《臺北零話》

《2007年・2月

泥縄 2月15日(木)

 「泥縄」とは、こういう事を言うのであろうか、馬氏の起訴を受け国民党のドタバタが始まった。
 国民党は2000年の総統選敗北後、批判を受けた黒金との繋がりなどを断ち切るべく、党の規約文章を党の全国代表会で改正し、「排黒條款」を設置した。この條款は、もし党員が汚職や収賄、横領、流用など金に纏わる罪に関わった疑いを持たれて起訴されたならば、有罪が確定しているか否かを問わず、一律党員としての権利が停止(停権)され、一審有罪の場合は党から除名される、と言うものである。
 国民党はこの條款を掲げて、旧弊から脱した新しい国民党を国民にアピールし、その結果「清廉」を売り物にした馬氏を党主席に選んだはずである。同時に馬氏は、党主席としてこの條款に依拠して党員を処罰し(新竹県長であった鄭永金や基隆市長許財利など)、党の刷新さをアピールして来たはずである。
 所が馬氏が起訴されるや否や国民党は、急遽中央常務委員会でこの「排黒條款」の改訂を行い、「一審有罪確定後に停権」とし、更に「三審有罪確定後に除名」に変更しようとしているのである。故に馬氏は、記者会見で党主席の辞任を発表すると同時に、2008年の総統選挙への立候補も表明したのである。
 厳密に考えれば、この中常会の決定は次の全代会での承認を得て正式改訂となるはずである。その時、この改訂は過去に遡及可能か否かが問題になるであろう。遡及させなければ馬氏を助けることにはならないが、同時にそれは馬氏自身が処分した人々も助けると言うことになる。この国民党中常会の「排黒條款」改訂は、何が何でも総統選候補の馬氏を助けるための苦肉の策ではあろうが、信頼を回復しだした国民党自体にとっては如何なものであろうか。
 あまりにも泥縄的、御都合主義的、政略的な改訂であり、新生国民党をアピールしそれを象徴する目玉商品の「排黒條款」の改訂であるだけに、この改訂が本当に「吉」と出るのか否かは、将に来年の国民の判断にかかっていると言えよう。
 この国民党中央の「泥縄」改訂には、さすがに国民党よりの新聞「中国時報」でさえ、「党を捨てて一人を救う」と見出しを掲げ、「国民党は、党の原則を無視し、党の基準を放棄し、馬氏を救おうとしているが、これでは陳総統を助けようとした民進党と、一体何処が異なるのか、馬氏を救っても党自体を窮地に陥れることになりはしないか」、との社説を述べている。
 また同じく国民党の議員で立法院長の王金平氏は、直接的には触れないものの、「政党は正路、大道を歩んでこそ、国民の支持と信頼が得られるものである。今回の方策が正しいのか否か、、、」と、遠回しな批判をのべているし、台中市長の胡氏は中常会で改訂反対の意見を述べ、「これでは逆に馬氏を不義に陥れるようなものだ、この場に馬氏が居たならば、馬氏自身も改訂には反対しただろう」と言っている。
 しかし結局中常会は改訂を決定した。これは党の上層部が如何に「馬氏の潔白を信じている、これは司法に因る冤罪だ」と言おうとも、同時に「場合に因っては一審有罪が有り得る」との危惧の現れに他ならない。
 今後国民党内で、馬氏一派と王氏一派との熾烈な勢力争いが繰り広げられるであろう。如何に元主席連戦氏が「団結」を呼びかけようとも、馬氏と王氏は、嘗て主席の椅子を争った因縁の仲であり、また馬氏は親中派で王氏は本土派の、それぞれの有力頭目と見做されている以上、このまますんなりとは行くはずが無いのである。
 更に言えば、馬氏自身が本当にこの中常会の決定を受け入れるのか否かである。今までの馬氏の言動と合わせて勘案した時、「清廉、馬英九」の鼎の軽重が問われているとも言えるのではあるまいか。

拳銃の氾濫と「の」の流行 2月15日(木)

 台湾は日本以上に拳銃が氾濫しており、至る所で発砲事件が起きている。先日日本の東京でも暴力団の拳銃発砲が問題になったが、台湾はそれ以上である。
 台湾では拳銃を所持しているのは何も暴力団に限った話ではなく、一般人も隠し持っており、中には拳銃コレクターもいるし、若い連中も気軽に拳銃を発砲する。台湾には「爽報」なる三面や芸能を中心にした新聞が有るが、それに拳銃事件が載らない日は無いと言う具合である。
 今朝も高雄の若者が喫茶店で拳銃を発砲した事件が載っていたが、それは実に他愛の無いことであり、20歳と21歳の遊び仲間が喫茶店で遊んでいた所、21歳の仲間だ寝込み彼の顔の上に大きな蚊が止まったのである。20歳の仲間はその蚊を取ってやろうと手で打った所、蚊は逃げてしまい21歳の仲間の顔を打ったのである。目覚めたその仲間は怒って口論になり20歳の仲間を殴ったのである。殴られた仲間は家に帰り拳銃を持ち出して来て、他の仲間に向かって発砲したのである。
 たかが蚊一匹の問題でも話が拗れると、かくも簡単に拳銃が発砲される。しかも20歳の若者に因ってである。この一事を以ってしても、如何に多くの拳銃が台湾には氾濫しているかが、分かろうと言うものである。
 台湾で看板を見ていて気がつくのは、日本語の「の」である。今台湾では、中国語の間に「の」を入れるのが流行っているらしい。
 これは丁度日本語の間に英語を入れる(例えば、My家族の様な形)のと同じ感覚であろう。本来は「我的店」と書けば好い「的」が「の」に代わり、「我の店」と表記されるのである。具体的には「青菜の市場」「台湾の塩」「魔法の珈里」「台中の餅」「小姐の店」「年軽人の話」等等である。
 これは恐らく、前から有った漢字の中に台湾語の意味を表す発音の注韻符号を加える表記が影響し、それと日本語の流行とが相俟って発生した表記表現ではないのかと思われる。

鳳梨 2月16日(金)

 愈々後二日で農暦の新年、春節(18日)を迎える台湾では、彼方此方で新年の飾り付けが行われている。赤紙に吉祥語が書かれた春聯は、門と言わず壁と言わず矢鱈に貼られているが、その中で赤色の鳳梨(パイナップル)が有る。無論これは紙やプラスチックの作り物であるが、我が店でも、赤色の袋の中に鳳梨菓子を詰め込んで、全体を鳳梨の形に仕立てた物が、台の上に鎮座して置かれている。
 中国語圏の春節を祝う場所で、鳳梨を飾ると言うのはあまり聴いたことが無く、中国でも香港でも見かけない。そこで、何故鳳梨を飾るのか、店の小姐に聞いてみた。小生曰く「何で鳳梨を飾るの」、小姐曰く「お目出度いからよ」、小生曰く「何でお目出度いの」、小姐曰く「鳳梨だからよ」、分かったような、分からないような禅問答である。他の子に聴いても、「お目出度いから昔から飾っている」との答えである。これでは何故鳳梨が目出度いのか、さっぱり分からない。
 そこで、店の常連である老板娘に聞いてみた。彼女が言うには、鳳梨は台湾語で「ワン ライ」と言う発音だそうで、この「ワン ライ」が、皆な来ると言う意味の中国語「ワン(日+王) 来」と同じ発音になり、そこで「福が皆な来て発財、発財だ」と言う目出度い意味になる、だから「ワン ライ」の鳳梨を吉祥の品として飾るのだ、と言うことである。
 これでよく分かった。まあ春聯が日本の門松なら、鳳梨は鏡餅と言うところであろうか。しかしこれは、台湾語の発音に依拠した吉祥であれば、台湾独自の春節の吉祥お飾りと言うことになるであろう。
 所変われば品変わるで、正月には、それぞれの土地柄を表した独自の風俗が伺えて面白い。日本でも雑煮を食べるが、同じ雑煮と言っても土地毎にそれぞれ異なり、醤油雑煮も有れば味噌雑煮も有る、更に赤味噌雑煮か白味噌雑煮か、はたまた具は何かに因って千差万別である、中国語圏の春節も、それと同じことであろう。因みに、我が家の雑煮は、小豆雑煮である。

泡湯(お釈迦) 2月16日(金)

 今年早々に、バブルの崩壊を象徴するが如き、力覇集団の大経済事案(トップはアメリカに逃亡中で、今移民局に収監されている)が発生したが、何かその余波とでも言うような不吉な経済事案が立て続けに起こっている。
 この一週間以内に、台湾の中堅旅行会社が二社立て続けに倒産し、老板が金を持ったまま逃亡している。 今台湾は過年春節休暇で、この期間に海外旅行をする人々は多く、飛行場は大変込み合っている。しかし、この二社の倒産で、三千人強に及ぶ旅行予定者の全ての旅行が泡湯(お釈迦)になったのである。
 単に旅行がお釈迦になっただけではない、何しろ老板が居ないのだから、払い込んだ旅行代金もお釈迦である。旅行会社には、せめてパスポートだけでも取り替えそうとする顧客が押しかけ、社員ともめて大騒ぎであるが、社員も訳が分からず殺気立っている。
 海外旅行が泡湯なら、国内の北投辺りで泡湯したら如何か、等と下らぬ駄洒落を言っている場合では無い。何かバブル崩壊の余波が、日銭を動かす世界にまで、じわじわ拡大しているように思える。

政治家とカラオケ 2月16日(金)

 台湾の政治家を見ていて思うことであるが、此方の政治家は上から下までプアホーマンスが派手である。タレント議員と言うのでは無く、むしろ議員タレントである。日常の起居振る舞いも何処かタレント的で、可なりテレビカメラを意識した行動が見受けられるが、罵りあいなども度派手で、とても放送できない様な三字言葉を連発する。その時テレビの字幕は、そのまま書けないため「×××」が並ぶのである。
 年末になりあることに気がついた。どうも彼らは、カラオケが大好きな様である。年末になると、それぞれ仕事単位で忘年会が開かれるが、必ずカラオケが有る。総統府は総統府で、行政院は行政院で、或いは政党は政党で、それぞれ担当のマスコミの慰労を兼ねた茶会が開かれるが、そこでもカラオケが有る。またその様子をテレビが報道するのである。
 因って、陳総統も蘇行政院長も馬主席も、皆さんカラオケで歌をご披露なさるのである。上手いか下手かは問題ではない。蘇行政院長などは、禿頭から湯気を立てながらあのだみ声を張り上げて歌われるのである。参加しているマスコミ連中は、それを拍手喝さいし、その場面がテレビ放映される。ご愛嬌と言えばご愛嬌であるが、これを見ていると歌が歌えない政治家は、台湾ではトップに立てないのではないのかと思ってしまう。
 因みに、一番上手いのは馬主席で、留学仕込みの英語の歌や中国語の歌をご披露なさる。一番下手なのは、蘇行政院長であろう。だみ声を張り上げての中国語や台湾語の歌である。真ん中が陳総統であるが、彼は、台湾語、客家語、中国語の歌をそれぞれご披露あそばされた。
 三者三様ではあるが、それぞれの歌の言語を見ていて、何処と無くそれぞれの政治スタンスが表明されている様で面白い。またマスコミも、ただのご愛嬌の歌としては扱わない。三人が三人とも政治的に微妙な地位に居るため、それぞれが歌った歌詞の内容を、ああだこうだと色々あてこするのである。
 たかがカラオケ、されどカラオケである。日本の政界のトップ連中が、担当マスコミを招いてカラオケを披露し、それをテレビが大々的に放映するなど、小生の記憶には無い。台湾の政治家は、カラオケを我が薬籠中の物として自在に使いこなせなければ、出世はおぼつかないみたいである。

連馬王会談 2月16日(金)

 本日午後、国民党栄誉主席連戦氏の呼びかけで、馬英九氏と王金平氏が集まり、連馬王会談だ行われた。
 起訴された馬氏、泥縄的党規則の改定に批判的な王氏、それぞれの腹積もりを持っての会談であったろうが、会談後の三者三様の顔色を見る限り、二者の手を取って団結協調を訴える連戦氏の作り笑い的な笑顔、してやったり的な乾いた笑顔を振りまく馬氏、しかめっ面で笑おうとしても何処か顔が引き攣る王氏、「党の団結」と言う錦の御旗の下に、苦汁を飲まされた様に見える王氏であった。
 会談内容の深層は、表には出てきていないが、それぞれの笑顔を見る限り、もしかしたら2008年の総統選挙の国民党候補者として、人気の馬氏が総統候補で実力の王氏が副総統候補の、馬王コンビで話がついたのかもしれない。
 国民党的には、恐らくこれが最強コンビであろうが、敵方からすれば、攻撃材料を背負ったコンビでもある。 馬氏は横領罪で起訴されているし、王氏は主席の椅子を馬氏と争った時、馬氏が「黒金」と名づけて金との関わりを厳しく批判した人物である。
 勝手な感想では有るが、狂信的な支持者は別として現状の台湾の民調を見る限りは、国民党としては最強のコンビであっても、総統候補者コンビとしては、最悪コンビかもしれない。

光と影 2月17日(土)

 今日は農暦の大晦日で、明日が新年であるが、今年一年間の色々なデーターが公表された。
 先ず国内総生産のGDPは4.5%の高成長を示しており、新年は5%台に行くだろうとの、楽観的な見通しが述べられている。この経済の順調さに裏打ちされたが如く、今年一年間の台湾学生の海外留学数は、過去十年で最高人数を示しており、留学先のトップはアメリカの16451人で、次いで日本の2108人である。日米の人数差は格段の開きが有るものの、共に過去最高の人数である。
 また外交上に於いても、実際の国際政治は別として、日米の各種の世論調査では、「台湾は既に独立した主権国家だ」とする意見が、大幅に増加しており、例えば日本のインターネット上に於ける「Real Time」の調査では、「台湾は中国とは関係ない独立国家」と認める者が83.1%、「台湾と中国との統一は無理だ」とする者が47.9%、「台湾は中国の一部」とする者9.3%、と言う数字が示されており、台湾の正名運動にも、これら関係国の人々の意識変化が、それなりに影響を与えていると思われる。
 しかし一方では、昨年来の政治的混乱は相変わらず非難合戦の応酬で、形を変えて未だに混乱し続けているし、大型の経済事案を初めとして倒産や詐欺など各種の経済事案も続発(昨日もまた旅行会社が潰れた)している。台湾国内は、表の華やかさとは別に確実に経済格差が進んでおり、高経済成長と言う光の部分の裏側で、影の部分が確実にじわじわと拡大している。
 三大新聞の一つである自由時報の今朝の一面トップを飾ったのは、大リーグニューヨークヤンキースの投手で昨年19勝を挙げた台湾の星「王建民」と、レッドソックスの投手で日本の怪物「松坂大輔」の写真である。因みに、聯合報は、新年の干支である豚の写真、中国時報は、台湾の女性タレントと香港の大富豪とのダンス写真である。自由時報は「亜州双雄、決戦大聯盟」と銘打ち、二人の爽やかな笑顔の写真を共に同じ大きさで並べて一面をぶち抜き、「今年の大リーグは、亜細亜の活躍で目が話せず楽しい」と評している。
 明日からの台湾の新年が、この二人の笑顔に象徴される明るい年となることを、希望せずにはいられない。

年末風景 2月17日(土)

 年末風景は、何処の国も同じである。ただ台湾は気温が高いだけである。正月用品のことを「年貨」と言うが、この数日台北の抽化街は、この年貨を買い求める人たちでごった返し、見学するのも儘ならない程の人込みで、売り子のお兄ちゃんや老板娘達の掛け声も威勢が好い。
 差し詰めここは、台北のアメ屋横丁と言う風情である。通りの規模こそ東京の方が大きいが、人の多さは同じである。買う方の値切りも半端ではない。例えは悪いが、東京のアメ横に大阪のおばちゃん軍団が押しかけて来たようなやり取りである。
 ではデパートはどうかと言えば、これも日本と同様で、既に本日から「福袋」を売り出し、それを求める女性客達で大騒ぎである。300万円相当の車も付いた福袋も登場し、賑やかなものである。因みに福袋は、日本同様に福袋と書くが発音は中国語で「フータイ」と言う。
 最初気になったのは、まだ新年でもないのに何故福袋を売り出すのかであった。同じように、大晦日の本日に合う人合う人全て「新年快楽」と声を掛ける。そこでその理由を常連の老板娘にまた聞いてみた。彼女が言うには、何でもお目出度いことは先先にやるのが宜しいと言うことで、皆な大晦日には「新年快楽」と言うと言うことである。これらは「先拝」「早拝」と言う行為らしい。因って、お年玉に当たる紅包も、日本と異なり新年の朝ではなく、本日大晦日の夜に渡すのである。
 また台湾の農暦を読んで見ると、正月元旦にしてはいけない禁忌が書かれており、先ず、洗濯してはいけない。元旦に洗濯すると、その一年は汚いものに纏わり付かれるらしい。或いは、嫁に行った娘は、元旦には里帰りしてはいけない。元旦に嫁が実家に里帰りすると、その一年は忙しすぎて大変苦労するらしい。
 しかし、今時の若い人は誰もそんなことは気にしない。うちの店員さん達も、元旦早々に実家の台東に帰るとはしゃいでいる。

アーミテージ報告 2月18日(日)

 米国のアーミテージ元国務副長官ら超党派の外交・安全保障専門家グループCsisが、「第二次アーミテージ報告」を発表し、その中で、日米中の連携と日米同盟の強化、日本の自衛隊のより自由な海外派遣や憲法改正などに、期待を寄せていることが日本では報道されているが、この報告書の中には、台湾に関わる部分も有る。
 報告書の中では、今まで通り「一個の中国」政策の堅持を詠っているが、同時に台湾に対して、「防衛と民主を強化して中国と三通」することを建議している。また報告書の発表記者会見では、スポークスマンが「アメリカは台湾関係法に対して責任が有り、日本はアメリカのこの責任を了解すべきである」と強調している。
 更に面白いのは、「アメリカは、台湾海峡を取り巻く軍事的脅威や、安定を脅かす無益な行為には、断固反対である」と言いながら、同時に、「もし将来台湾が民主的政治を繰り返す中で、独立的傾向や中国との新たな関係を加速するようになり、明らかに日米が望む亜細亜の安定と両岸関係とに符合しなくなった時には、当然日米は新たな亜細亜政策を考えなければならない」とも言っている。
 また、「台湾は如何なる政治決定をする時でも、アメリカと十分相談すべきである」と言いつつ、「今台湾が国営企業の名称を変更しているのは、何ら現状を変えるものでは無く、アメリカは何も心配などしていない」とも言っている。台湾の国防部長が、「日本が軍事技術を供与してくれることを歓迎する」と以前発表したが、それに対しても、「日本は軍事技術の輸出が厳しい規制を受けているから、台湾はアメリカから技術を受けた方が早い」と言っている。
 さて、この報告書から何が読み取れるのだろうか、日米同盟の先には、日本が好むと好まざるとに関わらず、アメリカの亜細亜戦略が存在し、そこには間違いなく台湾問題が存在すると言うことである。そして「一個の中国」政策堅持を強調はするが、同時にスポークスマンの発言には、今までとは異なりどこか微妙に変化が生じているように感じられる。恐らく、中国の軍備増強や弾道ミサイルに因る衛星打ち落とし等が、影響を与えていると思われるが、昨年の台湾の「総統下台」運動が、体制を揺るがすこと無く収束したことも、それなりに影響を与えていると思われる。
 特に、台湾の国営企業名称変更と軍事技術供与に関する発言が、アーミテージ氏自身の発言である点が重要である。このアーミテージ報告の内容を、台湾の政治家がどう理解してどの様に政治的に利用するかに因って、来年の総統選挙の行方にも影響を与えるであろう。

新年風景 2月18日(日)

 今日は春節の農暦新年であるが、新年風景もまた何処の国も同じである。朝から善男善女老若男女が、彼方此方の廟に押しかけて、台北の行天宮などは動きが取れない位の込みようである。
 こちらの人々は、観音廟であろうが、関帝廟であろうが、財神廟であろうが、土地廟であろうが、近場の廟に朝から一斉に押しかけ、上香拝拝を行う。うっかりしていると線香の火が体に触れて熱い思いをするが、それもこれも新年恭喜発財発財の御目出度いことであれば、とやかく言う人など居ない。
 この新年の拝拝は一般人に限ったことでは無く、陳総統以下、市長県長政党の主席に至るまで、政界のトップ連中も一斉に彼方此方の廟に上香拝拝し、同時に他の参拝客に対して、己の名前を刷り込んだ紅包をばら撒いている。無論金額は5元とか10元の微々たるものであるが、一応お金である。選挙法に違反しないのかと心配になるが、問題無いみたいである。新年の紅包は、お祝い事のご祝儀のようなもので、一種の社会風俗として許されているみたいである。
 面白いのは、日本の様に参拝客が賽銭を投げ入れるのでは無く、逆に廟の方が参拝客に紅包をばら撒くことである。正月の紅包は一種の挨拶の様なもので、店の常連客も昨日から今日にかけて、店員たちに紅包を片っ端から渡して歩いている。また彼女たちも「謝謝」と言って、当然の如く受け取っている。一個一個の紅包の金額は、儀礼的なものであればたかが知れた金額であるが、何しろ貰う数が多いので、結果嬉しい臨時収入となるのである。因って、年末年始に店を休む店員さんは、誰一人居ないのである。
 ではお寺さんでは除夜の鐘を撞くのかと言えば、撞くには撞くが除夜では無く、年が代わった新年に撞くみたいである。仏教の法鼓山では、確かに108の鐘が撞かれたが、それは除夜の鐘ではなく、新年の鐘であった。
 もう一つ変わった所は、昨晩までの洋装とは一変して、元旦のニュースから男女のアナウンサーが一斉に中国服に変わったことである。これは差し詰め日本での、紋付に振袖姿の中国版と言うことであろうか。とすれば中国服(此方では唐装と言う)は、今や礼装衣装の一つとなったと言うことであろうか。

静かな新年 2月20日(火)

 今日は正月三日、朝から雨が降っている。この正月の三日間は、至って静かな三日間である。中国語圏の春節は、可なり派手で賑やかなものだと思っていたが、全く拍子抜けの静けさで、北京では、爆竹で175人以上が火傷をしたらしいが、台北では爆竹の事故など一件も無く、本当に時たま爆竹が鳴る、しかも単発で鳴ると言う具合である。
 昨日は二日で、「回娘家」の日であれば、嫁いだ女性達が一斉に実家に向かったため、幹線道路にやや渋滞が見られたが、日本の高速の渋滞ほど酷くはなかった。唯一、「込み合っている」と感じさせたのは「廟」であったが、それも元旦のことであって、昨日、今日と人の出は減少して普段よりやや多い程度である。
 また唯一派手だと思われるのは、この時とばかりに政治家達が「紅包」を配りまくっていることである。至る所の廟に行っては上香拝拝し、その度毎に名前入りの紅包を配っている。金額は10元程度であるが、何しろ数が多ければ、それなりの出費であろう。
 小生も、意地汚く政治家が現れそうな廟に出かけて待っていたが、残念ながら現れなかった。彼らは、多くが老家付近の廟に行き、馬主席も桃園の廟に現れ、小生の待ち受ける廟には、誰も現れなかった。

恩讐の間 2月21日(水)

 一昨日つまり春節の日に、基隆市長であった元国民党員の許財利氏が、癌のため恨みを抱いたまま世を去った。許氏は市長選挙の時、馬主席と共に選挙カーに乗り、馬氏をして「好兄弟」とまで言わせた人物であるが、収賄の罪で起訴され昨年一審判決では有罪となり、今上訴して潔白を争おうとしていた矢先の死去である。
 昨年許氏が一審有罪となるや、党の「黒金条款」を盾に許氏を党から除名したのは、誰あろう馬主席自身であった。しかし。その馬氏が横領で起訴されるや否や、党中央は泥縄で条款の改定を行い、馬氏もそれに乗ったのである。
 この様な状況での許氏の死去であったが、昨日代理主席の呉氏が弔問に駆けつけ、馬氏も前主席として弔問に現れた。しかし、許氏の令夫人簡女史は、将に天地の差ほどの際立った違いの対応を示されたのである。
 代理主席の呉氏に対しては、寄りすがって抱きつき大声を挙げて悲しみを述べ、更に跪いて今までの友情と党に対する怨みを述べられたが、前主席の馬氏に対しては、言葉を発するどころか一顧だにせず、たた冷ややかな目線を投げかけられただけであった。
 此方の新聞も、令夫人の態度を「見而不視」と評し、後ろで呆然として立ち尽くし、顔面蒼白な馬氏の写真を掲載している。因って馬氏は、ただただ呉氏の後ろで呆然として黙立するしか仕方が無く、全く居場所の無い様な状況であった。また遅れて弔問に現れた王金平氏とは、令夫人は室内で10分近くも悲しみと怨みを述べられた。
 党の栄誉主席連戦氏を葬儀委員長とする葬儀委員名簿には、党の主だった人々の名が列挙されているが、前主席馬英九氏の名前だけは無い。
 清廉と党の条款を盾に旧来の党員を処分し切り捨ててきた馬主席、しかし今回己が同じ立場に立たされると、黙って党の便宜に乗っかり主席を辞任して総統選挙に出馬宣言。 この様な馬氏のスタンスに対して、党員の中にも恩讐が渦巻いているのは、許氏夫人の態度からも明白である。この様子は、一斉に本日のテレビで放映されたが、今後総統選挙に向けて馬氏は、この恩讐の間をどう切り抜けて行かれるのだろうか。

何時か通った道 2月21日(水)

 今台湾では、中国大陸からの観光客の態度が問題になっているが、これは台湾だけの事ではない。
 中国人観光客の所謂「非文明的」と称される行為は、既に数年前から世界各地で問題になり、パリ、ニューヨーク、香港などのマスコミが、彼らの態度を批判し大々的に報じたのは、記憶に新しい。これは単なる中国批判ではなく、実際にモラルの欠如と思われる行為は多々有り、中国当局もそれを認めていたからこそ、国家旅遊局が、「中国人が海外で守らねばならぬ七大文明行為」として、「礼儀を弁えろ」とか「法律に従え」とか「秩序を守れ」とか「衛生を清潔にしろ」とか「喧嘩はするな」とか、当然と言えば当然の行為の遵守を厳命通達したのである。
 今まで台湾では、それほど問題視されなかったが、茲に来て厳しい目が向けられるようになった。それは彼らの行為よりも言動に対してである。何しろ彼らは遠慮が無いから大声で話す。その会話内容は同じ中国語であれば、周囲の台湾人には全て聞き取れるのである。例えば、阿里山と日月譚の観光で、「黄山や西湖に比べれば、全くつまらん」とか、故宮博物院の参観で、「これは俺達の国から盗んできた品々だ」とかである。
 台湾のナショナリズムと相俟って、彼らの言動は批判の対象となってはいるが、昨今の中国の出国観光熱と消費能力は世界一である。彼らが落とす金の力の前では、この批判も些かトーンダウンし、将に「痛し痒し」のやりきれない問題である。
 しかし、外国人観光客に対するこの様な批判は、台湾で海外観光が自由化された1980年代には、台湾人に対して浴びせられた言葉であるし、更にそれから十年前の1970年代には、世界に冠たる農協団体を擁する我が日本人にも、浴びせられた言葉である。
 とすれば、今中国人に浴びせられている言葉は、経済発展と自由化の過程で、日本も台湾も何時か通った道に過ぎないのである。要するに、ジャパンマネーが台湾マネーに換わり、更にチャイナマネーに換わったと言うことである。
 考えてみれば、団体で行動するから目だってしまうのであり、個人でこっそり行動していれば、これほどの言われようも無いであろう。

駄作 2月21日(水)

 本日は、時間に余裕があったので暇潰しに映画を見た、張芸謀監督の「黄金甲」である。結果は、誠に詰まらん駄作である。
 昨年末から今年にかけて、中国人映画監督の活躍は素晴らしく、「刺青」が国際的な賞を取ったり、ベルリン映画祭でも中国人監督が受賞している。現在活躍して国際的な賞を受賞する中国人監督の製作する映画は、社会的問題を扱った社会派映画が、圧倒的に多い。一時代前に活躍したのが張氏や陳氏で、彼らの撮る映画は如何にも中国だと言う、中国的古典的映画が多かった。それに比べて今の社会派的映画の活躍、中国の映画界も新たな時代に入ったことを示している。
 そこで本日の張氏の「黄金甲」であるが、どう贔屓目に見ても駄作である。この数年来彼が製作する古装劇は、どれもあまり好いとは思えない。元々彼はカメラマン出身で「黄色の大地」や「紅いコーりゃン」等のカメラを担当し、色を使った表現には定評が有る。しかし、この数年来の娯楽作品は、その色が娯楽に勝っているように思えてならない。「英雄」も色の変化で心情変化を表していたが、この作品は、トニーレオンとマギーチョンの演技力に救われた感じの作品であった。次いで製作された「十面埋伏」は、役者の演技(アンデーラウと金城武)とそれなりの映像美で、そこそこの作品に仕上がっていた。
 で今回の「黄金甲」であるが、これは役者の顔見世(チョウユンフア、コンリー、Jチョウ)と色の映像美を見せる映画に過ぎないように思える。チョウユンフアとコンリーは、流石に貫禄有る演技を見せているが、台湾の人気歌手Jチョウは駄目である。芝居が下手で、特に顔の演技が下手である。コンリーとツウショットの場面などでは、特段に演技力の差が見えてしまう。
 前から感じていたことではあるが、何か張芸謀監督は娯楽映画には不向きではないのかと思えてならない。昔の「紅燈」や「紅いコーりゃン」等に比べると、最近の娯楽作品は、圧倒的に駄作と言わざるを得ない。

台北の交通機関 2月21日(水)

 台北市内はそれほど大きい町ではない。小生なんぞは地図を片手に東西南北と幾らでも歩いて回れるが、昨今の若い人は歩くのが嫌いなようである。
 歩くのが嫌いな人には地下鉄が便利である。台北の地下鉄は綺麗であるし、便数も多く長くても五分ぐらい待てば、次のがやって来る。今はまだ三路線であるが、数年後には桃園飛行場から台北駅への路線が開通しるし、更に市内でも、現在の路線の内側つまりより市内側を走る三路線が工事中であれば、数年後には地下鉄で市内中自由に動き回れるようになる。
 この他に路線バスが有り、裏町や裏路地に行くには、この路線バスが圧倒的に便利である。便数も多いし乗客も少なく快適である。若い人たちは、大概地下鉄に乗るが、老人はバスが多い。地下鉄には階段の上り下りが多く、足の弱い老人は好まないみたいである。因ってバスは、老人か通学学生が中心である。
 便利この上なく、何処まで乗っても15元の路線バスではあるが、一つだけ問題が有る。それは、運転が荒っぽいのである。こちらの路線バスの運転手を観察していると、どうも乗せる気が無いのではないのかと思われる行動を多々取る。何か停車場に止まるのが嫌なようで、人が降りている最中でも、逆に乗り込んでいる最中でも、急いで発射しようとする。 時には全く乗客ゼロのバスを猛スピードで運転していることも有れば、同じ路線のバスが三台ぐらい数珠繋ぎで現れ、前のバスに人が乗り込むのを見ると、後ろのバスは止まらないで追い越して行ってしまうことも有る。
 此方のバスの運転手は、客の多少など全く関係無いみたいで、自分が受け持つ路線を一日に決められた回数だけ回れば、それで仕事は終わりみたいで、兎に角速く回ろうとしている。時間さえ気にしなければ、ちょいと乱暴ではあるが、この路線バスは、なかなか重宝なものである。因みに、金が有る人は、タクシーに乗れば好いが、己の足で歩くのも一興で、同じ目線の高さで眺めると、新たな台北の町の発見も有る。

花の女子アナ 2月22日(木)

 台湾はケーブルテレビが発達していて、ニュース専門のチャンネルも多い。昨年夏前に気に入っていたテレビドラマも終わり、以後は専ら夜はこのニュース番組ばかり見ている。一年近くもニュースを聞いていると、ニュース内容とは関係ない別のことが、何となく分かるようになるのである。それは、テレビ局に因っては独自ネタも有るので有るが、大概は同じ事件の報道であれば、その扱い方やコメントのスタンスに、何処と無く政党の匂いが感じられるのである。
 此方のニュース番組は、チャンネル数の51から58の間に集中していて、美人の女子アナも多く登場し、見ていて楽しい。先ず51と57チャンネルは東森新聞で、茲は男性アナが中心であるが朝方に女子アナが顔を出し、51は国民党よりであるが57は中立的である。52チャンネルは中天新聞で、茲も男子アナが中心であるが時たま女子アナが顔を出し、国民党よりである。 53チャンネルは民視新聞で、茲は女子アナ中心で民進党よりである。54チャンネルは三立新聞で、茲も女子アナ中心で民進党よりである。 55と56チャンネルはTVBSニュースで、茲は若い男子アナと渋めの中年男子アナ、それに女子アナが混じりやや国民党よりである。58チャンネルは非凡新聞で、茲も時たま女子アナが顔を出し中立的である。
 毎日見ている関係上、女子アナに関しては名前を覚えてしまったが、全て美形揃いである。東森の李暁セイ、梁立、趙心屏女子、中天の夏嘉ルー(王+路)、洪淑フン、黄ハイ珊女子、民視の陳淑貞、林靖フン、張瑞玲、林イ君、蔡シンユ、常聖傳、李偵禎女子、三立の李瑞玉、陳雅琳、林イク芝、郭雅慧、王志郁女子、TVBSの丘沁宜、呉安チー(王+其)、荘開文、鄭凱云、葉震安女子、非凡の曹乃チー(王+其)女子らである。
 以下は小生の勝手で恣意的な格付けであるが、圧倒的に可愛いのが民視の張瑞玲である。彼女の目は所謂おたふく目で、誠に愛嬌が有って可愛い。番組の終わりに毎回はにかみながら「我是張瑞玲」と言う言葉が、初老の小生の耳に心地よい響きを与える。美人度ナンバーワンは三立の陳雅琳である。彼女は細身の顎ですっきりとした顔立ちで、如何にもインテリ然とした美女で、「如何ですか」と言う感じで独特なリズムでニュースを解説する。彼女は「福爾摩沙事件簿」と言う過去の大事件を検証する番組も担当していて、流石にインテリと思わせる様な、薀蓄有ることを話している。陳女史と甲乙付け難い美女が、民視の李偵禎であるが、彼女はやや年上で淡々とニュースを解説し、一寸声をかけ辛い素敵な大姉と言う感じである。
 おきゃんな感じを与えて親しみやすいのが東森57の梁立で、彼女は日本のニュースも紹介解説する。TVBSの呉安チーは、ニュースの内容に因って悲しい顔になったり楽しい顔になったりと、顔の表情が豊かで面白いし、鄭凱云は目が可愛いし、荘開文は、清楚な隣のお姉さんと言った風情である。他はそれぞれの看板娘と言う風情の美女達で、美人系も居れば可愛い系も居り、インテリ風も有ればアイドル風も有る。
 因って小生の個人的な好みであるが、一位は民視の張瑞玲、二位は三立の陳雅琳、三位は森林の梁立とTVBSの呉安チー、四位は民視の陳淑貞とTVBSの丘沁宜及び荘開文、五位は横一線で甲乙付け難い。尚、大年増と言う訳では無く三十前後だろうと思われるが、一種独特の風格が有り、美人度、落ち着き、しゃべりの品格、等等で一段別格なのが民視の李偵禎である。
 所で、更に面白いことが分かった。女子アナ中心のテレビ局は民進党びいきで、男子アナ中心のテレビ局は国民党びいきなのである。

聖火リレー 2月22日(木)

 平和の祭典オリンピックも政治が絡むと大変である。来年の北京オリンピックの聖火リレーで、聖火が台湾国内をリレーされることになったが、問題はこのリレーをどう位置づけるかで大揉めである。
 北京の方は国内ルートとしてマカオ、香港、台湾を一括国内ルートで扱おうとしている。しかし、台湾としては国内ルートと言う設定には承服できない。台湾はあくまで国際ルートの設定を求めており、日本か韓国の第三国から台湾に渡り、更にマカオ、香港、中国以外の第三国に出てゆくルートを考えている。
 北京は、このオリンピック聖火リレーを利用して、マカオか香港のいずれかから入るか出るかをし、台湾は国内の一地域であることを大々的にアピールする腹積もりである。一方台湾は、聖火リレーの国内通過は嬉しいことであるが、北京の腹積もりにだけは絶対乗る訳には行かない。
 今の所はこの聖火リレーのルートを巡って、国内か国際かでリレーならぬ綱引きが、北京と台湾のオリンピック委員会の間で繰り広げられているが、何れ政党を巻き込んで本格的な暗闘が始まるであろう。 この問題、政治に翻弄される聖火リレーと言った所である。

雪風 2月22日(木)

 今朝の新聞の片隅に誠に懐かしい名前が乗った。それは「雪風」である。それは昨年末の日本の海上自衛隊の観艦式を取材した記事の中にである。
 「雪風」と聞いて直ぐに分かる人は、よっぽどの軍事マニアか戦前の海軍経験者である。小生もはるか昔に祖父から聞いた名前である、「不死鳥雪風、名駆逐艦」と。
 雪風は、戦前の日本海軍が誇る最新鋭の駆逐艦で、ミッドウエー海戦や大和の沖縄戦などに参戦しながらも、無傷で敗戦を迎え「不死鳥雪風」と言われた駆逐艦である。日本は敗戦で無条件降伏を受け入れ武装解除したため、この歴戦の名駆逐艦は当時の中華民国海軍に戦後賠償の一部分として引き渡され、名を「丹陽号」と改め再度中華民国軍艦として戦功を挙げた駆逐艦である。
 この丹陽号(雪風)は1950年代末から1960年代にかけての馬祖防衛戦で、敵艦や敵の砲台の弾の下を潜り抜け、敵艦一艘に大打撃を与える武功を立てている。その後丹陽号(雪風)は、1966年に装備の老朽化に伴い退役しているが、その遺品は、台湾の三軍大学校や海軍学校、及び日本の江田島の海上自衛隊学校などに、保管展示されている。
 「台湾海峡波高し、嗚呼不死鳥雪風よ、再び拝む其の雄姿」、こんな台詞を知っている人たちは、その殆どが既に道山に帰せられているであろう。

議院内閣制 2月23日(金)

 台湾では春節の休みも終わりになり、来る2008年3月の総統選挙を睨んで、仁義無き戦いが始まり、愈々政治の世界が喧しくなって来た。
 先ず民進党であるが、既に前行政院長の謝氏は出馬宣言し、彼方此方で支持者回りをしているが、昨日党主席の遊氏が地元の宜蘭で出馬宣言をし、その足ですぐさま謝氏の大本営である高雄に下って、支持を訴えていた。残るは蘇行政院長と呂副総統であるが、彼らが出馬宣言をした時から四つ巴の争いになるが、小生の感では呂副総統は参戦しないのではないのかと思われる。
 問題は国民党で、既に手負いの馬英九氏が悲壮な出馬宣言をし、それに不満の立法院長王金平氏一派を説得すべく、連戦氏に因る馬王会談が持たれたが、表面的な団結強調とは裏腹に、党員全てが納得している訳では無かった。法曹界の分析に因れば、少なからざる専門家の判断では、馬氏の一審有罪の可能性が高いとの事である。
 この馬氏の有罪判決の危険性の回避と、党内王一派の不満懐柔を図る目的で、打ち出されたのが「議院内閣制」である。国民党の一部には、万が一の敗戦も考慮する人々が居り、彼らは今度の2008年で敗れれば、恐らく十年近くはもう政権の座に就けないだろうと思っている。しかし、立法委員選挙では未だ国民党が優勢であり、国会内の勢力は国民党が上である。つまり、行政は民進党、立法は国民党と言う図式である。
 ここに目をつけて権力の分散を図り、例え総統で敗れても行政立法で権力を維持すべく考えられたのが、「議院内閣制」である。ここから先は、魑魅魍魎の世界であるが、馬氏は国民党を代表して総統選挙に出る。王氏には党主席と行政院長を担ってもらう。その為に、馬氏一審有罪決定前に憲法を改正して「議院内閣制」に移行させる、と言うものである。これが上手く行けば、馬氏も王氏もそれなりに納得し、行事役の連戦氏の面子も立つし、党も一致団結できる。仮に総統選挙で破れても、内閣を組閣して権力が維持できる、と言うことになる。
 「議院内閣制」は元々前総統李氏が言っていたことでもあり、台聯関係の議員は敢て反対はしない、因って、国民党の議員数と合わせれば改憲が可能である、と彼らは読んでいるみたいであるが、果たしてそう上手く行くか否か疑問である。
 何故なら「議院内閣制」自体には問題無くとも、改憲の目的がここまで党利党略に塗れ、国民党生き残りの為の改憲であることが、誰の目にもはっきりと映っている以上、事がそうすんなりと行くようには思えないのである。

拝拝の世界 2月23日(金)

 台湾では何かにつけて人々が寺や廟にお参りし上香拝拝し、実際真面目に人々が拝拝している姿は、日常的な風景である。
 台湾に於ける寺廟の拝拝は、日本に於ける神社仏閣の観光がてらの参拝とは大きく異なり、彼らの生活の一部と言ってよい。寺廟の拝拝は長い歴史的文化に基づく一種の社会生活の一部であり、特定の宗教に与した特定の団体が拝拝する訳では無く、善男善女が殆ど当たり前の如く拝拝している。
 この夫々の地域に存在する寺廟を中心とした信者組織は、日本の檀家や氏子などの比では無く、極めて強固な組織を形成している。何しろ、日常生活の一部である寺廟の組織であれば、祭礼の時のみならず、その地域で起こった大きな問題などにもそれなりの影響力が有り、当然選挙の時にも或る意味での力を発揮するのである。
 因って政治家は、それこそ何かにつけて上香拝拝するが、大っぴらに名前入りの紅包がばら撒ける春節ともなれば、それこそ競うように彼方此方の寺廟に拝拝するのである。面白半分に、この一週間の有名政治家の拝拝を数えてみた。
 先ず国民党の馬前主席は、除夜に台北の保安宮と行天宮、元旦が竹林山の観音寺、二日が苗栗の玉清宮に新竹の義民秒と広和宮及び桃園の天后宮の七箇所であった。
 同じく国民党の王立法院長は、除夜が高雄の妙崇寺、二日に仏光山の禅浄寺、四日が台北の保安宮と行天宮及び関渡宮に龍山寺の六ヶ所である。
 民進党の呂副総統は、除夜に台北の保安宮、元旦に恵安宮と代天府、二日に土城の承天禅寺と三峡の祖師廟、四日が高雄の聖道院に光徳寺及び日月禅寺と道徳院に保安宮、五日が基隆の天顕宮に慶安宮とテン済宮の十三箇所である。
 同じく民進党の蘇行政院長は、除夜が法鼓山で、元旦が台北の行天宮と慈祐宮及び板橋の慈恵宮と接雲寺、新竹の義民廟の六ヶ所である。
 民進党の遊主席は、元旦に宜蘭のマ祖廟と太和廟及び北成廟に三清宮と玉尊宮、三日に龍山寺と南天宮の七箇所である。
 前行政院長の謝氏は、元旦に高雄の関帝廟に元享寺、三日に台南の天后宮、四日に東港の東隆宮、五日に台北の行天宮の五箇所である。
 さてさて、「苦しい時の神頼み」とは良く言うが、苦しくても苦しく無くても、常に日常生活の一斑として拝拝が行われるのが台湾の寺廟であり、将に生活の中の寺廟なのである。台湾各地の寺廟の神々は、財神であろうが土地神であろうが、あらゆる神々が善男善女と共に息をしているのでありまする。

大学人の不祥事 2月24日(土)

 大学人の不祥事は、日本でも先日、滋賀文化短期大学助教授が銃刀法及び大麻取締法違反で逮捕される事件が起こったが、台湾でも不倫関係の事件が発覚して、大学教授が職を辞した。
 数日前に大々的に報じられたが、高雄の私立大学の有名教授が六年越しの不倫を行っており、それが白日の下に晒された。彼は、東京の拓殖大学に留学した経験も有り、台湾での「優秀教師」にも認定されたことが有る、四十代半ばの有名教授であった。
 当然彼は既婚男性であるが、不倫の相手が二十代後半の女性であり、既に六年越しの不倫であれば、彼女が大学生であった当時からの不倫、つまり教員と女子学生との不倫関係なのである。
 では何故この関係が発覚したか、実は不倫相手の女性が昨年女の子を出産したのである。当然父親はこの教授である。そこでこの教授は、この女の子を我が子と認知して戸籍に登録したのである。教授の妻は、認知どころか不倫の事など全く知らず夫を信じきっていた。その妻が、偶々別の用事で戸籍抄本が必要となり、役所から取り寄せた見た結果、名前も知らない新たな子供が増えており、そこで一連の行為が全て暴かれ、あとはお定まりの修羅場である。
 最初大学は、「子供が生まれたのは昨年のことで、相手女性が大学卒業後のことであり、大学は関係ない」と平静を装ったが、事の始まりが大学の学生時代からの六年前と分かると、全く無関係で押し通す訳にも行かなくなり、結局教授を退職させたのである。
 盗作、セクハラ、不倫、詐欺に麻薬と、大学人の犯す犯罪も全く世間一般と変りが無くなってきた。特に、盗作、セクハラに関しては、他山の石として強く我が胸に刻む必要が有る。

カイロ宣言 2月24日(土)

 一昨日前の22日に、ネット上に公開されている日本の国会図書館の歴史資料文献の中の、カイロ宣言に関する記述の中から、今まで表記されていた「署名」と言う言葉が、何ら客観的な物的証拠が無いと言う理由で削除された。
 実はこの「署名」の二字を、日本政府の管轄下に在る国会図書館の歴史資料文献から削除すると言うことは、日本政府自体がそれを認めたと言うことで、極めて重要な問題である。今までカイロ宣言に関しては、蒋介石とルーズベルトとチャーチルが会談した時、日本の無条件降伏と日本が領有する台湾およびその海域の諸島を中国に帰す、と言う内容が話し合われ、三人がそれぞれ署名した、と伝えられてはいたが、実は三人が署名した事実など何処にも存在せず、「署名」に関する部分は、単なる新聞報道に過ぎなかったのである。故に、カイロ宣言自体は、連合国側のトップが戦後の処理を相談し、その内容が報道されたものに過ぎず、正式文章を交わしてそれぞれが署名した条約の様なものでは無く、国際法上に在っては、何ら拘束力をもたないものなのである。
 因って日本が日中国交回復し日中平和条約を締結した時でさえ、日本政府は一切カイロ宣言にはふれず、台湾の帰属に関しては「日本はあくまでポツダム宣言を遵守する」との立場を貫いたのである。ポツダム宣言にも、その後のサンフランシスコ講和条約にしても、「日本は台湾及びその付近の諸島の領有権を一切放棄する」と明記はしてあっても、所属が何処かなどは一切記述されていないのである。
 今まで中国は、このカイロ宣言を盾として台湾は中国の一部であると主張して来たが、その盾が何ら法的拘束力や正当性を持たないものとなった以上、今後どのような主張に変わるのか注目されるが、それよりも、よくぞ国会図書館は削除したと思う。歴史事実に検証して正しいことを書くと言うのは、国会図書館のスタンスとしては褒めたものではあるが、何かにつけて中国の顔色を伺う日本政府の管轄下の図書館としては、思い切った訂正であると言わねばならない。
 元々「一つの中国」などは、日本もアメリカもヨーロッパも誰も言ったことが無く、それを言い合ったのは他ならぬ中国と台湾とである。台湾に渡った国民党の蒋介石は「大陸光復」を国策として「一つの中国」を唱えた。一方大陸の共産党の毛沢東も「台湾解放」を掲げて「一つの中国」を唱えた。
 本を正せば、国民党も共産党も共に孫文を国父として大陸で成立した政党である。言うなれば、台湾の帰属は、兄弟同士の領土分捕り合戦の様なものである。既に戦後六十年以上が経過し、台湾を取り巻く現状は大きく変化した。共に正当性を争った蒋介石も毛沢東も共に鬼籍に入り、蒋介石が望んだ「大陸光復」は泡沫の夢と消えたし、一方毛沢東の方も「台湾解放」の過程で、「台湾は台湾の人々に任せる」と発言したことが有る。これは恐らく大陸内で共産党が人々から熱烈歓迎された経験から、台湾では人々が国民党に反旗を翻す、と期待したが為の発言であろうが、事はその様な思惑通りには進まず、未だ「台湾解放」も果たされていない。
 蒋氏や毛氏が考えた初期の思惑とは、共に正反対の状況に在るのが、現在の台湾と中国である。ただ中国は、毛沢東以来今に至るまで共産党の一党独裁が続いてはいるが、台湾の方は、政権が国民党から民進党へと移り、所謂「本土政権」が七年にも及んで統治しており、その間に民主的な選挙も数回繰り返している。
 この様な現状での中で、しかも台湾の228記念日(台湾人が当時の国民党支配に反旗を翻し、多数の犠牲者を出した事件)の一週間前に、日本政府下の国会図書館が、カイロ宣言の記述から「署名」の二字を削除すると言う訂正を行ったのである。学術的には単純なことで、事実に基づいて訂正した、と言うだけのことに過ぎないが、時間的タイミングを考えると、単にそれだけでは無いように思える。

海を挟んだ遺産争い 2月24日(土)

 今、日本と台湾の間で、海を挟んだ遺産争いが勃発している。これも、戦後の悲劇の一つであろうか。
 去る一月五日に、世界のラーメン王と称された日清食品の会長安藤百福氏が、九十四歳で逝去された。事はここから始まるのである。実は安藤氏は、元々台湾人で呉百福と称する人である。呉氏は台湾在住時代に結婚しており、その時の妻は既に他界しておられるが、呉氏の娘さんが現在台湾で生存中である。
 呉氏が日本に渡って後、その妻子と如何なるやり取りが有ったのかは不明であるが、今回、安藤氏の逝去後に、安藤氏の秘書と称する人物から、1400万円を渡すから黙っていて欲しいとの要望が、呉氏の娘さんに寄せられたらしい。無論、娘さんは納得しない、弁護士を立てて徹底抗戦も構えである。娘さん側の弁護士に因れば、呉氏は日本に渡った後に結婚し安藤姓となってはいるが、最初の妻との離婚手続きは一切行われておらず、呉氏の日本での結婚自体が重婚罪の法律違反に当たり、日本での結婚自体が無効である、と主張している。
 さて、裁判となれば如何なる判決が出るのか、如何に戦後の混乱時とは言え、台湾での妻との離婚手続きが、台湾でも日本でも一切行われていないとなれば、明らかに重婚罪であり結婚詐欺であろう。しかし、日本の遺族や関係者は、間違っても呉氏に騙されたとは思わないであろう。
 方や法律を盾に攻める側、方や数十年に及ぶ生活実態を盾に守る側、嘗て台湾の宗主国であった日本の裁判所は、如何なる大岡裁きを見せるのか、百福氏も、百福ならぬとんだ遺産を残されたものである。これも艶福の後始末と思えば、「以って命すべし」であろう。

和解 2月25日(日)

 「和解」と言う言葉は、「言うは安く行なうは難し」の典型的な例であろう。毎年のことであるが、228が近づくたびに、識者からこの言葉が聞かれる。
 昨日、国民党の総統選挙候補である馬英九氏が酒宴を開き、そこに228事件の犠牲者の遺族で、親緑と目されている張安満氏が招かれた。マスコミは「選挙目当てか」と馬氏に問い、馬氏は、「228事件は官が逼って民が反した事件で、決して族群の対立ではない。当時、台湾人が外省人を保護し、外省人が台湾人を保護した事例が山の様に有る。六十年後の今、重要なのは人々の和解だ、皆な和解しべきだ」と、述べていた。
 また国民党代理主席の呉伯雄氏も、「現在の台湾の総国民2300万中の80%の人が、事件後の生まれである。当時の関係者は全て死去しており、今の国民党は当時の党とは大きく異なる。しかし、国民党としては道義的責任を担っていれば、和解を望む」と、述べた。
 馬氏にしろ呉氏にしろ、言っていることは将にその通りであり、歴史事実自体に対する認識としては、正しいと言えよう。しかし、宴会に招かれた張氏はその祝辞の中で、彼らを目の前にして「家族は絶対国民党の迫害を忘れない。国民党には、本当に228事件の真相を解明し、台湾人の国民党に対する永遠の怨みを解く様に、努力されんことを望む」と、言い放っている。
 この二者の間に有る隔たりは、何と大きいことか。既に半世紀を越え、国民の八割以上が事件後の生まれである。馬氏の言わんとする所は痛いほど良く分かる。しかし、如何に事実がどうあれ、加えた方と加えられた方の感情的隔たりは、六十年経ってもそう簡単に縮まるものでは無いことを、改めて見せ付けるのが228である。
 この差は、政権を目指した党利党略が絡めばなおさら拡大し、更に国策が絡めば大暴動にまで発展することは、一昨年中国で繰り広げられた歴史認識問題に端を発した反日デモの嵐を想起すれば、容易に分かることである。戦前の日本軍の行為とて、既に六十年以上経過しており、天皇や時の総理が事有る毎に、世界に向かって公に陳謝謝罪してはいるが、それでも何か有れば蒸し返されるのである。
 この中国の反日デモの時、馬氏は国民党主席として「日本人は中国人の心の痛みを考えるべきだ」と、中国に同調した意見を表明していたが、今回の馬氏の和解提案に対して、もし事件関係者から「国民党は我々の心の痛みを考えるべきだ」と、言い返されたならば、馬氏は何と答えるであろうか。
 台湾に於ける228事件は、「和解」と言う言葉を明言すればするほど、心のとげを呼び起こし空しく感じさせてしまう事件である。誰が見てもつまらんと思う事でさえ、した方とされた方とでは、感情的認識に天地の差が有ることを、我々は熟知して普段の行動を慎むべきである。この228事件は、我と我が身の普段の軽率な言動に対して、深くて強い警鐘を鳴らしてくれる事件でもある。

点燈 2月25日(日)

 いよいよ元宵節が近づいてきた。台湾の彼方此方では、堤燈やイルミネーションの準備に余念が無い。
 大概は、二月二十七日ごろから一斉に明かりが入るが、台北ではそれに先立ち、昨晩七時に街路樹の明かりが点燈された。総統府前の景福門から市政府の前に抜ける仁愛路の一段から四段にかけての約4.5公里の間、街路樹と言う街路樹には電飾のイルミネーションが取り付けられ、更にその間に豚の形をした堤燈など、大小さまざまな堤燈が吊るされていたが、それに一斉に明かりが入った。
 この道路は、丁度店から自宅へ帰る時の、帰り道の一本大道路であれば、小一時間ほどかけて、この光のページェントの中を散策した。何か、蛍の大群の中を歩いているような感じで、一時世俗を忘れさせてくれたが、今後台湾の彼方此方で、光のイベント燈節が展開される。

族群対立 2月27日(火)

 二月二十八日が近づく度に繰り広げられる族群対立、台湾にとって228事件は、抜こうとしても抜くことの出来ない、喉に刺さった傷痕の棘である。
 一昨日は国民党の主催で228事件の鎮魂の式典が行われたが、自らも被害者遺族でもある代理主席呉氏の、「228事件に関して国民党は明白な責任が有る、しかし、今の国民党は当時の党とは異なります」との意見は、常に責められ続ける側の悲痛な叫びにも聞こえ、呉氏の言いたい気持ちは良く分かる。
 前主席の馬氏は、「228は官逼民反の事件で、確かに官には外省人が多く、民は殆ど台湾人では在ったが、決して族群対立では無く、和解が必要だ」と、和解を呼びかけはしたが、結局被害者遺族らの要求で、更なる真相の徹底究明を明言せざるを得ない状況であった。
 民主化とは、恐らくこう言うことであろうか、政府関係の膨大な公文書や過去の機密文書の閲覧が可能となった為、研究機関や専門家達の間で公電や命令書などの資料が調査され、一部の学者からは、「蒋介石は228事件の内情を知っていて、台湾警備司令を任命していれば、当然責任が有る」との意見が出され、その後の白色恐怖(政治的弾圧)に関しても、蒋介石の署名や意見が付せられた公文書が多く、結局「最終的責任は蒋介石に有る」とする見解も示されている。
 行政院の「228事件研究小組」の総主筆である頼氏は、昨日の紀念学術討論会で、「228事件は歴史事案であって、政治事案では無い。あくまで史実を尊重して検証すべきで、族群対立や官逼民反や経済問題など、多様な要素が複雑に絡み合って発生しており、官逼民反事件だとか蒋介石元凶事件だとかに、決して単一化すべきでは無い」、と言っている。
 しかし、一昨日には総統府の建物に、「全民紀念二二八」の大きな文字が掲げられ、陳総統は講演で、「台湾人民を屠殺弾圧した元凶は蒋介石である」と言い切り、「この事件の加害者が、民主国家に在って未だに封建帝王の如き待遇を受け、刑法の訴追も国法の制裁も無い状況で、被害者遺族の情は何を以って堪えられようか、蒋公慈湖陵寝は民主時代には合わない封建的建物であるし、中正紀念堂は果たして必要なのか」、とまで言っている。
 事実検証が避けられない状況の中で、前国民党主席の馬氏は「歴史人物への評価は、人に因って意見が異なり、もっと討論すべきである。過去の歴史の清算は必要であるが、それに拘り過ぎることは、目前の問題解決には何ら益の無いことである」、と述べている。馬氏のこのコメントは、暗黙に蒋介石の責任の一端を認めた発言なのか、それとも単に総統選挙の為のポーズ的発言なのか、場合に因っては、国民党内で暗闘が始まるかもしれない。
 何故なら、国民党主催の228紀念式典には、立法院長である王金平氏が参加しておらず、王氏は招待状が来ない以上参加できないと言い、党側は招待状を送ったと言い、馬氏は私が主管した行事では無い(実は馬氏が主席の時に計画された行事)と言い、王氏馬氏党と三者三様に言い分が異なっている。
 この様な台湾での動きを受けて、一昨日東京と大阪で二百人規模のデモが行われた。主催者は、留日台湾会や日本の李登輝友の会などであるが、東京都議の参加も得て新宿などを行進していたが、その先頭のプラカードには、「台湾是台湾人的、不是中国人的、台湾和台湾海峡是日本的防衛線」、と書かれていた。
 台湾に於ける族群対立は、非常に複雑で根が深く、史実は史実であっても、当事者やその遺族達の感情は、一朝一夕に消えるものでは無い。但し、同時に逆に蒋氏一族の遺族達の、「毎年このような事が言われるが、私達はどうすれば良いのか、私達の気持ちも考えてくれ」との言葉は、消して忘れてはならないであろう。
 攻めるも守るも時間と社会の変動に因って、有為転変するのが歴史と言うものであるならば、昨日の攻めは今日は守りとなるのである。

笑えぬ話 2月27日(火)

言葉の行き違いは、良くある話ではあるが、外国人と台湾人とのやり取りでは無く、同じ中国語を使う中国人と台湾人との間で生じた、笑うに笑えない話である。
 中国語は四声が難しく、一寸でも間違えれば全く別の言葉となってしまう。外国人には、この四声を正確にマスターするのが辛い。しかし、中国人であれば、母国語である以上何ら問題は無いはずであるが、問題が生じたのである。
 台湾は大陸からの観光客が多く、その態度の悪さが度々問題視され、先日も「口のものを何処であろうが吐き捨てるのは、止めさせよう」との意見が出されたばかりである。問題は、この中国大陸から来た観光客が引き起こしたのであるが、ある観光客が台湾の女性に向かって、「小姐、水餃多少銭」と聞いたのである。所が台湾女性は烈火の如く怒って「下流」と言い放ち、大喧嘩になりかけたのであるが、ガイドが間に入って何とか説明して事無きを得たのである。
 観光客は「水餃多少銭」と聞いたのであるが、発音が悪く女性には「睡覚多少銭」と聞こえたのである。女性からすれば「姉ちゃん、一晩幾らだよ」と聞かれたと理解したのである。これでは怒らない訳が無い。しかし、観光客の方は「水餃多少銭」と言っているので、「餃子は幾らだ」と聞いただけで、何でこんなに怒るのかと思っているのである。
 「水餃」は三声三声であるから、発音の時は二声三声となる、「睡覚」の方は四声四声である。明らかに四声が異なるが、発音事態は「SHUI JIAO」で全く同じである。因って、四声が異なれば、偉いことになるのである。
 同じ中国語を国語として操る者同士で、この様な聞き違い言い違いが起こるとは、話の内容は笑い話の類であっても、実際笑うに笑えない話である。因って、小生なんぞは間違っても女性と中国語で話してはならないと言う他山の石ならぬ教訓である。

二二八 2月28日(水)

 本日は二二八事件の六十周年紀念日である。総統府には反旗が掲げられ、午後からは総統府前で大追悼会が挙行される。
 マスコミは、和解を呼びかけ「族群対立を煽るな、政客は何も論ずるな」と言うが、事はそう簡単では無い。同じマスコミである三立新聞テレビ(民進党より)が、昨晩「同じ過ちを繰り返さない為に、この事件を記憶に留めておこう」と言う目的で、当時の生き残りのインタビューや当時の記録フイルムを放映した。
 しかし、「染血基隆港」と銘打った番組は、路上で無残に撃ち殺される人々や死体を山積みにしてある映像、港に向かって次々と撃ち殺されて海に落ちる死体、更にその死体が覆い尽くす基隆港の映像などが流れ、九十歳になる生き残りの老人の、針金で縛られた為に変形してしまった腕を見せながらの体験談、やはり九十歳の老女が夫を連れ去られた時の様子を語り、「8時30分に夫は上班したまま六十年経ってもまだ下班して来ない」と涙ながらに語り、遺族会の会長が、「国民党や馬主席は賠償する賠償すると言うが、何を賠償するのだ、金か、その金だって我々台湾人から巻き上げたものだろう、賠償するなら俺の父親を返せ」と叫ぶ姿、等等が流れる番組であった。
 また本日は、民視新聞テレビ(民進党より)が「銃口下的冤魂、228血涙史」なるドキュメンタリーとドラマとの混合で構成した、記録片番組を午後3時30分から放映している。
 これでは、いくら識者や新聞が和解を呼びかけ、族群対立を煽るなと言っても無駄である。事件の被害者や被害者家族の怨み辛み怨念は、奈落の底よりも深い様に感じられた。事件の実体験が無い馬前主席が、どんなに「和解しましょう、賠償しますから」と言った所で、実体験の被害者家族から「じゃあ父親や兄を返せ」と詰め寄られたら、馬氏はどう答えれば良いのだろうか。和解の呼びかけや冷静な意見などは、当事者の怨念の前では全て吹き飛ばされてしまう。人に因っては、それだけ悲しみと怨みが深いと言うことである。
 改めて思ったのは、228事件に関しては、事件関係者が生存中は余人が口を挟む世界では無いと言うことである。例えそれが事実の検証を得た意見であっても、当事者の感情はまた別物である。感情が事実を覆っている歴史事件、台湾史上に在って228事件は、言いようの無い悲しみと怨みに詰まれた歴史事件である。
 問題は、実はこれに日本が絡んでいることである。それは、国民党側が228事件が起きた二つの要素として提示しているのが、「台湾人は日本の奴隷化教育を受けた結果だ」と言うのと、「台湾人は共産党の誘惑を受けた結果だ」と言うものである。この国民党の見解に対しては、学術界から批判と反論が巻き起こっている。
 一方中央研究院の「二二八研究増補小組」主持人の朱氏は、「228の元凶は日本である」との見解を表明している。それは、この事件の発端は、日本が敗戦前まで前線支援を目的として多量の食料を台湾に備蓄し、それを厳重な食料配給制度で維持していたが、敗戦に因り日本はこの配給制度を放棄し、食料管制が全面解除された、結果物価の上昇を促し民が迫り官が反したためであり、因って、事件の元凶は日本である」と言うものである。
 昨日は台南の蒋介石の銅像が、何ものかに因って赤いペンキがかけられ「228的元凶」と大書されていたが、その取材報道で大学生が「毎年のことだから驚かない」と答えているのを聞き、戦後六十年、変えようとしても変えられない部分が有ると同時に、明らかに大きく変わった部分も有る、と痛感させられた。
 恐らく228事件の真の和解には、長くて後半世紀の時間が必要な様に感じられる。この事件は、単純な外省人対台湾人だけでは無く、外省人対原住民、或いは対日本、対アメリカ等等が複雑に絡み合った事件で、どちらか一方の見方では、決して真相が伺えない事件である。たかが228されど228である。228の重さを実感させられる昨日今日である。

セレモニー 2月28日(水)

 本日は228紀念のセレモニーが、台湾各地(高雄、桃園、新竹、嘉義、台東など)で行われているが、ここ台北でも朝から各種の行事が行われている。
 朝10時から国家図書館では「228国際学術討論会」が開かれているし、和平教会では「228六十年追思礼拝」が行われている。12時からは、中山サッカー場で音楽会が開かれ、1時からは、228和平公園で「228六十年中枢紀念儀式」が開催され、多くの人が白い百合の花を持ち集まっている。そして先ほど3時30分から、総統府前の大通りで「万人大合唱」が開かれている。
 ここで合唱される歌は、「台湾翠青」「福爾摩沙頌」「台湾」など五曲である。また人々が打ち振っている旗は、白地に緑で台湾を模った旗と台湾団結聯盟の旗、及び手護台湾大聯盟の旗である。無論総統府の入り口の12本の晴天白日旗(国旗)と総統府の塔上に翻る晴天白日旗も、全て半旗である。
 先ほど前総統李登輝氏の演説が行われ、次いで陳総統、呂副総統、蘇行政院長らが現場に到着し、総統陳氏の演説も行われたが、無論言葉は二人とも台湾語である。今は、大合唱中である。
 また国民党前主席馬氏は台南で記念碑に献花儀式に参加しているが、関係者家族は誰も参加しないと言う寂しい儀式である。と同時に彼が台北市長時代に、台北市文化局が製作した楊渡氏撮影の228記録フイルムは、事実の捏造が有るとの指摘が報じられている。
 本日の諸々の儀式は、民進党にとっては何を言っても何をしても勝ち組の日であり、逆に国民党にとっては何を言っても何をしても負け組の日である様に思える。因みに、中国の228に対するコメントは、「台湾人民が国民党の腐敗に抵抗した事件であり、決して台湾独立事件では無い」、と言うものである。
 一方、ここから数百メートル離れた西門町には、228も式典も全く関係無い様な二十代十代の若者でごった返している。 228は、確実にゼネレーションギャップの中で風化して来ているが、逆にその風化が、一部の関係者の怨念の先鋭化に拍車をかけている様に、思えてならない。


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