薬物大国・日本

目次

はじめに

第1章〜薬物とは

 1−1 薬物乱用、依存、中毒の概念

 1−2 薬物の種類

第2章〜薬物汚染の歴史と変遷

 2−1 薬物汚染の起源

 2−2 戦前の薬物汚染

 2−3 戦後の薬物汚染

第3章〜薬物汚染の実態

 3−1 国内の汚染状況

 3−2 国外の汚染状況

 3−3 薬物汚染が日本で広まるまで

第4章〜薬物依存治療

 4−1 国内治療機関

 4−2 海外治療機関

第5章〜法的対策と社会的対策

 5−1 薬物取締法

 5−2 社会復帰のための法規と行政の対応

おわりに

参考文献・参考HP

はじめに

 私が薬物に対して強い関心を抱くようになった一番の要因は『身近な存在だから』である。そして、身近な存在である薬物の怖さを教えてくださったのが、薬物依存患者のケアを専門に行っている先生である。この方の講演を拝聴してから、私は薬物に対して真剣に考えるようになった。 薬物が人体にどんな影響を与えるのか、また周りの環境にどの様な影響を及ぼしていくのかを検証すると共に、私たちが出来る事は何か、をこの論文を通して考察していく。

第1章〜薬物とは

1−1 薬物乱用、依存、中毒の概念

 「薬物」の概念とは、私たちの身近なアルコール、タバコをはじめ、シンナー等の精神に作用する薬物を指す。

 まず、乱用、依存、中毒のそれぞれの意味を順を追って説明していく。

 薬物乱用とは、社会的、法的に認められていない方法や目的で薬物を摂取し、その結果、生活上に何らかの支障をきたす事である。法律で認められていない薬物の使用はもちろん、未成年者の飲酒や喫煙も乱用となる。また、医師の指示に従わず睡眠薬や鎮痛薬を多量に服用する事もこれに当たる。

 

 次に、薬物依存とは、精神作用物質を反復使用することにより、止めようと思っても身体的・精神的に止められない状態に陥ることである。この状態は身体依存と精神依存とでは症状が異なってくる。

 身体依存とは薬物使用を中断すると、離脱による身体症状や精神症状を生じてしまう状態のことである。この状態を詳しく説明すると、耐性(薬物を利用しているうちに段々と量を増やしていかなければならない事)が上昇すること、退薬症候群が出現し、さらに、退薬症候群を軽減化、また、予防する為に物質の再摂取が行われたりすることなどである。

 次に、精神依存では、単純に「薬物が欲しい」という強い渇望、欲望が生まれることである。薬物依存患者は、我々が客観的に判断し、異常が見られない人でも、薬物依存に陥っていないとは限らない。精神依存のケースがある限り、身体依存症状だけで薬物依存かどうかを判断する事は難しいのである。

 最後に、薬物中毒とは精神に働く薬物や物質を摂取することにより、意識の変化、認知や視覚、感情や行動面、あるいはそのほかの精神生理機能の障害が一過性に生じた状態である。

 これは主に、急性中毒と慢性中毒に分けることができる。急性中毒とは、人体の許容量を越える量(中毒量)の摂取によって生じるもので、原因物質の薬理作用に特有の症状が見られ、通常は薬物の排泄によって症状が無くなるとされている。アルコールなどを一度に多量に摂取する場合に起こる急性アルコール中毒が代表例である。慢性中毒とは、薬毒物の継続的摂取により生じるもので、摂取を中止しても症状が快復せず、時には次第に悪化することもある。また、原因物質の種類によっては急性中毒の症状が後遺症として慢性中毒に移行することもあり、なかなか中毒症状から抜け出せない患者が多い。飲酒によるアルコール依存症、覚せい剤による幻覚妄想状態などがこれに当たる。

1−2 薬物の種類

 乱用薬物とされるのは多種多様であり、いくつかのカテゴリーに分類する事ができる。乱用薬物を取り締まる法律によると以下の様に分けられる。

@『麻薬及び向精神薬取締法』に規定する麻薬と向精神薬および『アヘン法』に規定するアヘン

A『大麻取締法』に規定する大麻

B『覚せい剤取締法』に規定する覚せい剤

C『毒物及び劇物取締法』で規制されるトルエンやシンナーなどの有機溶剤

Dアルコールや『未成年者喫煙禁止法』で規制されるタバコ

E医療目的外の向精神薬

など6つに分類される。これらの薬物を取り締まる法律については第5章で詳しく解説していく。

 さて、上記に挙げた薬物の中で麻薬というものは、脳に作用する物の中でも様々な種類があり、大きく3つに分類できる。

@「中枢神経刺激作用」を有するコカイン、覚せい剤、私たちの身近なもので言えばタバコやアルコールなどもこれに当たる。

A「中枢神経抑制作用」を有するヘロインやモルヒネ、およびペチジン(合成麻薬)、睡眠薬や鎮痛薬など。これら睡眠薬や鎮痛薬は一見普通の医療薬だが、過剰摂取する事により、向精神薬取締法に当たるので十分に危険な薬物に当たる。

B「精神異常発現作用」を有するマリファナ、幻覚剤のLSD、MDMA、マジックマッシュルームなど。わが国では現在76成分とその塩基が麻薬として規制対象となっている。

第2章〜薬物汚染の歴史と変遷

2−1 薬物汚染の起源

 日本における薬物汚染の歴史は、第二次世界大戦後の1945年後半から本格的に始まったとされている。歴史的にみると、1858年の日英通商条約において、江戸幕府がアヘンの禁止政策を打ち出した事からも分かるように、江戸時代の後半からアヘンなどの密輸や乱用は存在した。しかし、それは、あくまでもごく限られた人たちの間での問題に過ぎなかった。つまり、まだ薬物はそれ程蔓延してはいなかったのである。また、わが国の薬物汚染の歴史は、他の国と比べると非常に短い。その最大の理由は、日本には自生するケシ・大麻・コカなどの薬物の原料となる植物が存在しなかったからだ。タバコですら、コロンブスが新大陸アメリカからヨーロッパに持ち込み、それをポルトガル人が戦国時代末期に日本に持ち込むまで存在しなかったとされている。島国という地理的な好条件と、江戸時代の海外貿易に対する厳しい管理体制(いわゆる鎖国体制)が、日本を薬物汚染から守ってきたからともいえるだろう。

2−2 戦前の薬物汚染

 日本の第一次薬物汚染期は、戦時中大量に生産され保管されていた覚せい剤が戦後の混乱の中で流出した事が発端とされている。戦争中、覚せい剤は意識を高揚させ、恐怖感を取り除く薬として特攻隊の飛行士に用いられたり、眠気を取り除き集中力を増進させる薬として軍需産業の労働者に与えられたりしていた。そのため、これは「特攻錠」と呼ばれたりしていた。この覚せい剤こそが、戦後、「ヒロポン」などの商品名で一般に市販されるようになった。これを使用すると、気分が快調になり、作業意欲増進や睡眠防止をもたらしたため、地方にまで広く普及してしまった。しかし、精神的不安感や頭痛・不眠などの副作用を伴う。さらに、やっかいな事に禁断症状などをもたらす身体依存性がほとんど無い一方で、精神依存性が非常に強く、再度の使用を求める強い渇望感があるため、常用して依存症に陥りやすい薬物なのである。

 この「ヒロポン」が、一般の薬局で安価に市販されていたために、学生や勤労青少年など多くの若者たちに「眠くならない薬」「疲れのとれる薬」として広まっていった。その結果、「ヒロポン」の依存症に陥る青少年が激増し、これを原因のひとつとする青少年犯罪が多発したため、政府は1948年に覚せい剤を劇薬として指定した。1950年には、覚せい剤の販売・誇大広告・製造の制限を決定したが、何の効果もなく、ついに1951年覚せい剤取締法を制定した。しかし、乱用者は増加し続け、1954年には、年間検挙者数5万5千人、覚せい剤の推定使用経験者数200万人、推定依存症者数20万人という事態を迎えてしまったのである。しかし、その後、覚せい剤取締法の改正による罰則強化と、全国的な精神衛生活動が展開されたことによって、覚せい剤の乱用という危機的状況を乗り越えることができた。

2−3 戦後の薬物汚染

 明治維新以降、海外との交流が盛んになると、薬物は厳しい規制の網をかいくぐって、日本へと流入し始めた。それでも、明治・大正・昭和初期には、国家主義的体制の中で、一般人が外国に自由に渡航する事は難しく、薬物の国内への流入は厳しく抑えられてきた。

 しかし、1946年頃から薬物による収益の大きさに目をつけたのが暴力団であった。そして、その後の薬物汚染の中心に存在したのはほとんどが暴力団となり、最初は、旧日本軍病院で保管していたモルヒネが暴力団関係者の手に渡り、それが密売されていった。ついで、台湾を中心に、アジア地域からのヘロインの密輸が本格化していった。この時期の麻薬、すなわちヘロインは、暴力団からは「ヤク」と呼ばれていた。こうして、戦後の荒廃と社会的混乱の中で希望を失った多くの都市部の青壮年の間に汚染が広がっていった。

 ヘロインは、主にケシの実から抽出されるアヘンを原料として精製される。猛烈な依存性を持ち、短期の使用でもすぐ薬物依存症に陥り、薬物の効果が切れると、激しい禁断症状を引き起こす薬物である。この暴力団によるヘロインの密売と乱用の広がりは、1960年ごろから社会問題となり、1962年には国家問題として国会でも大きく取り上げられ、翌年、麻薬関係法の一部改正による罰則強化が行われた。それと同時に警察による暴力団への集中取締りが行われた結果、1965年にはこの薬物汚染期は急速に終息していった。

 また、ヘロインの乱用と相前後して、薬局で市販されていた「ハイミナール」などの睡眠薬や「ナロン」などの鎮痛薬の乱用も始まった。これらの薬物は、薬事法における劇薬の指定は受けていたが、一般の薬局で広く販売されていたため、入手は容易だったのである。その効果は、不安感を取り除き、多幸感や陶酔感を使用者にもたらす。しかし副作用として注意力の低下や無気力の状態をもたらし、通常の日常生活に大きな影響を与える薬物だった。こうした副作用のため、その汚染は一部の学生や生徒にしか広がらなかった。当然、乱用した多くの人は、精神に異常をきたし、廃人となったため、これに対して、政府は薬事法を改正し、このような薬物を「要指示薬品」に指定して販売規制を行い、乱用を抑え込む処置を施した。

 1967年になると、薬物汚染の状況はそれまでとはまったく違った様相を見せるようになる。シンナー、トルエンなどのさまざまな名称で呼ばれる有機溶剤を吸引する若者が大量に出てきたのである。この有機溶剤の吸引は、ヨーロッパで始まり、アメリカを経てきたものである。この有機溶剤の乱用は、日本でも多くの中毒者や死者を生み出した。また、その精神に対する副作用からさまざまな暴力問題や犯罪を誘発した。当時流行した「シンナー遊び」は、大きな社会問題となり、1972年にようやく「毒物及び劇物取締法」が改正され、シンナーなどの有機溶剤の販売や乱用が厳しく規制されるようになった。しかし、現在でも青少年によって最も乱用されている薬物はシンナーである。青少年の覚せい剤乱用者も急増しているが、乱用者数や検挙数・補導数は、未だにシンナーの方が圧倒的に多いのである。

 1970年以降は、覚せい剤、幻覚剤(マリファナ・LSD)、コカインなどの乱用が始まり、多くの種類の薬物がより安価で供給される時代となった。 このように社会環境の変化に伴い、乱用の様態も変化してきている。一つの薬物が蔓延し、それに対抗する法律が作られても次々と海外から別の薬物が持ち込まれ蔓延する状態になっている。現在ではほとんどの薬物に対して厳しく取り締まっているようだが、もっと早くから海外の薬物事情を集め、日本に流入する前に法で規制する事は出来なかった事は問題である。また、薬物で現実逃避をせずにすむ社会を構築する必要も強まってきている。

第3章〜薬物汚染の実態

3−1 国内の汚染状況

 近年の薬物汚染の社会・環境要因はどうなっているのであろうか。状況は著しく改善に向かっているとはいえない。高度経済成長期の工業化社会から、ここ10年ほどで急激に情報化社会へと移行しつつある。現在では、非合法薬物を入手する場合、携帯電話やインターネット、メールなどの手段が主流となり、路上でこれら非合法薬物、違法商品を販売することは減少した。現在、非合法薬物は、大麻から覚せい剤へと移行しており、高校生などがインターネットなどを通じて遊び気分で購入するケースが多く、その対応を迫られている。 全国の精神科医療施設における薬物関連疾患の実態調査によると、人々は実に多様な手段で薬物を入手している。例えば、日本のほとんどの家庭にあるであろうインターネット。日本での薬物取締りが厳しくなると、インターネットで海外から非合法薬物を購入し、司法のチェックをくぐり抜けることが可能である。現在は、これら海外からの密輸に対して厳格な対応が必要な時代となっている。

 1955年ごろから現在に至るまでの薬物汚染には、主に3つの原因が挙げられる。

 まず、第一の原因は、暴力団の主要な資金源としての薬物、特に覚せい剤密売への依存度が非常に高くなった事である。1990年代に入って「バブル経済」が崩壊し、1992年の「暴力団新法」の制定、翌年の一部改正により、警察が積極的に総会屋問題、民事介入暴力などの取締まり強化を始めると、暴力団は急速に資金源を失っていった。主要な資金源を「暴力団新法」によって封じ込められた暴力団が、薬物、特に覚せい剤の密売から得る収益への依存度を高めていったのは、自然の成り行きだった。現在、日本に密輸されている覚せい剤の総量は40トン前後とされている。

 第二の原因は、日本に密輸される覚せい剤の量の激増と、それによる密売価格の価格破壊とも言うべき低下である。密輸ルートが国際化し、暴力団だけではなく、外国人組織が台頭し始め、独自に覚せい剤の密輸を始めた。これによって、大麻が流行した1980年代と比べてはるかに大量の覚せい剤が日本へ密輸されることになった。さらに、今では3割程度の価格で購入できるようになった。そのため、新たに10代から20代の年齢層でも手が届くようになったため購入者が激増したのである。

 そして、第三の原因は、1994年ごろから始まった不法滞在外国人による「路上での密売」である。当時、彼らは「偽造テレカ」を中心に密売をしていた。しかし、暴力団が資金難から覚せい剤に依存するようになり、その密売のために、できるだけ多く不法滞在外国人に覚せい剤を流用し始めた。

 外国人密売者たちの多くはイラン人で、彼らは2つの手口を考案したといわれている。 1つは、「あぶり」と呼ばれる新しい覚せい剤の使用法を広めたことである。それまで、覚せい剤は「ポンプ」と呼ばれる、注射で血管に入れる方法は主流だった。ところが、彼らはアルミホイルやガラスの器に覚せい剤を入れて、ライターであぶり、その気化した蒸気を吸引するという新しい使用法を、若者たちに広めていった。この手軽で簡単な使用法が受け、注射に抵抗があった若者がどんどん引き込まれていった。

 もう1つは、覚せい剤に「スピード」、「エス」、「やせ薬」などの新しい名前をつけた事である。覚せい剤に恐怖感を感じる若者も、これらの名前に惹かれ乱用し始めた。若者たちは、それを定期的に使用するようになるために多額のお金を必要とした。そのため、風俗で働く者や、売人になるなどして金を稼ぐ若者が出てきた。こうして、薬物、特に覚せい剤が、地域社会や学校内へと広がっていった。若者たちは、多くの場合、集団で行動するため、そこに薬物が流入した場合、大人の場合と違って、あっという間にその集団の中で乱用が伝染していく。すなわち、彼らにとって薬物乱用は非常に感染力の強い「伝染病」となったのである。これが、当時の汚染期の怖さである。

3−2 国外の汚染状況

 薬物の乱用は、世界のほとんどの国や地域で悪化の一途をたどっている。現在、世界で広く乱用されている薬物の乱用状況は各国によって様々である。

 世界で最も広く乱用されている薬物は大麻で、その乱用経験者数は世界の総人口の約2%に達するといわれている。特に、イギリスを中心としたヨーロッパ諸国や米国、カナダ、オーストラリア、ラテンアメリカやカリブ海諸国で乱用率が高まっている。また、その他多くの薬物、例えば、コカイン、ヘロイン等はアメリカ、オーストラリアを中心として広まっているが、まだ世界的に広まっている傾向ではない。

3−3 薬物汚染が日本で広まるまで

 わが国で乱用される薬物のほとんどが海外から密輸入されたものである。主なルートは、1970年代が韓国からのルート、1980年代が台湾ルート、1990年代が中国ルートと変遷していて、最近では新たに北朝鮮からのルートもできているようだ。

 大量の薬物の密輸方法には、2タイプあり、運搬船と引取船が洋上で接触して直接授受を行い、運搬船が浮体付きの薬物を海上に投下した後、引取船が回収する「洋上取引」や、改造したコンテナや家電製品、生鮮食品などの輸入貨物に薬物を隠して持ち込む方法などがある。また、いわゆる「運び屋」がカバンやスーツケースに隠す、体に巻き付ける、袋ごと飲み込むなどして飛行機で密輸する方法や、国際宅急便などの航空貨物船を利用した小口密輸入も見られる。

日本に持ち込まれた後、国内の密売では暴力団が中核的な役割を果たしている。彼らは国際的な薬物犯罪組織と結びついて、薬物を密輸入し、国内で組織的に密売している。また、外国人密売組織も覚せい剤を含めあらゆる薬物を扱っている。街頭販売のみならず、郵便で薬物を送るといった、非対面方式の密売も目立っている。

第4章〜薬物依存治療

4−1 国内治療機関

 薬物をインターネットなどから簡単に入手できるようになってから、アルコール、薬物の乱用・依存になる人が増えてきている。薬物乱用・依存の問題は患者個人だけでなく、社会的にも深刻な問題である。また、患者自身だけでなく周囲の家族にも大きな影響を与えることから、薬物乱用・依存の治療には家族の理解と協力が不可欠である。この依存の治療には次のような段階に分かれる。

 第一段階は、患者に薬物乱用や依存が病的な状態であるという理解を持たせ、治療への動機付けを形成することである。患者は自らの心配や悩み事を棚上げして、薬物を使用することによって現実から逃避し、その結果、依存へと至る場合が多い。そのため、自己の状態が病気であるという認識に欠け、治療に対する意欲が見られないことが珍しくない。そのため、この患者の治療についての動機付けが、治療の成否の鍵を握る非常に重要なポイントとなる。

 第二段階は、薬物を断ち、それに伴って生じる身体・精神症状を改善する時期である。薬物治療の目的は、まず薬物を摂取するに至った生活から脱却することにある。しかし、必ずと言っていいほど、薬物を断つことによって、不安、不眠、イライラ感、集中力低下、時には発作や痙攣などの離脱症状が発症する。これらの症状に対しては、抗不安薬や抗精神病薬により治療するが、重症の場合は入院治療も必要となるため、重症患者であればあるほど大変辛い時期となる。

 最終段階として、患者自身が、依存に対する洞察を深め、断薬の継続を維持することである。治療方法としては、同じ悩みを持った人たちが集まる自助グループによる集団精神療法が一般的である。そして、慣れてくると、社会から孤立していた患者が共感を抱き、メンバー同士に仲間意識が生まれるようになり、同じ目標に前向きに取り組むようになる。これらのことは、治療的、社会的にも大きな意義を持つのである。

 このアルコールや薬物をやめたい人たちの自助グループが日本にいくつかある。代表的なのは、AA(Alcoholics Anonymous)や、NA(Narcotics Anonymous)、そしてDARC(Drug Addiction Rehabilitation Center)などがある。このような自助グループの援助により、断酒、断薬の生活を固めた上で、自分が一体なぜこのような状態に陥ったのかを見い出すことが大切である。いずれの薬物の場合でも、少なくとも約1ヶ月間の入院期間が必要である。その間に向精神薬病と呼ばれる種類の精神安定剤(脳の中で覚せい剤と反対の薬理作用を呈する)を投与して精神病症状を抑え、断薬当初の苛立ちや興奮を鎮める。また、依存症者自身が当初から確かな断薬意思を持っている場合、入院が不要で、通院だけで治療が維持されることもある。

4−2 海外治療機関

 薬物依存による精神症状が改善しても、薬物依存状態から脱出できたわけではない。したがって、薬物依存を取り巻く生活環境や人間関係などに対するアプローチが必要になる。わが国においても、薬物依存の専門家から相談対応機関、福祉対応機関、社会復帰施設や自助組織のネットワーク構築の必要性が叫ばれている。この点について最も整備されているのがアルコール依存者に対するものである。しかし、他の薬物については皆無と言っていいほど整備されていないのが現状である。 

 このように、日本は薬物依存者に対する治療システムの構築は遅れているが、世界的には患者たちが共同生活を通して社会適応能力を身につけ、依存から回復していく「治療共同体」が整備されている。

 治療共同体は、薬物依存からの回復程度を3段階に分けられた依存患者と薬物依存を完全に克服したスタッフで構成されている。これらの人々が入寮制の社会復帰施設を共同運営する仕組みである。

 薬物依存者たちが、スタッフによる指導の下、毎日の家事と各種ミーティングを含む様々なプログラムからなる日課を、お互い協力しながら自主的に行う。多くの日課は患者の程度により、最も単純な役割や仕事から複雑で高度なものに割り振られる。そして、患者が与えられた役割や仕事をこなすことによって、1つずつ階級や役割が上がっていくシステムになっている。その結果、共同構成員である患者の自己意識と他人に対する相互の責任感が増強されると共に、社会生活に必要な種々の技術を習得し、社会適応能力を身に付けていく様になっている。今日では、患者の必要性に応じて多様化し、プログラムも工夫されてきており、例えば外来治療も行われる為、AIDS患者に対するものにも応用されている。

第5章〜法的対策と社会的対策

5−1 薬物取締法

 全ての医薬品の製造、輸入や販売は、薬事法で規制されているが、乱用薬物についてはさらに厳しい取締法が存在する。また、工業薬品であるシンナー(有機溶剤)は別途に毒物及び劇物取締法によって規制されている。現在正規に販売されている薬は、いわゆる市販薬と医師の処方が必要な薬とに分けられている。

 薬物乱用問題に対し、わが国は、「麻薬及び向精神薬取締法」、「大麻取締法」「アヘン法」、「覚せい剤取締法」により、厳正に対処してきた。これら4つの法律がいわゆる薬物4法で,これらの4つの国内法は国際的な3つの条約(1961年条約、1971年条約、1988年条約)の内容を満たすものである。さらに昨今、薬物の不正取引は、国際化・組織化の度を強め、不法収益の獲得を目的として行われる色合いが強くなってきており、わが国においても、国際的な薬物乱用拡大の動きを反映して、コカイン事犯、ヘロイン事犯及び大麻事犯が急増している。こうした動きに対応するため、さまざまな法改正がなされた。そして、この薬物4法に「国際的な協力の下に規制薬物にかかる不正行為を助長する行為などの防止を図る為の麻薬及び向精神薬取締法等に関する法律」を加えたものが、いわゆる薬物5法である。

5−2 社会復帰のための法規と行政の対応

 薬物中毒や依存症に関係する法律は、主に3種類に分かれると考えられている。違法薬物それぞれの使用に対して、罰則や刑罰が決められているため、覚せい剤、麻薬使用は10年以下の懲役刑、シンナーなどの有機溶剤は1年以下の懲役刑、または50万円以下の罰金刑と言う具合である。

 次に、厚生労働省の事業を見ていく。現在、厚生労働省では、薬物問題に対して、主に2つの取り組みがおこなわれている。まず、第一に国立精神・神経センターを設立したことである。薬物依存・乱用患者に対して、一般の精神病院ではいまだ対応が困難なため、厚生労働省では、さらに質の高い治療が提供できるように専門的治療や相談支援の普及を実施している。

 第二には、各都道府県や政令指定都市に設置されている精神保健センターの活動である。ここでは、各種精神保健・福祉に関する相談の中で、住民からの具体的な薬物乱用に関する受診や社会復帰に関する相談に対応している。そのほか、各種イベントや講演会などを通じて、薬物乱用についての予防的な啓発活動も行っている。2003年における保健所での薬物に関する相談件数は、4578件、精神保健福祉センターでは4321件で、合計8899件となっている。

 次に、文部科学省の事業を見ていく。1998年に薬物乱用対策推進本部が「薬物乱用防止5ヵ年戦略」を策定したが、いまだに覚せい剤乱用期が持続し,合成麻薬などの新たな薬物乱用が広がっている。

 これらの状況を踏まえて、2003年に、文部科学省は新たに「薬物乱用防止新5ヵ年戦略」を策定して,青少年による薬物乱用を防ぐことを目標として関連施策の充実を図っている。第一に、学校教育の中で、児童生徒に対して薬物の危険性や有害性についての教育を行い、薬物乱用防止教育を実施すること。第二に、厚生労働省と連携し、児童生徒の薬物に対する意識や、薬物乱用の実態について、定期的に調査・分析を実施すること。また、青少年に対する広報啓発活動を積極的に行っていくというものである。この実効性がどの程度か、今後十分に追跡調査していかなければならない。

 最後に、警察の対応についてである。わが国での薬物乱用関連の最高刑は、営利目的による覚せい剤やヘロインの密輸入及び製造に対しては、無期懲役となる。しかし、日本を含むアジア諸国では、このような薬物を個人的に使用することも厳しく取締まっているのに対し、ヨーロッパ諸国や米国では、個人の薬物使用は規制の対象としていない点で大きく異なっている。

 警察は,「薬物供給の遮断」、「薬物の需要の根絶」、「国際協力の推進」をスローガンに、薬物対策に取り組んでいる。しかし、法制度が異なっているため、薬物取締まりの国際協力は、非常に困難であり、調整する必要がある。

 そして、薬物の供給を遮断するためには、薬物の流入を水際で阻止し、密輸や密売に関係している薬物犯罪組織を壊滅することが重要である。そのため、外国の取締まり機関や海上保安庁、税関、入国管理局などの国内関係機関との連携を強化し、コントロールデリバリー(泳がせ捜査)などの効果的捜査手法を実施している。

 逆に、薬物の需要を根絶する対策としては末端乱用者の検挙を徹底すること、関係機関、団体、学校などへの広報啓発活動を実施している。 また、薬物の不正取引は一国のみでは解決できない問題であることから、国際協力機構(JICA)が2002年から実施している「薬物対策地域協力プロジェクト」に薬物専門家を派遣することや、海外の取り締まり機関などと協同した捜査を行なわれている。

おわりに

 薬物というのは実にさまざまな種類があり、それぞれの薬物に適した対処法があることを改めて知った。薬物によって引き起こされる犯罪や周りの環境にかける被害などを考えると、自分だけが苦しい思いをするのではなく、必ず周りも巻き込んでしまうことが分かった。大事なのは、どんなに興味があっても薬物に一回でも手を染めない事である。統計では10人薬物を使用した場合、実際依存してしまうのは2〜3人という結果が出ている。しかし、確率が低いからといって自分が依存しないという保障はどこにも無い。日本の未来の為には、タバコも完全に使用禁止となる法律を打ち出すべきだと思う。今後は、なぜ薬物に頼る人々がいるのかという点を考えていきたい。

参考文献・参考HP