自然の脅威と私たちの生活


法学部政治学科
恩田 洋

目次

 はじめに

第1章 災害に遭遇した人々の心理
(1)群衆の心理
(2)乱衆の心理

第2章 流言とマスコミ
(1)流言とは
(2)マスコミと流言騒動

第3章 災害情報とメディア

第4章防災の心理学
(1)「皆でいるから大丈夫」の怖さ
(2)災害に備えるには
(3)携帯電話が使用不能

おわりに

参考文献

はじめに

 2004年暮れ、スマトラでの地震によって発生した大津波が、20万人以上の人々の命を飲み込みました。このような悲惨な大災害に続き、2005年も、世界各国で災害の多い1年でした。我々が住む日本でも、自然災害が多発しました。
 今年の夏、私が住んでいる東京都杉並区を集中豪雨が襲いました。この集中豪雨によって、最寄りの阿佐ヶ谷駅が水没してしまいました。私の自宅は無事でしたが、私の住んでいる近辺で自然が猛威を振るう様を経験しました。まったく予想もできない事でした。このことをきっかけとして、地震や台風のニュースをテレビで見るときは、「他人事ではない」と実感じました。それと同時に恐怖も覚えました。私は、防災の準備もしていない。自分が災害に巻き込まれてしまうという想像すらできない。常日頃「自分には関係ない」という気持ちでいて、いざ目の前に自然の脅威が現れてしまったら・・・。しかし私以外にも、「自分には関係ない」と思ってる人が、世の中にたくさんいると思います。
 今回この論文で、自然災害と遭遇してしまったときの人々の心理を追求します。そしてその状況からどうやって抜け出し、生き抜くか。また、防災についても自分なりに考えてみたい。さらに、人の心理に大きな影響を与えるメディアについても触れてみたい。

第1章災害に遭遇した人々の心理

(1)群衆の心理
 人が単に大勢集まってる状態は、集合体(collectivity)と呼ばれる。もしそこに集まってる人々が、資格と氏名が明らかにされていて、しかも一定の役割分担が行われ、組織性を有している場合は、その集合体は集団(group)と呼ばれる。集団は共通の目標に向けて一体感を持って協働し、行動の拠りどころになる掟(集団規範)を持っているのが特徴である。これとは対照的に、もしそこにいる人々が匿名の不特定多数である場合は、それは群衆(crowd)といわれ、集団と区別される。
群衆は、時間と場所を同じくして集合し、互いに匿名で、一定の役割配分を持たず、したがって組織性を持たない集合体である。しかもその集合体は、局地的で一時的である。そこに集合している間は互いに身体的接触はあるが、その場を離れたならば社会的関係は全く存在しない。しかし、群衆の成員の大多数が、その場で同一の対象に注意を集中させると、それが媒介となって心理的な凝集性が高まり、次第に個人は、群衆の中に溶け込んでいく。こうして群衆の中の個人は、自分が大勢の中の無名の一人に過ぎないという意識に占有され、没我的になって共通反応を示す。その体験は孤独を忘れさせ、連帯感を強める。このように、群衆として一体化し、群衆としての心理的特性を帯びていく現象を成極化(polarization)という。成極化は孤独や連帯感が強ければ強いほど高まる。
 群衆の中の個人は互いに匿名であるから、無責任になり、罪悪感に乏しく、非合理的な方法で感情を発散させ、平素では味わえない興奮や満足感を覚える。こうして、一人では虫一匹も殺せないような人でも多数優越感に浸り、我を忘れた衝動的な人間になり変わる。いわば、群衆はストレスに疲れた人の発散の場である。
 群衆は組織化されてないため、その管理や統制が厄介である。そのため、しばしば過激な行動に走ったり、社会問題に発展することがある。フランスのル・ボンは、初めて群衆心理について著書を著した。その著作『群衆の心理』(1895)において、ル・ボンは、群衆の特徴を衝動性、動揺性、興奮性、被暗示性、軽信性、誇張性、単調性、偏狭性、横暴性であると指摘している。ル・ボンは同書の中で、群衆の中の個人の心理状態を次のように表現している。「意識的個性の消滅、無意識的個性の優勢、暗示と感染とによる感情や観念の同一方向への転換、暗示された観念を直ちに行動に移そうとする傾向、(中略)群衆の中の個人は、もはや彼自身ではなく、自分の意志を持って自分を導く力の無くなった一箇の自動人形となる」(群衆心理/ギャスターブ・ル・ボン著/桜井成夫訳/講談社学術文庫,1993.9参照)。
 確かに群衆は匿名的であるがために無責任となり、没理的であるがゆえに衝動的となり、没個人的であるがゆえに暗示にかかりやすく、多数優勢感に浸るがゆえにエネルギッシュである。

(2)乱衆の心理
 群衆それ自体が、いきなり危害を加えたり社会的悪の存在というわけではない。そうした静的、受動的な群衆を「会衆」という。その会衆が動き出したときにいろいろな問題が派生する。こうした動的、能動的群衆を「乱衆」という。これらの群衆は、さらにそれぞれ次のように下位分類できる。すなわち会衆には慣例的会衆、偶発的会衆、意図的会衆があり、乱衆には表出的乱衆、攻撃的乱衆、逃走的乱衆、獲得的乱衆がある。
 その乱衆の中の逃走的乱衆が、火災、地震、台風、洪水、戦闘、不慮の事故のように、危機感が突発的に差し迫った事態において発生する群衆なのである。わずかの生き残ることができる可能性を求めて、我がちに脱出を試みて逃走する群衆は、逃走的乱衆と分類される。こうした事態では、出口が小さく少ないため、逃走の失敗によって死に至る。そのため逃走の優先権をめぐって死闘が展開される。いわゆるパニック状態に陥るのである。パニックとは突然発生した予期しない恐怖であり、抵抗不可能なものであり、多くの人々が同時にそれに影響される状態である。
 パニック状態に陥った人々の特徴は、没我的、没理性的、無責任、利己的である。したがって、逃走的乱衆は求心的な一体感はなく、そのため各人は自己の利益にのみ執着し、自己中心的に行動して他人の立場を考える余裕が無い。この乱衆は我を忘れて無節操に振る舞いながら、一人一人は弱小感や孤立感におそわれているため、暗示にかかりやすい。各人は自己本位的な行動をとるが、だからといってそれに確信を持っているわけではない。そのため誰かがその場で少しでも目立った行動をとると、それにひきつけられて模倣的、反射的、なだれ的な同調が生ずる。そのために、かえって逃走に失敗し、出口や避難口と無関係なところで折り重なって死んでしまうことがよくある。脱出がほとんど絶望的と思えるときでも、当人は諦めきれず、最後まで助けを求めて絶叫し、わめき散らす。無神論者であっても「溺れる者は藁をもつかむ」ように、究極的には宗派はどうであれ、たとえ、どんな神仏でもよいから助けにきてくれることを願い、懸命に、しかも自己本意的に神仏にしがみつく。
 平素なら簡単にとれる行動でも、火災時には冷静さを失ってしまい、直接見える方向にのみ短絡的に行動し、『急がば回れ』という安全な方向への迂回行動ができなくなる。たとえばビル火災において、上階あるいは下階への避難行動は起こりにくい。上・下階は直接に見えない世界であるため、むしろその方向に移動することが最も安全の可能性が高いことがわかっても、展望のきかないところへの移動は嫌われ、同じ階のみを右往左往する水平行動に執着する。その結果として脱出に失敗する羽目に陥るのである。
 したがって、避難時には展望のきく空間へいち早く脱出することが重要であり、そのためには、同じ階層から直接外部に脱出できるような建物の構造が望ましいことになる。つまり、避難階段を内包している建物は、その階段が煙突の役割を果たし、防御壁も風圧で開いてしまうので、「いざ」というときには避難通路としてあまり役に立たないことになる。にもかかわらず、現実には、美観に力点をおくあまり、避難通路を内包させてしまっている建物が多い。
 逃走的乱衆のパニックは、組織化された集団においてよりも組織化されてない集団に発生しやすい。組織集団では事前の訓練や対処法が準備されているからである。しかし組織集団であっても、連帯感を持って対処しなければならない緊迫した事態で、一部の者がそれに背反的な行為をとると、それを目撃した人は直ちに動揺し、集団への連帯感を失って自己本位の逃走を試みるようになる。特に強力なリーダーシップがない事態では、共通目標行動が乱れやすいために、そのようなことが起こりやすい。

第2章流言とマスコミ

(1)流言とは
 私たちの社会では、平常な事態では、根も葉もないと思われる話の内容が、緊急事態において、もっともらしくデッチあげられて流布され、人心を惑わせることが起こる。また、善意を持って知らせようとして発信した情報が、いつの間にか不本意な方向に歪められて伝わり、迷惑を蒙ることがしばしばである。こうした現象は流言(流言蜚語)、噂、デマ、風聞などといわれている。これらは対人関係において誤解のもとになったり、社会に大きなインパクトを与え、時にはパニックの引き金にもなる。流言が生ずる背景としては、地震などの自然災害のように、いつ・どこで発生するか全く誰も予想できない現象に対してどうしようもないという人々の不安である。
 流言(rumor)とは、出所不明であるが、その内容は必ずしも全部がデタラメではなく、少なくとも受容者にとっては信じるに値するものを含んでいて、しかも真実に関して権威筋の力を借りずに、人から人へ伝えられる公共性を持ったコミュニケーションをいう。これが多数の人々によって支持された場合は流言飛(蜚)語と呼ばれる。
 流言は特定の状況のもとで発生し、一定の速さで、人の口から口へ伝達進行し、次第に増幅して社会的な興奮と心理的興奮を巻き起こす。それはあたかも化学的変化の過程になぞらえて、一種の社会化学的変化ともいえる。
 限られた地域では、流言は既知の間柄や接触のある人々の間で口コミによって流布されるが、大規模な社会では、既成経路とは無関係に、マスコミ、電話、電波(無線)、インターネットなどの手段を通して流布される。口コミの中継点と役割を果たす場所は、旅行者との接触、理・美容院、知人、近隣者、職場、家庭、会合などであり、流言の伝播は3分の2がこれらをチャンネルとしているといわれている。
 ところで、他人から伝聞した話が流言として成長していくのは、どのようなメカニズムによるのであろうか。ある個人がある流言に接した場合を追跡的に考察してみる。まず当人がその情報に関心があれば信じたくなるだろう。しかし、たった一度の接触では、その情報は事実として確信するまでにはいたらず、半信半疑の状態に留まる。ところが、偶然にも同様の情報が経路を異にして反復的に得られると、半信半疑は解消されて明確な確信へと強化されていく。こうした条件の下で、口コミ情報は一層説得力を持った流言として強力に流布されていくのである。
 ある程度の流布が確認されたり、マスコミなどに取り上げられると、その流言は社会的リアリティを持ち、その社会、少なくとも流言集団の判断や思考の枠組みとなって個人の行動を規定する。こうして流言は、集団の願望、不安、抗議などを内包して生き続ける。流言を生みやすい社会情勢と、それを信じやすい人々のもとでは、流言は一層促進されてしまうのである。

(2)マスコミと流言騒動
 流言騒動は、特にマスコミの報道が大きく関わっている。マスコミが世間に与える影響はとても大きい。その例として、1973年に起きた流言による地震騒動を取り上げてみる。
 1973年の秋、「12月1日午前零時半過ぎ、関東地震を上回る大地震が日本列島を襲う」という噂が日本中に流れた。気象庁には全国から問い合わせの電話が殺到し、横浜や東京の下町地区では非常食や懐中電灯を買い求めたり、枕もとに置いて寝る人があらわれた。一方、過去において津波が襲ったことがある南紀沿岸、熊野市を中心に、東は三重県の紀勢町から西は和歌山県の田辺市あたりまでの一帯では、「地震とともに大津波が襲ってくる」という噂が広がった。そのため、高台に仮小屋を建て荷物を運び上げたり、安全な親戚の家に避難するといった騒動が発生した。このときのマスコミの報道は、流言騒動を打ち消すことができず、むしろそのほとんどが結果的に流言騒動を広め、煽る役割を担ってしまった。
 このときのマスコミの第一の問題点は、表現の誇張だった。受け手の関心を引き、少しでも強い印象を与えようと、表現がオーバーになる。必要以上に危険性が強調される。これは本文よりもリード、リードよりも見出しの順により顕著になる。週刊誌の場合は、いっそうセンセーショナルになる。テレビの場合も「12月1日大地震がくる!?」など、週刊誌に劣らずタイトルに「!?」マークが多い。新聞や車内の広告で、あるいはテレビ画面からまず目に飛び込んでくるのは、こうした刺激的でしかも断定的なタイトルであり、それが受け手の情報受容に大きく作用することは言うまでもない。誇張とは若干違うが、思い入れたっぷりな、あるいは文学的な表現も見られる。災害や地震報道などでは客観的事実を第一とすべきで、こうした表現が受け手に偏見を与えることは当然といえる。
 地震の規模・マグニチュードと、ある場所での揺れの大きさを示す震度とを混同することがある。さらに、これらを地震によって起きる災害である『震災』とを混同し、区別していない例が多い。「大地震が起こる」という表現はよく使われているが、いつ、どこで、マグニチュードでいくつ、震度でいくつとはっきり区別して情報が出されている例は少なかった。また一口に南紀沿岸といっても、地震の災害は、地形や地質によって、津波によるものと、揺れによるものとに分かれる。このまったく違う二種類の災害を区別せずに情報を伝えることは混乱を招くだけであった。1973年に和歌山で2度続けて起きた地震を遠州灘地震と関連づけたり、あるいは新宮で起きると誤解された大地震と関連があるかのように伝える報道に至っては、まさに勝手な解釈で、無責任なものである。
 今日では地震予知は超長期、長期、短期(直前)予測と大きく3〜4段階に分けて考えるのが一般的なっている。当時こうした考え方が確立していなかったとはいえ、地震がいつ起こるのかという時間に対する関心がきわめて薄かった。例えば、新聞の見出しは、「根室半島の次は遠州灘」「今すぐ大地震が起きる確率は9割」「近く大地震」「近い将来大地震」「新宮地方に大地震」「遠州灘に大地震の前兆」「遠州灘で大地震が起きる」と枚挙にいとまがないくらいである。「今すぐ大地震が起きる確率は9割」では地球物理学的な時間尺度の「今」が、あたかもわれわれの日常生活時間上の「今」であるかのごとく扱われている。いずれにしてもそのほとんどが時間を特定しないことで、今すぐにでもという印象を与え、受け手の不安を煽る結果となっている。
 最も重大なことは、新聞が騒ぎについて触れながら、その多くが地震は起きるのか起きないのかという肝心な点になると曖昧で逃げてしまっていたことである。流言騒動の記事では、権威ある機関として必ずと言っていいほど気象台や測候所の見解を取材しているが、そのほとんどが「大地震がくるとは断言できないが、心配ないとはいえない」「『全くのデタラメ』と断定できず」「『絶対ウソです』と言い切れない」「起こらないとも断言できるものでもないし」「きっぱりと否定したいところだが、断言もできないようだ」云々といったコメントになっている。確かに災害はいつやってくるかわからないものであり、測候所や気象台が、宗教家や予言者と違って科学的であればあるほど、また発言や筆に責任を持とうとすればするほど、「絶対にこない」とは言わないだろう。何百万分の1かあるいは何億分の1かはわからないが地震が起こる可能性がないわけではないのだから、『絶対に』と完全否定することは論理的にありえない。しかしそのことを強調して伝える報道は、かえって起こる可能性を大きく示唆する結果になる。
 1973年の日本の社会の雰囲気は、とても不安に満ちていた。10月6日第4次中東戦争が勃発、アラブ側は石油戦略を発動し、石油危機がやってくる。11月に入ると関西で始まった主婦らのトイレットペーパー買いだめ騒ぎが瞬く間に全国に広がった。トイレットペーパーに続いて合成洗剤、食用油、小麦粉、さらには、塩、砂糖にまで買いだめが広がり、日本列島はパニック状態になった。12月1日、世間は極めて不安定な心理状態の中にあった。まさに疑心暗鬼、流言蜚語が飛び交うにふさわしい状況だったのである。
 この流言騒動は決して偶然に起こったものではなく、起こるべくして起こったものである。極めて不安定な社会を背景に、当時の地震予知は、現代と比べるとまだ未熟で、その未熟さゆえに、送られるべき情報も現実の社会に対しては曖昧で明確さに欠けるものになりがちだった。そして、当時の送り手のマスコミの側も、新しい地震科学への不慣れ、理解不足から、まだ地震情報の新しい報道手段、報道姿勢が確立していなかった。そのため、節度を失ったり、センセーショナルな報道に走る伝え方が少なくなかった。現在、地震予知の研究は進められているが、地震がいつ・どこで発生するか、を明確に予知するのは不可能である。情報化が進んだ現在、地震騒動に限らず、違った形でまた流言騒動が起きてしまうであろう。

第3章災害情報とメディア

 前述したように、マスコミなどのメディアは、人々の心理に影響を与える力がある。流言やデマによる騒動、混乱を起こさぬように、メディアは人々に正確な情報を流さなければならない。しかし、現在は映像の時代になって、迫力のある・絵になる映像への志向は強まるばかりで、それがメディア間の競争になりつつある。その一方で取材や報道の現場に自然現象への理解や想像力に欠けるきらいがあることは否めない。私たちはそうした社会に生きている。そして情報化社会とは、不確実な情報がよりいっそう溢れる社会であり、それを受け入れ、吟味し、許容する柔軟でしなやかな生活が求められる時代と言えるかもしれない。
 不確実な情報の代表の一つが地震予知の情報である。マスコミは、研究者の独自の説や予測に、どのようなコメントをつけて発表するのか。曖昧な発表情報の評価、解説は、マスコミ独自の判断にゆだねられ、報道機関によって扱いや伝え方がかなり異なったものになる。科学者によってその見方も異なる。科学の名において、様々な事実が様々に解釈され、メディアはそれを様々の伝え方で伝える。このような地震の予知情報を扱うとき、マスコミに求められることは、ある種の節度と自制である。強調、誇張、センセーショナルな扱いは好ましくないし、他のメディアの報道、読者・視聴者の状況、心理状況、そして地域の特殊状況も勘案する必要も出てくる。
 いまや私たちは地震の予知・予測情報に慣れて、ある意味で鈍感になってきていると言えるのかもしれない。あるいは地震発生の確率がしばしば出されるため、天気の降水確率のように確率的な考えに馴染んできているのかもしれない。現在、インターネットその他で情報が流され、溢れかえっている。その情報の洪水の中で、市民が自ら判断し対処しなければならない時代でもある。そのためには地震や災害についての知識を豊富に身につけ、最低限の対応策をとっておくことが必要になるであろう。

第4章 防災の心理

(1)「皆でいるから大丈夫」の怖さ
 人は自然の脅威と遭遇すると、大パニックに陥ってしまう。しかし、災害が起こる前の、あるいは災害にあったことのない人間は、災害には全く警戒心を抱いていないし、ほとんどの人が「自分だけは大丈夫」と思っている。さらに、人が大勢いると、その楽観的な気持ちがつよくなる。緊急時、人間は一人でいるときは「何が起きたのか」とすぐ自分の判断で行動を起こす。しかし、複数の人間がいると「みんなでいるから」という安心感で、緊急行動が遅れる傾向にある。集団でいると、自分だけがほかの人と違う行動を取りにくくなってしまうのである。「皆でいれば安心だ」と思う心理には客観的合理性や、科学的根拠はない。災害が発生したとき、または危ないなと思ったら、まず安全なところへ避難することが肝心である。

(2)災害に備えるには
 地震をはじめとする災害の怖さを知らない人は、災害に対する備えができない。災害に備えなければならないと知っていても、備えておくと何がどう変わるのか理解できていない。だから、実際には備えない。テレビや新聞で被災地の映像を見るだけでなく、もう一歩踏み込んで、自分だったらどうなるのか、何が自分の周りで起こるのかを考えてみるといい。自ずと自分は何をすればいいか、何を準備すればいいかがわかってくる。

(3)携帯電話が使用不能
 被災者にとって、電話やメールなどの双方向性情報伝達手段の有無が精神的に大きな影響を及ぼす。通信システムが断絶、規制されたとき、平常時とは異なる意識が生まれる。それは「つながり」に対する飢餓感である。人は、人と人とのつながりで生きている。それと同時に、常にそのつながりを確認していないと不安(ストレス)になる。災害時に電話がつながらなくなることは予想以上のストレスにつながる。そういうときは、災害伝言ダイヤルや災害用伝言板メールでもいい。自分が置かれている状態を少しでも早く知らせることのできる媒体で、メッセージを録音または登録することにより、焦燥感、不安感はかなり解消されるのである。


おわりに

 今回の論文は、自然災害をテーマに論述してみました。書き終わって、私の災害に対する意識が強くなりました。しかし、正直にいって自分の中に眠っている楽観的な気持ちはまだ消えていません。時間が経つにつれて、災害に対する意識が少しずつ消えていき、また論文を書く前の自分に戻ってしまうと思います。災害の真の恐怖は、実際に自分の身にやってこないと理解できないのかもしれません。
 しかし、災害と人の心理を調べてみて、一つだけ忘れたくないことがあります。それは「人とのつながり」です。日頃から、自分の家族、友人、近所の知り合いの方々などとのつながりを大切にしておけば、実際に自分が災害にあっても、自分の身よりも、周りの人たちが気になり、自分勝手にならず、人助けができると思います。


参考文献

『人は皆「自分だけは死なない」と思っている 防災オンチの日本人』(宝島社 2005.3)山村武彦
『「大衆」の社会心理学 非組織社会の人間行動』(ブレーン出版 1992.7)水口禮治
『防災の社会心理学 社会を変え政策を変える心理学』(川島書店 2001.10)林 理
『災害情報とメディア』(リベルタ出版 2005.4)平塚千尋