完璧主義者たちによるトヨタ〜LEXUSの成功

目次

はじめに

第1章 〜レクサスの起源

1−1 高級車とは?

1−2 F1(LS400)プロジェクト

1−3 世界の最高の車と渡り合える高級車を作る。

1−4 フラッグシップモデルとなるLS、エントリーモデルとなるES

1−5 トヨタの大衆車と同じくレクサスという高級車にも『模倣』の技術を採用   

第2章 〜アメリカでのレクサス事業

2−1 折り紙つきの品質、第一級の顧客サービス、従業員の献身ぶり、独自の広告手法

2−2 アメリカ実業界とは正反対のアウトソーシング企業

2−3 海外メーカーとの競争(メルセデス・ベンツSクラス、BMW7シリーズ)

2−4 日本メーカーとの競争(日産インフィニティ、ホンダアキュラ)

第3章 〜様々な問題

3−1 性能面

3−2 1990年半ばから市場全体が縮小。→SUVとなるLX、RX投入。

3−3 ヨーロッパでの苦戦。

第4章 〜成功のポイント

4−1 欠陥の少なさ。

4−2 顧客との良好な関係を築く

第5章 〜日本でのレクサス事業

5−1 国内販売実績

5−2 顧客層は、40〜50代の男性が中心

5−3 H17年9月28日に中型車『IS』を発売。

おわりに

【参考文献・参考HP】

はじめに

 今年、車業界では多いに騒がれた話題があった。それは、2005年8月30日、日本国内でトヨタの高級車専門販売ラインである『レクサス』が展開された事になったからだ。 ここでは、どのようにしてレクサスが北米で成功を収め、また何をもって成功の概念とするのかを検証する。あわせて、日本国内で販売されるに至った経緯とこれからの動向も検証していきたい。

第1章 〜レクサスの起源

1−1 高級車とは?

 そもそも高級車の定義とは何なのであろうか。価格が高い、高品質あるいはブランド価値など様々あると思うが、一般的に高級車とは、長い歴史と伝統によって形成されるものだという。しかし、高級車の筆頭に数え上げられるメルセデス・ベンツのように120年の歴史がレクサスにはあるはずがない。まだ15年あまりしか経っていないのだ。しかし、他社とは違った独自の方法で展開する事で高級車として認められる事を可能にしたのである。

1−2 F1(LS400)プロジェクト

 F1プロジェクトとは、レクサスのフラッグシップモデル(F1のFはFlagship〜の頭文字の事)となるLS400を開発する事である。当時のトヨタにとってあまりにも無謀な挑戦だとレクサス開発チームや海外メーカーのボルボなどは思ったそうだ。なぜなら、トヨタといえば「大衆車」というブランド・イメージがあまりにも定着しすぎていたからだ。日本国内のみならず海外においてもそのイメージは変わらない。このイメージは高級車向けの独立したフランチャイズでF1を販売するにあたり、大きな痛手となりかねなかった。さて、ディーラーの一つ一つがレクサスの売り上げに直結する重要なファクターである事は言うまでも無い。そのため、高い費用をかけて一等地施設をつくらねばならない。トヨタが出した水準は、最低でも一年目に4万台の新車を販売しなければ収益にはつながらない、というものだった。この計画を成功させるにはいち早く『大衆車』というブランド・イメージを払拭させる必要があった。 当時、アメリカ市場はトヨタにとって難しい状況にあった。貿易摩擦の激化に伴い反日感情が高まっていたからである。そのため、F1をアメリカに一台持ち込むごとに、他のトヨタ車の持ち込みを減らさなければならなかった。先程述べたように、F1を1年目に4万台の新車を販売するためには、二つの戦略があった。一つは、3万ドルを超える高級4ドア・セダンの市場を拡大する事。二つ目は、海外の高級車ブランドとして確立しているメルセデス・ベンツ、BMWの買い手を50%以上、すなわち全体のシェアで10%を奪い取る事である。なぜこの二つかというと、3万ドルという価格はこの市場では安い価格帯とされ、手が届きやすかったからである。また、高級車ブランドの中で、『最も格式高い』とされているメルセデス・ベンツ、『最も高性能』とされているBMWが、3万ドル超の車種の販売台数は8万5000台に過ぎなかったからである。1986年アメリカでは1500万台の車が売れ、そのうち全体の6%弱に相当する92万5000台が高級車であった。当時、高級車市場の55%を占めていたのはキャデラック、リンカーンといった車種であるが,すべて3万ドルを下回る価格であった。さらに、問題がある。F1の販売価格は3万ドルを超えてしまうと、売れなくなってしまうという事である。なぜなら、伝統も、プレステージも、イメージも持たないトヨタ製高級車に誰も大金を払わないであろうと考えられていたからだ。また、トヨタがアメリカで売った一番高い車は、1万6680ドルのクレシーダしかない。そのような販売実績しかないトヨタに勝ち目はないと考えられていた。

1−3 世界の最高の車と渡り合える高級車を作る。

 レクサスを作り出すことは不可能と思われていた。なぜなら、レクサスに課せられたハードルがあまりにも高かったからである。しかし、レクサスには他のどの高級車にも真似できなかった二つの目標を実現したのである。第一に、一リットル当たり10キロメートルの走行を稼ぐことで、ガスガズラー税を免れたことである。ガスガズラー税とは1リッター当たり9,6キロメートル以下しか走らない燃費の悪い車に課せられる税の事である。1970年代の石油危機とガソリン不足への対策として設けられたこの税は、高燃費車に乗る特権と引き換えに金を取ろうとするものだった。この税を免れる車をつくれば、重く燃費の悪いライバルに対し、マーケティング上きわめて優位に立てるのである。第二に、当時の最高級車のcd値(空力抵抗係数)が0,38〜0,40、空力性能が最も高いスポーツカーの抵抗係数が0,32である時代に、抵抗係数を0,29に抑えたという点であった。

1−4 フラッグシップモデルとなるLS、エントリーモデルとなるES

 この二つのモデルを主力として、レクサスがデビューした1989年に1万6300台を売り上げ、2003年までに約26万台を売り上げたのである。このブランドがデビューした当時、LSの基本価格は3万5000ドルで、BMW5シリーズ、ベンツEクラスより約1万ドルも安かった。現在ではこうした価格の差は縮まっており、5万5000ドルからとなっている。これは、BMWやベンツが価格を下げただけではなく、トヨタが価格設定を上げさせられたことを意味している。1991年末までに、レクサスの販売台数は7万台に達した。100万台の高級車市場に占めるシェアは、1989年の1,5%から7,1%にまで上昇した。1992年、ES300の販売台数はLS400の3万2500台に対し、4万台と大幅に売れた。

1−5 トヨタの大衆車と同じくレクサスという高級車にも『模倣』の技術を採用

 トヨタが出す車は保守的傾向にあると言われている。なぜなら、1950年代にトヨタはクラウンをアメリカに輸出して失敗した事があるからである。トヨタのファンであってもトヨタ車のスタイルを高く評価する人はあまりいない。なぜなら、トヨタは他のメーカーに新規参入を譲っておいてから新しい部分に着手し、デザインの手がかりを勝手に拝借することで知られているからだ。そのため、トヨタが日本で40%ものシェアを占めている理由はここにあるという意見も多い。 そして、現在に至るまでレクサスの製品ラインの唯一にして最大の欠陥は、そのいやというほど保守的なスタイリングであり、ブランドの華となる真の高性能スポーツモデルが明らかに欠落していることなのである。 LS400がついにできあがった時は、かなりの保守的なものであり、実際、この車はどちら側から見てもメルセデス300Eにそっくりであり、後端はBMW735iの真似だったのである。しかし、スタイリングに独創性が無いというのは悪い話ではない。なぜなら、海外で高級車ブランドを展開するというのは巨額の投資が必要になるため、時代の先を行き過ぎたり、主流から外れすぎる車を設計するのは、リスクが大きすぎるからである。さらに、海外ではベンツやBMWの車は長い歴史と伝統によってデザインが確立している。そのため、歴史が浅いレクサスのデザインを確立するのは困難である事は予想していたため、ライバル社のデザインの真似といわれても仕方がなかったのである。  私は、レクサスが車のスタイルで勝負できないために他の色々な分野で他社との差別化を図る事はレクサスの経営戦略では大きな比重を占めていると考える。

第2章 〜アメリカでのレクサス事業

2−1 折り紙つきの品質、第一級の顧客サービス、従業員の献身ぶり、独自の広告手法。

 レクサスが高い価格で売れるようになったことは、トヨタにとって重要な意味を持っている。高級車の利幅は非常に大きく、一般的なコンパクト・セダンの少なくとも2倍はあるからである。例えば、2003年にトヨタがアメリカで販売した200万台の車のうち、レクサスは25万9755台に過ぎない。しかし、2003年度に推定72億ドルという利益を上げるようになるまでには、レクサスが大きな役割を演じたといってよい。さらに、販売数はさほど多くなくても付加価値が高いため、結果的にトヨタの利益に占める割合は大きくなるからである。レクサス・ブランドが達成した実績は数知れない。まず、自動車業界の判断基準となっているJDパワー・アンド・アソシエイツの品質評価で、レクサスは一貫してトップであった。また、2003年の自動車耐久品質調査において、レクサスは9年連続で首位を獲得した。また、JDパワーが順位をつけている車の中で最も問題の少ないプレミアム高級セダンに、LSが7年連続で選ばれた。それを踏まえて、レクサスのマーケティング戦略の要として、主要新聞にこうした実績の全面広告が打ち出された。 このような実績を達成できたのはレクサス独自の戦略にある。一つは、レクサスの顧客サービスである。これは、一般的なレベルを超えたものである。ほとんどの修理店で代車を提供している上、ディーラーによってはパット練習場があったり、切りたてのバラを無料でもらえたりと、親切で効率のいいサービスを提供してきたからである。 また、新たに採用される560人の販売・サービス要員には徹底した研修を行なった。彼らに求めたのは、扱っている車を熟知していながら押し付けがましくない公平な仲介人になることであった。なぜなら、アキュラ(ホンダの高級車)のディーラーのような冷淡でよそよそしい接客や、キャデラックのような馴れ馴れしい売り込みとは異なった従業員を育てようとしたのである。 レクサスに世間の目が集まったのは、何といってもユニークな広告のおかげなのである。これは、社内で『バウンス』と呼ばれていた広告のことで、低くうなるLS400のボンネットに15個のシャンパングラスをピラミッドのように積み上げて、時速225キロメートル以上で車体を固定してエンジンをフル回転させているのであるが、グラスは全く動かない。エンジンの回転数がいかにスムーズかの証明のCMである。これは観ている人々に鮮烈な印象を与えた。しかし、この広告は一連の革新的キャンペーンの発端に過ぎない。なぜなら、アメリカのJDパワー・アンド・アソシエイツの品質評価調査で、『完全への飽くなき追求』というキャッチフレーズが、20世紀を代表する最も効果的なコピーの一つ、と評価されたからである。 ブランドのイメージ作りは極めて重要な作業である。なぜなら、イメージ一つで、買う人の購買意欲を高めることができるからだ。レクサスをアメリカで販売するに当たり、狙う顧客層は大半がメルセデスの所有者で、社会的地位の高い金持ちであった。レクサス・ブランドを展開する上で重要だったのは、あえて『トヨタ』の文字を一文字も出さないことであった。なぜなら、アメリカでは、『トヨタ』というブランドがカローラなどの大衆車、もしくはトヨタトラックのようなブランド・イメージが根強かったからである。さらにいえば、アメリカでは『日本』の高級車とは何かを多くの消費者がわからなかったのだ。 レクサスというブランドには伝統というものがない。いわば0からのスタートとなったため、トヨタが伝統の無さを埋め合わせるには、同じ品質の製品を安く提供するなどして、有無を言わさず顧客を引きつけなければならなかった。レクサスの広告キャンペーンは、1989年初め、LS400がデトロイトでデビューを飾ったあとに始まった。この広告はブランド独自の強みを際立たせることが重要なのである。なぜなら、この製品の卓越した性能、先進のテクノロジー、高い品質といったLS400の最大の長所を一連の広告で取り上げ、買い手にこのブランドを紹介するというのが基本コンセプトだからである。

2−2 アメリカ実業界とは正反対のアウトソーシング企業

 トヨタは地球上で最も利益を上げる10の企業の一つであり、株式の時価総額は1300億ドルに達している。依然として中核となる自動車産業に力を注いでおり、利益と売り上げの92%をこの部門で上げているからである。田原がトヨタ最大の工場であるのは間違いない。また、トヨタ自動車は『モノづくり』を尊び、それ一筋に打ち込んでいる。ここで挙げたトヨタの『モノづくり』とはアウトソーシング事業とは正反対のことを指す。すなわち、トヨタがつくる物のほとんどは固い絆で結ばれた系列の下請け業者との緊密な協力の下で製造されている。例えば、トヨタは下請け業者の持ち合い株式を大量に保有している。計器盤メーカーの豊田合成やブレーキ・メーカーのアイシン精機といった長年の衛星企業である。それだけでなく、豊田グループと業務上強い結び付きのある外国企業もそこに含まれる。また、オハイオ州を本拠とするボールベアリング・メーカーで、トヨタ自動車の北米工場に製品を納入しているティムケン社も、そうした企業の一つである。グループに属するあらゆる企業が、販売する製品を実際につくることが重要である、という固い信念を持っており、各企業とも一つのプロジェクトにとどまらない長期の関係を築こうと懸命なのだ。それゆえ、開発中の新型車の部品を共同で設計し、技術革新や能率アップを通じてコストダウンを図るために力を合わせるということにもなる。

2−3 海外メーカーとの競争(メルセデス・ベンツSクラス、BMW7シリーズ)

 トヨタが海外に初めてレクサスを進出させるにあたり、北米を真っ先に選んだのには理由がある。それは、レクサスの考える経営理念がアメリカの高級自動車に対する考えと共通していたからである。アメリカ製高級車の買い手がレクサスに乗り換えたのも別段不思議ではなかった。なぜなら、この日本ブランドの大ファンを魅了している快適な乗り心地と操縦性のよさは、アメリカ・ブランドの最大の売り物だったからである。 こうした特徴は、アウトバーンを好んで走るドイツ人には敬遠されることが多く、高性能のレーシングカーを求めている。なぜなら、彼らにとって運転とは両手でハンドルを握ってするものであり、性能と格式が重視されるからである。他方、アメリカ人は運転とはA地点からB地点へ出来るだけ苦労せずに移動することである、と考えているのである。 レクサスはこうした考えをもったアメリカ・ブランドに挑戦したためにアメリカで成功することが出来たのである。

2−4 日本メーカーとの競争(日産インフィニティ、ホンダアキュラ)

 レクサス・ブランドが直面した大きな問題は、日本のライバルとの激しい競争であった。高級車市場に参入した日本メーカーは、トヨタだけではなかった。すでに3年早く、ホンダがアキュラ部門をアメリカに設立し、日産も高級車インフィニティを発表していたのである。しかし、後に、日産インフィニティ・ブランドは失速し、アキュラは力を発揮しきれないまま、レクサスが日本の高級車としてトップに躍り出ることになる。その理由の一つに、トヨタとレクサスというそれぞれのブランドの価値を重複させないという厳しいルールをとっていたからである。例えば、一番安いインフィニティの価格は日産・マキシマより下であり、アキュラ・インテグラはホンダ・アコードと同一の価格帯で売られていた。しかし、レクサスは他ブランドにはない二段階の価格戦略を用いる事によって大きく差をつけることが出来た。 二台の日本製高級車、すなわち、レクサスのLS400と日産のインフィニティQ45というフラッグシップモデルが世に出たのが、1989年のデトロイト自動車ショーでのことであった。当然、インフィニティQ45は、LS400と比較されたが、空力性能では引けを取らず、Cd値(空力抵抗係数)0,30という数字を達成していたのである。また、インフィニティは最高速度246キロメートルに達する速さを記録し、LS400に負けず劣らずの性能であった。 インフィニティQ45がBMW5シリーズと比較されたのに対し、レクサスにはベンツEクラスの趣きがあった。なぜなら、インフィニティがBMWを思わせるドライバー重視の運転席を備えていたのに対し、レクサスの豪華な車室はやはりメルセデス的な手法を用いていたからである。こうした対照的なアプローチは、マーケティングや車の展示法にも表れていた。インフィニティは、広告に抽象的な手法を取った。つまり、自然の象徴的な風景を押し出すことによって『日本らしさ』を伝えようとした。具体的に言えば、Q45の広告は、石庭、静かな池に浮かぶ木の葉、靄の中に立つ一本の木、夕暮れの空を飛ぶ雁の群れ、誰もいない浜辺へ打ち寄せる波などが主役となり、肝心の車は一瞬登場するだけであった。インフィニティのポストモダン的な印刷広告の一つには、車を中心に据えたものもあった。一方、トヨタのやり方はもっと現実的であった。レクサスは車室の静かさや快適な乗り心地といった具体的な特長を強調し、快適な空間を提供するというメッセージを伝えようとしたのである。レクサスが早い段階から、日本の車であることを強調しなかったことは重要である。 この二つの車は値段も同じくらいであった。インフィニティQ45は3万8000ドルからで、これはLS400の基本価格より3000ドル高い程度であった。 インフィニティとレクサスは多くのカテゴリーで極めて高い評価を得ており、ライバルを寄せ付けなかった。しかし、たとえばディーラーの段取りの早さや予定外の修理が必要かどうかといった面で、レクサスは決定的にインフィニティを上回っていた。『ロード&トラック』による初期調査において、平均的な車には、所有者の少なくとも5%から報告された欠陥が12項目以上あったのに対して、Q45には8個しかなかった。しかし、LSの場合は3個という驚異的な少なさであった。また、両者に差をつけるもう一つの、決定的な要因は、インフィニティの再販価格の安さにあった。4年落ちの1990年型Q45は新車販売時の基本価格から47%安くなるのに対し、LSの価格は同じ期間に31%しか落ちていなかった。

第3章 〜様々な問題

3−1 性能面

 最大の問題の一つは、レクサスの生みの親と言われている鈴木一郎氏が望む優雅でありながら空力性能に優れた輪郭をどう実現するかであった。空力抵抗係数(Cd)を0,30未満に抑えた車をつくることが目的であったからである。なぜなら、空気抵抗を最小化し、それによって燃費の向上と風切り音の低減を図るためだからである。しかし、そんなに小さな大型サルーンを作り出すのは不可能に近いとされていた。なぜなら、当時最も一般的なセダンのCdは、0,35程度であり、トヨタのソアラやスープラといったスポーツ・クーペでさえ、どうにか0,32を実現していたに過ぎなかったからだ。 技術者達は様々な試行錯誤を繰り返しながら少しずつ改良を加えていった。そしてついに、彼らはエンジニアリングの妙技を駆使することによって、鈴木一郎の要求に見事に応える外形を考え出したのである。例えば、トランクの蓋と一体化した組み込み式のスポイラーや、空気をそらすために前輪の前に装着されたスパッツなどすべての改善策が一緒になることによって0,30という数字を達成できたのである。アメリカ仕様のセダンとして初めて、0,29というCdを実現できた。この事実は信じがたいことなのである。なぜなら、この数値はあのポルシェ911をも下回っていたからだ。また、高速走行時の燃費が17%低減する一方、最高速度は時速11キロメートルほど向上していた。 エンジンという部品は車の部品の中で最も高価な物である。価格だけでなく重量も最も重い。しかし、軽いエンジンで且つ満足できる加速性能を持つことが必要である。なぜなら、1リッター当たり9,6キロメートル以下しか走らない燃費の悪い車に課せられるガスガズラー税を免れるためである。そのため、3,8リッターV8のエンジンを搭載し、結果的に、低燃費を実現することが出来たのである。  また、LSの最終的な全重量は1705キログラムとなった。これは日産のインフィニティQ45の1823キログラムという装備重量をはるかに下回る数字でもある。そのため、LS400の平均燃費は1リッター当たり9,9キロメートルへと向上し、基本価格を抑えることも出来たのである。これでガスガズラー税を免れ、基本価格に3850ドルもの税金を上乗せせずにすむ事が可能となった。このような徹底した努力と妥協を許さないトヨタのエンジニアリングたちの成果により、高品質を維持しながら、他社の高級車ブランドよりも低価格で販売することが実現できた。いわば、「お買い得な高級車」となる存在であり、アメリカの富裕層の心を捉える事が出来たのである。

3−2 1990半ばから市場全体が縮小。→SUVとなるLX、RX投入。

 レクサスを比類のない存在にしたのは、RXスポーツユーティリティであった。これこそ、初めての高級『クロスオーバー』車なのである。今日までに、アメリカ47万2000台以上のRXが販売されている。

3−3 ヨーロッパでの苦戦。

 トヨタは13年にわたってヨーロッパの高級車市場に割り込もうとしていたが、ほとんどその努力は報われていない。なぜなら、ヨーロッパ人は操縦性、性能、伝統を重視する傾向があったからである。そのため、多くの自動車購入者に独自の個性を持たない模倣ブランドというイメージが残ってしまった。

第4章 〜成功のポイント

4−1 欠陥の少なさ。

 現在、レクサスは世界中で販売されている。さらに、レクサスは特別な存在であったし、今もそうである。その品質と顧客対応のおかげでJDパワーから86もの賞を受けており、LS400/430は、この7年間、『JDパワー』によってアメリカで最もトラブルの少ない車と評価されている。また、レクサスの販売台数は200万台を超えており、この4年間はアメリカでナンバーワンの高級ブランドとなっている。

4−2 顧客との良好な関係を築く

 アメリカでは、一般的に大衆車でも高級車でも、客は購入した車をディーラーから自分で運転して帰る。日本とは比較にならないほどの地理的な大きさををもつアメリカでは、セールスマンが顧客の自宅を訪れる事は有り得ず、顧客もそれを望んでいなかった。アメリカと日本の販売方法や習慣の違いは小さくない。日本流のウエットな人間関係の上に成り立つ商取引とは対照的な、ドライな取引関係がアメリカのクルマ販売の背景であった。レクサスは日本流の販売方法を持ち込む事でアメリカ人に新鮮な驚きを持たせることに成功したのだ。日本の現状と比べれば、サービスについて驚くほどのことは無い。だが、アメリカの自動車社会には無くてはならないものとなっている。

第5章 〜日本でのレクサス事業

5−1 国内販売実績

 内訳は、上級車の『GS』が月間販売目標の約3,6倍となる約4000台、スポーツカーの『SC』が目標の6倍の約600台。国内販売台数は現在半年を過ぎたが、月間3000台という目標を達成できなかった。逆に輸入車を取り扱うベンツ、BMW、アウディなどは、価格の低い車種を投入した事により軒並み増加傾向となった。

5−2 顧客層は、40〜50代の男性が中心

 『トヨタ』の車からの乗換えが8割、ベンツやBMWなどの輸入車からの乗り換えは1割となっている。

5−3 H17年9月28日に中型車『IS』を発売。

 来年にはレクサスのフラッグシップモデルとされる『LS』が追加される。ゆえに、レクサスにとっては来年からが勝負とされている。

おわりに

 結論から言うとレクサスの国内展開は失敗に終わるのではないかと思う。まず、レクサスを国内で軌道に乗せるにあたり、最優先されるのは販売台数を増やす事、年間で黒字を出し続ける事である。一年目はトヨタからレクサスに乗り換えるユーザーが多いとされ、まずまずの結果を残すだろう。だが、問題は二年目以降である。トヨタが再三目標にしてきた、輸入車を買い求める人たちからどれだけレクサスに乗り換えるかが勝負となるはずだ。そして、具体的には最高級車種『LS』の売り上げにレクサスの成功がかかっていると言っても過言ではない。しかし、昨年の東京モーターショーで披露されたLSの市販モデルを見てがっかりした点が二点ある。一つは、今まで以上に独創性が無いと言う点である。フロントの形状やマフラーカッターの部分などマークXの真似ではないかと思う。私は北米で成功を収めたレクサスLS430の三世代目を改良した方が余程売れるのではないだろうか。いくら真似をするにしても販売実績がある車種のデザインを取り込む方が合理的のはずだ。二つ目はデザインに重厚感が無い事である。1000万円超という高価格設定にも関わらずかなりスタイリッシュに造られているため、セルシオユーザーのような富裕層には受け入れられないという感は否めないからだ。トヨタの成功の鍵は、大衆にアピールするミッドレンジの車を当初から一貫して売ってきた点である。トヨタはこうした限界をレクサスによって超えようとする一方で、高級車のセグメントでもローエンド市場と同じ基本戦略を取った。たとえば、エンジンの大型化や新機軸の採用でデトロイトを出し抜こうとするのではなく、クラスで最高品質の車を、安いとはいえなくてもライバルより低価格で販売することによって他社のブランドよりも一枚上手を行なったのである。音楽業界では、そろそろ曲に限界があり、新しいパターンを作ることは出来ないとされている。私は、同じことが車業界にもいえるのではないだろうかと思う。デザインにしても性能にしてもこれから先余程の技術が生み出されない限り、大幅な変化は起きないと思う。大切なのは、それを扱うのは機械ではなく人というサービス業を変えていかなければならないという事だ。既存のメーカーはブランド力があるため生き残ることが可能であるが、新規参入するにはレクサスのような車その物の良さだけでなく、消費者の視点が初めから終わりまで、つまり、購入した後も他社と差別化を図れる様な戦略と+αがなければ生き残るのは厳しいのではないだろうか。

今回あまり国内でのレクサスについて多くを述べる事が出来なかったのは取り掛かり始めてからも情報源の少なさが目立ったためです。来年は一つ一つの章をしっかりまとめて客観的な視点を持って取り組んでいきたいと思います。

【参考文献・参考HP】

  • チェスター・ドーソン『レクサス〜完璧主義者たちがつくったプレミアムブランド』(東洋経済新報社・2005年発行)
  • ボブ・スリーバ『レクサスが一番になった理由(ワケ)』(小学館・2004年発行)
  • 金子 浩久『レクサスのジレンマ』「」学習研究社・2005年発行)
  • 『http://lexus.jp/』
  • 『http://www.lexus-navi.com/』
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