《臺北零話》

《2008年・8月》

暑い 2008年 8月 3日(日)

 台湾は暑いです。玉市も光華の骨董屋も健在で、潰れた店が数店ありますが、顔なじみの老板は、大半が元気で、昨日は「好久不見、回来了」と声をかけられました。
 それにしても台湾のカキ氷は美味しい。

百周年 2008年 8月 3日(日)

 今年は西門町に有る紅楼劇場の開設百周年記念の年である。 この劇場は、1908年に近藤十郎氏の設計に因って立てられた、赤レンガと木造の八角形の建物である。
 内装は変わったが、外観は当時の赤レンガをそのまま残している。当時は「西門市場八角堂」と呼ばれており、先進文化品を紹介販売する場所として知られており、戦後は劇場として活躍している。
 日治時代から戦争時代、戦後の国民党時代そして現在へと、激動の時代を生き抜き、西門町の変転、衰退、発展を見続けてきた建物である。
 内部では、その歴史がパネル展示してあり、当時の「味の素」や「資生堂」等の看板や、この舞台に立った芸人等の写真も、展示されている。
 歴史展示の説明文は、中国語と日本語の二本立てで、当時の関係者の証言等も書かれており、当時の状況を彷彿とさせる。
 前の広場では、今音楽祭が開かれており、朝からにぎやかである。 この紅楼劇場は、将に激動の20世紀を潜り抜けてきた、歴史的建造物である。折角の日本語説明文であるが、それを見る日本人にはお目にかかれなかった。しかし、台湾の老人が孫にその日本語の説明をしているのには、お目にかかれた。
 何か、日本と台湾とを繋ぐ貴重な歴史の1ページを見たような気にさせられたのである。

首長は外遊がお好き 2008年 8月 5日(火)

 日本でも国会議員の外遊がよく問題になるが、台湾では今首長の外遊が問題になっている。首長とは国家元首ではなく、地方行政の長のことで、下は郷長から上は市長、県長などである。
 今回問題になって検察が乗り出したのは、台東県の女性県長である。この県長殿は、今回ドイツ、イタリア、スイスと外遊されたが、この台風の季節に如何なる被害が発生するか分からぬ時に、ヨーロッパへの外遊とは何事か、県民感情を逆撫ですると言うものである、と言う批判であるが、このご一行様は県の役人のみにあらず、県長の母親は言うまでもなく、知り合いの郷長やその一家眷属まで含んでおり、しかもその費用が公費から出されていると言うことで、検察が動き出したのであるが、何しろこの県長は、過去二年間に23回に及ぶ外遊をなされており、しかも県の宣伝パンフレットには、悉くモデルとして登場し、きわめて目立つ存在なのである。
 果たしてこの外遊、本当に公務なるや否や、公私混同の点多々見受けられ、今後の成り行きが注目される。 それにしても、一人の成功者に一家眷属が纏わりつく悪しき中国的伝統の現代版を、見せ付けられたような気がする。
 この事件を受けて、台中市長は、もっともらしい理由(外交は国家の重要事、但し本人は外交官ではなく単なる市長に過ぎないが)を就けて、外遊を強行し、台北市長や台北県長は、年内の外遊を取りやめる、と言う場外のドタバタ劇が起こっている。
 首長は民と共に苦楽を共にすべし、とのスローガンが何処か虚しく写っている。

銀だこ 2008年 8月 5日(火)

 日本に有る大概の店は台湾にもあり、スーパーのセブンイレブンやフアミリーマート、マックにケンタッキー、モスバーガーにミスタードーナッツ、和民に福勝、和菓子の吉兆庵等等であるが、今回はたこ焼きの「銀だこ」がオープンした。
 「日本築地の名店」と銘打った「銀だこ」であるが、果たして台湾の人々の口にたこ焼きが合うのか否か、聊か疑問が無い訳ではないが、まあ様子を見ましょう。

国立歴史博物館 2008年 8月 5日(火)  

 本日国立歴史博物館に行った。台湾に来ると必ず足を運ぶ場所である。
 小生は、この三階から庭の蓮池を眺めるのが好きで、南国の風に揺れる蓮の葉を見ていると、何処か心が落ち着く。
 常設展示品は、数こそ少ないものの、玉、青銅器、陶磁器等があり、参観者が少ないこととあいまって、ゆっくりのんびり見られるのが嬉しい。
 その上ここは、必ず何か特別展示を行っており、今回は「台湾早期珈琲文化展」と「水坑印石仏相展」とである。
 日治時代からの台湾珈琲文化が、如何なる変転を通じて今の珈琲文化になったのか、その歴史的変遷とその遺物は懐かしく、文化人や芸能人や新聞記者の溜まり場だったと言う記述は、日本のモガモボ時代を彷彿とさせる。
 一方印石の方は、水坑の印石の紐部分にありとあらゆる仏相が彫刻されており、これも一見の価値が有る。
 この様に、「今回は何かな」と一寸わくわくさせるのが、国立歴史博物館なのである。

赤壁 2008年 8月 6日(水)

 本日ジョン・ウー(呉宇森)監督のハリウッド映画赤壁を一人で見た。これは決戦前夜までの前半で、約2時間25分の長編である。
 この映画には特別な思いが小生には有る。三年前の事であるが、この映画の美術監督である香港の葉氏が、小生の大学の研究室を訪ねられ、当時の武器とか衣服とか戦いの様子などをお聞きになった。
 小生の分かる範囲で一応答えたが、その時小生が、「今年は私は一年間の休暇で閑だから、中国の赤壁のロケ現場をぜひ見学したいもんだ」と言ったら、葉氏が「見学は良いですが残念な事に今年はまだロケせずセット撮影なんですよ、現場のロケは来年なんですよ」と言われ、小生が最後に、「ジョンさんの監督だから派手に撮りたいだろうが、決して火薬は使ってはだめですよ、火薬は使った瞬間にこの話が嘘っぱちになってしまいます」と答え、葉氏が苦笑いしておられたのを、今でも覚えている。
 さてそこで、火薬は使われたのか否か、答えは一部否(但し,
パートTのことで、パートUは画像から見る限り使っている、油の樽が爆発するシーンは、思わず「何でだよ」と言ってしまう。何故なら当時の油は、精製純度の低い植物系油であれば、火を付けてナパーム的に広がることは有っても、上部に爆発するほどの揮発性は無いはず)である。
 また小道具も一見して分かる当時存在しなかった物(周瑜らが楼上で酒を飲むシーンの杯に、黒釉と褐釉の杯が出るが、あれは宋代から登場する形態と釉薬の杯で、当時は存在しない)が使われていたりする。
 或いは、戦闘場面や避難場面に大量動員されたエキストラであるが、引いたアングルでの場面ではさほど気にならないが、アップになった時に顔の表情にあまりにも締まりがが無く、「おいおい、これが逃げまどっている人や、これから死にに行く人間の顔かよ、アップの時ぐらいはエキストラでもメーキャップさせて顔の演技ぐらいさせろよ」と思うと、一瞬場面としての緊張感が弛み何処かにやけた感じを与えてしまう。
 更に言えばシーン的に、当時の武器である槍で鎧を纏った人を数人団子の如く串刺しにするのは、リアルさの点で疑問符が就き、思わず「おいおいやりすぎだぞ」と言いたくなる。或いは、楯を返して光を反射させ敵の目を眩ますシーンは、1993年の王晶監督の『倚天屠龍記』で同じパターンが有ったのでは?。關羽が刀を蹴り上げるシーンは、「MIー2」でトムクルーズが砂中の拳銃を蹴り上げるシーンとダブルし、白鳩も何処か「MIー2」にダブってしまう。また、「こんな場面は赤壁には無かったぞ」と頭をひねるシーン。等々コアな三国志迷にとっては気になる点や問題点が全く無い訳では無い。
 しかし、まあ流石にジョン監督でハリウッド映画である。見せる、見せる、大スペクタルである。「相変わらず派手にやって見せるなあ」と思って見ていれば、それなりに楽しい。
 役者も錚々たるメンバーで日、台、香、中、米の五国合作の大娯楽映画である。曹操は張豊毅(中、TVドラマ「風雲大清」のドルゴン役の名優)、劉備は尤勇(中、多数の中国映画に出演した名脇役)、孫権は張震(台、「クー嶺街少年殺人事件」から既に17年が経った)、関羽は巴森似乎並(中、ジンギスカンの次男察合台の後裔と言われている)、張飛は臧金生(中、TVドラマ「水滸伝」で活躍)、趙雲は胡軍(中、「東宮西宮」で趙薇と共演)、周喩が梁朝偉(香、「非常城市」で出色の演技を見せた)、孔明が金城武(台、一寸問題かも、でも07年の「投名状」は良かったよ)、大喬は張静初(中)、小喬は林志玲(台、人気モデルで映画初出演)、劉備の第三夫人となる孫尚香は趙薇(中、「画魂」で映画デビュー、TVドラマ「還珠格格」で大ブレイク)、呉の猛将甘寧は中村獅童(日、梨園の名門萬屋の一員)、と言う具合である。
 まるで歌舞伎の名場面を見る如く、趙雲が関羽が張飛が暴れまくる。しかも御馴染の場面で見得を切る、これでもかと言う具合に大立ち回りを見せて見せて見せまくる。甘寧に至っては、人を飛び越えての立ち回りである。
 彼らのアクションが、音楽監督である岩代氏の太鼓を基調とした音楽の、テンポの好いリズムに乗って展開される。 見せます、見せます大アクション、さすがハリウッド、さすがジョン監督と言うべきである。ジョン監督は、「アジア映画でも、ハリウッド映画でもなく、世界映画なのです」と言っておられるみたいだが、その心意気は良しとするも、如何せん「ハリウッド映画」である。恐らくジョン監督は、日本に於ける江戸以来の日本人の三国志に関する嗜好と、現在に至るまでのその展開を、あまりご存じ無かったのであろうと思う。
 この映画は、「三国志」と思うと「????」が付いてしまう。要するに三国時代を題材にした「ハリウッドの大スペクタルアクション映画」と思えば好いのである。「ハリウッド製大アクション映画」、それ以上でもそれ以下でもない。CGを多用するのはスペクタル映画の常道でもありご愛敬でもあるが、全くのフイクション映画では無く、所謂正史の『三国志』に依拠した歴史小説『三国志演義』の赤壁の映画化と考えると、「ウーン、ムムムムム」個人的には「虎」のシーンが鼻につき白ける。
 但し、映像美と音楽は非常に好いし、カメラワークも面白い。俯瞰場面とアップ場面のメリハリやスケール感等は、撮影監督と編集の手腕であろう。更に言えば、美術監督葉氏と音楽監督岩代氏に助けられた映画とも言えるだろうが、しかしこれだけのスタッフを集められたのは、将にジョン監督の力量乃至は人徳であろう。
 アクション映画と思えば、何が何でも後半の決戦を見ないわけには行かないが、この映画のコンセプトは、「女」である。何故赤壁の決戦が起きたか、それは偏に曹操が呉の小喬を求めたが為である、と言う筋書きである。女を求める燃えたぎった赤い情念は、紅蓮の赤壁の炎の中でどうなるのか、女が引き起こした世紀の決戦、果たして如何なる映像を見せてくれるのか。

地方の不況 2008年 8月 7日(木)

 本日は鶯歌と三峡に出かけて来た。
 台北の中華路から607のバスに乗れば一時間程で三峡に行けるが、このバスは本数が少なく不便である。
 そこで、台北駅から汽車で鶯歌へ、約25分で28元、鶯歌駅前から三峡へバスで10分22元、片道約40分程で50元の旅である。
 この二箇所は二年前に大々的に宣伝した場所で、三峡は台湾最古の祖師廟が有り、その前には日治時代の古老街が赤レンガで復活し、三峡鎮長が自ら宣伝した場所であり、鶯歌も台北県長が自ら登場した陶磁器祭りで盛り上げた場所である。
 確かにこの二箇所は、二年前にはそれなりに参観者も多く、賑わっていた場所である。
 先ず三峡であるが、参観者は殆ど居なく僅かに小学生の見学者が居るだけで、古老街のテナントも未だ完全には埋まっておらず、多くが空家である。また二年前に有った店も大半が代替わりをしており、閑散とした様子である。
 所が、時間が止まった様な祖師廟の脇に有る骨董屋の集古軒と森木坊の二店は、したたかに生き残っている。流石に海千山千の骨董の老板達である、阿漕な商売程長持ちするらしい。
 次に鶯歌であるが、こちらは台湾陶磁器の故郷で磁都と称され鶯歌陶磁器博物館も有るが、やはり参観者は少ない。古陶磁街の入り口に有るショッピングモールの鶯歌源のテナントも、半分以上が店をしめている。
 更に古陶磁街を一時間程散策したが、その間に出会った観光客は僅か数人で、将に閑古鳥が鳴いている状況である。
 とても二年前の賑わいなど見るべくも無く、将に夢物語である。これは明らかに経済不況が台北近郊の観光地にも押し寄せている証左であろう。
 台北市内に居れば、それほど感じない不況も、地方から先によく現れる。今は明らかに不況である。それは地方の人の動向に如実に現れており、同時に都市部と地方との格差であり、台湾も世界的な不況の例に漏れない。

帰りは怖い 2008年 8月 7日(木)

 本日の三峡散策は、将に「行きは好い好い、帰りは怖い」であった。行きは鶯歌駅前からバスで難なく行ったが、問題は帰りであった。
 何しろ土地感の無い場所である。帰りは反対車線のバス停から乗れば好いと、たかをくくっていたのが大間違いである。
 どうも路線が違っていたらしく、待てど暮らせどバスが現れない。そこで、「しょうがない、逆歩して帰るか」等と馬鹿なことを考えたのが、間違いの始まりである。
 鶯歌と三峡とは「大漢渓」と言う川を挟んで左右に有る街どうしである。来たとき渉った大漢渓の鶯歌大橋を渡れば好い、所詮歩いても40分弱であろう、等と勝手に思って歩き出したが、真夏の炎天下である、流石に橋まで来た時には疲れ果てていた。
 しかし、気を取り直してさて渉ろうと思ったら、何と車専用の橋である。人が渡れるのは遥か上流である。
 また上まで歩くのかと思ったら、もういやになった。そこで、とんでもないことを考えた。
 橋の入り口には信号が有る。この信号が赤になったら車は止まるので、その間に橋を走って渉ろうと思ったのである。
 たかだか200メートル強の長さの橋である、走れないことは無いだろう、まだ俺は若いなどと言い聞かせて、信号が赤になるや否や走り出したのである。
 如何せん、六十前はやはり老人である。100メートルを過ぎたあたりから、足は重くなるは心臓は苦しくなるは、振り返れば信号が青に変わっている。何とか車に追いつかれる前に走り渉って、橋の袂にへたり込んだ。
 頭はくらくら、心臓はぱくぱく、足はがたがた、道端に座り込んだまま二十分ほど欄干に背中を持たれかけて休息である。
 道行く人が怪訝そうな顔をして覗き込み、色々台湾語で声をかけてくれるが、返事をする元気も無い。
 誠に年は取りたくないものである。異国での老人の冷や水である。老人は老人らしく行動した方が安全と言うものであろう。
 本日は、己の老齢を実感させられた。無理は禁物である。

中国と中華 2008年 8月 8日(金)

 いよいよ今日から北京オリンピックが開幕するが、平和の祭典は無事に終わるであろうか。  ニュース報道に因れば、北京での欧米人のチベットアピールや人権アピールが見られたようであるが、台湾では、要約解決した問題が有る。
 北京オリンピックへ参加する台湾チームの名称は「中華台北」であるが、一週間程前に中国側マスコミが「中国台北」と伝えたのである。
 これに対して、台湾の民進党が一斉に噛み付いた。「台湾を矮小化するものだ」「馬総統は承知していたのか」等等で、馬総統は「意外な事である」との簡単な談話を発表しただけで、中国当局と掛合うようなことは無かった。
 そのため、これが台湾ではちょっとした政争になりかかったが、中国側の関係者が台湾チームに向かって、「中華台北」とか「中華棒球隊」とか発言したため、開幕前に一応終結したみたいである。
 「国」か「華」か、オリンピックの中で国家の威信と尊厳を賭けた、虚虚実実の外交的駆け引きが行われているのである。
 それにしても隔世の感である。オリンピック応援を理由に、今国民党主席の呉氏と元主席の連氏、更に新民党の主席であった宋氏の三人が、北京に滞在して中国の胡主席と会っている。
 僅か二十年程前には、呉氏も連氏も宋氏も共に国民党の中心的中堅幹部であり、声高に「反共」を叫び、その政策を施行して来た人々である。
 一体台湾政治のぶれは、何時まで続くのであろうか、四年後に総統が変われば、また変わるのであろうか。

物価上昇 2008年 8月 8日(金)  

 台湾の物価は二年前に比べて、確かに高くなっている。それも日常的な物が高くなっている。
 幸い公共交通機関のバス代は、今も15元で変わらないが、食べ物が高くなっている。
 例えば、弁当はおかず三品とご飯が45元であったのが、20元上がって65元となり、かき氷は45元が5元上がって50元となっている。またパンも大概5元前後上がっている。
 世界的な食料価格の高騰は、台湾の食品価格に確実に反映している。

学力低下と大学閉校 2008年 8月 9日(土)

 大学生の学力低下は、何も日本に限ったことでは無く、台湾も同じである。
 昨日新年度(九月入学のため)の大学合格者が発表されたが、状況は以下の如きである。  受験者は83841人、合格者は81409人、合格率97.1%であるが、最低合格点は三科目平均7.69パーセント、仮に300点満点ならば23点程で合格と言うことになる。更に科目別の最低点は0.96パーセントであるから9点で合格である。
 ここまで合格点が下がっても、それでも定員に満たない大学が数校現れており、大学閉校の声が声高に言われだして来ている。
 この様な中で、受験生を送り出す高校側も二極分化の傾向を示し、合格点や合格率の高いのは、やはり名門高級中学校で、男子では建国中学、女子では台北一女や高雄女中等である。
 高校間の大幅な学力差と、大学の入試合格点の極端な低下は、決して他人事ではない。  大学の学問の質の確保と維持及び学生定員の確保と維持、この相反する問題の早急なる解決が、大学人に突きつけられた直近の問題であり、日本も台湾も同じであり、大学の大衆化と大学数の拡大の道を闇雲に歩んできたそのつけを、今払わせられようとしているのである。

北京オリンピック 2008年 8月 9日(土)

 昨晩北京オリンピックの開幕セレモニーをテレビで見た。
 流石に張芸謀監督のプロジュースである。まるで彼の映画の群舞や群闘場面を見ているようで、色彩の感覚と使い方は「やっぱり張監督」と言いたくなるものであった。
 いよいよ行進が始まると、各国の来賓がいる国が入場すると、テレビは貴賓席のその国の元首を写すが、中華台北の時は、連氏、呉氏、宋氏の三人が総立ちで拍手で迎えていた。
 これは他の国でも同じで、アメリカのブッシュもフランスのサルコジもカナダもスペインも韓国もその他の国々も、大概貴賓席の人々は立ち上がり手を振って自国の選手団を迎え入れていた。
 しかし、我国はどうであったか、福田総理は座ったまま扇子をぱたぱたする映像が映し出された。自国の選手団入場の時、座ったままの元首は、我国の福田総理とロシアのプーチン首相とアフガンの大統領ぐらいであった。
 立つか座るか大差無いことであるが、その場面が国際放映される以上、やはり立って手を振って迎えてほしかった。自国選手団と自国民に対する一寸した気遣いや思いやりが有れば、簡単に出来ることであろう。
 別に福田総理を非難する気などさらさら無いが、たまたま座っていたのが物知り顔のプーチン首相であったため、福田総理の顔がこの官僚的なプーチン氏の顔とダブってしかたない。

場外乱闘 2008年 8月11日(月)  

 平和の祭典北京オリンピックが始まったとたん、あちこちできな臭い事件が起きている。
 北京ではアメリカの観光客が鐘楼で強盗に襲われて死亡すると言う事件が発生し、新疆ではまた爆弾テロが起こった。
 そしてグルジアである。ロシアとグルジアとの全面戦争に発展する可能性が無い訳ではない。オリンピック開幕に合わせたような独立宣言とロシア軍の侵攻、何かオリンピックが利用されたような気がしてならない。
 これほどの大事件ではないが、台湾と中国との間でも、鍔迫り合いが行われている。 一度は中国側オリンピック委員会の公式発表で収まったかに見えた「中国台北」の問題であるが、実は収まっていなかった。
 北京のオリンピック委員会は「中華台北」で納得し、そのように発言しているが、政府の足元に有るテレビ中国中央放送局は、いみじくも本音を提示した。
 先に台湾選手が重量挙げで銅メダルを獲得したが、それを伝える報道は「中国台北」であり、柔道試合会場の案内も「中国台北」である。
 またオリンピック応援に台湾の楊女子及び陳男子が出かけたが、北京の飛行場で入国を拒否され、台湾に返された。  楊女子は先の総統選挙の時、民進党候補の謝氏の応援人である。また陳男子は過激な「愛台湾」を叫ぶ人である。
 国民党関係の呉氏、連氏、宋氏が国賓待遇を受け、楊、陳両人は入国拒否である。
これに対し、台湾のオリンピック委員会や大陸委員会のコメントは、可なり歯切れが悪く、また北京のオリンピック委員会は、「これはオリンピック委員会の問題ではなく、入国税関に関わる問題である」と、木で鼻をくくったような白々しいコメントを発表している。
 平和の祭典も一歩裏に回れば、熾烈な外交戦略の場外乱闘が行われているが、どうも台湾の方が分が悪いみたいである。

台湾ヤクザ 2008年 8月13日(水)

 台湾のヤクザ組織がどうなっているのか不明であるが、その行動は派手である。
 台中を中心とした台湾の中南部で、この十日間に三件の銃撃戦が起こり、打たれた弾丸は106発で、しかもM16の弾丸である。これは軍隊が使う突撃銃である。
 新聞報道に因れば、牛皮(王俊偉)組の仕業ではないかとの推測であるが、未だはっきりしていない。
 明白なのは、車に多数の弾丸が打ち込まれて某氏が殺害されたことと、某家にも多数の弾丸が打ち込まれたことである。
 日本のように、密輸のロシアのトカレフ拳銃とか、改造拳銃とかが、数発打ち込まれたレベルではない。
 M16の乱射である。派手と言うか、荒っぽいと言うか、台湾では銃の乱発がやたらに目に付く。

懐かしい明星 2008年 8月13日(水)

 昨晩懐かしい明星の顔を見た。往年の大女優で、既に結婚引退出産で長らく銀幕から遠ざかっている林青霞である。
 ちょっと老けて疲れ気味の顔立ちにはなっているが、顎割れの美貌はそのままである。彼女は仏教の法鼓山のコマーシャルに登場し、法鼓山の老師と並んで、説教している。
 どうもこちらの芸能人は、宗教に関わることが多いみたいで、この法鼓山のコマーシャルにはジェット・リーも登場している。

オリンピックのやらせ 2008年 8月13日(水)  

 北京オリンピック尤も醜悪なやらせが、発覚した。 開幕式の花火映像が、修正されたものであることは、既に言われており、これなどはかわいいものである。
 しかし、今回のは醜悪である。開幕式に赤い服をきた少女が歌を歌い、その可憐さと澄み切った歌声は、全世界に報道されて感激を与え、ニューヨークタイムズなどは「現代中国の精神」とまで、報道して持ち上げたが、実はこれがやらせであった。
 一見可憐に歌っているように演じたのは九才の林可妙なる少女で、彼女は単なる口パクに過ぎず、実際隠れた所で歌っていたのは六才の楊沛宜なる少女である。
 このやらせに対して、音楽総監督の陳其鋼氏は、「対外形象を考慮して国家利益の為である」とのコメントを発表したが、これほど人を馬鹿にした話は無い。
 要するに、「お前はブスでカメラ映りが悪いから、陰で声だけ出せ、表にはカメラ映りの好い子を出す」と言っているに等しい。これのどこが国家利益であろうか。
 この様な行為が、二人の少女の心をどれだけ傷つけるか、陳氏は分かっていただろうか。それとも、彼女達は国家のための当然の行為と受け取っていたであろうか。
 もし彼女達が、嬉々として応じていたならば、中国はやはり何処か醜悪である。

悲喜こもごも 2008年 8月14日(木)

 北京オリンピックの少女のやらせは、中国政府がすぐさまマスコミ報道の規制を行い、新聞もテレビもネットも、報道しなくなった。 しかし、これ以外にも開幕セレモニーにまつわる、悲喜こもごもが有る。
 セレモニーでワイヤーロープに吊り下げられて敦煌飛仙の舞を演じ、一躍有名になったのが21歳の舞踏家殷碩であるが、これは本来は別の舞踏家劉岩が演じることになっていた。
 劉岩が練習中にワイヤーロープの操作ミスで落下して怪我をし、急遽殷碩が演じることになったのである。
 劉岩は病院のベッドの上でセレモニーを眺め、殷碩は演じて喝采を浴び一躍有名になった。 それぞれの舞踏家人生に悲喜こもごもをもたらした、敦煌飛仙の舞であった。

決戦の日 2008年 8月14日(木)

 今日は日本台湾のオリンピック野球の決戦の日である。
 昨日の台湾オランダの対戦も大変な盛り上がりようで、台中市では30分の議会休憩を入れて、市長以下「台湾加油」と大歓声であり、台南では鄭成功も登場して300年来の恨みを晴らすと大気炎であり、台北では何故か「目玉焼き」(オランダと関係が有るらしい)を食べて、オランダを食ってしまうと言う具合である。
 幸い、日本の中日ドラゴンズの先発投手の一角を担う陳偉殷が先発し、日本での活躍同様に七回無失点単発三安打という活躍で、オランダを五対〇で完封勝ちし、その勢いに乗って、本日の日台決戦である。
 日本は昨日キューバに四対二で惜敗し、黒星発進であるが、台湾はオランダを下しての白星発進である。気勢の上がらない訳が無い。今晩7時からの放映である。うろうろ出歩くと大変である。
 既に、あちこちで気勢が上がっている。日章旗にボールをぶつけて割るデモンストレーションも行われている。蒋介石の写真も登場し、前陳総統の写真も登場し(これらの写真が如何なる意味なのか不明であるが)、何が何でも日本に勝つとの意気込みである。
 本日の決戦に対し、あちこちで賭けが行われている。殆どが台湾勝利にかけられている。こっそり三対一ぐらいで日本勝利にかければ、もしかしたら大勝するかもしれないが、雰囲気的に日本勝利に賭けるのは、怖い状況である。
 しかし、小生は日本が勝つと思う。何故なら、台湾随一のスラッガー張泰山が禁止薬物に引っかかり、出場停止となっている。
 彼は、事前検査ではなんとも無く、禁止薬物も使っていなかったが、昨年飲んだ精子増強剤(彼は結婚しており、子作りに励んでいる)の中に含まれる一部の薬品が、未だ残留していたみたいで、それが北京での検査に引っかかったみたいである。
 張泰山の落ち込みようはすごく、気の毒と言えば気の毒であるが、日本にとっては大砲の欠場はありがたいと言えばありがたい。
 しかし、大砲よりも小技の正確さとミスをしない事こそが、国際試合では肝要であり、本日の決戦、果たしていずれの旗が揚がるやら、ゆっくりテレビを見ることにする。

地に落ちた偶像 2008年 8月15日(金)

 前総統の陳氏は、その親族、特に妻の呉氏に関わる金の問題が取りざたされ、最後の二年間などは、まるで総統辞職要求の二年間であったと言っても過言ない。
 その結果が、今回の立法委員選挙や総統選挙での民進党の惨敗であり、執行部も四天王から若手に代わり党主席も蔡女子士が担当して、人心一新を図り再起を目指している。
 しかし、前総統陳氏に関わる金の問題は、今も引き続いて調査や裁判が行われているが、昨晩陳氏が記者会見を開いて、国民に謝罪した。
 それは、陳氏自身は知らなかったが、選挙の余剰金9億3千万元を陳氏の妻呉氏がスイスの銀行に預け、マネーロンダリングをしたのである。
 陳氏は「法律上許すべからざる話であり、良心に従って国民にお詫びする」と言っていたが、これは噴飯ものである。陳氏は元来弁護士で法律の専門家である。その陳氏が「法律上許すべからざる話」とは、一体何であろうか、「法律違反」である。
 要するに妻の呉氏が違法行為を行ったのであるが、素直に「違法行為」と言わず「法律上許すべからざる話」とは、語るに落ちるとは、このことであろう。
 民進党のダメージは大きく、民進党系の市長や県長は、口々に「恥ずべき行為だ」と非難しているが、党執行部の対応は、歯切れが悪い。
 国民党の独裁と汚職に反発して誕生したはずの民進党政権ではあったが、結局は金と縁故の絡んだ汚職体質は同じであり、国民党の汚職を批判した政権であった分、自分自身の汚職のダメージは大きいといえるだろう。
 民進党は、党の変質を嫌い陳氏と手を切ったはずの元党員で、民主化の闘志でもあった許文良氏の復党を図り、大同団結をアピールして再出発した矢先の醜聞である。
 民進党は元前統に因り、出鼻を挫かれた格好である。民進党の再建には、更なる時間と自己努力が必要であろう。馬総統の一挙一動を、ああだこうだと論っている暇など無いはずである。

台湾之恥 2008年 8月16日(土)

 前陳総統の金銭スキャンダルが、民進党に与えた衝撃は、甚だ重いと言える。
 陳総統時代の娘婿の金銭スキャンダル、呉総統夫人の金銭スキャンダル、そして息子の嫁を巻き込んだ金銭スキャンダルと本人の金銭スキャンダル、将に金、金、金、一家総出の金まみれスキャンダルである。
 民進党の躍進は、陳総統の政治的出世(民選台北市長から総統へ)と同じ歩調で展開してきた。その陳総統の政治的出世は、一に夫人である呉氏の手腕に因る。
 凶弾に因って半身不随となった呉氏の政治的活躍が、夫である陳氏の政治的成功へと繋がり、陳氏の政治的成功が民進党の躍進へと繋がっている。
 呉氏の成功に因って陳氏が成功し、呉氏のスキャンダルに因って陳氏が失敗した訳で、陳氏の信頼が失墜したことに因り、民進党の信頼も奈落の底に突き落とされたのである。
 昨日陳氏と夫人の呉氏は自ら民進党からの退党を発表したが、それで収まるような話ではない。
 民進党の中央執行部は、陳氏の息子夫婦を除籍処分にし、更に執行部全員がテレビ会見で頭を下げて国民に陳謝したが、批判は身内からも湧き出ている。
 民進党を支えた本土社団の老団員などは、テレビの前で陳氏の塑像を叩き壊してゴミ箱に捨て、怒りを露にしていたが、これは単なるパホーマンスではなく、本当に怒っていた。
 台湾本土社団の人々からすれば、陳氏政権は、民選の本土政権であった。やっと成立した長年の夢であった本土政権で、しかも極貧の子供時代を過ごした陳氏である。金銭からは、尤も遠い存在の人であったはずである。
 故に陳氏自身が「愛台湾」を連呼し、「台湾之子」を声高に叫んだのである。その言葉に本土の人々は共感し、陳氏に本土の夢を託したのである。
 その夢を破られ、信頼を裏切られた格好になったのであるから、彼らの怒りもひとしおである。
 熱烈な本土の人が、「何が台湾之子だ、彼は、台湾之恥だ」と吐き捨て、二年前に「陳氏下台」を叫んだ施明徳氏は、一言「不是男子、男ではない」と侮蔑し、人々は「何が愛台湾だ、愛金銭だろう」と怨嗟の声を上げている。
 この事件は、今のところ収まる気配は無く、民進党の将来的展望も、全く先が見えない。
 古来中国では、「雌鶏時告ぐれば、国滅ぶ」と言われているが、将に一雌鶏である呉夫人のスキャンダルに因って、陳氏も民進党も滅んだ、と言うのは言い過ぎであろうか。
 「権力は人を腐敗させる」とは、将に古今の至言である。この言葉、上は大統領から下は最小組織の長に至るまで、全てに当てはまる。
 今、この事件を目の当たりにし、一小組織の長である己の立場を鑑み、改めてかみ締めている。「権力は持たざるに如くは無く、地位は止まらざるに如くは無し」である。以って他山の石とすべきであろう。

涙雨 2008年 8月16日(土)

 前陳総統スキャンダルに揺れる台湾でも、オリンピックの野球となれば話は違う。
 昨日は、台湾対中国戦が行われた。一般的には、誰が見ても台湾勝利のはずであったが、有ろうことか、延長12回の裏に、七対三で勝っていたにも関わらず、五点も取られて七対八で逆転負けをしたのである。
 台湾の人々の落胆たるやすさまじい。丁度そのとき、台北は豪雨であったが、その豪雨に打たれながら野外テレビで応援していた人々の落胆は、言葉に表しがたい。
 涙雨ならぬ涙豪雨と共に、台湾野球のメダルも流されたみたいである。

温暖化 2008年 8月17日(日)

 温暖化の現象は、台湾でも起きている。
 日本では、各地で集中豪雨が続き、まるで台湾のスコールの様であるが、台湾も同じである。
 確かに台湾は夏になると毎日スコールが来た。しかもバケツをひっくり返した様な、大粒で雨足の強いスコールであるが、せいぜい30分程度であった。
 しかし、今年のスコールは違う、先ず時間が長時間である。大概一時間近く、長いと数時間に及ぶ。しかも雨の強さは半端ではない。昔はバケツをひっくり返したと言っていたが、今は盥かバスタブをひっくり返した様な強さである。
 また、台北市内で天狗熱が発生した。今までは、時たま高雄や台南、つまり南回帰線以南でしか発生していなかったが、今回は北部の台北である。
 スコールの質にしろ、天狗熱にしろ、本来もっと南であったものが、確実に北上している。これは、地球温暖化に依拠するものであろう。日本での局地的豪雨も、恐らくその一環ではないだろうか。

改名、政争の具 2008年 8月18日(月)

 またまた改名である。これは政争の具としか言い様が無い。あきれたを通り越して馬鹿馬鹿しい。
 二年前に正名運動の一環として、「中華郵政」から「台湾郵政」に、「中正記念堂」から「民主記念館」に改名されたが、今般馬総統の出現に伴い、またまた改名である。
 「台湾郵政」は、100万元程の費用をかけて既に「中華郵政」に変えられたが、今度は「民主記念館」が、再び「中正記念堂」に改名される。当然記念堂前の広場も、「自由広場」から「中正広場」に変わるであろう。
 民進党政権の時は、「台湾」を前面に出しての改名で、国民党政権の時は、「中華」を前面に出しての改名である。
 これでは、改名であれ正名であれ、所詮政争の具にしか過ぎない。そのたびごとに国民の血税が使われるのであるから、これほど馬鹿馬鹿しいことは無い。
 政治家にとっては、それなりの大義名分が有っての改名であろうが、一般の人々にとっては、「中華郵政」だろうが「台湾郵政」だろうが、たいして影響は無い。
 何故なら、馬総統自身が、「国連再加盟には、国名にこだわらず、現実的な方法を考える」と言っている。
 陳総統時代に、「中華民国」での再加盟にも「台湾」での再加盟にも、決して賛意を示さなかった馬氏である。その馬氏が総統になって、「国連再加盟には、国名にこだわらず」と明言している以上、「中華」だろうが「台湾」だろうが、問題ないはずである。
 国際社会における国際的機構への参加に当たり、自国の国名にこだわらない、と言う以上、国内に在って如何なる名称を用いようが、一切問題無いはずである。
 にも関わらず、血税を使っての改名である。もっと他に血税の使い道は有るはずである。

熱烈愛国応援 2008年 8月18日(月)

 北京オリンピックに於ける、中国人民の熱烈愛国応援が問題になっている。
 その応援があまりにも騒がしいために、テニスの試合では、主審が何回も「静粛」「坐下」と発言し、とうとう自国の女性テニス選手李女子が、観客席に向かって「静かに」と怒鳴ってしまった。 またトラック競技の百メートルでは、スタートの号砲が聞こえないとの苦情が、多くの選手から寄せられたが、これもとうとう自国の選手がスタート出来ない状況に至っている。
 更に、テレビ画面で一見奇異な印象を受けたのが、アメリカ女子バレーボールが中国に勝ち、喜びに沸く選手たちとは対照的に静かに下を見ていた監督の郎平である。
 案の定、この試合後ネット上には、郎平を非難する意見が多く寄せられた。彼女がアメリカの監督になったのは、「金のためか」「名誉のためか」「生活のためか」等等である。
 中国に勝ちさえしなければ、何も問題無かったであろうが、アメリカは中国を破った。郎平としては、金メダルを取るべくアメリカチームを鍛え上げ統率してきた監督である。当然中国に勝つことも想定の内である。
 とすれば、その時の己に向けられる国内批判も想定の内であったろうか、それが、あの奇妙な選手たちと監督のコントラストな、喜びの表現の差異となって現れたのであろうか。
 いずれにしても、熱烈応援も愛国応援も、時と場合に因っては、迷惑この上ない事態を招き起しかねないのである。

泥沼 2008年 8月19日(火)  

 前総統陳氏のマネーロンダリング問題は、泥沼状態である。マスコミの取材も、聊かやりすぎの感なきにしもあらずである。
 マスコミの矛先は、陳氏の息子の嫁の実家にまで向き、孫を抱えている岳母にまで押しかけ、マスコミにもみくちゃにされて孫が泣き出すと言う騒ぎで、更には、総統夫人呉氏の兄夫婦も検察に呼ばれてマスコミが押しかけ、兄の妻が検察の粗暴な対応に耐えかねて、検察の便所で睡眠薬の服毒自殺を図り、病院に搬送されると言う騒ぎが起きている。
 また、陳氏の娘はマスコミの追っかけに怒りを発し、額に青筋を立て涙声と共に、「父親からは何も言うなと言われているが、私はもう我慢が出来ない。選挙の時はみんなお金がかかる、国民党でも同じで、国民党の人々も海外の銀行に口座を持っている、民進党も選挙の時は、謝氏も蘇氏も、高雄の陳菊氏も、皆な陳氏から援助を受けている、これは国民党が仕掛けた政治闘争で、陳家を滅ぼそうとしている」と、早口で爆弾発言をまくし立てた。
 これに対し、謝氏も蘇氏も「陳氏からの直接援助は無い」と歯切れが悪い答えであるが、高雄市長の陳菊氏は、「私は民進党の候補者として市長選挙を戦い、党中央からの援助も有れば、党主席であった陳氏からの援助も有る。これはあたりまえのことだ」と認めている。
 更に複数の民進党立法委員は、「選挙の時は、同志は互いに助け合えば、陳氏の娘が言っていることは、その通りだ」と、大筋で認める発言をしている。
 これは当然のことで、実際の選挙で民進党候補者に対し、民進党主席で現総統の陳氏から、選挙資金の援助が行われるのは自明の理であり、陳菊氏の発言は正直であり、謝氏や蘇氏の言は、何処か空々しい。
 問題は、陳菊氏も言っている通り、「選挙の時、陳氏の金銭的援助が候補者に流れるのは問題ではなく、問題はその資金が海外口座にあることだ」との如く、マネーロンダリング自体が問題なのである。
 一方、国民党は対岸の火事としてだんまりを決め込み、馬総統も「司法の判断を尊重する」とだけ言い、一切論評を避けている。
 国民党からすれば、この大騒動は陳氏個人の問題に帰着させるのが一番得策で、選挙資金問題にしろ、マネーロンダリング問題にしろ、海外口座にしろ、国民党にしろ馬総統にしろ、全く無縁と言うことは有り得ない。特に海外資産に関しては、八年前にそれを批判したのが陳氏であった。この問題が単に陳氏の行為から、事の本質つまり選挙資金問題や海外口座問題そのものに飛び火しては、それこそたまったものではない。
 政治的には敵失は敵失として眺めていれば好いのであって、余分なことを言って藪から蛇など出したら大損である。
 因って、馬英九総統も、呉伯雄主席も、王金平立法院議長も、全く直接的論評を行っていない。唯一騒いで大いに吼えているのが、昔からマッチポンプ的発言を繰り返す国民党立法委員の邱氏である。
 今、逆に大揺れに揺れ大騒ぎをしているのは民進党の方である。昔からの熱烈な支持者に至っては極めて過激で、陳氏と同じ名前を嫌って改名を行ったり、陳氏の出身高校である台南一中では、校友会からの陳氏の除名を発表しようとしている。
 何か、「可愛さ余って憎さ百倍」の感を抱かせる、民進党関係者の陳氏叩きであり陳氏離れであり、それを何処か煽っているようなマスコミの行為を見ると、陳氏の娘の涙声の抗議も分からなくは無い。
 しかし、この現象は、陳氏に対する期待と信頼が大きかったことの裏返しでもある。その信頼が裏切られたと思った人々が、より過激な行為に走っているのである。
 何はともあれ、台湾の政治は、好きも嫌いも左も右も、パホーマンスと揺れが激しいように思える。将にぐちゃぐちゃの泥沼状態である。

駐日代表 2008年 8月20日(水)  

 台湾の駐日代表に馮寄台氏が内定した。
 馮氏は、元駐ドミニカ大使であり、馬総統の外交を担う幕僚の一人でもあり、彼が駐日代表に内定したことは、馬総統の対日外交の重視の現われでもある。
 馮氏は、職業的外交官であった父親の転任に伴い、日本で小学校を卒業し、ドミニカで中学を卒業し、アメリカで大学を卒業した後に、父親同様に職業的外交官になった人物である。
 当然彼は、日本語、スペイン語、英語を流暢に操れる人であり、日本で小学から中学の五年間を過ごしており、所謂知日的外交官であると言えよう。
 今後北京オリンピックの縛りが無くなった両岸関係の中で、日台関係がどの様な展開を示すのか、対中、対日、対米が複雑に絡み合う中で、彼の手腕に期待が寄せられる。

ガセネタ 2008年 8月20日(水)  

 台湾のマスコミ報道は、何処と無くやり過ぎの感じが強く、時として見ていて「もういい加減にしてくれ」と思うことが多々あるが、ガセネタに飛びつくのも早く、報道機関としての信頼度が聊か低い。
 先般台湾のマスコミが、「孔子も漢字も韓国が発祥の地であり、韓国は孔子祭と漢字を国際遺産に登録しようとしており、中国の文化を流用しようとしている」と、馬鹿な報道をした。
 これに早速噛み付いたのが韓国のマスコミで、「この様な捏造した嘘を報道して、韓国人を馬鹿にするにも程が有る」と、台湾のマスコミを非難したのである。
 これに対し台湾マスコミは、「最初に報道したのは、韓国の朝鮮日報であり、我々はその報道から引用したに過ぎない」と反論し、名指しされた朝鮮日報は、「そのような事実は無い」と否定し、一体どうなっているのか、一種の文化戦争になりかけていた。
 所が、この報道の元は、中国大陸のネット上に載せられたネタであり、そのネタが全くの作り話のガセネタであったが、台湾のマスコミが調査をして裏を取ること無く、そのまま報道したのである。
 中国大陸のネット上のガセネタが、熱烈愛国に基づく捏造なのか、それとも単なる悪ふざけなのか、そこの所は不明で、元が有る様な無い様な五里霧中の状態である。
 問題は、それに台湾マスコミが飛びついた点で、流石に政府も「マスコミ報道はもっと慎重にしてもらわないと、政府の外交にも影響する」と、苦言を呈しているが、どうも「行け行けどんどん」の報道スタイルは、一朝一夕には改まりそうに無い 。


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