東 洋 研 究 所 の沿革簡史

History of Institute for Oriental Studies

  《東洋學を研究對象とする高度な研究機關》

東洋研究所》の歴史は、大東文化協會の研究部から始まります

 大正七年の原内閣に於いて木下成太郎氏が「東洋學藝の振興策」を建言し、同十年に「漢學振興に關する建義案」が上程されて満場一致の賛同を得ました。しかし、政府の動きが些か遅かった爲、同十二年二月に、この建義案の早期具現化を図る可く、漢學振興の推進團體として、民間有識者を中心にした財團法人「大東文化協會」が設立されます。

 この協會は、大木遠吉を會頭に、江木千之・小川平吉を副會頭に、木下成太郎・大島健一・北条時敬・仲小路廉・牧野謙次郎・内田周平・三島毅・藤山雷太等々(政・學・財の有力者有志を中心)を理事に戴き、國庫補助と言う名の國費が投入されて發足した組織で、その規約第一条に「東亜固有の文化の振興を目的とする」と明記され、更にその要項に、

1、皇道に遵い國體に醇化せる儒教に據り國民道義の扶植を圖る

2、東洋文化を中心とする「大東文化學院」を設立維持す

3、文化講演等の方法に因り國内外に斯學の振興を圖る

4、漢學に關する教科書及び教授法の改善を圖る

5、東亜の美術・音樂等の維持發達を圖る

を舉げ、その機構は、庶務部・會計部・基金部・教化部・出版部・研究(東洋・比較)部の六部と大東美術振興會とで構成されています。

 上記機構の中でも、特に協會の研究部は、内外の政治・教育制度の調査と東洋思想・學藝の研究とを目的としたもので、その成果は機關誌「大東文化」(月刊)誌上に随時發表され、亦た教化部は、日本各地での講演會(四十回程)を行い、出版部は、機關雜誌のみならず講演記録や「エックス・オリエンテ」等々を出版し、美術振興會も、書畫名蹟展覧會の開催や「大東美術」の發刊等々、協會として意欲的且つ活發な活動を展開しています。

 しかし、この協會規約第一条二項に明記された「大東文化學院」(當時の金額で年額十五萬圓と言う高額な政府補助の國費が、大正十二年から昭和5年まで、七萬圓が昭和六年から同十年まで投入され、因って、學院則第九章第三十七条に、「入學料及び授業料は之を徴収せず」と明記されているが如く、官費給付の官立専門學校として出發しているが、昭和六年からは授業料を徴収)が、大正十三年に開校すると、學院自體の維持展開に主力が傾注され、且つ時代の混亂(昭和初期)と言う歴史的變轉の中で、協會と學院との一體化傾向が彊まり、學院研究部の『經學門徑』『經學史』『論語講義』等の出版や、「大東文化學院」漢學會會報「大東文化」(協會機關誌と同名)の公刊等々に因り、協會研究部自體の活動はどちらかと言えば、縮小停滞(意欲とは別に實態として)の方向に向かった様に見受けられます。

 昭和十年代の嚴しい戰争期に在って、學院の學問的活動が停滞(一方では、諸橋徹次著『大漢和辭典』の編集委員として、多數の在学生・卒業生がその作業に參畫し、學院生の漢文能力の高さを發揮出來る様な場は、確かに有ったが)するのみならず、「大東文化協會」も多大な戰禍を受け、膨大な蔵書も一氣に灰燼に帰し、結果として協會自體の存續が、存亡の危機に瀕します。

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 斯様な情況下に在って昭和二十二年に學校教育法が制定され、戰後の學制改革が始動するに伴い、専門学校であった「大東文化學院」は苦難の道を歩み、同二十三年に大學設置認定申請を行い、同二十四年に新制大學「東京文政大學」と改稱再出發し、次いで同二十六年に「文政大學」と改稱します。

 しかし、同二十七年頃より東洋の學術文化の推進と高度な研究が熱望され、東洋文化の學術研究機關設置の氣運が高まり、「大東文化協會」研究部の再出發が論議され、同窓生らの熱意に基づき同二十八年に、大學名を再び「大東文化大學」と改稱し、同二十九年に「學校法人大東文化大學」附属、つまり法人附属の機關として、「大東文化研究所」が設置されます。

 この「大東文化研究所」は、「東洋文化に關する學術的研究とその振興を圖る」を目的とし、その事業内容は、

1、東洋文化研究者に對する指導と助成

2、研究會・講演會の開催

3、研究成果の出版

となっています。

 この研究所が「大東文化協會」研究部の流れを汲む事は、設置までの論議の經緯やその事業内容の類似性のみならず、協會出版部の尾張真之介が研究所所長に、協會幹事の土屋竹雨が研究所理事に、協會教化部の鵜澤総明が研究所教授に、各々就任している點からも明白であり、その研究成果の一班として「東洋學術論叢」が發行されています。

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 昭和三十五年に法人名が「大東文化學園」と改稱されると、同三十六年に大學附屬の研究機關として、學則第六条に基づき「大東文化研究所」は「東洋研究所」と改稱し、「アジアを中心とする人文・社會・自然の科學的調査研究を行い、廣く學術の發達に寄與する」ことを目標にし、學問の細分化と極度の専門化を彊める現状に對し、共同研究を主體とする研究方法の場を提供す可く、初代所長平島敏夫の下、以下の研究分野が設定されています。

1、日本近代思想における儒学の地位

2、東洋の道徳系譜の研究

3、日本文學における中國文學受容の諸相

4、清朝書道の源流考

5、アジア・アフリカにおける宗教・言語の問題

6、後進諸國における中立主義の研究

7、東南アジア諸國における社會主義の研究

8、中國經濟の成長と制度變革との關係

9、中國の財政・金融制度とその運用に關する研究

10、アメリカの對アジア政策の研究

11、國語教育における漢字の扱い方についての實証的研究

 上記の研究分野を一瞥すれば、「東洋研究所」成立時に於けるその目的・方向性・意欲・情熱は、自から明々白々たるものが窺え、學術的に価値の高い著作物(『会津藩の人口政策』『上代国語法研究』『中国経学史綱』『現代中国政治経済論』『ケインズ派経済学』『近世社会経済史料集成』『イギリス・アメリカおよび日本の手形交換制度の特質の比較研究』等)が公刊されています。

 初代所長平島敏夫以降、歴代所長は南条コ男・金子昇・高橋梵仙・市野沢寅雄・野口正之・土井章と受け継がれ、昭和四十八年の土井章所長時代には、

1、日本儒學史研究班(市野沢寅雄、等)

2、『宋史』研究班(原田種成、等)・・文部省の科研費を得て『訓点本宋史本紀』(昭和54年、汲古書院)を公刊

3、日本古典文學研究班(佐伯梅友、等)

4、近代日本文學研究班(平岡敏夫、等)

5、書道史研究班(松井郁次郎、等)

6、アジア・アフリカ研究班(栗本弘、等)

7、中國研究班(吉村五郎、等)

8、理論經濟研究班(永田元也、等)

9、經營研究班(河野一英、等)

10、經濟史研究班(高橋梵仙、等)

の十班が置かれ、それぞれに有意義な研究が行われ、『日本人口統計史論集』『現代中国の革命と建設』『仏教歌謡集成』等が、公刊されています。

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 昭和五十三年に至ると、研究機關としての充實を圖る可く研究所に専任研究員五名(教授一名・講師一名・助手三名)が置(研究員を、専任・大學内の兼擔・學外の兼任に分割)かれ、同五十八年には八名(教授二名・助教授二名・講師二名・助手二名)の研究員を擁し、所長も中嶋敏・岡倉古志カ・古島和雄・遠藤光正と受け繼がれ、平成五年の遠藤光正所長時代には、六人の専任研究員(教授二名・助教授三名・講師一名)を中心に、

1、外来文化の受容形態を通じてみた日本文化の形成(古島和雄兼擔研究員、等)

2、中國古代神話學・インド哲學思想史・中世佛教の研究(松本照敬専任研究員、等)

3、歴史的に見た中國の對少数民族政策とその傳統的社會(加治明兼擔研究員、等)

4、中國社會主義開放政策の研究(古島和雄兼擔研究員、等)

5、新國際秩序とアジア太平洋地域(永野慎一郎兼擔研究員、等)

6、松方正義關係文書(大久保達正兼擔研究員、等)

7、昭和社會經濟史料集成(永田元也兼擔研究員、等)

8、日中文學の比較文學的研究(遠藤光正専任研究員、等)

9、前近代の世界國際貿易におけるアジア地域内貿易(生田滋兼擔研究員、等)

の九班が置かれ、活發な共同研究の成果として、大部な『松方正義関係文書』『昭和社会経済史料集成』『現代中国革命重要資料集』や『藝文類聚訓讀索引』等が、刊行され出します。

 以後、所長は松本照敬・福田俊昭・山田準・中林史朗・岡崎邦彦と續き、研究分野に變遷は有るものの、その目的と基本的方向性は何等變わること無く、岡崎邦彦所長の平成三十年には、

1、20・21世紀における日中關係と中國の對外抵抗・對内改革・世界大同(岡崎邦彦専任研究員、等)

2、日中文學の比較文學的研究(中林史朗兼擔研究員、等)

3、西欧植民地主義再考班(山田準専任研究員、等)

4、唐・李鳳撰『天文要録』の研究(小林春樹専任研究員、等)

5、茶の湯と座の文藝(藏中しのぶ兼擔研究員、等)

6、西アジア地域における社會と文化の傳統・交流・變容班(吉村武典兼擔研究員、等)

7、岡倉天心にとっての傳統と近代班(田辺清兼擔研究員、等)

8、南アジアにおける包摂と排除班(須田敏彦兼擔研究員、等)

の八班が活動を展開し、今に至るのが現在の「東洋研究所」なのです。

 因って、「東洋研究所」は、大正十二年の「大東文化協會」研究部の流れを繼承発展させ乍ら、東洋文化の高度な研究機關として日夜活動を續け、現所長岡崎邦彦の下、四人の専任研究員(教授二名・助教授二名)を中心に、八十數名の研究員(兼担・兼任)達に因り、機關誌「東洋研究」・研究成果(『天文要録』『イラン研究万華鏡』『西安事変と中国共産党』『茶譜』『Social Transformation and Cultural  Changein South Asia』等・學術刊行定期著作物(『藝文類聚訓讀索引』・研究所「所報」等の公刊や、夏・秋二回の公開講座の開催等々、より廣範圍且つ専門的な研究活動を日々展開し續けているのです。

   平成31年仲春

                                          於黄虎洞

*上記文章は、『大東文化大学五十年史』『同七十年史』『研究所所報』『研究所パンフレット』等々、既に公開されている大學の公的資料の記載内容と筆者の若干の感慨とに基づき、簡便に纏めたものである。

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【文責、中林】

 

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