《臺北零話》

《2006年・11月》

新幹線 11月 1日(水)

 昨日台湾の新幹線で初めて事故が発生した。高雄の左営駅で本線から車庫の引込み線にバックで入ろうとした新幹線が脱輪したのである。 昼間に盛大な左営駅開駅の典礼を挙行し、その直ぐ後で脱輪事故とは、あまりにも漫画チックで笑うに笑えない。
 では、原因は一体何か、電気系統も制御システムも、機械類には一切問題は無く、列車長の判断ミスと新聞は報じているが、根本的な問題は他に有る。確かにポイントがまだ切り替わっておらず、その確認が十分でなかった列車長の判断ミスは否定できないが、本当に判断ミスであろうか。
 台湾の新幹線は、一種の寄せ集め新幹線で、今回の事故車両の関係者も、運転手は仏蘭西人、列車長は台湾人、中央制御センターの担当者は日本人、そして台湾新幹線の公用語は英語、と言う具合である。果たして、彼らの間で瞬時に意志の疎通が可能であったのか否か疑わしい。三人の中で列車長だけが台湾人であるので、何か彼のミスに押し付けられたように思われてならない。
 またなぜ公用語が英語なのか理解に苦しむ。たとえ日本の車両であろうが、仏蘭西が施設した軌道であろうが、はたまた誰が運転しようが、誰が指揮しようが、そんなことは関係ない。台湾を走る新幹線であれば、公用語は中国語であるべきである。中国語を公用語とすれば、意思の疎通も早いはずである。フランス人であろうが、日本人であろうが、台湾で新幹線に関わる以上、中国語をマスターすべきである。高速新幹線の運用には、人の生命がかかっていれば、安全第一は至上命題であり、それを維持する共通言語は中国語であるべきはずである。
 ところが英語である。今回の事故の関係者にとって、運転手のフランス人にも、列車長の台湾人にも、指揮所の日本人にも、英語は外国語であり母国語ではない。 このような寄せ集め集団にあって、関係者の誰にとっても外国語である英語を公用語として、本当に瞬時の意思疎通が可能であろうか。
 何か先行きに不安を感じさせる台湾新幹線であるが、それよりも、延び延びになっている全面開通は一体何時になるのやら、今年度中に開通するのか否かさえ、おぼつかない状況である。例え如何に遅れても、安全の確保だけは十分過ぎるくらいの配慮を払って頂きたいものである。ポイント確認ミスの脱輪なんて、本当に笑える話ではない。

国防 11月 2日(木)

 台湾では、この一二年政府提出の国防予算が審議されないで店晒しになっている。これは、メインがアメリカからの武器買い付け(飛行機)予算であるために、アメリカの関係者も全く座視するわけには行かなくなった。
 アメリカの関係筋からは、「台湾は自国の防衛を北京政府に移管するすもりなのか」との過激な意見も出されている。 しかし、今回も審議入り前に、審議事態が国会で否決された。何か、国防が政争の具にされているみたいである。
 民進党であろうが、国民党であろうが、はたまた親民党であろうが、国防は台湾の将来にかかわる問題であり、本来党利党略に絡ませるべき話ではないはずである。反対する国民党や親民党は、「台湾の将来を考えての上だ」と言うが、単に国防予算だけの問題ではなく、そこの台湾の将来(独立か統一か)を絡ませた政争となっているように見受けられる。

新幹線U 11月 3日(金)

 昨日も新幹線事故が発生した。まだ開業していないからいいようなものの、昨日は「全線断電」の事故で、何か関連機器が破損したみたいである。
 これでは、本当に一体何時開業できるのやら、年内は危ないと思う。また開業しても安全性は果たして保たれるのか、現状ではこれも何処か危なっかしい。開業したら、乗るべきか否か、今思案中である。

節度 11月 3日(金)

 本日の総統夫人の起訴を受けて、今まで総統を攻め立てていた国民党主席馬氏が、緊急記者会見を開いた。
 意気が上がる国民党の国会議員とは異なり、馬氏の態度は何処か悲壮な漢字がした。彼は沈痛な表情で「自分は反対の立場の野党の党首ではあるが、今回の総統夫人の起訴を決して喜んではいない。誠に悲しい残念なことである。総統は、台湾のため、人民のために辞職を考慮されたい」と述べていた。敵失に対して誠に節度有る大人の対応のように思えた。今回は「さすが国民党の主席」と、見直した。
 これに対し「下台」運動の連中は、爆竹を焚いて大喜びのお祭り騒ぎである。何か下品な気がしてならない。如何に攻めあぐねた敵とはいえ、一国の総統夫人が自国の検察に起訴されるということは、その国の将来、その国の対外的評価などなど、大きな問題であり、爆竹を焚いて手放しで喜べる話ではないと思うのだが、、、。

総統夫人 11月 3日(金)

 本日、陳総統の夫人呉淑珍が国務費の欺収(1480万)で台北高等検察に起訴された。これを受けて意気が上がっているのが、在野の「下台」運動と野党の国民党である。
 来月には、高雄市長と台北市長の選挙が行われるが、タイミング的には民進党には大変な打撃である。妻が貪汚罪(七年以上の実刑)で高検に起訴されたとなれば、陳総統も「妻の事」と言ってそ知らぬ顔はもうできないであろう。
 恐らく、総統は「名誉ある撤退」の時期を探ることになるのであろう。事ここに至っては、総統の地位に居座り続けるのは、些か難しくなって来た。

旅の恥は掻き捨て 11月 3日(金)

 昔から「旅の恥は掻き捨て」とはよく言うが、本日は、この言葉を実践した。同時に「持つべきものは友達と恩師」、この言葉の有難味を本日ほど感じた日は無い。何故なら、書は書かなくても書に纏わる知識を、恩師や友人が色々教えてくれていたからである。
 昨日の授業で、先生が「毛筆」の話をしました。クラスメートは、アメリカ人、カナダ人、タイ人、今時の若い日本人、と小生の五人である。 先生が「毛筆を知っていますか」と聞いたのだが、誰も知らないと言う、そこで小生に 「毛筆が使えますか」と聞かれたので、「使えますよ(但し下手で我流)」と答えた。所が、本日の授業の終わり30分前に、突然先生が書道用具一式を取り出し、「皆で字を書きましょう、中林が使えるから、彼に書いてもらいましょう」と、冗談にもならないことを言い出したのである。
 瓢箪から駒、冗談から誠とはこのことである。しかも、見せられたのが欧陽ジュンの楷書の手本である。こんなものは書ける訳が無い、はたと困って、いろいろ考えながら、「私は書法家ではないから、下手です。自己流です」などといって、何とかこの場を逃れようとしたが、先生もクラスメートも「書け、書け」という。
 そこで苦し紛れに思い至ったのが、普段恩師や友人から教えられた、漢字に纏わる諸々の知識である。 如何に下手糞な字とは雖も、己の名前ぐらいは一通り種々の書体(これは、友人たちに教えられた知識であります)で書ける。因って先ず、小生の名前を楷書で書き、これ以上色々他の漢字を書くと下手がばればれになるので、次に同じく名前をちょっと崩して行書で書き、次に横長縦短めの隷書で書き、次にてん書を書き、次に適当に金文を書き、最後に見よう見まねの草書を書いて、ひとしきり書の種類を説明したら、先生も学生も大変驚いている。
 この隙にさっさと他の学生に筆を渡して、「皆さんも書いてみて下さい」といって何とかごまかして、その場を切り抜けたのである。これも、ひとえに恩師や友人が有っての結果であり、本日は心から彼らに感謝している。 カナダ人が、「筆はどう持つんですか」と聞くから、これも特にO兄から聞いたことをうろ覚えで、「筆は立ててもつんですよ、軟らかく、軽くです」などと、もっともらしいことを言ったら、「軟らかく軽くとは、どんな感覚ですか」と聞くので、小声で「女性の胸を揉む時のように、軟らかく軽くです」と言ったら、大うけで、彼は「明白、明白」と大喜びであった。
 こんな台詞は、日本では「セクハラ」であろうが、偶々男だけのクラスメートの台湾でのことでもあり、不用意にもこの様な下品な台詞(本当は、生卵を潰さないように握ると言いたかったのだが、そんな中国語が言えず、とっさに上記のような中国語と成った)を言ってしまったのである。
 今日は本当に「我が師、我が友に救われた」と思った。それにしても小生が台湾で書を話すなど、冗談が過ぎる笑い話で、ブラックジョーク以外の何者でもない。また、この程度のことで驚かれるとは、将に「没想到」であるが、同時にそれは、台湾でも大半の人が筆を使わなくなったことの一証拠ではないだろうか。
 後で振り返れば、小生が一度でも書をまともに習っていれば、こんな恥知らずなみっともないことはせず、絶対筆など持たなかったであろうが、幸いにも習った経験の無い小生は、「厚顔無恥」のずうずうしさで、そ知らぬ顔で御託を並べたのである。
 これこそ、「お笑い種の愚行」であり、「旅の恥は掻き捨て」であるが、一方では、「無知」で「無恥」であることは、強いことでもある、とつくづく感じたのである。

野球とヤクザ 11月 3日(金)

 嘗ては日本のプロ野球界でもヤクザとの癒着や馴れ合いのいかさまが問題となって、球界を永久追放となった選手も登場し、世間を多いに騒がせたが、それもはるか遠い昔の話で、今の日本の野球界には、ヤクザの影は殆どみられない。
 台湾でもプロ野球草創期には、この手の話は山のように有ったが、最近は無くなり健全になったとばかり思っていた。所が、まだヤクザとの関わりは有ったみたいで、先日某プロ野球球団のピッチャーコーチがヤクザからいかさまをさせるように脅しを掛けられたのである。コーチが訴えて、そのビデオが公開された。いきなりピストルで脅して拉致し、いかさまを強要すると言う、可なり荒っぽい手口である。
 日本でも恐らく同様であろう。日本では表に出ないだけで、日本でも台湾でも、金の絡む所には、何故か黒道の影がちらつくのである。

散歩 11月 4日(土)

 本日午後、総統府前を散歩してみた。再び人々が集まっているとのガセ情報に引きづられ、野次馬根性で出かけてみた。
 所が、ガセ情報だったため誰一人人がいない。それどころか昨日の総統夫人起訴を受けて、総統府前の大道路は厳戒態勢で、200メートルほど手前から有刺鉄線で封鎖されて、さらに両側は内政部の鬼の第四総合機動隊の車が配置されて警備に当たっていた。正面から総統府に近づけば、有刺鉄線で行く手を阻まれるが、幸いなことに小生は総統府の裏側から入ったので、その有刺鉄線の内側に出たのである。この道路は普段は車が頻繁に走り、道路の真ん中を歩くことなどできない。双十節に三軍が行進する道路である。
 しかし、本日は有刺鉄線で規制され車が通らないどころか、人一人いない。これは勿怪の幸いである。この大通りの真ん中を歩くなど、めったにできることではない。紅いシャツを着ている人は、直ぐに警察が連れ出すが、小生は白いワイシャツに黒いチョッキにジーパンに草履履きである。警察が怪訝な顔をして見てはいるが、何も言わないので、両サイドを警察車両が固めたこの大通りの中央を、総統府に向かって20分ほど歩いてみた。
 秋晴れの台北で、赤レンガの総統府を前に見据えて、大通りの中央を一人で歩くのは、実に気持ちのいいものである。途中で買った天津甘栗の袋をぶら下げて、栗を食べながらの総統府に向かっての一人行進である。
 警備の警察が「こいつは何だ」と言うような顔で見てはいるが、止められることはなかったので、最後まで歩くことができた。本日は、実に愉快な散歩ができたのである。

週明け 11月 4日(土)

 昨日の総統夫人の起訴を受けて、各政党が一斉に走り出した。起訴されたのは、総統夫人だけでは無く、総統府関係者四人でその中に夫人が含まれている。検察の発表では、「総統も共犯であるが、総統には刑事事件の罷免権が有るため起訴の対象とはならない、しかし、六回の秘密外交の中で二回だけが合法的な機密費の使用であり、後四回は非合法である」ということである。
 国民党や親民党は主席談話で、48時間以内の辞職を要求し、総統が辞職しなければ三度目の罷免動議を国会に提出すると言っている。身内の民進党も主席が、国民のために三日以内に総統は説明しなければならない、と言い、総統府は、起訴状を見たうえで二日以内に説明する、と言っている。いずれにしても、週明けの陳総統の説明如何である。そこで綿々と理屈を述べて居直るのか、あるいは名誉ある撤退で辞職を発表するのか。
 政党関係者は「国家のため、国民のため、賢明なる考慮を望む」という態度であるが、一般人々は「やめるのが当たり前だ」と言う冷ややかな視線が強いように見受けられる。ほぼ一年近くにわたり、総統一家の不正蓄財や貪汚の報道を、これでもかこれでもかとニュースで見させられた一般人にとっては、「やっぱりなあ、当然辞めるんだろう」と言う反応である。 陳政権も六年目にして、いよいよ終わりが近づいて来たように見受けられる。

総統会見 11月 6日(月)

 昨晩総統の会見が行われた。 結論から言えば「続投」表明であった。彼は起訴状の内容について反論し、機密費の私的流用は一切無いと潔白を主張し、同時に三審制を待つことなく一審で有罪と判断されれば、即刻辞任すると述べていた。
 流石に陳総統は法律家である。事は極秘外交に関わる国家機密費の流用問題(どの国でも機密費は存在し、その具体的使用内容は将に機密であり、ブラックボックスの中に有る、日本でも内閣官房費なる機密費が有り、議員の外遊餞別などに使われていることは、誰でも知っているが、敢えてその内容を云々しようなどとはしない、その機密費の使用内容を法廷で取り上げることが、果たして良いのか否か、小生には疑問が残るが)であれば、裁判所では膨大な機密資料の調査と、在外在内を問わず多数の証人喚問が必要となろう。とすれば、一審の結果は、恐らく数年さきであろう。当然総統の任期後ということになる。
 とすれば、一審有罪即刻辞職と表明しても、実質は総統任期内続投を表明したに等しい。この総統の会見に対し、各政党の主席の正式談話はまだ見られないが、怒りを顕にしたのが「下台」運動の施明徳氏である。彼は、総統が会見で「即刻辞職」を表明すると踏んでいた感が有り、それが裏切られた思いが強いみたいである。
 恐らく、年末の二大市長選挙に向けて、政治的動乱と混乱が、台湾では暫く続くであろう。

今青天 11月 7日(火)

 総統の説明を納得した人は13パーセントに過ぎないとの調査結果が出た。つまり八割近くの人は、総統の説明を信じていないのである。因って国民党は三度目の罷免案を国会に提出する予定である。
 検察が総統夫人を起訴した前日に、その清廉潔白な生き方から、「今青天、陳青天」と称された元宜蘭県長で元法務部長の民進党員陳定南氏が、逝去された。彼は、民進党からも国民党からも、政治の規範と仰がれた人物である。
 その陳氏が死去された次の日に総統夫人が起訴されるとは、何か歴史の変わり目を感じさせる。

銅活字 11月 8日(水)

 本日、国家図書館で印刷(書籍形態)の歴史的展示をしていたので見た。甲骨文字から現代のEメールまで、宋版から民国本まで、エトセトラ、エトセトラでわりと見慣れたものが多かったが、胡蝶装の宋版周易と明代銅活字本の蘭雪堂本白氏文集は面白かった。
 特に銅活字本の蘭雪堂本白氏文集は、実物を始めてまじかに見たので、「これが蘭雪堂本か」と思い、同時に明代の実際使用された銅活字の現物も見た。
 この銅活字を見て、何が何でも銅活字のサンプルがほしくなったのは、数寄者の性と言うべきであろうか、根性を入れて銅活字を探し出そうと思っている。

英雄の凱旋 11月 8日(水)

 この一週間、見るのも聞くのもいやになるような政治問題ばっかりが氾濫していたが、昨日久々に明るいニュースを聞いた。
 日本の松井選手の同僚であるニューヨークヤンキースのピッチャー王健民が帰国したのである。彼は、今年度アジア出身の大リーガーとしては、過去最多の勝ち星を挙げたピッチャーで、「台湾之光」「台湾之希望」などと賞賛されていた。その彼が、昨日妻を伴って帰国したのである。入境した高雄の飛行場でも、故郷の台南でも、山の如き人々の歓迎で、将にお祭り騒ぎの大歓迎と報道であった。
 この様な明るいニュースは、何回見ても楽しいが、マスコミが、妻の身に着けている衣服やバックを、まるで芸能人でも扱うが如く、これは某某の品で幾ら、あれは某某の品で幾ら、などと金額とブランド名を挙げて報道していたのは、まあご愛嬌というべきであろう。

中間選挙 11月 9日(木)

 アメリカの中間選挙の結果がほぼ出た。民主党の大勝利である。幸いに加州のシュワちゃんは続投となったが、国会は民主党の天下である。
 恐らく下院議長はペロシ女史であろう。民主党が国会運営の主導権を握るとなると、対日関係はあまり変化ないであろうが、対中、対台関係は微妙に変化するかもしれない。
 中国は、北京オリンピックを控えているし、台湾は軍購問題がストップしたままである。どちらにしても、対中対台関係に影響ありそうな選挙結果となってはいるが、中国も台湾も互いに対美的に手足を縛られる問題(オリンピックと軍購)を持っていれば、複雑な外交交渉が必要になるであろう。
 このような時に、台湾は相変わらず総統問題で政争を繰り返している。もっと論ずべき問題が山のようにあるはずであるが、政争の繰り返しである。

不思議な感覚 11月10日(金)

 昨晩は数時間ほど不思議な感覚を味わった。店の裏の紅楼劇場横の広場で映画が上映されそれを見たのであるが、この映画上映は、台北の中央戯院で台湾語映画が上映されてから50年周年の記念イベントであった。
 1959年から1969年までの十年間の作品25本がリストアップされており、全編台湾語で当然字幕スーパーなどない。その中で、1969年の「康丁遊台北」が上映された。広場での青空上映であれば、見学者は用意されている椅子を持って適当にテーブルの周りにすわり、茶菓子を食べながらの鑑賞である。鑑賞スタイルもレトロならフイルムもレトロ、映写機に至っては光源の熱冷ましのために上部に空けられた穴から湯気が立ち上ると言う超レトロである。当然フイルムの撒き戻しは手巻きである。
 見学者は、殆どが老台湾人の人々で、日本人は小生一人である。台湾語で話しかけられるが、さっぱり分からない。「我是日本人、聴不トン」と言うと、なぜか後ろの老人が日本語で「日本人、映画だから見ていればわかるよ」と声を掛けてくる。
 先ず、最初に1時間ほど昔のニュースが上映されたが、当然無音の白黒ニュースである。内容は、昭和初期のサトウキビの栽培風景から始まり、昭和11年の台中の高砂族が日本内地を見学する様子、更に戦後の日本人引き上げ風景と台北の復興の様子である。
 よくこんなフイルムが残っていたものだと思ったが、それよりも驚いたのは、無声であるため輔仁大学の鄭教授が弁士を勤められていたが、その説明の中に「ジンジャ」「サンパイ」「ヤマトマル」「サンリン(オートサンリン)」などの日本語が飛び交い、見学者も小声で「オマワリサン」「セトナイカイ」等等日本語で話し合っているのである。もっと驚いたのは、日本の内地を見学する高砂族が、まず出発地の台中で当時の台中神社に参拝する画面が映し出されると、見ている人々が画面に合わせて拍手をうったことである。しかもこのニュース映画のバックミュージックは、やはり輔仁大学の学生がエレクトーンを演奏していたが、「荒城の月」と「さくらさくら」であった。
 まるで、昔田舎の小学校の校庭で、茣蓙を敷いて映画鑑賞している感覚で、うっかりすると幼稚園時代に経験した、青空巡回映画鑑賞会にいるのかと錯覚してしまうのである。 このニュース映画が終わり、いよいよ劇映画の上映となったが、その前に映画で主演した男優と女優(当然共に老人である)が登場し、映画の主題歌を歌って拍手喝采である。それに答えて男優が、「トウシャア(台湾語)」「シェイシェイ(中国語)」と言い(ここまでは分かる)、次に「アリガトウ(日本語)」と言った。実際上映が始まると、台湾語の分からぬ小生のために、周りの老人たちが「あれは昔の高雄」とか「おじさんが悪い人」とか、色々日本語の解説を話しかけてくれるのである。
 この映画鑑賞会は、数寄者が開いたわけではなく、れっきとした政府機関である行政院新聞局の主催である。こんな映画鑑賞会が、果たして中国や韓国で開かれるであろうか。
 戦前のアジアに於ける日本統治を、正の部分も負の部分も全て含めて、もう一度正しく検証し直す必要が有るのではないのかと考えさせられた、不思議な感覚の数時間であった。
 しかし、如何周囲に親日的な人々が多い台湾と雖も、戦前の日本の植民地政策は決して肯定されるべき物ではない。確かに、現在の台湾の発展に寄与した部分が有ったにしても、植民地政策は所詮植民地政策であり、如何に「内台同一」との方策を掲げようとも、当時台湾の人々に対する差別が、厳然として存在したことも事実である。
 日本統治時代に対する正の評価は、その後の国民党統治時代との比較に於いてなされた要素が極めて大きく、そのまま鵜呑みにする訳には行かない。因って「親日的態度」も、その様な文脈の中で読み解く必要が有る。
 だからこそ、近代日台関係史を もう一度正しく検証し直す必要が有ると考えるのであり、その結果の先に、真の日台友好が有るものと常々考えていたが、今日の映画鑑賞会を経験して、その意を一層強くさせられたのである。努々軽薄な言葉上だけの日台友好は慎まねばならないと想われるのである。

玉筆 11月11日(土)

 本日光華をぶらついていて「玉筆」を見つけた。今までお土産の新物はたまに見かけたが、古玉の骨董品は全く見かけなかった。
 所が本日偶々「古玉筆」を一本見かけたので、粘り強い交渉の結果500元で入手した。筆先は傷んでおり(使えることは使えるのだが)取り替える必要があろう。しかし、「筆管」は、清末辺りに良く見かける白玉に緑を散らした「玉簪」と同じものである。
 これで研究室には、「玉硯」「玉筆」「玉筆架」「玉水ウ」と集まったので、後は「玉鎮」「玉合子」「玉墨床」「玉筆筒」である。
 何とか残り数ヶ月の間に古玉のこれらを探し出し、「玉」尽くしの文房飾りを揃えたいと思っている。学生に「玉」尽くしの文房飾りを見せることに因って、中国人の嗜好や文化理解の一助にでもなれば好いと考えている。
 しかし、問題は金額であろう。要するに、小生の根性と交渉術(中国語能力)が問われるに他ならない。

浴硯書屋、T 11月13日(月)

 昨日某所で面白いものを見かけて入手した。それは、浴硯書屋の銘が有る「白磁墨彩山水文墨床」である。磁胎の上面に墨彩で直接山水文様が描かれており、磁胎に線刻して墨を載せた磁刻墨彩とは異なるが、裏面には端正な楷書で浴硯書屋の銘文が書かれている。
 「浴硯書屋」とは、乾隆時代の王府の堂斎銘であるが、殆どその本物にはお目にかかれないし、放品も滅多に見かけない。
 今回のは、明らかに清末から民国時代にかけての放品ではあるが、「浴硯書屋」の在銘もののサンプルとしては、面白い品であろう。実は、筆洗と筆筒も見かけたのであるが、小生が老板に声をかける直ぐ前に、当地の好事家に買われてしまったのである。

分からないこと 11月14日(火)

 昨日民進党の国会議員の林氏と李氏が、国会議員辞職の記者会見を開いた。理由は、総統の国務費問題に対する党の対応に不満が有る為ということであるが、それがなぜ国会議員辞職になるのか、よく分からない。
 党の対応に不満があるなら、離党が筋であって議員辞職とはならないはずである。日本でも郵制民営化の時は、反対議員は自民党を離れて戦っている。
 自分たちを選んでくれた選挙民と党の意見が違った場合、己があくまで選挙民の体表と思うなら、先ず離党があり、離党して国会で頑張っても駄目なら、そこで議員辞職をすれば好いと思う。所が離党せずに辞職発表とは、何か政治的パフオーマンスの様に思えてならない。

今度は馬氏 11月15日(水)

 今度は馬氏である。台北市長の馬氏が特別費の使用問題で騒がれていたが、とうとう昨日台湾高検の事情徴集を受けた。馬氏は国民党の主席でもあれば、当然民進党の意気が挙がっている。
 しかし台湾では、なぜ総統の国務機密費にしろ、市長の特別費にしろ、その私的使用の疑義が多くでるのであろうか。しかもその内容たるや、機密費でダイヤの指輪や子供のオムツを買っただとか、特別費で犬の餌を買っただとか、見ていて情けなくなる話ばかりである。
 このことは、国民党一党支配の長年の悪習で、今まで主長職(総統を始め、市長、県長など)に付いていた給料以外の首長の自由裁量である特別費(本来は公務のための費用)が、如何に個人的に私的に流用されていたかの、明白な左証の一端であろう。
 ポストに付随している権力は己の権力、ポストに付随しているお金は全て己の金、と言う長年の発想と言うか、伝統的発想と言うか、とにかくこの様な意識は、例え民主化されたとは言っても、そう簡単には排除されないものであることを痛感させられた。

伝統的職業 11月17日(金)

 今台湾中部の南投県では、漢民族の伝統的職業の横行に頭を悩ませている。その職業とは、墓荒しつまり盗掘である。
 南投県ではこの数ヶ月の間に百基以上の墓が盗掘され、その被害金額は20000元以上にのぼっている。盗掘は、古代中国から営々として行われてきた伝統的職業で、多くの王侯貴族の墓が荒され、歴史的墓陵が発見されても文化的資料は何も残っていなかった、と言う事例は今までにも多々有った。
 しかし、その職業が今も存続していようとは思わなかった。これは、未だ火葬が普及せず土葬が中心で、同時に経済的に発展を遂げた現在では、一般人でも整然の金銀や玉を身につけて土葬されるためである。
 この副葬品を狙って、一般人の墓までもが盗掘の被害に遇い墓が荒されるのである。一般人の墓は王侯貴族と異なり、地下宮殿と言うわけではなく、わりと浅い地点にに埋葬されていれば、掘り起こし易いのである。夜中に数時間かけて地上から鍬で掘り起こし、財物だけを盗んでゆくのである。
 古来「売春と泥棒は、人の住む所には必ず有る」と言われるが、まさにその通りである。今時、財物狙いの墓荒しの話を聞こうとは思わなかった。

地下賭博 11月17日(金)

 台湾では、ヤクザの絡んだ地下賭博が盛んである。以前にプロ野球のコーチがいかさまを強要された事件が問題になったが、賭博自体は相変わらずお盛んである。
 昨日台中で行われている野球のコンチネンタル盃で、台湾が宿敵キューバを破って四強に進出したため、大騒ぎの盛り上がりであるが、同時に賭博も十億の金が動いただのと、結構はでである。明日から開催される決勝ラウンド(日本対オランダ、キューバ対台湾、更に勝者同士の決勝戦であるが、恐らくオランダ対キューバになるであろう、日本は打線が下降気味であるから、三位争いになるであろう)では、もっと多額の金銭が動くであろう。
 所が、今問題になっているのは、この地下賭博(本来は禁止されているので地下賭博なのである)現職軍人が関与していたことが発覚し、一騒ぎである。どうも単なる手慰みの客というよりは、胴元をやっていたみたいで、軍のトップは怒り心頭の体であるが、ともかく台湾の人たちは、小博打から大博打まで、マージャンから闇賭博まで、賭け事が好きである。

自動車事故 11月19日(日)

 昨晩台中市長(胡志強)夫婦の乗った車が、自動車事故に巻き込まれ、市長は軽傷らしいが、夫人が大怪我である。報道に因れば、夫人は左腕切断の大怪我で、未だ危険な状態らしい。
 この報道を聞いて直ぐに思い起こすのが、現総統陳氏夫人の交通事故であるが、誠に不思議な巡りあわせと言うべきであろうか、昨日つまり11月18日は奇しくも総統陳氏夫人の呉氏が交通事故に遭って半身不随の車椅子生活になった日でもある。

温暖化 11月19日(日)

 地球の温暖化に伴う気候変化は日本でも見られ、あちこちで竜巻被害が発生しているが、台湾でも異常気象が起こっている。数日前までは18度前後で、本来の11月らしく長袖を着ていたが、二日前から28度前後の夏日が続き、再び半そでシャツである。
 台湾の人に聞いても、やはりおかしい天気であると言っている。どこかで、地球そのものが軋み始めているように感じる。

不幸 11月20日(月)

 人間何が不幸になるか分かったものではない。一昨晩交通事故を起こした青年は、普段は真面目な青年で、仕事で疲れていたために事故を起こしたらしい。
 普段であれば、単なるハンドル操作ミスの交通事故で片付けられたであろうに、偶々巻き込んだ相手が悪かった。巻き込まれた相手は台中市長夫婦である。これもただの市長夫婦であれば、それほど問題なかったであろうが、間の悪いとはこの事で、この台中市長の夫人は、元明星であったため、連日の大報道である。
 夫人は、中視で女優を務めた元明星である。彼女は女優として人気を博していた時に、青梅竹馬の間柄であった貧乏書生の胡氏の求めに応じ、さっさとスターの地位をすて胡氏の妻となり、芸能界からは綺麗さっぱり引退し、以後はひたすら胡氏を助けて良妻賢母を演じた女性で、その夫婦仲は人もうらやむ鴛鴦夫婦であった。
 その彼女が危篤状態であるために、連日報道され続け、事故を起こした青年一家が病院に三回も見舞いに行ったが、胡氏には会えずじまいで、病院のホールに跪いて夫人の回復を祈ると言うことまで行っている。
 相手がこの夫人でなければ、加害者の青年もここまで取り上げられることは無かっただろうにと思う。将に人間何が不幸になるのか分からず、一寸先はこれまた闇である。

悪女の深情け 11月21日(火)

 「悪女の深情け」と言う言葉が日本にはあるが、今高雄県の教育界を揺るがす大痴情問題が発生している。これは、二人の間に全く男女関係が認められないので、「悪女の深情け」と言うより「悪女のストーカー」と言うべきであろう。
 45歳の既婚の女性小学校教師が、そこの男性校長(既婚)を一方的に好きになり、ラブレターを校長室に届けたり、学内で口頭で愛情を吐露したりの行動が目立つようになり、困り果てた校長が、「馬鹿なことはお辞めなさい、貴方には家庭があり、私にも家庭があります。それぞれの家庭を大事にしましょう」と諭した所、彼女は「学年主任を辞めさせろ」と強行に要求し、校長がそれを認めたら、今度は「校長が職権を乱用して私を苦しめている、私は彼を愛しているのに」との公開手紙を教育界に出したのである。
 驚いた教育界は、調査の結果、女性の勝手な思い込みであるため彼女を「病気休暇」扱いとし、これで一件落着かと思ったら、今度は「私の愛を受け入れてくれないなら、自殺する」との、自殺予告公開手紙を再び出したのである。おかげで何の罪も無い真面目な校長はさらし者にされ、不幸この上ない。彼女が離婚したのは当然の結果であるが、校長も教育界も、彼女の処置に困り果てている。
 日本でも、公立学校の先生は、なかなか「首」には出来ないようであるが、台湾でも同じようである。

叙勲 11月21日(火)

 本日から23日まで、日本の元総理森氏が台湾を訪問されるが、それに合わせて台湾政府は森氏に「特種大綬景星勲章」を授与する。
 この勲章は、外国の元首や賓客に授与される勲章であるが、日台断交後に於ける日本人の受章としては森氏が最初である。嘗て日本の漢学者諸橋博士が、大漢和辞典出版の偉業に対し台湾から勲章(日本の文化勲章に該当する)を授与されておられるが、台湾政府から与えられる勲章としては、恐らくそれ以来であろう。
 理由は、元総統李氏の心臓病治療のための訪日の許可や、台湾観光客のビザ免除などに対するお礼らしいが、台湾を取り巻く国際環境の厳しさの中での、日本に対する台湾のかすかな期待も伺える叙勲である。

国際娼妓文化節 11月22日(水)

 来る25日に「国際娼妓文化節」が台北で開催される、寡聞にしてこの様な「節」が有るとは全く知らなかった。当日は、娼婦の人権と性産業文化について討議が行われるらしい。来賓はスエーデンのその筋著名人らしい。
 昨日、日日春協会の小姐に因るそのデモンストレーションが、新光三越前の広場で繰り広げられていた。彼女たちは、相変わらず元気に大らかに性産業の復権を叫び続けている。
 一方では、大陸から偽結婚で入国した29歳の大陸の小姐が、入国するや否や売春商売を始め、その金の儲かり具合に驚き大喜びし、今度は己が老板となって中国に一時帰国し、自ら小姐を言葉巧みに集め、再び偽結婚の形で彼女たちを入国させ、売春で一儲けをたくらんだのだが、警察の内偵に因る摘発を受けて逮捕されたニュースが、今朝の新聞に踊っていた。
 日日春協会の小姐たちの元気な活動、それと大陸小姐の逮捕、この二つのニュースを見て、小生ははたと考えた。一体性産業は、野放しが好いのかそれとも禁止がよいのか、禁止すれば、大陸小姐のような闇商売が跋扈する、かといって野放しもよくないであろう。とすれば、日日春協会の小姐たちが求めるように、適度の法規制の下での健全な営業というのが、一番望ましい形であろう。
 因みに、台北市長選挙候補者の中では、民進党の謝氏が、「当選したら彼女たちの要求を考慮する」と述べている。この一点を以って、誠に無責任ながら「加油、謝氏」である。

国旗と外交 11月22日(水)

 今台湾は「国旗」問題で騒いでいる。と言うのは、先日のベトナムで開かれたエーペックに台湾から出席した代表団の飛行機の国旗についてである。
 この会議、当然台湾は中国の圧力により、総統も外務大臣も参加できない。そこで、民間の大物経済人張忠謀氏を総統の名代に立てて参加したのであるが、その張氏が乗った飛行機が空軍一号機の総統専用機なのである。
 政府筋は、専用機による国交の無い国への入国は、外交的成果の一つである、と宣伝したまでは良かったが、実は、この専用機は、尾翼に有るはずの国旗が塗りつぶされていたのである。
 マスコミは一斉に「どこが成果だ、自ら国辱的な行為だ」と噛み付き、政府は「中国政府の圧力に因り、やむを得ず消したが、それでも国交の無いベトナムが専用機を受け入れてくれたのは、わが国の外交的努力とベトナムの好意である」と応戦している。
 さて、この国旗の無い総統専用機の飛行は、果たして外交的成果の一つなのか、それとも国辱的行為なのか、いずれにしてもこのことは、台湾を取り巻く国際外交の環境の厳しさを、如実に示す一事例である。

初雪 11月23日(木)

 気温こそまだ25度前後有るが、台湾も昨日から冬に入った。確か農暦では昨日は「小雪」のはずであるが、台湾の玉山に初雪が降り4CMほど積もった。
 東京の11度前後とまでは言わなくても、これから徐々に台湾も寒くなって行くだろう。台湾で雪を見ると、何か懐かしい気がする。ふと加東大助氏の「南の島に雪が降る」を思い出したが、後で、「何とまあ古い話を思い出すことよ」と、わが身の老いが可笑しくなって苦笑した。

学者の矜持と信念 11月23日(木)

 先に台湾大学が、社会科学院の審査などを経て今年度の特聘終身教授(学者としての最大の名誉と身分保障)を発表した所、その中の一人である政治学系の若手教授石氏が、受賞を拒否した。
 石氏は、台湾大学出身で、アメリカ留学で博士の学位を取り、アメリカの大学教員を歴任した後、母校の台湾大学の教授となっていた49歳の社会学者である。その彼が、特聘終身教授の授与を辞退したのである。彼は、専著60本近く、論文は200にも上る、業績としては台湾で一二を争う数である。では辞退の理由は何か、以下がその理由である。
 石氏の話、「最近学術界は、論文の数の多寡に因って学内での昇進や評価を行っているが、それは、自分が専攻する社会科学や人文科学の分野に於ける、自分の考える学問の在り方と大きく異なる。自分が信ずる社会科学の学問は、単に論文数ではなく、その中身の水準と学問道徳の維持こそが重要であると考えている。最近の学者は論文の数に追われて、自己研鑽も無いまま、論文の促成と量産に邁進しているが、それは自分の考えと異なるし、更に自分の学問道徳や水準は、未だ人に誇れるレベルでは無い。故に辞退するのである。此れによって己が如何なる立場に置かれるかは、百も承知しており、全て覚悟の上での辞退である」 と言うものである。
 小生は、この石氏の談話を聞いて感動し、心密かに拍手喝采を送った。日本よりもアメリカナイズされた台湾で、この様な矜持と信念を持つ学者がいたとは、「人文科学や社会科学では、論文数よりも学者自身の学問的道徳に基づいた学問内容こそが重要だ」(氏はこれを伝統的な思考だと言う)とする氏の言葉を、同じ人文学を専攻する小生は、改めてかみ締めている。氏は、立場上政治学専攻となっているが、内実は社会学や女性学、中国文化史などもこなす、幅広い人文社会学の学者である。小生も、中国研究者としてではなく漢文学者として、氏の様な矜持だけは保ち続けて行きたいと思っている。

国立台湾博物館 11月24日(金)

 台北で博物館と言えば、中国文物の殿堂である国立故宮博物院や、市内に有る国立歴史博物館を、直ぐに起思するであろう。
 所が、「国立台湾博物館」と言えば、大概の日本人は「え、そんなもの有ったかなあ」と言うのが一般的であろう。この国立台湾博物館は、総統府に向かって右側に有る二二八公園の一角に存在する。展示物は、台湾の古代文化や少数民族資料などが中心で、実際それほどの展示物ではない。
 しかし、問題は建物である。入り口は石柱が数本立ったバロック様式で、一見してあの有名な映画「ゴッドフアーザー、パート3」に登場した、銃撃される劇場前と同じである。更に中に入ると、中央ロビーの奥中央から緩やかな階段が左右に上っており、これも一見して、日本の上野に有る国立博物館東洋館を、直ぐに思い出させる。
 なぜその様な錯覚を与えるかと言えば、この建物は、戦前に台湾総督であった児玉源太郎と民政長官であった後藤新平に因って立てられた、古典的バロック様式の建物なのである。その建物が、古典的建造物として保存され、国立台湾博物館として使用されているのである。近くには、清朝時代の黄氏の「孝節坊」も保存されて有れば、総統府を見学がてらに一見するだけの価値は十分ある。
 この様に、台湾各地には日本時代の建築物が結構多く保存されていれば、台湾に於ける「日帝時代古建造物探索旅」と言うのも、結構面白い旅行になるであろう。

金馬奨 11月26日(日)

 昨晩台北で、香港、台湾を中心としたアジア版オスカーとでも言うべき、映画界の第43回金馬奨発表受賞会が行われた。
 この発表会で、今年度の金馬奨主演男優賞を獲得したのが、郭富城(アーロン、コク)である。彼は二度目の受賞で、この快挙は成龍(ジャッキー、チェン)に並ぶものである。
 郭富城は、アイドル歌手から出発して、その後アイドルタレントとしてテレビや映画で活躍していたが、1993年の映画「赤脚小子」で、役者として一皮剥けた感じを与え、将来良い役者になりそうだと思ったが(但し、このときは脇を固めたのが張曼玉・狄龍らの名優である)、確かにシリアスな役も十分こなせる役者に成長した。
 今回の受賞対象となった作品は、「父子」と「如果、愛」であるが、特に「父子」が出色である。嫁さんに捨てられ(要するに嫁さんは新しい男の所に逃げたのであるが)て落剥した父親と、その男の子とのやり取りであるが、ほぼ全編が二人の会話を中心に構成されている。
 見ていると、男として身につまされ泣かされる、良い映画である。父と男の子との関係と言えば、数年前にトム、フアンクス主演のアメリカ映画「ザ、ロード ツウ パーデイション」が有り、この映画も泣かせるものが有り、特にラストシーンの男の子が海を見ながら「彼は私の父だった」と独白する場面が印象的であったが、この「父子」も二人の会話が泣かせてくれる。
 アジア映画では、今まであまり「父と男の子」の関係を題材にした映画で、これはと言うのは見当たらなかったが、この郭主演の「父子」は良い。因みに、相手役の男の子役の九歳の呉景滔が実に上手い表情を見せており、この呉に助けられた部分が無い訳では無いが、郭の演技も素晴らしい。
 この「父子」は、作品賞も受賞し、子役の呉も助演男優賞を受賞している。この映画は、確かにお勧めの一級映画である。
 ただ一点難を言えば、それは音楽である。カメラもライトも好いが、音楽だけが音量が大きすぎる。人物や場面の心理変化を音楽で表現しようとしたのは分かるが、音量をもう少し抑えたほうが良かったように思われる。それと、ラストシーンが今一であった。ラストシーンに関しては、「ザ、ロード」の方が完全に上である。

科学博物館と故宮博物院 11月27日(月)

 この十二月から来年三月までの間、台湾では中国の兵馬俑二号坑の展示が行われる。日本では、二号坑の文物は新聞紙上での紹介は有ったが、本格的な文物展示はまだ行われていないはずである。
 その二号坑の文物百十六点が、十二月一日より台湾の台中に有る国立科学博物館で、ほぼ三ヶ月強に渡って公開展示される。十二月七日には新幹線も開通することではあるし、台中まで片道一時間の日帰りで見学に行こうと思っている。
 また故宮では、十二月二十五日から、「北宋書画特別展」が開かれる。故宮所蔵の品を中心に、アメリカのメトロポリタンなどから借り出した逸品、合わせて七十六点を一堂に展示する。恐らく、これだけの逸品(名品七十六点)が一堂に会するのは、最初で最後かもしれない。これは絶対見逃せない展示会であろう。
 十二月末からの台湾は、将に眼福のひと時である。「兵馬俑二号坑展」と「北宋書画特別展」が、数寄者を「おいで、おいで」と招いている。

中国経済の過熱 11月29日(水)

 今中国経済はバブルである。これが弾けた時を考えるとちょっと怖いが、確かにバブルである。数日前に某オークションで、徐飛鴻の油絵「獅子と奴隷」が中国絵画史上最高額で香港の中国人に落札されたが、今度は陶磁器である。
 昨日香港で行われたオークションに、清朝乾隆時代の胡月軒つまり琺瑯彩梅図碗が出たところ、中国の大慶油田司の董事長が六億三千六百万元、約二十五億円前後で落札した。昔、香港がバブル時代にやはりオークションで宋代官窯青磁が二十四億弱で取引されたことが有ったが、今回はそれより高値である。
 確かに中国には、べらぼうな金持ちが存在するが、その対極も数多く存在している事実を、忘れてはならないだろう。この国内南北格差は天と地以上の開きが有るように思われる。


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