プロパガンダ(PROPAGANDA)=[1] (主張・主義の)宣伝。組織的な宣伝
[2] 宣教・布教
国民国家が戦争を行うとき、必要不可欠なものは国民世論の賛成である。政府や国家元首はプロパガンダを用い国民の世論を開戦に導いてきた。プロパガンダという言葉は日々日常であまり聞く言葉ではない。プロパガンダの語彙には、「宣伝」という語彙がある。しかし、宣伝と聞いてわれわれが思い起こす企業が消費者に対し生産物を買わせようとする「企業の宣伝」とは違う。
プロパガンダとは政府や国家が国民に向け、国家の政策の正統性などを国民に説得する大衆説得である。プロパガンダは戦争の歴史において、じつに巧妙に使われ、国民は騙されてきた。しかし、これは、過去の「歴史」の話ではなく現代に生きるわれわれにも同じような戦争プロパガンダが使われている。
プロパガンダは、「特定の教義もしくは教義や原理の体系を広める目的で組織化もしくは計画された集団・運動」と定義される。それは、発信者に利することを目的とした大衆説得である。本来は中立的な技術こそが、特定の応用をしたときに、プラスなり、マイナスなりの効果をもたらすことになる。
プロパガンダには三つの重要な特徴がある。一つ目の特徴は、ターゲットとなるオーディエンスに特定の反応や行動を刺激することを狙った意図的・目的指向的なもの。二つ目の特徴は、プロパガンディストや情報の送り手に有利であること。(広告・広報・政治キャンペーンなどがプロパガンダの形態に属すると理解される理由は、ここにある。)三つ目の特徴は、双方向性で相互的なコミュニケーションとは反対に、通常、(マス・メディアのキャンペーンと同じく)一方向的で情報を提供するものであること。このような特徴があげられる。
戦争プロパガンダとは、戦時中に敵の士気をくじき、自国の国民世論を参戦に同意させ、自国の軍隊の士気を昂揚させ、敵国を除く国外に対し戦争の正統性を主張し同盟国を獲得するなどの目的に会わせたプロパガンダである。これにはビラの空中散布や降伏勧告のビラ、捕虜の受ける残虐行為の噂、鬨の声や出陣の化粧、ヴァイキングの船首の龍の頭やスッピリットファイヤーの撃墜数を示すマークなどが含まれる。
民主主義国において開戦にあたり国民の同意を得ることは必要不可欠であり、そのため国民を動かし、参戦に同意させるために戦争プロパガンダや情報操作が巧妙に使われ政府の思いのままに国民を扇動する。また、国民主権の国家において国民の支持を得られなければリーダーの独裁になってしまい国内的にも国際的にも、非難される可能性は否めないのである。
プロパガンダは情報の出所(ソース)、メッセージ、意図、目的、使命によってホワイトプロパガンダとブラックプロパガンダの二つに大別することができる。ホワイトプロパガンダとは受け手がそのソースを確認でき、メッセージの正確性や事実性が高いものである。逆に、非公然のソースから出た作り事や敵のオーディエンスに対し偽のメッセージの伝える活動などをブラックプロパガンダという。
プロパガンダの技術の進歩は、大衆のコミュニケーション形態の進歩と平行して行われる。そのため、プロパガンダの媒体は、最初は直接伝達されるプロパガンダ媒体、原始社会の拡大につれて生まれたピラッミド型プロパガンダ媒体、印刷術の父、グーテンブルクの印刷術によって生まれた印刷されたプロパガンダ媒体、言葉や絵の電気的な複製、拡散が可能で、多数の視聴者に非常に速く、そして物理的には非常に正確な情報を伝えることのできる20世紀の多面的プロパガンダ媒体という進化の過程をたどっている。
直接伝達される媒体とは、宣伝内容が出発点から見聞きできる距離にある視聴者に直接伝達される場合である。このグループには言葉によるものと造形的なものに分類することができる。言葉によるものには発言者から聴衆へ直接言葉によって内容が伝達されるすべての形態が含まれる。街頭演説やナチの党大会などの雄弁の技術がこれにあてはまる。次に、造形的なプロパガンダには広範囲にわたる非大量生産的、造形的プロパガンダが含まれる。トーテムポール、洞窟画、英雄の像や偶像、あらゆる形態の宗教的、政治的構築物などがあてはまる。これらの原始的なプロパガンダ媒体は機械的に複写したり、地理的に拡大する手段をほとんど持っていないのにかかわらず、発達し、他の媒体からの干渉がないことを考慮にいれても、かなり広い範囲で絶大な影響力をもちえた。
ピラミッド型媒体は原始社会が拡大するにつれて生じる言葉または手書きの宣伝内容を広範囲に伝達する手段の必要性を反映している。理論的にはこれはロバート・マートンの言う二段階式伝達、すなわち、情報がまずある方法で少数の人々に伝えられ、次にこの伝達方式と同じかまたは別の方法で多数者に伝えられるという方式を、概念として含んでいる。このピラミッド型の情報伝達方式はプロパガンダというものの全体史のなかで重要な非常に重要な部分を構成している。情報を一連の人から人へ伝えて、その宣伝内容の変容はあったものの、ピラミッド型の情報伝達では非常に厳しい規律によって情報の正確性が維持された。さらに、書面、訓練によって情報の正確性は高められた。
印刷機の発明は情報伝達の歴史において非常に重要であった。情報伝達の技術は革命的に飛躍し、大量の宣伝物の複製、大量流布が可能になった。しかし、印刷機発明当初の印刷された宣伝文の流布や浸透については過大評価してはならない1848年に輪転機が導入されるまでには2000部以上刷れる新聞は例外であったし、はじめの400年間というものは、印刷とはひどく時間や労力のかかる仕事であった。
20世紀の多面的媒体では、言葉や絵の電気的な複製、拡散が可能で、多数の視聴者に非常に速く、そして物理的に非所に正確な情報を伝えることができる。この分類にはテレビやラジオ、映画などの媒体が含まれる。この媒体によってプロパガンダ史上まったく新しい時代を作りあげたことになる。しかし、これらの媒体の持っている利点を過大評価できない部分もある。つまり、現代の大衆的媒体は、媒体の「完全なる革命」ではなく、むしろ伝統的なプロパガンダの技術の延長線上に進歩したにすぎないとも考えられる。そのため、この新しい多面的媒体が、これに一部とって代わられたより直接的な媒体より効果の点で劣っていることもある。
プロパガンダが実践的に使われるようになったのは、第一次世界大戦からである。また、この大戦においてプロパガンダ本来の宣教・布教という語彙が一変し、悪い意味で「宣伝」という意味が付け加えられた。第一次大戦では、特にメディアを使い敵国の大衆の受け手を対象にした世論操作や士気を喪失させるための激しいプロパガンダ作戦が展開された。第一次大戦は最初の総力戦といわれる。武力だけではなく、政治、経済、世論その他国家の各分野がはじめて総力をあげて戦ったのがこの大戦であった。とくにプロパガンダのメディアとして大量のビラ・ポスターが使われた。そして、そのメディアが相手国や自国の大衆心理を大きく動かすこととなった。こうして、プロパガンダは戦争行為の中で中軸的地位を占めるようになり、政府や軍が決定に関与するように至り、外交、軍事、諜報、国内政治などの上で、不可欠なものとなっていったのである。プロパガンダは、敵国の士気を喪失させ、逆に自国の戦意を高揚させるために必要不可欠なものとして認識された。
クラウゼヴィッツの『戦争論』にもなかったプロパガンダは第一次大戦によってその重要性が認知された。アドルフ・ヒトラーは第一次大戦でのドイツの敗北の、原因は敵国特にイギリスの巧みなプロパガンダ戦略にあるとは考え、ナチス結成直後からプロパガンダを重視した行動を起こした。
ヒトラーは第一次大戦中のロシア革命におけるレーニンのプロパガンダ作戦での成功からプロパガンダの技術を学びとることの必要性を痛感し、1933年に政権を獲得するや、宣伝省を新たに作り、その大臣にヨーゼフ・ゲッペルズを据えた。ゲッペルズはヒトラーの意向をよく理解し、期待以上の活動をおこなった天才プロパガンディであった。
国内宣伝においては、国民に対し国民一人一人が持てる安価なラジオを開発し普及させた。その他にも、ポーランドにおける電撃戦の様子やドイツ国民の優秀性を描いたプロパガンダ映画製作がなされた。
これ以降ドイツのメディア、とくに新聞とラジオがナチの統制下に置かれた。そして、第二次大戦が始まるやいなや、これらのメディアを駆使した諜略戦が華々しく展開することとなった。
これに対し、イギリスは第一次大戦時には一元化されていなかったプロパガンダ機関を1937年にMOI(Ministry Of Information:情報省)が建設され、プロパガンダ活動全体を統括するようになった。陸軍省や海軍省のプロパガンダ機関もMOIの一部門となったのである。
Iの注目される部分は国内部、英連邦担当部、外国部、それに並んでアメリカ部が存在していたことである。MOIの主要な目的は、参戦を渋るアメリカ世論の転換と参戦後のアメリカとのプロパガンダでの共同作戦にあった。 この方針は責任者のウィンストン・チャーチルの考えを反映している。チャーチルはドイツのプロパガンダの強さと効率の良さに驚き、MOI建設で対抗プロパガンダを行おうとしたが、イギリスの力だけではドイツに抵抗できないと考えた彼はアメリカの参戦を不可欠と考えていた。そして、MOIにアメリカ部を特設し、首相に就任した1940年にはルーズベルト大統領への働きかけを強めていった。
ドイツやイギリスは戦時におけるプロパガンダの重要性を認知し、宣伝省(ドイツ)MOI(イギリス)の機関を建設した。第二次大戦においてプロパガンダは心理作戦として位置付けられた。
戦時に行われるプロパガンダの形態は大きくわけて国内宣伝と対敵宣伝と国外宣伝の三つが上げられる。
国内宣伝とは自国軍隊の士気の高揚、自国が勝っているときは大きく報道し、戦況が好ましくないときはあまり宣伝をしないことや、自国民に対して戦争の正統性や指導者の偉大性などを宣伝することである。この例としては戦争報道の検閲や世論の操作などがあげられる。
次ぎに、対敵宣伝とは敵国軍隊の士気を下げることや、敵国に降伏を促すことである。この例としては敵国領土に飛行機で降伏を促すビラを散布することなどがあげられる。
最後に、国外宣伝であるが敵国以外の国外に対し、戦争の正統性や敵国が残虐行為に及んでいることを主張し、同盟国を獲得することを目的としている宣伝である。
このようにこの三つが主体となり戦争プロパガンダは使われる。
戦争プロパガンダ10の法則とは、第一次大戦から現在の第二次湾岸戦争までの戦争の歴史の中で戦争プロパガンダには10の法則があり、それが戦争の度に巧妙に使われているということを歴史家アンヌ・モレリがまとめたものである。10の法則とは以下の通りである。
[1] 我々は戦争をしたくない。
[2] しかし、敵側が一方的に戦争を望んだ。
[3] 敵の指導者は悪魔のような人間だ。
[4] 我々は領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う。
[5] 我々も誤って犠牲を出すことがある。だが、敵はわざと残虐行為におよんでいる。
[6] 敵は卑劣な戦略や兵器を用いている
[7] 我々の受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大。
[8] 芸術家や知識人もこの戦いを支持している。
[9] 我々の大義は神聖なものである。
[10] この戦いに疑問を投げかける者は裏切り者である。
@の「我々は戦争をしたくない」という法則とAの「しかし、敵側が一方的に戦争を望んだ」という法則はセットで使われることが多い。それは、@の法則の答えがAの法則にあるからだ。@の法則は戦争を望んでいないというものだが、これは戦争を行うすべての国家元首や政府によってこのような平和的な主張が見られる。しかし、かなりの頻度で戦争が起こってしまうという疑問が必然的に生まれる。そして、その答えをだすのがAの法則、つまり、「敵が一方的に戦争を望んだ」という法則である。敵が一方的に戦争を望んだため戦争が起こってしまったという答えを国民に伝える。つまり、我々の行っている戦争は敵国から仕掛けられたもので、我々の攻撃は戦争を望む攻撃ではなく、自国を攻撃した敵国に対しての報復だということである。
Bの法則は、たとえ、敵対関係にあっても敵国民全体を憎むことは不可能であるため、敵国の指導者に敵対心を集中させる目的がある。自国民に敵の「顔」を与え、その醜さを強調するのである。戦争の相手は必ずしも「ジャップ」や「ドイツ野朗」の敵国民ではなく、「ヒトラー」や「ムッソリーニ」、「サダム・フセイン」などの敵国指導者なのである。敵の指導者の悪を強調することで、彼の支配下に暮らす国民の個性は打ち消され、敵国でも自分たちと同様に暮らしているはずの一般市民の存在は隠蔽されてしまう。また、敵国の戦意を弱体化させるのにもこのBの法則は用いられる。
多くの場合、経済効果を伴う地政学的な征服欲によって戦争が起こるが、このような戦争目的は国民には伝えられないということである。絶対王政の時代ならともかく、近代において国民の同意がなければ宣戦布告ができない。多くの国では憲法によって、開戦に先立ち国会においての決議、つまり、国民の同意が必要となる。戦争の目的を自由や前時代的帝国主義対現代民主主義の文明間の戦いなど倫理的な戦争目的にすることによって、国民の同意を得ることはそう難しくはなくなる。そこで、戦争プロパガンダは真の目的を隠蔽し、戦争目的を別の名目にすり替える。
戦争プロパガンダはしばしば敵の残虐さを強調する。といっても、残虐行為が存在していないということではない。古代から二十一世紀の現在まで、殺人や強盗、暴行などの残虐行為は戦争や軍隊につきものである。Dでいうプロパガンダによく見られる現象とは、敵側だけこうした残虐行為をおこなっており、自国の軍隊は、国民のために、さらには他国の民族を救うために活動しており、国民から愛される軍隊であると信じこませるものである。また、敵国の攻撃は異常犯罪行為とみなし、血も涙もない悪党だと印象づけるのもその戦略である。 Dの法則から当然の帰属として、Eの「敵は卑劣な兵器を用いている」という法則が成立する。自国は残虐行為を行なわない。そればかりか、戦争のルールをまもりフェアな戦いを行っている、というのはよくある主張だ。一方、自国に刃向かう敵は勝つためならアンフェアなやり方も辞さない。戦争の勝敗を左右する最大の要素は両陣営の武装の明らかな優劣である。つまり、多くの場合、技術的な優劣が戦争における勝敗を決める。そのため、新兵器や自国が使えない戦略や兵器を一方的に敵が使うことは卑劣な行為とし非難する。また、自国が行う合法的かつ巧妙な戦略の「奇襲」や自国で開発されていない新兵器を敵が使えば、卑劣な戦略、兵器として非難する。つまり、どの国も自国が使う可能性がない兵器や戦略(または、使うことができない兵器、戦略)だけを「非人道的な」兵器として非難するのである。
人は勝者の立場を好むため、戦時中の世論は戦況によって左右されることが多い。そのため、戦況が思わしくない時、プロパガンダは自国の被害・損失を隠蔽し、敵の被害を誇張して国民に伝える。例としては、戦争の被害や戦死者・負傷者の数の隠蔽や捕虜の写真を使いまわし、国民にかなりの数の捕虜がいることを錯覚させることなどがあげられる。いずれの陣営もこうした情報で士気を煽り、国民に戦争の行為を説得しようとするものであった。
広告とは人々の心を動かすことが基本であり、同様にプロパガンダも人の心を動かすことが基本である。そのため、Gの法則が成立する。感動は世論を動かす原動力であり、プロパガンダと感動は切っても切り離せないものだと言ってもいい。ところで、感動を作るのは政府の仕事ではない。そこで職業的な広告会社に依頼するか、感動を呼び起こすことが得意な職業、つまり芸術家や知識人に頼ることになる。広告会社は第一次大戦中に誕生したばかりの比較的新しい業種のため、主に芸術家や知識人たちがプロパガンダに利用された。戦争の嘘を感動的な形で広げるためには、詩人や作家の文才が必要だった。
戦争の大義について、国民の支持を決定的にするためには、自分たちの戦争の大義を特別なもの、正真正銘倫理的なものであると信じ込ませる必要がある。このことから、Hの「我々の大義は神聖なものである」という法則が成立する。この法則は神聖な大義があれば、何があっても守らなくてはならないし、必要ならば武器を手にとってでも守らなくてはならないということである。この「神聖」という言葉は、広義にも、狭義にも使われる。文字通りにとれば、宗教的な意味をもつ戦争はすべて、絶対的の価値を持つ十字軍、聖戦であるということになる。実際、戦争プロパガンダには宗教的な意味合いをもつものが多い。兵士たちはしばしば「神のご加護に」「ゴッド・セーヴィ・ザ・クイーン」といったスローガンを掲げてきた。このことは、現代にも言えることである。また、現代の戦争で言うならば、反民主主義制度に介入することはたびたび神聖な大義、聖なる意味などにすり替えられる。戦争の宗教性については、陣営によって異なる。つまり、自国に有利に働くときだけ、戦争は宗教的な意味合いが帯びるのである。
Iの法則とは、戦争プロパガンダに疑問や非難を投げかけるものは誰であれ、愛国心が足らないと非難される。むしろ、裏切り者扱いされる。本当は、国家が間違った(つまり、戦争)という方向に向かっている時、その誤った方向を粛正する必要がある。しかし、現代の世界においてそのような行為ができるだろうか。たぶんそれは、不可能だと思われる。なぜなら、新聞やテレビにおいての反戦報道は、視聴率や発行部数の減少などの経済的要因が多々見られ、反戦運動をしている人々(たとえ、それが誰であろうと)には社会的な非難が多く見られる。
写真や映画、そしてテレビなどの媒体は総称して映像メデイアと呼ばれる。映像メディアを歴史的に見ると19世紀末における写真の誕生そして、それに後続する映画の誕生、普及。そして、1960年代以降のテレビの普及といったところである。
映像メディアの誕生は人間の人間に対する認識・イメージや人間社会のあり方に多大な影響を与えた。映像メデイアには映像に込められた思想や事柄を、その映像を見た人間に対し、自分が考えたもの、経験したもの、であるかのようにしてしまう効果がある。また、映像メディアは何千語の言葉を費やそうとも、これ以上に恐るべき真実を伝える。つまり、写真に勝る、証拠なしということである。
政府はこのような機能を持った映像メディアをプロパガンダに利用していることはいうまでもない。映像メディアをプロパガンダとして本格的に利用したのは、ナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラーである。
映像プロパガンダの有効性を高めるために、繰り返し同じ映像を流す繰り返しの効果や0コンマ何秒で人間が見えない世界において映像を刷り込むサブリミナル効果などが行われる。また、戦争においては、映像を使ったメディアイベント(ヤラセ)やイメージ戦略などによって、前述の戦争プロパガンダ10の法則が実践的に使われる。戦争における、メディアイベント、イメージ戦略の例として、湾岸戦争時の「ピンポイント爆撃の映像」「油まみれの水鳥」の例があげられる。
こうしたメディアイベントやイメージ戦略などにより、映像メディアは、戦争の美化、戦争のゲーム化、戦争のエンターテイメント化を進行させている問題は否めない。
戦争に限らずプロパガンダには、その効果を強めるものと阻むものが存在する。
プロパガンダの効果を阻害する要因として一番多いのは、プロパガンダ自体が難解なもの、退屈なものである。専門用語もしくは、準専門用語で書かれた難解で、事実そのままのプロパガンダは効果が少ない恐れが非常に高い。また、感情に訴える儀式的側面や娯楽性を含まない退屈なプロパガンダは、一般的には、論理性を評価する人やプロパガンダを歓迎する人動機を持つ人など少数の人間にしか効果がない。
ヒトラーは「わが闘争」のなかで宣伝の対象について、次のように述べている。「宣伝は、学識のあるインテリゲンツィアに対してではなく、永久に教養の低い大衆に向けてあるべきである。」 つまり、宣伝の対象は知的な専門家ではなく、「国民」である。そのため、宣伝文が難解なものや退屈なものは、国民に理解されることは難しく、効果的な宣伝を行うことができない。
このほかにも、宣伝効果を阻むものとしては、情報過多、人をまごつかせる内容、などがある。また、まったくの嘘というものは、通常まともなプロパガンダになることはない。一度は聴衆の信頼を得られても、嘘が発覚した時、その情報源がもう一度信頼されることはない。
プロパガンダの効果を高める主な要因は宣伝内容の組み立て方にある。媒体面でよく知られた強化要因は、繰り返しである。ナチス・ドイツの国民啓蒙宣伝大臣ヨーゼフゲッベルスは繰り返しの効果について、「何度も繰り返せば嘘でも人は信じる。」と述べている。ゲッベルスが述べるように繰り返しの効果は絶大であるが、宣伝内容が、難解で、退屈な場合の繰り返しは、逆に過剰効果を生み宣伝内容に対して抵抗力を増大させ、その信頼性を低下させてしまう。
そのほかのプロパガンダの効果を強める要因としては、「源泉効果」、「応答の勧誘」、「などがあげられる。源泉効果とは情報の出所が権威のある筋から出ていると思われているとその信頼度が高まるという現象である。応答の勧誘とは、大衆のプロパガンダの参加をいう。人為的に応答の場を作りだし、宣伝者の簡単な質問などに答えることは、宣伝内容の学習効果を高める。また、これらのプロパガンダの効果を強めるためには、簡単な「キャッチフレーズ」、「標語」といったものを作ることもまた重要である。
プロパガンダを効果なものにするためには、ヒトラーが述べたように宣伝の対象は教養のない大衆であるということを認識しなければならない。つまり、誰が見ても一見して内容がわかるような宣伝文章の組み立ての技術が必要とされる。
ベトナム戦争におけるアメリカの敗北はメディアをうまく使えなかったためだとよくいわれる。ベトナム戦争がなぜ、このようにいわれたのか。それは、ベトナム戦争での従軍取材などによりリアルな写真が取れ、鮮明な記事書けたからではないだろうか。つまり、ベトナム戦争においてアメリカ政府はメディアの力を甘く見過ぎていたためである。ベトナム戦争においてメディアはアメリカの国民世論の反戦ムードに一役買ったことは事実である。
このことにより、ベトナム戦争以後の戦争報道は大きく変わった。それはどういうことかというと、今まで、国益のための報道(つまり国の宣伝)は各政府によっておこなわれた。しかし、ベトナム戦争以後、人々の心理の動きを熟知した上で、情報操作を専門に行う企業が請け負うようになった。
湾岸戦争は生中継による最初のテレビ放映された戦争であった。また、湾岸戦争はテレビの特性を生かした戦争でもあった。テレビの特性というのは、カメラレンズの前にあることは大写しされ、背後にある重要性は縮小されてしまい、非常に限られた内容しか伝えられないということである。真に戦争を理解するには写し出されている映像の前後文脈を知ることが重要であるが、テレビは文脈化されていない物語を作ってしまう。それは、比喩的にいえば、テレビは「傷のついた顕微鏡」である。湾岸戦争でテレビは情報を操作する人によって生み出されたイメージの鏡であると位置付けられた。
テレビは華麗にイラクとクウェートをレーザー誘導でミサイル攻撃するアメリカ空軍の映像だけが延々とながしていた。このことは、ハイテク兵器による華麗な戦争を行っているかのように国民に見せたが、実際は、このミサイル攻撃はアメリカ空軍がイラクとクウェートに投下された爆弾の全体のうちわずか七パーセントにすぎず、ほとんどが無差別こうげきであった。
湾岸戦争では従軍取材が許されていたが、その数も規制され代表取材(プール取材)のようなもので、選ばれた取材陣も軍当局の立ち会い監視と報道される際の事前検閲が義務とされていた。このような報道規制の中で、我慢できなくなった記者たちの中で潜伏取材を試みる記者もいたが、ほぼ全員逮捕された。戦場で真っ先に身柄を拘束されたのはイラク兵ではなく、記者たちであった。
湾岸戦争においての典型的なプロパガンダの事例はペルシャ湾に浮かぶオイルまみれの水鳥の映像であった。この映像がまったくの嘘であったと判明したのは、放送された三日後のことであった。この映像はイラクの指導者サダム・フセインに「環境保護に対する挑戦者」としてのイメージを貼りつけた。
これらのことは、視聴者が見たいと思う映像は繰り返しみせてやる一方で、見せたくない映像は完全に封印するというものではないだろうか。そして、政府対言論機関ということが湾岸戦争で明白になった。 湾岸戦争時、メディアは特定の目的のために受け手を動かすプロパガンダ機関の役割を演じてしまった。
さまざまな民衆の声を代弁することがジャーナリズムの原点である。つまり、民主的なメディアというものは、多事争論でなければならない。
しかし、9・11以降のアメリカメディアはその原点を忘れ、非暴力という世界市民の視点ではなく、愛国心で高揚する自国市民だけの視点に立った報道を行った。このことは、世界中のメディアから非難され、アメリカメディアの没落が危惧された。そうした中、こうしたメディアを利用したのが、アメリカの指導者、ジョージ・w・ブッシュ大統領である。ブッシュ氏はこうしたメディアを使い「アメリカの正義の正統性」、「アメリカの勝利」を主張し、第二次湾岸戦争に意図も簡単に世論を操り、開戦に国民を同意させた。 21世紀において初めての戦争においても指導者が戦争プロパガンダ使い国民を開戦に導き、戦争が起きてしまった。
第二次湾岸戦争開戦にあたり、こうも簡単に国民を開戦に導けたのは、開戦が正しい方向のようにみせるメディアや反戦を叫びづらい「報復」といった環境が相互に反応しあい国民がプロパガンダに騙されやすい環境になっていたのではないだろうか。
「戦争が起きれば、最初の犠牲者は真実である」
この言葉は、第一次大戦時、アメリカ上院議員であったハイラ・ジョンソンの述べたものである。戦争において真実を歪め、プロパガンダに利用することは、第一次大戦からの戦争の定石である。また、メディアが発信するニュースは技術の進歩により、たやすく編集が可能になり、われわれに対し戦争の嘘を真実のように見せる。
過去、現代にかかわらず、戦争という特殊状態において、政府がプロパガンダを使いわれわれを騙すことはたやすいことである。主観的な状況からではそれがプロパガンダ(嘘)か真実かどうか見分けることは困難である。そのため、プロパガンダに対する批判や反省は戦争が終結後に行われることがおおい。しかし、再び、戦争が起これば、また同じようなプロパガンダにより、われわれは騙される。戦争の歴史はこの繰り返しである。
この輪廻をたち切るには、メディアから発信するすべての情報を疑い、情報元を一つに絞らず、多種多用な情報元から情報を獲得し、国民一人一人自身の中で情報の真偽を考え、情報を再構築する必要がある。戦争の悲劇を繰り返さないためにも、現代に生きるわれわれは戦争プロパガンダに騙されない「教養のある大衆」にならなければならない。そして、戦争において、最初の犠牲者は真実であってはならない。
なぜ、政府や国家がプロパガンダを必要とするかと考えた時、「国民主権」という根本的な答えが頭に浮かぶ。国民主権の国家において、国家が平和という道に進むのも、戦争という道に進むのも、一部のエリートによって決められるのではない、それは国民が決めることである。したがって、国家が戦争という悪しき道へ進む時、これを止めることができるのは、われわれ、国民だけということを再認識しなければならない。