《臺北零話》

《2006年・9月

護台湾 9月17日(日)

 一昨日まで赤一色で染まっていた施氏の「阿扁下台」の群集(32万人デモを敢行した後は、場所を台北駅前に移している)に代わり、昨日の総統府前は15万人の緑一色であった。
 昨日は、民進党や台湾社、本土社などが動員した「護台湾(護阿扁)」の大集会が行われていた。こちらも、歌手がきたり子供が参加したりと、可なり賑やかで、興奮した群集が、テレビ局を報道が偏向過ぎるとして追い出す(中天テレビと東森テレビ)事件も発生した。
 この二つの運動は、スローガンは「阿扁下台」と「護台湾(護阿扁)」とで、まるっきり正反対であるが、不思議なことにそれ以外は同じような事を言っている。共に「台湾を愛している」「民主と自由を護ろう」と主張しているのである。 施氏の方は、「腐敗した陳総統を辞めさせるのが、台湾の民主を護ることで、それが台湾を愛することだ」という論理である。 民進党の方は、「台湾は民主国家であるから、大衆暴力的行為で政権を否定するのは、民主の破壊である、民主法治の台湾を護るために、施氏の行動には反対だ」と言う論理である。
 しかし、この論理どおりには事が運ばないのもまた常識で、民進党の「台湾の民主を護ろう」というスローガンは、「台湾を護ろう」「台湾を愛そう」となり、「本土政権(台湾人に因る政権)を護れ」となり、「台湾を中国に売るな」「台湾人民を中国に売るな」となり、更に「阿扁の下台を求めるやつは、本土政権を否定する者で、台湾を中国に売り渡すやつだ、あいつらは台湾を愛していない」と、過激に変化するのである。だからこそ、「護台湾」のプラカード以外に、「反対紅色中国」とか「反対文革暴力」のプラカードも見えるのである。中には、「本土政権を崩壊させたら、台湾の南部は独立だ」などと、馬鹿らしいまでの過激な発言も飛び出すのである。
 民進党が施氏に張ろうとした「台湾を愛していない」「本土政権を否定する」と言うレッテルは、思うに施氏には耐え難く受け入れがたいものであろう。国民党の独裁に抵抗し、台湾を愛して美麗島事件を起こし、かつて蒋氏をピストルで狙ったのが、施氏である。
 案の定というべきか、施氏は昨晩マスコミに向かって、「私は誰よりも台湾を愛している、誰よりも本土政権を望んでいる」といい、更に「私の運動は、ただ腐敗の阿扁の辞職を求める以外に、何も求めない。汚職と腐敗の政権は、もはや本土政権ではない、本土政権は清廉な政権でなければならない(本土政権に教条的なまでに清廉さを求めるのは、彼が国民党の腐敗政権に抵抗したしたからであろう)、進民党も国民党も関係ない、腐敗に反対するだけだ」と、発言していた。
 ではなぜ進民党は施氏に「反台湾」のレッテルを貼ろうとするのか、答えは簡単である。施氏が「下台を求める人は、誰でもこの指止まれ」とした結果、親党主席の宋氏が参加し、テレビで総統一家の腐敗を追求した国民党の某議員も参加し、更に国民党主席で台北市長の馬氏も登場して、デモ参加者に食料援助などを行い、またそれをテレビが大々的に報道しているからである。
 中にはまともな意見も有る、例えば「施氏の行動には反対だ、台湾の民主の崩壊になる、台湾の民主を護るために、施氏には反対だが、だからと言って阿扁を護る訳ではない」とか、「こんな不毛な争いを止めて、台湾を愛している台湾人は、寛容と包容力を取り戻そう」とかであるが、それは互いの情念の風で吹き飛ばされている。
 どう見てもこれは、怨念の争いのように見える。陳氏と施氏との怨念、外省人と本省人との怨念である。進民党、国民党、親党、外省人、本省人を巻き込んでの、怨念の争いである。 この怨念の騒動に対して、「台聯」の李氏だけは一切何も発言が無く、中立静観の立場を貫いている。一種の身内の争いから始まったこの大騒動、ぜひ李氏の見解が聞きたいものである。

政治家 9月17日(日)

 この一連の騒動で、現職政治家が殆ど登場しない。施氏にしろ、台湾社にしろ一般大衆である。 親党の主席宋氏は、施氏の「下台」運動に参加しているが、宋氏は一貫して陳総統に反対した人であり、親党が執政党になる可能性は無いと言っていいから、宋氏の行動は確信的行動である。 民進党の主席遊氏は、「護台湾」運動に登場し、「本土政権を守れ」とどなったが、これもそれなりに理解できる。
 問題は国民党主席の馬氏である、彼の行動は何か腰が据わらない、台北市長として中立だと言いながら、施氏の「下台」運動に顔を出して食料援助などしている。 その他の大物政治家は、全て不参加である、国民党の王金平、民進党の謝氏、台聯の李氏などである。 かれら大物政治家は、今何を考えているのであろうか。
 ただはっきりしているのは、国民党主席の馬氏が馬鹿さ加減を晒したということであろう。馬氏には、政治家としての信念のようなものが見られない。

マスコミ 9月18日(月)

 今回の政治騒動を見ていて気がつくのは、女性参加者が圧倒的に多いということである。 これは、バブル崩壊後の生活的不満が社会に相当鬱積していた証拠である。現に、生活苦からの自殺者も増えている。 その不満が、「反汚職」「下台」の行動に参加させているのだと思われる。故にこそ、彼女たちに「下台後」はと聞いても、答えが返ってこないのである。
 ではなぜ生活苦的社会不満が、こうも急激に「下台」運動に飛びついたかと言えば、マスコミの責任であろう。マスコミが煽り続けたことは否めない。 今年最初から、マスコミは総統夫人の金券問題や、総統の娘婿の不正を連日書き続け、総統一家は汚職まみれだというイメージを与え続けて来た。 娘婿の不正株取引などは、所詮他家に嫁いだ娘の婿一家の不正であり、総統とは関係ないはずであるが、「ふ馬の不正」と称して総統と結びつけ、連日追っかけまわし、遂にはお手伝いさんまで登場させると言う具合で、まるで芸能人の追っかけスキャンダル報道の様であった。
 また、夫人の金券問題も、連日の如くこれでもかこれでもかと報道し、しかも新しいネタがあるわけでもないのに、同じネタで何日も報道を繰り返し、「台湾のマスコミは、他にネタが無いのか」と、正直思わせたものである。 このマスコミの宣伝効果が、「総統一家の不正」という社会的イメージを作り上げ、それが「下台」運動に多数の女性参加者を見た、一つの原因であろう。
 だからこそ、総統の「阿扁は間違いをおかしたのですか」との、居直りにもにた発言が登場するのである。 今回の騒動は、「マスコミの有り様」「報道の中立」「マスコミの責任」等等、台湾マスコミの本質的問題をも問いかけているように思われる。

銃撃戦 9月18日(月)

 昨日、車で逃げる逃走犯を拳銃で射殺するニュースが流れた。 前科持ちの犯人であるが、車で逃走し、それを数台のパトカーが追いかけ、拳銃を発射した。
 最初は渋滞で止まった車に警察官が近づき、車から降りるように指示したが、従わなかったので、車のタイヤに数発打ち込まれた。しかし、犯人は無視して再び逃走し、追いかけるパトカーからも、車に向かって拳銃が打ち込まれたが、それでも犯人は逃走を繰り返し、一時間弱の逃走劇の末に、窓から打ち込まれた拳銃で死亡した。
 この間、警察が発砲した拳銃の弾数は51発である。こちらの警察は、ブローバックの軍用22口径拳銃であれば、発砲の時に薬莢が飛び出す。その派手なカーチョイスと銃撃戦を、リアルタイムでテレビが流していた。追っかけ報道のようであった。

阿波踊り状態 9月18日(月)

 本日、偶々紅い色のシャツを着て学校に言ったら、顔見知りの先生が「阿扁下台」の手まねをした。なるほど、「下台」運動のシンボルカラーは「赤」で、参加者は皆な赤色のシャツを着ている、だから小生もそうだと思われたみたいである。
 何か、皆なこの騒動に踊りまくっているみたいで、「同じアホなら踊らにゃ損損」とばかり、一種の阿波踊り状態である。 指導者が過激な言葉でアジって非難合戦を繰り返し、またそれをマスコミが煽るという繰り返しで、人々の間の対立も激化している。 国民党の主席馬氏が、腰の座らぬ態度でアホ加減を晒しまくったが、今度は民進党の主席遊氏も馬鹿さ加減をさらした。
 如何に「台湾独立の野望」が有るとはいえ、執政党の主席たるものが「台湾国」だの「中国人の赤色恐怖」だのと、声高に絶叫するとは如何なものであろうか。意図的に「省籍問題」を持ち出して、台湾住民の対立構造を煽っているとしか思えない。 結果、進民党議員の中から、「不見識だ」「言いすぎだ」などの、身内からの批判が提出されるのである。
 一方国民党の方も、一部の議員の間からは、施氏の大衆的人気がこのまま続けば、次の総統選挙で施氏が担がれる可能性が有り、そうなれば馬氏が負けるかもしれない、との危惧が提示され始めた。 この騒動、始めた者も参加者も、煽ったマスコミも傍観した現職政治家たちも、どのように終結させるか、有効な手段が見出せないまま、「阿波踊り状態」が続いている。
 「踊らにゃ損損、ソレ、ソレ」と、各自が勝手に勝手な思いのまま踊りまくっているが、踊り終わったその後に、人々の「対立感情」だけが残ったでは、あまりにも悲しいことである。

飛び火 9月19日(火)

 昨日「下台」運動が遂に高雄に飛び火し、衝突が発生した。怒号が飛び交い椅子が投げられ、小騒乱状態であった。 「下台」運動の総本部は、南部でも運動を展開する予定ではあったが、16日の「護台湾」運動の様子と、人々の対立状況を勘案し、衝突を避けるために南部での展開を中止した。
 ただこれは、本部として中止したのであって、人々の自発的な運動には関知しない、というものであった。 結果、昨日高雄の中華路に十人前後の紅色集団が現れ「下台」を叫んだのである。これに対して即座に「反下台」の人々が集まり、怒号合戦である。警察が共に違法行為だとして去らせようとするが、「下台」の連中は去るのを拒否し、「反下台」も益々人が集まってくる、という状況で、けが人も登場した。 最後は、警察が警察車両で「下台」の連中を強引に非難させ、残った「反下台」連中が歓声を挙げて終わりとなった。
 この衝突は、起こるべくして起こったといえよう。なぜなら、高雄は民進党の地元である。例えは悪いが、関東の稲川会の若い衆が神戸の三宮に出張り、山口組本家の前で「七代目辞めろ」と言うようなものである。よくけが人が一人ですんだものだと思う。 本日は、台南でも行われるらしいが、果たしてどんな騒動になるのやら、些か心配である。
 それにしても、怪我をするのはやっぱり一般人である。指導者は決して怪我をしない。対立をアジった人は、衝突状況の時には遥か後方で、決して物が飛び交う前線にはいない。同じように「下台」の施氏も、屈強のガードマンと言うか親衛隊に周囲を護られている。 因って、どちらの側にしろ、怪我をするのは彼らの呼びかけで参加した一般大衆である。
 この対立について、マスコミでは、「下台」の中産階級と「護台湾」の基層階級との争いとの意見も見られる、確かに台北の人たちに聞くと、南部の連中は「学が無い」とか「レベルが低い」とかの声をよく聞く。 ただ、これもたとえがあまりよくないが、いざカチコミとなった時に、真っ先に突っ込むのは「学が無い」と言われた人々であり、腰が砕けて敵前逃亡を図るのが「中産階級」であることも、よく知られた図式ではある。
 如何に北部の人が南部の人を見下げようとも、北部の人々の衣食を現実に支えているのは、南部の人々の労働であろう。 因ってマスコミも、あまり南北の対立、階級の対立を、声高に言わないほうが良いと思う。

元総統李氏 9月19日(火)

 茲に来て、やっと元総統李氏の声が聞けた。 李氏の見解は、「これは民主内戦で、今の問題は、大衆行動で解決は出来ないし、また司法でも解決できない、解決できるのは国会である」というものである。 台湾の民主選挙の第一歩を踏み出させた李氏としては、大衆行動で民選の総統を引き摺り下ろす行為は、民主の敗北で容認できないのであろう。
 問題は、国会を構成する国会議員たち現職政治家であるが、見ていると、この運動に対して、そろそろ「飽き」が出てきたみたいである。 民進党からすれば、元主席の施氏の「下台」運動は、ある種の裏切り行為であり顔も見たくないであろう。
 一方国民党からしても、これ以上施氏の人気が高まるのは、迷惑この上ない。いずれの側にしても、施氏は過去の人であり、これ以上過去の亡霊に振り回されたくない、という思いが出てきたみたいである。 施氏は、台湾近代化の歴史上に在って、一種の英雄であるが故に、迷惑この上ない存在なのである。

双十天下囲攻 9月19日(火)

 本日から、台湾の国会論議が始まったが、テレビを見る限りは、互いに罵りあいの論戦である。 一方、施氏は「双十天下囲攻」を発表して5000人の参加を呼びかけた。「双十天下囲攻」とは10月10日の国慶節に総統府をデモで囲もう、と言う計画である。
 是に対しては、台北市長の国民党主席馬氏が反対を表明し、国民党の国会議長王氏も反対を表明した。無論政府も反対である、何しろ外国からの来賓を招いての国家の典礼である。中華民国の年に一度の大礼であれば、混乱は許されない。民進党の国会議員団は、場合によっては国慶節をボイコットするとまで、息巻いている。 さて、国会議員が右も左も反対する「双十天下囲攻」、国家の典礼に合わせてデモを仕掛けた施氏、この結果はどうなるか。
 何しろ、事が事だけに、これから10月10日までの間に、色々な裏駆け引きを駆使した紆余曲折が見られることであろう。 国家権力は強いものである。如何に政治家間でもめて対立していても、お互いの利害が一致する部分があれば、一朝にして結びつき、昨日の敵は今日の友となる。それだけ、国家権力の周りには、美味しい蜜が有るということであり、一度でもその味を知った人間は、もっともらしい理由を付けて、それを護るために瞬時に結びつくものである。
 では、失意の政客施氏が仕掛けた「双十天下囲攻」は、果たして「虎の尾」であろうか、それとも「Dデイーのノルマンデイー」であろうか。いずれにしても「サイは投げられた」のである。

案の定 9月20日(水)

 案の定と言うか、一昨日の高雄に続き昨晩は台南で騒動が起きた。 台南は、陳総統の地元である。その台南で「阿扁下台」の集会が開かれ、数十人の紅い軍団が「下台」と気勢を挙げ、それを警察がガードし、その外側に「護台湾」の群集千人ほどがあつまり、ラッパを鳴らして大騒ぎである。
 昨日は、警察が早めに防御線を築いたため、両派の入り乱れての殴り合いこそなかったが、それでも石が飛び交い、最後は警察車両で「下台」の連中が退去して終わった。
 おかしかったのは、「下台」のシンボルカラーである紅い色の洋服を身につけ、しかも真っ赤な色の車に乗った女性が、こともあろうに「護台湾」の大衆の中に突っ込んだのである。「護台湾」の連中が怒るまいことか、興奮して車をぼこぼこに壊した。女性は、窓ガラスが壊された車を運転してかろうじて脱出したみたいで、本人に怪我が無かったのが幸いである。
 車を叩き壊す方も方だが、敵方に真っ赤な車で突っ込む方も方である。勇気有る女性というべきか、アホな女性というべきか、とにかく、彼女の度胸だけは見上げたものである。

浮気は高くつく 9月20日(水)

 昨日台北で面白い裁判の判決が出た。 某社会的有名人(既に世を去っておられるが、台中両岸関係協会の台湾側トップだった方である)の隠し子騒動に決着がついた。
 事の発端は、十数年前に有る女性とその娘が、某氏との婚外で生まれた子であると、某氏に経済的援助を求め(と言うより金を要求したのに過ぎないが)、以後某氏は、世を去るまでもろもろの金品や家屋を買い与え、その総額は一億元(約四億円)近くに上ったのである。 所が、この親子が某氏の死去後も遺産に絡んで何がしかを要求したらしく、業を煮やした某氏の遺族が、裁判所に正式な親子関係の証明を求めたのである。 昨日そのDNA鑑定の結果が出た。結果は、「その娘と某氏とは、親子関係が認められず」と言うものである。
 後は愁嘆場である。母親は「悪意が有った訳ではない」と泣き崩れ、娘は「母を信じ、今まで某氏を父だと思っていたのに」とこちらも泣き崩れる。一方勝った某氏側は「今までの金を返せ」と言う。
 しかし、この問題、親子関係こそ無かったものの、要するに某氏がその女性と浮気を続けていたことだけは事実である。わが身に覚えが有るからこそ、彼女の要求に応じて金品を与えていたわけであろう。 なまじ金など有って浮気をすると、その代償は高くつくものである。例え金が無くても同じことであろう、結果は、修羅場と愁嘆場である。 因って、既婚者はくれぐれも浮気などしてはならぬと言う、警鐘としての事件であった。

報道の中立 9月20日(水)

 報道の中立と言う問題は、よく日本でも論議されるが、なかなか難しい問題であり、それをどのように検証するか、はたまた何が中立か、などなど一朝には解決できる問題ではないであろう。特に、政治的問題が生じると、中立とは言いながらも各自マスコミの好みが色濃く反映される。
 日本よりもっと色濃くといおうか、あるいは露骨といおうか、とにかくはっきりとその色が現れているのが、台湾のマスコミである。 台湾にも、外部の人で構成する放送委員会のようなものがあり、「下台」運動の報道があまりにも偏っているとの意見が多く寄せられ、委員会の理事長が、放送時間や回数、内容などを勘案し、「下台だけを報道して護台湾運動に全くふれないのは、些か偏りすぎている」との談話を発表した。
 これに直ぐに反論したのが、偏りすぎと名指しされた「中天テレビ」である。「中天」の反論は、「報道の本質を知らない素人のたわごとである。報道は、時間や回数など問題ではなく、ニュースとして重要であるか否かが問題であれば、委員会理事長の談話は、素人のたわごとに過ぎない」と言うのもであった。
 確かに、回数や時間ではなくニュースとしての重要性が報道の報道の一つの基準ではあろうが、「語るに落ちた」とはこのことである。 「ニュースとしての重要性」とは、如何にも言葉は良いが、それが重要であると判断したのは、視聴者ではなくテレビ局自体である。つまり、中天テレビは、「下台」こそニュースとして重要で、「護台湾」はニュースとして重要ではなく、報道するに当たらないと判断した訳である。 つまり、この判断スタンスこそが、報道機関たる中天テレビとしての政治的スタンスであると、言外に表示したのに等しい。
 この論議、互いに「五十歩百歩」の言い争いであるが、確かに台湾のニューステレビには、その政治的スタンスが、露骨に反映されたものが多い。 では新聞はどうか、その論調を見る限りは、「聯合報」は明白な国民党よりで、「中国時報」がやや国民党より、「自由時報」が民進党よりの様に見受けられる。
 しかし、新聞に関しては、今日有ることに気付いた。それは、日本で自民党総裁に安倍氏が選出されたが、来る安倍総理登場に関する報道である。 「中国時報」は、ただ事実関係を書いていたが、「自由時報」は歓迎の意見が多く、「日本と台湾の関係も、もっとよく進むであろう」と言うもので、同時に、民主党の議員らが東京で開いた「日台軍事問題討論会」の様子も伝えていた。 是に対し、ちょっと「おや?」と思わせたのが「聯合報」の論調で、「最右の政治家の登場」とか「日本の軍国主義化の危険」だとかが書かれていた。
 この「聯合報」を読んでいて、ふと感じたのは「あれ、まるで朝日新聞の様な論調だなあ」ということである。無論台湾の新聞であれば、朝日新聞のはずがない。しかし、この安倍氏の事を伝えるニュースを読みながら、ふと感じた不思議な感じが気になり、改めてそれぞれの新聞を数ヶ月前から、読み返してみた。(実は、読み返しながら、己は何でこんな馬鹿なことをしているのだろう、と思ったのも事実であるが、まあ中国語の勉強と思い直して読んでみた)
 そこで、あることに気付いた。しかしこれは、台湾の新聞を一外国人である小生が何となく感じたものに過ぎず、決して「こうだ」などと言えるものではないが、何か「中国大陸」の匂いを感じさせる論調が有るということである。 今までは、単に党派の色が反映された論調としか思っていなかったが、安倍氏に対する報道論調で感じた違和感から、色々眺め返した結果、「大陸の意を受けた」とは言わないが、何か「大陸の意を体した」様な論調があるのも、事実である。
 とすれば、マスコミ報道を通しての「中台」の内戦が熾烈に行われている、と言うことであろうか。

政変 9月20日(水)

 今世界各地で政治的にきな臭い所が多々有る。ソマリア、ハンガリーを初めとして、タイでは実際軍事クーデターが起きている。 台湾も、全くその可能性が無いと言うわけではない。高雄、台南に続いて今夜は屏東である。今日も衝突を繰り返せば、いよいよ「南北対立」の様相が濃くなる。
 所で、日本ではあまり大学人が政治的発言をすることが少ないが、台湾では大きく異なる。多くの大学人がテレビに出てその政治的スタンスを表明すれば、具体的政治行動にも参加する。別に彼らが政治学者と言う訳でもないが、賀教授にしろ、李教授にしろ、エトセトラ、エトセトラ、兎に角色々ご登場なさる。
 此方の大学人は、日本より遥かに政治好きである。日本では、東大教授が総理辞職デモに参加して、テレビに向かってわめくなどと言うことは、あまり聞かないが、此方では、国立台湾大学教授が、テレビに向かって堂々と総統辞任を叫んでいる。
 人々も勝手に走り出し、大学人も色々言うようになった。政治家連中は、互いの思惑を胸に、個人的怨念を置いて大同団結に動き始めたみたいであるが、人々の走りの方が早い。今夜の屏東如何では、台湾も政変に向かう可能性がある。

落ち着き 9月21日(木)

 台湾のマスコミ報道も、タイのクーデターを目の当たりにして、わが身の危機感が出たのかどうか知らないが、一部の特定マスコミを除いては、ほぼ以前の様な(社会ネタ、外交ネタ、教育ネタ、芸能ネタ、生活ネタ、等等)、多様な内容の報道をするようになり、政治一辺倒と言うことはなくなり、やや落ち着きを取り戻した。
 国会の方も、最大議席数の国民党の王氏に組閣要請をし、総統は民進党、内閣は国民党とし、更に憲法改正を行い、総統制から議員内閣制に変更しよう(総統がなくなる訳ではなく、所謂国家元首としての象徴的総統となり、実際の政治は最大議席数の党から首相を選ぶ)と言う、動きが出てきている。 この議員内閣制に関しては、前総統の李氏が強い意識を示している。
 ただ問題は、政治家たちの間で、この議員内閣制で話がつき、陳総統が象徴的な存在となったにしても、「下台」運動の施氏が旗を降ろすか否かである。施氏の言動には、どこか陳氏に対する怨念めいた匂いが感じられれば、そう簡単に事は運ばないように思われる。 まだ、南部では小競り合いが続いているが、一応マスコミ報道は、やや落ち着きを取り戻したと言えよう。

磁都 9月21日(木)

 中国の磁都と言えば、だれでも直ぐに「景徳鎮」と言うが、では台湾の磁都はといえば、大概の人は「???」であろう。台湾随一の陶磁器産業の町、磁都と言えば、台北県の「鶯歌」である。 台北市からバスで40分ほどで、桃園国際飛行場にも近い場所である。町の名前が「鶯歌」とはなかなか色っぽいが、生産されている陶磁器も非常にレベルが高い。
 茲で作られる陶磁器は、所謂「鶯歌窯」と称するが、茲の「孔雀釉」は「鶯歌窯」の名を知らしめた、代表的色調である。また当然個人の工房もあり、劉峰雄氏の「開片黄釉瓶」などは、まさに一級の芸術品である。因みに劉氏は2003年に、千葉の三越で個展を開いており、日本語、英語に堪能な国際的陶磁芸術家である。
 また茲には、「台北県立鶯歌陶磁博物館」があって鶯歌の陶磁器が常設展示されており、同時に鶯歌陶磁の歴史も分かる様になっている。入場料は70元で、説明は中、台、英、日の四ヶ国語から自由に選べる。また博物館の建物事態が、モダンアートの芸術的建築物でもある。現在の館長は遊と言う女性館長である。
 本日は、店の裏西門広場で、「2006鶯歌国際陶磁年華」が開かれており、暇人の小生は野次馬根性で参加し、遊女史と言葉を交わしたが、最近では日本人も結構訪れると言うことであった。
 所で、話は変わるが、この催しを小生は前から二列目で見ていた。そしたら小生の前に一見生意気そうな若造が胸に花など付けて座ったのである。周りが一斉に挨拶に行くので、「有名人」だろうとは思ったが、小生は誰なのか全く知らなかった。その内、雨が降り出したので、可哀想に思って小生の傘を後ろから挿し掛けてやった。 20分ほどして雨が止んだら、突然数人の黒服の男たちが小生の所に走りより、馬鹿丁寧に礼を言う。不思議に思った小生は、「この前の男は誰なんだ」と聞いたら、怪訝な顔をして「貴方は知らないで傘を差しかけたのか、県長です」と言う。小生は「知らない、私は日本人だから」と言ってやった。
 小生も最初は彼らが言う「県長」と言う中国語がよく聞き取れず、誰なんだと暫く考えてはたと気付いた。「台北県長」である。「台北市長」はテレビでよく見かける馬氏であるが、その上の「台北県長」など知るはずも無い。 そうか、この小生意気そうな若造が「台北県長」か、などと思いながら見学していたら、なぜかその「台北県長」殿が御自ら「焼き芋」を持って小生の前に現れ、礼を述べて手渡してくれた。
 小生としては、「台北県長」と知って傘を差した訳ではない、たまたま彼が前にいたから、「いいスーツを着て濡れては可哀想だ」(因みに、小生はジャンパーに草履履きである)と思い、差しかけたに過ぎない。後で色々考えた、もしかしたら、小生が座った二列目は来賓席だったのかもしれない、それにしては誰も文句は言わなかった、或いは、「あいつは何だ」とあきれ果てている間に、式典が始まってしまったのかもしれない。
 いずれにしても、今日始めて「台北県長」殿の顔を良く見た。ちょっとした「いけ面」である。しかし、鶯歌或いは陶磁器と焼き芋とは、一体どのような関係が有るのか、さっぱり分からない。「芋食って、轆轤を回す腹力」かなである。

宗族 9月22日(金)

 日本でも一族の系譜を綴った家系図が有るが、一般的にはあまり重要視されず、特殊な世界、例えば皇室の「皇統譜」などは、よく知られた家系図である。
 所が、流石に台湾は「族譜」も伝統をもつ中国人社会である。今でもあちこちに「族譜」は有るし、それどころか、一族同姓が集まる「宗族会」なるものも存在する。 この「宗族会」なるものが、如何なる社会的勢力を持つのか(同族としての繋がりは非常に強い)不明であるが、今朝の新聞に「呂姓宗族会」の名前で、ある声明が出された。
 桃園の呂氏と言えば、現在の副総統呂女子が有名であるが、実はこの呂副総統の実兄呂氏は、「阿扁下台」運動の支持者で、この呂氏が、「呂一族は誰も下台の支持者だ」と発言したのが、事の発端である。 この発言に怒ったのが「呂姓宗族会」で、桃園県や宜蘭県を初め、北部各県の「宗族会」長たちが連名で、「呂姓宗族会」の名で声明を発表し、「呂姓一族は、この六年間ずっと阿扁支持であり、今後も変わることなく、阿扁支持である」と述べたのである。
 今回初めて、「宗族会」なるものの具体的行動を見たが、同時に改めて、中国人社会における宗族の団結力をも見せ付けられた。 恐らくこの様な「宗族会」は、郷村社会に行けば行くほど複雑に絡み合って存在しているのであろう。
 翻って、では我が宗族はと思うと、真に零零たるもので、一応小生は35代目であり、家系図も存在はするが、現在の実質的宗族は小生と弟の二人だけであり、何の力も無ければ、何の団結力もない。同時に子孫は共に娘であれば、恐らく我が宗族は、我々兄弟を以って消滅するであろう。

礼儀 9月23日(土)

 日本人がそれほど礼儀正しいとは思わないが、外から見ると礼儀正しく見えるみたいである。 中国共産党が、中国人の海外旅行の増加や、来る北京オリンピックのためであろか、「中国人は礼儀を守れ」との通達を出した。これは、裏返せば、如何に中国人は礼儀を守らないか、ということへの反省でもある。
 確かに、台湾でも中国語の先生(北京や山東出身)が「中国人は礼儀(礼貌)が無くなったし、守りもしない」とか、「中国人並ぶこと(排隊)が大嫌いだ」とか、しょっちゅうおっしゃり、小生に向かって「日本人有礼貌、対不対」と言われる。 そう言えば以前、陳総統夫人の母親がマスコミの取材を受けた時、マスコミの態度について、「貴方たちには礼儀が無い、無礼過ぎませんか、日本のマスコミはもっと礼儀が有りますよ」と、怒鳴っていた。 果たして日本人は礼儀正しいのか、小生は「言い争って揉めるのがいやなだけ」だと思うが、傍から見れば、礼儀正しく見えるらしい。
 では中国人はどうか、昨年北京、今年台湾と、二箇所の中国人社会を見ているが、確かに中国人は自己主張が強い、それも当たりかまわず大声である(これが礼儀正しくないと言えば、礼儀正しくないことになる)。これは、北京も台湾も同じである。 また並ぶ事は、確かに北京では割り込みは当たり前であったが、台湾ではちゃんと並んでいる。
 元々「礼儀」は中国が本家本元であれば、特別日本人が礼儀正しい訳でもない。この差は、国民性の違いも大きいが、同時に恐らく教育の差であろう、言い換えれば民度の差であろうと思われる。 同じ中国人社会であれば、どちらを贔屓する訳でもなく、共に己が見聞経験した感覚から言えば、中国よりまだ台湾の人の方が「礼節」を弁えていると言えよう。
 わざわざ北京政府が「礼儀を守れ」との通達を出さざるを得なくなった所に、中国に於ける公共道徳部分の教育の遅れが伺われるが、果たして北京オリンピックまでに、改善されるであろうか。モラルは、単なる政府の掛け声ぐらいでは、一朝一夕に代わるものでもないと思う。愛国的教育も重要ではあろうが、それよりももっと公共道徳教育に力を入れた方が、好いように思われる。

畳 9月23日(土)

今 台湾で、日本の「畳」が密かなブームになっている。 最近家を作る人々の間で、畳敷きの一間を設けるのが、一種のステータスになっている。
 確かに、「日本のように、靴を脱いで上に上がる構造の方が、清潔で綺麗だ」とか、「台湾は湿気が多いから、日本の畳がいい」とかの意見を良く聞く。 例えば、東南アジアには高床式の建物が多いし、今でこそ低くなったが、日本の家屋も床下が高い。小生などは、子供のとき床下で遊んだし、家の犬も床下に住んでいた。湿気の多い土地では、床下を風が吹きぬける方が、確かに快適である。
 最近、台湾随一の観光地村となったのが、屏東の海沿いの観光村であるが、ここの宿泊施設は、まるで日本のようである。露天風呂の温泉に、畳敷きで布団の部屋である。 今、日本では畳敷きの家屋が減ってきているが、台湾では逆に人気が有る。

決戦台中 9月23日(土)

 「下台」運動も、台北から始まり高雄、台南、屏東など、南部に飛び火し、「護扁」の人々と小競り合いを引き起こしているが、本日は台中で双方がもろにぶつかり合う決戦場となった。 台中の恵来路で「下台」派が静座会を開き、小さな子供やラー妹たちが紅い衣服で「下台」を叫び、今ぞくぞく人が集まり始めているが、どこかお祭り騒ぎである。
 これに対し「護扁」派は、同じ台中の二二八公演で大集会を開いている。こちらは始める前に、過去の国民党時代に台湾の独立や自由のために死去した「台湾忠烈」の人々の写真を拝して線香を上げ、いざ決戦という雰囲気である。
 一方台中市政府は二千人近くの警察官を動員して衝突に備え、こちらも臨戦態勢である。 民族対立はやめよう、「反汚職」が問題であって、民族や党派の対立など求めない、と運動の指導者や政治家連中は口を揃えて言うが、実際の現場では「民族対立」が濃厚である。
 「下台」運動の指導者施氏が、「台独派の牌位の中で、私こそが首座を占める者だ」と、声を荒げるのも尤もな事ではあるが、残念ながら、地方の現場では「下台=反台湾」、「護扁=台湾」の民族対立で盛り上がっている。 今晩は、台中の動向から目が離せない。

守るも攻めるも鉄 9月24日(日)

 昨晩の台中決戦は、警察力のおかげで一応事無きを得た。 日本では「守るも攻めるも鉄(くろがね)の」と言うが、此方では、鉄弾ではなく鉛弾とか糞弾とか、流言弾とか、嘘弾とか、とにかく訳の分からないものが、ぐちゃぐちゃに飛び交っている。 この政治闘争は、見ているとどうも指導部の思惑とは違う方向に動き出しているみたいである。
 この「下台」運動の発動者施氏を初めとして許氏、張氏、王女史など指導部連中は、皆な民進党の元主席や党員たちである。だからこそ、民進党がやっきになって「護扁」運動を起こしたのである。だから、本来は民進党同志の争い、意見の相違であったのであるが、施氏が「反腐敗、下台は、誰でも集まれ」としたため、国民党も巻き込んで大騒動になっているのである。
 冷静に見ると、施氏の「下台」運動の方が勢いが有る。参加者も、女性が多く年齢も若い人たちが多い、一方「護扁」運動の方は、男性が多く概して年齢が高い。 これは、現状の台湾経済や政治に不満を持つ若者(特に女性)が、如何に多いかと言うことであるが、これは、誠に皮肉な現象であると言えよう。 施氏は実際に美麗島事件に関わって、苦労して台湾の自由と民主化を求めた人たちである。
 その施氏が、今の民進党の執政は腐敗だ(今の国会議員たちは施氏たちよりはるかに若い、だから施氏が「俺が身をもって台湾の自由を求めた時、お前たちは何処に居たんだ」と怒鳴るのである)として、「下台」運動を起こしたのであるが、参加者は今の現状に不満を持つ若い人々(知識として過去の闘争を知っていても、実際の苦労は知らない)が、多く集まっている。一方、「護扁」運動の参加者は年齢が高く、過去の苦労を実際体験した人々で、やっと手に入れた「本土政権」という思いが強い。因って、施氏の行動は裏切りとなり「護台湾」となるのであろう。
 流言蜚語も多く、またマスコミがそれを流す。「下台」運動のシンボルカラーが赤色のため、バックに中国がいるのだとか、赤色恐怖だとか、また彼らの口号が中国の革命歌と一致している(昔の中国革命を知らない若手指導部が、うっかり中国南部の民歌を使ったみたいだが、実はこれは中国の革命の時に歌われた歌でもある)とか、「護扁」運動派は「下台」運動派に、「赤色レッテル」を貼ろうと躍起である。
 また、間が悪いとはこの事で、先日国民党の基隆市長の許氏が汚職の罪で地裁で七年の実刑判決を受けた。「反腐敗」なら国民党の腐敗にも反対しろ、との意見が提出されだして来た。更に、指導部の某氏は中国に行ったとか、王女史は皆が座っている時にサウナに行ってマッサージを受けていたとか、施氏が李前総統と事後を話したとか、李遠哲と合ったとか、とにかく暴露合戦である。(確かに王女史は、サウナに行っていたし、彼女も雲林県議であった当時汚職に絡んで七ヶ月の実刑判決を受けているので、汚職で実刑判決を受けた者が、他人の腐敗などどうして言えるのだ、との批判も出ている) 全く訳が分からない。一方は「下台、加油台湾」と言い、一方は「護扁、加油台湾」と言う。
 この、赤色と緑色の争い、更には黒色(暴力団系)まで登場し、今晩は、再び高雄決戦が行われる。 昨晩の高雄決戦も、警察の力で事なきを得たが、赤色、緑色に黒色(ヤクザ一派のようで、腕や背中に刺青をしたあんちゃんや、如何にものチンピラが多い)まで参加して、大変である。
 前総統の李氏が、「1、デモを行うのも、それで意見を表明するのも、民主として保障された権利である。しかし、だからと言って、その大衆行動で政権を倒すのは、民主法治から逸脱した行為である。2、多くの人民が総統に反対しているが、同時に多くの人が総統を支持してもいる。でも参加者の意見は十分に伝わっているし、共通しているのは腐敗に対する反対である。3、国会は速やかに対立を解消するように努力しろ。4、司法は早く結論を出し、大衆の疑惑に答えろ。」との意見を表明した。 尤もな意見ではあるが、あまり誰も聞いていないみたいである。
 総統はこの時期に「改憲、領土」問題を持ち出した。今は、そんな話をしているときではないであろう、と思うが、これも対抗上からの意地であろうか。 一方、施氏も「下台が無い限りは、自分は止めない」といきまいている。これも意地である。 お互い、事の成り行き上、引くにひけなくなり、意地の突っ張りあいの様相である。

銃刀法 9月26日(火)

 台湾には日本の「銃刀法」に当たるものが有るのか否か不明であるが、当然銃は規制されている。問題は刀である。 台湾でもよく刃傷沙汰を見かける、離婚の縺れ、物取り、一家五人惨殺等等、国土の大小、人口の多寡などから比較すれば、日本よりもその数は多いと言えよう。
 そこで登場するのが「刀」である。無論日本の様に「包丁」も多いが、よく見かけるのが「山刀」である。これは日本の「鉈」などとは異なり「刀」である。可なり大きくて長い。それが振り回されるのである。 日本では、20CM以上の刃物は「包丁」以外は登録が必要であるが、どうも台湾では必要無いみたいである。
 恐らくその為であろうか。光華などの骨董市場に行くと路上で多くの「刀」が売られている。中国の「刀」「剣」は言うに及ばず「日本刀」も数多くうられている。無論中身は「なまくら」であるが、しかし、模造でもなければ、歯止めもしてない。全て本物で刃がついており実際に物が切れるのである。小生も、何本か試してみたが、確かに切れる。錆が有るとは言えども実用に堪え得る。
 因って、台湾には「刃物」が氾濫しており、入手も簡単であれば、手軽に振り回す人も容易に登場するのである。

汚職 9月26日(火)

 日本では福島県知事絡みの汚職が摘発され、台湾でも「反汚職」のデモが連日行われているが、中国でも上海市委書記の陳氏がやはり汚職で失脚した。
 この三箇所の汚職を見ていて気付くのは、三権分立の問題である。 日本は、特別市民が騒がなくても、司法が勝手に摘発する。中国は、司法よりも中央政府の政治的意図の方が強く反映されており、汚職に名を借りた政敵排除の感が強い。 では台湾は、司法が動いてはいるものの、調査に時間がかかりすぎ、人々が待てなくて街頭デモを行っている。
 司法が粛々と職務を遂行する日本、司法の信用度が今一で民衆が動き出す台湾、司法よりも政治的意図が先行する中国、同じ汚職事件でも、その対応の仕方にお国振りが現れていると言えよう。

知らざるは無罪 9月26日(火)

 今朝新聞の台北版に面白い記事が載った。「凸凹如熟女、不知則無罪」とある。 一体何のことか読んでみたら、有る男性が若い女性と親密な関係を続けていたらしい。台湾にも日本同様に「青少年淫行条例」が有り、16歳以下の女性を相手にすると罪になる。
 問題は、この女性が16歳であったため、相手の男性が逮捕されたが、女性が年齢を20歳と偽っていたため、男性はそうだと思い、また彼女の外見が20歳に見えたため、付き合っていたらしい。 その裁判が行われたが、確かに彼女はとても16歳には見えず、裁判長も大学生だろうと思ったぐらいに外見が発達しており、まさに「少女凸凹如熟女」であり、彼女自身が年齢を偽っていたこともあり、男性には無罪の判決が下った。 「知らざるは、罪に非ず」とは、まさにこのことである。
 この判決、「粋な裁き」と見るか、「男性に甘い」と見るかは、識者の意見の分かれる所ではあるが、少女の全身写真を見た小生としては、「粋な裁き」と見たい。なぜなら、男性は少女の言葉を信じて、本気で結婚するつもりであった。

追っかけの不幸 9月27日(水)

 日本でもタレントのコンサートを追い掛け回す「追っかけ」のフアンがいるが、台湾でも同じである。 最近台湾では、この「追っかけ」の少女を騙して日本で売春させていた業者が、度々摘発されている。 台湾には、熱烈な日本のタレントフアンの少女たちがおり、日本でのコンサートを見にわざわざ日本までやってくる。日本の一部の熱烈な「ヨンさま」フアンが、韓国まで出かけるのと同じことであるが、問題は、彼女たちの年齢が極めて若いことであり、当然お金が無い。
 そこに目をつけた悪徳業者が、費用を立替て「日本で一月(ノービザ)酒店でバイトすれば、おつりが来る」と、甘い言葉をささやくのである。 この言葉を真に受けて、日本に来た少女たちが売春をさせられるのである。大概は、怖くなった少女たちが関係機関に訴え出て摘発されるが、中にはそれに味を占めて、自ら友人などを誘い込む猛者の少女もいる。
 これは、「追っかけ」の不幸な事件であるが、大概彼女たちの年齢は、16歳から18歳ぐらいである。

ナショナリズム、1 9月29日(金)

 昨日民進党の結党二十周年記念大会が開かれた。そこで陳総統が、再び二国論を持ち出した。 この問題は、中国を刺激するし、アメリカも座視する訳に行かない問題である。
 結党の記念大会であれば、陳総統が言いたいのは分かるが、あまりにもタイミングが悪い。 九月以後、総統の「下台」運動が展開されている現状で、二国論を持ち出しても、誰も冷静に聞いてくれない。 それどころか、己に向けられた批判をナショナリズム問題で目を逸らそうとしている、と思われるのがおちで、現実にそのように見られている。
 なんでもない時であれば、冷静に判断し論評する意見も提出されるであろうが、今は全く逆で、総統の不見識の非を鳴らす意見が、圧倒的に多い。

ナショナリズム、2 9月29日(金)

 同じナショナリズムでも、こちらは楽しく嬉しいナショナリズムである。 それは、大リーグのヤンキースのピッチャー王である。王は、アジア出身の投手としては一シーズン最多の十九勝を挙げており、場合に因っては二十勝投手になる可能性が有る。 今、台湾では王のことで盛り上がっている。「台湾の星」「台湾の誇り」「台湾の光」エトセトラ、エトセトラである。
 今までは、台湾やアメリカの報道機関が取り上げていたが、最近は、韓国や日本の報道機関のインタビューも受けており、遂に「アジアの星」となっている。 このようなナショナリズムであれば、いくら盛り上がっても結構である。「加油、王」である。

双十節 9月30日(土)

 もう直ぐ双十節であるが、この台湾の国の礼典が総統府前で行えるか否か、疑わしくなってきた。 今まで、四回ほど規模を小さくしたり、場所を中山堂に移して行われたことが有るが、それは全て台風など天災に因る変更であって、政治的混乱に基づくものはひとつも無い。
 「下台」運動の施氏率いる紅い一群は、台湾を一周して双十節に総統府を囲むべく、台北を先日出発して数十台のバスで南下し、新竹、台中と運動を展開し、本日は章化まで下っている。 一方高雄では、民進党の結党二十周年大会が開かれ、三十五万人の人々が大デモ行進を行っている。此方は大物が皆な顔を見せ、陳総統、呂副総統、蘇行政院院長、遊主席などなどで、陳総統の倅も先頭に立って歩いている。
 果たしてこの対立、双十節を変更させるほどの政治騒動に発展するのか、双十節の実行委員長である国民党の立法院院長王氏は、「無事行う」と明言してはいるが、これから一週間の間に、互いの綱引きが行われるであろう。 もし変更されれば、双十節史上最初の政治的理由に因る変更と言うことになる。

行き過ぎ 9月30日(土)

 今台湾は、色に過敏になり過ぎている。昨日陳総統が台南で科学技術のセレモニーに出席したが、その時台南の科学系の大学の女子学生が接待に当たった。 その中で、台南科技大学の女子学生が、そろいの紅いチャイナドレスを纏っていた所、その紅い色が刺激的(下台運動のシンボルカラー)であるため、台南市文化局の関係者に因って、接待の表舞台から外された。 彼女たちには何の罪も無いが、政府関係者が色に過敏になった結果であり、明らかに行き過ぎの行為である。
 半月も続いたこの政治的争い、方や32万動員、方や35万動員等等、大概の人はいい加減飽きが来ている。台湾の人口2300万であれば、共に50万としても2200万の人は、それぞれの思いは有っても黙ってみている、このサイレントマジョリテーを如何に自陣に取り込むか、それぞれが非難合戦をしているのであるが、共に行き過ぎの部分が有り、どちらにも乗れない雰囲気が出てきている。
 「反腐敗、汚職」「護自由、民主」は、誰でも大賛成であり「その通りだ」と思うが、その先の「陳総統下台」「反赤色革命」などは、素直に乗れる口号ではない。
 因って、何処か飽きが出てきている、その反動とは言わないが、大リーグでの王氏の活躍もあり、王氏を初めとした台湾出身の大リーガーたちや、日本で活躍する台湾出身のピッチャーたちが、やたらに取り上げられて「台湾の栄光」と称えられ、新聞のトップを飾るようになった。特に王氏関係のグッズ販売には、前日から長蛇の列ができ、サインボールなどは値が跳ね上がっている。


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