「キャラクターとディズニーランド」

大東文化大学
法学部政治学科4年
01142344
高須絢子

*目次*

第一章 ディズニーキャラクター

ミッキーマウスの誕生と変貌

マルチキャラクターのラインアップ

ディズニーキャラクターの長生きの秘訣

日本の長生きキャラクター「ドラえもん」

第二章 キャラクターの商品化

第三章 テーマパークへの展開

おわりに

*はじめに*

 「ディズニーを知っているか」と聞かれて「知らない」と答える人はいないのではないだろうか。ディズニーは身のまわりのいたるところにある。ディズニー製の食器や衣類やタオル、ディズニーキャラクターのぬいぐるみなど一家に必ず1つはあるのではないだろうか。また、テレビのスイッチを入れると東京ディズニーリゾートや、ディズニー・オン・アイスのコマーシャルが目に飛び込んでくる。ディズニー映画が公開されている時は、映画のことであったりテーマパーク情報などが紹介されているのも良く見たり聞いたりする。その他にも、携帯電話の待ち受け画面や着信音などにもディズニーを見つけることができる。

 そして忘れてはいけないのは、1983年にオープンした「夢と魔法の王国」東京ディズニーランドである。2001年には東京ディズニーシーもオープンし、現在は東京ディズニーリゾートとして1983年のオープン以来日本のテーマパークの中でダントツの人気を誇っている。また、驚くことに東京ディズニーランドだけで言えばアメリカのレジャー専門誌「アミューズメント・ビジネス」によると、2000年までの世界のテーマパークの入場者数は東京ディズニーランドが10年連続で1位だということだ。さらに驚くべきことに2003年の入場者数の統計、地域別比率は下の図(オリエンタルランド社のHP上の表を引用させて頂きました)のようになっていて、見て分かる通り関東地方の人の率が7割を占め、この入場者数は関東地方に住む人のリピート率の高さによるものだと言えることだ。

2003年の入場者数の統計、地域別比率

 ディズニーランドの成功の秘訣を探る本は多数発行されていて、その多くは「アラクション・魅力的なイベント・徹底された人材教育がこれほどまでのリピーター率を出している」と述べている。確かにディズニーランドの成功においてこの3つの要因は外すことのできないと思うし、ディズニーの本物志向、「ファミリーエンターテイメント」と言うテーマへのこだわり、細部にまでこだわる物作り、そして徹底した非日常の空間づくりは他に類を見ない。しかし私はアトラクションやイベントや人材よりも何よりもこの成功を生み出しているのは、ディズニーならではのミッキーマウスをはじめとするキャラクター達なのではないかと考える。

ディズニーキャラクター

 「ディズニー」と聞いた時のイメージは世代によって捉え方が違い、戦前世代の人達は「短編映画」、団塊の世代の人達は「テレビ番組」、団塊の世代の子供達は「テーマパーク」と捉える。しかし捉え方は違うとしても全てに共通しているのが、ディズニーのシンボルとも言える「ミッキーマウス」である。

 2001年度のTBS「総合嗜好調査」によると1947〜50年生まれの団塊の世代、1962〜65年生まれを含む世代、1971〜74年生まれの団塊ジュニア世代の世代別キャラクター嗜好ランキングでは多少順位は異なるが男女共に、ミッキーマウス、くまのプーさん、ドナルドダックがランキングされている。また、同じく2001年度の「ヤング調査」によるキャラクター嗜好ランキングにも男子はランキングされていないが小・中・高の女子の中でミッキーマウス、くまのプーさんは上位にランキングされている。ミッキーマウスは誕生してからもう76年近くたっているし、ディズニー版くまのプーさんも誕生してから30年近くたっているにも関わらず、前世代の人たちから幅広い変わらぬ人気をたもっているのは確かである。

*ミッキーマウスの誕生と変貌*

 1928年にミッキーマウスは誕生した。ウォルトディズニーは美術学校の夜間部で絵と漫画と写真を学び、そして広告会社に就職し、そこで知り合ったアブ・アイワークスとともにアニメ会社を設立した。倒産と再建を繰り返しつつ「兎のオズワルド」などのシリーズで成功するが、スタッフぐるみでキャラクターを他社に引き抜かれてしまう。そんな失意のどん底の中、新しいキャラクターを生み出すことにし「兎がだめならネズミでいこう」と考えアブ・アイワークスと必死になって新しいネズミのキャラクターを模索し続け、ウォルトのすべての思いを込めたミッキーマウスを誕生させたのだ。

 ミッキーマウスは二人の人物を掛け合わせて作られた。一人はウォルト本人でありミッキーマウスの声がウォルトの裏声であることは有名である。もう一人はウォルトが最も尊敬するチャールズ・チャップリンである。ミッキーマウスのあの姿、格好、制服、ドタ靴、歩き方などは良く見ればチャップリンそのものとも言える。初期のミッキーマウスはできる限りチャップリンに似せようと努力もしていた。また初期のミッキーマウスは現在のようにかわいらしく親しみの沸くものとはかけ離れ、とても生意気な性格であった。(図1)その後、1935年のカラー化に伴って、ミッキーマウスのイメージ修正が行われた。生まれたばかりの赤ん坊にも似た大きな頭、丸いおなか、小さな腕や脚に変え、顔の表情、とりわけ目の表情が豊かになると同時に体の動きはより洗練された。また、これまでのミッキーマウスの生意気な態度にかえて、もっと健全で子供らしく振る舞うように性格も修正し、全般的に行動も優しくなった。(図2)以後、ディズニーのキャラクターたちにも何度も変更が繰り返されている。この変更は、世界が笑うだけでなく愛することのできるヒューマニティーに満ちたキャラクターに変えていった。

 変更することによってウォルトは、自身の実生活での変貌、すなわち名も無い貧しい虐待された子どもから、全世界が愛する創造力あふれるアニメーターへと完全に成人したことを完璧に反映させていたという。

図1図2
初期のミッキーマウス 1935年のカラー化に伴い修正されたミッキーマウスのイメージ

*マルチキャラクターのラインアップ*

 1928年11月18日に当時の最新技術だったトーキーを使い、絵の動きと音とをシンクロさせた最初のアニメーション映画『蒸気船ウィリー』を発表した(公開は一番初めだが、ミッキーマウスシリーズとしては『飛行機狂』『ギャロッピン・ガウチョ』についで3番目に製作された)。『蒸気船ウィリー』はニューヨークのコロニー劇場で、トーキーの本編『ギャング戦争』の前座として初公演された。ミッキーマウスが口笛を吹きながら登場する最初の場面から『蒸気船ウィリー』のほうが観客のお目当てだったのは明白であった。客はおかしな声の小さなネズミに心を奪われ、彼の演技に熱狂的な大喝采を送った。『蒸気船ウィリー』の公演以降、ミッキーマウスが大変な人気者になり、新聞や雑誌にも進出した。このころ続々と、いまもディズニー・グッズやビデオで親しまれているキャラクターが生まれたのである。1930年『チェーン・ギャング』で初登場をした、無邪気なハウンド犬のプルート。1932年『ミッキーのレビュー』で登場した、愛想はいいが間抜けなグーフィー。1934年『シリー・シンフォニー』(1929年にスタートした音楽をテーマにした実験的な短編アニメーション・シリーズ)のシリーズである『かしこいメンドリ』でデビューした怒り坊のドナルドダックなどがそうだ。そして現在まででミッキーマウスシリーズはおよそ120作にもなる。

 『蒸気船ウィリー』の成功後、1933年には短編アニメーション映画『三匹の子豚』が公開された。短編漫画としてはそれまでに無いほどの記録的な成功をおさめた。その5年後の1938年には世界初の長編アニメーション映画『白雪姫』を発表した。『白雪姫』は200万枚にものぼる動画をつなぎ合わせた、すばらしい作品だった。上映時間は83分という、このアニメーション映画を評論家たちは口を揃えて称賛し、観客もすっかり夢中になったのだ。この『白雪姫』は、ディズニーの組織が今後どういう方向に進むべきかを示すものでもあった。この『白雪姫』を土台として、次々とディズニー長編漫画が作られ、現在まででディズニー長編アニメーションは41作にもなる。そして作品とともに個性豊かなキャラクターも次々と生まれたのである。

 ここでおもしろいことにミッキーマウスやミッキーマウスの仲間たち(ミニーマウス、ドナルドダック、プルート、チップ&デール等)はディズニーオリジナルのキャラクターではありますが、短編『三匹の子豚』、初の長編『白雪姫』、『ピノキオ』『バンビ』『シンデレラ』『不思議の国のアリス』『ピーターパン』『くまのプーさん』など今もなお人気のあるアニメにはもともと原作があって(主にグリム童話)、ディズニー風にアニメーション映画化されている事だ。ディズニー風と言うのは、キャラクターはヒューマニティーに満ちたかわいらしいものであり、ストーリーは原作にはあった残酷なシーンが意図的にカットされたり、結末が変えられていたりして最後には必ずハッピーエンドが待っている。また主人公の細やかな心理描写はなく、行動原因は恒に単純であり、善はあくまで善、悪はあくまで悪であり、悪人が時々善人になったり、その逆になったりという面倒なところがないのである。さて、なぜウォルトは『白雪姫』や『不思議の国のアリス』『ピーターパン』『くまのプーさん』等をディズニー映画に選んだのかを少し述べたいと思う。例えば『ピーターパン』は、1904年にロンドンで初演されたジェームス・M・バリー原作の舞台にウォルトが感銘を受けたことがきっかけになったとされている。また『くまのプーさん』は、自分の娘がアラン・アレクサンダー・ミルン作の『くまのプーさん』の本を読んでいたのを見て、こんなに子どもを喜ばせる本をいつか自分の手で映画化したいと思ったのがきっかけになったそうだ。またダン・ブラウン著の「ダヴィンチコード」によると「ウォルトはディズニー映画の中に宗教や異教の神話や、抑圧された女神の物語に関するメッセージをまぎれこませていた」と言う。「『白雪姫』や『眠れる森の美女』『シンデレラ』といった、いずれも神聖な女性の受難を扱った作品を制作したのは偶然ではなく、例えば白雪姫が―毒入りのリンゴを食べたために恩寵を失った王女が―エデンの園におけるイヴの脱落を強く暗示している」と言う。ウォルト自身の宗教に対する思いは少なからず関係があるようである。

*ディズニーキャラクターの長生きの秘訣*

 ミッキーマウスやくまのプーさんを始めとするディズニーキャラクターが世代を超えて人気を保っている秘訣の一つとして以下のような点が挙げられる。それはメディアと大きな関係があり、長編アニメーションで言えば1928年に『白雪姫』が公開されて以来ほとんど毎年のように新しい映画を公開してきたが1989年の夏に『ピーターパン』(1942年に作られた作品のリバイバル)が公開されディズニー映画人気の再燃のきっかけをもたらし、ディズニーはこの期を逃さず、『リトルマーメイド』『美女と野獣』『アラジン』『ライオンキング』など続々と新作のアニメーション映画が公開されブームを巻き起こした。1989年〜2002年まで毎年一作は新作を出しているのだが、長い間長編アニメはテレビに出さず、「映画館でしか見ることができない」という形を定着させ、抜粋を作ったり、ミッキーマウスなどを使った短編を作ったりしてテレビに出していた。日本の場合、映画をテレビに出してしまってその時は高く売れたが、それっきり値打ちがなくなってしまうということがよくある。しかし、力作の長編は映画で、テレビはテレビ用のものを流すという二つ形を確立し、長編アニメをテレビにかたくなに出さなかった事とキャラクターを安売りしないという戦略は、ディズニーのキャラクターが安定した人気を手にした理由として挙げられるのではないであろうか。

 力作の長編は映画で、テレビはテレビ用のものを流すという点でディズニーの手方とよく似たような戦略を実行しているのが、日本の大成功アニメ「ドラえもん」である。ここで一つの例として「ドラえもん」の成功について述べていこうと思う。

*ドラえもんの成功*

 日本で「ドラえもん」を知らない子供はおそらくいないでしょう。その絵を見ればアニメの世界にうとい大人でも、どこかで見たことがあると思いあたるはずだ。1970年にコミックの世界に初登場して以来、今日までドラえもんは根強い人気を保っている。これはキャラクターの浮沈の激しい日本においては驚異的なことと言ってもいいことだ。

 当初、「ドラえもん」は小学館の学年雑誌「小学一年生」から「小学四年生」に連載を始め、現在も「小学一年生」から「小学六年生」、「よいこ」などの幼年誌、「コロコロコミック」などに連載が続いている。現在のような人気が出始めたのは、1979年4月にテレビ朝日系で二度目のテレビアニメ放映が開始されてからで(1973年に日本テレビ系で一度目のテレビアニメ放映されたが、あまりの不人気により二クールで打ち切りになっている)これは朝8時半からと言う時間帯にもかかわらず、20%を超える視聴率を上げ、今では「サザエさん」に続くテレビアニメ長寿番組となっている。また88年にはオールナイト興行で大人向けに「ドラえもん」の映画シリーズがまとめて上映され、超満員となった。この出来事は子供のみならず大人まで幅広いキャラクターのファンを獲得していることを示すエピソードだ。

 キャラクター商品の方も多種多様で、人形やTシャツは言うまでもないが、変わったヒット商品として「ドラえもんソーセージ」「三ツ矢サイダージュニア缶・ドラえもんシリーズ」などがある。

 キャラクター商品の方も多種多様で、人形やTシャツは言うまでもないが、変わったヒット商品として「ドラえもんソーセージ」「三ツ矢サイダージュニア缶・ドラえもんシリーズ」などがある。

 ドラえもん成功の最大の要因は、連載開始当初の不人気にも関わらず、しつこく掲載を続けたことである。小学館の学年誌が舞台だった為、新しい読者が必ず出てくるようになっていて、例えば「小学五年生」は何年たっても小学校五年生対象なので、常に新しい五年生を迎え入れているのだ。キャラクターが衰退していく場合、キャラクター自体は年老いなくても、キャラクターを受け入れる側が年老いるという点が大きい。しかし学年誌であったため1990年の五年生も2000年の五年生も読むことになるのだ。また、「ドラえもん」は超能力・魔法を使って何でもできちゃうというのではなくて、のび太がズルをしてドラえもんの道具を使うと必ずその報いを最後に受けるようになっていて「楽をして得てはいけない」という作者の信念が母親にも歓迎されている。そして一番の大きな転機になったのは長編を始めたことである。もう何年間もドラえもんの映画が当たり続けている理由の一つは、大人が見ても十分に見るに耐えうるだけの内容を持っているからである。この点はディズニー映画にも共通している。

 ドラえもんにしてもディズニーのキャラクターにしても、常に私たちの身近にあり、目にする機会が多く、アニメや映画の内容にしてもキャラクター一つ一つにしても、とても受け入れやすくファンになりやすいと思う。ディズニーの場合そのようなキャラクターをたくさん持っているということはカナリの強みである。

第二章 キャラクターの商品化

 キャラクターの商品化は1932年頃から始まっていた。当時『蒸気船ウィリー』を始めとする「ミッキーマウスシリーズ」で成功をおさめていたものの、深刻な状況にある資金繰りに悩まされていた。その解決策は、ジョージ・ボーグフェルドというニューヨークの裕福な実業家によってもたらされた。ボーグフェルドはミッキーマウスファンの2人の子供たちにミッキーとミニーの顔のついたクリスマスプレゼントを贈りたいと思い、さっそくディズニーから、このキャラクターをおもちゃ、本、衣類に使用する権利を買ったのである(現在ではキャラクターの権利は全てディズニー・エンタープライゼズ・インクが持っている)。当時もミッキーとミニーのついた商品は発売されるや、飛ぶように売れたのである。

 現在、日本においてディズニーキャラクター商品はウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社ディズニー・コンシューマ・プロダクツがライセンスしている。ライセンス契約を結んでいる企業は200社近くある。商品も様々でおもちゃ・家庭用品・雑貨・衣類・アクセサリー・コスメ・食品・通販カタログなどがある。商品も様々だが、200社近くの企業がディズニーキャラクターを使用したいということは、会社に十分な利益をもたらすだけの力をキャラクターが持っているということになると思う。

 さて、東京ディズニーランドの商品販売で一人当たり3500円とすると、キャラクター物は85%〜90%を占める。ゲストにとってディズニーランドのお土産にはキャラクターが不可欠とも言える。キャラクターは商品と消費者を結びつける“つなぎ役”でもある。ブランドや美しいデザイン、色合いも“つなぎ役”である。商品の機能が同じような場合、これらの“つなぎ”役が購買の決定要因となる。スーベニアフードやチョコレート、雑貨など東京ディズニーランドで売られている商品は、すべてキャラクター商品である。ゲストにとっても、親しい人へのお土産品として、楽しい東京ディズニーランドに行ってきた証しに気持ちよくプレゼントできるのだ。

 人気キャラクターを多種多様に商品化し、その商品は(ディズニーストアは別として)ディズニーランドでしか買えないと言う点が集客のポイントにもなっていると思う。

第三章 テーマパークへの展開

「1983年4月15日、午前9時。
私たちが待ちに待った夢の完成の日です。
アメリカ・カルフォルニア州のディズニーランド、フロリダ州のウォルト・ディズニー・ワールドに続く、世界で3番目のテーマパーク、東京ディズニーランドのオープニングです。」

この謳い文句とともに東京ディズニーランドはオープンした。東京ディズニーランドでは今まで絶大な人気を得てきたアニメーション画やTVや映画の中で見てきたディズニーアニメーションの世界と、かわいらしくヒューマニティーに満ちた人気キャラクター達が夢の別世界を作って立体的に動いているのである。映画のストーリーはアトラクションになり、キャラクターはスターとなりキャストとなった。私たちは二次元の世界から三次元の世界へ、つまり視野の世界から体験できる世界へともっと夢が広がったのである。

アトラクションは、従来の遊園地の安全性やアワリーキャパシティー(一時間当たり利用客数)だけではなく、ゾーンのテーマ性に沿ったしっかりとしたストーリーを基本に置き、その演出は最大の臨場感を持って表現したものであった。見るだけではなく、自分自身がその中に入り込んで体験できる、まさに画期的な発想だった。そのアトラクションのストーリーは、ほとんどのゲストが漫画を通じて馴染みの深いもので、キャラクターへの親しみもあって、すぐに共感できるものばかりである。アトラクション「ピーターパン」はハンギングタイプの乗り物で、主人公たちのように空を飛んでいる気分にさせられる。「白雪姫」はディズニー映画『白雪姫』の世界をトロッコに乗って探険することができ、「ピノキオ」はディズニー映画『ピノキオ』でおなじみのあの波乱万丈の旅行体験を、トロッコに乗ってたどるものになっている。「スプラッシュマウンテン」は、ディズニー映画『南部の歌』をテーマにしたものであり、ジョエル・チャンドラー・ハリス著の「トーマスおじさん」からとったもので、ボートに乗って旅に出る。ゲスト(ディズニーランドではお客様をゲストと呼ぶ)は「ボートに乗り込み約10分間、メルヘンなストーリーを楽しみ、最後に45度の急勾配を最大時速62キロメートルで滑り落ち、大きな水しぶきをあげる」というものになっている。1996年4月 にはキャラクター達の住む「トゥーンタウン」が公開された。すべて子どものサイズと目線を基本にデザインしてあり、3歳〜12歳の子どもとそのファミリーで賑わっている。ミッキーの家、ミニーの家、グーフィーのバウンスハウス、チップとデールのツリーハウス、ガジェットのゴーコースターなどの街並みやアトラクションが楽しめる。

 今年の夏には、1995年と1999年に公開されたディズニー&ピクサー映画の「トイ・ストーリー」シリーズをテーマにした初のシューティングタイプのアトラクション『バズ・ライトイヤーのアストロブラスター』が公開され、一時間以上は待つのが当たり前というほどの人気を集めている。

 また、レストランにおいても映画のストーリーやキャラクターが深く関わっている。ファンタジーランドにある「クイーン・オブ・ハートのバンケットホール」はディズニー映画「不思議の国のアリス」に登場したハートの女王のお城がテーマのレストランである。「トゥーンタウン」内にある飲食店はというと、ドナルドの小型ボートを改造したワゴンで冷たいドリンクを販売していたり、ドナルドのいたずらな甥っ子3人組が経営するというコンセプトのカウンターサービスのレストランがあったり、ミッキーの家の前にとまっている、屋根の上にキャンプ用品を搭載したトレーラーでは、スプリングロール(洋風の春巻)を販売している。

 また、19世紀のヴィクトリア時代の流行を取り入れた温室風のデザインが特徴のクリスタルパレス・レストランや「クイーン・オブ・ハートのバンケットホール」、「スルーフットスーのダイヤモンドホースシュー」では食事をとりながら、キャラクターに会うことができる。

 ディズニーキャラクターたちが繰り広げるショーも忘れてはならない。現在では、1988年の初演以来、7年間にわたって多くの人々の心を感動で包み込んだ「ワン・マ ンズ・ドリーム」が、さらにパワーアップし、モノクロの世界からフ ルカラーへと変わるオープニング、舞台を軽やかに舞うピーターパンなど、数々の名 シーンに加え、新たにバグズ・ライフのシーンも加わり、限りなくつづくディズニー の夢の世界を表現したショー「ワンマンズ・ドリームU ザ・マジック・リブズ・オン」や、100万個のライトや光ファイバーの輝きとともに、ミッキーたちが乗るトレインや「ふしぎの国のアリス」のフロートに「くまのプーさんと仲間たち」、「バグズ・ライフ」、「トイ・ストーリー」といったディズニーの新しいスターたちも加わった全長700メートルにもおよぶ夢と魔法のパレード「東京ディズニーランド・エレクトリカルパレード・ドリームライツ」などがある。

 とにかくディズニーランドのどこを見てもキャラクターでいっぱいであり、アトラクションにしてもレストランにしてもショーにしても「キャラクター」がポイントなのである。メインのキャラクターがないアトラクション・レストラン・ショー・ショップはなく、どこに入ってもディズニーの世界を感じることができるのだ。

*おわりに*

集客力に対する、キャラクターを軸とした図。

今まで私が述べてきた事を表にすると上記のようになる。私はディズニーランドが多くの人を引き付け続けられるのは、ディズニー映画で生まれた、またはディズニー化され生まれ変わったキャラクターの世界をアトラクションとして全身で楽しむことができ、ディズニーランド内のレストランもただの飲食店なのではなく、全てのお店にテーマがあり、アトラクションと一体化されディズニー映画の世界の中で食事を楽しむことができる。キャラクターに会える、キャラクターのでるショーをみながら食事ができるレストランは数あるレストランのなかでも人気が高くいつも込み合っていて予約を取らなければ入れないほどの時さえある。また多種多様な商品を扱うショップはディズニーファンにとっては自分の大好きなキャラクターがいろいろな形に商品化されていて言わば宝の宝庫である。このようにもう何度も述べてきたがディズニーランドというのはキャラクターがあってこそのテーマパークであり、年齢を問わず世界の人々に愛されているミッキーマウスに必ず会うことのできる数少ない場所なのである。

 ディズニーランドが日本に来てからもう21年がたった。なぜディズニーランドはこんなにも成功しているのかという要因の一つに、ディズニーランドは現実を忘れさせてくれるというものがある。その余韻に浸るために、人々はお土産である様々なグッズや商品を買って帰る。そして、ディズニーショップや映画などに足を運び、夢の世界へ憧れを抱く。大人でも童心に帰ることができるから大人から子供までディズニーは愛されているという考え方はけして間違ってはいないだろう。

 現在ディズニーランドのリピーターは20代〜30代の人々が大半であり、この年代の人たちは幼少のころから、カラフルで愛くるしいキャラクターであるディズニーの商品を、子供のおもちゃや衣服、日用品グッズなど生活のいたるところで見てきた。まるで子供用品の代名詞のようなものになっているとも言える。要するに、何事にも多感な幼少期に周囲をディズニーの製品で囲まれているのである。もちろん、これはディズニー社が意図してやったことなのかもしれないが、こうすることで自分の周りにディズニーの製品があることが当然のようになるのである。すると、ある程度年齢を重ねれば、それがテーマパークに行かないと満足しなくなったり、映画を見ないと満足しなくなったりしてくるのである。幼い頃から身近にあって愛着を深めてきたディズニーキャラクターがごく自然にディズニーランドへと導いているとも言えると思う。

 ディズニーランドがアトラクションもレストランもショップもキャラクターあってこそのテーマパークである点と、幼い頃からのキャラクターとの関係があるからこそ今のリピート率を生み出しているのだと私は考える。

 ディズニーランドは「夢と魔法の国」である。常に変化し続け、決して完成はしない。私はその世界に入り込むことだけでワクワクして、自然と笑顔になってしまう。かわいいキャラクター・おとぎ話の中に入り込めるアトラクション・ついつい写真をとってしまうパレード・あの雰囲気の中で好きな人達と食べるおいしん食事。私にとってのディズニーランドは楽しみ・ワクワクがいっぱい詰まった大好きな空間なのである。きっとディズニーはこれからもTVでも映画でもテーマパークでも夢を与え続け、人々を引き付け続けるであろう。

〜参考文献〜