☆流れ星を考える☆

〜伝説はどのようにして生まれたか〜





法学部 政治学科 04142244
白井 絵理




目次



◎はじめに

◎第1章 流れ星とは何か

 ・ 第1節 流れ星の正体

 ・ 第2節 流れ星の種類

 (1) 流星群

 (2) 散在流星

◎第2章 流れ星の歴史と民俗

 ・ 第1節 日本最古の流れ星

 ・ 第2節 天狗との関わり

 (1) 中国の妖怪「天狗」

 (2) 日本に出現した「天狗」

 ・ 第3節 流れ星と風

◎第3章 流れ星の伝説

 ・ 第1節 世界の流れ星伝説

 (1) 各国の流れ星伝説の特徴

 (2) キリスト教との関連

 ・ 第2節 日本の流れ星伝説

 (1) 江戸時代の流れ星伝説

 (2) 明治から現代へ続く流れ星伝説

◎おわりに

◎参考文献

◎脚注一覧







◎はじめに



 皆さんは流れ星を見たことがあるだろうか。誰しも少なくとも1〜2回は流れ星を見たことがあるのではないかと思う。私は今までに2回だけ流れ星を見たことがある。

 1回目は私が小学生の頃、しし座流星群が大出現したときである。家族や友達と家の近所の公民館に集まって、毛布に包まりながら寝転がってしし座流星群を見た。空の至る所からスーッと流れ星が飛んできてとても感動したのを今でも覚えている。本当に綺麗だった。

 2回目は私が中学生の頃、塾の帰り道車の中で見た。このときは流星群でもなんでもなく、ただ単に1つの大きくはっきりした流れ星をフロントガラス越しに見た。とても綺麗だったが一瞬の出来事だったので、なによりもまず驚きのほうが大きかった。流れ星を見た後、すぐに車内では『願い事をしてない!!』という話しになった。

 「流れ星を見て願い事をする」、当時は何の疑問もなかったが、今になって思うと『なぜ願い事をするのだろう』と疑問に思う。流れ星を見て願い事をすることは誰に教わったのか記憶にない。自然と身についていたのかとも感じる。

 私は「なぜ人は流れ星に願いをするのか」という疑問から、今回ゼミ論文を流れ星にした。願いを叶えるという流れ星。そもそもこの流れ星とはいったいどういうものなのか。この流れ星伝説はいったいいつ頃からはじまり、どのようにして私たちに広まっていったのであろうか。流れ星伝説にはどのような歴史があるのだろうか。以上のような視点から流れ星の伝説や歴史、民俗を述べていきたいと思う。



◎第1章 流れ星とは何か

 この章では流れ星とはいったいどういうものなのかを説明する。そして流れ星の種類についても述べていく。


・ 第1節 流れ星の正体

 流れ星は晴れた夜、1時間も空を見上げていれば2〜3個必ず見ることができる。1晩のうちでは夜前半より夜半過ぎのほうがはるかに出現数が多い。

 流れ星は「星」と名前がついているが実際には「星」ではない。流れ星は宇宙に浮かぶ微小な塵が地球の引力を受け、高速で地球にぶつかり、大気中で発光する現象である。一般に流れ星は、成層圏よりも上の高度100キロメートルくらいの「上層大気の中」で起こる。速度は地球に飛び込んでくるときの状態によって異なる。遅いもので秒速10キロメートル、速いもので秒速70キロメートルくらいある。

 つまり流れ星とは簡単に言うと、1ミリくらいの大きさの大気圏外由来の塵が上空10万メートルくらいの遠く離れた彼方で燃える現象なのである。大気現象の1つと考えてもいい。

 ここで1つ注意すべきことがある。「流れ星は高速で飛び込んできた塵が大気と摩擦するために光る現象だ」とよく言われる。大気と摩擦して熱くなることは確かだ。しかし、それだけではあれほど明るく光らない。流れ星が光る原因はもっと別にある。

 塵の粒子が大気中に飛び込んでくる。するとその粒子に大気の分子が激しく衝突し、粒子の原子をはぎとってはじき飛ばす。そしてこの原子が大気の分子と一緒になり、2000度以上の高温ガスのプラズマで粒子をつつむ。このようにしてできた熱いガスの光が流れ星として見えるのである。

 これまでの内容から流れ星がいったいどういうものなのか、そして光る原因が分かった。では次に流れ星のもとになっている塵の実体はどのようなものなのかを述べていく。

宇宙空間に漂っている塵は彗星起源のものが多い。しかしそれだけではない。それは小惑星どうしの衝突や破壊で生じる塵もかなりある。また太陽系外の星間空間からもたらされた塵があると主張している研究者もいる。太陽系の塵の世界は未知の問題がまだたくさんある。本格的な探査はこれからの課題となっているのである。


・ 第2節 流れ星の種類

 流れ星はそのときの状態によりいくつか名前が変化する。例えば、とくに明るい流れ星を火球という。そしてときには上空で燃え尽きないで地上に落下することがある。これを隕石・隕鉄という。また流れ星が流れた後、飛行機雲のようなものが残って見えることがある。これを流星痕という。比較的明るい流れ星の出現直後にみられる。さらに、まっすぐに観測者に向かってくるように見える流れ星がある。このような流れ星は流れずにその場で光って見える。このような流れ星を「停止流星」と呼んでいる。

 このように流れ星には、そのときの状況によりいろいろな名前がある。流れ星はまたその性質から大きく2つの種類に分けることができる。流星群と散在流星である。ここで、流星群と散在流星について述べていく。


(1) 流星群

 流星群とは、毎年ある決まった時期に多くの流れ星が特定の星座の方向からまとまって現れる現象のことである。流星群の特に著しい現象を流星雨という。流星雨の最盛期には1時間に何万、何十万という流れ星が飛んだという。また流星群は空のある点から四方八方へ飛び出すように見える。この空のある点を輻射点といい、輻射点がある星座の名前をとって何々座流星群と呼んでいるのである。

 流星群は、彗星や小惑星の塵がもとになっている。この塵の集団は地球軌道の付近に存在する。そこを地球が通過するときに流星群は生じるのである。流星群とは、宇宙に漂う塵の中を地球が疾走する様を見ている現象である。この塵の多くは、周期彗星が太陽に接近するたびに、核の蒸発にともなってまき散らした結果である。近年話題になったしし座流星群は、テンペル・タットル彗星がまき散らした塵がそのもとになっている。流星群の多くが彗星とよく一致した軌道をもっているという事実がある。

 またペルセウス座γ流星群は、スイフト・タットル彗星がまき散らした塵がそのもとになっている。そして8月12日はペルセウス座γ流星群の出現がもっとも多くなる日だ。毎年この日に地球はスイフト・タットル彗星が残していった塵の帯びを通過するのである。このように流星群は彗星と深いかかわりをもっている。

 次に流星群の種類と特徴を述べていく。

四分儀座流星群

1年の最初の流星群。北東の空に明るい流れ星が飛ぶ。1月4日未明にピークをむかえる。3大流星群の1つ。今は四分儀座という星座はない。

おとめ座流星群

おとめ座の1等星スピカの近くに輻射点をもつ。3月27日頃をピークとして、およそ1ヶ月出現する。明るい流れ星が時おり飛ぶくらいで、出現数は少ない。

みずがめ座η流星群

みずがめ座に輻射点をもつ。5月6日の夜明け前に見ることができる。高度が低く、数は少なめである。オーストラリアなどの南半球では活発な流星群として知られている。

うしかい座流星群

うしかい座とりゅう座の間にある輻射点から突発的な出現が稀にある。ポン・ウィネッケ彗星にからんでいる。6月28日の前後数日間に見ることができる。

みずがめ座δ流星群

みずがめ座のδ星付近に輻射点をもつ。7月29日から30日にかけて出現がピークになる。数はそれほど多くはない。

やぎ座α流星群

やぎ座α星の近くに輻射点をもつ。8月1日頃ピークになる。明るい流れ星を含むことがある。数はそれほど多くはない。

みずがめ座δ流星群

8月11日、みずがめ座に輻射点をもつ「みずがめ座δ流星群」の「北群」の出現がピークになる。数はそれほど多くはない。「南群」のピークは7月29日〜30日頃である。

ペルセウス座流星群

ペルセウス座に輻射点をもつ。1年中で一番活発な出現を見せてくれる。8月上旬〜8月20日頃まで楽しむことができる。特に、8月12日〜13日にかけてピークとなる。夜空さえ暗ければ1時間に50個ちかくの流れ星を見ることができる。3大流星群の1つ。

はくちょう座流星群

はくちょう座の翼のあたりに輻射点をもつ。8月20日にピークとなる。やや明るめの流れ星が含まれるが、数は多くない。

みずがめ座ι流星群

「みずがめ座ι流星群」の「北群」が8月20日頃ピークとなる。

ジャコビニ流星群

りゅう座の頭の小四辺形に輻射点をもつ。10月8日から9日にかけて出現する。ジャコビニ・チンナー彗星に由来している。たくさん出現することもあれば、ほとんど出現しないこともある。

オリオン座流星群

オリオン座の棍棒の先あたりに輻射点をもつ。10月21日〜22日頃たくさん出現する。数は1時間に5個ぐらいでそれほど多くない。有名なハレー彗星に関連する流星群である。

おうし座流星群

おうし座に輻射点をもつ。11月3日「おうし座流星群」の「南群」がピークに達する。数は多くないが、時おり火球めいた明るいものが飛ぶことがある。

おうし座流星群

プレアデス星団ちかくに輻射点をもつ。11月10日「おうし座流星群」の「北群」がピークに達する。数は多くないが、時おり火球めいた明るいものが飛ぶことがある。おうし座流星群は2つの輻射点をもつ。

アンドロメダ座流星群

この流星群は周期約6年でめぐっていたビーラ彗星が分裂して1855年に1時間に8万個もの流星雨を降らせた前歴をもつ。しかし、ビーラ彗星・流星群ともに今は観測されていない。

しし座流星群

しし座の頭部、いわゆる「ししの大がま」の中に輻射点をもつ。11月18日〜19日にかけ出現がピークになる。かつては33年ごとに大出現を見せていたが最近は1時間に10個くらいとなっている。テンペル・タットル彗星が母天体である。

ふたご座流星群

ふたご座のカストルの近くに輻射点をもつ。12月14日〜15日にかけてピークとなる。活発で明るい流れ星もたくさんある。母天体は小惑星3200番ファエトン。3大流星群の1つ。

こぐま座流星群

こぐま座のβ星の近くに輻射点をもつ。12月23日頃ピークとなる。出現数は多くなく、ゆっくりしたスピードで飛ぶ。

以上が流星群の種類と特徴である。では次に散在流星について述べていく。


(2) 散在流星

 散在流星とは、空のいろいろな場所で散発的に見られる・群を作らない流れ星のことである。流星群に属していない流れ星のことをいう。空のきれいなところでは、平均すると1時間に10個くらい見ることができる。散在流星は夕方に少なく、明け方に多く見られる。また1月〜6月は少なく、7月〜12月に多い傾向がある。またいつどんな方向から飛んでくるか全く分からない。原因となる天体も特定できていない謎の流れ星である。



◎第2章 流れ星の歴史と民俗

 この章では歴史・民俗という視点から、一番古い流れ星の記録や歴史を述べたいと思う。また流れ星と自然環境・人との関わりについても述べていく。


・ 第1節 日本最古の流れ星

 第1節では日本で一番古い流れ星の記録について述べていく。

 日本では中国にならい中世までの官製の史書に、空に見られる変化の1項目として、流れ星の記録が続けられてきた。文献史料に登場する流れ星の記録でもっとも古いと思われるものは、『水鏡』という歴史物語に記載されている。それは垂仁天皇の代の

 「其年の8月に、星の如くに降りしをこそ見侍りしか、あさましかりし事に侍り」1

という記録だ。この記録は1966年・1999年に見られたしし座大流星雨と同じ現象のものである。残念ながらその年代については分かっていない。

 また平安時代の随筆『枕草子』の中にも流れ星は登場している。清少納言が星の名前を羅列し簡単な感想を述べている。

 「星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひぼしすこしをかし。尾だになからましかば、まいて。(新編日本古典文学全集18 枕草子)」 2

ここに登場している「すばる」はおうし座のプレアデス星団の和名である。七夕の星としてよく知られる「ひこぼし」は、現代の星名で表わすとわし座のα星「アルタイル」だ。「ゆふづつ」は金星のことを表し、「よばひぼし」は流れ星を意味している。これを現代語に訳すと

 「星といえば、まずすばるでしょう。そして彦星や金星もいいわ。流れ星も興味深いなぁ。でも尾がなければもっといいのに。」 3

となる。このように清少納言はしっかりと流れ星の尾のひく様子を見て「よばひぼし」と書いている。本来、「よばふ」とは「継続的に呼びかける」の意味である。清少納言の生きた平安期では、「男が女のもとへ夜に忍んでいく」という意味に「よばひぼし」を掛け言葉として使っていたようである。私は、清少納言がなぜ「よばひぼし」を「尾さえなければもっといい」と思ったのかとても気になる。しかし残念なことにこのあたりは現在でも定説がないらしい。『流れ星の文化誌』には、

 「彼女も『人に気がつかれないようにして夜這いをするように(ひっそりと)夜空を動いてしかるべきなのに』それなのになぜ『尾を見せるような、人目につくことをするの。』と考えているのであるのであろう。清少納言は、流れ星が「よばひぼし」と呼ばれることにこそ興味を抱いてこの段に記したのである」4

と書かれている。

 平安時代には、流れ星の正体はまだ分かっていない。しかし人々は、分からないなりにも空に流れる流れ星を見て、その人々の感性で楽しんでいたと思う。流れ星は「よばひぼし」として平安時代の風情や特徴を表していたと感じられる。

・ 第2節 天狗との関わり


 第2節では天狗と流れ星の関係を解明していく。

 天狗とは日本人なら誰もが知り、世界でもっとも有名な日本の妖怪である。現代の人は「天狗」「流れ星」と聞いて、関わりがあるとはまず思わないだろう。私もその内の1人だ。しかし流れ星の古い歴史の中では天狗と流れ星はおおいに関係があったようなのである。天狗と流れ星には、どのような関係があるのであろうか。


(1) 中国の妖怪「天狗」

 天狗は中国古代から日本の現代にまで至る2000年以上の歴史がある。その間、幾度も姿を変えてきた。天狗の記録の初出は古代中国にある。天狗は本来中国の妖怪なのである。中国の天狗は「テング」ではなく「テンコウ」と読む。司馬遷の『史記』天官書には

 「天狗は、その姿は大流星のようで、音(原文「声」)がする。落ちて地に止まると狗(いぬ)のように見える。落下するさまを目撃すると、火の玉のようであり、炎炎と燃え盛って天をつくようである。その下の方は円くなって数頃(「頃」は面積の単位)の田ほどの広さとなっている。上の方は鋭く尖っていて、黄色味を帯びている。千里の内で、軍が敗れ、将軍が殺される。」 5

と天狗のことが記されている。

 「下の方は円く、上の方は鋭く尖っていて、黄色味を帯びている」というのは隕石の正確な描写である。隕石は空中での衝撃波や爆発、地上への落下などにより大音響を発する。それを犬の「吠え声」とたとえているのである。大音響に対する驚きがこの「音(声)」には込められている。

 隕石が落ちるということは、古代中国では「戦乱で軍が敗れ、将軍の死がもたらされる予兆」と考えられていた。当時、隕石や地震などの天変地異は、天帝が人間に対して発する警告・怒りと解釈されていたからである。隕石はまさに天災の典型であった。このことから天狗はきわめて凶悪で恐ろしい存在なのである。「流れ星」・「隕石」はもともと天狗の正体なのである。今私たちが知っている天狗は、江戸時代以降に定着したイメージだった。

 現代のような報道機関のなかった古代では、流れ星や隕石の現象に対して人々のさまざまな憶測や突拍子もない言葉が流行してしまう。このような民衆の多様な言葉が徐々に1つの流れとなり、時代背景も重なって、天狗というものが出来上がっていったのである。


(2) 日本に出現した「天狗」

 流れ星として出現した中国古代の天狗は、『史記』などの文献により日本に伝えられ、日本人の想像力のなかで独自のアレンジが加えられていった。天狗が初めて日本に出現したのは7世紀前半の飛鳥時代、舒明天皇9年(637)の頃である。『日本書紀』の中に

 「春2月、戊寅の日(23日)、大きな星が東から西に流れた。音がして、それは雷に似ていた。人々は『流星の音だ』とか、『地雷だ』などといった。このとき僧旻はいった。『流星ではない。これは天狗である。その吠える声が雷に似ているだけだ』」6

と記されている。これはまさに流れ星現象を表わしている。「大きな星」とは大火球を意味している。しかし僧旻はこの流れ星現象を「流星ではない」と言い切り、「天狗である」とし、流れ星と天狗を別物とした。中国では流れ星=天狗であったものが、ここにきて僧旻の解釈によりズレが生じてしまった。これは僧旻の誤解というものではなく、異文化を導入するときにどうしても生じる変容の一例らしい。また僧旻は当時、日本における天文占いの権威であった。このことも重なり日本では以後、流れ星や彗星を「天狗」と呼ぶことはなくなったのである。

 「宇宙からの飛来物は、地球に衝撃と余波を与えるだけでなく、人間の心理にも複雑な波紋を引き起こすのである。流れ星や隕石が原因不明の怪現象であった日本の古代や中世では、そうした不安が天狗という妖怪に転化し、人々の想像力の中でさまざまにうごめいていたのである。」7

 私はなぜ「流れ星=天狗」と聞いてピンと来なかったのか今ようやく理解することができた。時代の流れの中、流れ星と天狗はそれぞれの道へ進んでいったのである。


・ 第3節 流れ星と風

 ここでは、自然環境と流れ星の関係について述べていきたいと思う。その中でも特に、風にスポットをあて流れ星との関係について述べていく。


地震、台風、川の氾濫など突発性をもつ自然現象がある。星空という自然環境の中では突発的な現象として流れ星がある。人は自然環境としての星に他の自然環境との関連性を見いだした。そのなかでも風と流れ星の関係は強い。風は生業に大きな影響を与えることがあり、昔は風の予測が困難であった。そのため人は自分の体で感じることのできない風の前兆を、はるか上空の流れ星は感じることができると信じていたのである。まさに昔の人の知恵といってもいいと思う。ではこれからその事例を述べていく。

「1.流れ星の飛ぶ方向と風の吹く方向に相互関連性を見いだしたケース(兵庫県相生市相生)

 『流れ星はな、夜中まではな、風うわてへ飛ぶんや。夜中までは風に向かって飛ぶんやでな。明日 くる日の風に。そして、こんど夜中過ぎて夜明けになったらやでな。まあ1時からやな、午前のな。 飛んだ方へ風がくるんやでな。風うわてへくるのと追い風とみたいなものと思とったらええんや』  夜中までは、流れ星の飛んでいった方向から翌日の風が吹くと、夜中1時からは飛んでいく方向へ風  が吹くと予測したのである。

2.風の力で星が飛ぶと考えたケース(愛媛県西宇和郡三崎町正野)

 『風も何もなくては、星がこう飛ぶわけない。星が飛んだけん、こいつは風が吹く−われらどうし が話すことはやっぱりあります』

3.明るい流れ星が現れると強い風が吹くと予測したケース(熊本県牛深市加世浦)

 『太か流れ星飛んでいったら風が太か』  明るい流れ星のことを『太か流れ星』と呼んでいる。」8

 このように流れ星と風には昔大きな関係があった。今は科学技術が発展し天気予報などで、風の強さや方向まで知ることができる。昔はこのような科学的知識がなかった。しかし昔の人たちは、正確ではないながらにも知恵を働かせ、流れ星を風の方向や強さにたとえて、生業に活かしてきたのである。昔の人たちの感性に驚いてしまう。本来の人間はこのように自然と共存し生きていくべきなのかもしれない。



◎第3章 流れ星の伝説

 この章では流れ星の伝説について述べていく。


・ 第1節 世界の流れ星伝説

 第1節では流れ星伝説の視点を世界におき、流れ星の伝説をとらえていきたい。(1)ではさまざまな国の流れ星伝説の特徴を述べていく。そして(2)では欧米に広く存在していた伝説について述べていく。


(1) 各国の流れ星伝説の特徴

 中国やヨーロッパでは流れ星を霊魂とみなし、出現を吉凶の前兆としてとらえる見方が広く存在している。どちらかというと、流れ星の出現を凶ととらえている面も共通している。また流れ星は個人の前兆現象としてとらえられていることが多い。しかし流れ星は珍しいという側面から吉兆との受け止め方も実際あり、吉凶の間で揺れているのである。

 世界の多くの国々ではもちろんのこと流れ星伝説は存在している。ではこれからその流れ星伝説をみていきたいと思う。

 「ドイツでは流れ星は天国を照らす灯りの灯心を天使が引き抜いたときに現れる光であるとの  考えがあった。大きな流れ星は黄金を運ぶ竜とみなされ、特に明るく輝く大きな火球こそ大量の黄 金を持っている竜だと認識された時代もある。天から落下した石の中には金や銀の核があるとも考 えられていた。

 ヒンズーの古い神話では流れ星は日月食と関係を持つとされている悪魔のラーフ神から飛び散  った破片と考えられていた。

 イスラムの世界では流れ星は悪魔に対する礫(つぶて)として登場する。天国の入り口で様子  を伺う悪魔に対して放たれた礫(つぶて)が流れ星なのである。

 中央アジアのキルギスタンの伝説も少し似ている部分がある。人間に罪を犯させてその魂を地  獄へ運んでしまうカールという悪霊がいる。天使たちはいつもカールの悪行を見張っていて火のつ いた矢をカールに放つ。それが人間の目には流れ星として見えるという。

 中国では神(天帝)のお使いが流れ星であるという見方が一般的だ。

 ウイグルではみなに嫌われた悪党が神に連れられ改心を迫られたが直らず、神は天の炉に入れ  天火で焼いた。男は逃げ出したが体についた火は消えず、天にも居場所がなかった。星の間をあち  こち走り回りしまいに男は流れ星になった。」9

 このような伝説から、流れ星を見て「誰かの魂が飛んでいく」と反応することも世界に広く分布していることが分かった。人が死ぬときに流れる、また逆に人の誕生を告げる魂という見方も多いようである。


(2) キリスト教との関連

 「流れ星を見たら願い事をする」という習慣は、欧米に広く存在している。これからその伝説を2つ紹介する。

 1.「時々神は下界の様子を眺めるために天界を開ける。この時に天の光として星が流れ落ちる  。だからこの時に願いごとを唱えれば、その希望は神の耳に届き、神は願いをかなえてくれる。た だし、開いているのは一瞬だ。そこで流れ星が出現したと同時に神の耳に達するようにその願いご とを 唱えなければならない。」 10

 2.「天国に行けない霊魂は煉獄に止まって罪を償い、誰か流れ星を見た人が祈りを捧げてくれ ることにより救われるようになるのを、その煉獄で悩みながら待つのである。そして幸運にもその みがかなった場合、魂は煉獄から天国へ移ることができる。そして流れ星が消えるまでに『Rest  In  Peace』と3回唱える。」 11

この2つの伝説はキリスト教という宗教が大きく絡んでいる。2つ目の伝説でカトリック教徒は流れ星を霊魂とみなしている。キリスト教的な魂の救済を意味しているのである。

 欧米はキリスト教文化圏である。「流れ星を見たら願い事をする」という欧米の習慣はキリスト教の背景が少なくとも存在しているのである。

 では次に日本の流れ星伝説について述べていく。


・ 第2節 日本の流れ星伝説

 ここでは日本に存在していた流れ星伝説について述べていく。


 中世以前の流れ星伝説に関する記録はごくわずかである。しかしその中で伝説めいたものが1つある。それは鎌倉時代、日蓮宗の祖である日蓮が、時の権力者により捕縛され処刑されそうになった場面で流れ星が出現するというものである。だが残念なことにこのほかに例示できるエピソードはほとんどないらしい。そんな流れ星伝説だが、時代が進むにつれ多くの記録が残されている。これから多くの記録が残されている江戸時代・そして江戸時代以降の事柄を中心に述べていきたいと思う。


(1) 江戸時代の流れ星伝説

 江戸時代には、古く中国伝来の星占いに起源を持つ流れ星を凶兆とする見方が残っている。日本独自の流れ星観があったかどうか定かではないが、年月が経過する間に巧みにアレンジされながら日本固有の伝説や言い伝えとして定着してきた。江戸時代には「ちょっと気味は悪いが、大きな災いとは特に関係ないもの」という形に次第に変化していった様子が見られる。流れ星と凶という結びつきは徐々に弱められてきたのである。しかし何らかの災いが生じた際には、この凶兆感が息を吹き返す場面もあった。江戸時代前期、1685年3月23日、関西地方を中心に大流星が出現した。ちょうどこの頃京都では、当時上皇であった後西天皇が崩御された。各地に残る文献資料はこの大流星と崩御を関連づけ考えている。江戸時代ではこれが人々の話題で流れ星が凶兆として扱われた最大級の事件であった。しかし江戸時代を通じて流れ星を社会の凶兆と関連づけた事例は以前と比べて明らかに少なくなってきている。これは流れ星そのものの解明が進んだからではなく、考え方や受け止め方が変化したことによるのである。 


(2) 明治から現代へ続く流れ星伝説

 明治時代に入り科学技術の推進が国の施策として行われ、科学的見方が普及していった。そしてそれまでようやく保たれてきた流れ星と星占いの関係は、棄て去られた。これにより民衆の心にその拠り所が求められ、この過程で、それまで民間伝承として残っていた伝説や言い伝えと合わさり新たな伝説を作っていった。昭和10年代では内田武志さんがこれらの伝説を収集している。これからその伝説を見ていく。

 兵庫県では「流れ星の多い年は稲の実りがわるい」など不作に関した事例がある。天災地変などの社会全般にわたる凶変の前兆であるという伝説はここに多くは見られない。しかし、逆に身近に不幸が生じるような、個人的な凶事の前兆とみる例は非常に多い。たとえば、「流れ星を1晩に3つ以上見たら親族間に不幸が起こる」(静岡県榛原郡)、「流れ星を子供が見ると若死にする・出世しない」(神奈川県逗子市)などである。細部は地方によって異なるが、家族や個人にとって何らかの良くない兆しであるという見方である。高知県長岡郡には「流れ星を見た晩には恐ろしい夢をみる」という伝説もある。「不吉な前兆だから災いを避ける必要がある」という例では「唾を吐くとよい」というところが多い。また「見ることで良いことが生じる」という吉兆としての認識もまれにある。福井県坂井郡では「流れ星を見るといいことがある」と言われている。鹿児島県枕崎市では「病人が流れ星を見ると早く良くなる」という例もある。

 そしてこの昭和10年代の伝説の中でひときわ目につくものがある。それは「流れ星を見てそれが消えないうちに言葉を発して願う」、「願いがかなうような動作をする」という例である。これこそが現在の流れ星伝説の中心となって続いているものなのである。唱える言葉は2つに分かれる。1つは流れ星の呼称を唱えるというものである。たとえば岡山県浅口郡の「ヌケボシといえば幸福になれる」などである。2つ目は具体的な希望を早口に唱える例である。たとえば青森県津軽郡の「『金欲し』といえば金持ちになり、『八寸』と言えば背丈がのびる」などがある。また静岡県榛原郡には「好きな女の名前を3度唱えると嫁にすることができる」というものもある。また願いを動作で示す例では福井県坂井郡の「女子が流れ星の消えないうちに運針の真似をすれば裁縫が上手になる」というものがある。また千葉県君津郡には「自分のほうに流れ星が流れると幸福、反対では不吉」というものがあり、吉凶を占う一面も見せている。

 このように昭和10年代の伝説の大きな特徴は「流れ星への願い」が占める割合が大きいことである。明るい希望を与えるかもしれないというプラスのイメージが大きく呼び起こされたことは、それまでの日本には例がない。そしてこれが「流れ星に3度願い事を掛けるとかなう」というポピュラーな形で西洋文化と融合しながら現代に引き継がれていったのである。

 現代では星空を見上げ流れ星を見るということは、めっきり減ってきているように思う。また流れ星を見て「3度願い事をする」という伝説の「3度」という言葉は、今まで1度も聞いたことがない。やはりこれは現代に引き継がれていく過程で変化したものなのであろうと感じた。以上これまでの内容が明治から現代へ続く流れ星伝説である。



 

◎おわりに

 流れ星は、私が想像していた以上にさまざまな歴史や民俗が存在していた。空をきれいに流れる流れ星の正体は宇宙の塵で大気の現象であった。また同じように見える流れ星もたくさんの種類があった。そして流れ星には『枕草子』からはじまる古い歴史があり、その歴史の中には天狗であったり、風であったり、当時の人々の時代背景や感性が深く関わっていた。

そしてこの論文を書くにあたり、私が1番知りたかった流れ星の伝説では、大きな収穫があった。私が知っていた流れ星伝説はほんの一部にすぎなかったのである。流れ星伝説は、古代から現代へ形を変化させながら活き続けていた。人々に嫌われる存在から、今は喜ばれる存在へと変わったのである。

 現在、街灯やビルの明かりで、都心などではなかなかきれいな星空を見ることができない。それがとても残念である。しかし、星はいつでもきれいに輝いている。どんな場所にいってもきれいな星空が見える日本であってほしいと私は願う。

 流れ星は晴れた夜、必ず見られるという。学校の帰り道、お仕事の帰り道、たまには星空を眺めてみませんか。流れ星が見えるかもしれません。そしたら願い事をしてみてください。もしかしたら願いが叶うかもしれません。



◎参考文献

・渡辺美和・長沢工『流れ星の文化誌』(成山堂書店・2000)

・杉原たく哉『天狗はどこから来たか』(大修館書店・2007)

・北尾浩一『天文民俗学序説−星・人・暮らし−』(学術出版会・2006)

・藤井旭『星空を見上げて365日』(誠文堂新光社・2007)

・林完次『星のこよみ』(ソニーマガジンズ・2006)

・小森長生『太陽系を翔ける』(新日本出版社・2000)

・磯部e三・佐藤勝彦・岡村定矩・辻隆・吉澤正則・渡邊鉄哉編『天文の辞典』(朝倉書店・2003)

・NHK「宇宙」プロジェクト編『1天に満ちる生命』(NHK出版・2001)

・草下英明『星の神話伝説集』(文元社・2004)



◎脚注一覧

1.渡辺美和・長沢工『流れ星の文化誌』(成山堂書店・2000)23ページ。

2.渡辺美和・長沢工『流れ星の文化誌』(成山堂書店・2000)24ページ。

3.渡辺美和・長沢工『流れ星の文化誌』(成山堂書店・2000)24〜25ページ。

4.渡辺美和・長沢工『流れ星の文化誌』(成山堂書店・2000)25ページ。

5.杉原たく哉『天狗はどこから来たか』(大修館書店・2007)5ページ。

6.杉原たく哉『天狗はどこから来たか』(大修館書店・2007)34ページ。

7.杉原たく哉『天狗はどこから来たか』(大修館書店・2007)232ページ。

8.北尾浩一『天文民俗学序説−星・人・暮らし−』(学術出版会・2006)82〜83ページ。

9.渡辺美和・長沢工『流れ星の文化誌』(成山堂書店・2000)55〜56ページ。

10.渡辺美和・長沢工『流れ星の文化誌』(成山堂書店・2000)58〜59ページ。

11.渡辺美和・長沢工『流れ星の文化誌』(成山堂書店・2000)59ページ。