《臺北零話》

《2006年・6月》

「玉」と優越感 6月 3日(土)

 今日は「玉」を見に光華を散策しました。「玉」の谷間に過日見た清朝末の石印の小説が、まだ売れないで残っていました。 過日親父と交渉して800元まで下げてくれたのですが、必要ない駄本であったため買いませんでした。
 やっぱり売れないな、と思って見ていたら、台北の大学生と思しき二人連れが、その古本を見つけて何か言い合っています。 幾らで買うのか、本場の大学生の値切りはどのくらいか、好奇心が出で、少し離れて黙って見ていました。親父は」清朝の古本だから1500元以下はだめだ」と言い張っています。小生心の中で「頑張れ、大学生、清朝末の石印だ、駄本だと言い張れ、頑張れ」と思っていましたが、この根性なしの地元の大学生は、親父に言いくるめられて1300元で買って行きました。
 馬鹿野郎、お前たちは台湾語の達者な地元の大学生だろう、外人の俺が800元まで、下げたのに、1300元とは何事だ、と思いましたが、事、本の値切りに関しては、地元の大学生に勝ったぞ、とちょっぴり優越感に浸りました。
 しかし、「玉」は本当に溢れ返っていますが、実際さっぱり分かりません。 「玉」は本当に難しいです。「玉」は買わぬに如くは無し、であります。

貝葉経 6月 3日(土)

 過日光華を散策していて「貝葉経」を見つけた。平日故に面白いものが無く、帰ろうとしたとき、一見してチベット人と分かる(顔立ち)おばさんが古い仏具を売っており、何か布で包んだものが有る。 「これは何だ」と聴いたところ、見せてくれたのが「貝葉経」である。
 200枚近くある大きいのが15000元で、100枚前後の小さいのが8000元だという。しかも木片の離れではなく、上下を朱塗りの板で挟んだ(所謂挟板である)一巻そろいである。 中を見たところ、確かに薄い木片の裏表に小さい文字が書かれている(これは、書いてあるのか、薄く彫ってあるのかよく分からないが)。木片の前後の両側面は金色に塗られており、捲る時手の当たる部分は、金色が落ちて黒く変色している。
 「貝葉経」は書籍の形態を語る上で、避けて通れないものであり、授業用サンプルとしてはぜひほしい。しかもおそらく民国時期あたりの品であろう。 問題は値段で、日本国内(過去見たものでは、清朝中期辺りのの品が30万前後、後期でも10万以上はしている)で買うより遥かに安いが、それでも今の小生には高い。
 サンプルであれば、100枚前後の一巻で十分である、8000元という。 交渉開始で「4000元」と言うが、相手にもされない。「これは100年以上前の経典だ、しかも貝葉経である。更に一巻まるまるだ、7200元までしかまけられない、チベットから出るとき持ってきたのだ」と言い張られる。
 残念ながら、今回は中身が読めない(純粋なチベット語とも若干異なるみたいである)、因って「ここが抜けてる云々」などの値切りは一切出来ない。ひたすらお願いと哀願の一手しかない。ポケットから金を取り出し、「これしか金が無い、明日はもう南部に帰る、お願いだから売ってくれ、おばちゃん頼むよ、お願い、お願い、拝託、拝託、拝託、」の連呼をすること2時間あまり、とうとうおばちゃんが根負けして売ってくれた。 小生の握り締めている札を数えながら、1000元札一枚だけ残して5000元で売ってくれた。
 5000元は約20000円弱である、確かに物の相場としては安いが、こちらでの買い物としては妥当な値段であるのか否か、何か若干高いなあという気持ちもどこかにある。
 でもまあ、本物の「買葉経」のサンプルである。授業のとき学生に実物が見せてやれることを思えば、好しといたしましょう。本音を言えば、来台以来最高の高値の買い物でした。清水の舞台から飛び降りる気持ちで買ったのは、事実であります。

汚い「白玉」 6月 4日(日)

 「玉」を見学していると、あまりの多さに目がくらくらする。中国人の「玉」に対する愛着心は、ちょっと日本人には想像できないレベルである。 小生は全く「玉」に関する見識も知識も眼力も無いが、何か一つはほしいと思い、色々漁って見た。
 こちらの人々はルーペを出して見ながら「玉質」の良し悪しを売り手と喧々諤々と遣り合っている。小生ごときの中国語が通用する世界ではない。そ知らぬ顔で彼らのやり取りに聞き耳を立てているだけである。 また、耳に飛び込んでくる値段も半端ではない、小さいもので数千元、ちょっと大振りで数万元、大物になると数十万元である、くわばらくわばら、買わぬに如くは無しである。
 今日は眼福眼福、それだけと思っていたら、それまで机に色々並べていたおやじが、それを全部一斉にダンボール箱に入れる、今日は店じまいかと思ったら、何かマジックで書いている。 「明天結束、今天大売、一個千元、別価銭」と書いている、これは分かる「明日店じまい、本日大売出し、どれでも一個千元、値引き交渉無し」である。
 これなら言葉を交わす必要は無い、と思ったとたんに悪い虫が動き出し、せっせと玉の集まりをかき回している。 数ある中から一応清末ぐらいと思われる「白玉佩」を見つけ出し、1000元で買いました。
 しかし。汚い、「白玉」とは思えないほど汚れている、帰ってからせっせとお湯で洗ったが、やっぱり汚い、何となく「白玉」であることは分かるが、汚い。しかし、篆文で「青山横北郭、白水巡東城」と彫ってあるから、一応良しとした。
 次の日、店の女の子たちに見せたら、さんざん馬鹿にされた「こんな汚い玉に千元なんて」と。小生「汚くても、一応古いぞ」と、女の子「古い新しいは関係ないわよ、玉は綺麗か汚いかよ、こんな汚いの、中林は馬鹿だよ」と。 どうも事「玉」に関しては、小生の考えは通用しないみたいで、「時代性」よりもとにかく「質」の良し悪しこそが重要みたいである。

帰属意識 6月 6日(火)

 今、小生の学校は幼稚園か小学校のような騒がしさである。改めて中国人の帰属意識を痛感し、「華僑」なる言葉をかみ締めている。 海外の学校が休みに入ったため、一斉に華僑に子弟が帰国し、この学校で中国語を習っている。
 日本人ならば、母国語を忘れないためと言っても、せいぜい現地の日本人学校に通わせるのが一般的で、わざわざ帰国して日本語学校に通わせるということは、あまり無いように思うが、中国人は違うみたいである。 母親や祖父母に伴われた子供たちが、わんさと押しかけてならっている。
 休み時間に飛び交うのは英語とフランス語とちょぼちょぼの日本語と韓国語である。 子供たちの英語とフランス語の言い争いを聞いていると、国際的だと思うと同時に、彼らの母国語に対する執着というべきか、例え外地にいても母国語だけは子々孫々に伝えてゆくのだという意識を強く感じる。
 この違いこそが、外地における華人社会と日本人社会の本質的な相違であろう。故にこそ「華僑」という言葉は聴いても「日僑」という言葉は殆ど聴かないのである。

集中豪雨 6月10日(土)

 ただ今台湾は集中豪雨に見舞われ、中部から南部にかけて大被害です。 道路は陥没、冠水、橋は流される、川は氾濫、鉄道は土石流で流され。列車は脱線、 孤立する村落がちらほら出現し、農産物はほぼ全滅状態であります。 稲は水の中に隠れてしまい、葉物野菜や果物は値段が急騰して、買えません。 かなり酷い災害が発生しています。
 所が一方台北では、国民党と新党が合同で陳総統の下野を求めた、大衆動員デモを敢行し、大いに気勢を上げるという状況です。
 普通、これだけの災害が発生すれば、政治闘争も災害休戦で、被災地復旧を第一とするはずなのですが、これ幸いに、すぐ大衆動員に動くところが、この国の民主化というか民度が、今一だなあ、あるいは道半ばだなあ、と感じさせるところであります。
 実際、台湾の中南部の被害は、甚大であります。 小生の好きな、香瓜も西瓜も全滅状態で、食べれません。悲しいです。

文房四宝 6月10日(土)

 今日は珍しく梅雨の谷間で晴れているので、骨董散策に出かけた。 ため息と眼福の一日でありました。 さすがに文墨の歴史の古い国だけに、その道具立てはすごいの一言であります。 竹彫の筆筒や腕枕、黒檀の書鎮、白玉の硯屏、透き通るような芙蓉石に一点群雲を散らした印、などなど、いやはやすごい、喉から手が出そうになるが、買える代物ではない。
 でもそこが趣味人の悲しさである。買えないと分かっていても、ついつい値段を聞いてしまう。ひえー、聞かない方が良かった、己が惨めになる。 「お金が無いって、寂しくて悲しいことだなー」と、つくづく感じた一日でありました。

烏龍 6月13日(火)

 昨晩サッカーの中継を見ていた。全く「烏龍、烏龍」です。 「日本、烏龍」でありました。
 「烏龍」とは、中国語で「馬鹿なこと、阿呆なこと」の意味で、サッカーの自殺点を「烏龍球」と言います。昨晩は本当に烏龍茶を飲みながら、後半は「烏龍、烏龍」と怒鳴りっぱなしで、疲れました。 いやな疲れ方でした。

老舗 6月16日(金)

 小生が俳諧する西門町の付近に嘗て「紅焼牛肉麺」の大変美味しい老舗の店があった。 嘗てそこで食べた「カレー油豆腐細麺」には感動した。その時、春雨(細麺)もこんな食べ方が出来るのだ、と。濃厚なカレースープの中に漂う太めの春雨、この味は一度食べたら忘れられない。
 昔の記憶を頼りに「老董」なる店を探して食べに行った。確かに同じ場所に同じ名前で存在した。 喜んで注文して食べた、ちょっと待て何か違うぞ、「スープは薄味でさらさら、細麺も若干こしが無い」。店を間違えたかと店内を見回すと、確かにこの店である。
 しかも日本や香港の観光案内雑誌に、老舗の名店として紹介された記事が、これ見よがしに張ってある。ちなみに日本の雑誌には志村けんが登場している。 この味の変わりよう(まずくなった)は何だ。後で聞いたところに因れば、老板が変わったそうで、地元の人もまずくなったといっている。
 台湾も同じである、日本でもそうだが、「老舗、名店」としてマスコミに取り上げられ、雑誌で紹介などされると、急に味が落ちる店が多々ある。 如何に海外の雑誌で「老舗」として紹介されても、老板が変わって味が落ちたら、どうしようもない。
 誠に残念ではあるが、「老舗」も「観光客相手の店」に変わっていた。 また一つ、小生の好みの味が台北から消えた、しょうがないから、次の味を探しに行く。

掻き氷 6月17日(土)

 本日は大変暑く、今年最初の掻き氷を食べました。 私が「紅豆ぱお氷」と言ったら、老板が「好、紅豆雪花氷」と言うので、私が「ぱお氷、ぱお氷」と言ったら、老板が「明白、明白」といって、小豆の掻き氷が出てきました。
 確かに掻き氷だけど、これは「ぱお氷」ではなく「雪花氷」でした。 氷が本当に「粉雪」のように細かい、スノーパウダーに小豆をまぶした感覚です。 私はもっと氷のごつごつした冷たい掻き氷が、今流行の「フラッペ」なんぞではなく、「掻き氷」、鼻がつーんとするほど冷たい、昔ながらの掻き氷が食べたかったのです。 しかし今や、台北の食べ物も小洒落てしまい、全てが若者風というか、現代風というか、何かとても悲しいです。
 一寸センチメンタルジャーニーな気分で、老板に「昔風の氷の粒の粗いぱお氷は、無いのか」と尋ねたら、「田舎のほうに行けばまだ有るぞ、今台北はこれが流行りだ」と言われました。
 やはり小生は老人です、西門町を闊歩する、垂れ下がりズボンのあんちゃんや、臍出しルックのねえちゃん達の、若い男女が生まれる前の、戒厳令下の台湾を、警察につかまりながら身をもって体験した人間ですから。
 若い男女も悪くはないが、やはり西門町は、金波銀波の中をイナセナ大姐や小妹、肩で風切る大兄や小弟たちに、闊歩してほしいと思うのは、小生だけでしょうか。「馬鹿野郎、ここは西門町じゃーい」という台詞を聞かなくなって、早や30年が過ぎました

口直し掻き氷 6月17日(土)

 気分が悪いから、意地になって昔ながらの掻き氷屋を探した。 己の記憶を頼りに探したら、やはり西門町にありました。 昔の場所にそのまま「楊記 掻き氷店」が、ここだ、ここだ、口直しに本日二杯目の「金時掻き氷」、いやー美味いね、昔の味そのままです。
 「楊記 掻き氷店」、「楊記 掻き氷店」、あまりの懐かしさに、続いて「芋掻き氷」も食べた。 駆けつけ三杯とはよく言うが、口直しとはいえ、今日は「掻き氷」三杯、明日下痢していなければ良いが。

時代の谷間 6月18日(日)

 今日は、青田街をぶらついた。 現在青田街には高級マンションが立ち並び、台北市内の高級住宅地的様相を呈しているが、そのビルの谷間に、時代に取り残された空間が、飛び石の如く点在している。 瓦葺で平屋の旧日本家屋である。大半が朽ち果てているが、まだ使用されているものも有る。敷地としては、かなり広く、南国の木々がうっそうと生い茂る中に、ひっそりと旧日本家屋が立っている。
 まるで、ビルの谷間のオアシスの様といえば格好いいが、実際は時代に取り残された旧屋である。 この旧日本家屋も再開発の波の中で、今年で姿を消し来年には、綺麗な高級マンションが立ち並ぶであろう。 今までは、政府官僚か公務員の宿舎に使用されていたみたいである。大半の旧家屋が、台湾師範大学の地産であれば、師範大学の宿舎に使用されていたと思われる。尚、この場所から五分程の所に、師範大学は存在する。
 この様に、旧日本時代の遺物は、一つまた一つと、姿を消して行くのであるが、これに反して、日本語は逆に結構中国語の中に紛れ込んできている。別の言い方をすれば、中国語が乱れてきている、と言えよう。 例えば、「運ちゃん」は「運将」、「一番」は「一級棒」、「コロッケ」は「口楽餅」、「プール」は「布魯(本来は遊泳池と言っていた)」など等である。

ラーメイ 6月22日(木)

 今日、老人が小声で若い娘を指差して「ラー(ラー油のラーの字)メイ(妹)」といっているのを聞いた。 「ラーメイ」とは一体何だろうと思い、字を調べたところ「からい(辛+束)妹」と書くそうである。 字から判断して「性悪小娘」のことかと思ったが、色々聞いてみたところ、どうも元は日本で流行った「顔黒、目白」の化粧をした所謂「山姥」メイクの女の子たちのことらしい。それが台湾にも飛び火して、日本ほどではないが、高校生ほどの年齢で、派手な化粧をして、派手な服装の子供たちを「ラーメイ」と呼ぶらしい。
 しかし、小生は個人的には「性悪小娘」の意味の方が良いように思う。 因って、これから「性悪小娘」を「ラーメイ」と呼ぶことにした。 ちなみに、小生の周りは「ラーメイ」だらけであり、毎日いじめられている。
 尚、行け行けのバリバリヤングママの事は、「ラーマー」と言い、マッチョな若い男性の事は、「猛男」と言う。

骨董事情 6月23日(金)

 台北の骨董事情は、以前は光華が一大骨董市場であったが、今はコンピュータ関係に変わり、日曜日に露天が立つものの、偽者のオンパレードで買えるような品は何も無い。 近くの「三普骨董市場」は、確かに本物が並べてあるが、目が飛び出る程の値段である。 では、手ごろな値段で本物を、となるとちょっと考えさせられるが、実は「行天宮」の近くに一大骨董地下市場が存在する。
 好き者以外にはあまり知られておらず、ちょっとした穴場である。発掘品から伝世品まで、そこそこのものが結構置いてあり、物によっては安いものも多々ある。 例えば、明の民窯青花瓶が20000円弱(ここから交渉が始まるので、実際は10000円前後であろう)、清末青磁青花瓶が7000円から交渉開始、と言う具合である。 民国時代の「珠山八友」ものも多く置いてあるが、中に当時の写しが混ざっているので、よく目利きをする必要がある。書画もあれば、玉も青銅器も有る。無論、硯も文房四宝も有る。
 因って、興味のある方は、台北にきたらぜひ一度は立ち寄って見られると面白い場所である。
 ちなみに本日は、北宋定窯の「紫定有蓋碗」の本物を眺め、値段を聞いたら「70000元」、もっともな値段だと、変な感心をして帰ってきた。何ゆえ感心したかと言えば、例え値引き交渉をしても、所詮小生に買える代物ではないからである。

占い 6月24日(土)

 「当たるも八卦、当たらぬも八卦」とは、よく言うが、骨董市場帰りにぶらついていたら、突然「占い師」から声を掛けられた、「良い顔相をしている、ちゃんと看て上げましょう」と、よっぽど小生が「かも」に見えたのであろう。 好奇心が沸き、面白そうだから、看てもらった。80歳前後の長い髭を蓄えた、いかにもと言う風采の老占い師に、言われるまま、生年月日と時間だけを伝えた。
 《大占い師様の御宣託》
 1、経済状況は若いときから順調で、大金は入らないが、必要な金には困らない。  これは、半分当たり、半分当たっていない、なぜなら、骨董を買う金が無くて困っているのだから。
 2、職業は、頭を使う専門職が宜しい。  これは、当たっている。
 3、夫婦中は、順調で今後も問題なし。  これは、まあ当たっていると致しましょう。
 4、女性関係は、周りに浮気できる相手が相当いるが、理性で止めている。  これは、当たっていない。御宣託通り、もてたいものである。
 5、寿命は、普通の人より長生きする。  これは、当たるも当たらぬも関係なく、信じたい。
 6、晩年は、61歳以後、のんびりと楽しい生活が出来る。  これも、信じたい。
 7、体調は、取り立てて悪くはないが、膀胱が悪いので、トイレは我慢してはいけない。  これは、驚いた。小生は昔から膀胱が悪く、膀胱結石などを数回繰り返し、今では二時間おきぐらいにトイレに行く。こんなことが、占いに出るのか、膀胱なんて。
 8、運気の方角と色は、東で木であり、緑色の組み合わせが最高である、その次は、北で水であり、黒色か青色である。これも、驚いた。小生はただ今「大東文化大学」の禄を食み、まさに「東」があり、しかも大東のシンボルカラーは「緑」であり、「東」と「緑」の組み合わせである。
 御宣託通りであれば、今小生は、一番幸せな組み合わせの中にいることになるのだが・・・・ まあ、これが占いというものでしょう。 「当たるも八卦、当たらぬも八卦」「信じる者は救われる」でありましょう。面白い一時でした。

禁断の陶磁器 6月24日(土)

 陶磁器だけは、もう絶対買わないと心に硬く決めて訪台したはずだったが、 昨日行天宮で北宋定窯「紫定」なぞ見たのが間違いである。 昨晩は夢に見て、寝覚めが悪く、かといって買える代物でもなく、 「贋物でも冷やかして気晴らしするか」と光華に出かけた。
 ところが、運が悪いとはこのことである。 この二ヶ月間、一つとして本物を見なかったのに、 今日に限り、なぜだか清朝の本物が有るではないか。 道光時代の民窯青花「山水人物文水注」である。 普通の水注ではなく、多量に墨を擦る時の多量に水を入れる大型水注である。
 もういけません、勝手に口が老板に「多少銭」と聞いている。 老板曰く「3500元」と。 小生頭の中で直ぐに計算し、日本円で15000円前後である。 安い、日本では30000円代の品で、中国でもそれくらいはしていた。
 でも、心を鬼にして「これは2500元ラインの攻防だ」と、研究室価格を決め、 小生曰く「2000」と。老板曰く「老東西、旧東西、2800」と。 小生曰く「2200」と。老板曰く「ニー喜歓マ」と。 小生曰く「喜歓」と。老板曰く、「好、2600、以下不売」と。 小生曰く「2300」と。 突然老板が、小生の手から瓶を取り返し、奥の方に並べて 「不売、不売、清朝的東西、好的東西、不売、ニー走パ」と言う。 下手な中国語を長々としゃべったら、日本人であることがばればれで、 とてもこれ以上は安く出来ない。かといって2600ではダメである。
 ここが最後の一言と根性を決め、 小生曰く「当然知道了、差不多、清朝道光時代民窯青花水注」と。 老板は黙って小生を見ている。こりゃあダメだと思った瞬間、 老板は水注を紙に包み袋に入れ、小生に渡して曰く、 「好、随便、随便、ニーリーハイナ、2400、好」と。 2400元は日本円8000円程です。
 この勝負「勝った」と。 おれの勝ちだと思いはしたが、結局はうまく乘せられただけであろう。 でも気分だけは、ちょっと勝ち誇った気持ちである。 因って、己の決心も空しく破れはて、とうとう禁断の陶磁器を、遂に買ってしまったのである。

紫定 6月26日(月)

 先般某所で「紫定」を見て以来、この数日間「紫定」の夢にうなされっぱなしである。こう毎日「紫定」の夢ばかり見ては、健康によろしくない。 そこでつらつら考えた。あの「紫定」は、当研究室に鎮座して授業で学生に見せてこそ、より価値を増すものである、と。
 因って、今後二ヶ月をかけて、如何にあの「紫定」を奪い取るか、色々方法を考えることにした。仕入れ値から逆算して、恐らく15000元(60000円)前後の攻防となろう。 これが成功すれば、この一事をもって今回の訪台は大成功と言えるであろう。
 なぜなら、この「紫定」を入手すると言うことは、 そのやり取りが可能な程、中国語が進歩したと言うことであり、 更に、したたかな中国人商売人との、腹の探り合いや間の取り方、見切りの仕方なども、進歩したと言うことで、 同時に品物も手に入れば、 これを「大成功」と言わずして、一体何を「大成功」といえましょうや。
 さて、先日老板は、初見の小生に初手値を「70000元」と言ったが、 今後二ヶ月間に、これを「15000元」まで落とせるか否か、 手練手管の駆け引きと体力勝負(毎日通う)の持久戦の始まりであります。 自ら己に「加油、加油、日本男児茲に有り」と言い聞かせている。

明星 6月28日(水)

 本日、店でカキ氷を食べていたら、小生の斜め前の椅子に、臍だしスタイルのおねえちゃんが座った。思わず臍を見て、その後顔を見たが、それほど若くはないし、美貌でもない。 小生、「いい年をして派手な格好をしているねえちゃんやなあ」と思い、カキ氷を食べていたら、店の女の子が近づいてきて小声で「中林はあの人を知っているか」と聴く。「知らない」と答えると、「あれは有名な明星だ」と言う。 「明星」とは「スター」である。
 それにしてはたいした美貌ではない、そこらへんにいるねえちゃんとどっこいどっこいである。むしろ店の子たちの方に、もっと可愛い子がいる。 「なんと言う名だ」と聞いたら「丁国琳」だという。「丁国琳」など、とんと聞いたことが無い。「どんな映画に出ているんだ」と聞いたら「テレビのドラマだ」と言う。 「ああ、テレビタレントか」と思った、どうりで知らないはずである。
 「明星」と聞いて、直ぐに「銀幕スター」を思い浮かべる小生は、やはり老人である。台湾で「明星」と言われて、小生が直ぐに思い浮かべるのは、「徐楓」「林青霞」「王祖賢」「林心如」などである。 今や「明星」の氾濫で、ガキタレだろうがジャリタレだろうが、皆な「明星」である。しかし、小生にとっては、やはり「銀幕スター」が「明星」である。
 「何言っているのよ、林青霞なんて三人の子持ちのおばさんよ」と、店の子に馬鹿にされたが、小生が老人である以上、例え、子持ちだろうが、亭主持ちだろうが、おばさんだろうが、「林青霞」はやっぱり「明星」である。

不思議な客筋 6月29日(木)

 台湾に来て三ヶ月近く、毎日店に顔を出していると、大概様子が分かってく。 この店は。実に不思議な人々が集まってくる。一見の客は大概二階に上がる、なぜなら一階は常連で、ほぼ満席である。この常連が実に不可思議な人々である。
 先ず朝は五十代から六十代の老板や老板娘たちである。元肉屋の老板や野菜店の老板娘たち、エトセトラ、エトセトラである。彼らはいちいち注文などしない、しかし、店の子たちは、よく心得たもので、それぞれの好みに合ったものを出すのである。彼らの中には、二十年前、十年前に見かけた顔もあるので、もう二十年来毎日店に来ていることになる。
 もっと不思議なのが、午後二時過ぎからやってきだす超老人連中である。中にはよたよたしながら現れるご老人もいるが、それぞれ暗黙のうちに、席が決まっているみたいである。 彼らは、現役を引退した元老板たちである。 因って、金はいくらでも自由になるし、時間はもてあますぐらい暇である。彼らは奥のほうに陣取って、常に数字をみながら、何かごちょごちょ二時間近く言い合っている。
 この連中は一体なんだろうと、観察した結果、あることが分かった。彼らは所謂「手慰み」をしているのである。よく分からないが一種の数字合わせのような博打で、当たった、外れた、勝ったなどと、老人の「小博打」である。 これが、毎日繰り広げられるのである。
 因って、一見や観光客は大概二階の席で、一階はこれらの常連が占拠する。その彼らの間に、明星やラー妹たちが座っているのである。 これは、見ていて飽きない、実に不可思議で面白い客筋であるが、如何せん常連のため、みなそれぞれ二時間近くの長尻であれば、当然一階の客の回転は、極めて悪くなる。でも。面白い人々である。

台湾に於ける漢字の簡体化、1 6月30日(金)

 今、台湾の教育関係者の間で、密かに駆け巡っている話が、漢字の簡体化の問題である。 どうも、国際会議などで、同じ中国人なのに、文字が違うのは不便だから、大陸と同じ文字にした方がよい、との意見が、一部大学人から出されたのが、発端らしい。
 「2010年以後は、中国同様に台湾も簡体文字です」と、実しやかに言う人もいれば、 「そんなことは、決して有りません。台湾は、変わらず正体文字です」と言う人もいる。
 この論争、果たしてどうなるのか、本当に簡体化されるのか、今後数年は、緑藍抗争以上に、目が離せない論議であろう。 個人的には、正体字が好きである、ぱっと見た瞬間の判断を下すには、正体字の方が早分かりし、「干」も「幹」も「乾」も、同じ「干」では、それを使った単語を知っていないと、直ぐにはどれか判読できない。 因って小生は、この話が単なる風聞で終わることを、望んでいる。

台湾に於ける漢字の簡体化、2 6月30日(金)

 漢字の簡体化について、どうも、この問題は気になるので、色々情報を集めてみた。 何か言い出しは教育部みたいである。教育部といえば、日本の文部科学省である。 現在の政権党が民進党であれば、当然教育部の意向は民進党の意向ということになる。
 実は、この漢字の簡体化に猛反対しているのが国民党である。 何か、本来政争とは無縁であるべきはずの文化教育行政が、政争の具になっているようで、常にいやな気分である。 この問題に関する限り、小生は国民党を応援する。民進党は一体何を考えているのだろうか。
 現在、現実に使用されている言語で(特殊な原住民語は別として)、表意文字は漢字だけで、他は殆ど表音文字である。その唯一の表意文字を中国と同じように簡体化するなど、誠に愚の骨頂であるといえよう。漢字の成り立ちが失われてしまう。現実に、簡体化した中国でも、一見早分かりがすると言うので、禁止されたにもかかわらず、旧漢字が看板などには復活してきている。 大義名分の「中国語圏の国際化」も、理由無しとはしないが、同時に、世界に比類なき文化遺産を、民族として守るという気概を持ってほしいものである。
 かつて、教育部長に孔子の正統嫡孫である孔徳成氏を据えた国家の、教育部が言い出す話とは、到底思えない。 そう思うのは、小生だけであろうか。頑張れ国民党、頑張れ馬九英である。


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