バレエをとおして文化行政を考える

 

                    大東文化大学 法学部 政治学科3年

                      学籍番号 01142259

                      佐野桃子

目次

はじめに

1章 バレエのついて

1−1 バレエの起源

1−2 日本でのバレエの始まり

2章 バレエと国家

2−1 芸術=バレエと行政が関係するまでの歩み

2−2 文化政策の背景

2−3 文化庁の具体的施策(芸術文化支援)

2−4 文化庁の財政的援助

2−5 文化庁芸術文化課調査官 井上さんとのお話

2−6 芸術と文化

3章 問題点

おわりに

 

はじめに

 行政とバレエ(芸術文化)がどのような関係をもち、日本が掲げている文化立国の実情がどうなっているのか。ダンサーでもなければ、行政にも関係していない私の視点から調べ書きたいと思いました。私の挙げたテーマをとおして、今日の日本の文化行政問題に取り組んでいる方々、現場で活躍している方々の事を少しでも浮かび上がらせることができれば幸いと思っています。

第1章 バレエについて

1 バレエの起源

 バレエは、文芸復興期(14〜16世紀頃)にイタリアで誕生した。イタリアで誕生した背景としては、イタリアの王侯の宮廷が、当時の芸術の完成に特別の役割を果たしていたからである。イタリアの宮廷では振付(バレエの元)が発生し、文芸を庇護する王侯は、音楽、詩、建築、絵画、彫刻を統合した華麗な余興を準備してくれる芸術家を身辺に集めておくことを好み、それらが総合されて今のバレエに至った。

2 日本でのバレエの始まり

 日本でのバレエの始まりは、1912年にイタリア人舞踊家ジョバンニ・ビットリオローシが、帝国劇場の歌劇部の研究生にバレエを教える為に迎えられた時からとされている。しかし当時はバレエという言葉が一般化されず、しかもオペラ運動の中に含まれ、独立した舞台芸術舞踊として大衆の注意を引くまでには至らなかった。舞踊を志す人もおおかたは創作舞踊やモダン・ダンスに転向して、バレエの独立した舞台は皆無な状態であった。翌1922年の秋、不世出の名バレリーナとうたわれたアンナ・パヴロヴァ一行が来日し、帝劇をはじめ各地で公演した。彼女の踊った「瀕死の白鳥」は観客を陶酔させ、大衆の間にその名は広がり、その芸に魅せられた若人の間にバレエを習う風潮が高まった。しかし1935年前後の日本の舞踊界はバレエとモダン・ダンスの区別すら明白ではなく、大勢はモダン・ダンスにあつまった。バレエが本格的な開花期を迎えたのは、第二次世界大戦後で1946年に各バレエ団の合同による東京バレエ団が8月帝国劇場において、17日間の長期公演を行い、これが予想外の成功を収め、戦後の日本のバレエは急速に発展を遂げた。イギリス・フランス・ロシアとバレエの本場の地で活躍する人材も育ち、今日では世界のおもだったバレエコンクールにも参加し、世界の名門バレエ学校に留学する時代を迎えた。しかしバレエ界の繁栄は、多くの先人達の努力と、個々のバレエ団、バレエ研究所の情熱によって支えられてきたというのが現状である。

第2章 バレエと国家

1 芸術=バレエと行政が関係するまでの歩み

 なぜ芸術=バレエと国家が結びついたのか。それ以前の状況が重要なポイントになるため、戦前にまでさかのぼって考えてみる。1937年以降、芸術を含む文化活動は戦時色の強まりとともに、国から統制を受け、あるいは弾圧まで受けるようになっていった。また戦地慰問団として舞台芸術家が動員され、国民精神と戦意高揚の為の映画の製作奨励が行われた。このような事態があったため、戦後しばらくの間、芸術活動に国が関わる事に拒絶、ないしは敬遠させる雰囲気がうまれた。終戦を迎えた日本は、いち早く文化国家としての道を歩むべき事を内外に表明した。これに伴って、早くも終戦の年に、文部省は社会教育局を設置するとともに、同局内に芸術課を設け、積極的に芸術文化活動を復興する姿勢を示した。しかし、一方では戦時中の文化統制に対する反省から国の文化への関与は極力排除されることが要請された。

戦後の芸術文化政策はほぼ15年ごとの期間に区分にする事ができる。第1期は終戦から1950年代末までで、芸術政策は戦前の政策の是正と、芸術祭の開催という芸術活動の場を確保するにとどまり政策としては極めて消極的な対応しか行われなかった。第2期は1960年代から1970年代前半で、1960年代の高度成長期には、乱開発、公害問題、過疎、過密など社会問題が徐々に顕著になっていった。このため文化の重要性を認識し、その復興を図ることを目的として、1966年文部省に文化局が設置され、2年後の1968年文化局と文化財保護委員会が統合され、文化庁が発足し芸術文化の諸政策と文化財保護政策が一元的に推進される体制が整った。また高度成長期に突入したこの時期、民間の芸術活動は活発になりつつあったが、芸術団体の多くは経営が苦しく、本来の創作活動を十分に展開することが困難となった。このような状況の中でようやく機が熟し、民間芸術団体に対する国の助成が開始され、特に舞台芸術を主たる対象として積極的な支援が行われるようになった。また、芸術家の養成制度として芸術家在外研修制度が発足し、顕彰制度として芸術選奨の拡充、文部大臣新人賞が導入された。第3期は1970年代後半から1980年代末で、この期間には、民間芸術等振興費補助金による芸術団体に対する助成が拡充していった。しかし、1980年代を通じて財政再建が課題となり、同年代の末には補助金は半減した。このままでは、芸術活動の衰退、団体の存立そのものが危なくなるため、補助金の減額を実質的に補うために日米舞台交流事業(1986年)、優秀舞台芸術公演奨励事業(1987年)、芸術活動特別推進事業(1988年)が導入された。文化施設については、第二国立劇場の設立準備が進展をみせ、「文化の時代」、「地方の時代」という標語が国民に広く広まり、その下に地方公共団体の文化行政は、前向きの方向をたどりはじめた。これは、地域住民の生活と質の要求を踏まえ、地域の快適な生活環境を維持・創造していくために、その中核に文化を据え、地域の文化的主体性・自律性を確立していこうとするものであった。文化庁はこの流れに沿って、全国高等学校総合文化祭、国民文化祭、中学校芸術鑑賞教室を発足させている。

 

2 文化政策の背景

 今日の文化政策の原則として、第1に、内容不関与の原則である。これは戦前・戦中の文化統制に対する反省から、芸術文化活動の自由が認められることがあげられる。すなわち国は(地方公共団体も)芸術活動に対しては、間接的な支持を行うにとどまり、特にその内容に干渉することは厳に慎むべきであるという姿勢が貫かれることになった。それは内容不関与の原則として今日に至るまで堅持されている。この内容不関与の原則を担保する仕組みとして機能しているのが、芸術文化活動についての判断を、有職者から成る第3者機関の審議・検討に委ねるシステムで、芸術文化活動の内容、評価に関する限り、これら第3者機関の結論に全面的に依拠する体制となっている。

 

3 文化庁の具体的施策(芸術文化支援)

 芸術の振興は、芸術活動の基盤の整備、芸術活動の奨励・援助、芸術活動の場の確保、芸術家の育成、芸術国際交流の5つの柱からなる。

 芸術活動の基盤の整備は、「組織の形成」、「施設の設備」、「情報システムの設備」の3つに整理される。芸術を含め文化の創造は、芸術をはじめとする国民の自発的活動に持つべきものであり、そのための組織(芸術団体)も自由かつ任意に構成され、運営されるべきである。しかし、これら任意に組織された芸術団体が、活動の基盤をより強固なものとするため、公益法人化を図ることも重要である。このため、文化庁は芸術団体の法人化の促進と適切な運営のために指導助言を行っている。また物的な基盤である劇場・ホールなどの施設は、芸術文化活動の拠点として重要な役割を担っており、このため文化庁はオペラ、バレエ、ミュージカル現代舞踊など現代舞台芸術の振興のための専用劇場を1977年渋谷区に開場した(新国立劇場)。新国立劇場は、日本芸術文化振興会の委託のより、(財)新国立劇場運営財団が運営を行っている。情報システムとしては、「現代舞台芸術情報システム」が、新国立劇場が劇場における公演を中心に、舞台芸術全般にわたって必要な情報・資料を収集・保存し、幅広く提供することを目的として設立された。「地域文化システム」は全国の国立文化施設・芸術家・芸術団体の事業概要、地方公共団体文化行政等の情報をデータベース化に図り、文化庁・地方公共団体等の間でネットワークを図ろうとするものである。また、文化会館と芸術関係者を結びつける「芸術情報プラザ」事業((社)全国国立文化施設協会)が実地されているほか、2000年度には、舞台芸術の公演等を最先端にデジタル技術を活用して保存・集積し、活用を図る「文化デジタルライブラリー」の構築が開始された。

 芸術活動の奨励・援助は「精神的支援」と「財政的援助」の分かれる。精神的支援とは、芸術活動ないし、事業への後援名義の付与や、奨励のための賞の授与などを指し、これらの施策は、それが強い精神的支柱となって、活動または事業への意欲を生みだし、刺激を与えることにつながる。財政的援助は次項でとりあげる。

 芸術活動の場の確保には、芸術祭があり、いずれも、芸術家等に対して芸術活動の場を確保するとともに、国民一般に鑑賞の場を提供するという二重の機能を果たしている。なお芸術祭は、1946年以来、芸術の祭典として広く一般に優れた芸術作品を鑑賞する機会を提供し、芸術の創造とその発展を図ることを目的として開催されている。

 芸術家の育成には、「研修制度」(芸術フェローシップ)と「顕彰制度」がある。研修制度は、直接芸術家の養成に費用を出すものであり、顕彰制度は、優れた創造活動を表彰することで、芸術家に敬意を表するとともに、その後の創造活動への意欲をさらに喚起してもらうことをねらいとしている。研修制度には、在外研修と国内研修の2制度がある。在外研修制度は、1967年度に発足し、各分野にわたる芸術家を海外に派遣し、その専門とする分野について研修する機会を与えようとするものである。国内研修制度は、1977年度から開始され(1991年度から「芸術インターシップ」に名称変更)、各分野の新進芸術家に、国内の専門研修施設での研修や、個人指導を受ける機会を与えようとするものである。いずれもプロフェッショナルの道を目指して努力を重ねている有望な若手芸術家に焦点を当て、研修の機会を与えることによって、彼らが高く飛翔していくことを期待している。芸術家の顕彰制度には、文化勲章、文化功労賞などがあり特に紫綬褒賞は、芸術家にとって大きな意義を有している。

 芸術の国際交流については、従来から、芸術家・芸術団体の交流と芸術活動の国際的な展開の両面が念頭に置かれている。前者は芸術家・専門家の派遣・招聘等の人物の交流を主眼とし、後者は、舞台芸術等の国際交流による芸術の国際的水準の維持・確保及びその発信を目的とする。

 

 4 文化庁の財政的援助

 文化庁は、1996年から、従来の芸術創造活動への支援、すなわち民間芸術等振興費補助金、日米舞台芸術交流事業、優秀舞台芸術公演奨励事業、舞台芸術高度化、発信事業を組み替え、「アーツプラン21」の名で再編成し、抜本的な充実を図った。これは、芸術の力を伸ばすのは国の責務であることをより鮮明にし、文化庁は、国際的な視野と全国的な観点から、自国の芸術文化の水準を高めるとともに、文化振興の基盤的な施策を推進し、他方、芸術文化振興基金は、国民が芸術に親しみ、自ら文化を創造していくことができるよう、国民の文化活動を幅広く助成することを明確にしようとしたものである。「アーツプラン21」は芸術団体のおおもとになる活動に対する支援を中心に、芸術文化の基盤の整備とその水準の向上の役割を担うこととして、次の2つの事業から構成されている。

 「芸術活動活性化事業」は我が国の芸術水準を高める上で直接的な牽引力となる公演活動が期待される団体に対する重点的支援や、国際芸術交流の推進、芸術創造基盤整備への支援を行うものである。「舞台芸術振興事業」は、日本芸術文化振興会に対する補助金であり、芸術文化振興基金を通じて、我が国の舞台芸術水準向上のために優れた公演を支援しようとするものである。

 1990年には、芸術文化関係者待望の「芸術文化振興基金」が設立され、全ての国民が芸術文化に親しみ、自らの手で新しい文化を創造するための環境の醸成とその基盤の強化を図る観点から、芸術家及び芸術に関する団体が行う芸術の創造又は普及を図るための活動に対する援助を継続的・安定的の行うことを目的とし、政府資金500億、民間からの寄付金112億の計612億を原資とし、その運用益をもって各種の芸術団体が支援されることとなった。基金の創設によって、それまで公的助成を国=文化庁のみに頼っていた各種の芸術文化活動は、幅広い観点から支援を受けることが可能となり、先の「アーツプラン21」と「芸術文化振興基金」は今日、芸術文化支援における車の両輪として機能している。

5 文化庁芸術文化課調査官 井上さんとのおはなし

Q文化庁はバレエをどう定義しているのですか?

A舞踊の1つとしてとらえていて、特に定義はしていません。

Q研修制度などにおいて文化庁(職員)が判断を下しているのでしょうか?

A文化庁が判断をするのではなく、批評家の方、先生、研究家の方が決定をします。その際、公正な判断を行うためにバレエ団(元ダンサー)と関係の薄い人を選んでいます。

Q国立のバレエ学校は設立しないのですか?

A国立の学校をいきなり作っても、今まで力を注いできた民間のバレエ学校の存在もあり、どうやっていくかが難しいです。又国が諸外国のように税金で、職業ダンサーの生活を保障するのも大変でなるべく負担の少ない形を望んでいます。そして国(国立の学校・カンパニー・劇場)でバレエをリードしていくのは厳しいです。

Q行政側と現場のコミュニケーションはどうなっているのですか?

A芸術文化課で現場からの話を聞くことはあまりありません。しかし年1回民間やバレエ学校の方々と、ミーティングをして1年間の反省会をし、意見交換をしています。

 

Q行政が考えている今一番の問題点はなんですか?

A一般の方の観客数を増やすことですね。今ほとんどの観客は関係者で埋まっています。もっとチケット代を値下げしたいのですが観客がたくさん来なければ、料金を下げることはできません。スターダンサーがいれば観客が入ってくださると思っているので、スターダンサーを出したいと思っています。

Q行政はバレエに関してどのような方向を目指しているのですか?

A諸外国のような形は日本では取れないので、日本にしかないようなバレエ作りを目指しています。

6 芸術と企業 

 先で述べた第3期以降の動きとして、芸術と企業の動きに注目したい。1990年代には「芸術文化振興基金」で政府と民間が手を組み、企業による芸術文化の支援(メセナ)が盛んとなった。メセナ活動には多様な形態があるが、その1つに、企業が財団を設立し、芸術文化活動を支援する形態がある。2000年度において、国=文化庁が所管しているこのような企業による芸術文化助成財団は23財団を数え、「芸術文化助成財団協議会」を設立して相互に連携をとりながら芸術文化活動の支援を行っている。

 もっとも代表なメセナ活動は、企業が外部の組織や活動に「寄付」や「協賛」と呼ばれる資金援助をおこい、何の見返りも求めずにお金を与えることを一般的に「寄付」と呼ぶ。協賛は「主旨に賛同して協力する」という意味で、通常はチラシやパンフレットに社名が記載される資金援助のことを指す。また、美術館やホールなどの文化施設や文化協会などの組織が存続するための管理運営費を援助することを「寄付」、コンサートや展覧会など個別の事業をおこなうための事業費を援助することを「協賛」と区別することも多い。欧米では、文化施設の入り口などに寄付者の名前が刻まれているのをよく目にする。

 わが国には企業が設立・保有している文化施設がたくさんあり、欧米に比べてその数や種類が非常に多く、日本のメセナの大きな特徴を成している。芸術文化に関するものだけでもその数は200をこえ、美術館、ギャラリー、多目的ホール、コンサートホール、劇場など、種類もさまざまである。また文化施設は非常に大きな資金を要するメセナ活動で、まず建設に巨額の資金が必要となり、施設維持管理費も巨額なものとなる。さらに自主企画で運営していこうとなると毎年かなりの費用がかかり、場所を一般に貸し出してレンタル料を収入とする貸館事業や、集客の見込める商業的なプログラムで赤字を補っている例もあるが、商業的には成り立たなくとも質の高い文化を守ることに重点を置いている施設も多々ある。しかしながら昨今の厳しい経済環境で、そうしたメセナ的性格の強い文化施設のいくつかが後退を余儀なくされたのも事実である。

 自社で主催する文化活動も盛んで、特に多いのはコンサートで、子どもやファミリー向けの親しみやすい企画やランチタイムの無料コンサート、解説やトークのついたものなど、多彩な企画でポピュラー以外の音楽を大衆化するのに大いに貢献した。また自社のロビーや工場など文化施設以外の場所でコンサートや美術展を開催する試みも多数おこなわれている。作品を楽しむ機会を提供する他にも、賞を授与する顕彰事業(後述)や奨学金プログラム、文化に関する講座の開催、非営利の出版活動、芸術家と共同で作品を制作するなど、さまざまに創意工夫を凝らした文化活動が企業の手で企画・運営されている。

 企業が実施する顕彰事業の中には、文化事業としておこなわれるものも多数存在し、それらは、たとえば文学のジャンルに「作文コンクール」と文芸賞があるように、一般の人々を対象としたものと芸術家を対象にしたものに大別される。前者は芸術の視野を広げ、後者は優れた芸術家を支援するもので、芸術家に与えられる賞には、すでに名を成した人の功績を称えるものの他に、登竜門として新人を世に送り出すものがある。作品発表の場の提供、海外留学、楽器の貸与など賞金以外にも多彩な褒賞が授与される。

 企業が基金を拠出して設立する財団で、広義にはオーナー個人の出資によって設立されたものも含み、芸術文化と関連のある企業財団は、2003年3月現在で約120団体を数え、施設の運営や自主事業に取り組む事業財団と、外部の活動に資金援助をおこなう助成財団とに大きくわかれています。

 助成財団はそれぞれの設立目的に即して顕彰事業や奨学援助、などのさまざまな活動に取り組んでおり、特に音楽と美術の分野については、いくつもの財団が特徴のあるプログラムを設けている。財団は基金の果実(=運用益)を事業や助成にあてるため、本来、景気の動向に左右されない安定した資金源と見なされていたが、近年の超低金利政策のもとではそのメリットが十分に発揮されなくなっている。バレエのメセナによる支援状況は少なく、音楽の分野が圧倒的に多い状態だ。

 第3章 問題点

 問題点として挙げられるのは、諸外国がパリ・オペラ座のような国立のバレエ学校があるのに対し、日本は国立のバレエ学校がないこと。バレエ教師の資格が取れる学校、振付家を育てる専門の学校もない。外国のバレエ学校に入ってくる生徒は、最初からプロになる為に入学し、外国の国立の学校は劇場も持っているので、職業ダンサーとして生活をしていくことができる。しかし日本は、お稽古からはじまりなかなかプロ意識を持って育てることが難しい。そういった現状から、日本で才能を持ったバレエーダンサーは生活の保証もなく、学校との両立も難しいためほとんどが海外のバレエ学校に行ってしまう。つまり才能を育て、伸ばしあう学校は海外しかないという認識になってしまっている。また先述のように、バレエ関係者の方が学校設立を熱望していても、現状は国立学校の設立は難しいと考えられる。

 行政から浮上する問題点は、国(地方公共団体)の芸術の支援は国民の税金を投入することであるから、その必要性についての説明義務があるのではないかということである。しかし芸術の本質は既成の価値観を打破する新たな創造活動であり、そのこと自体に価値があると考える芸術至上主義者の立場からは、国民一般の理解を得ることは困難となる。逆に芸術家が国民の理解を得ることのみを追及すれば、創造活動そのものが迎合的となるおそれがある。内容不関与の原則と支援に対する評価との間で行政は今後どう展開していくのか。また行政=文化庁の職員が現場と直接的に接さず、機能しているのもいいのであろうか。職員の教育、人材も考えていかなければならない。

 資金面では、年金問題、リストラ、不況が起きている今の景気で常に影響され、行政もメセナも安定し継続した活動がなされなければ、今までの活動は無駄になり、芸術も振り回されてしまう。そのためにも芸術は、国民に広く浸透させ、アピールし、普段の生活の中に気軽なものになり、身近にならなければ、理解と協力は集まらない。先の話にも出てきたように今後行政、企業、芸術家側は一体となって問題に取り組んでいかなくてはならない。

終わりに

 バレエ=芸術と行政は切り離せない関係にあり、しかも戦前の歴史の影響が今日なお根強く残っている。現代はどんどん変化していても、まだ私たちの生活、身近なところには起きていない。バレエ(芸術文化)は価値観が不確定で、計量化できにくい要素があり、文化政策においては非常に難しいだろうと考えられる。文化立国を掲げ積極的に推進している今、バレエだけに限らず外国のシステムとは違う日本独自の手法の開発に努めなければならない。資金面だけを重視し取り上げるだけでなく、お互いが何を求めているかを知り一致させ少しでもズレがないよう一緒に歩んでいくことが大切になってきている。

 

 

 

参考文献

(社)企業メセナ協議会編『メセナ白書』ダイヤモンド社、1999年。 

(社)企業メセナ協議会『なぜ、企業はメセナをするのか?』 

根元昭『芸術文化政策㈼ 政策形成とマネージメント』(財)放送大学教育振興会

根元昭『日本の文化政策 「文化政策学」の構築に向けて』勁草書房

マリ=フランソワーズ・クリストゥ著 佐藤俊子訳『バレエの歴史』白水社

中川鋭乃助『バレエを楽しむために』芸術現代社

ダンス=マガジン編『新版バレエって何?』 

『バレエ学校って何?』 新書館

『舞踊年鑑』

 

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