裁判員制度の行方


法学部政治学科  恩田 洋

目次

はじめに
第1章 裁判員制度のしくみ
(1) 目的
(2) 裁判員制度の対象事件
(3) 裁判体の構成
(4) 評議および評決
(5) 裁判員の選任
第2章 裁判員制度の疑問点
(1)裁判員の意見は反映されるのか
(2)裁判官と裁判員の情報格差
(3)全員一致ではない
(4)刑事裁判は改善されるか
第3章 市民の不安
(1)精神的な負担
(2)「やりたくない」は通用しない
(3)裁判終了後の守秘義務
第4章 陪審制と参審制
(1)陪審制度について
(2)参審制度について
(3)陪審制と参審制の比較
(4)世界から見た裁判員制度
第5章 裁判員制度の理想の姿
 終わりに
参考文献

はじめに

 2009年にスタートされる裁判員制度。20歳以上の有権者が選ばれる対象になります。当然私も選ばれる可能性があるので、この新しい市民制度は他人事ではありません。「もし、自分が選ばれたら、どうしよう・・・」と不安に思ったことがきっかけで、今回「裁判員制度」について論文を書くことに決めました。
 すでに裁判員制度の開始まで、3年を切っています。しかし、この制度はわからないことだらけであり、きちんと国民に説明されていません。そもそも「裁判員制度」とは何なのか、一体何が目的でこの制度は施行され、本当にこの制度はうまくいくのか。
 今回の論文ではこれらのことを分析し、また、この将来の制度の理想の姿を考えてみたいと思います。

第1章 裁判員制度のしくみ

(1) 目的
 裁判員制度は、国民に裁判に加わってもらうことによって、国民に司法に対する理解を増進し、長期的にみて裁判の正統性に対する国民の信頼を高めることを目的とするものであり、現在の刑事裁判が基本的にきちんと機能しているという評価を前提として、新しい時代にふさわしく、国民にとってより身近な司法を実現するための手段として導入されたものである。
 また、裁判員制度の導入は、刑事裁判が抱える問題を解決する推進力となることも期待されている。現行の刑事裁判は、審理に時間がかかり長引く事件が少なからずあり、また、誤審をなくし真相の解明を志向するあまり、審理・判断が厳密になり、法廷の証言よりも捜査の記録を採った書類に依存してしまう可能性が高くなりがちである。また、被告人による自白が重要な証拠であるため、被告人の自白をとるためによる行き過ぎた捜査が問題になっている。裁判員制度は、このような刑事裁判の問題点を解決するため、連日開廷して集中審理を実現し、直接主義・口頭主義の実質化、言い換えれば書証依存体質からの脱却を推進する力となると期待されている。さらに、裁判員が判断しやすいように、捜査の透明化の声が強くなっている。
 このように、裁判を職業としない一般の国民に参加してもらうのであるから、審理に長期の時間をかけるわけにもいかなくなる。また、法律の専門家ではない一般の国民に、証拠書類の詳細な読み込みを期待することはできないから、必然的に公判廷で見て聞いているだけでも心証を形成できるような審理に変えていかざるを得ない。

(2) 裁判員制度の対象事件
 裁判員制度の対象となる事件は、法定刑に死刑または無期刑を含む事件と、法定合議事件のうち故意の犯罪行為で人を死亡させた事件という、国民の関心が高い重大事件である。もっとも、裁判員に過度の負担を負わせるのを避けるため、裁判員やその親族等に危害が加えられるなどのおそれがあって、裁判員の職務の遂行ができないような事情がある場合には、対象事件から除外される。対象事件には当たらない場合であっても、対象事件と併合されると、対象事件となることがある。非対象事件が訴因変更によって対象事件となった場合には、それ以降もちろん対象事件となるが、逆に、対象事件が訴因変更によって非対象事件となった場合は、対象事件として審理を継続することもできるし、裁判官のみによる審理とすることも可能である。なお、被告人が公訴事実を認めるか否かによる区別は設けられず、また、被告人に裁判員の関与した裁判体によるか、裁判官のみの裁判体によるかを選択する権利も認められていない。

(3) 裁判体の構成
 対象事件を取り扱う裁判体は、裁判官と裁判員によって構成される。基本的には裁判官3人と裁判員6人の合議体であるが、例外的に、公訴事実に争いがなく、事件の内容等に照らし適当であり、当事者にも異議がない事件については、裁判官1人と裁判員4人の合議体で審理・裁判することができるとされている。なお、必要な場合には補充裁判員が置かれる。裁判員は裁判官とともに、事実の認定、法令の適用、刑の量定を行うが、その他の判断、すなわち法令の解釈、訴訟手続きに関する判断等は、基本的に裁判官のみが行う。そのため、裁判員が判断に関与する事柄の審理は裁判官と裁判員で行い、裁判員にも証人等に対する質問権が認められ、他方、法令の解釈などのように裁判官のみが判断する事柄の審理は、裁判官のみで行うこととなる。

(4) 評議および評決
 裁判員の関与する判断のための評議は、構成裁判官と裁判員が行うが、裁判長は、必要な説明を丁寧に行い、分かりやすく評議を整理し、裁判員の発言する機会を十分に設けるなど、裁判員が職責を十分に果たすことができるように配慮しなければならない。評決は、基本的には単純過半数で決められるが、構成裁判官または裁判員のみによる多数では被告人に不利益な判断をすることができない。

(5) 裁判員の選任
 裁判員は、衆議院議員の選挙権を有する者、すなわち20歳以上の国民の中から無作為抽出の方法で選ばれた候補者を母体として選任される。その候補者の中で、制度の趣旨から裁判員となることが相当でない者、すなわち欠落事由・就職禁止事由・不適格事由(後述)に該当する者は除かれる。また、国民に過大な負担を強いることはできないため、辞退の申し立てをした者の中で、裁判所が辞退事由に当たると認めた者も除かれることになる。

第2章 裁判員制度の疑問点

(1) 裁判員の意見は反映されるのか
 第1の裁判員制度の疑問点は、市民から選ばれる裁判員と職業裁判官との間には溝があり、これをうめることが困難ではないかということである。権威的な裁判官は、法律を知らない裁判員を低く見る傾向があり、リードしたり影響を与えたりしないか、ということが指摘されている。裁判官の考え方が裁判員に押し付けられた場合、法律に素人で実務経験もない裁判員は専門家である裁判官に反論し、自分の考えを主張することは困難と思われる。裁判官1人と裁判員11人の模擬裁判でさえ、一人の裁判官が与える影響が大きいことが報告されている。

(2) 裁判官と裁判員の情報格差
 裁判員制度を前提として「公判前整理手続き」が2005年から始まっている。裁判員の負担を軽減するために連続的開廷が要求され、そのためにあらかじめ検察側・弁護側双方が請求する証拠を出し合って公判前に争点を整理し審理計画を作ることを目的としてできたものである。ここで問題なのは、公判前整理手続きを担当する裁判官と公判で裁判員と一緒に評議する裁判官が同じであることである。このために、公判前整理手続きで証拠に触れた裁判官と何も知らない裁判員との情報の格差が生じる可能性が高いのである。これでは、対等な評議は望めるかという不安が存在する。

 ・公判前整理手続き
 裁判を職業としない一般の国民に裁判員として参加してもらうためには、集中的な審理を、短期間に、しかも計画的に行う必要がある。審理期間が長期になれば、裁判員の本来の職業や家庭等に過大な負担を及ぼし、出廷困難な事態の生じる可能性が高まる。また、従来のように期日と期日の間隔があければ、前に取り調べた証拠に関する記憶が薄れてしまう。そうであるからといって職業裁判官のようにその都度記録を精査し直すよう求めることもできず、判断者としての実質的関与が困難になる。このような理由から、充実した迅速な審理が不可欠であるため、裁判員制度対象事件については、公判前整理手続きに付さなければならないとされている。公判前整理手続きは、本法と併せて成立した刑訴法等一部改正法によって新設された制度であり、証拠開示の拡充を図ることにより、両当事者に主張を尽くさせて争点を確定し、公判で取り調べる証拠を決定し、明確な審理計画を立てるための手続きである。

(3)全員一致ではない
 裁判員法の事実認定に関する評決は、「構成裁判官及び裁判員の双方の意見を含む合議体の員数の過半数の意見による」(67条1項)とあり、裁判官三人と裁判員二人でも有罪の評決をすることができる。このような制度は、相当問題をはらんでいる。これでは「合理的疑いを超えた」立証はできるのだろうか。ちなみに、他国でおこなわれている陪審制度では被告人を有罪とするには、全員一致が不可欠である。

・合理的な疑問を残さない程度の証明
 刑事裁判で、被告人を有罪にするためには、良識に照らして疑問の余地がない確信できる程度の証明(合理的な疑問を残さない程度の証明)がなさらなければならない。

・無罪の推定
 刑事裁判で有罪が確定されるまでは「罪を犯していない人」として扱わなければならないとする原則である。この原則は、日本国憲法31条で保障されているほか、「世界人権宣言」第11条1項、「市民的及び政治的権利に関する国際規約(国際人権B規約)第14条2項に定められており、刑事裁判の大原則として、国際的に承認されている。

(4)刑事裁判は改善されるか
 日本の刑事裁判の問題点は、自白偏重の裁判が行われていることである。被疑者(被告人)の取り調べが重視されるのは、真実発見のためには「自白」が必要であり、被疑者を改善更正させる第一歩だと考える伝統的考え方が、捜査機関に根強く残っているからである。しかし、捜査機関の厳しい追及の中で、被疑者がやってないことを「自白」することはまれなことではないのである。その「虚偽自白」が裁判で有罪認定の重要な証拠となっていたことは、これまでの冤罪事件が物語っている。また、裁判官が「自白」を安易に認める傾向が存在すると指摘されている。
 被疑者が捜査段階で自白し公判で否認した場合、取調べで被疑者が自白したことをまとめた調書が必ず法廷に提出される。そして、弁護人と検察官はその自白が任意でなされたかどうか、また信用できるかどうかを激しく争うことになる。しかし、密室の取調べであるから弁護人としてはどうしょうもなく、大抵の場合、検察官の勝利に終わるのである。このような法廷では、裁判員が見ても判断がつかないということで、弁護士会は取調べの可視化といって、取調べのやりとりを初めから終わりまで録音・録画せよと要求している。しかし、検察庁の抵抗にあって進んでいない。
 さらに、刑事裁判の問題点として、調書裁判がある。これは法廷に出された証拠と証言だけを聞いて事実を判断するのではなく、捜査官が公判の前に密室の中で作った供述調書に基づいて判断することが日常的に行われている。その供述調書というのは、犯罪の取調べで捜査官が被告人を追及し、被告人の言ったことをまとめたものである。そこで問題なのは、捜査機関の都合のいいように調書が作られてしまい、その調書の内容が誤っていたら、判断も誤ってしまうことである。
 調書裁判のもう一つの問題は、その調書の分量も否認事件ともなると膨大なものになり、しばしば裁判官はそれを裁判官室や家に持ち帰って読むことで心証を形成するのである。したがって、審理は1ヶ月1回または2回程度しかおこなわれず、裁判が長期間行われるようになってしまう。
 本来の裁判は、証人や被告人を法廷に呼んで証言してもらい、その表情や証言の仕方など証人の全体像を見て、その証言が信用できるかどうかを判断するものである。裁判員制度では、裁判員にそのような膨大な調書を読んでもらうことは不可能という理由から、この調書裁判からの脱却が謳われている。しかし、調書のかわりに何が、「有罪か無罪か」の判断の決め手にするかが問題である。

第3章 市民の不安

(1)精神的な負担
 普段の生活で、裁判とは無縁な一般市民が、いきなり裁判所に呼び出されて、被告人が有罪か無罪か、有罪なら量刑を決めなくてはいけない、といわれるようになる。これは、私たち市民にとって精神的な負担が大きい仕事である。法律に関する知識が、裁判官よりもはるかに劣るので、いざ議論になったら、何をしゃべっていいのか混乱するであろう。ある事件の被告人を有罪と認定する場合、事件の重大さによって、「死刑にするか、否か」を話し合うこともあるだろう。いくら犯罪者とはいえ、そのような人の命に関わる話し合いは、一般市民にとって精神的に大変な苦痛である。自分が死刑を決める議論に参加している場面を想像することさえ、できないことであろう。現在、国民の「裁判員制度反対」の声が大きいのは、人を裁くという責任の大きさによる、精神的な負担や苦痛が主な原因ではないだろうか。裁判員制度を開始する前に、このような市民への精神的重圧を和らげる措置が必要である。

(2)「やりたくない」は通用しない
 裁判員制度の辞退を申し立てられるのは次の場合である。
@70歳以上の者
A議会開会中の地方議会議員、学生、生徒、裁判員を近年経験した者など
B次のような事由があり裁判員の仕事を行うことや裁判員選任手続きの日に出廷するのが難しいも者
1重い病気や傷害で出廷するのが難しい
2介護養育が必要な同居の親族がいる
3処理しなければ事業に著しい損害が発生するおそれがある用件がある
4父母の葬式への出席など日にちを変えられない用件がある
 このように「やりたくない」ということは、辞退理由にならない。辞退は原則禁止なのである。理由なく出廷しなければ10万円以下の過料となる。しかし、勝手に辞退したら罰せられるということは、かなり市民にとって厳しい感じがする。「やりたくない」人を裁判所に呼んでしまったら、被告人の有罪・無罪や刑罰を決める評議に支障が出でしまうのではないだろうか。辞退者を簡単に処罰するのでは、裁判員制度が徴兵制に似た重たい雰囲気になってしまう。これでは誰も、自分から進んで裁判員をやりたいという人はいなくなるだろう。もっと、市民の立場を考えた手立てが必要である。

(3)裁判終了後の守秘義務
 裁判終了後も精神的重圧がつきまとう。裁判員は、裁判官や裁判員が行う評議の経過、意見、その数を漏らしてはならない。裁判員は傍聴した裁判官の評議についても守秘義務を行う。補充裁判員にも同じ規制がかかる。罰則は、最高6ヶ月の懲役、もしくは50万円の罰金である。刑罰をもって人の口を封じるというのだから、穏やかな話ではない。さらに、話していいことと話してはいけないことの境界が明示されていないことも問題である。裁判を終えた元裁判員が、他人から「どうだった」という問いにうっかり答えてしまうと、罰則の対象になる可能性がある。これでは、うかつに裁判の感想は話せない。裁判後も裁判が行われた中で出てきた問題点を、どんどん公表して話し合い、改善をしていかないと、裁判員制度は進歩していかないと思われる。

第4章 陪審制と参審制

 日本の裁判員制度は、陪審制よりも参審制に近く、参審制をもとに創設されたと言われている。この章では陪審制と参審制を比較しながら、裁判員制度の正体に迫りたいと思う。

表・世界各国の制度
アメリカ(陪審) ドイツ(参審) フランス(参審) 日本(裁判員)
対象事件 刑事事件・民事事件 刑事事件一部の民事事件
その他、労働・行政・社会事件等
刑事事件その他、
少年事件や社会保障事件等
重大な刑事事件
構成 裁判官1名陪審員12名 裁判官1〜3名参審員2名 裁判官3名参審員9名 裁判官3名裁判員6名
又は裁判官1名裁判員4名
権限 裁判官から独立して事実認定 裁判官と同一の権限事実認定と法律判断を担当 裁判官と同一の権限事実認定と法律判断を担当 有罪・無罪の決定や量刑の判断については裁判官と同等の権限を持つ
選任方法 無作為抽出 選考 無作為抽出 無作為抽出
評決方法 原則として全員一致 刑事事件の有罪には3分の2の賛成が必要 刑事事件の有罪には8名以上の賛成が必要 多数決(ただし、裁判官・裁判員各1名以上の賛成を要する)

(1) 陪審制度について
 アメリカの陪審制を概観すると、以下のような特徴を挙げることができる。
 第1に、陪審制が適用される範囲は、被告人が否認した事件だけであり、また、陪審裁判を受けることは被告人の権利であるから、被告人がそれを放棄して裁判官による裁判を選ぶこともできる。
 第2に、裁判官と陪審員の役割分担に関しては、裁判官は、証拠開示、争点整理、公判計画、証拠能力の決定、適用される法律の決定・解釈、訴訟指揮、陪審員への説示、量刑判断等、法律問題および手続き問題を担当する。したがって、陪審制においても、裁判官の役割は極めて重要であるといえる。これに対して陪審員は、証拠の評価と有罪・無罪の判決の判断を行う。つまり陪審員は、裁判官が許可した証拠や証言を直接見聞し、検察官と弁護人の弁論を聴いた上で、裁判官が説示した法律に従って、検察官が提出した証拠で合理的な疑いを超える程度に有罪が証明できるかどうかを判断することになる。

(2) 参審制度について
 参審制の下では、参審員は裁判官と対等な権限を持ち、手続き問題、事実認定および量刑の全てにおいて、裁判官と協働する。また、参審制では、陪審制と異なり、対象事件が否認事件に限定されないし、被告人には裁判官のみによる裁判との選択権が認められない。このような参審制の下では、裁判官がその意識を国民に近づけていくことが予想され、そうすることによって国民の感覚に根ざした裁判の実現を期待することができるとされる。

(3) 陪審制と参審制の比較
 陪審制と参審制の共通した長所としては、司法への国民の参加が可能になる、という点が挙げられる。さらに、公判での証拠調べを通じて十分に心証を形成できるようにするための直接主義や口頭主義および公判中心主義の実現や、裁判の迅速化、十分な証拠開示の実現等を挙げることができる。
 陪審制にはない参審制の大きな長所として、第1に、事実認定だけでなく、量刑の判断等にまで国民の意見を反映させることができることである。第2に、否認事件に限定せず自白事件までその対象とするので、参審制は適用範囲が広いということである。このことは、事実認定だけでなく量刑判断まで行うことと関連している。
 逆に参審制の短所は、裁判官の権限が強く、参審員が支配されてしまう危険があることである。参審制の裁判官は、訴訟指揮者という側面とともに、有罪・無罪を判断する実体判断者という側面を合わせもっている。よって参審員に対する影響力が強く、当然のことながら参審員よりも法律の知識は高いので、参審員は裁判官に太刀打ちできなくなってしまう。この問題点は、日本の裁判員制度と全く同じである。さらに、参審員には陪審員と異なり、一定の任期があるのが通例であり、また参審員は有罪・無罪の判断の他に、量刑の判断もしなくてはならない。だから、参審員は陪審員よりも精神的負担が大きいのである。
 これに対して陪審制は、陪審員は量刑を決めなくてよく、被告人の有罪・無罪を判断することに専念すればよいのである。さらに、評議には裁判官がいなくて、陪審員だけで話し合えばよいので、陪審員の意見が反映されやすいのである。

(4) 世界から見た裁判員制度
 陪審制と参審制の決定的な違いは、評議に裁判官がいるかいないかである。評議に裁判官がいないから、陪審員の意見は反映されやすい。反対に裁判官とともに参審員が評議をする参審制では、裁判官に気を使うため、参審員は自分の意見を述べづらい。このように陪審制は市民が主役の制度、参審制は裁判官の権威を保っている制度といえる。
 もう一つの陪審制と参審制の大きな違いは、評決方法である。陪審制では全員一致の評決方法であり、参審制は主に多数決である。全員一致と多数決では、明らかに全員一致の方が「合理的疑いを超えた」立証ができ、誤判も少なくなるであろう。
 このように世界の他の制度の制度と比べてみると、日本の裁判員制度は参審制度にかなり近いといえる。上の表を見ると、世界各国の制度は陪審制でも参審制でも、その国独特のアレンジをしている。特にフランスは同じ参審制度のドイツよりも、参審員の人数が多く、少し陪審制の要素を取り入れているように思われる。まさに日本の裁判員制度は、フランスの参審制に似ていて、陪審制と参審制の要素を取り入れた、日本独特の市民制度といえるかもしれない。

第5章 裁判員制度の理想の姿

 ここまで、裁判員制度について追求してみたが、やはり問題点が多いと思う。裁判員制度開始まで時間があまりないので、少しでも問題の改善に力を入れていく必要がある。裁判員制度の究極の理想の姿は、裁判に参加した市民が「参加してよかった」「いい経験になった」といえるような制度だと思う。
 しかし、裁判員制度がそのような形になるには、相当な時間が掛かるだろう。裁判員制度の開始当初は、問題や失敗が続出すると予想される。だが、そこで挫折せずに問題点を改善していきながら続けていけば、日本の裁判員制度は、世界に誇れるものになるのではないか。
 どんどん市民が裁判に参加し、司法を理解するようになれば、いずれ陪審制度のような、裁判官がいない裁判員だけの評議を取り入れてほしいと思う。さらに裁判員だけできちんと議論をして出した答えを、裁判官に提示するような制度にかえてはどうだろうか。もし、裁判員が出した答えと裁判官の意見が違っていたら、さらに「裁判員対裁判官」で議論を繰り広げる。このとき裁判員は、自信をもって出した自分たちの意見を述べるのであるから、裁判官の言動にひるむことはないだろう。このように裁判員が裁判官と対等に議論できるようになれば、陪審制や参審制よりも高度な市民制度が誕生するのではないだろうか。

終わりに

 論文を書くまえの私の裁判員制度に対するイメージは、「めんどくさい」「選ばれたくはない」でした。しかし、論文を書きながら裁判員制度について学んでいくと、段々裁判員制度の必要性を感じてきました。ですから、「裁判員制度は賛成か、反対か」という問いを聞かれたら、私は「賛成」と答えます。その理由は、裁判に実際に参加することは貴重な経験になると思ったからです。
 今の世の中では、突然犯罪に巻き込まれたり、事故に遭ったり、突然自分が犯罪者になったり、犯罪者にされたり、善人と悪人の区別がつかないことが起きています。さらに、いじめや自殺、虐待など、命の尊さを理解していない人間も多いと思います。
 そこで、一般市民が裁判に参加すれば、一体どのような人間が犯罪を犯してしまうのか、または疑われてしまうのか、本当にこの人は犯罪を犯したのか、悪意や殺意があったのかなど、人間の善悪の境を考える重要な機会が得られるのではないでしょうか。また、実際に被害者の心の痛みに触れたことがきっかけで、命や人生の重さ、犯罪の愚かさを今までよりも意識するようになれると思います。
 このように、どんどんいろいろな人が裁判に参加して、「命」について考え、犯罪の愚かさを訴える人間が増えていけば、世の中の犯罪撲滅につながると思います。裁判員制度が、明るい社会を築く礎になることを願います。

参考文献

堀部政男、石井光、酒井安行、新倉修、保倉和彦『刑事司法への市民参加』(現代人文社2004)
高山 俊吉『裁判員制度はいらない』(講談社2006.9.20)
伊佐 千尋『裁判員制度は刑事事件を変えるか 陪審制度を求める理由』(現代人文社2006.5.15)
池田 修『解説裁判員法 立法の経緯と課題』(孔文堂2005.5.30)