《臺北零話》

《2006年・5月》

授業 5月 1日(月)

 今日から授業であります。先生は品のよい老婦人ですが、曜日ごとに変わるようです。 学生は、インドネシアのおっちゃんがいなくなって、代わりにドイツの青年が現れましたが、彼は本日一日の授業で脱落し、実際は、音楽好きのチベットの小和尚(10代です)と小生の二人です。
 二人とも中国語の発音がいい加減で下手で、先生が「ちゃんと予習をしてくるように」と、お叱りの言葉を述べられました。

学生証 5月 2日(火)

 本日学生証をもらいました。学籍番号36531です。学生証なんて30年ぶりです。

予習 5月 4日(木)

 予習に追われる生活がこんなに大変とは、改めて学生の苦労が分かりました。 ひたすら予習、予習の毎日、16ページを三日で進む速さで、しかも学生は3人です。 二人は聞けて話せる、小生のみ聞いて分からないので、何と早いことか、こんな真面目な生活は30年ぶりでありまする。
 真面目でも60前の頭脳はすぐに忘れて、同じことの予習復習に追われる日々でありまする。

居直り 5月 8日(月)

 居直りもまた楽しい。一週間予習に追われっぱなしで、色々考えたあげく居直った。 「馬鹿やろう、分からなくて、聞き取れなくて、話せなくて、何が悪い。出来ないから台湾まで来て習っているのだ」と居直ったら、結構授業も面白い。数々の修羅場を潜り抜けた「おやじパワーの居直り」を見せてやるぜい。

台湾語 5月 12日(金)

 五月以後、通学途中や帰り道で、二日に一度は必ず誰かに声をかけられる。それも台湾語である。全く聞き取れないが、出てくる固有名詞から道を尋ねていることだけは分かる。どうも小生の服装(汚い)や風体が、現地人と勘違いさせるみたいである。そこで、この毎回の面倒を避ける為に、必死で一つだけ台湾語を暗記した。
 それは、「パイセー、ワシジップンラン、テイアボー、シレイア」と言うものである。これは「申し訳有りません、私は日本人なので聞き取れません、すみません」と言う言葉である。道端で台湾語で声をかけられたら、即この一言を言うことにしている。

加油 5月17日(水)

 疲れて風邪を引いた。六月からもう少しやさしいクラスに移るべく(予習に追われるのはいやだ)換班を申し出たところ、事務員もクラスメイトも「おじさん加油、加油」という。 「加油」は言うのは簡単だが、するのは大変なんだぞ。
 クラスメイトが「加油」という理由は簡単である。小生が抜けると2人になり、授業料が高くなるからである。因って彼らは、六月も3人を維持したいのである。かれらの気持ちもよくわかる、されど小生はいささかつらい。彼らは、華僑だから読めなくても自由に話せて聞き分けられるのである。されど小生は逆で、読み、書けるが、聞き分けられず且つ話せない、どうすんべ。三思三思 。

ホスト 5月22日(月)

 こちらでもホストクラブがはやっていて、ホストに貢いだ女性が自殺したりと、かなりにぎやかです。所で、ホストを辞書で引くと「東道」と出て、所謂ゲスト、ホストのホストで、今のホストクラブのホストではありません。ではホストとは、辞書に無い言葉ですが「牛郎」と言います。これを辞書で引くと、織姫、牽牛の牽牛だと説明してありますが、現代社会風俗用語では、「牛郎」は「ホスト」です。先日某ホストと話しました。やはり新宿のホストの方が上ですね。

歴史の授業 5月23日(火)

 昨日の授業は中国歴史であった。小生には勝手知ったることなれば、ふんふんと聴いていた。所が突然先生が「中林は歴史の教員なのだから中国語で説明してみろ」とおっしゃる。話は知っていてもそんなことが言える中国語のレベルではない。恐る恐る「何処をすればよいのですか」と聴いたら、「誰でも知っているここがよい」と示されたのは、何あろう三国志の「泣いて馬しょくを斬る」の話である。しめしめと思い「明白、明白」といって、かなりいい加減な中国語で説明した。
 これが大いなる失敗でありました。 六月から易しいクラスへの換班を申し出ていたのですが、昨日の歴史説明が影響して、本日不許可となりました。 老師のお言葉「中林、六月也在この班加油、好ま」小生は答応「遵命」はあー。またしんどい毎日だよー。

端午の節句 5月25日(木)

 来週の水曜日は授業が有りません。なぜかと言えば、端午の節句だからです。台湾では、節句関係は、今でも農暦つまり旧暦で行っており、今年は5月31日が端午の節句(旧暦5月5日)です。 つまり、節句関係の祝日が一定しておらず、毎年異なる日が祝日となります。これが好いのか悪いのか、小生には分かりませんが、とにかく授業が休みなのは、大変嬉しい。

小麦色の娘っこ 5月26日(金)

 五月のクラスメートの13歳の女の子も小和尚も換班して、六月は小生一人か、いやだなあと思っていたら新しいクラスメートが登場致しました。15歳の女の子で、母が台湾人、父がアメリカ人でハワイ生まれのバリ島育ちと言う娘っこです。
 この子は実に可愛い、南国の少女という感じですが、小麦色のぴちぴちお肌に、くりくりとした眼、そして長い黒髪、その上アメリカ人の父親の血を引いたのか、15歳とは思えないナイスボデイー、その娘っこが、今流行の臍だしルックでなおロウーウエストの超超ミニスカートで現れるのであります。
 はちきれんばかりの若さを振りまきながら、臍は言うまでもなく、何の谷間も、何の割れ目も、殆ど丸出し状態で現れます。アイよー、アイやー、目のやり場に困ります。職員も先生方もあきれてみていますが、その子が毎朝ナイスボデイーを揺らしながら小生の所に近寄って、「ハアーい、アンクル」といいます。思わず小生「ハアーい、ベイビー」と答えてしまいました。

ふ(馬+付)馬 5月27日(土)

 この一ヶ月喧しいニュースは「ふ馬」に就いてである。「ふ馬」とは本来「ふ馬都尉」のことで、天子の娘つまり公主を嫁にもらった男が就けて貰う地位のことである。こんな言葉は古典世界だけで、いまや死語かと思いきや、やたらにテレビニュースに登場する。
 つまり、現在の台湾総統陳水篇の娘の亭主のことである。このふ馬さんが不正をしたと大騒ぎなのである。このふ馬さんは医者であるが、何か株をやって、権力を利用して証券市場で不正をやらかしたみたいである。それが追求されだして、夫婦で日本やあちこちに旅行と称して国外に出まくっているらしい。 飛行機の中で、夫婦互いが平手で殴りあったとか、いやはやかまびすしい、問題は、この追及が、岳父、岳母である現総統の陳氏とその妻である呉氏に及ぶ可能性があるから、余計国民党の追及が厳しく、マスコミも大騒ぎをしているみたいである。
 因って、連日テレビ画面には「ふ馬」の文字が大きく躍っている。 小生は、このニュースを見ながら、「えらい人の娘を嫁にもらうと、男は大変だ」とつくづく感じている。「たかがふ馬、されどふ馬」である。

古書事情 5月27日(土)

 台北の古書事情は、昨年の北京ほどではないが、やはり物が少なく値段も高い。 著名な古書店「百城書店」も、あまり古書が無く、有っても民国時代のものが大半である。また、殆ど人が古書に興味を示さず、百城も閑古鳥が鳴いている状態である。
 本日光華の骨董市場をぶらついていたら、民国時代の古書が地面にどんと投げ出してある。 足を止める人とてなく、小生が色々ひっくり返して漁っていたら、清朝の版本が出てきた。 道光30年の「重刊小学集解」である。取り立てて珍しい版本ではないが、一応刷りがきれいなので、買うことにした。 親父に「いくらだ」と聞くと、「どの本だ」と言う。「これだ」と見せると、「これは古い古書だから4500元だ」と言う。何をほざくか、そんな高いわけがないだろう、馬鹿やろう、と思い、「1500元でどうだ」と言ったら、「不売」と言ってしまってしまった。 そこで「1800元だ」といったら、「馬鹿(これは聞き取れた)、本屋だと最低5000元だ」とほざきやがる。そこで「ここと、ここと、ここが、敗れているぞ、2000元だ」といったら、何かめちゃくちゃに小生を罵っている(聞き取れないが、罵っていることは分かる)。
 これは無理だと思い、「不要」といって立ち去ろうとしたら、「好了、好了」といって、小生の前に投げ出した。そこで、2000元渡して、さっさと帰ってきたのである。 2000元は約8000円、やっぱりいささか高い、日本では6000円前後であろうと思われる。
 ちなみに版式は、四周双辺9行20字双注で、版心は、白口上黒魚尾である。

草山 5月28日(日)

 本日は、毎日の勉強疲れを消すために、草山の裏側の中腹にある「竹子湖地区」に行きました。小雨の中、墨絵暈かしの田園風景を二時間ほど眺めていました。
 まるで、小生の田舎の風景のようでした。田畑といい、草木といい、小川のせせらぎといい、一瞬田舎に帰ったような錯覚に陥りました。台北から僅か三十分ほどの所に、この様な場所が有るのです。台北とは大違いです。 退職したら、ここら辺りで晴耕雨読の生活も悪くはない、とつくづく思いました。
 と同時に、やっぱり己は田舎の貧乏百姓神主のせがれだなあ、と改めて強く感じました。 例え四十年以上東京で暮らしていても、本質はやっぱり田舎の百姓の子せがれなのです。

風俗用語 5月28日(日)

 新しい社会風俗用語をまたひとつ覚えました。これは辞書に出ていません。 「牡丹花下死」もしくは「牡丹下死」です。さあ皆でお考え下さい。 こういう言葉は絶対学校では教えてくれません、夜の西門町で学びました。
 尚、風俗用語ではないが、若者の間で使われているのが、「正點」と「馬子」である。 「正點」とは、「最高」と言う意味で、「あの子は最高だよ」とか「あれは最高に面白い」等と言う時に、この「正點」を使います。亦「馬子」は「彼」のことで、「貴方の彼が来たよ」と言う時、「ニー的馬子来了」と言います。

御用 5月31日(水)

 最近テレビで「御用」と言う言葉をよく見かける。これは日本の「御用商人、御用学者」などの「御用」であり、天子や将軍の御用達を勤める商人や学者のことであり、どちらかと言えば古典であり日本語だと思っていたら、こちらのテレビに登場する。
 辞書を引くと「天子の手足となって働く人」とあり、日本での使用例と同じであり、やはり古典語であるが、これが今でも使われている。 テレビに「阿篇御用律師参戦選挙」とある。つまり陳総統の顧問弁護士が選挙に出るということである。この顧問弁護士を「御用律師」と称するのである。
 前回の「ふ馬」にしろ、今回の「御用」にしろ、結構古典語が日常で使われている。


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