魔女にアプローチするためには
1.歴史上の魔女(古代史の中の女神や占い師がテーマ)
2.昔話、伝説の魔女(グリム童話などの魔女)
3.現代の童話に出てくるアニメや漫画などの魔女(魔女の宅急便、ハリー・ポッターなどの魔女)
4.絵画に描かれている魔女(デューラーたちが描く画家が書いたの魔女)などがある。この中から各人が関心の深いところから魔女にアプローチしていけばよいであろう。本論文では、1(歴史上迫害された魔女)と2(グリム童話の魔女)から魔女にアプローチしていきたいと思う。
魔女の定義はどういったものなのだろうか。16?17世紀に盛んに起きた魔女狩りの悲惨で残酷な背景にはどのようなものがあったのだろうか。最後にグリム童話の魔女と魔女狩りの魔女について比較したいと思う。
そもそも、魔女とは一体何者なのか。どういう人物のことをいうのか。
一般的なイメージでは、魔女は魔術・妖術・呪術を使うといったイメージがあるだろう。黒マントに長い鉤鼻をしている醜い老婆といったイメージではないだろうか。しかし、このイメージは、こどもの頃からウォルト・ディズニーによってアニメ化された魔女達のイメージに慣れ親しんでいるせいもあるではないだろうか。
実は、世界には様々な魔女の姿がある。ドイツの画家デューラーが描く魔女は、裸体の若い美女だったり、山羊に乗って空中飛行する老婆であったりする。
魔女は英語では”witch”と呼ばれる。魔女のドイツ語はHexeである。ヨーロッパの多くの言語で、魔女はこれに類したつづりとなっている。この語源については「生垣を越えていく女」「生垣の上の女」説が有力である。生垣や垣根は村と森の境界であり、この世とあの世の境とみなされていた。これはただの生垣や垣根ではなく、生と死の境界線である。
過去において、実際に魔女といわれる人々は存在した。多くは老婆で、村の医者的な役割をする人、村で占いをする人がそう呼ばれていた。しかし、魔女を悪者としたのはキリスト教である。
魔女狩り時代の中世キリスト教教会は異端者を魔女として迫害した。1485年にヤーコプ・シュプレンガーとハインリヒ・クレーマーが著した『魔女の鉄槌』という本が出版された。これは魔女に「鉄槌を下す」という意味で、魔女とはどのようなものかが定義されている。それによると、「悪魔と契約して、臣従し、その代償に悪魔からその超自然的な妖術を行う事ができる力を与えられた者」とされている。この本は3部構成となっている。
第1部において、魔女の定義付けが行われる。いかにして魔女は「全能なる神の許しを得て」悪事を行うか、について書かれている。魔女はキリストを否定し、悪魔を賛美する。洗礼を受けていない赤ん坊を悪魔に捧げ、悪魔と性交する。魔女妄想の定番ともいえる描写が続く。魔女は、神に反逆する最悪の大逆罪である。だから、魔女裁判は、様々な形で特別扱いをしなければならない。例えば、普通の裁判では、偽証罪の前科のある者の証言は証拠とは出来ないが、魔女裁判に関してだけでは証拠として取り上げることができるなどとされる。
第2部においては、魔女の行う呪術の詳細が語られる。著者はこれを3つのタイプに分けていて、その具体的方法や防御法について、エピソードと共に語られる。
第3部、これが最も重要である。ここでは、魔女裁判を実行する手続き、方法などが詳述されている。証人の取り扱い、審理の進め方、魔女の逮捕の仕方、投獄や尋問、拷問のやり方、その心得、黙秘する魔女の取り扱い方などが事細かに解説される。そして、この本は魔女裁判の手引き本となっていったのである。
魔女とされた人たちには、当然のことながら、圧倒的に女性の数が多い。中には、男性や子どもがいたのは事実である。しかし、やはりヨーロッパ全土でみると、魔女裁判における被告のおよそ80パーセントが女性であった。
16世紀の女性の活動の中では、呪文や水薬を使った病治し行為・分娩・堕胎・未来占い・呪い・呪いの除去・失恋した者に助言を与えること・隣人間に平和をもたらすことなど、村や都会の人々の病治しの仕事、医学や呪術と呼ばれる行為を含んでいた。また、このような仕事は、当時の聖職者の仕事と衝突するようなものであった。当時の教会も、同じような行為をおこなっていたのである。そのような時代に、女性たちは民衆に対して、特権的な相談者・医者として仕事をした。19世紀まで、ヨーロッパの民衆は、聖職者や医者よりも、民間の治癒者の元を訪れた。彼女達が執り行う儀式は病人を中心とするもの(具体的に!)であって、家族全員が手伝うこともあった。患者は、身も心も楽にすることができた。時には、国王や王子や大司教なども、彼女達のことを捜し求めることがあった。そのおかげで、彼女たちはとても繁盛し、大いに儲けたのであった。
しかし、力は恐怖を生み出す。結局、彼女たちを死においやったのは、彼女たちが持っている力そのものだった。呪術を行う者は、尊敬されると同時に恐れられていた。ある種の女性が男性を脅かす力を持っているとさえ信じている人がいた。病治しに対するまなざしは、だんだんと疑いの度合いを強めるようになる。ある種の女性たちが魔術の罪で疑われたのは、彼女たちが無力であったからではなく、とても大きな力を持っていたとされていたためだった。
民間の慣習で求められている呪術を真っ先に非難したのは聖職者であった。民間の病治しは、事実上、聖職者の競争相手だった。教会自体が魔法に依存して共犯関係にもあったに関わらず、教会は民間の病治しを攻撃し続けた。特に、この種の女性たちには、聖職者たちよりも大いなる強みがあった。彼女たちは、性の問題の権威として、多産・受胎・妊娠の成功や安産の方法を教えた。教会はこの力を彼女たちから手に入れようとした。このような職業上の妬みの古典的な例や、男性の恐怖心も、『魔女の鉄槌』に記されている。聖職者は、この力を使うことができる女性たちに対して、恐ろしい復讐を始めるのだった。
さらに、裁判記録で注目される特徴は、被告の中に多くの未亡人が含まれているという点だ。未亡人が高い割合を占めるのは、孤独に生きる女は魔女ではないかと疑われる可能性が大きかった。孤独のもう一つの例として、独身の女性がいて、やはり魔女裁判の被告に頻繁に現れる。独身女性は、未亡人と同様に、家父長的家族に脅威を与えるように思われていた。そのために、攻撃される危険にさらされてきた。また、貧困も魔女の特徴だった。当時の道徳論者(聖職者、教皇、臨床者・治療師など)は、富を持たない者は、魔術という悪魔の誘惑にもっとも屈しやすいと信じていた。典型的な魔女されたのは、農業労働者か借地農の妻あるいは未亡人で、喧嘩好きで、攻撃的な性質の女性たちだった。老女で口うるさいいわゆる「がみがみ女」などであった。そのように、でしゃばる事で自らを主張したり、怖がらせている老女達を「厄介者」として魔女として裁判所に引きずっていかれたのである。さらに、過度な魔女恐怖に襲われると、日ごろの制約は破られ、ありとあらゆる種類の男女が魔女として告発された。その中には、社会的地位の高い人も含まれるようになる。魔術を使うのは高齢の女性という見方も時には崩壊してしまい、子どもも魔女として告発されるケースさえあった。魔女裁判の残酷な審理の中で、むりやり共犯者の名前を上げさせられ、次々と無実の人々が魔女として告発されていった。魔女狩り中期になるとささいな理由で、誰に対しても、魔女として告発するようなっていった。商売上のライバルや、個人的に陥れたい人、社会的に嫌われている者など、が魔女として告発された。また、天災や病気など、社会的に害が生じることの理由として、魔女にその原因を帰する場合があった。
ドミニコ会の修道士ヤーコプ・シュプレンガーとハインリヒ・クレーマーは『魔女の鉄槌』を著し、異端審問官として勇名を馳せた。この書物は、魔女を定義したばかりでなく,魔女裁判の方式を述べ, 3世紀の間続く「異端審問の狂乱への水門を開いた書物」と言われている。
魔女裁判の開始は告発から始まる。告発された者は逮捕される。捕らえられた後、罪を犯したことを認めるように勧められるが、悪魔と契約を交わしたことを自白すると、火刑に処せられ、殺されてしまうため、多くの人たちは罪を否定する。魔女裁判の尋問では「わからない」や「知らない」としか答えようのないことしか聞かないのである。その質問とは、「選んだ悪魔の名前はなにか」、「悪魔と何を契約したのか」、「魔女になってからどれくらい経つのか」などである。魔女裁判は、有罪にするための裁判と言っても過言ではなかった。尋問中の被告人の様子は注意深くみられている。もしも、尋問中に被告が眼を床に落としたり、恐怖の色をあらわしたならが、即座に拷問行きなのである。 拷問の始めはまず、体の何処かにあるという魔女の印を見つける事から始まり、体全体の体毛を剃る事から始まる。その魔女の印はほくろ、あざなどなんでも良かったとされる。実際に行われた拷問のいくつかの例をあげる。まずは五段階の拷問だ。
縄で後ろ手に縛り、足に重りを吊るして天井からつるし、縄を緩めては、床に叩きつける。三段階目は「肝つぶし」といい、椅子に縛りつけて引き回す。四段階目はブーツに足を入れさせ、脛骨とふくらはぎを一緒に締め上げる。その一段階目は両手の親指を装置にはめ込み、ねじで血が出るまで締め上げるものだった。二段階目は、縄で後ろ手に縛り、足に重りをつけ、天井からつるし上げ、縄をゆるめ床に叩きつける。三段階目は「肝つぶし」といって椅子に縛りつけ引き回す。四段階目はブーツに足を入れさせ、ふくらはぎを絞めあげる。五段階目では脇の下を松明の火であぶる。1
というものだった。この五段階の拷問にかけられ、耐え抜けば無罪となった。しかし、この拷問に耐えられる者は殆どいなかった。その他にも、身の毛がよだつような凄く恐ろしい拷問の数々があった。鉄製の長靴を履かされ、靴と足の隙間にくさびが打ち込まれるというものがあった。これは一撃で血が噴出し、三撃目には膝の骨が粉々になり、骨の髄が飛び散ったという。さらに、魔女の椅子という拷問があった。これは尻を乗せる部分が枠のみで真ん中は何もない便器の様なものだった。その下からろうそくの火で炙られる、というものだった。これは恐ろしい苦痛を伴い、老廃物を排出も満足にできない哀れな体になるのだった。これとは逆に、腰かける所から背もたれまで全て針でできている椅子に座らされ、6時間以上も放置されたという拷問もあった。
中でも残忍を極めたのは水攻めという拷問だった。まず、皮製のジョウゴを口の中に押しこんで、それに水を流し入れるのだ。胃袋が膨れ上がると、腹の上に人間が乗って、揺すり、口から吐かせる。それをまた繰り返すというものだ。2
何回か繰り返すと受刑者の口からは血が混じった水が吐き出される。受刑者はあまりの苦しさにのたうち回るのだ。
拷問中に死んでしまう受刑者もいた。しかし、多くの受刑者は、拷問の苦しみを一時的に逃れる為にありもしない事を自白するのだった。自白してしまうと、それが嘘だろうが、そうでなかろうが関係はない。魔女として、生きたまま火刑に処せられる。
その火刑は、古代の剣闘士奴隷の様に見世物にされ、多いときには3日間に10万人の見物客が訪れたという。火刑になった者の遺灰は、風に吹き散らされるにまかせられた。その財産は、教会や裁判官の財産となった。
ヨーロッパ中部に深刻な農業危機が訪れるのは、1570年から1690年の間である。これは魔女告発が頻繁に発生する時期と重なりあう。経済事情、宗教規制、衛生問題、疫病流行、医療事情など、人々の生活の様々な方面に、不安と危機が生じていた時代であった。特に17世紀は「危機の世紀」と言われ、人々は不安の中に暮らしていた。魔女裁判が頻繁に行われた地域は、フランス、北イタリア、南イタリアのカトリック地方、アルプス地方、ドイツ、ベネルクス諸国、スコットランド、ピレネー地方などである。イベリア半島やギリシア正教などの国では行われていない。1670年になって初めて、スウェーデン、フィンランド、アメリカ植民地が魔女狩りの脅威に巻き込まれた。それ以前に魔女の脅威に襲われたのは、北欧ではデンマークだけであった。ハンガリーでは17世紀半ばに襲われ、1730年まで続いた。魔女狩りがやんできたのは、オランダで1600年頃、フランスで17世紀半ば、ドイツでは1680年頃、ポーランドとボヘミヤ、ハンガリー、イギリスでは1700年以降である。
ヨーロッパ諸国の中で、ドイツで最も盛んに魔女狩りが行われた。宗教改革後、聖俗裁判権が一体となって魔女摘発に向かったのである。新旧両国とも魔女撲滅に熱狂した。
農村で始まった魔女狩りが町で猛威を振るいだすと、名士を巻き込んだヒステリー症状を起こし始め、町中の人々はパニック状態に陥った。このような状況になって初めて、魔女狩りは終結に向かう。民衆の不安が、災害、疫病、人や家畜の死、不能、不妊、不作などの不幸の原因を、魔術に求めずにはいられなり、魔女と名指しされるものを血祭りにあげたのだった。この様にでもしないと、人々の不安は治まらなかったのであろう。魔女狩りが、大都市ではなく、農村、小都市で起こったことは重要である。一人暮らしの老婆が、多くの場合、犠牲者となった。社会的弱者が社会の敵となってしまったのである。魔女狩りは閉ざされた田舎での「集団妄想」だったとも考えられている。ドイツの最後の魔女裁判は1775年、最後の火刑は1749年である。ヨーロッパ最後の火刑はスイスで1783年である。しかし、最近、新たにポーランドで1801年に火刑がおこなわれたということがわかった。この恐ろしい出来事は、19世紀頭まで続いたことになる。
魔女の実態は、時代によって変遷が見られる。古代の魔女は豊穣の女神で、崇められた。しかし、キリスト教の導入によって、魔女信仰は、異教として迫害されて悪の刻印を押されてしまう。父性崇拝を掲げるキリスト教にとって、母性崇拝を唱える豊穣信仰は排除すべきものとなっていった。キリスト教は、出産を不浄視し、性交を罪悪視し、快楽を禁止する。キリスト教は、母性崇拝にかえて、処女崇拝を掲げ、肉体に対する精神の優位、女性に対する男性の優位を唱えていく。こうして善悪両面を備えた巫女的存在であった魔女は、次第に「悪い」だけの存在へと変わっていったのである。
魔女と宗教の関係といえば、キリスト教が異端者を魔女として迫害したと想像されるかもしれない。しかし、初期においては、教会は、決して魔女裁判を推奨するようなことはしていなかった。魔女妄想を信じていたのは、一般の民衆の方であった。初期の教会は、魔女は迷信である、と考える者も少なくなかった。どちらかと言えば、魔女裁判を抑えようとすることが多かった。例えば、教会の法令の中で最も権威あるものとされた『司教法令集』は、はっきりと「魔女などというものは妄想の産物であり、こんなものを信じるのは異端である」と書かれている。だが、こうした理性的な動きも13世紀を過ぎた辺りから、徐々に切り崩されて行く。そして、それにとどめをさしたのが『魔女の鉄槌』という本なのである。
12世紀頃から、徐々に異端者の運動が激化すると、異端審問の法廷に魔女の姿が現れ始める。異端者を裁く際の罪状の中に魔女的行為があげられ始めた。異端者の告発理由の中に「悪魔の助力を求めた」や「悪霊と性的関係を結んだ」などという魔女的行為が付け加えられ始めた。当初、教会は、魔女を法廷で裁くことに関して、異端審問官の干渉を抑制していた。「魔女を異端審問の法廷で裁くことが出来ない」ということへのジレンマから、異端者と魔女の混淆が起こり、その後、「明らかな異端を伴わぬ限り、異端審問の法廷においては裁けない」という教書が発布され、「明らかな異端を伴う場合のみ」という条件が付け加えられた。しかしこの条件は、異端審問官の魔女裁判への干渉を抑制すると同時に、その干渉を容認することにもなった。1318年のヨハネス22世の教書によって、名実ともに魔女狩りが解禁された。彼はその教書によって、「いつでも、どこででも、魔女裁判を開始し、継続し、判定する十分にして完全な権能」を異端審問官たちに授けた。ヨハネス22世は、その二年後に魔女を異端者として処分する旨を言明した。ヨハネス22世は、魔女狩りに狂奔する異端審問官たちを後押しするように、次々とその異端審問官たちを後押しするような強化令を連発した。次の法王ベネディクトス12世以下、代々の教皇たちがこれを受け継ぎ、繰り返し強化令が出した。
過去において、教会は魔女をかばったことさえあったが、このような態度の変化の裏には、どんな事あったのだろうか。その1の理由として、教皇ヨハネス22世の私的な政治事情が挙げられる。彼は、法王選挙の段階から、自分を排斥しようとする者の陰謀があると思いこみ、常に神経を張り詰めていた。法王に即位後間もなく、自分の生命を狙う疑いのある者を捕らえさせ、拷問によって魔女的行為を自白させ、処刑した。教皇ヨハネスのこの種の行動は、他にもいろいろあるが、彼が魔女狩り解禁令を発布したのはちょうどこのような時であった。また、異端審問官たちにとっても、魔女裁判は、カトリックの教理に基づいた、長々しい神学的理由を述べる代わりに、魔女的行為を行ったことを自白させるだけでよく、実に能率的であった。こうした魔女裁判が頻発するようになったことの背景には、このような聖職者側の理由もあったといえる。
憎むべき魔女=女性という概念はどこから生まれたのであろうか。この問いに対する答えは様々にあるが、宗教の観点から見ると、『魔女の鉄槌』から、といえるであろう。「魔女狩りの手引き」と呼ばれるこの書物は、ドイツで活躍していた二人の異端審問官ヤーコプ・シュプレンガーとハインリヒ・クレーマーが1485年に書いた。『魔女の鉄槌』は、3部から成っている。この著作は、遠い昔から伝承されてきた魔女行為を、スコラ学的理論により立証し、魔女の魔術に対する対策、魔女裁判についての詳細な指示と助言を与えている。魔女を異端として裁くことで必要になったのが魔女裁判を異端審問として正当化すること、つまり魔女が異端であることの証明だ。そのニーズに答えたのが『魔女の鉄槌』なのだ。
魔女が老婆としてイメージされる理由としては、産婆が魔女として槍玉に挙げられることが多かったからだといわれている。出産を大地の恵みと重ね合わせて考えるところから地母神信仰が生まれたといわれるが、産婆はそうした土着的な信仰とも結びついた存在であり、かつ薬草などの知識にも通じていた。教会側から見ると、産婆は邪魔な存在だった。
西洋近世の魔女狩りでは、女性だけではなく、男性も子どもも魔女として処刑された。だが、魔女裁判の手引き書である『魔女の鉄槌』では、魔女は女と決めつけて、次にように断罪している。「女性は死よりも、悪魔よりも恐ろしい。なぜならば、悪魔はエヴァを誘惑したが、アダムはエヴァに誘惑されたからだ。すなわち、男性を罪へと誘惑したのは女性であって悪魔ではない。だから女性は悪魔より恐ろしいのだ。女性は死よりも何倍も恐ろしい。なぜなら、死は肉体を滅ぼすだけだが、女性は魂も滅ぼすからである。肉体の死は恐ろしい公然の敵だが、女性は媚へつらうかくれた敵である。」
このすさまじい女性蔑視の思想は、キリスト教の原罪思想からきたものである。つまり、神の命に背いて知恵の実を取った結果、人は欲情に苦しみ、死すべき運命を持つことになった。
男性は神の似姿に従ってつくられたが、女性は男性の曲がった肋骨から作られたので、もともと不完全な動物である。そうであるから、女性は理性に乏しく、感情に支配され易いので、性的誘惑に負け易い。男性は理性的存在であるから、感情を理性で制御できて、性的誘惑に打ち勝つとされる。セックスは悪魔が人間の男女を支配するために用いる手段であるから、誘惑に負け易く、不完全な女性は、肉欲に走り易く、悪魔の誘いに乗り易い。男を欲情させる女はすべて悪い存在であり、悪魔の手先、魔女である、ということになる。
魔女の鉄槌』の見解は、女性を自然界における『奇形』だと決め付けたアウグスティヌスや、女はすべて「欠陥のある男性」だとしたトマス・アクィナスなどのキリスト教神学の理論的指導者たちの意見を踏襲したものである。6世紀のマコンの宗教会議では、女性に魂があるかどうかで激論が戦わされた。結局、結論は出ず、投票による多数決で「魂がある」ことになった。セックスを罪悪視するキリスト教は、セックス抜きの女性マリアを聖母として崇拝した。処女であるのに母であることは、突然変異でない限りありえない。自然の存在である女性、産む性である女性は、マリア崇拝が高まるほど蔑視されていく。女性と自然は、キリスト教では制御されなければならない存在となる。女性は金や快楽と引き換えに神とキリスト教を捨てて悪魔と契約する、という女性=魔女神話が、魔女狩りが猛威を振るった16、17世紀に体系化された。
魔女狩りが最も激しかったドイツで最後に魔女が処刑されたのは1775年であり、これはヤーコプ・グリムが生まれる10年前である。グリム兄弟にとって、魔女狩りは、身近に起こった歴史的な出来事であった。当時の人々の記憶の中に鮮明に残っていた出来事だったであろう。グリム兄弟は、人々の間で伝えられてきた超現実的で超自然的要素を含む散文の物語(メルヒェン)を編集していった。このような背景から編集されていったグリム童話の魔女と、魔女狩りの魔女とは重なり合うのであろうか。激しく迫害されてきた魔女とされた人々とグリム童話集の魔女との関係を考察していく。
グリム兄弟とは、19世紀ドイツで活躍した言語学者・文献学者・民話収集家・文学者の兄弟のことである。兄がヤーコプ・グリム、弟がヴィルヘルム・グリムである。グリム童話とは、グリム兄弟が創作した話ではなく、民間に伝わる昔話を様々な方法で収集し、編集したものである。グリム童話はたびたび改訂されている。初稿(1810年)から、初めて本になった初版(第1巻1812年・第2巻1815年)を経て、改訂が続き、第7版(1857年)が決定版となる。現在一般に普及しているグリム童話は、この決定版である第7版ということになる。改訂した点を具体的なあげると、白雪姫をひどい目に遭わせた実母が継母へ変更されている。また、現在、物語の採集元となった人物も少しずつ明らかになってきている。
グリム童話集』には全部で211話のメルヒェンが納められている 。その中で魔女(Hexe)が登場するのは20話である。男の魔女(Hexenmeister)の話が5話ある。それも入れると全部で魔女の話は25話になる。男の魔女というとやはり奇妙に思われるが、ドイツ語では、Hexeという1つにまとめられている概念なのである。だから現実の魔女裁判では、人数が少ないながらにも男にも子どもにも魔女罪(Hexendelikt)が適用されたし、その存在が確認されている。グリム童話の魔女の中には子どもの魔女は出現しない。これらの魔女たちはどの様に描かれているのだろうか。女の魔女20話、男の魔女5話について検討していく。
グリム童話集の中で女の魔女が現れる話は、以下の通りである。『グリム童話集』(Kinder-und Hausmarchen)はKHMと略記して、その後に決定版の番号を記入して表示している。
「かえるの王様」(KHM1) 、「兄と妹」(KHM11)、「ヘンゼルとグレーテル」 (KHM15)、「なぞなぞ」(KHM22)「ブレーメンの音楽隊」(KHM27)「トルーデおばさん」(KHM43)「六羽の白鳥」(KHM49)「めっけどり」(KHM51)「恋人ローラント」(KHM56)「二人兄弟」(KHM60)「千枚皮」(KHM65)「黄金の子供」(KHM85)「青い明かり」(KHM116)「キャベツろば」(KHM122)「森の中の老婆」(KHM123)「鉄のストーブ」(KHM127)「白い花嫁と黒い花嫁」(KHM135)「森の家」(KHM169)「泉の側のガチョウ番の女」(KHM179)「太鼓たたき」(KHM193)の全20話である。
グリム童話の中の魔女は、たいてい老婆であることが圧倒的に(16話)多い。4話においては、魔女は継母である。老婆以外では、魔女が息を吹きかけながら長い爪で泥棒が引っかいたと思う話(「ブレーメンの音楽隊(KHM27)」)と、コックが料理の上手な娘を魔女呼ばわりする話(「千枚皮(KHM65)」)がある。「ブレーメンの音楽隊」では、強盗が猫の事を魔女と勘違いしているが、本当は魔女ではなくて猫である。「千枚皮」の方は単なる言いがかりにすぎない。この二話は実際には魔女ではない者を魔女だと思い込んだり、言いがかりをつけるもので、実際の魔女狩りの時期に起きたある出来事と通じるものがある。その出来事とは、商売敵の女性を魔女として告発することによって、競争を乗り切ろうとした事件である。16世紀から17世紀にリッペ市のビール醸造業ツンフトが、ツンフトに属さない人々(女性)との競争に打ち勝つために、ステレオタイプな魔女告発を繰り返した事も明らかになっている。
他にはグリム童話の魔女には「悪い魔女」という表現だけで、魔女の年齢や容姿に関する描写が全くない話が二話ある。(「かえるの王様」(KHM1)「森の家」(KHM169))。何故悪いのかというと、相手に変身術をかけたからである。結局、魔女のかけた変身術のおかげで幸せになったとも解釈できる。この場合の「悪い魔女」の悪さ具合などはちっぽけなものである。
このように調べてみると、グリム童話で、はっきりと魔女の姿が描かれているのは老婆のみということになる。老婆である魔女がどの様に描かれていくのであろうか。老婆が出現する16話を詳しくみていく。その特徴は、外見の描写が殆どないことである。16話中外見の描写が全くないのが12話ある。「目の赤さ」や「頭をぐらぐらさせている」などのより深い表現は(「ヘンゼルとグレーテル」(KHM15))と(「太鼓たたき」(KHM93))くらいである。魔女に対する表現は、「墓石に片足を突っ込んでいるほど」などと、非常に侮辱的な表現だ。老婆の目が赤く鋭いのは、ヨーロッパに古くから伝わる民衆信仰である邪眼信仰の流れを汲むものである。赤目、鋭い目などは凶目として恐れられて、視線一つで他の人に災害をもたらす。という信仰がある。その信仰は古代エジプトの「万物照覧の目」や新石器時代の「目―女神」まで遡ることができる。この様に遡ると、先ほどの魔女と勘違いされるブレーメンの音楽隊に出てくる猫にも似たようなことがいえる。猫に関して述べると、猫はキリスト教以前では神聖な生き物であった。キリスト教においては、猫は悪魔と結びついた邪悪な存在となっていく。猫は北欧の女神フレイアの聖獣でもある。フレイアは性愛の女神であることも知られている。そのため、その使いである猫は禁欲を美徳とするキリスト教では悪とみなされ、魔女の仲間とみなされたのだろう。猫は魔女と関連がある動物で、二つの関係は元を辿ると古代信仰まで行き着くのである。
魔女はグリム童話では、継母と並ぶ代表的「悪人」だ。女の魔女が登場する20話中、「悪い」という言葉がつく魔女は9話(うち7話が老婆)「悪い」という言葉がつかない魔女は11話(うち9話が老婆)である。継母が14話中10話「悪い」のに比べると魔女は20話中9話だから頻度は継母には及ばないが、どれくらい悪いのかについては判断が分かれる。話を考察していくと、魔女が頻繁におこなう悪行は変身術で、王子を蛙(「かえるの王様」(KHM1))や木(「森の中の老婆」(KHM123))や、老人(「森の家」(KHM69))に変身させる。その他に「悪いという表現は添えられていない魔女は、泥棒(「キャベツろば」(KHM122))や監禁(「鉄のストーブ」(KHM127))する魔女である。子どもを石に変身させるが脅されると元に戻す(「黄金の子ども」(KHM185))という気弱な魔女もいる。魔女が行う最も悪い行為は殺人であるが、この場合はたいてい継母なのである。実の娘を幸せにするため、王妃になった継娘を殺す(「兄と妹」(KHM11))、(「白い花嫁と黒い花嫁」(KHM135))が典型的なケースだ。魔女の悪意というよりは、継母の場合と同様に、伝統的社会における母子関係、家庭関係をうかがうことができる。
グリム童話に登場する魔女の中には、それほど悪くはない。あわて者で悪戯が好きで間抜けでよく失敗する魔女がいる。子どもを食べようとするが一度も成功しない。人を変身させるのが得意で、男性を石や動物に変えるが一時的なものである。しかし、不順従で好奇心の強い「悪い少女」には冷酷な「悪い魔女」として現れる。継娘を殺すのは「悪い魔女」だが、同時に「継母」なのだ。「悪い」度合いにおいては、魔女は継母にはかなりの程度及ばない。その割には、魔女に対する刑罰は残酷で、火あぶりにされるのは継母が一回であるのに対して、魔女は三回なのである。
実態としてあまり悪くない魔女に「悪い」という言葉が連発されたのは、グリム兄弟が第二版以降に加筆したのであった。初稿で0回、初版で1回だった。「悪い」という形容詞は、二版で3回、三番で4回、四版で5回、五版と六版で8回、七版の決定版では8回と、版を重ねるごとに増やされていく。一方、継母の方は初版から、「悪い」という形容詞が添えられていて、継母の「悪さ」は実体を伴っていたものだといえよう。メルヒェンにおける魔女は、子どもを食べようとしても失敗し、実際には実力もないのに強がっていた存在といえよう。グリム童話の魔女は、害魔術を使うとして告発された魔女狩りの魔女とは違い、もっと以前の、古代の魔女信仰の頃の魔女を再現しているようである。「赤い目」や「猫」や「石」など古代信仰とつながりがあるものが魔女と一歩に出現しているのはそのためなのである。
はっきりといえることは、『グリム童話集の魔女は』『魔女の鉄槌』に記されていた魔女とは異なる。魔女裁判の裁判官たちが持っていたデモノロジー(悪魔学)としての魔女、つまり悪魔と契約してサバト(魔女集会)に出席したり、男性を性的に誘惑したりするというような魔女は『グリム童話集』には出現していない。知識階層の持つ魔女像と、文字を知らない民衆の魔女像にはずれがある。
魔女狩りの犠牲者に貧しい独り身の老婆が多かった。これは一人暮らしの老婆が頻出するグリム童話の中の魔女と一致するかのように思われる。確かに民間の人々の持つ魔女像と関連するかと思われるが、同一視もできない。なぜなら、魔女裁判の魔女は、無実の罪をきせられた犠牲者だが、グリム童話の魔女は古代魔女信仰の頃の魔女だからである。
魔女狩りが進行すると、農村から都市に広がっていった。政治的陰謀、財産目当ての密告などで集団ヒステリーになったとき、市の有力者なども魔女として処刑された。しかし、そのような人々はグリム童話には魔女として描かれていない。その頃は市長などの男性も魔女として処刑されたが、グリム童話の男の魔女(Hexenmeister)はその姿を反映したものではない。では、現実の魔女犠牲者とは異なるグリム童話における男の魔女とはどのようなものなのか。
グリム童話で男の魔女が現れる話しは、(KHM46)「フィッチャー鳥」(KHM68)「大泥棒とその師匠」(KHM92)「黄金の山の王様」(KHM149)「梁」(KHM183)「大男と仕立て屋」である。ここで扱った男の魔女の話は、男の魔女という言葉が使われている話を取り上げたもので、実際に男の魔女が出現する話に限定したものではない。
男の魔女(Hexenmeister)という言葉で最も多く出現している人は、技術として魔術を操ることができる男性である。大泥棒、芸を披露する魔術師など、その技術で生活できるほどその道を極めた人、すなわち親方なのである。男の魔女という言葉より魔術師という言葉の方が、話の内容から考えて、訳語として適切である。ただ一話、魔術師という言葉では表現できない話が含まれている。「フィッチャー鳥(KHM46)」である。この場合は、理想の伴侶を求めて娘を誘拐して、理想の伴侶像にぴったりだといういくつかの試練に受かると結婚するが、落ちると殺して肉を切り刻むという男が男の魔女である。自分が理想とする伴侶を求めて誘拐殺人を繰り返す行為は、魔女罪ではなくて性犯罪ではないであろうか。この男は害悪魔術を振りまくわけでも、人を木や石に変身させる訳でもない。古代魔女信仰の頃の魔女の姿も重ならない。啓蒙期以前は浮気しやすい性は男性ではなく女性とされてきた。理性による感情の制御が女は男より不得意だからというのがその理由である。性的欲望がらみの犯罪では、主に女が罪を問われ、男は殆ど罪を問われなかった。魔女裁判や嬰児殺しの罪の多くは女性に対して問われた。現在のように、浮気しやすい者は男性だと思っている人がメルヒェンを読むと矛盾していると思うかもしれない。ところが、啓蒙期に入ると、突然、女は純粋無垢で性的衝動のない存在となる。価値観の転換がおこなわれたのである。まさにそこに伝承文学であるメルヒェンの価値があると思われる。時代によって変わる理想の女性像をモテない男が財力にものを言わせて探し続ける。ここでは男の魔女のことを、理想の女性を手に入れるために命がけで探している、理想とは程遠い男たちの総称と解釈できる。
魔女裁判の発生状況は地域によって異なるが、猛威を振るった地域とそうでもなかった地域の二つに分ける事ができよう。政治や行政の中央集権化が進んだ地域では、イングランド王国やフランスの様に大規模な魔女狩り起きていない。逆に、小領主の居る地域、司教を領主と仰ぐ地域では激しい魔女狩りが行われている。熱狂的な魔女狩りが行われる16、17世紀に、男性が魔女(Hexer,Hexenmeister)として処刑されるのは、一般に裁判の初期段階ではなくて後期段階に入ってからのほうが多い。例えばトリア大司教領では、1589年には、裁判官や大学学長まで務めた市長フラーデが魔女として処刑された。彼は拷問によって他の魔女の名前を引き出すという魔女裁判の方法に疑問を抱いていたからである。処刑理由は害悪魔術を使ったとして、嵐やカタツムリによって穀物を駄目にしたという嫌疑で捕まったのである。拷問に耐え切れずに自白したフラーデは悔やんでも悔やみきれないほど無念だったに違いない。初期段階で、魔女は老婆(寡婦やよそ者)が圧倒的に多かったが、その後、政治闘争、経済闘争、相続争いなどが絡んでくると、権力者である男性が数多く処刑されるようになる。この様に現実の魔女裁判で告発される男の数は、少ないが地位や財産がある権力者が政治闘争や権力闘争に巻き込まれて処刑されるという場合が多い。住民からの突き上げで魔女被告にされる老婆に対して、裁判官の利害関係で魔女被告に仕立て上げられた市長や知識人がいる。これらは、グリム童話に出てくる男の魔女、魔術師とは重なり合わない異なった存在だといえる。
社会的弱者の貧しい老婆が、魔女として告発されるのは、グリム童話の中の魔女が主として老婆であることと似通っている。一人暮らしの貧しい老婆に対する共同体の視線は、童話の世界でも、現実の世界でも暖かいものではなかった。グリム童話の中には、神は善、悪魔は悪とする善悪二元論に基づくキリスト教の世界観ではなく、善悪両面を持つ豊饒の神々の世界がある。魔女に関してもそうであって、人の為になるよい魔法を使う女性を「賢女」人に害をもたらす魔術を使う女性を「魔女」と言っている。だが、その「悪い魔女」は実際にはたいして悪くないのである。殺人をする魔女は、たいていは継母で、継子の幸せを、横取りして実子に分け与えようとするのである。子を思う母の愛である。魔女の悪行は主に変身術である。人を動物や石などに変えてしまうのである。しかし、変身術は、実際の魔女裁判では人々の妄想だとされていた。牛乳魔術(当時牛乳は貴重とされていて、魔女から守らなければならないとされていた)、性愛魔術(魔女は男性を誘惑するということから)、天気魔術(天候を左右する魔術、)病気魔術(病気をもたらす魔術)は、魔女裁判で存在が信じられていたが、変身術だけは妄想とみなされていた。しかし、逆にグリム童話は、変身魔術だけを強調する。法学者であるグリム兄弟は、あえて近世の魔女裁判における知識人が持っていた魔女像を避けたのであろう。
ヤーコプ・グリムは古代を金の時代、中世を銀の時代、近世を鉄の時代と位置づけ、メルヒェンを金の時代の「自然文学」と捕らえ、鉄の時代の「創作文学」と明確に区別している。彼は魔女像から、近世の魔女裁判における被告人のイメージ(牛乳魔女、天候魔女など)をあえて消して、古代の豊饒の神に近い魔女像にしようとしたと思われる。彼は、善悪両面を持つ魔女像を、善悪二元論に基づいて分割し、良い魔女を「賢女」悪い魔女を「魔女」として二分した。後からわけた言葉の上での分割だから、魔女をいくら「悪い」と強調しても、迫力に欠ける。グリム童話の魔女が、変身術と殺人未遂を繰り返す気弱で慌て者の「独自の魔女」になっているのはそのせいである。もう一度繰り返すと、グリム童話の魔女は善悪両面を持つ豊饒信仰の神々が息づいていて、善と悪を区別する善悪二元論に基づいたキリスト教世界観とは別の世界が存在する。グリム童話の魔女は、絵画や文学で描かれる「男性を性的誘惑に引きずり込む美女」ではない。実際の魔女裁判では、社会的弱者の貧しくて孤独な老婆が大多数処刑された。魔女狩りが猛威を振るった頃の代表的被告人の姿と、伝承文学であるグリム童話の中の魔女は、一人暮らしの貧しい老婆という点においては重なるのである。
魔女について調べていったが、グリム童話の魔女も、実際の魔女狩りの魔女もとても奥が深い。最終章は実際のグリム童話を読んで頂ければ、より具体的に理解できるだろう。グリム童話も楽しいメルヒェン物語だと思っていたが、何回も改訂されており、数多くの背景があり、現在読まれているグリム童話となっていったのである。実際の魔女狩りを語るには、現代の研究されているところまでは、宗教とは切っても切り離せない関係にある。だが、魔女狩りが起こった背景などには様々な説がある。宗教絡みが大きいが、それだけではないのである。
グリム童話の中には宗教絡みの事や教会はでてこない。最終章にも書いたが、実際の魔女とグリム童話の魔女は一人暮らしのみすぼらしい老婆という点のみ重なるが、実際には全く別の魔女たちであったといえよう。
1.魔女狩りhttp://profiler.hp.infoseek.co.jp/witch.htm
2.中世の血塗られた世界http://members.jcom.home.ne.jp/0350371001/works/works_4.htm
3. Wikipedia 『グリム童話集』にはメルヒェン200話と子供聖者伝説10話の計210話が治められているが、151番が重複して2話入っているので、正確には前211話となる。
平野隆文『魔女の法廷』(岩波書店 2004年)
アン ルーエリン バーストウ『魔女狩りという狂気』(創元社 2001年)
ジェフリ・スカール、ジョン・カロウ『魔女狩り』(岩波書店 2004年)
西村佑子『グリム童話の魔女達』(洋泉社 1999年)
野口芳子『グリム童話と魔女達』(勁草書房 2002年)
Wikipedia
http://ja.wikipedia/オカルトの部屋
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/index.htm魔女狩り
http://profiler.hp.infoseek.co.jp/witch.htm魔女の話
http://www.juen.ac.jp/math/student/s11/yamagishi/5_03.html中世の血塗られた史実
http://members.jcom.home.ne.jp/0350371001/works/works_4.html