《臺北零話》

《2006年・9月

排隊 9月 1日(金)

 小生を教えている北京出身の老先生が、何かにつけて言われるのが「中国人真不喜歓排隊」という言葉である。 「中国人は並ぶのが大嫌いである」とのお言葉であるが、これは「老師説的対」で、まさにその通りで、昨年北京でいやと言うほど経験した。
 地下鉄に乗るときでも、切符を買うときでも、観光地の入場券を買う時でも、バスに乗る時でも、とにかくわれ先で、早い者勝ち、買った者勝ちである。地下鉄の切符を買っている最中にも突然割り込まれた経験が有る。 では台湾はどうか、見ている限りは基本的にやはり排隊(並ぶ)のは嫌いなようであるが、それでも地下鉄やエレベーターの乗り降り、切符や入場券の売り場窓口などでは、ちゃんと並んで順番を待ち、結構礼儀正しい。
 しかし、なぜだか地下鉄にのる時、些か混雑する、皆真面目に排隊しているのになぜなのか、半年ほど毎日地下鉄に乗って監察していて、あることに気がついた。 それは、降りる人がわりとちんたらしてゆっくりのんびりと降りるのである。明らかに日本の地下鉄の降車する人の早さに比べたら、格段に遅い。「ゆっくりしている」といえば言葉はいいが、はっきり言えば、「馬馬虎虎」で「三々五々」に降りるという感じである。
 そのため、折角排隊している人たちも、流石に苛ついてまだ人が降りきっていない途中で、乗車しだすため、些か混雑するのである。これでは折角の「排隊」も意味がない。 降りる人が、我先にとは言わないまでも、整然とさっさと降りれば、この「排隊」も意味をもつものを、と思うのであるが、さてこの「排隊」が何時まで維持されるやら、基本的には、やはり台湾の人も「排隊」が嫌いなようである。
 ただし、官庁や銀行などは、日本同様先ず「受付カード」を取るようになっているから、「排隊」しようがしまいが、己の番号を呼ばれるまでは、何も出来ないのである。

台湾の中の中国 9月 1日(金)

 今、台湾と中国は政治的に緊張状態に在るが、経済は全く違う。台湾の中に多くの中国を見かける。 現在、台湾の建築木材の輸入の75パーセントは、中国からの輸入合板木材が占めているが、最近この木材が問題を起こした。それは合板自体が劣悪であると同時に、その合板の為の接着剤が、既に日本などでは人体に悪影響を及ぼすとして禁止された、有害物質を多量に含んだ接着剤が使用されていたのである。
 また人の交流も盛んで、多くの中国観光客が台湾に遊びに来ているが(実際小生も中国からの観光客に声を掛けられ道を聞かれた)、その金の使い方が半端ではない。嘗ての日本人がヨーロッパでブランド品を買いあさったが如く、靴や衣類などを何十足と買い捲り、中には数百万の宝飾類を買う若い女性などがいて、中国経済力のすさまじさ(当然持てる人だけの話ではあるが)を見せ付けているが、問題は、その支払いが人民元で行われており、それを容認している政府に対して、前総統の李氏が「台湾の主権」という観点から問題視し、 また新聞の三面記事には、「若い大陸花嫁」に騙された人々の話が、度々登場している。
 この様に、中国からの輸入品や人民元の使用、中国花嫁の話、等等を見聞するにつけ、既に台湾は、「物と人」に関しては、ほぼ中国の一部になりつつある状況のように感じられる。

画面と実態 9月 2日(土)

 昨日から、いよいよ具体的な陳総統「下台」運動が開始されが、盛り上がりが足らない。 総統はさっさと外遊に出かけており、運動の掛け声は高かったが、実際はそれほどではない。
 テレビは、連日これでもかこれでもかと、華々しく「下台」運動を伝え、各運動の代表者も、連日テレビに登場してこぶしを振り上げてアジっている。テレビを見ている限りは、大騒動、大運動、大集会(何しろ百万人静座と喧伝していた)で、小生なんぞは勝手に個人的に、「バスが止まったら大変だ」などと思っていたが、いささか様子が異なり拍子抜けである。
 好奇心旺盛な小生は、周囲の反対を振り切って野次馬根性丸出しで、現場を通りかかってみた(覗き見に行ったが正しい)が、全く人が少ない。百万人どころか万人、千人さえいないように見受けられた。集まっている人々も、バリバリのアジを述べる人がいるにはいるが、大半は何かボランテア活動の参加者風で、拍子抜けであった。 聴けば、人の集まりが悪く、第二会場は中止されたようである。
 テレビ画面と実態のギャップは、真に大きい。今回は、つくづくと反省させられた。テレビ画面の映像だけを信じて鵜呑みにしてはいけない。テレビももっとカメラを引いて映せば、 客観的な雰囲気がある程度伝わるが、アップ画像であれば、にぎやかな興奮のその部分の大写しである。それをそのまま信用すると、周囲が分からなくなることが、今回よく分かった。 ちなみに運動自体も、何か内紛が起きているみたいである。

試験は零点 9月 3日(日)

 九月に入り、授業も新しいクラスメートが加わり四人となった。五月以来の生き残りの小生と、日本の華僑の女の子(新潟人)、それに新たに加わった日本人男子とオーストラリア華僑の女の子(18歳)の四人である。 七月、八月と続いたジプシー生活(毎回教室が変わる)の元凶である、華僑のガキやジャリたちが一斉に帰国し、再び静かさを取り戻し、本来の教室での授業である。 所が、テキストは八月からの続きであるにも関わらず、先生がまたまた変わり(五月以来五人目)、授業の進め方も大いに異なってきた。
 九月は、毎日前回の試験が行われるが、小生は恐らく零点の連続であろう。今までの先生は、「中林は、漢字が読めて書けるから、漢字の書き取りなどはしなくても好い、注韻符号も別に覚えなくても、発音出切ればかまわない、聞き取りと会話を一生懸命練習すればいいです」との、ありがたい配慮で、注韻符号など一切覚えなかった。 所が何と、今回の先生は注韻符号を重視し、毎回のテストは、注韻符号を見て漢字を書く、書き取りテストである。そんなもの小生に分かるはずが無い、因って、毎回零点である。 先生曰く、「なぜ貴方は四ヶ月も学んでいても、全然覚えないのですか」との、お叱りを受けたが、そんなことを言われてもよー、知らないものは、知らないよー。
 生き残り組みの女の子が、「伯父さんは知らなくてもいいじゃん」と慰めの言葉を言ったが、本人は五月以来注韻符号の基礎から習っているので、問題は無い。 この小娘の優越感漂う慰めを聞いて、無性に腹が立った。お前に言われたくはないわいな。 でも試験は零点のオンパレードです。ははは、、、。

粋な計らい 9月 4日(月)

 日本では昨年から、観光振興を目指して「観光案内士」のような資格試験が行われているが、実はこの試験が北京、韓国、台湾、香港でも同時に行われていることは、あまり知られていない。 当然試験に使用される文字は、それぞれの国語であるが、昨年は中国語圏は、簡体字でローマ字併韻であった。
 これに対して、一部の受験者から、「簡体字では、台湾の受験者が不利だろう」との意見が出されたみたいである。 日本政府肝いりの試験であれば、恐らく簡体字で通すだろう、と思っていたが、何と行政機関の試験にしては、誠に粋な計らいというべきか、今年度から台北での試験は、繁体字と注韻符号でも問題となった。
 因って今年度の台湾受験者は1000人を超えたのである。 何かにつけて中国の顔色を伺う、日本政府のすることにしては、繁体字と注韻符号で問題を作るとは、全く驚天動地のことである。 何とまあ、粋な計らいをすることか、日本もまだまだ捨てたものではない。因みに、今陳総統は外遊中であるが、彼が乗った専用機(空軍一号)の領空通過を、最初は許可していたフイリピンが、中国の講義で拒否したが、代わりに日本が往復とも領空通過を許可している。
 この様な、粋な計らいは、あまり日本で大々的に報道してほしくない、なぜなら、マスコミが取り上げれば、必ず中国からの横槍や抗議が来るからである。

親日的 9月 4日(月)

 台湾の人は親日的である、とはよく言われることであるが、それを象徴するような話が、今朝の新聞に載っていた。 新竹在住の老台湾人兄弟が、自分たちの「曽」姓を「寶」姓に変えたという話である。
 彼らの祖父は日本人で、戦前台湾で警察官であったらしいが、こよなく台湾を愛して客家人の「曽」姓の女性と結婚し、台湾永住を選択したらしい。その時、天皇から「寶」姓を賜ったらしいが、かれの子孫は代々「曽」姓を名乗ってきている。 偶々古い戸籍資料でそのことを知った老兄弟は、色々調べ上げ、祖父の長兄の子孫が住む日本の山梨まで出かけて面会し、さらに祖父一族の菩提寺にまで参って確認し、帰国後親族会議を開き、「寶」姓に改姓したのである。 老兄弟の話では、「自分たちは台湾人であるが、同時に日本人の血も流れている、親族会議では誰も反対派無く賛成であった」とのことである。
 果たして祖父の「寶」姓が、本当に明治天皇からの「賜姓」であったのか否か、それは問題ではないであろう。要は、それを信じて彼らが改姓したということが、重要なのである。 これも、台湾における親日的なものの一つであろうか。

女性専用車両 9月 4日(月)

 日本の私鉄や山手線などでよく見かける、時間指定の女性専用車両が、台湾にも有る。この六月から、台北の地下鉄が導入しているが、えらく不評で廃止されそうな勢いである。 男性が不満を言うのは分かるが、こちらではその車両に乗り込んだ男性と女性との口論が絶えず、女性からも不評である。
 理由は、はっきりしている。日本を真似て導入したまでは良かったが、その説明も設定も、実にいい加減である。ここら当たりが中国的と言えば中国的である。小生も、何回かうっかり乗り込み、「ここが女性車両か」とびっくりし、あわてたことが有る。
 何がいい加減かと言えば、先ず「時間設定」が明白ではない。次にプラットホームの説明が不明確(日本のように、ホーム自体をピンク色に塗って白書きし、誰にでも直ぐに分かるようにはなっていない。ただホームに書かれているだけで、下を見ながら歩かないと分からない)、次に、場所が一定していない(日本のように、先頭車両若しくは最後尾車両何両かが指定されている訳ではなく、何か列車ごとに異なるみたいである)、次にマスコミへの宣伝と一般乗客への周知徹底が、極めて不十分である。 以上のような理由から、女性専用車両に乗り込む男性乗客は、後を絶たず、その度ごとに口論が起こり、互いに不満不平を鳴らし、極めて不評である。
 因みに、知り合いの女性に聞いた所、「有った方が好い」と言う意見であったが、果たして存続するのやら否や。仮に廃止となれば、はっきり言って不評が原因と言うよりも、導入時における鉄道会社の、対応の不手際、いい加減さが、最大の原因であろう。

指揮の緩み 9月 4日(月)

 台湾の空軍も指揮が緩みっぱなしである。 今、陳総統は外遊中であるが、その護衛を担当した空軍飛行士(F16)の女友達が、インターネット上に「老鷹送青蛙(総統の乗った空軍一号機は青色である)」の見出しで、その様子を書き込んで流し、空軍が調査に着手した。
 総統の護衛任務は、機密事項中の機密事項、トップシークレットであるはずであるが、その担当者がその機密を女友達に話し、またその女友達がそれをネットに書き込むとは、これは関係者の処分問題レベルの話で、指揮の緩みをはるかに越えた話である。 何を話しても、所詮個人の自由ではあるが、その立場上言って良い話と言ってはいけない話が有るはずである。それをうっかり漏らしてしまった空軍飛行士も飛行士だが、それをこれ見よがしにネットに書き込む女友達も女友達である。孟子が言う「類を知らず」とは、まさにこのことである。 結果、その空軍飛行士とその女性の顔写真が、今日一日中テレビに映されっぱなしである。
 自分たちのデートの写真を多数載せているホームページに、このような機密事項を書き込む女性の気が知れない。これではまるで、自分たちの顔をテレビで宣伝してください、と言っているに等しい。 台湾空軍も、こと軍人の意識に関しては、地に落ちたものである。

可笑しなお菓子の争い 9月 5日(火)

 最近、可笑しなお菓子のホットな争いが勃発している。 事の発端は、台北のお菓子組合の会長さんが「鳳梨スアン」を、台北を代表するお菓子として、来客や海外からのお客へのお土産にしよう」と言い出して、大々的な「鳳梨スアン節」を開催したことに在る。 「鳳梨スアン」は、台湾を代表するお菓子で、鳳梨の果肉を軟らかいクッキーで包んだ一口菓子である。
 これに異を唱えたのが、台中の顔氏である。台中の顔氏は、「鳳梨スアン」の創始者つまり元祖「鳳梨スアン」店の三代目の老板である。発案は顔氏の祖父であるが、現在のような一口に改良したのは父親で、日本留学経験を持つ父親が、日本の「某某特産」なる名称に着目して、「台中名産鳳梨スアン」として売り出し、現在の隆盛を得ているのである。
 小生も36年前に、わざわざ台中に行きこの「鳳梨スアン」を食べたが、実に美味しい、これこそ台湾の味だと思った。最近は今風に変化し、果肉も種類が増え綺麗な化粧箱に入り、如何にも立派なお菓子のようになっているが、小生自信は、やはり昔ながらの油紙に包まれた、顔氏の「鳳梨スアン」が好きである。
 顔氏の反論は、「台北を代表とはおかしい、元々台中名産であるから、台湾代表にしろ、その方が台湾全部の業者の利益になる」との意見である。 さすが元祖老舗の老板の意見である。己の台中名産に拘らず、「台湾の代表にしろ」とは、見上げたものである。元祖老舗の自信を感じさせる。 このホットな、可笑しなお菓子の争いは、元祖老舗の老板の勝ちとしたい。

おばさんパワー  9月 5日(火)

 昨日から、日本のおばさんパワーが炸裂中で、台湾のテレビや新聞に登場して、台湾の人々を驚かせている。 何が人を驚かせているかと言えば、金遣いの荒さである。以前大陸の観光客の金遣いの荒さは報告したが、その比ではない。こちらの新聞が「銭力驚人」と銘打って報道するほどの凄さである。
 如何なる団体か詳細は不明であるが、日本の栄養食品関係の女性七百人の大型観光団である。僅か五泊の旅行で、一人当たりの買い物金額は二百万元強(約八百万円弱)であり、その中の社長と称する女性にいたっては、二百五十万前後の品々(貴金属、宝飾、骨董等等)を次々とお買い遊ばされ、テレビに登場するや、「日本人の最高使用金額を、目指している」と、得意顔で豪語なさっていた。
 このご一行様は、とにかくこちらの人々を驚かせている、というよりあきれ果てさせている。 本来なら、日本女性のご活躍であれば、「大和撫子ここに在り」と言うか、年齢的には「大和姥桜ここに在り」とでも言うべき話で、さすが日本女性と言いたいのであるが、果たしてこれが、「さすが日本女性」と言えるのであろうか。こちらの新聞の口調もどこか皮肉っぽい。
 いずれにしても、「おばさんパワー」大爆発、大展開のご一行様であります。 貧乏人の小生は、テレビを見ながら、「そんなにお金が有るのなら、少しおれに恵んでくれー」と思っている。まあ、金は有る所には有るものですなあ。

新幹線 9月 6日(水)

 いよいよ台湾の新幹線開通が迫ってきた。今まで何回も台中高雄間で試運転が行われていたが、路線の台北の板橋まで完全開通し、あと一歩で台北駅である。 この開通式典が十月に行われるが、日本でも報道されたが如く、昨日パラオでの陳総統の記者会見で、総統自らが日本の元首相である小泉氏(十月時点では元である)の訪台式典参加を要請した。
 台湾新幹線の建設に関しては、日本とフランスとの間で激しい受注合戦が有り、一度フランスを中心としたヨーロッパ連合に発注されたが、最終的には日本の新幹線技術が導入されている。 この受注合戦は、単なる技術的な問題だけでなく、複雑な国内政治や国際政治(大陸の新幹線建設とも、全く無縁ではない)などが絡み合い、一転、二転、三転のあげく、結局日本の新幹線導入となったものである。
 日本の援助を高く評価しての陳総統の招待であるが、この招待には、建前の理由以外に、現在の台湾の外交政策の一端と言う本音の理由(友好国訪問中での発表が、それを窺わせる)が有るのも、また明々白々な事実である。
 日本の元総理では、福田氏、森氏が台湾を訪問しているが、果たして小泉氏は来台されるであろうか、報道されてはいないが、東京都知事の石原氏は、やって来るだろうと思っている。

色情市場 9月 7日(木)

 今回は、半年に及ぶ社会風俗調査の結果の一端を報告する。それは台北の色情市場に就いてである。 色情産業は、最古から今に至るまで営々と行われて来た、一種の原罪的必要悪の産業であり、公的に禁止すればするほど蔓延り、「存在しない」と豪語する社会主義の国でさえ、存在している。要するに、男のいる所には、必ず存在すると思えば好い。
 昨日も、行政院の前で「日々春協会」がデモを行っていたが、廃娼後の違法摘発金額が、約1700萬元、彼女たちの生活苦に因る負債は、およそ6億元に上る、と声高に訴えていた。過日の大姐の自殺も、生活苦が原因である。 では、今の台北は如何。越南(ベトナム)少女が猛烈な勢いで成長している。
 嘗て台北の色情市場の主役は、台湾女性と大陸女性が主役であり、その中に時たま日本女性や白人女性が混じるという具合であったが、今やその地位を越南少女が取って代わろうという勢いである。まだ、台北市内ではそれほどではないが、その周囲の大台北での勢力は、馬鹿に出来ない。 大陸女性の台湾入境は大概結婚で、入境後八年たって在留資格が手に入っても、まともな仕事に就くのは用意ではない。そこで色情市場に身を投じる女性たちが出てくるのであるが、当然些か年齢が高い。
 所が、越南女性は、「依親(親族に身を寄せる)」で簡単に入境し(ベトナム戦争の影響で、台湾には多くのベトナムの人たちが住んでいる)、簡単に働き出す。当然語学の問題が有るので、彼女たちの働き口は酒店となるが、これが色情市場である。更に彼女たちは入境が容易であるため、年齢が低くおしなべて二十歳前後である。 この若さが顧客に受けて、大繁盛である。今までは、南の方で流行っていたが、その勢いは台北まで迫ってきた。
 彼女たちは、大概日本で言う「トタン屋根の掘っ立て小屋」風の小さい「越南小食」に勤めている。汚くて小さい店ではあるが、ネオンは度派手である。その前で彼女たちが客を引くのである。値段も安く、二時間ないしは三時間で「500元(2000円弱)」である。 この値段の安さと彼女たちの若さが武器となり、顧客に大うけで勢力拡大中である。ただし、不衛生極まりなく可なり危険である。スリルと怖いもの見たさの人はどうぞ、と言う感じである。
 「悪貨が良貨を駆逐する」とは、なにもまともな商品だけに限った話ではなく、色情市場でも同じことである。 しかし、問題はそれが流行るということであり、それは、如何に男がアンモラルで助平な存在であるかということを、如実に示している。需要が有るからこそ流行るのである。

小包爆弾 9月 7日(木)

 人の恨みは何処で買うか分からない。昨日台北の某投資会社の副経理の元に、小包が送られてきた。その小包が爆弾で、開けようとした副経理は、両腕の指をそれぞれ三本づつ吹き飛ばされ、胸や顔にも被害を受け失明の恐れが有る。 恐らく、投資に失敗した人の「逆恨み」ではないのかと思われるが、警察も先ず投資会社が持っている会員名簿の調査から、ローラー作戦を展開している。
 日本でも、ライブドアーに関する投資で、被害の弁済を求める動きがあるが、基本的に株は「自己責任」である。安定株主となるのではなく、株の売買で利ざやを稼ぐ株投資の利殖は、「ハイリスク、ハイリターン」である。 どんなに証券会社の人間が、「絶対安全です」などと言っても、「株」は生き物であり、あらゆる周囲の変化に対応して変化し、一瞬にして大損することも多々有る。その変化を自らの努力と勉強で見極めて投資するのが、所謂「株投資」の利殖であれば、誰に何と言われようと、基本的には「自己責任」の世界である。
 数字の上下に一喜一憂するマネーゲームの一種の虚業世界での利殖に踊る人々は、どこにも存在する。台湾も決して例外ではない。むしろ利殖ということであれば、上から下まで、大から小まで、台湾の人の方が遥かに日本人より一生懸命である。 マネーゲームに踊った人も、躍らせた人も、好いときは好いが、悪いときはこの様な事も起きてしまう。
 マネーゲームとは全く無縁(したくてもマネーが無い)な貧乏人の小生は、この事件の報道を聞いて、何処か空しさを感じてしまった。 「たかが銭、されど銭」である。銭は多いに越した事は無いが、小生の様な貧乏人は大金を持ったことが無いので、「可能生活才就好」である。生活できればそれで好し、「知足知分」の生活が、何か一番安全な様に感じられる。

外遇 9月 8日(金)

 此方の新聞はネタが少ないせいか、割と多く色情ネタが載る。日本で言えば朝日や読売に該当する「聯合報」や「自由中国」等にも、毎回の如く何か一つは色情ネタが有る。中には一般人の単なる浮気事件でさえも有る。
 本日の新聞に「外遇老公」の見出しが躍っていた。「外遇」とは、日本で言う「不倫」である。 王姓なる某公司の副経理が、謝姓なる夫持ちのご夫人と不倫をし、モーテルで何の真っ最中に、謝の夫から連絡を受けた警察に踏み込まれ、つかまったのである。
 問題は茲からで、謝の夫は、妻を許したが相手の王には「家庭破壊」の民事訴訟を起こし係争中である。所が、王は自分の雇った弁護士に正直に話をしていなかったため、連絡しようとした弁護士が、王が見つからない(大陸出張中)ため、王の妻劉姓に電話をしたのである。 その結果、王の不倫が妻の劉にばれてしまい、こちらの過程も大騒動で、家屋敷財産を全て妻の劉に渡すことで、何とか許してもらった(当然離婚)らしいが、謝への民事の負債はどうするか不明である。 王は桃園に住居を構え、不倫がばれないようにわざわざ離れた台北や新竹で外遇を繰り返し、十分に注意を払っていたらしいが、弁護士に全てを正直に話さなかったばっかりに、奥さんから無一文にされて追い出されたのである。
 「不倫は高くつく」という典型的な話であるが、では、不倫ではなく相手が独身である場合は、一体何と言うのか、「不倫は外遇」、では「愛人を持つのは???」「浮気は???」「浮気ではなく一二度の遊びは???」、これは知っておかねばならない言葉であれば、今日学校で聞いてみることにする。

台湾旗 9月 8日(金)

 本日総統府前の道に「台湾旗」が翩翻と翻った。「中華民国旗」「中華台北旗」は見たことが有るが、「台湾旗」は本日始めて見た。 どんな旗かといえば、日本の「日の丸」に色をつけて「台湾」と漢字が白抜きされているのうな旗である。先ず上下の三色旗で、上段が薄緑色、中段が白色(やや幅が狭い)、下段が薄青色に染められていて、その中央に日の丸の赤丸よりやや大きい赤丸が描かれ、その赤丸の中に「台湾」の漢字が白抜きされている。
 ではなぜこの旗が掲げられたかであるが、八月から展開されている前民進党主席施氏の「総統下台」運動が、いよいよ明日九月九日に百万人大デモを敢行する。 是に対し国民党は対岸の火事と眺め、馬主席は「党としてこのデモに加わることは無い、但し党員が個人の資格で参加するのは自由である」と述べ、一種の施氏に対する側面支援的立場を取っていた。一方民進党現職議員は、「反施氏」運動を展開し、醜いまでの暴露合戦を展開していた。
 所が、茲に来て何か様相が代わってきた、と言うより問題の本質が摩り替えられてきている。今までの動きに対して、民進党のトップを形成する現職閣僚たちは、「台湾政治の憂慮」を表明するだけであった。 数日前のことであるが、こちらの新聞に中国政府のコメントが載った。小さい見出しで、しかも五六面の記事であれば、「いつもの事」と気に留める人も少なかったが、内容は「民進党とは一切話も交渉もしない、民進党を相手にしない」と言う内容であった。 この記事の後あたりから、民進党トップ連中の声が聞こえてくるようになった。
 その結果、本日は、民進党の現主席遊氏が総統府前で、「台湾旗」升台大大会を開いたのである。 当然のことながら、会場での演説は全て「台湾語」である。内容は、「我々は台湾人である」「台湾を愛している」「国民党は、台湾人に因る本土政権を潰そうとしている」等等である。 「下台か否か」の運動が、いつの間にか「愛台か否か」に変わって来ている。その結果、本日「台湾旗」が、総統府前に掲げられたのである。その時、歌が歌われていたので、恐らく「台湾歌」だろうと思うが、よく聞き取れなかった。 揚げられて行く「台湾旗」を眺めながら、不遜にも「あれ、日の丸か、、、」と、瞬間錯覚を起こした。

総統府前 9月 9日(土)

 本日も総統府前は人の波である。昨日、今日と二日続けて現場に立っている小生には、本日の方が遥かに人が多く、警察の警備も厳重である。 紅色の衣服を着けた老若男女がひしめき合って「下台」を叫び、その中を一種の凱旋将軍の如く、施氏がオープンカーに乗って移動している。 昨日は、台湾独立一派の大気勢大会であったため、「台湾旗」が翻ったが、今日は旗は少なく時たま「中華民国旗」が見られる。
 因みに、なぜ昨日台独派の大会が開かれたかと言えば、今日の運動に機先を制した訳ではなく、九月八日を「台湾独立日」と措定しているからである。 日本は無条件降伏を受け入れて降伏したが、そのときの連合国側の一国が中華民国であり、1951年九月八日のサンフランシスコ講和条約締結で、日本は国際社会に復活している。その講和条約の中で、日本は「台湾及びその周辺諸島を放棄し、それに対する一切の権利、名義、要求を放棄」しているのである。因みに、「放棄」はしているが、それの所属は一切明言されていない。因って、中国と「日中平和条約」を締結し、台湾と断交した時でさえ、日本政府は、中国側の「台湾所属明記」要求を拒否し、日本政府は「ポツダム宣言とサンフランシスコ講和条約第二条二項を遵守する」で、押し通している。
 故に、国際法上に在っては(現実的国際政治の勢力上の問題は別として)、台湾の所属を日本が放棄したことは明白であっても、台湾の所属事態は、台湾に住む人々の総意決定に委ねられているのである。嘗て毛沢東も、「台湾は台湾の人々の総意に任せる」と、明言している。 これが、昨日つまり九月八日(サンフランシスコ講和条約締結日)に、台独派の人々が気勢を上げた理由である。
 では、今日のデモは、台湾統一派のデモかといえば、そうではない。そうであればことは簡単で、単なる「台独派」対「統一派」の争いに過ぎないのであるが、事はそう簡単ではなく、今日から始まる百万人静坐デモは、「陳総統下台」デモなのである。 因って、本日のデモの中には、民進党の人も国民党の人も独立派の人も統一派の人も、含まれる事になる(実際は分からないが)。「陳総統下台」を求める人であれば、誰でも参加出切るデモなのである。
 因って、現場で見ていると、政治とはあまり縁の無いような「日々春協会」の小姐(陳総統が台北市長の時に、公娼が廃止されている)や、「大陸新娘」(大陸との自由往来を求める)等の姿も、見受けられるのである。
 たった今、施氏の演説が始まった、「台湾は自由民主の国である。台湾人には是非の心が有る。汚職腐敗の政治は許されない、阿扁下台、阿扁下台、阿扁下台、阿扁下台、阿扁下台」 演説はまだ続いているが、彼が「阿扁下台」を叫ぶと、参加者から大きな声で「阿扁下台」が繰り返し叫ばれている。 「阿扁下台」の声と共に、四発の号砲が総統府に向かって打たれ、たった今百万人静坐デモが始まりました。

民主 9月 9日(土)

 好奇心に負けて引き返し、再び総統府前の現場です。 雨が降ってきたため、参加者は一斉に雨具を付けて座っています。施氏も静かに座っています。 二十万と言っていますが、これは主催者発表で、現場で見る限りは、総統府前の景福門を中心に、台大裏など数万(今段階で)ぐらいだろうと思われます。「静坐デモ」が開始されてからは、始まったときやや騒然としたが、今は静かです。まさに「静坐デモ」です。
 陳総統も本日演説し、「台湾は自由民主国家」だと声高に言い放ちましたが、デモ主催者の施氏も、「台湾は自由民主国家」だと声高に言い放ちている。共に「自由民主」を叫んでの政治闘争である。 確かに台湾は「自由民主」である。昨日の「台独派大会」にしろ、今日の「下台デモ」にしろ、官憲の弾圧や度を過ぎた規制など一切なく、粛々と行われている。しかも総統府前でである。
 これは、一党独裁の国では、決して許されない行為であろう。その意味では、確かに台湾は、自由民主の国であると言えよう。 ただ、数ヶ月前からの一連の動きを見てきた小生には、民主選挙で選ばれた総統を、大衆動員で倒すことが、果たして本当の民主であろうか、選挙で選ばれた総統であれば、次の選挙で引き摺り下ろすのが民主ではなかろうか、とふと思ってしまう。
 恐らく、今の政治的混乱や、互いの大衆動員運動は、台湾が本当の意味で成熟した自由民主国家になるための一里塚というか、生みの苦しみというか、とにかく一過程であろうと思われる。 小生は、台湾の自由民主と台湾の人々の成熟した民意を信じて已まない。「たかが民主、されど民主」である。

天道与せざるか 9月10日(日)

 今日も早朝から総統府前にいます。警察発表に因れば昨日の静坐参加者は十万人とのことですが、これは延べ人数です。流石に今朝は人数が減りました。 この静坐は15日まで続けるとの事ですが、昨日開始以来雨が降り本日は横殴りの強い雨が降っています。まさに、「天道与せざるか」の感が有りますが、本日も座っている人たちは、確信的な人々でしょう。
 昨日は、犬を連れた人、子供を負ぶった人、目に踊り子の様なマスクをつけた人、アラブ風の衣装を着けた人、顔を塗り分けた人、などなど一種のお祭り気分のパホーマンス的参加者も多くいましたが、流石に今日はそのような人々は見かけません。
 同時に、物売りも減りました。人の集まるところ必ず物売りが現れることは、嘗ての航空事故の現場にさえ野次馬目当ての物売りが登場したことを想起すれば、容易に分かることで、昨日も「下台」グッズを売る店が沢山登場し、食べ物屋台も多く登場し、餅を売っていたおっちゃんの台詞は「紅豆餅の紅豆は紅いから下台だ」(下台のシンボルカラーは赤です)と言うもので、紅茶を売っていたおにいちゃんの台詞は、「紅茶も赤だ」というもので、「理屈は針の先にも付く」とは、まさにこのことでしょう。
 天気予報では、明日も雨のようですが、15日までの長丁場、果たして「天道与するや否や」であります。

北と南 9月10日(日)

 実は、この静坐運動は、南北で行われている。 台北の「静坐運動」は「下台運動」であるが、南部の官田で行われた「静坐運動」は「護扁運動」である。
 北部では「阿扁辞職」の大運動、南部(総統出身地)では「阿扁加油」の大運動であるが、南部の静坐は一日で終わっている。 何か、政治的な地域対立の様相ではあるが、この裏には省籍対立が根深く存在していると思われる。その証拠に某テレビ局は、この騒動に合わせて電話アンケートを取っているが、その質問項目が、「反汚職」と「反本土」である。
 果たして、この国の民主は何処へ向かうのか、他人事ながら、36年前に台北で警察に捕まり「髪を切れ」と言われ、台南の海岸で夜軍隊に「誰だ」と」言われた経験を持つ小生には、この国の政治動向が気になってしかたが無い。

信無くんば立たず 9月10日(日)

 総統府前から西門町の店まで帰ってきたら、店の周囲にも多数の若い男女が静坐している。一体この「静坐」は何だ、彼女たちも「下台」で座っているのかと思ったが、違っていた。
 店の裏には西門広場があり、ここではしょっちゅうイベントが行われている。聞くと「サイン会」とのことである。 案内を見ると「周?倫」とか言う若い男性歌手のサイン会らしい。驚いたことに(小生が老人だから驚いたに過ぎず、日本での韓流ブームの時の大騒ぎを思い出せば、驚くに当たらない)日本の女性も数人座っている。
 彼女たちに聞くと、「jですよ、jです」と言う、日本で有名ですかと聞くと、「有名ですよ、かっこいいですよ、おじさんは知らないの」という。当然のことながら知りません。おじさんは、しょせんおじさんですから、知りませんよ「j」なんて。 この静坐の女の子たちと話していてふと感じた。
 雨中の「静坐」の人たちは、「信無くんば立たず」の気概で座っている。こちらは「信無くても立つ」若い男女が多数座っている。 確かに、台湾は民主で、そして平和である。「信が有っても無くても」「立つものは立つ」のである。所で「j」とは、一体誰のことなんだ、歌手らしいが。

皮膚感覚 9月10日(日)

 此方の人はまだ夏だと言う。確かに気温も高く、政治的にも真っ赤に燃え上がっている。 しかし、季節は確実に「秋」である。昨日から雨が降っているが、夏のような激しい雨ではなく、どこか「小ぬか雨」の感が有る。
 小生の感覚では、一雨ごとに涼しくなって行く。今までは、如何に疲れていようとも、シャワーをしないことには、気持ちが悪くて休めなかった。所が、この一週間、シャワーをしなくても眠れる日々が有る。つまり、小生の皮膚感覚が、シャワーを求めないのである。 この皮膚感覚からすれば、台湾はすっかり「秋」である。夜空に掛かる月もだいぶ丸くなり、もう直ぐ「中秋節」もやって来る。吹く風も降る雨も、何処か心なしに寂しい感じがする。

不協和音 9月11日(月)

 静坐運動も三日目に入り、不協和音が聞かれだしてきた。またマスコミの誇張ぶりも、だんだん色が剥げてきた。 参加者20万だの30万だのとマスコミは騒ぎ、警察も8万(初日のこれは延べ人数に過ぎない)と発表したが、現場で実際見た限りでは、一番多いときで数万人、それ以外は数千人、実際の夜の座り込みなどは、お祭り気分の初日を除けば千人前後である。
 降りしきる雨の中を、乳飲み子や小学生を連れた参加者がおり、子供は泣いて帰りたがっている(当然であるが)が、母親は「これこそ民主教育の一環だ」とテレビに向かって演説、「お前はアホか、民主教育より子供の健康が先だろう」と思ってしまった。誠に、頭だけ発達したインテリ母親ほど、始末に終えない者はない。泣き叫ぶ子供が哀れであった。 また、主催者の施氏が、雨中で静坐している人々を横目に、車中で休息していた(本人は、体調維持のためと言っている)ことがバレ、一部の参加者から恨みを買っている。
 最も不可思議であったのは、国民党の主席である馬氏の発言と行動である。馬氏は新聞紙上に見解を寄せて、「意見表明のデモは好いが、大衆行動で政権を倒すのは良くない、そんなことを認めれば、仮に次に国民党が執政党になっても、同じことが許されることになる、台湾は自由民主の国であれば、決して発展途上国のようになってはならない」と、誠に見識有ることを述べていた。
 所が突然この静坐会場に現れて、10分ほど座って帰っていった。一体彼はなにしに来たのだろう。彼も参加したと言いたいのであろうか。それとも、意見表明は主席としての意見であり、会場に来たのは馬個人の判断とでも言うのであろうか。何か、腰の据わらない腑抜けた行動であった。
 さて、この行動、マスコミの過熱した誇張は別として、実際には参加者も減ってきており、不協和音を聞かれだし、さあ、如何に閉めてゆくのか、施氏の腕の見せ所ではある。15日前に縮小中止するにしても、当然もっともらしい理由が用意されていることであろう。 恐らく施氏は、今中止のタイミングを計り、そのときの声明の文案を推敲中であろう。

小競り合い 9月11日(月)

 静坐の人々の間にも、かすかに焦りが見られる。 実際雨中で座り続けている人たちは、それなりに元気で気勢を上げているが、徐々に統制も緩み始めている。本日は小競り合いが生じた。車が静坐区域に入り込み、群衆と小競り合いになり、警察が引き離そうとするがなかなか離れず、この小競り合いはしばらく続いた。また一般道に出て外交部の車の前に立ちふさがり「下台」を叫ぶ人も現れた。
 静坐の効果が目に見えて現れず、静坐の疲れも重なって、若干焦りのようなものが見受けられる。 この静坐に対する連日報道と現場を見ていて、どこか空しさを感じた。この運動を呼びかけた施氏こそ、たびたび現場に現れて(その時は凱旋将軍のように迎えられている)静坐を行うが、それ以外の中心メンバーは、大概マスコミに登場して立派なことを話しているが、実際の行動では、現場に着たり来なかったり、座ったりすぐに帰ったりと、静坐に関しては遥かに施氏より時間的にも回数的にも少ない。 彼ら指導部の発言も一定せず、十月には「大ゼネスト」を打つとか、いやそれはしないとか、発言にぶれが生じだしている。
 実際雨中で長時間静坐しているのは、彼らのあじ演説を信じて参加した、名も無い老百姓たちである。二日前に偶々隣同士に地下鉄に乗り合わせ、「貴方も行きますか」と声をかけられ、小生が「私は老人ですから」と言うと、笑って「何を言われます、私は八十歳ですよ」と語られた、人のよさそうなご老人の疲れたような顔も見受けられる。 いまだに座っている老百姓たち、それに対して時たま顔を出すが、大半はマスコミに登場する幹部連中、何か空しい。仮に効果が有って、万一体制が変わったにしても、その中心に位置し権力に近い場所にいるのは、出たり入ったりの幹部連中であろう。雨中の老百姓は、やはりそのまま老百姓であろう。
 大衆政治運動において、常に見かける光景である。運動を煽る人、その言葉に引かれて参加する人、で、その結果は、、、。こんなはずではなかったと思う人が大半であろう。 陳総統が選挙で選ばれた時も、恐らくそうであったろう。そこに参加した人々は、陳総統の出現に小躍りし喜んだはずである。しかし今、こんなはずではなかった、、、、。 常に矢玉の全面に押し出されるのは、参加した大衆であり名も無い老百姓たちである。で、それを指導した人たちは、、、、。何か空しい。空しさを感じるのは小生一人であろうか。

目的 9月12日(火)

 昨晩は静坐の参加者が少し増え、規制を超えて車道に移動しだし、少し小競り合いなどが発生していたが、何か一種のお祭り広場の様な様相である。 参加者も、腕に刺青をして臍を出したラー妹が叫べば、高校帰りの高校生が台上に上って「下台」を叫ぶ、テレビに出ている芸能人も、これ見よがしに「下台」と言う。かと思えば若い男女の恋人同士も表れ、女子学生の一団は地べたに座って「下台」と言い、外国人観光客も団扇を振って「下台」である。
 何か「阿扁下台」と言えば何でも許されるような雰囲気が出てきているが、ちょっと文革時代の「造反有理」の口号を思い出した。今は台北市内の一地区であるが、これが高雄、台南などからも人が応援に駆けつけだせば、一種の文革であろう。
 所で、この運動の指導者施氏の最終的目的は何であろうか。 昨晩台湾在住のアメリカとドイツの特派員がテレビで意見を述べていたが、彼らに共通した感想は、「施氏の目的は」「なぜ2008年の総統選挙まで待てないのか」というものであった。 小生も、同じ様に考える、台湾は民主選挙で総統が選ばれている、それに不満が有れば、次の総統選挙で引き摺り下ろすのが、民主国家であると思う、施氏たちは「陳総統は汚職まみれだ」と言うが、五権分立の台湾では、独立した司法が調査している。司法が調査した結果、有罪であれば起訴するであろうし、例え総統に免責権が有っても有罪であることは明白になる。
 しかし、未だ司法の調査は終わっておらず、結論が出ていない。また、陳総統が、大衆運動で打倒するほどの独裁政権とも思えないし、それに値するほどの国政の誤りが有ったとも思えない。 「台湾は民主国家なのだから、体制内で変革すべきだ」とか、「法律に則って改革するのが民主だ」とか言うまともな意見もあるが、殆ど無視されている。
 昨晩アメリカのホワイトハウスは「憲政の手段に基づかない台湾政治の変革には反対である」との談話を発表した。北京政府も今は「島内事情」としてコメントは差し控えている。北京政府に取っては、痛し痒しであろう、これを認めて政変が起きれば、あすはわが身ということも出てくるし、一方で陳総統は大嫌いでもある。
 数度に渉る民主的直接総統選挙を繰り返した、民主国家である台湾で、二年後の総統選挙を待つことなく、「憲政の常道」から外れた大衆運動に因って、現体制を覆さなければならない程の理由は、一体何であろうか、また施氏の政治的目的は一体何であろうか、そして台湾の民主をどう考えているのであろうか、小生には分からない。

青写真 9月12日(火)

 小生の台湾政治に関する貧弱な知識の頭では、全くこの「阿扁下台」の青写真が見えて来ない。仮に運動が成功したとして、その後の青写真はどうなっているのであろうか。 運動参加者の中に見知った顔も数人いるので、小生は彼らに聞いてみた。 「阿扁が下台した後は、大陸との関係は、アメリカとの関係は、国内経済の建て直しは、議員内閣制の問題は」等等、誰も答えてくれない。ただ一致した答えは、「阿扁は汚職にまみれているから辞めるべきだ、彼が辞めれば良くなる」である。
 本当に阿扁が下台したら、一朝に政治が良くなると思っているのだろうか、言論の自由と称して高校の征服を身にまとい、台上で「下台」を叫ぶ高校生、座って団扇を振る女子大生たち、彼ら彼女らは「下台」後を、どのように考えているのであろうか、それとも、これが台湾民主の民度であろうか。 とにかく、青写真が全く見えず、誰からも明白な答えは聞けなかった。

流言、煽り、情念、怨念 9月13日(水)

 九月九日に始まった「静坐」運動も、五日目に入った。この間のマスコミの報道振りを見ていて、可なりマスコミが煽っている節が有る。 マスコミの論調も大きく分かれている。
 先ず新聞であるが、割と分析的なのが「自由時報」であり、煽動的なのが「中国時報」と「聯合報」である。またニュース専門のテレビ局では、分析的なのが「民視」と「三立」で、煽動的なのが「年代」である。
 総統踏前の演台は、何か個人の勝手な意見発表の場になったような感じで、色々な人が登場して総統批判を繰り返し、台北一の名門女子高「台北一女」の女子高校生も登場すれば、遂には小学校六年生の男の子が登場して自作の下台の詩を読み上げる、と言う具合である。 また夜になると景福門の辺りは、「下台」に名を借りた若者の車のサーキットと化し、旗を振っての高速ドリフトで走りぬけ、それを静坐参加者が歓呼して盛り上げ、警察は見て見ぬ振りをしている。 応援の歌手が駆けつけ台湾の古い歌を歌うと、皆で大合唱であり、「緑島小唄」が歌われると施氏も涙して歌う(緑島は多くの政治犯が入れられていた、一種の監獄島で、施氏も嘗ては入っていたことがあり、彼らの間で口ずさまれたのが、緑島小唄である)、という具合で、可なり情念的な世界が展開している。
 一方では、流血を狙った決死隊が作られただの、それに一部のマスコミが絡んでいるのだの、種種の流言蜚語も増えだした。 施氏が登場すれば、英雄の様に迎えられ、彼が「命と引き換えの最後の一戦」と叫べば、万雷の拍手である。 しかし、この現象は台北だけの話であって、南部は冷めており、施氏に呼応した行動が現れても、直ぐに警察に規制されてしまう。また台北市内でも、交通渋滞は起きているものの、総統府前以外は、普段の生活が繰り返されている。
 流言が飛び交い、情念的な雰囲気がかもし出され、更に怨念にも誓い叫びが木霊し、それを意図的ではないにしても、何処かで煽っている一部のマスコミ。 一人の観察者としては、「政治的スローガン」が消えて、情念的世界や怨念的怒号が飛び交えば飛び交うほど、どこか白けてしまう。「一体この運動は何であろうか」と。 「政治的信条、理念」の争いというよりは、どこか「政治的怨念、個人的怨念」の争いの様に、見えてならない。

流行語 9月14日(木)

 台湾に於ける今年度の流行語大賞は、「下台」で決まりである。この「下台」は、一種の流行語のようになった。 「静坐」のはずの運動が、「静坐」ではなくなり、お祭り騒ぎになり、小競り合いも多発するようになったが、遂に教育界までも巻き込んだ大騒動となった。
 高校生が放課後参加するのは、まだ宜しいが、昨日は遂に中学の公民の先生が、参観と称して中学生を引き連れて現れた。先生は「純粋に参観、授業の一環」というが、生徒はマスコミのテレビに向かって「下台」を叫び、大喜びしている。それをまたテレビが大写しである。 更に小学校六年生の男の子も現れ、自作の詩を発表して「当心断頭台」と言い、次の日の新聞では、顔写真と共に「小英雄」の見出しが躍っている。
 これを「小英雄」ともてはやすマスコミもどうかしている。これが「英雄」なら、こんな「英雄」など要らないと思う。 で次には、幼稚園児の女の子も登場して、台の上でたどたどしく「下台」と叫ぶ、傍で手を引く母親の満足そうな顔、女の子は、テープレコーダーの如く「下台」を繰り返し、万雷の拍手を受けている。
 この一連の子供たちの行動に対し、今「公教育の中立」と言う問題で、教育界が論争になっているが、概して批判的な意見が多い。 因って、今年の流行語大賞は、「下台」で決まりである。

レイムダック化 9月15日(金)

 今晩は「下台」の大デモが総統府を囲む予定で、それに対抗して民進党も大デモを予定している。 これらの一連の行動を通して見えてきたのは、現職政治家の無能さである。与党にしろ野党にしろ、危機管理能力が著しく劣っており、一種のこう着状態で、大衆行動に有効な手段が見出せない状況である。
 問題は、残年期間を二年ちかく残しての総統の政治的レイムダック現象である。政権末期にはどの政権でもレイムダック化は怒るが、現在の台湾はいささかそれが早すぎる。 現在の状況は、もともと彼ら現職政治家が引き起こしたものである。恐らく前の総統選挙の不満が尾を引いてのことであろうが、国民党の某議員が総統サイドの不正を連日テレビであげつらい、それに対して進民党議員も逆にテレビで批判する、さらにマスコミがそれを煽るという状況で、それが結果的に現在の施氏の運動に結びついているように思われる。 是に対して、現職の議員連中は、お互いに有効な手段を持ち合わせておらず、非難合戦の繰り返しに終始している。
 何か、ちょっと早すぎる政治全体のレイムダック化のように思える。台湾の政治がレイムダック化すればするほど、中国の発言の機会が増えてくるであろう。 そろそろ、与野党を挙げての冷静な議論、台湾の行く末の議論が、必要な時期にさしかかったように思える。

陶器と磁器 9月15日(金)

 台湾の人々の政治行動を見ていて、ふと感じたのは民族性の違いである。 日本人は陶器を愛する民族で、中国人は磁器を愛する民族であるように思える。
 陶器は燃焼温度が低く陶土であるため、壊れても直しやすく、金直しや銀直し、あるいは鎹止めなどをし、それをまた「景色」「見立て」として楽しむ。「傷物」もまた楽しである。 しかし中国人は磁器を愛している。磁器は燃焼温度が高く磁土であるため、一度欠けたら決して元に返らない。直しが不可能なのである。そこには「景色」や「見立て」などありえない。壊れたり皹が入ったら、取り替えるしか方法が無い。
 つまり、彼らは常に「完品」を求めて、「傷物」を楽しむことなど無いのである。 このような民族性の違いが、政治行動にも現れているように思われる。

マージャン 9月15日(金)

 昨晩、台湾の人たちとマージャンを打った。 結論は、疲れたと負けたである。日本のマージャンと大きく異なる点がある。
 先ず、「花牌」を使うが、どういう意味をもつのか良く分からない。サイコロは三個である。点棒は無い。配牌は16枚である、つまり日本より一面子多いのである。 この16枚というのが問題である。一応「役」はあるようであるが、当然「四暗刻」などないし、「九連宝灯」も「国士無双」も無い。 では、どうして上がるか、日本のように「役」など無くてよい、とにかく三枚組にすれば好いのである。泣いていようが「自抹」は「自抹」である。リーチなど無い。ある種のインフレマージャンで、とにかく早上がりが求められる。
 また捨て牌は、己の前に並べるのでなく、中央に一斉に捨ててゆく。因って相手の手を読むなど無意味である。とにかく三枚組にすればよいのである。 日本のようにややこしいルールなど無いから、結構女の子たちも楽しんでいる。そのような意味では、台湾のマージャンは簡単であるが、問題は16枚であり、日本人には一面子多いのが手こずらせ、困惑させてしまう。
 一面子多いというのは、当然「自抹」回数が少ないと言うことであり、少ない「自抹」回数の中で、しかも一面子多くテンパイにもってゆかねばならないのである。 手作りや打ちまわしを楽しむ、ということなど必要ない、とにかく早くテンパイすることが肝心である。因って、最初の配牌と自抹牌が大きく影響するマージャンである。 ある意味では、やさしい何でも有り有りのルールの中で、手なりに打つマージャンであるといえよう。
 でも馴れないと16枚には疲れる。とにかく疲れたマージャンであった。二回振込み三回上がったのに、なぜか負けていた。点数の数え方も良く分からない。 いずれリベンジするぞ。


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