《臺北零話》

《2006年・8月》

言葉の乱れ 8月 3日(木)

 台湾に来て以来、気になって仕方が無いことが有る。それは言葉つまり中国語の乱れである。 日本語で書かれた看板を多々見かけるのは言うまでも無く、テレビを見ていると、コマーシャルの中に、日本語が氾濫している。
 それは実際の台詞の中に日本語が登場するのである。 例えば、「はりきってますね」とか「げんきいちばん」とか「お腹に優しい」とかである。更にヤクルトやポッカコーヒーなどのコマーシャルに至っては、字幕こそ中国語であるが、台詞は全編日本語である。
 この様な日本語氾濫の中で、最近よく耳にするのが「チョー」である。実際「チョー好聴」とか「チョー好看」とか言う言葉である。本来ならば、この「チョー」は「タイ」とか「ヘン」とか言うのが正しいはずであるが、それに代わって日本語の「チョーなになに」の「チョー」が使われるのである。 これを書けば「超好看」となって、何のことやらさっぱり分からなくなる。
 因ってこの「チョー」は、書き言葉ではなく、実際の会話の中で使われる日本語なのである。 小生は、最初聞いた時、「チョー困惑」した。

故宮 8月 5日(土)

 本日久しぶりに故宮に行ってきた。現在故宮は改装中であるが、外側の改装は一応終わり、昔通り正面から入場できる。 但し、内側は今だ工事中で、展示物は以前の三分の二弱である。特に大型の書画に関しては、全く展示していない。書画に興味のある方々にとっては、がっかりされるであろう。陶磁器、青銅器、その他の品々も昔の半分以下と思った方がよろしい。
 恐らく全面展示は来年からであろう。 そのためとも思えないが、現在の故宮のチケットは、一度買えば2006年12月31日、つまり今年いっぱいは、何回でも入場できる。 因って、一度入場した後の残りの半券は、決してすててはいけない。持っていれば何回でも入場できる。長期滞在者にはありがたいことである。 因みに、本日「学生」と言って半額の50元で入ろうとしたら、チケット売り場の小姐が、「貴方のような老人がどうして学生なのだ」と言うので、国語日報社の学生証を見せたが、「この学生証では駄目だ」といわれ、結局一般の100元を払った。
 でも100元は安い、360円ぐらいである。 展示物の質と量からすれば、100元は圧倒的に安い。北京の高くて物が少ない故宮に比べれば、雲泥の差であろう。未だ改装中とは言え、一見の価値は十二分に有る。

改革 8月 7日(月)

 台湾では、陳総統が恣意的な権力を振るい身内を庇って公私混同で、本来の民主的な改革をしない、と身内からも批判されて下台を求められている。 一方日本では、改革を売り物にした長野県の田中知事が落選した。 改革をしても批判され、改革しなくても批判され、実に難しいものである。
 問題は、改革か否かではなく、どちらにしてもその時正しく民意を聞き好く話し合って決定したか、否かである。 改革云々が批判されている訳ではない。その行為に到までのプロセスが民主的であったか否か、その権力の行使が恣意的であったか否か、が問題にされているのである。
 因って、国政であれ、市政であれ、はたまた組織の長であれ、その地位に就いた者は、己に権力が有るなどとは、努々思わず、結果として就いた地位に権力が付随されているに過ぎない訳であれば、周囲の意見を良く聞き、その権力を如何に正しく公平に使うかを、常に心がけるべきであろう。 さもなくば、組織事態が、権力者のおもちゃと化してしまうであろう。それは、組織としての崩壊以外の何者でもない。 日台の政治動向を見るにつけ、改めて権力とは、地位とは、色々考えさせられるのである。

商魂 8月10日(木)

 台湾の商売人の商魂はたくましい、やたらに「何何節」があり、そのたびごとに買い物の宣伝である。 伝統的な春節や清明節や端午節や中秋節は言うまでもなく、童児節、母親節、情人節、父親節(8月8日)等等、「某某節」がやたらに多い。 農暦の節と新暦の節とが混合して賑やかである。
 今は鬼月でもあれば、あちこちの店の前で紙銭を焼く様子が、あちこちで見られる、もう直ぐ今度は中秋節がやってくるが、さてどんな「月餅」が美味しいことやら。 いずれにしても、再び商魂たくましい「月餅」売りの競争を見ることになるであろう。 商売、商売、転んでもただでは起きない商魂のたくましさよ、見習いたいものである。

眼福と触福 8月13日(日)

 昨日は、大東のY先生方と台湾の骨董屋巡りであった。 とても我々に買えるような代物でないことは十分承知しているが、それでも興味半分で、顔見知りの老板に、飾ってある南宋郊壇下官窯の筆洗の値段を聞いたところ、「お前、宋代の品を見たいか」という。
 「有るなら見せろよ」というと、店に招きいれ、入り口のドアーの鍵をかけ、他人が入れないようにした後、出すは出すは、北宋官窯青磁は言うに及ばず、南宋修内治官窯、北宋龍泉窯、北宋定窯、南宋均窯、南宋可窯、北宋耀州窯黒釉碗などなど、どれも本物である。
 可窯に至っては、砂胎の可窯(普通の可窯より、やや厚ぼったく仕上がる)まで見せる。 流石に此方の骨董屋は持っているものである。これ幸いと、触って持って、指先の感触や重さを確認し、ひっくり返しては高台や胎土、釉切れの状態、更には指先ではねて音まで、確認させてもらった。
 日本では、このレベルの品は手に触れさせてはくれないだろうし、まして叩いてみることなど不可能である。 今日は、まさに眼福と触福と耳福(これはまあ、老板の自慢話が半分)の一日であった。

デモ 8月16日(水)

 昨日の小泉首相の靖国神社参拝を受けて、中国、韓国、香港(終戦記念日の恒例デモ)では、反日のデモが行われていたが、台湾ではデモは無かった。 デモが無かったというより、ニュース自体が、概して小さかった。 恐らく、今台湾は、日本の靖国問題より、自国の総統問題が大きい政治問題だからであろう。
 嘗ての同志である民進党からも「下台」の声が上がりだし、施氏が新聞紙上に「下台」の広告を出し、九月九日を決戦日と決め、百万人「下台」デモを挙行する予定になっている。 不思議なことは、五六月に盛んに「下台」を唱えた国民党と親民党が、今回は全く音なしの構えである。今声高に「下台」を求めているのは、身内の民進党である。 恐らく、国民党は、身内の争いを対岸の火事として、漁夫の利を得るべく黙ってみているのであろう。
 それにしても、陳総統の二期目はぼろぼろである。総統自身に目立った政治的誤りは見られないが、残念なことに周囲の人々の公私混同が多すぎる。奥さんのソゴウ礼券問題、娘婿(附馬さん)の株取引問題、息子の特別待遇や公用車使用問題、などなど、とにかく総統一族の公私混同が目立ちすぎる。
 総統自身には責任が無いであろうが、国民の範たる総統という地位にある以上、その地位の重さに鑑み、やはり身内の誤りに対する道義的責任は避けて通れないであろう。 台湾の政局は、九月九日が一つの山場である。

悲しいニュース 8月17日(木)

 本日悲しいニュースを聞いた。 「日日春協会」の顔とでも言うべき大姐が、海に身を投じて自殺した。 「日日春協会」とは、現総統陳氏が台北市長であった時、廃止整理された娼婦街の女性たちが立ち上げた協会で、公娼制度の確立と夜の自由な交際、及び彼女たちの権利と人権の確立を目指し、活動していた団体である。
 彼女は元娼婦として、廃止以来九年間にわたり、協会の顔として常に紅い気炎を上げ続けてきた大姐である。 小生が来た四月にも、台北市政府前で、大規模な彼女たちのデモを行っており、その時小生も「加油、加油」と声援を送ったが、その数ヵ月後に彼女の自殺を聞こうとは、思わなかった。
 台北青田街の旧日本家屋も今年いっぱいで取り壊されるが、このニュースを聞いて、老台北の紅灯が、また一つ消えていった、と寂寞の感を抱くのは、小生ひとりであろうか。 時代の流れとは厳しいもので、その流れにあがらうが如く生きた一人の元娼婦の大姐。その自殺が、あたかも時代の変化を象徴しているようで、物悲しく感じる。

晩節 8月18日(金)

 人にとって晩節を全うするとは、如何に難しいことであろうか。 前民進党主席施明徳氏が発動した「陳総統下台百万集会」に対し、こんどは民進民党国会議員らが「反施氏運動」を立ち上げた。
 施明徳氏は、二十五年前の美麗島事件の英雄で、何も無ければ台湾民主化の歴史上に在って、燦然と輝く英雄であったはずである。 彼は、二十五年前、蒋経国を銃で狙って、無期懲役の判決を受けた政治犯で、台湾現代史上有名な人物である。 その彼が、身内の陳総統の「退陣運動」を始め、それに対して同じ身内の国会議員らが「反施氏運動」を展開しているのである。
 その結果、当時入獄中の仲間だった人たちから、彼が入獄中に蒋氏に宛てた詫び状や、蒋氏や国民党を褒め称えることに因って、釈放されたことなどが暴露され、更に彼の前の妻からもその変節を罵倒非難され、今や、彼は地に落ちた英雄となっている。
 既に、三度の直接総統選挙を経験し、可なり司法制度、政治制度が改革された民主主義の台湾で、国民党らの法に則った「下台運動」が不発に終わった後で、大衆動員して選挙で選ばれた総統を退陣させようとするのは、発展途上国の独裁政権打倒に見られる手法で、現在の台湾にはなじまないように思われる。
 国民党の馬氏が、これに一切口をつぐんでいるのは、対岸の火事という意味もあるが、このような行為を容認すれば、次にたとえ国民党の総統が選ばれても、国民に不満が生じれば、大衆動員で退陣を求める超法規的行為の道を開くことになるからである。 選挙に因って選ばれた国会議員が「反施氏運動」を展開するのも、ある意味で彼らは選挙と言う民主主義の洗礼を受けた人々だからである。
 大衆動員に因って、政権を打倒するというのは、デモは自由であるが、民主主義の世界では、なじまない。 施氏の今回の行動を見て、「民主化、独立化」の実際運動者としては優れていたかもしれないが、その運動者、行動者としての施氏が、選挙を繰り返した政治制度の中で、場を失った結果かもしれないと思われる。
 因って、「晩節を全うする」ということが、如何に困難か痛感させられた。既に晩節の年代に入った、小生自身の生き方と重ね合わせ、「果たして己は晩節が全う出来るであろうか」、「己の身の引きどころは何処か」などなど、色々考えさせられたのである。 小生は、時の流れに身を任せて、静かに舞台から去ろうと思っている。既に墓も用意してあれば、なおさら強く感じる。

老友 8月18日(金)

 台湾の政治は複雑である。民進党の主席が陳氏で現中華民国総統であるが、国民党主席の馬氏は台北市長であり、親民党主席の宋氏は台湾省長である。 例えれば、自民党党首が首相で、民主党党首が東京都知事、社民党党首が三鷹市市長、公明党党首が練馬区長、というような関係である。
 この様な政治地図の中で、前民進党主席施明徳氏が「陳氏下台」の百万人デモを仕掛けたのであるが、そのデモを許可する権限を持つのが、台北市長も馬氏で、彼は「法律に依拠して処理する」としか言わない。
 この施氏の運動に、やはり民進党の顔であった許信良氏が、民進党創立時の老党員を引き連れて参画した。まさに老戦友が援軍に駆けつけた様相である。施氏にしろ許氏にしろ、民進党創立時の顔であり民進党の元老的存在であるが、国会議員ではなく直接国政には参画していない。
 今回の騒動を見ていて、改めて思い知らされたのは、「政治は権力である」「党の理想と現実政治は異なる」ということである。 施氏も許氏も、実際にわが身で弾圧を受け、理想に燃えて民進党を創立させたメンバーである。民進党党史に於いて、欠くべからざる人々である。
 しかし、選挙の洗礼を繰り返すうちに、実際に弾圧を受けた経験を持たぬ党員たちが、多く国政に参加するようになり、国政運営という場に在って、たとえ民進党党員であっても徐々に思考が現実的になってくる。 一方、創立時の老将党員や当時の闘士たちは、わが身の経験から過激なまでの理想を声高に叫ぶのである。
 今回の施氏の行動は、その裏に遠大な彼自身の政治的野望や欲望が有るのか否かは、不明であるが、表面的には、自らが身を持って立ち上げた民主化運動の民進党が、自らの総統に因って汚され(身内の不正)、地に落ちてゆくのは耐え難い、故に敢えて身内の総統の「下台」を求める、というものであり、だからこそ、老戦友の許氏が老友を引き連れて駆けつける、という構図になるのであるが、果たして額面どおり受け取っていいものやら。 とにかく政治の世界は魑魅魍魎が跋扈するが、それに輪を掛けて複雑怪奇なのが、台湾の政治世界である。
 いずれにしても、小生とは無縁の世界のことであり、「勝手にやりなはれ」という感じで見ているが、それよりも小生にとっては、昨日の「日日春協会」の大姐の自殺の方が、はるかにショックであり悲しい出来事である。
 三十六年前から、この地の色町の状況を観察見聞し、そこの小姐たちとひざを交えお茶をすすって世間話をした経験を持つ小生には、決して他人事には思えない大姐の死なのである。

専門店 8月20日(日)

 昨日、妻が「あなたの買った墨は絶対贋物だ」と罵るので、台湾随一で最古の老舗である、書道具店の「勝大荘」に文房四宝を見に行った。 流石に老舗の専門店である。紙、墨、硯、筆、等等有るは有るは、今の品でも一級品になれば、筆一本が10000元(36000円)近くする。墨も普通の大きさで1500元(5000円弱)もする。文房四宝も同様である。
 これが古い品となれば、半端な値段ではない、小生の研究室に有る清朝末の壷などは、32000元(約10万円)という、確か小生は5000円で仕入れたはずである。古墨は、小さいもので最低2600元(1万弱)ぐらいから、あとは言いたくない値段まで、色々である。 面白いのは、「台湾古墨」というのが有る。これは台湾で昔製造された墨である。
 こちらの老板たちが言う「古、老」というのは、必ずしも清朝以前を指すわけではなく、新中国成立以前の品であれば、おしなべて「古、老」という。因って50年ほど前の品であれば全て「古、老」であるから、民国初期の品々も、その「古、老」に含まれることになる。
 この値段を見た妻が「やっぱりあんたのは贋物だ、だって500元だもの」という。 しかし、この500元は専門店の値段ではない、専門店の老板たちも仕入れに現れる、某骨董市場での値段であるから、安いのは当然である。
 しかし、問題はこの骨董市場には贋物が氾濫している、ということである。さて、小生が仕入れた墨、老板は「老墨」と言い張ったが、なにしろ500元である。これが、贋物か掘り出し物か、神のみぞ知るである。 小生は、清末から民国初期にかけての「胡開文製の古墨」であればと、勝手に思っている。

官窯 8月22日(火)

 本日は桃園まで足を伸ばし官窯磁器百点をどを見学してきた。とあるビルの一フロアーに展示されていることを小耳に挟んではいたが、やっと今日訪れることができた。本来は。来台中のH教授も同道されるはずであったが、所要でおいでになれなかったのは、誠に惜しむべきことである。 全く看板も宣伝も出ていないので、住所を頼りに場所を探し当てたが、陶磁器が展示してあるような様子は全く見られなかった。
 そこで改めて電話すると、道端にガードマンが現れ地下駐車場に入るように指示する。それにしたがって地下に入ると別のガードマンが、専用エレベーターまで案内し、三階に行くように指示する。三階に至ると確かに展示してある。 この秘密めいた展示は何故かと考えた結果、数日前の事件を思い出した。 台北の有名なホテルシェラトンホテルのロビーに展示してあった、明代の木彫机(時価一億五千万)が盗まれたのである。
 であれば、ここに展示してある陶磁器は、いずれも一億弱の逸品ばかりである。この物々しく秘密めいた展示も、何となく納得できる。 展示品はまさに逸品だらけであった。北宋官窯青磁、汝窯青磁から始まって清朝乾隆時期までの官窯磁器が百点である。
 見学者は小生一人である。受付の小姐に促されて署名し、職業、住所も尋ねられたので、名刺を渡したところ、専門家の小姐が一人現れ、付きっ切りで説明してくれた。 話に因れば、「台湾在住の所蔵家八人から、特別に借り出して展示している」とのことであったから、全くの個人所蔵の官窯製品である。60cm弱の大きさの明代「黄釉青花花鳥文盤」など、故宮などの博物館にも所蔵されていない逸品が、多数展示してあった。 ありがたいことに、ここの展示は全て作品の裏面まで見られるように展示してあったことである。
 普段は見られない、高台作りや釉切れの状態なども、じっくり見ることが出来た。 全く本日は贅沢な二時間を過ごした。冷房の効いたビルのワンフロアーで、たった一人の見学者である小生一人のために、専門の女性学芸員に説明させ、二時間近く好きなだけ裏表が見られたのであるから、しかも是だけの逸品、目がくらくらするような百点であれば、誠に贅沢な見学である。
 今日はまるで、王侯貴族にでもなったような気分の、二時間であった。恐らくこのレベルの作品百点を一堂に見ることは、もう二度とないであろう。まして全て個人の所蔵品となれば、なおさらである。
 見学し終わった後で、ふと不遜なことが頭を過ぎった。この所蔵家たちが、それぞれ道山に帰せられた後、この品々は一体どうなるであろうか、それぞれに散じてしまうのであろうか、はたまた誰かの下に集まるのであろうか、「余計なお世話だ」と言われるのは十分分かっているが、やはり貧乏人は、勝手な妄想をたくましくするのである。

天罰か 8月23日(水)

 二日前に、ひょっこりH教授(小生の骨董の師匠)が、店に顔を出された。八月中は多忙で、九月に来るとの連絡を受けていた小生は、びっくりした。 話に因れば、日本でY助教授と相談して「突然行って驚かせてやろう」との悪巧みの結果らしい。 しかし、この悪巧みは結果からすれば、大失敗である。
 なぜなら、お会いした二日前にご到着遊ばされて、小生に電話をされたらしいが、電話が通ぜずあせりまくって、しょうがないから店を訪ねた、とのことである。 小生が、「土曜日は光華にいるから、と教えてあげていたでしょう、光華にくれば合えましたよ」といったら、あせっていてそこまで気が回らなかったとのことである。 更に住所は、ちゃんと「西門町成都路」とお教えしておいたのに、本人が勝手に間違って「西門路」などとおっしゃるから、誰も知らない、となってしまうのである。
 でも幸い合えたので、なじみの老板と話をつけ、色々準備していた(書画、古陶磁器、玉など、逸品を実際手にとって鑑賞できる)場所に案内したが、間の悪いとはこのことで、当日はなぜか特別休業であり、何も見られなかった。 また、昨日の「王侯貴族気分」(台湾便り75、官窯)も、H教授は所要とかで同道できず、 本日ご帰国となる。
 今回H教授は、楽しみの骨董が、何一つ見ることかなわず、フラストレーションを抱いたまま、ご帰国となられる。誠に残念なことで、悔しい限りである。 これこそ、「天罰」というものであろうか。
 人を驚かせようなどと悪巧みをされるから、このようなことになるのである。事前に連絡下されば、「眼福」「耳福」「王侯貴族気分」などなど、楽しい時間が十分過ごせたはずである。 これを「天罰」といわずして何であろうか。 努々悪巧みなど考えない方が良い、まさに、「へたな考え休むに似たり」である。H教授はすごすごとご帰還あそばされます。

秋の気配 8月24日(木)

 台湾はいまだに暑い日々が続いているが、季節は秋である。 朝夕の風は、涼しくなりどこと無く秋の匂いを感じさ、空を流れる雲にも秋の気配が読み取れる。店の周囲の樹木も、枯葉がちらをら舞いだしていれば、台湾は秋に入ったといえよう。
 日本とは平常の温度差があり、平常が暑いため、こちらの人は「まだ夏だよ」というが、単に気温が高いというだけで、季節感は秋である。 二月から断続的に台北にいる小生にとっては、肌に感じる季節は、明らかに秋に入ったことを感じさせる。
 日本より季節感が少ない台湾(こちらの人は、10月まで夏だよ、という)であるが、やはり北部の台北には四季があり、それぞれに季節の変わり目を感じさせる。
 台北で一番暑いのは、七月初旬から八月中旬にかけてであり、八月の中旬を過ぎると、「お、涼しくなったな(と言っても気温は日本より高いが、それまでの暑さに比べると、である)」と、確かに感じさせる。 この季節の変化は、恐らく日本より一ヶ月ほど早いであろう。
 暑い、暑いと言っても、その暑い中でも確実に季節は変化しており、暑さの中でそれを感じるのも、また一興である。 台北は今初秋に入った、空行く雲にも、吹き抜ける風にも、時折降りしきる雨の雨足の音にも、そこはかとなく秋が漂っている。

勝大荘 8月25日(金)

 昨日ぶらりと歩いて、店から書道具店の老舗である勝大荘の本店まで行ってみた(約二十分ほど)。 というのは、以前は勝大荘は忠孝西路(台北駅近く)の本店と、重慶南路の支店と、もう一つ忠孝東路に美術センターを持っていて、その美術センターで文房四宝を中心とした骨董の展示と売買をしていたが、今はこのセンターがどこに言ったのか不明なのである。 本店で確認すると、美術センターは廃止し骨董品は本店においてあるとのことであった。
 本店の地下を見学すると、確かにあることはあるが、以前よりはるかに少なくなっていた。 値段を聞くと、老板に聞かないと分からない、という。そこで、老板を呼んでくれといったところ、「今老板は中国の北京だ」という。
 話によれば、どうも中国の桂林の方に勝大荘の工場があるみたいである。 とすれば、この台湾随一の老舗書道具店に並べてある品々の中には、勝大荘の製造とあっても、あるいは「メイドインチャイナ」なのかもしれない。
 書にご興味のある方は、ぜひ一度立ち寄ってみられると面白い。 小生は、書道具の品々よりも、そこに掛けてあった清朝末の「イ ヘイジュ」の見事な対聯が、強く印象に残っている。因みに、骨董は高い、研究室買入価格の八倍から十倍ぐらいの値段を言う。

泥仕合 8月25日(金)

 今、台湾の政治は泥仕合である。夏前は民進党と国民党との非難合戦であったが、今回は民進党同志の泥仕合である。政治家として、もっと大きな重要な国策が有るであろうに、そんなものはほったらかしで、醜いまでの泥仕合である。正直言って、連日のテレビの報道も些かおかしい、政治ネタなのに、まるで芸能ネタのような扱いで、大騒ぎである。見るに耐えない、聞くに堪えない、もういい加減にしろ、と言いたい泥仕合である。
 事の発端は、前の民進党主席施氏が、「百万人総統下台」の運動を始め、一人百元の義捐金を募ったところ、その金が一億元を突破したぐらいのころから、民進党の国会議員たちが「反施氏運動」の大反撃に出たことである。
 施氏の前妻、前前妻の二人が登場して、施氏の卑劣さ、不義理さ、変節さ、等等、これでもか、これでもか、となじりまくっている。涙交じりの前前妻の非難や、子供たちの非難を、テレビがこれまた、これでもかと放映している。 問題は、そこに民進党の国会議員が同席していることである。
 これではまるで「やらせ」である。前妻や前前妻たちが、どんなに施氏を非難しても、それは所詮個人の家事であり、まして分かれていれば、男女の間には愛憎渦巻くものがあって当然である。テレビに出ようが、悪口雑言を浴びせようが、それは基本的に彼女たちの自己判断の結果であり、家庭内問題に過ぎない。 日本では「夫婦喧嘩は犬も食わない」というが、何で元夫婦の大喧嘩の場に、国会議員が同席してあれこれ言う必要が有るであろうか。
 しかも、施氏の入獄時代の私信や蒋氏に当てた反省助命嘆願書などまでも公開して、その変節を詰っている。 美麗島事件の入獄者が、牢獄で書いた反省文を以って、「変節」と詰るのは、ナンセンスである。当時の社会状況や国民党一党独裁下の政治状況などを全く忘却して、獄中での文章の一言片句を捉えて「変節」と人間性を詰るのは、これこそ全く政治的センスの欠落した非難の為の非難にしか過ぎず、「よく政治家たるものが、こんなアホなことが声高に言えるものだ」と呆れてしまう。
 厳しい見方をすれば、今の民進党の国会議員のレベル(日本の自民党の当選者も、似たり寄ったりではあるが)が、所詮この程度でしかない、と言われてしまうのである。 明白なのは、この泥仕合で民進党自身の自己崩壊現象が起きており、人気の下落が著しい、ということである。恐らく現状を見る限り、次の総統選挙では国民党の勝であろうと思われるが、それを予感させる動きが全く無いわけではない。
 民進党の一部の長老たちの間では、「総統の九月の自発的辞職、呂副総統の総統就任、呂総統の間に、前陳総統に政治的特赦を与える」というシナリオが、密かに考えられているらしい。これは正式な総統選挙で国民党の馬氏が当選すれば、特赦は無理になるからその前に、という発想であれば、既に民進党の敗北を想定した話、ということになる。
 とにかく泥仕合、「台湾のテレビは他にネタが無いのかよ」と言いたくなる。大物芸能人の離婚を巡る罵りあい合戦と同じである。
 この一連の泥仕合を、連日見ていて小生の心に感ずるものが有った。それは、「己が聖人君子で、今まで間違ったことが無い、と言う自信が無い限りは、あまり立派なことは、声高に言わぬ方が良い」と言うことである。
 どんな地位にいても、己の考えややり方を通さんが為に、あまりにも立派な正論や、これ見よがしの意見を、声高に叫ぶと、必ず「お前は、あの時こう言ったではないか」「お前は嘗てこの様な事をしていたではないか」と、過去の己の言動が暴かれて、非難に晒されるということである。
 因って、小人俗士に過ぎない小生なぞは、努々立派なことなど言わないように、気をつけねばならない、ということである。「我こそは正しい」と思われる方々は、何をおっしゃっても問題ないであろうが、小生は俗人なれば、「小人俗士、小人俗士」と心に念じて日々過ごすのが、幸せというものでありましょう。

八月の桜 8月27日(日)

 日本でも季節外れの花を良く見かけるが、所謂「狂い咲き」である。 台湾でも、この「狂い咲き」が見られ、この真夏の八月に、台中の日月譚では「桜」が開花している。 如何に暑い台湾とは言え、「桜」が咲くのは三月である。
 その桜がこの八月にピンク色の花を咲かせているのである。まさに「桜」の「狂い咲き」である。恐らく、地球温暖化とこの夏の台風の影響であろうと思われるが、古来「狂い咲き」は、「天変地異」の前触れと言われ、不祥の兆候とされている。
 では、今年台湾で如何なる「天変地異」が起こるのであろうか、自然の「天変地異」か、はたまた政治的な「天変地異」か、それとも単なる自然の悪戯か。 世俗のことなど関係なく、桜は日月譚の山中に咲き誇っているが、八月の桜は、なぜか物悲しく、薄紅色がやけに紅く感じられる。
 しかし、それほど気にすることも無いであろう。なぜなら、小生自身が六十歳を前に台湾で中国語を学ぶなどと言う、物好きな酔狂をやっていれば、これとて一種の「狂い咲き」である。 「狂い咲き」の小生が、「狂い咲き」の桜を見て、物悲しく感じるのは、小生自身が「物悲しい」存在に他ならないからである。
 因って、「狂い咲き」は大いに結構、「酔狂」も大いに結構、「大和男の人生に、酔狂無くして何の人生ぞ」である。これからも「狂い咲き」し続けて行こうと思う、今日この頃である。出来れば、けれん味良く酔狂を通して、一生を終えたいものである。

ナショナリズムの横暴 8月27日(日)

 数日前まで行われていた、タイのバンコクでの2006年度国際少年運動大会で、馬鹿らしい事件が発生した。それは、大陸の北京の選手団に因る、一種のナショナリズムの横暴である。 中国大陸の人々の、ナショナリズムに基づく横暴さはよく見かけ、昨年の「反日デモ」でもその横暴さはいかんなく発揮されており、それがまた日本人の「嫌中国感」を増幅させることになるのであるが、今回は、その横暴さが台湾選手に向かって発揮された。
 この大会の規定では、台湾の旗は、選手入場や国旗掲揚では「中華台北」(梅のマーク)が義務付けられているが、選手団席や応援団席で振る旗や、メダリストが習慣的に身に纏う旗は、何の規制も無く、過去五度の大会では何ら問題は発生していなかった。
 所が今回は、水泳の金メダリストとテコンドーの金メダリスト(台湾代表)がメダルを受け取るとき(国旗掲揚代では中華台北の旗が揚げられている)、肩に掛けていた中華民国旗(晴天白日旗)と、応援席に掛けられていた中華民国旗を、三度にわたり北京の選手が、メダル授与のその場に走って行き、無理やり外させたのである。
 因みに北京は、この大会には今回から参加である。 大会運営上において、国際会議で承認を受けていて、過去に何ら問題の無かった行為に対し、今回北京の選手がナショナリズムを発揮した訳であるが、見るものをして唖然とさせ、その横暴は目に余るものが有る。
 と同時に、平和と親睦が目的のスポーツ世界、しかも少年スポーツ大会でも、やはり政治は無縁ではありえないことを、まざまざと見せ付ける事件である。 中国の人々の、この様な行為が横行すればするほど、「反中国感情」が高まることは、避けられないであろう。

ネット社会の悪ふざけ 8月27日(日)

 ネット社会のネット上に於ける悪ふざけは、日本でも多々有り、悪質な「殺人予告」などは、すぐさま警察に摘発されるが、台湾も同様である。
 昨日の午後、ネット上に「救国団」の名で、台北駅と玉山官邸の「爆破テロ予告」が出た。これは、悪ふざけも些か度が過ぎている。世界中で「テロ」が問題になっており、また台湾では政治的混乱の最中でもある。
 当然警察は色めきたち、台北駅では鉄道警察が、火薬反応犬を動員して大捜索を敢行し、官邸付近では、警察と軍隊の大捜索である。 結果はいうまでも無く「ガセ」であり、悪ふざけであるから、何事も事なき状況であったが、「爆破テロ予告」と言うのは、悪ふざけですむ問題ではない。
 問題は、日本同様直ぐに発信者を摘発出来るか否かであるが、恐らく困難であろう。なぜなら、日本の様に国内で書かれたとは限らないのである。中国語の投稿であれば、香港でも中国大陸でも、自由自在である。
 此方の警察は、「繁体字」で書かれているから台湾国内だと見ているようであるが、そんなに甘くはない。今や「繁体字」など何処からでも書ける。逆に台湾から「簡体字」が書けることを思えば、字体云々は意味の無いことである。 仮に、台湾以外からの発信となると、警察権が及ばない以上、摘発は困難であろう。
 この様に、中国、香港、台湾の漢字世界のネット社会は複雑に錯綜しており、そこでは、単なる悪ふざけも悪ふざけではなくなり、政治的意味合いをも持つようになる。なぜなら、この様な「悪ふざけ」は、一方で政治的な意味を持たせて解釈しようとする人々が、必ず現れる。
 因って、如何に台湾は自由だと言っても、一方では未だ「台湾海峡波高し」の政治状況が、厳然と存在する以上、軽軽な発言は極力避けるように心がけるべきである。 「悪ふざけ」も、時と場合によっては、大変な犯罪になるのである。

売り言葉に買い言葉 8月28日(月)

 日本でも徐々に中国との言葉のやり取りが、「売り言葉に買い言葉」的様相を佩びて来ており、互いに冷静な対応が求められるものと思うが、これが、政治的にある種の対立状態に在る台湾と中国とでは、もっと過激でまるで子供の喧嘩の様なやり取りが行われている。
 先の台湾便り81で報告した、中国選手に因る台湾金メダリスト選手の国旗引き剥がし問題であるが、台湾選手団長が中国選手団長に、「貴方たちには、暴力的行為以外の選択肢は無いのですか」と、今回の事件を詰問して謝罪を求めた所、中国選手団長の答えは「対、YES」であった。
 これなどは、まさに「売り言葉に買い言葉」であり、「暴力以外に方法は無いのか」との詰問に「そうだ、それしか無い」などと答えるのは、子供の喧嘩に等しい。スポーツの選手団長ともあろうものが、何たる愚かな事を、と思う一方で、選手団長であるが故に(ある意味では国家を背負っている)あのように答えた、とも考えることが出来る。
 選手団長とは言え、海外派遣の選手団長であれば、当然ある種の外交団であり、その団長は、これまた当然国家の外交方針を背負うことになる。 この中国選手団長の発言が、思わぬ余波を発生させている。
 それは、被害にあった台湾選手が台北市の高校生であったため、台北市長たる国民党主席の馬九英に、中国に対するそれなりの対応ないし発言が求められたのであるが、馬氏はこともあろうに、「無法理解、理解に苦しみます」などと甘っちょろい発言をしたため、要らぬ批判を受けている。
 つまり、この様に中国の台湾に対する態度は明明白白で、中華民国の存在を抹殺しようとしており、そのためには暴力も厭わないと明言している国であるのに、馬氏の発言は、やっぱり国民党は中国と通じているのだろう、というのである。 折角民進党の身内の争いで漁夫の利を得られかもしれない時に、こんな甘い発言をして批判を受けるとは、愚かなことである。
 四月以来、馬氏の発言に気をつけているが、先の「自分は台湾人とは思わない」発言(台湾で生まれて、台湾の水を飲んで、台湾の米を食べていて、台湾人と思えないとは如何なることか、と凄い批判が起こり、馬氏はあわてて訂正釈明していた)にしろ、今回の「理解に苦しむ」発言にしろ、どうも口が軽いと言うか、政治的センスが悪すぎると言うか、主席の発言としては、軽率の謗りを免れがたい。
 馬氏の売りは、「若さと顔の良さ」であり、今は民進党の「汚貪」に対して国民党の「清廉」を喧伝しているが、どうもこの「清廉」は胡散臭いし、「若さと顔の良さ」も、今の様な発言が続けば飽きられてしまうであろう。 いずれにしても、外交は言葉の戦争であり、言葉の喧嘩の修羅場であることを、今回の事件は強く見せ付けている。

言葉の洒落 8月28日(月)

 流石に台湾は漢字の国である。本日実に洒落の効いた言葉が新聞に登場した。 「泡湯太久、作人泡湯」というものである。「泡湯」で「泡湯」になるとは、なかなか気の利いた洒落である。
 何の話かと言えば、男性は長時間37度以上の温度に接していると、精子が死滅してしまう(本当か否かは専門医に聞かねば分からぬが)、と言う警告で、熱いお湯(温泉など)に長時間入ってはならない、という事で、タクシーの運転手や料理人なども、この危険に晒されている、と言うのである。 で、何が洒落かと言えば、最初の「泡湯」は、熱いお湯のことであり、後の「泡湯」は、お釈迦になることである。精子が死滅すれば当然子供は出来ないわけであるから、人類の将来はお釈迦である。
 つまり「泡湯」で「泡湯」に成ると言うお話なのであります。 小生なんぞは「泡湯」に入らなくても、とっくに「泡湯」であり「泡泡湯湯」でありまする。

日本街 8月30日(水)

 以前に、台北再開発で青田街の旧日本家屋が整理されることを報告したが、今回はその逆とでも言うべき日本街の建設に就いてである。
 台北市都市計画局、が来年度の台北市整備計画を出したが、それに対して馬九英市長が、特色有る再開発と言うことで、日本街を作ったらどうかと言い出したのである。 市長の見解は、日本の横浜市の中華街に倣って、台北日本街を作ろうと言うものであり、これに都市計画局が乗って、「では作りましょう」となったみたいである。
 場所は、中山北路一段で560mほどに渉っての日本街である。一体如何なる街が出来上がるのか楽しみである。日本から老舗が出店するのか、はたまた在台の商魂たくましい日本人が出店するのか、あるいは「阿波踊り大会」でも開くのか、とにかく「日本人節」とか「某某節」とか、日本に関わりのある「節」を可なり用意して設定するみたいである。
 来年末か再来年には、台北に一大日本街が出現するのである。 小生は、密かに小生の家の「安田八幡宮」の神社の出店(台北八幡宮神社)でも出せたら面白いと、思っている。仮にそれが可能となれば、その時はさっさと大学など辞めて、小生が台北常駐の宮司をしようと思っている。

寂しいイベント 8月30日(水)

 本日はなぜか店の裏がやかましい。覗いて見たら、何かのイベントの様で、やたら風船が飾ってある。 午後二時からとあるので、見に行ったら、これがトンでもないイベントで、「コンドーム使用大キャンペーン」である。
 主催は、台北市衛生局とコンドーム企業連盟との、合同大イベントなのであるが、来客は五六人に過ぎない。しかもこの客は、だれも来客がいないので、無理やり通りを歩いていた高校生をかき集めた「さくら」である。 ステージでは、台北市副市長の女性(コンドームを必要とする年ではないが)が、切々とコンドームの重要性を説き、次いでコンドーム企業連盟の理事長様が、「私はいつも持っています」(持っていても使える年ではない)などと、一生賢明「使え、使え」と訴えるが、なぜか会場は白けムードである。
 この後一体どうなるのか、と思っていたら、若いきゃぴきゃぴの美女二人が登場し、「コンドーム、コンドーム」と絶叫し始め、次いでこれまた若いねえちゃん数人が、臍を出し腰をくねらせ、度派手な音楽と共に踊りだしたのである。 実に変なイベントであった。コンドームなんか関係ないは、というようないけいけのお姉ちゃんたちの踊りと絶叫、コンドームを必要としない人々の、切々たる訴え、それを聞く白けたムードの「さくら」たち。
 では小生は何をしていたか、意地汚い小生は「何かがもらえる」と勝手に思い、二時間ほどこのイベントを見ていたのであります。 結局何ももらえなかったが、臍だし姉ちゃんたちの、セクシーな踊りだけは、堪能できました。とにかく、ミスマッチの寂しいイベントでありました。

文化財と政治 8月31日(木)

 いやはや、此方の政治闘争は何がなにやらさっぱり分からない。大騒ぎしている「下台」運動も、四月以来ニュースを見ているが、「陳総統が如何なる法律違反をしたのか」「如何なる国策の誤りを犯したのか」さっぱり分からない。
 民主的選挙で選ばれた総統を、大衆運動で圧力をかけ辞職を迫るほどの「誤り」とは、一体陳総統は何をしたのだろうか(周囲の人々の不正は目に付くが、総統自身が何をしたのか分からない)。 それぞれが「民主、民主」と叫ぶが、何か台湾の政治が「法治」から「人治」に舵を切ったように見受けられる。
 この闘争集団が、台北の一級歴史古跡文化財である「景福門」(総統府の正面にある歴史的建造物)を使わせろと要求し、「使わせろ」「使うべきでない」の論争が、今度は学者や文化財保護団体と政治闘争集団との間で起こっている。
 何と言おうか、実に漢民族は政治が好きである。よく百万人も集まるものだ、というより、よくそれだけ暇人がいるものだ、と感心するが、同時に、文化財であれなんであれ使えるものは何でも政治に使う、という発想は凄いといわざるを得ない。 「帝徳何ぞ我に在らんや」の民族の末裔とは思えぬほどの、政治熱であるが、一方では、それを冷ややかに眺める全く我関せずの人々が存在するのも、事実である。
 この台湾の政治的騒動に合わせるが如く、大陸ではかつての国民党軍の評価や名誉回復(今までは不倶戴天の敵であったが)を始めていれば、この熱気と冷めた目の関係には、やはり「省籍」問題が影を落としているように思えてならない。とすれば、「たかが台湾、されど台湾」であり「たかが政治、されど政治」である。


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