《臺北零話》

《2006年・7月》

台湾に於ける漢字の簡体化、3 7月 1日(土)

 仕事柄、どうしてもこの問題が気になり、色々な人と話してみた所、どうも、表の論議とは別に、バックには「国語力の低下」と言う問題が存在するみたいである。「国語力の低下」であれば、言い出しが教育部というのも、あながち故無しとはいえない。
 例えば、小学三年生で、「我的書(私の本)」と書く所を、「的」が書けず、「的」の部分に「注韻符号」を書き、「我(注韻符号)書」と書くような生徒が、多々現れだしたようである。
 この問題は、台湾のみならず日本に於いても同様の問題を抱えており、「曰く言い難い」所があり、一筋縄では簡単にあれこれ論議できる問題ではない、と深く考えさせられた。 でも、台湾は「正漢字」を使ってほしい。

光華の客筋 7月 1日(土)

 本日二時間ほど、ぶらぶらと光華の客筋を見て楽しんでいた。好き者と老板の、丁々発止のやり取りは、看ていて飽きない。どちらも海千山千の目利き同士である。互いの面子と折り合いを、どのあたりでつけるか、指値と言い値、落し値と売値、見ていて本当に勉強になる。 先ず「玉」の値段ですが、数こそ玉市より少ないものの、値段はほぼ玉市の半額前後である。但し、交渉してのことで、交渉しなければ、大概玉市の八割ぐらいの値段である。 他のものは、清末から民国にかけての文房四宝や、日曜雑器、仏具などで、中には寺の壁画を剥いだものもある。無論春宮画も有る。
 陶磁器は、殆どが新物の贋物である。但し陶片は本物で、定窯、均窯、耀州窯、龍泉窯、磁州窯、景徳鎮、そして汝窯、官窯など全てあるが、値段が半端ではない。小生が、紫紅の見える陶片を指差したら、老板がすかさず「元均」と一言言った、「宋均」と言わないところが流石である、物を知った老板である。小生に「3000、便宜」と言うので、小生も「対、便宜、但是我己経有了」と、老板、親指を指して薄笑いである。
 さて客筋は、昔同様その筋の好き者が中心であるが、一つだけ異なるのは、日本人の登場である。 嘗て光華で、見覚えの有る顔、聞き覚えの有る声、といったら、某H先生以外に誰がいたであろうか。 こんなところを徘徊する日本人は、H先生と小生ぐらいで、互いに顔を看て「何でお前がいるんだあ」と。 所が今や日本人がちらほら現れだしたのである。しかも若者ではなく、熟年から老年にかけてのご夫婦である。 本日も五組の夫婦に会った。申し訳ないが、一見して分かる、小銭を持っていそうな日本人と、老板たちが「日本人だ」と言って高そうなものを見せている。
 何ゆえ一見して日本人と分かるか、それは共通した服装をしているからである。 男性は、長ズボンか半ズボンだが、上着がしっかりとしたもので、必ず靴下とよい靴を履き、背中に大きなリュックを背負い水を持っている。 女性は、必ず帽子をかぶり扇子かハンカチを持っている。 このコンビを見たら、そく日本人の熟年夫婦である。恐らく、ちょっと穴場狙いのリピーターの日本人であろう。観光客が行く玉市よりは安いといっても、結局彼らは高く買わされている。
 本日も、小生に「老板、看看、都五百」と声を掛けてきた老板娘が、後に現れた熟年夫婦の女性に、「これは、ビルマの玉、安いよ、2000元」といって売りつけていた。 まさか、あんな練り物玉を買うわけは無いと思っていたら、「8000円弱よね、安いわあー」と旦那さんに話しかけ、奥方が買われてしまった。 所があろうことか今度は旦那さんが、大きな焼き物の壷をさすりながら、奥さんに向かって「おい、これ清朝の壷だって、15000元を10000元にしてくれるといっているぞ。これも安いよな、見ろ、裏に大清と書いてあるぞ」と。奥さん「ホンと、綺麗ね、買いなさいよ」と。
 小生とうとう見かねて後ろから小声で「ここは、玉はいいですが、他のものは全て贋物ですよ」と、いらぬお節介をしてしまった。 奥さんびっくりして振り返り「日本の方、私たち見る目がないのよ」とおっしゃいましたので、小生「私、同業者ですから、分かります、買わないで下さい」といって立ち去った。
 今、光華で、台湾をちょい知りの日本の熟年夫婦が、カモとして老板たちに狙われている。 因って、光華には、決してリュックを背負ってきてはいけない。リュックを背負ってペットボトルでも持っていようものなら、そく「カモが葱を背負って来た」と看られてしまう。 ちなみに、小生は、よれよれのズボンに汚いシャツ、草履履きに首手ぬぐい、くわえタバコで片手はカキ氷の箱、というスタイルで行くことにしている。

悟り、2 7月 8日(土)

 本日を以って、前線縮小、行天宮から白旗撤退である。「紫定」ははるかかなたに消えた。半端な値段ではない、100万弱である。 だが、行天宮の骨董市場は、本当に面白い。ただ買えないだけで、ちなみに今日は、董其昌の手巻を見た。行書で、絹布に書かれた、てらいのない良い字であった。
 所で、「紫定」の店は「文山」といい、陳鳳鶯という老板娘で、数ある店の中でも、陶器に関しては、筋の良いものを持っており、物の判断も正確で、信用できる良い店である。 お茶を飲みながら、小一時間話し込んだ。龍泉窯や耀州窯、官窯、元青花などを、見せてくれ、「日本では幾ら位だ」とか、「大陸は高い」とか、「今はものが少なくなった」とか、エトセトラ、エトセトラ、小一時間ばかりの茶飲み話をした。
 帰りがけに市場をぶらぶらしていたら、「玉」の店があり、入り口の言葉が気に入り、(「百個賤玉、不如精一」と書いてある。)読んでいたら、老板が、「中に入って見ろ」というので、入ってみていたら、「玉は好きか」と聴く、「玉は分からん」といったら、「俺だって分からん」といい、そこから「玉」に関する薀蓄を30分ほど聞かされた。 不思議なことに、この老板がまくし立てる中国語が、なぜだか大概聞き取れた。
 「4000年来の玉の歴史」「中国人が玉を好む理由」「清朝の良玉は大半がヨーロッパに渡ったこと」「今台湾は不景気だから、大陸から買い付けにきており、 そのうち良玉が台湾から消えてゆくこと」「中国人は本当の友人には、お金ではなく玉を送ること」「中国人は、若い人でも必ず玉を買うこと」「焼き物や書画は壊れるが、玉は壊れず永遠である、だから中国人は自分の永遠性を玉にたくすということ」「玉は魔よけでもあり、だから含玉をする、含玉だけでなく、本当は額の上と胸の上にも置くが、これは盗掘で殆ど盗まれてしまうこと」「日本人や外国人は玉を腰の外側に吊るすが、本当の通は内側に吊るすこと」などなど、とにかく「玉」に関する薀蓄を語るのである。
 小生は、適当に相槌を言いながら聞いていた。 で、この老板が、話し終わって名詞をくれたので、小生は「今天看到好的東西、還聴到好的話、我有眼福、還有耳福」といって、此方も名詞を渡した。その時初めて、向こうは小生が日本人だと気が付いたみたいである。
 でもなぜこの老板が、一見の客に薀蓄を語るのか、名詞を看て分かった。彼は、文人である。老板の名は「施作春」であるが、字を持っており、「教官」という。彼の前職は、東呉大学と政治大学の学生補導主任をしており、剣橋宝石学院の翡翠部門の教師であり、この骨董市場の前主任で現監察委員なのである。
 因って、行天宮での、陶磁器のお勧めは「文山」、玉のお勧めは「春秋閣」である。
 所で小生、小一時間ほど茶飲み話が出来、30分ほど人の話が聞き取れる、というのは、中国語が進歩したと考えるべきであろうか、小生は違うと思う、二ヶ月強でそんなに進歩などするはずが無い、まして小生は老人であり、店の子たちにも「中林の中国語は進歩しない」と馬鹿にされている状態である、進歩などしているはずが無い。
 ではなぜ話せて聞き取れたか、答えは明白である。話の内容が、陶磁器と玉であったから、可能であって、これ以外であれば恐らくだめである。 つまり、同じ話題を共有し、その話題を対象に話しており、小生もその話題の固有名詞を有る程度知っている、という状況、すなわち、骨董の話であったが故に分かったに過ぎず、決して中国語の進歩などではない。 そこで、また悟った。 「蛇の道は蛇」「好きこそものの上手なれ」である。

光華の攻防 7月 8日(土)

 さて、行天宮を諦めた小生は、しょうがないから光華をぶらついた。歩いていると、前回清朝青花水注を買った店の老板が、「エイ、老板、老板」と声を掛けて来た。 見てみると贋物の大きな陶磁器を並べているので、「チョ様的仮的東西、誰買」と聴くと、「骨董的老板買」と言う。「ターメン買了以後、ゼンムパンナ」と聴くと、「当然売外国人」と言う。なるほどと思って、立ち去ろうとしたら、老板が「今天有好東西、ニー要不要看」と聞く。
 「いいものが有るが、お前見たいか」というこの台詞、前回のことから考えて、小生のことを「カモ」と見たか、「目利き」と見たかのどちらかである。いずれにしても、今見せる物に因って、「カモ」とみたか、「目利き」とみたかが分かる。 小生すかさず「要看」と答えると、奥の汚い箱から数点取り出した。
 1、明朝磁州窯鉄絵大水壷、2、清朝中期輸出用景徳鎮青花角皿、3、清朝中期龍泉窯青磁瓶、4、清朝後期粉彩筆筒、5、清朝後期徳化窯白磁香炉、6、清朝晩期民窯青花人物文筆筒の六点である。
 しかも全て本物である。粉彩底の「大清同治年製」の落款を見たとたん、老板が「後付、民窯」と言う、さすがに物が分かっている。 老板が「ゼンム様、好マ」と小生に聞くので、「好不好、不一定、但是老的東西」と答えると、わが意を得たりとばかりに、老板が「対ア、老的東西ア」と言う。小生しばらく考えて、「我一次問ニー、没有再次、多少」と聞くと、老板も少し考えて、「ニー要是買的話」と言って値段を言った。 1、は3000元(11000円弱)、3、は2000元(8000円弱)、2と4と5、は1000元(3600円程)、6、は500元(1800円前後)。
 安い、日本での相場よりはるかに安く、研究室買い入れ価格とどっこいどっこいである。 買うべきか否か、悩んだが、とりあえず「我想想、考慮、考慮、三思三思、下星期六再来」というと、老板は「好、但是ニー再来的時構、ニー也一次答応、多少銭買」と言う。敵もさるもの、流石である、「今度はお前がいくらで買うか、一言で答えろ」というのである。 さて、来週までいくらと値踏みするか、茲が思案のしどころである。
 1から5までで8000元である。 小生の答えは一言「五個、6500」である。これで老板が「好」と言って売れば、6、は「今天我買了五個、所以チョ個筆筒給我、礼物、礼物、給我」と言い張って、ただ取りする計画であるが、果たしてうまく行くか否か、一週間後の攻防である。 光華は、今まで本物は殆ど見かけなかったが、七月に入り、ちょぼちょぼ看られるようになった。

老眼と墨 7月 9日(日)

 老眼というのは実に悲しいことである。 本日、事もあろうに「墨」とは気づかずに、「墨」を買ってしまった。 光華を歩いていたら、変な木の棒が目に飛び込んだ。ちなみに、ここには木彫、竹彫の文房四宝がごろごろしており、てっきり黒檀の木彫かと思った。
 一見して木の丸太で、木皮表面に見られるひびも有り、表面に陽刻の篆書が書かれており 「光緒十二年四月都察院副都御史呉大徴(さんずいのちょう)云々」を 読んでいて、手にとって見たが「墨」とは全く気づかず、なんに使う木だろう、腕枕でもなければ文鎮でもない。と色々考え、後で調べようと思い、値段を聞いたら「一対2000」という。 どうも「一対」ものらしいが、二本もいらない。無理くり一本でよいと言い張り、1000元を500元に値切り、買って薄暗い店から外に出て太陽の下で見たら、何か好い香りがする。
 「あっ、しまった、墨だ」気がついても後の祭りである。よくよく裏表を見たら、やっぱり「墨」だったのである。 裏の銘文ばかりに気を取られて読んでいたが、表を見たら、「徽州屯鎮老胡開文造」とあった。 「墨」なんて全く興味がなく、善し悪しも分からんのに、気がつかないで買ってしまった。 大きさは、直径4cm、長さ22cm、重さ430gの円柱形の「墨」である。
 老眼とは本当に悲しいことである。如何に目が悪いとは言っても、こんなものに500元(1800円)も払うなんて、実に情けない。 改めて目の悪さと、己の老いと、思い込みの激しさ(頭が固くなった証拠である)と、臭覚の鈍りを悟った一日でした。

温度差 7月14日(金)

 来台後三ヶ月目にして始めて体調を崩した。暴飲暴食もしていなければ、無理もしていない。では一体何が原因か、それは温度差である。 日本では35度前後で暑いと大騒ぎであるが、台湾は連日39度前後である。暑いのは、暑さ対策をしていれば問題はないが、問題は冷房である。
 毎日かよう学校は、冷房をがんがんに効かしてして20度前後である。日本のように温度調節などなされていない、外気温との差は20度弱である。 この差の中を行ったり来たりしていたら、体がたまったものではない。暑がりの小生でさえ、教室に入った瞬間寒いと感じて、次の日から余分にシャツを持ち込んでいるが、寒いと感じたときは、既に後の祭りで、そのときから、風邪ぎみっぽくなり、ついで胃腸の調子が悪くなり、37度前後の発熱と頭痛に襲われ、更に胃腸の不快と吐き気に襲われたのである。
 この二日間は最悪の状態で、だるくて熱のある体を引きずって学校に通ったが、昨日からお粥を食べ、「わかもと」を飲んで胃腸を調整し、更に「ブアッフアリン」を飲んで解熱を図った所、本日はやや回復した。発熱も小康状態で、胃腸も少しだけ不快が収まった。 今晩とこの週末に異常がなければ、回復したと見てよいが、再び異常が出たならば、来週は病院へ行くことになるであろう。
 改めて、己の老いを感じた、既に若くはないのである、昔であれば平気であった温度差の変化を、今ではその差に体が悲鳴を上げているのである。 老いとは、かくも悲しくかくも辛い現実を、いやおうなくわが身に投げかけてくる。 では、この老いと戦うべきか否か、小生は戦うなど無駄な抵抗はやめて、老い自体を楽しむつもりである。老いを楽しみながら更に老いて行くのも、また一興であろう。

光華の攻防、2 7月15日(土)

 さて先週光華の老板と約束した回答を持って、出かけて行ったが、眼目の清朝中期龍泉窯青磁瓶が見当たらない。これが目玉である以上、これが無かったら何にも意味が無い。 老板に「ウェイセンモ没有了」と聞くと「不好意思、不好意思」というだけである。しつこく「ウェイセンモ、我メン約定了、対不対」というと、老板が「対不起、己経売了」という。
 老板の説明では「ニー去以後、別人来了、他看看龍泉、自身説3000還是4000、他不問我価銭、我説ニー1000、但是他自身説3000還是4000、所以我売3500」ということであった。 それは彼だって商売だから、客の方から3000か4000かと聞かれれば、喜んで3500で売るでしょう、わざわざ小生に1000で売ることはない。
 売ってしまったものはしょうがないが、残りはあまりほしくもない、しかし、今後のこともあれば、しょうがないから清朝中期輸出用景徳鎮青花角皿を1500に値切って買ってきた。 ここでまた悟った、これはというものは、その時買わないと無くなる、ということである。

政局 7月15日(土)

 台湾の政局がきな臭くなってきた。 前回、国民党らが提出した陳総統の退陣要求(娘婿の不正と妻の不正を糾弾)は、国会で不成立となったが、今回は、親民進党の学者連中、つまり身内の支持してくれていた学者連中(中央研究員や大学教授など)が、娘婿趙氏の起訴を受けて連盟(4241人)で退陣要求を発表した。
 「家族の不正は総統として、今や避けて通ることは出来ない状況であるから、台湾の更なる民主化のために、自ら辞任して範を示すべきである」というのが、彼らの要求である。
 さて、国会ではうまく数の力で切り抜けた陳総統であるが、李前総統も距離を置き始め、更に身内の学者連中からの退陣要求となると、如何に対応するであろうか。 台湾政局はちょっと動きがあるかもしれない。

反省、1 7月20日(木)

 小生、四月末よりまる三ヶ月、未だに無欠席で授業に通っている。このまま八月も出れば、まる四ヶ月無欠席である。 我ながら不思議である。このうだるような暑さの中を、何と真面目にかよっていることか、日本での授業では、大概一二回は休講する小生が、何でくそ真面目に通っているのだろうと、色々原因を考えてみた。 結論は「ケチ」だからである。真面目でも何でも無い。
 要するに毎月6300元も学費を払っているので、休むと金がもったいないという気持ちが、足を運ばせているに過ぎないのである。己が身銭を切ると、人間かなり「ケチ臭く」なるものである。しかし「ケチ」というのは、なかなか偉大である。怠惰でいい加減で、グウタラが大好きな小生を、三十九度の炎天下、兎に角足を運ばせるのであるから、これを偉大といわずして、何を偉大といおうか。
 因って、可なり反省した。普段小生はよく休講(病気、大概風邪であるが)するが、恐らくその時学生諸君は、今の小生と同じように「もったいない」と感じ、小生のことを腹立たしく思っていたに違いない。 とすれば、軽々に休講など出来ない、つまり軽々に風邪など引けない、ということである。 来年からは、極力健康に気をつけ、休講などしないように、心がけるつもりである。

コミケ 7月21日(金)

 台湾でも日本で言う所のコミックマーケット、つまり同人誌漫画即売会のようなイベントがあり、所謂コスプレの若い男女が集まってきて、結構にぎやかである。 現在の台湾若者漫画文化の一端を見るには、都合の好いイベントである。
 その夏コミともいうべき大イベントが、来る七月二十九日と三十日の土日に、台湾大学の体育館で行われる。 運良く今回関係者としての、特別入場IDカードが入手できそうなので、小生も参加してみることにした。
 日本での夏コミや冬コミには行った経験があるので、今回台湾の夏コミを体験できるのは、漫画文化を考える上で、貴重である。 そこで、問題なのは、如何なるコスプレで出かけるかであるが、今考慮中である。

讃岐うどん 7月21日(金)

 今日も今日とてうだるような暑さで、食欲もなく、さて何を食べようかと店の周りをうろついていたら、うどんが有った。どうせ日式烏龍麺のあの柔らかい美味くも無いいどんだろうと思ったが、どうも何か麺が違う。
 そこで「ざるうどん」を注文したら、海苔のかかった冷たいうどんが、たれと一緒に出てきた。たれに付けて一口食べたとたん、「美味い、これは讃岐うどんだ」と思った。隅の方に小さく写真が張ってあるので、見てみたら老板が四国の香川でうどんを学んでいる時の写真である。 まともな讃岐うどんである。
 炎天下の台北で、本格的なざるの讃岐うどん、いやあ、美味しいですな。暑さで食欲を無くした日本人には、干天の慈雨というか、生き返りますなあ。

懐かしい名前 7月21日(金)

 昨日新聞を見ていたら、懐かしい名前を見つけた。しかし同時に悲しい知らせであった。 馬樹礼氏が九十四歳でなくなられた訃報であった。 馬樹礼氏はかつて駐日代表を勤められた大物政治家である。
 小生は、はるか昔に一度だけ尊顔を拝したことがある。そういえば、確か氏の帰国前に椿山荘で離日のレセプションが行われたなあ、などと懐かしく思い出したが、そのきっかけが、訃報とは、悲しい限りである。

カラOK 7月24日(月)

 台湾にも日本同様カラOKが有り、結構にぎわっているが、実はもう一つ異なるカラOKが有る。 一人で行ったとき、寂しく一人で歌うのではなく、ちゃんと相手をしジュエットをしてくれる小姐のいる、カラOKが有る。
 興味がある人は、ぜひ一度歌いに行っては如何かと思う。 ちなみに小生は、行ったことは無い。ただ社会風俗調査の一環として、調査だけはした。

メイドさんがいっぱい 7月29日(土)

 本日、台湾大学の体育館で開かれた、台湾版「夏コミ」を見学してきた。 正式名称は「開拓動漫祭」と言い。約800弱のグループが参加していた。同人漫画雑誌や同人小説、及び主人公のキャラグッズなどの即売会である。今日と明日の二日間行われるが、参加費はワンブースが一日で400元(90cm、90cmの大きさで椅子一つ)と800元(90cm、180cmの大きさで、椅子二つ)の二種類である。
 日本から参加している某企業人の話では、二日間で日本円の400万ほど売り上げるそうである。売っているのは、木場智士のイラストポスターや、イラスト雑誌である。(木場氏は、その筋の人々には、有名な漫画家である)
 日本の「夏コミ」と異なる点を上げて見ると、 規模は日本の三分の一くらいである。 一般参加者は、日本ではすでに子連れの第二世代のリピーターが登場しているが、台湾ではまだ第一世代で、十代の後半から二十台の始めである。
 問題は内容であるが、日本では、題材が中国物、日本物、洋物、時代物、今物などなど多様で有るが、こちらは全て「アキバ系」で「萌えー」の世界である。 とにかくコスプレの子供たちが凄い、メイドさんがいっぱいという感じで、その中に日本の着物を始めとして、主人公のキャラのコスプレ女性がわんさかである。
 その中でも美形や可愛いのがいると、カメラ小僧たちが取り巻いて写真の撮りっぱなしである。同時にこのときばかりは、コスプレ女性たちも愛嬌を振りまき、ポーズをとって、コスプレ女王、コスプレスターである。 当然メイド喫茶も店開きである。台北のメイド喫茶はつぶれたため、今回ははるばる高雄のメイド喫茶が参加していた。「月読女僕喫茶」というが、当然女性店員の衣装は、日本と同じメイドの衣装である。
 驚いたのは、彼女たちの呼び込みである。店に足を踏み入れたとたん、彼女たちは「お帰りなさいませ、ご主人様」と日本語で言うのである。 「ここは、アキバかー」と思うぐらい、美少女系の氾濫で、「萌えー」の世界でありました。と同時に、日本語が飛び交うこと、飛び交うこと、なぜなら、彼らの漫画や小説のお手本は、日本のアキバ系の美少女漫画なのであります。
 日本のように、少年漫画雑誌や漫画コミック週刊誌など無い台湾では、漫画家が育つ素地が弱く、畢竟このようなコミケがにぎわうが、題材がアキバ系一色というのは、如何なものかと思う。 本日は、メイド姿の女の子たちに囲まれ、最後は「お気をつけて行ってらっしゃいませ、ご主人様」の声に送られて、会場を後にしたが、ここは台湾である。決して秋葉ではありません。 ちなみに今回は、声優の中原麻衣(彼女も、その筋では有名な声優である)が参加して、可なり盛り上がっていた。
 本日一番感じたことは、日本の漫画文化は偉大であるということである、宮崎監督を出すまでも無く、まさに「世界に冠たる日本のコミック文化」である。 と同時に、嬉々としてコスプレする女の子たち、それに群がる気弱そうなカメラ小僧たちを見ながら、一瞬「もしかしたら、この子達はニート予備軍かも」との不安が過ぎったが、いずれにしても「オタク文化」は凄いの一言である。

体質 7月31日(月)

 どうも中国人の体質と言うのは、政治が民主化したといっても一朝一夕には改まらないようである。 陳総統一家の公私混同は多々あるが、以前息子が女友達(今の嫁さん)のために便宜を図り、総統府の公用車を使用したことが批判されたが、今度は娘婿(付馬さん)が住んでいる家のお手伝いさんの給料を、総統府の経費で払っていたのが発覚した。 総統府の見解は、「あの家は、総統の娘一家の家であれば、官邸の一部である、そこの使用人は、当然総統府の工人であるから、総統府経費から給料を払うのである」との事である。
 このニュースを見て、小生は「公私混同も甚だしい」と思った。仮に小泉首相の息子の住居のお手伝いさんの給料を、官邸の一部などといって総理府費用から支出すれば、それで小泉首相は辞任である。
 台湾の政治が民主化されたとは言っても、「誰かが偉くなって地位に付くと、一族郎党が皆なよりすがって甘い汁を吸う」という、伝統的体質は未だに残っており、一朝一夕には改まらないみたいである。
 当事者が偉いのではなく、当事者が就いた地位に権力があるに過ぎず、その権力を如何に公正に使うかに因って、その人の資質が現れるものを、本人どころか、その地位とは無縁な一族が権力を振るうことの愚かしさ、またそれを恥とも思わぬ体質、この国の民主化もまだまだ先が長いと思う、この頃である。


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