日本語の難しさ

法学部政治学科

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深谷 勇輝

はじめに

普段、私達日本人が、互いに会話をする時に使う言語は日本語であるが、私はこの日本語という言語がどのような特徴を持ち、また、日本語以外の言語を話す人々すなわち外国人からみると日本語はどのような目で映ってみえるのか、関心を持っていた。ここでは日本語ならではの特徴と、それを踏まえて外国人にとって日本語のどのようなところが難しいのか、について述べていきたいと思う。

第一章 日本語の歴史

第一節 日本語がいつ頃使われたか

日本の古代史に関する最古の資料である「魏志倭人伝」の中には「卑弥呼「壱与」「卑狗」「卑奴母離」などの数語の日本語を記録した箇所があるが、このような当時から当時の日本語の体系はどうであったかになると、とても推測できないのである。正倉院に伝わる「正倉院文書」は全体としては膨大な量になるが、そこに記される多くは地名・人名である。現在、土地の開発に伴い各地から多くの埋蔵資料が出土し、それらの中にも日本語を記録した文字があるが、それらもまた、地名・人名がほとんどで、断片的な言語資料であることに変わりがなく、日本語の体系的な姿を知るにはとうてい至らないものである。ある時代の人達が自分達の生活をどのような言葉で営んでいたかを知るのは、かなりの程度の言語記録が必要であり、そして、それを満たしてくれる最も古い文献が八世紀末に記された「万葉集」である。このように、日本語がいつ頃使われたかについては、明確には分からないのである。

第二節 奈良・平安時代

日本語の起源については、十九世紀末に系統論の観点からその問題提起がなされて以来、現在もなお様々な論争が行われており、決着していないが、中国の史書に「卑奴母離」のような日本語の単語が見えることや、金石文に見える万葉仮名表記の和語の例、さらに奈良時代の文献に残されている前代の言語の姿から考えても、かなり早くから日本語として成立していたことが知られる。平安時代の言葉の資料としては、これら仮名文字を主に書かれたもの意外に、漢文を訓読して記録された漢文訓読資料といわれるものがある。漢文訓読資料に残された言葉は、和文語とは異なり、平安時代の言葉の一つの姿を示すものである。平安時代の言葉は、奈良時代の言葉を継ぐものであるが、そこにはかなり大きな差が認められ、その理由として、次の三点が考えられる。第一は、平安時代初期のほぼ百年は、和文語の資料が不足している。その百年に、和歌が実生活のうえで作られたことは間違いないが、当時は、漢詩文全盛の時代であり、和歌は私的な場面での思想交換に使われる程度で、記録されて残るほどの価値はなかったと考えられる。その百年という時間の差が言葉を変化させた可能性がある。第二は、言葉の使われた土地が、奈良時代は大和、平安時代は山城というように、違っていたということであり、その土地の違いが言葉の違いに反映した可能性がある。第三は、奈良時代は、資料が韻文資料に偏るが、平安時代は、そこでは見られなかった散文の資料があり、その資料の違いが言葉のうえに反映した可能性がある。

第三節 鎌倉・室町時代

鎌倉時代の言葉は、平安時代の言葉と対比すれば、異なる点があり、例えば兼好法師、作の「徒然草」の中に平安時代にはなかった「たし」が使われているといったことがあるが、その他の点は平安時代との間にさほどの違いがあるようには見えない。この時代の言語は、平安時代に一応の確立を見た和文語に基づいており、その形式が受け継がれ、細部の異なりはあるが、言葉としては連続しているように見え、それに対し、次の室町時代になると、かなり異なる様相が見られるようになる。それは、その時代、炒物・キリシタン文献に代表される口語資料が見られるようになるからである。室町時代になると、キリシタン文献・炒物といった貴重な口語資料が見られるようになる。この口語資料の特徴としては、格助詞が多く見られるようになり、また、語句の関係を示す接続語の使用が目立つ。室町時代を近代日本語の開始の時期とする考え方があり、それに従えば、格助詞の体系の整備、接続語の増加という面を、近代語の特徴とも考えることができる。

第四節 江戸時代

慶長八年(1603年)、徳川家康は江戸に幕府を開いたが、18世紀半ば頃まで文化の中心はなお上方にあり、日本語の歴史を奈良時代から語り始める時、平安時代、鎌倉時代、室町時代といずれもその舞台は畿内であった。これが江戸時代の前期まで続いたというわけである。室町時代の末から江戸時代の初期にかけては、宣教師の来日により、キリシタン資料が比較的豊富に残されているが、これはむしろ室町時代の資料として用いられることが多い。江戸時代初期には狂言台本も書き残されているが、大蔵流、鷺流、和泉流の伝書いずれも室町時代語の資料として用いられることが多く、17世紀半ばに「狂言記」がはじめて刊行され、その後もこれは何種類かが出版されることになるが、「狂言記」には江戸時代の言葉というべきものも見られる。江戸時代も半ば、宝暦(1751~64年)、明和(1764~72年)の頃になると、江戸における出版物も多くなり、文化的にも江戸が京都・大坂と肩を並べるようになってくる。そうして江戸における出版物にも徐々に江戸独自の言葉が見られるようになるのである。江戸では宝暦頃から酒落本が表れ、酒落本は遊里を舞台としたもので、状況設定も各作品に似たところがあるが、色々な人物が客として登場し、江戸語あるいは江戸周辺の方言が作品中に表れる。ただ、初期のものほど上方語的特徴が見られるのであるが、江戸では、文化的に優位であった上方の言葉が当初は影響力を持っていたのである。

第五節 明治時代以降

江戸幕府が崩壊し、明治維新になると社会は大きく変化し、当然言葉の面にも影響を与える。「文明開化」という言葉が示すように、欧米文化が激しく流入し、日本語にも大きな影響を与える。翻訳を通して日本語は語彙や文法の面で大きな影響を受けた。国語国字問題が意識されるようになったのも、欧米文化との接触によるものである。漢字の問題や、「標準語」や「言文一致」についての議論が盛んになり、文学者によってしだいに言文一致体の文章が形づくられていった。学校教育も、明治時代以降の日本語、すなわち「現代日本語」の確立に大きな役割を果たした。言文一致体は、教科書の文章でも追求され、文学における言文一致体の確立とほぼ同じ時期にできあがった。昭和に入るとラジオが普及し、昭和後期にはテレビが一般化して、日本語のあり方にも大きく影響するようになり、特に方言に与えた影響は大きく、大まかにいうと、現代日本語は大正時代に確立し、昭和二十年以後、大きく変容しつつある。

第二章 日本語の特色

第一節 文法

まず、はじめに語順についてであるが、英語では例えば、I read a book(私は本を読みます。)のように主語の後に動詞が来るが、日本語では文の最後に動詞がつく。これは特殊のようにみえてこのような日本語式の語順は、他にも朝鮮語をはじめ、トルコ語やモンゴル語、イラン語、ヒンディー語などがあり、決して特殊であるとはいえない。また日本語では例えば、「これからどこに行くのですか?」と聞かれて「これから学校に行きます。」と答えるのが一般的であるが、わざわざ「私は」とは言わない。これを英語など言語にすると「私」にあたる「I」を省略することはできない。このように日本語では度々、主語を省略することが可能であり、これは日本語の文法面における特色の一つと言えるのではないのだろうか。次に、英語では例えば、本が一冊あるか、二冊以上あるかによって、言い方が違い、本が一冊である場合は a book であり、二冊以上ある場合は books と名詞の後にsがつく。これはどのヨーロッパの言語でも同じで、日本語では、例えば、「学生」という言葉ならば、一人のときは「学生」、二人以上のときは「学生たち」という区別がないというわけではないが、わざわざ「たち」とつける必要性はなく、「今日は学生が大勢やってきた」と言っても構わないのである。このように名詞が単数か複数かをわざわざ区別する必要がないのも日本語の特徴といえる。その次に、英語の文法では、もう一つ動詞のテンスというものがあり、人間の動作や自然現象が現在のことであるか、過去のことであるか、を区別して表すことで、これをテンスの区別と言い、例えば、英語で「彼は毎日七時に起きます」という文は“He gets up at seven”と現在の形を使用し、この文を過去形にすると“He got at seven”「私は昨日七時に起きた」と言うように違った形で表れ、「起きる」の「る」がつくと現在形、「起きた」の「た」がつくと過去形と、このように日本語でもテンスの区別はあるが、これに対して、日本語の「た」は過去を表さないと主張する人もいるようで、例えば「どいた、どいた」と、他人をある場所に退けようとする場合、このようなことを言うことがある。また、「明日は僕の誕生日だった」という場合もあり、更に、他人の顔を見て、「鼻のとがった人」と言うこともあるが、これらの場合、「どいた」の「た」はその意味を変えずに、「そこをどいた人」とは言えないのである。「どいた人」の「た」は、過去の意味になってしまい、命令形の意味が消えてしまうのである。これが先程の「七時に起きた」と言うような普通の言い方だと、「七時に起きた人」と自由に使うことが可能で、「どいた」の「た」は、いつもセンテンスが切れるところでしか使われず、「明日は僕の誕生日だった」の「た」も同じであり、「僕の誕生日だった明日」とは言えないのである。「鼻のとがった人」の場合も、「あの人鼻はとがった」というように文の切れ目に使うことはできないのである。このように、「た」は「た」でも特別な使われ方があり、こういうことも日本語ならではの特色である。

第二節 文字

言語を書き表すための手段として文字が使われるが、日本語では漢字・平仮名・片仮名を主軸に、アラビア数字やローマ字も使われている。英語圏の国々はローマ字を26字しか使わないのに対し、日本語は平仮名・片仮名に加え、さらには日常的に使われる約二千字の漢字を使わなければならないのである。このように、複数の文字を使用するのは、日本語の最大の特徴といえる。まず、漢字についてであるが、日本語は元々、固有の文字を持っておらず、中国から来た漢字を使用することにより、文字を得た。日本語で用いられる漢字には、音読と訓読があり、さらにそれぞれいくつもの読み方がある。音読は、中国語の発音が日本語の発音に近づき、融和することによって成立し、これは日本語独特の読み方である。しかし、中国語の発音は長い歴史を通じて日本へ何度も伝えられ、特徴がその度異なるので、日本語でも、それに応じた何通りかの音読があり、「行」を、「行政」の「ギョウ」と読んだり、「銀行」の「コウ」と読んだり、また「行脚」の「アン」と読んだりもするのである。訓読は漢字文化圏の中でも、日本語だけは訓読を作ることによって、漢字を日本語という新しい言語へ順応させることに成功したが、同時にこれは、漢字の読み方をきわめて複雑にする結果となった。このように一つの漢字に対し、音読、訓読と複数の読み方をするのも日本語の大きな特徴である。次に、平仮名・片仮名の成立についてであるが、漢字を使用したことにより、漢字ごとに特定の日本語が結びつけられ、それに基づいて直接日本語を表記することが可能になったのである。「音=おと」のような連合関係ができると、それを利用して「おと」という日本語を「音」という漢字で表すことができるようになるということであり、日本語として読まれることを目的とする古代の書記様式は、漢字と日本語とのこうした関係(訓読)を前提にしており、この方法は、日本における漢字使用のごく初期にさかのぼると推測される。しかし、こういう方法では、語形まで確実に記録することが困難で、「音(おと)」には「風の音(と)の」(『万葉集』)のように「と」という形もあり、「音」には「音=こゑ」という関係もあるので、「音」は「おと」を表すのかそれとも、「こゑ」を表すのかが明確ではないのである。さらには、活用語尾や助詞・助動詞のような文法形式、固有名詞、オノマトペなども、訓読によっては表しきれず、語形が命の和歌や歌謡にいたっては、さらに問題が深刻で、語形の表示はどうしても音に頼らざるをえないのである。そういう状況の中で、漢字の表音的用法が発達した。各字の意味を無視し、「於登(音)」や「許恵(声)」のように、もっぱら日本語の音を表す方法で、この方法は、固有名詞のような語形を重視する語の表記にはじまり、やがて仮名としての用法を確立した万葉仮名が成立したのである。万葉仮名には、直接・間接に中国語音を用いた音仮名と、訓を利用した訓仮名があるが、やはり主力は音仮名で、訓仮名に先んじて常用化されている。そして、平安時代になると、万葉仮名を母体として、二つの音節文字である平仮名と片仮名が生まれた。平仮名は、もとの字母がそのまま書き崩されたので、字体はおのずから流麗になり、また、和歌や消息を伝える文字としての美しさや、仮名の文学と結びついた芸術性が追求され、さらにその字体が洗練されたのである。片仮名は、訓読に必要な様々な内容の漢文の行間に書き入れるための文字として、平安時代初期の僧侶の社会で発達し、美しさや変化より、実用性を重視した簡略化が行われたが、片仮名の「片」は完全ではないという意味であり、その名称が暗示しているように、字画を省くという方法をとっているので、字体に関しても、平仮名が曲線的であるのとは対照的に、楷書のような直線的である。

第三節 発音

日本語は世界の言語と比べ、発音の単位が少ないのである。例えば、日本語に「桜が咲く」という言葉があるが、このような言葉を日本人は仮名で「サ・ク・ラ・ガ・サ・ク」と書き、仮名を一つ一つ切って発音することができるのである。小さい子供でも「さくら」という言葉は「サ」と「ク」と「ラ」からできていることを心得ており、サクラという言葉はサのつく言葉であると言え、サクラを逆にすると、ラクサになり、また、尻取りをするとき、サクラと言うと、次の子供はラのつく言葉のラジオと答えるのである。こういうことは、日本人であれば当たり前であるが、このような一つ一つの単位のことを「音節」または「拍」と言い、サクラは三拍の言葉ということになるのである。日本語には112の拍の単位があり、この数は他の言語と比べると少なく、しかもこの112の拍の数のうち「ヒュ」や「ビュ」「ピュ」などの普段使わない拍もいくつかある。その他の言語の拍の数であると、中国の北京語は411の拍があるとされており、日本語の三倍以上もあり、またこの北京語は、数ある中国語のなかでも拍の種類は少ないとされている。英語だと少なくとも約八万の拍があるとされており、これは日本語の800倍になるのである。英語の場合、例えば、日本人は英語のdogやcatという言葉を聞くと、ドと言い、つめて、グと言うように分析されているが、英語圏の人はそうではなく、dogという全体が一つの拍であり、catというのも全体が一つの拍である。あるいは、monkey、という言葉があるが、これはmonとkeyに分かれているので二拍の単語であり、tigerという言葉はtiとgerに分かれているのでこれも二拍の単語であるが、dogやcatは一拍の単語であって、こういうのを全部数えているので、拍の数非常に多いということになるのである。このように日本語は拍の種類が他の言語と比べ、非常に少ないのであるが、世界の言語の中で日本語よりも拍の種類が少ない言語もあり、例えばハワイ語はサ行の音、タ行の音が一つもないほど、拍の数が少ないのである。しかしいずれにしても日本語は拍の数が非常に少ない言語の一つであると言えるのである。また、この拍というのは、普通いわれる母音と子音の組み合わせでできているが、日本語の拍は独特な性質を持っており、多くのものはha hi hu he ho、ga gi gu ge goのように一つの子音と一つの母音からできている。その他にhya hyu hyoのように、間に半母音が入ったものが少しあるが、どちらにしても母音で終わっており、このようなことが日本語の特徴である。日本人は慣れているので、「ハ」や「ヒ」「カ」「キ」というのが一つ一つの音の単位で、すべての言葉はそれの組み合わせである、といっても、ごく当たり前のことのように思われるが、このようなことは世界の言語を見渡しても、珍しいことなのである。また、日本語の拍の中に、コンド(今度)やタンボ(田圃)とか言うときの「ン」というハネル音と、カッタ(勝った)やハッカ(薄荷)とか言うときに使う小さい「ッ」のツメル音と、クーキ(空気)やサトー(砂糖)とか言うときに使う「ー」の引っぱる音があるが、引っぱる音であるクーキは、クの次にウがあるようであるが、「好悪」や「呼応」という例で見ると、好悪のときには「コーオ」で引っぱる音の方がオより先に来ており、「呼応」の方は「コオー」でオの方が先に来ており、引っぱる音とオとは違うということが分かるが、このようなハネル音・ツメル音・引っぱる音が日本語にはあって、これが一つずつの拍をつくっているということは他の言語にはなかなか見られないのである。例えば、トーッタ(通った)とか、アリマセンッテイッタ(ありませんって言った)というような言葉があるが、これらの言葉はツメル音が引っぱる音やハネル音の次に来ている。「ウィーンッ子」という言葉があれば、引っぱる音・ハネル音・ツメル音が並んでおり、一つ一つが拍であるということは、日本人はウ・イ・ー・ン・ツ・コと数えて知っており、このようなことは日本語のとても珍しい特徴である。

第四節 語彙

日本語や英語など、どの言語でも、言語はたくさんの単語の集まりであり、その単語の集まりを語彙と言う。現在の日本語は和語のほかに、中国から来た漢語や、欧米から来た外来語とたくさんあり、それらの言葉を使用している。例えば、同じ「家(うち)」という言葉でも、漢語で「家庭」と言い、外来語で「ホーム」と言うことができ、「知らせ」に対しても「報道」や「ニュース」と言うことができる。また、「誂え」と昔は和語で言っていたが、「注文」という漢語があり、最近では「オーダー」と外来語で言っていることが多い。こういったものを全部日本語で数えると、日本語の語彙の数は非常に多いことになる。世界の各国語をマスターする場合に、どれほどの単語を知ったらいいのか、という研究結果があり、例えばフランス語は一千語を覚えると、会話のうちの83.5%が理解できるらしく、英語でも80.5%でスペイン語でも81%である。しかし、日本語の方は一千語を覚えても、会話は60%しか理解できないらしく、日本語は英語やスペイン語、フランス語に比べ、たくさんの言葉を覚えなければならない言語であるということになる。またさらに、その研究結果の統計によると、フランス語は、五千語の単語を覚えると96%理解でき、英語でも93.5%でスペイン語でも92.5%で、日本語の場合、96%理解するためにフランス語は五千語覚えればいいのに対し、日本語は二万二千語の単語を覚えなければならないという数字が出ている。このように日本語は単語の数が非常に多いのである。

第三章 日本語のどこが難しいのか

第一節 外国人から見た漢字

ここまで、日本語のそれぞれの特徴を述べてきたが、このような日本語を海外からの視点に変えると、どのように映って見えるのか。まず漢字についてだが、中国人は当然、韓国人などは漢字を使用しているので、漢字に対して日本人と同様に何の違和感もないが、漢字を使用しない国々、特に西洋の人々にとって漢字はかなり複雑怪奇な存在であるらしい。フランシスコ・ザビエルが布教のために来日した16世紀の頃から、漢字は「悪魔の文字」と思われるほどで、現在においても漢字に対してそのような見方をしている西洋の人々は多いらしいのである。この「悪魔の文字=漢字」という説は、日本語の漢字の使用法というより、文字としての漢字そのもの、中国産の文字である漢字に対する感覚なのである。英語で「トンチンカンだ」「チンプンカンプンだ」「さっぱり分からない」と言うときには It is Greek to me(それは私にはギリシャ語だ)と言う。スラブ系の言語では、中国語だと言い、ポーランド語では「それは私には中国産だ」と言う。このように漢字は訳の分からない文字の代名詞のように言われているのである。フロイスの「日欧文化比較」の中に、言葉を取り上げた項目があり、フロイスが日本語と自分の母国語との相違として注目したのは、使用する文字の数の差であった。この指摘は、フロイスが、文字数の差を、「二十二対四十八プラス無限」と捉えていたことが分かり、この「日欧文化比較」の中で、彼が「異なった書体の無限の文字」と言っており、ザビエルとほぼ同じ時代の日本に活躍したフロイスの目にも、自分の母国語と最も相違であると感じたのが、漢字の数の多さと字体の変幻自在さであったのが、想像されるのである。

第二節 カタカナ語の存在

カタカナ語とは、外国から来た言葉をそのまま日本語として用いるようになった言葉、つまり外来語のことである。このカタカナ語が現在普及したのは、国際化と言われる時代の中で、カタカナ語を使えば、国際的であるという思いがあり、現在日本ではカタカナ語が溢れているのである。このカタカナ語が日本語を学ぶ外国人にとって、どのような存在であるのか、それは外国人が日本語で話そうとしているのに、日本人が英語のつもりでカタカナ語を使うので、かえって外国人を惑わせており、日本人のカタカナ語の使用は、新しい学習上の困難を作り出している。日本語を学ぶ外国人にとって、日本人のカタカナ語の濫用は、厄介な問題となっている。例えば、ブラジルの日系二世や三世の人々が「最近の日本人言葉は変化がはやすぎる。外来語、または流行語を知らなければ都会に住んでいる日本人と良いコミュニケーションができない。では、老人や何年か前に日本語を覚えた外国人たちはどう従っていけばよいのだろう。外来語はだいたい英語から来ているが、日本人が発音しやすいようにカタカナで書くので多少英語ができる人でも何のこと分かりにくい。このまま続くと将来、日本語はアメリカ風になってしまい、和語を失ってしまうのではないかと思う。」と言い、また別の外国の人は「日本語を勉強し始めたとき、漢字にずいぶん悩まされた。日本語にはなぜ漢字というややこしい字があるのだろうか、と散々思わされた。漢字恐怖症と言っても、過言ではないぐらい、漢字が嫌いになってしまった。ところが、五年ぶりに日本に来て、日本は以前に増して欧米化されてきたと身にしみるほど思わされた。食べ物にしても、家具にしても、以前よりも欧米化されてきたと感じたが、特に外来語の増加に驚いた。日本語よりも、カタカナの英語、つまり、ジャパナイズド・イングリッシュの勉強に努めた方が良いのではないかと思う。」と言うなど、このように困惑しているのである。英語圏の日本語学習者にとっても、カタカナ語の評判はよくないらしく、例えば、rightもlightもライトとなり、さらに、ホームと言えば、homeではなくplatformでもある、という簡略化などに、英語に精通する人は面食らうのが通常である。外国人にとっては、カタカナ語は「日本語」であって、英語やフランス語であると言われても、発音や意味用法などが原語の跡とどめていない。よって、原語を割り出すこと容易ではなく、理解するために推理を働かせることを強要する面倒な言葉であり、外国人は、カタカナ語の習得に、漢語を習うにも等しい苦労をしている。一方で日本語教師は、日本人の外来語、特に擬似的な英語であるカタカナ語の濫用の現実を前にして、かえってこのようなことをうまく活用しようとしており、英語の発音との相違は日本語の音韻の特徴を知らせる事例としたり、パソコン、マザコンなどの単純化・簡略化は、「縮み」志向と言われる日本の文化の好例として利用したりしている。このようにして、難儀を好機にして現実に日本語を教えているのが現状である。

おわりに

ここまで、日本語の特徴と難しさについて述べてきたが、日本語の難しさと一言でいっても、難しいか否かはその人が話している言語によって違ってくると思う。例えば、英語をはじめとするフランス語やスペイン語などを話している西洋圏の人々にとっては、日本語の文字はアルファベットに比べ、莫大な数の文字があるし、文法面においても色々と違っており、日本語と接点がある部分がないので、とても難しく感じるだろうと思う。しかし中国の人にとっては、漢字は自分たちが使用している文字だから、日本語とは文法の違いがあるにしても多少馴染みがあるだろうし、韓国の人にとっても漢字は頻繁にではないが日本と同じく使用しているし、文法面においても日本語と似ている部分が多く、日本語との接点があるので、簡単とまでは言えないが、西洋圏の人々よりかはある程度馴染みやすく感じ、日本語の上達も早いのではないかと思う。いずれにせよ、第二章第二節で述べたように日本語は漢字、平仮名、片仮名と複数の種類の文字を使用するので、それは世界中どこの国の人々の視点からでも難しいのではないかと思う。特に漢字は数が莫大に多く、音読と訓読と複数の読み方があり、さすがに漢字を使用している中国の人も困惑するだろうと思う。このように日本語はややこしい部分が多々あるが、日本語を習得しようとする人々がこれからも増えて欲しいと思う。

参考文献

山口 明穂、鈴木 英夫、坂梨 隆三、月本 雅幸・著『日本語の歴史』(東京大学出版会、1997年)

金田一 春彦・著『日本語の特質』(日本放送出版協会、1991年)

松井 嘉和・著『外国人から見た日本語』(日本協文社、1992年)

北原 保雄・著『概説日本語』(朝倉書店、1995年)

加藤 彰彦、佐治 圭三、森田 良行・著『日本語概説』(桜楓社、1989年)

工藤 浩、小林 賢次、真田 信治、鈴木 泰、田中 穂積、土岐 哲、仁田 義雄、畠 弘巳、林 史典、村木 新次郎、山梨 正明・著『日本語概説』(ひつじ書房、1993年)