中国風の東屋も設えてある。 その橋を渡りきった所に祖師廟が有り、その廟の正面の道路である民権街路の廟に向かって右側の百メートルほどの町並みが、古老街として復活している。
 道は石畳で、道の両側の歩道は赤レンガで、歩道の張り出し門柱も、昔のままに半円形の赤レンガ作りである。また両側の商店もその看板も当時の風情に復元されており、黒く塗られた杉板の引き戸や、昭和初期の擦りガラスや切子ガラスの窓やガラス戸等等、ちょっと昭和初期の台湾にタイムスリップをしたような感覚にさせられる。
 売っているものは、今のお土産も有るが、今の材料で仕上げた当時の様式の衣服を売る店とか、当時の御茶屋とか、当時のお菓子やとか、当時の薬屋とか、兎に角レトロである。恐らく当時は彼方此方に貼られていたであろう、日本髪を結った日本美人の石鹸のポスターなども、店の中には貼ってある。
 もっと面白いのは、この古老街には骨董屋も復活し、清末から民国時代の品々を売っており、御茶屋では当時の茶壷や茶缶なども売っている。嬉しいことに、皆な本物である。しかも値段が、台北市内の骨董屋より安いのである。例えば、民国時代の仕女図茶缶が3000元、一抱えもありそうな清末青花唐子文茶缶が15000元、清朝宜興窯茶壷が5000元、と言う具合である。骨董好きには一寸した穴場であり、レトロな風情が満喫出来る三峡古老街である。

馬氏起訴 2月13日(火)

 本日午後、国民党主席の馬氏が、台北市長時代の特別費使用問題で、特別費を個人的に流用使用した罪で、起訴された。
 検察の発表では、「馬氏の人間性を論じるのではなく(馬氏は清廉な人で売っていた)、あくまでその行為が法に照らしてどうかで、起訴に踏み切った」と言っている。
 民進党の人々は、「司法を尊重する」との談話を発表し、国民党は「冤罪だ、司法の横暴だ」と言い、馬氏自身は主席の辞任を申し出た。
 昨年は、陳総統夫人が起訴され、今国民党主席馬氏の起訴である。来年の総統選挙を目指し、両党は可なり混乱するであろう。
 民進党は、四大王と言われている呂副総統、蘇行政院長、遊党主席、そして先の台北市長選挙に参戦した謝氏、この中から一体誰を候補として選ぶのか、国民党は、主席の馬氏に傷がついた、このまま馬氏で突き進むのか、それとも立法院長の王氏を擁立するのか、はたまた連氏の再出馬か、将に一寸先は闇となった。
 恐らく今後、相当派手な非難中傷合戦が繰り広げられ、政治的駆け引きや裏取引きが行われるであろう。

政治体質 2月14日(水)

 今朝の新聞は、どれも馬氏起訴のニュース一色である。昨晩、馬氏の記者会見を見ていて、色々考えてみた。50000万円弱の公費横領事件が何故海外まで伝わる大ニュースになるのか。
 それは、来年の総統選挙に於ける最大有力候補であった点、国民党の主席であった点、そして台湾政界では珍しく清廉潔白を売りとして女性や若者に人気を博していた点、などに因るであろう。前から感じていたことではあるが、馬氏は政治家としてどうも腰が据わっておらず、時として中途半端な行動が目立つことが有る。
 今回の事件に対しても、昨年は「市長特別費は公費であり私費では無い」と明言していたのが、昨年末になると「市長特別費は公費であり、公的なこと以外に使用したことは無い」とややトーンダウンし、更に今月に入ると「市長特別費は、市長給料の一部である」と、最初とは全く正反対のことを検察に述べている。また数日前までは、彼は常々「自分は嘗て法務部長を担ったことが有り、司法を尊重している。民主の世界では、司法の独立は重要である」と述べていたが、昨日の起訴を受けて司法を尊重するとは言うものの、同時に「台湾の司法は民主の寒夜に入った」と、正反対のことを述べている。
 検察も、嘗ての自らの上司であった元法務部長を起訴する訳であるから、苦渋の決断であったろう。検察のコメントの「起訴の判断は、その行為自体を法に照らした結果であり、被告の人間性や生活態度を対象とはしていない」なる一文に、それが良く現れている。
 問題は、今回の事件を受けて、彼方此方から「制度が人を殺したんだ」とか「制度に問題が有るから、他の市長連中も調べろ」とか、「特別費(日本で言う交際費である)」の制度的位置づけ自体に問題が有り、個人には責任が無い、と言う意見が提出されていることである。
 この意見こそが、台湾の政治体質と言うか中国人の政治気風と言うか、金に関する感覚を端的に現している様に思えてならない。馬氏が、最後の最後に至って検察に「特別費は給料の一部だ」と抗弁したのも、茲に基づく。 「交際費であれ何であれ、自分が自由に使える金は俺のもの、だから給料と同じではないか」と言う発想である。政治家の「金は掴み取り」的意識が伺え、それは長年の政治風土の中で形成されたものであり、馬氏も何処かでそう思っていたのであろう。
 であれば、百歩譲って「長年の慣行、制度的な問題」と考えた時、司法は、長年の慣行である行為が、実は法に照らせば違法であると判じた訳であり、長年の慣行と言う上に胡坐をかいて、実態を法に合わせるべく修正や改訂を怠った、政治の無為の過失ひいては政治家の過失を断罪したことになる。検察の「起訴の判断は、その行為自体を法に照らした結果」との一文が、そのことを端的に現しているであろう。
 政治が司法に優先するのは、中国などの社会主義政権であり、民主政権では、司法の前に在っては、政治であれ経済であれ集団であれ個人であれ、共に等しく扱われる。その様な意味では、今回の司法の判断は将に三権分立(台湾は五権分立)の独立した司法であり、台湾の民主化がそれなりに機能していることを示すものである。
 であるからこそ、法務部長を歴任し、事ある毎に司法の尊重を訴えてきた馬氏の口から、「台湾の司法は民主の寒夜に入った」との台詞は、聞きたくなかったのである。むしろケレンミ好く「台湾の民主化は成熟して来た。司法の判断を尊重する」ぐらいは言って欲しかった。こういう所にも、馬氏の政治家としての発言のあやふやさが現れている。
 もう一つの問題は、言葉のみならず、行動自体も馬氏は腰が据わらないのである。今回の事件は、昨年の陳総統夫人起訴を受けて、民進党台北市議が告発したものである。他の地域の市長は告発を受けてはいない。馬氏が国民党の主席であるが故に、単なる意趣返しとして告発されたのであろうか。
 小生は、やや違うと思う。確かに意趣返しの点は見受けられる。だがもし昨年馬氏が、施明徳氏が始めた「総統下台」運動に顔を出していなければ、果たして告発されたであろうか。元民進党主席であった施氏が、同じ民進党の総統陳氏の不正を許さないとして、身内の争い的様相の強かった「総統下台」運動に、何故か馬氏は顔を出し、差し入れまでしている。
 馬氏は台北市長であれば、施氏のデモの道路使用許可権と、またデモが暴動化した時の鎮圧権も持っている。その様な微妙な立場に在る馬氏が、施氏の傍らに立ってテレビに映り、案の定「どんな立場での参加か」と問われて、「国民党主席でも台北市長でも無く、馬個人としての参加だ」などと、政治家としては危機管理意識の欠如した、能天気としか言いようの無い台詞を述べていた。
 もしかしたら、馬氏のこの様な政治家としての、見かけの格好よさとは裏腹に腰の据わらなさや脇の甘さが、今回の起訴の要因の一つではないのかと思えてならない。


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