《臺北零話》

《2007年・9月》

半年振りの確信 8月30日(木)

 昨日半年振りに故宮に行ってみた。今年の2月の新装開店時にはまだオープンしていなかった三階部分も開き、ほぼ前面オープンである。なぜ「ほぼ」かと言えば、未だに工事中の部分があるからである。
 展示は、上品になった、スマートになったと言えば、聞こえは良いが、展示物が圧倒的にすくない。陶磁器、絵画、書、青銅器、玉等等、どれも以前の三分の一以下である。密教仏具に関しては、全く展示して無い。以前なら半日以上かかった見学が、今ではせいぜい2時間弱で見終わってしまう。
 これでは、以前の様に圧倒的な中国文物の波に飲まれて、もう一度来てみようと思わせる様な事は無いであろう。おそらくリピーターは減少するであろう。そのせいか否かは分からないが、昨日などは閑古鳥が鳴くほどの参観者で、ゆっくり眺められて良いには良いが、何処か寂しさを感じさせる。
 展示物の減少が、仮に今台湾で進行している中国離れの政治的動きに影響された結果であるならば、誠に愚かしい限りである。仮にそうであるならば、「故宮」の名称も変更する必要があるであろう。何しろ台湾には「故宮」など存在していなかったのだから。
 それはそうとして、今年の2月に見かけて年代表記説明の誤りを問いただした粉彩花盆(実は筆筒)であるが、今もちゃんと鎮座している。しかし、2月には有った「清朝、1862年」の表記説明文が無い。「看到筆筒、但是没看到説明文」なのである。
 前回小生が「これは民国11年の品ではないのか」と係官に聞いて、「何をおっしゃいます、清朝です。」とけんもほろろに小生の意見を否定された品である。 そこで再び係官殿に来てもらい、再び質問した。
 以下は、たどたどしい小生の中国語でのやり取りですが、一応通じたみたいです。
小生「これはなぜ説明文が無いのですか」
係官殿は無言、
小生「前回二月に来たときは、清朝、1862年との説明文がありました。 その時、私は民国時代の品ではないのですか、とお聞きしたのですが、 清朝です。清朝に間違いありません、とのお答えでした。 しかし、今回は同じ品が展示されていて説明文がありません。 民国時代と考えてよいのですね。」
係官殿は暫く黙っておられましたが、 「是、是、民国時代的、謝謝」 と申されました。
 今回は、対応が違っていました。小生もうれしくなり 「我也明白了、多謝、多謝」 と言って帰ろうとしたら、係官殿が突然日本語で、 「どこかの先生ですか」 とお聞きになられましたので、 「是、大学的老師」 と答えましたら、 「何回ぐらいおいでになられたのですか」 とお聞きになりました。そこで小生 「36年前に最初に来てから、大概二年に一回は来ています。 台湾に来れば必ず故宮にも来て見学しています」 と答えたら、係官殿は何故か溜息をついて、 「36年前、36年前、謝謝」 と言われました。
 昨日は、半年振りに小生の目利きが確認されたようで、心の中でほっとした一日でありました。

政治の嵐 8月30日(木)

 台湾政府に因る蒋介石時代の否定はすさまじく今まで、蒋介石の誕生日と死去日は祝日の記念日となっていたが、それが廃止された。各地の蒋介石の銅像も陸続として撤去されている。
 昨年から、台北の観光地の一つである「中正記念堂」も「台湾民主記念館」に名称変更するとの論議がかまびすしかったが、一体どうなったか、本日見に行った。
あの威容を誇った中正記念堂には、すっぽりと鉄の網がかぶせられ、上に登ることもできない。無論蒋介石の像も全くみられない。地下鉄の駅名はまだ「中正記念堂」であるが、これとても早晩「台湾民主記念館」に変わるであろう。
 代わりに、斜向かいに有る国立国家図書館の売店には、「日治時代の台湾」とか「日治時代の台北」とか、「日治時代の日文台湾資料」などなど、日本時代に関する書籍が多く売られている。  少なくとも数年前までは、このようなタイトルの本が書店に並ぶことは無かった。まして国家図書館の売店でである。
 歴史の変転とは、かくなるものか、と歩きながら一抹の寂しさを感じたが、これは、本当に政治の嵐なのか、何か怨念の嵐のように思える。
 であれば、来年の総統選挙で国民党が勝てば、また状況が一変するはずである。 いみじくも、「民主化」と言う美名の下でもてあそばれる歴史事実を、垣間見たような気がしてならない。
 「台湾の歴史を知らぬ当事者でない日本人の勝手な感傷だ」、とお叱りをうければ、まさにそのとおりかもしれないが、それでも「これは、台湾にとって、決して幸福な現象ではなく、むしろ不幸な現象といえるのではあるまいか。」と思えてならないのである。

文化離れ 9月 1日(土)

 日本では「古典離れ」が言われだして久しく、結果国語離れも進み、その弊害がようやく最近声高に指摘されるようになってきた。
 台湾でも、ほぼ同様のように思える。故宮に閑古鳥が鳴いていたのが、象徴的な出来事で、このような経験は三十数年来今回が初めてである。これは、誇張した言い方ではなく、今までは故宮の前には、最低でも一二台の観光バスが止まっていた。大型もいれば小型もいた。しかし、今回は故宮を訪問した数時間の間に、小型バス一台とて見かけなかったのである。
 これは故宮に限ったことでは無い。一昨日歴史博物館を訪問した。今回歴史博物館では、清朝末文人(呉昌石など)の書画や文房四宝展と、日中茶文化(日中双方の茶器それぞれ200点前後を展示し、中国の陳鳴遠の梨皮茶壷や日本の大名もの茶器など)展の、二大特別展が開かれ、趣味人にはたまらぬ品々が展示してある。
 問題は、ここの参観者であるが、小生を含めて数人である。或るフロアーなどは、見学しているのは小生一人である。あまりの静けさに、係員の許可を得て二回のテラスの長いすで、南国の風を浴びながら一時間ほど昼寝をさせて頂いた。
 入場料が高いから見学者が少ない訳では決してない。入場料は格段に安い。故宮は160元で560円ぐらいであり、歴史博物館に至っては20元で75円である。一体どこの国で、100円以下でこれほどのレベルの文物を堪能することが出来るのであろうか。
 値段でなければ、明らかに歴史文物に興味を示す人々が減少したと言うことであろう。所謂人々の「古典的文化離れ」の現象の一端であろう。
 それとも、これも台湾における、中国離れの文化的現象の一斑であろうか、もしそうであるならば、やはり何処か虚しさが残る 。

違法中国産品 9月 2日(日)

 日本や欧米で有害物質を含んだ中国産品が、話題になってから久しいが、台湾でも同様である。
 昨年は有害物質を含んだ合板が問題になった(何しろ台湾での建築合板の90%以上が中国からの輸入である)が、先日は冷凍蝦に発癌物質が含まれていて問題になった。
 所が今回は紙銭である。紙銭は殆ど日本では輸入されないが、台湾では各地の廟や、農暦に基づいて各家庭で日常的に使われる。特に商売をしている家では、店の前に拝拝の壇が設定してあるのが、あちこちで見かけられる。
 この拝拝で多量に燃やすのが紙銭である。黄色の紙に赤色の文字を書き、その上に金箔や銀箔を塗った紙が、紙銭であるが、年間に家庭や廟で燃やされる紙銭の枚数は、それこそ膨大な量に上る。
 この輸入された中国産紙銭が、金箔や銀箔ではなく、一見そのように見える錫箔の真っ赤な偽物であったのである。さらに悪いことには、この錫箔は燃やすと発癌物質を出し飛散させるのである。
 一家の平安を神や仏に祈って、一斉に燃やす紙銭が、発癌物質を飛散させていたとなると、「お釈迦様でも気がつくめえ」と洒落ですませられる話ではない。
 日常的に多量に使われ、しかも神への祈念に使われる品でさえ、発癌物質に汚染された偽物となると、不良産品に因る中国物産の信用度失墜は、まさに底なしの状況であり、全く神(紙)も分からぬ話であります。

反国民党と言う名の日治時代 9月 3日(月)

 反国民党時代と言う動きは、来年三月の総統選挙を控えて、いよいよ波風が高くなってきたが、恐らくその一環であろう。
 今まで存在しても封印されていた日本統治時代の資料が自由に見られるようになったため、それらを使った日本統治時代の書籍が多く出版され、概して否定的な内容の書籍が多い中で、若干ではあるが肯定的に書かれている本も見受けられる。
 昨晩、その最たるものを見た。テレビの三立新聞ニュース番組で、台湾を代表するような評論家やジャーナリストが数人集まり大討論会を行ない、その様子が放映されていたのである。
 タイトルは「建築物的風格」というものであったが、実際の内容は、「日治時代の建物は、環境を考えて風格が有ったが、戦後(国民党時代)の建物は一体何だ」ということで、大概当時の膨大な写真や資料を示しながら、以下の如き論議が行われていた。
 「日治時代は、早くから嘉義や台南や屏東に病院が作られ、南方風土病研究の第一人者である熊本大学の教授を院長に呼んできていた、それに対して戦後は、、、」とか、
 「日治時代は、社会福祉を考えて古くから聾学校などが作られた、それに対して戦後、、、」とか、
 「日治時代は、多様な文化を共用していたが、それに対して戦後は、、、」とか、
 「日治時代は、台湾の文化やスポーツは国際水準なみであった、それに対して戦後は、、、」とか、
 等等、これでもか、これでもかと日治時代の写真を示し、高雄の港に野ざらしで山積みされた砂糖の袋を示して、
 「当時はこのように野積みでも、誰も盗む人はいなかった、戦後は倉庫に入れていても盗まれる」 と言い、更に当時の北回帰線の記念碑に何時何分何秒と書いてある記述を示して、
 「当時は是ぐらい物事に厳勤だったんだ、それが戦後の馬馬虎虎は一体何だ」と非難し、当時の木造建築を示して、
 「風格が有り立派で頑丈だ、以前の大地震では60年以上経過している日治時代の建物は無事だったが、戦後の建物は多くが壊れた」と言い、更に、当時抗日で名を馳せた楊某の記述を示して、
 「彼は度重なる抗日運動で数度にわたって捕らえられたが、裁判の結果拘束されたのは半年間に過ぎない、しかし戦後は一回でも捕まると最低でも12年の拘束だ」 と言う具合である。
 で、この討論会の結論は、
 「日治時代の台湾には、秩序と厳勤と道徳が有り、物事にも風格が有った、そして当時の台湾は文化的にもスポーツでも国際水準のレベルを持っていた、しかし戦後は、、、」 「今中国では来年のオリンピックを目指して、並べ、唾を吐くな、小便するな、等等モラルの向上を指導しているが、そんなものは60年前の台湾にはみんな有って、誰もが守っていた」 と言うものである。
 無論、三立新聞テレビは民進党よりのテレビであり、参加した文化人も民進党よりであれば、この「大話新聞」と題した番組は、当然台湾語でのやり取りが大半であり、内容と結論は押して知るべしである。
 この「大話新聞」は、普段は時々の時局や政局を論議する番組であるが、土日だけ日治時代のことが論議され、しかも中国語の字幕スーパーが出るのである。
 如何に選挙用とは言え、このような討論会がテレビで放映されるとは、数年前までは想像も出来なかったことである。まして36年前の戒厳令下時代から台湾を訪れ、台北駅で私服警察官から、髪が長いから切れと拘束されたり、台南の海岸線を夜歩いていて、軍のパトロールに尋問されたり、映画館で起立して国歌斉唱をした等の経験を持つ小生には、将に隔世の感を覚えるものが有る。
 何と言えば良いであろうか、政治的な意味合いに於いての、「反国民党時代」に対比しての「日治時代評価」であると言えば良いであろうか。
 小生は、この現象をあまり素直には喜べない。確かに日治時代の個々の事例を見れば、台湾の民生に対して好い部分も多々有り、「台湾の現代化の基礎は日治時代に在った」と言う彼らの意見を否定するものでは無いが、当然「おい、こら式の日本統治」も行われていたはずであり、如何に「内台同一」と言っても、当時の日本に因る「植民地的皇民化統治」が、台湾の人々に因って肯定されるはずも無いであろう。
 一体何処の地域に、自国民では無く外来人に因って統治される厳しさや悲しさを、良しとする民族など存在しようか。 植民地政策と言うのは、結果としてその地の人々にとって、例え一個の好い行為や施策が有ったにしても、その裏には必ずそれに数倍する悪しき行為が有ったはずである。今台湾では、一部の人々に因り、「戦後批判としての日治時代評価」が行われている。
 台湾は、スペイン、オランダ、明鄭、清朝、日本、そして国民党と、次々と外来勢力に因る統治を受け、台湾の人々自身に因る統治は今の民進党政権が最初である。
 かつて李登輝氏が「台湾人の悲哀」と言うことを述べられたが、現在の様な「日治時代評価」を見聞するにつけ、小生は何処かこの「台湾人の悲哀」と言う言葉が、頭を過ぎってしまうのである。
 この様な状況での「親日」や「日台友好」は、何処かが間違っているように思える。
 今の如き政治的感情的日治時代評価ではなく、これらの問題を克服的に分析検討した結果での「親日」こそが、真の「日台友好」に繋がるのではないのか、と深く考えさせられた昨晩のテレビであった。

中国に於ける台商問題 9月 4日(火)

 今大陸に於ける台商問題がちょっときな臭くなっている。
 台湾商人の大陸への進出や投資には、かなりリスクが伴い、言葉が同じであれば、日本人など他の外国人に比べて簡単だろうと思うのは早計で、言葉は同じでも現在の中国と台湾との政治的状況を反映して、政治的リスクは遥かに大きい。
 以前中国に進出した有名な財界人許氏の態度変更表明などは、その最たるものであるが、先日、北京に開店した大型デパート新光天地(三越)の総経理である呉氏が、帰国せんとした時に中国の公安に拘束されて飛行機から下ろされ、数日拘留された事件が発生した。 この新光天地は、中国側企業集団と台湾の新光との合作事業で、新光の中国投資事業で、それぞれの代表が賑々しく開店のテープカットをした後での、呉氏の拘束である。
新聞報道に因ると、どうも中国側と新光側との経営権の争奪争いが有るみたいで、台湾側では、「台商に莫大な投資をさせておいて、出来上がったらそれをそっくり中国側が奪おうとの魂胆だ」との報道姿勢が強い。
 この問題の真実が、那辺に有るかは暫く置いといて、事実大陸では台商がらみの問題が多く発生し、何らかの形で大陸側に身柄を拘束された台商は1200人以上、何らかの形で理不尽な問題に巻き込まれて非常に困難を極めた台商は12000人以上、と言う数字がしめされているが、これは表に発覚した数字に過ぎず、泣き寝入りを含めればもっと大きい数であろう。
 中国に於ける台商は、法に則って事を進めていても、様様な形で黒道、白道、更には法道、官道などの圧力を受ける、と言うことである。
 因って、言葉は如何に通じても、日本や欧米企業以上に台商の大陸での政治的リスクは大きいのである。
 この問題は、更に政治問題に発展し、台湾政府は「中国は台商の人権や権益をきちんと守れ」と、中国側を非難し、国民党は「中国との対話能力を失った民進党政府の責任だ」と、政府を非難すると言う具合である。
 しかし、何処に非が有ろうとも、一番の被害者は身銭を切っている台商自身であり、それでも大陸への投資が減らないのは、政治的思惑などを遥かに超えた台商のしたたかな商魂に因るものであろう。

元気な小姐達 9月 7日(金)

 昨日は、日々春協会の小姐達が、ピンク色のチョッキを着て総統府前にデモをかけ、陳総統に「廃娼反対」の抗議をしていた。
 相変わらず彼女たちは元気であるが、何しろ総統府前であれば、すぐさま警察が鎮圧に動き、それに怒った彼女たちが陳総統の写真を燃やそうとし、警察が消火器で消化に当たり、消火器の白い煙の中で怒号が飛び交うと、言う具合である。
 廃娼か復娼か、本音の意見は個々に分かれるであろうが、ともかく日々春協会の小姐達は元気である。

地震 9月 7日(金)

 日本では、関東地区が台風の直撃を受けて大変であるが、台湾も今朝の一時ごろ地震に襲われた。
 震源地は宜蘭で震度5強であり、台北は震度3であったが、それでも台北のマンションは可なり長時間揺れた。
 すぐさまテレビをつけたが、何処も報道していない。日本の地震に対する速報体制とは大違いである。本日朝のニュースになってやっと報道されたが、宜蘭で大きな牌楼が完全崩壊した様子は映し出されたが、それ以外の被害があまり報道されていなければ、揺れの大きさにしては被害は少なかったと言えよう。
 それにしても、昨年も地震の遭遇し昨晩も遭遇し、改めて感じさせられるのは、台湾に於ける自然災害報道の遅さである。それに対してさすがは日本は地震国、その速報体制はよく整備されているが、問題は、その速報が実際生活の中で、如何に有効に機能するかである。

政治家の口元 9月 7日(金)

 日本では、相変わらず農林水産大臣と銭の問題が続いており、これでは誰も大臣の該当者が居なくなるのではないのか、と思わせるドタバタ劇を見せていますが、台湾でも政治家のうっかりした一言が、大政争に発展している。
 現在台湾では「台湾名称での国連加盟」を目指して、政府は大運動を展開中であるが、その一環として「台湾名称での加盟」の国民投票をやろうとしている。
 これに対して、国民党は「中華民国での再加盟」を提案して、これも国民投票を開こうとしている。しかし、この国民党の動きは、必ずしも全党一致した行動という訳ではなく、台中市長の胡氏や立法院長の王氏などは反対の意見を述べているが、党主席の呉氏と総統選挙候補者の馬氏は、国民投票実施を堅持している。
 この様な中で、まず中国の胡主席が「台湾の国連再加盟は絶対認めない」との密書を国民党に送った、との暴露報道がなされ、馬氏は「絶対無い」と強行に否定しているが、党主席の呉氏は歯切れが悪く、どうも名誉主席の連氏に送りつけられたと言うのが正しいみたいである。
 この問題もすぐさま民進党が噛み付いたが、馬氏は知らぬ存ぜんでとにかくやり過ごし一安心と思ったら、その馬氏自身が、国連再加盟運動の名称問題で、うっかり「中国台北」と言う言葉を口走ったのである。
 この発言は、実際は、名称は色々知恵を出し合って考えれば好いのであって、かつて中国側が「中国台北」を要求した時、我々は拒否して「中華台北」で妥協した、と言う文脈であるが、問題は、時が時で馬氏の立場が立場(総統選挙候補者)である。
 馬氏は「私は絶対中国台北など認めない」と否定にやっきになっているが、民進党側の総統選挙候補者謝氏や民進党側が、この発言を見逃すはずも無い。単なる断章主義の非難のための非難であることは明白であるが、ことは総統選挙がらみであれば、簡単にはすまないのである。
 今、民進党は「馬氏の心底が見えた、彼はどこの代表の総統になるつもりだ、中国の代表か」と攻め立てる一方で、「我々は台湾の代表総統だ」と高言し、国民党は「台湾の総統とは憲法違反だ、これは中華民国の総統を選ぶ選挙だ」と非を鳴らす、と言う具合である。
 政治家は努々口元を緩めてはならない。本意も真意も冗談も例え話も一切関係無い。全てが政争の具として扱われ、マスコミがまたそれを囃し立てるのである。

半年振りの光華 9月 8日(土)

 先週一週間で物に対する目を慣らし、本日はじっくりと光華の骨董市場を観察した。
 まず、陶磁器は相変わらず贋物の氾濫であるが、それでも時たま宋代の青白磁や竜泉窯青磁の本物が出ており、清末や民国初期の品々も多く見受けられる。
 問題は値段であるが、小生の研究室買入価格の大概三倍ぐらいの言い値を示して来る。例えば、北宋の輝州窯の無紋の青磁碗などは、日本での買入価格は8000円ぐらいであるが、7500元つまり23000円ぐらいを示して来る。これは安い方で、普通は13000元、50000円ぐらいのことを言い出す。そそこから丁々発止と値切り交渉をして3000元、つまり10000円ぐらいに下げさすとになるが、そうは簡単には行かない。何しろ海千山千の老板相手のやり取りである。交渉の間合いと手打ちのタイミングを誤ると、買える品も買えなくなる。
 但し、注意を要するのは、現代の放民国と言えば聞こえはよいが、要するに民国時代の品々を真似た今の贋物も多く出回っている点である。
 また青銅器も、銅鏡と帯鈎に関しては本物である。鼎など大型の品は贋物ばかりであるが、小型の品は結構本物が並んでいる。春秋時代の銀象嵌帯鈎を見つけ値段を聞いたら15000元(60000円弱)と言っていた。ここから交渉して7000元、25000円ぐらいになれば、良しとすべきであろう。
 次に、玉であるが、こちらは数こそ少ないものの、一応古玉もちらほら見かける。しかし圧倒的に多いのは、やはり明清あたりの老玉と新玉である。探し出して交渉さえうまく行けば、紅山文化の小型の玉管などは、800元つまり2800円前後で買うことが出来る。
 因って、目利きが出来て、値段交渉ぐらいの中国語が出来る数寄者には、ぜひ光華での買い物をお勧めする。
 観光案内にも乗っている有名な建国路の玉市には行かぬほうが好い。ここは、名が知れ渡っており観光客も多く来る。そのため、初手から観光客相手の売値を示す。例えば、光華で7000元と言い出す品が、建国路では12000元と言い出す。この値段からの交渉は、一苦労である。
 因って、お金のある人々が建国路に行けば好いのである。

微妙な変化 9月 8日(土)

 日本では殆ど報じられないが、台湾を取り巻く環境が微妙に変化しているように思える。
 台湾での国連加入国民投票に関して、アメリカのホワイトハウスの公式見解は反対であるが、これに対してアメリカのシアトルタイムズやイギリスのエコノミストが、批判的な論評を載せている。 また、国連事務総長のパン氏が「一個中国」政策に因り台湾国連加盟申請拒否した態度に対し、アメリカはすぐさま反対意見を述べ、「これはパン氏個人の見解で、国連の見解ではない。国連では中国を代表する中華人民共和国の国連復帰は認めたが、台湾が中国の一部だなどと言う論議はなされていない。またアメリカも中国が言う中国は一つとの考えを、考えとして尊重してはいるが、台湾が中国の一部だなどとは容認していない」と、強行に申し入れている。
 更に日本の外務省も、「日本はサンフランシスコ講和条約で、台湾に関する管轄権を放棄したが、台湾の帰属問題は論議しておらず、論議出来る立場でもない。また日中共同宣言で、日本は中国側の一個中国の主張に、理解と尊重は示したが、決して同意などしていない。これは、日本政府の一貫した立場であり、パン氏の個人的見解を連合国全体の解釈とするのは、不適切である」と、申し入れている。
 この様な状況の中で、昨日APECに出席したアメリカのブッシュ大統領は、最初の演説の中で、「アメリカとオーストラリア、日本、韓国、フイリピン、タイの実質的同盟関係及びシンガポール、台湾、インドネシアとの防衛協力は、アメリカとアジアの基礎である。第二次大戦後、民主国家はオーストラリアとニュウージーランドだけであったが、日本が民主自由社会となり、次いでフイリピン、台湾、韓国、インドネシアが、それに続いている。自由と民主こそが、繁栄の基礎である」と言い、「中国は来年オリンピックであるが、中国には政治の一層の開放と人民の自由な発言とを、お願いしたい」と述べている。
 国際政治の駆け引きや本音と建前の応酬は、素人には全く理解出来ない部分が多々あるが、来年の北京オリンピックに合わせて、何処かで何か微妙な変化の風が吹いているように、思えてならない。

君子は豹変されど政治家は猫変 9月 8日(土)

 「君子は豹変す」とは、中国の有名な古語であるが、政治家もやはり「君子は豹変」しなければいけないもののようである。
 国民党の総統選挙候補者の馬氏が、昨日「これから国際的なスポーツ大会や台湾が主催する大会では、観衆が国旗を振り回したり、国家の斉唱を行うのは、観衆の愛国的情熱の自由な発露であって、禁止されるべきものでは無い。今まで多くの中国選手が台湾に来た時、往々にして我国の国旗や国父の写真を遮るような行為をしているが、自分が総統になった後は、この様な行為は絶対許容しない」、と明言したのである。
 しかし、馬氏は自らが台北市長時代であった時、台北市主催などのスポーツ国際競技会で、観衆が国旗を振ったり国家を歌ったりするのを禁止していたはずである。
 その馬氏が、総統候補となった途端に、「愛国的情熱の発露だから禁止出来ない」と言い出し始めたのである。将に「馬氏は豹変す」であります。
 これを見て、政治家とは誠に辛いものだなあと思わずにはいられなかった。君子と政治家とでは、それこそ天地の差ほどの開きが有るが、政治家も立場立場に因って豹変せざるを得ない存在なのである。
 しかし、君子と政治家とを同一には見たくないので、政治家の場合は猫変、つまり「政治家は猫変す」と命名することにした。

洗門風と言う晒し者 9月11日(火)

 台湾は相変わらず面白い事件が起こる。まさか現代で、晒し者を見るとは思いもかけなかった。
 日本では江戸時代に、心中者の生き残りは晒し者にされる風習が有ったが、今回台湾では、間男が晒し者にされた。
 昨日、南部の雲林県の某野菜市場の入り口で、陳某なる男性が四時間に渉って跪き、「私が間男でございます」との恥を、衆人に晒したのである。
 事の発端は、27歳の陳某なる男性が、隣家の王某なる人妻と密通したのに始まり、この王某なる人妻と陳某なる男性の不倫不義密通は、王某なる人妻の夫つまり隣家の主人に知られる所となり、当然陳某は人妻の亭主にぼこぼこに殴られ、亭主は王某なる妻と離婚し、更に陳某に和解金300万元を求めたのである。
 しかし、陳某は貧乏で銭が無く、且つ亭主は陳某と子供の時からの顔見知りでもあり、亭主の方が折れて75万の和解金で一件落着となるはずであった。  所が、有ろうことか陳某の家族が、「うちの息子が隣の嫁に誑かされたんだ」と近所に触れ回ったため、堪忍袋の緒を切った亭主は、「我が家の名誉のために絶対許さない」と憤って和解金の受け取りを拒否し、代わりに人々が出入りする野菜市場の入り口に、四時間跪いて世間に顔を晒し許しを請え、と言うことになったのである。
 陳某なる男性は、四時間跪いて顔を晒した後、人々にビンロウとタバコを差出し、往来の人々がビンロウとタバコを受け取れば、そこで世間のお許しが出たことになり、受け取るのを拒否すれば、陳某は顔を晒し続けなければいけない、と言うことなのである。
 これは一見私的リンチの様に見られるが、実は古くから郷村社会に存在する一種の郷村社会独自の「掟」であり、古文書に記載も残されている。この様な行為を、「洗門風」と言い、被害者の名誉回復と加害者の郷村社会への謝罪を行う行為で、社会風俗の専門家に因れば、金品などをやり取りすることなく、郷村社会の問題を平和的に解決する手段である、との事である。故に、この事件では、郷村社会の長老や里長などが立会人の監視役を務めているのである。
 恐らくこれは、何代に渉って顔見知りが共に暮らす郷村社会では、その和を乱すような不義密通は絶対に許されない行為であり、それを犯した者は、相手だけではなく郷村社会全体の許しを請わねばならない、と言うことであろうが、近所に住む80のご老人は、「80年も生きて、こんな事件は始めてみた」と驚き、わざわざ遠隔地から車を飛ばして見に来る人も出る騒ぎで、見かねた通行人が警察に保護を要請した所、警察は「対此事件也、愛莫能助」と言って、民事不介入の態度を示し、結果、陳某が跪いている姿は、テレビや新聞などで大々的に報道され、満天下に大恥を晒したのである。
 しかし、今のご時世に不倫男が晒し者にされ、男も身を晒すのを受け入れ、実際の晒し姿を見せられようとは、想像もしなかった。
 将に、「道ならぬ性愛は、代価も恥も大きい」と言うことでありましょう。事は性愛のみに止まらず、何事も「道」を踏み外すとろくなことにならない、と言う事であり、この事件、他山の石として、くれぐれも肝に銘じておく必要が有るように、思われるのであります。

時代の変わり目 9月12日(水)

 今台湾は、或いは時代の変わり目に差し掛かっているのかも知れない。
 日治時代がほぼ50年、その後の国民党時代がほぼ50年、そして今の民進党時代である。
 現政権の中国離れは、蒋介石銅像の撤去が明白に示しているが、さすがに国父である孫文にまでは、この動きは及んでいなかった。因って、孫文の銅像は各地に残っている。
 所が、先日この中国離れを象徴すると言うか、暗示すると言うか、兎に角オカルト的な事件が起きたのである。  それは南部の嘉義市のロータリーの噴水池の中央に設置されている孫文の像が、突然崩れ落ちたのである。
 この像は、「天下為公」との孫文の言葉を刻んだ台座の上に、椅子に座った形で設置されていた像で、観光客などがこの前でよく記念写真を撮っていた有名な像である。この像が、誰も意図的に手を加えていないのに、突然音も無く崩れ落ちてばらばらになったのである。
 モニターの監視カメラの映像から、自然崩落であることははっきりしており、識者の説明では、「築40年以上たち、経年劣化に因る自然崩落」との事であるが、インタビューを受けた人々は、どこか歯切れが悪く、曰く言いがたい表情を示していた。
 何かこの自然崩落は、台湾の将来を暗示しているようにも思える。ある意味では、台湾の台湾化は避けて通れない問題なのであろう。
 来年の総統選挙で、仮に民進党が勝てば、より一層台湾化を進めるであろう。逆に国民党が勝ったとしても、この台湾化の動きを180度反転させることは無理であろう。
 何故なら、2300万の台湾居住者の中で、本省人が85%、外省人が15%と言う割合で、しかもその外省人の大半が二世三世の時代になっている。例え本籍は中国に在ったとしても、これら二世三世は、台湾で生まれて台湾の空気を吸って台湾の水や米を食べて成長した人々である。
 であれば、実際の国際政治の駆け引きは別として、人々の意識の問題として、例え国民党であっても「台湾とは何ぞや」と言う問題は、避けて通れないであろう。
 その様な意味で、何かこの数年は、「台湾自身の時代の変わり目」に当たっているような気がするのである。

鍔迫り合い 9月12日(水)

 来る土曜日の15日に、国民党と民進党は共に同じ議題で大デモを行う予定である。
 それは国連加盟問題で、国民党は「中華民国名での再加入」を掲げ、民進党は「台湾名での新規加入」を掲げ、国民党は台中で民進党は高雄で、それぞれ行う予定となっている。
 当事者たちはかなり盛り上がっているが、どうも全体的にはどこか冷めた雰囲気が見受けられる。
 考えてみれば、台湾が国際政治の孤児となってはや30年近く経つ。中国が国連に加盟した時、中華民国の脱退を促す国は殆ど無く、むしろアメリカや日本は密かに独立を勧めたはずである。しかし、事の成り行きと言うか、長年反共を叫び続けた蒋介石の面子の問題と言いうか、兎に角憤然と席を立ち自ら脱退表明をしたのは、中華民国自身に他ならない。
 台湾の国際政治上での孤立化はここから始まり、台美断交、台日断交と続き、台湾の孤立化は深まったまま現在に至っていると言えよう。
 確かに、台湾を取り巻く環境は微妙に変化が見られ、日本でも某大学が行ったアンケート調査でも、中国と台湾とは異なる、台湾は別の一国だ、と言うような意見が多数を占めていたが、実際の国際政治のパワー力学は非情なものであろう。
 この鍔迫り合い、どちらが勝ったにしても実際に如何程の影響力が行使出来るのか、単なる選挙目当ての政治ショーに終わる可能性が高いように思えてならない。

上には上が 9月13日(木)

 今朝の台湾の新聞は、どれも一面は昨日の日本の安部首相の辞任と、昨晩のインドネシアの地震で、埋め尽くされているが、「自由日報」の10面に面白い記事が、二つ並んで記載されている。
 一つは、日本人観光客が騙されて粗悪品を買わされた話で、もう一つは台湾人が中国で真っ赤な贋物を買わされた話である。
 先ず日本人の方であるが、台湾南部の南投県に10日間のロングステーに来ている中年の某夫婦が、三日前に台北の故宮の参観に出かけ、参観後故宮の外で、日本の母親への土産にお茶を買おうと話し合っていた所、簡単な日本語を話す男性が「お茶なら好いお茶を売っている店がありますよ」と話しかけて来たのである。
 何故かその男性の話を信用した夫婦は、その男性の車に乗せられ某茶店に連れて行かれ、そこで1000元の高級茶を買ったのである。この夫婦が南投県に帰って周囲の人にお土産を見てもらった所、それはせいぜい200元ほどの粗悪なものだったのである。
 次に台湾人の方であるが、台南県の李某氏は中国桂林の団体旅行に参加し、桂林の有名シルク購買センターで、40000元以上出してシルクを数反買ったのである。帰国後、経済部の台南分局で材質を調べてもらった所、それはシルクどころか100%のナイロン製品の真っ赤な贋物だったのである。
 李某氏は、「旅行者の添乗員が、ここのは100%本物です。品質保証品です、と勧めるから買ったのだ、これは、旅行者と中国がグルになって我々を騙したのだ」と憤り、旅行者を訴えようとしており、旅行者も「我々はグルではない、有名な購買センターだから、中国側の言うことを信用したに過ぎず、我々も被害者だ」と息巻いているのである。
 流石は中国である、上には上が有るものである。この事件を肝に銘じて、我々はくれぐれも気をつけましょう。優しい日本語と「本物です」と言う言葉には、何しろ中国は、有史以来放品文化の伝統を持つ国ですから。

残り半年 9月17日(月)

 来年三月の総統選挙まで残り半年を切り、いよいよ互いがあの手この手を繰り出してきた。  昨年来国民党の馬氏の圧倒的優勢が伝えられていたが、ここに来てどうも圧倒的優勢とは言いがたい状況になってきた。
 台湾の南部は民進党の金城湯池であるが、馬氏は敢えて敵地の南部にロングステーをして票の掘り起こしを行い、怒声飛び交う中で塵拾いをしたり農家の仕事をしたりと、涙ぐましいまでのパホーマンスを行っている。これは民進党の追い上げに伴う、一種の危機感の表れであろう。
 一昨日の土曜日は、国民党が台中で「返聯」を、民進党が高雄で「入聯」のデモを、それぞれ行ったが、国民党側は10万動員と言い、民進党側は50万動員と言っている。
 国民党では、総統候補の馬氏、副総統候補の粛氏、党主席の呉氏は参加していたが、中国から「反入聯」の密書を受けたと報道された名誉主席の連戦氏と息子の連勝文氏は、参加していなかった。
 民進党では、陳総統、呂副総統をはじめとして、総統候補の謝氏、副総統候補の蘇氏、党主席の遊氏らが参加しているが、台聯の元総統李登輝氏は不参加であった。
 彼らは、三者三様のことを述べ、馬氏は「台湾就是中華民国、所以呼中華民国」と言い、謝氏は「中華民国就是台湾、所以呼台湾」と言い、このデモに冷ややかであった李氏は「台湾也不是中華民国、中華民国也不是台湾、中華民国在台湾」と言っている。
 所で、台湾のテレビは可なりはっきりと政党よりが現れるが、それ以上に過激なのが地下放送局である。この地下放送局は、圧倒的に民進党よりでしかも過激である。これに業を煮やしたのが国民党で、国民党は南部のケーブルテレビと契約して、いよいよ反民進党の宣伝を行うこととなった。「以台制台、以公法囲非法」と、声高に叫んでいる。
 これも一種の危機感の表れであろう。残り半年、鍔迫り合いから誹謗中傷の殴り合いに、いよいよ突入したと言う感じである。


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