リーダーシップ・コミュニケーション


法学部 政治学科 3年 05142112
諏訪雅俊


−目次−


はじめに


第一章 リーダーシップとは

 第一節 ウェーバーの政治論

 第ニ節 政党政治におけるリーダーの条件


第ニ章 コミュニケーションの展望

 第一節 コミュニケーションの定義

 第ニ節 IT社会


おわりに


参考文献


参考サイト






はじめに



リーダーシップ(leadership)政治学は今までいかなる「リーダーシップ論」を考えてきたのだろうか。最近は経営学の分野での業績が多いが、リーダーシップ論はもともと政治学の基礎概念の一つであった。ウェーバーも何らかの形で政治におけるリーダーシップの問題に触れている。基本的には指導者教育こそがリーダーシップを生むと考えた人たちである。ウェーバーは初めて「集団におけるリーダーシップ」を本格的に考えた人だといえるかもしれない。

現代になるとリーダーシップに関する政治学からの言説が必ずしも目立たなくなる。その隙間を埋めたのは心理学や社会学であったが、いまや経営学がリーダーシップ論の権威となってしまっている状況だ。政治学はリーダーシップへの関心を失ってしまったのだろうかといえばそうではない。多くの教科書には、リーダーシップの問題は政治学のフロンティアであると書かれてある。では、リーダーシップ・コミュニケーションとはどういったものなのか。第一章一節ではウェーバーの政治論について、二節で政治的リーダーの条件。第二章ではコミュニケーションとメール社会についてリーダーシップという概念をコミュニケーションという切り口から紐解いていきたいと思う。



第一章 リーダーシップとは



第一節 ウェーバーの政治論


これまでの政治学でリーダーシップという概念を紹介しておく。マックス・ウェーバー「職業としての政治」である。政治論・政治家論の古典といってもよい高名な書物は、もともと1919年、ウェーバーの死去する前年に、ミュンヘンのある学生団体に向けて行った講演であるが、この1919年という日付からもわかるように、この講演は、ちょうど第一次世界大戦(1914〜1918年)におけるドイツの敗戦と社会主義の台頭という混乱と、精神的な動揺の最中に行われたものだった。ここでウェーバーはまず、政治とは何かと問うて、国家における「指導行為」だと言う。つまり、ここには指導するものと指導されるものが存在する。そして、国家とは、正当化された権力の独占に基づく支配と被支配の関係だという。こうして、政治とは、改めて言えば、正当化された権力に基づいて、指導するものが他の者に対して支配と被支配の関係に立つ行為だということになろう。

議会制と政党制

議会制と政党制に基づいた民主主義は多かれ少なかれ官僚的なシステムと化した政党による政治と言ってもよい。正統は、多くの場合、地方の名士や財産家、あるいは法律家や知識人から出てきた政治家と、その下で働く政党職員や議員秘書などからなる組織的集団であり、それ自体が、さまざまな役職によって運営される官僚的制度というべきだとウェーバーは考えるのである。そしてここで政治は、ほとんど必然的に、政党を介した、地方のさまざまな利益調整の運営装置とならざるを得ない。

ここでウェーバーは現代の政党がかつてのように、「教養と財産」をもった地方の名士や名望家の自由な寄り合いではなく、あくまで選挙戦を戦い、議席を獲得し、政権を目指して運動するための組織となったといっているのである。


第ニ節 政党政治におけるリーダーの条件


ウェーバーは、支配の類型を3つに分けている。第一は、伝統的支配で、これは、前近代的な伝統社会にしばしば見られるように、過去からの習慣、伝統を踏襲することによって支配を正当化するものである。第二は、合理的支配もしくは合法的支配で、合理的に設定されたルールや法律にのっとった支配の正当化である。第三はカリスマ的支配であって、指導者の個人的に類まれな能力、資質によって帰依させるという支配である。

ウェーバー自身は、三番目のカリスマ的支配にもっとも関心を持っていたが、同時に彼は近代社会が第二の合理的支配を基礎にしなければ組み立てられないことを知っていた。ただ、そうは言っても、決して現代にあってもカリスマ的支配が消滅したわけではない。それどころか大衆感情の中にあるカリスマ願望は強力であって政治的リーダーには今日でもまだカリスマ的支配の側面はほとんど必然的に付随してくるといってよいだろう。

強い政治的リーダーに共通するのは、まず第一に強力な信念を持っていること、第二に、政党の中でとりわけ、ウェーバーが述べている二つの民主主義からすれば、政党の中での地位と大衆的な人気の両立は重要である。政党の中で有力な地位を占めていても大衆的な人気がなければ強力なリーダーとはなれないし、また逆に大衆的人気ばかりが先行しても、政党の中での信任がなければ、これも強力な政府を構成することはできない。

そしてこの二つを両立させるという得意な能力とキャラクターを要求されるという点で、政党政治と議会主義の中でのリーダーは、大衆的な指導者民主主義のリーダーとは異なっているのである。リーダーの個人的なカリスマ的資質がそのままリーダーシップに反映するのは、明らかに後者の大衆的な指導者民主主義制である。これに対して、政党政治と議会主義の中では、リーダーの個人的な資質は直接に国民の情緒に訴えるというよりも、党内での地位や実績によってチェックされることになる。



第ニ章 コミュニケーションの展望



第一節 コミュニケーションの定義


組織の中にいる全員の歩調を合わせ、そのときどきの優先事項に集中させるのは、それがどんなときであれ、困難な仕事であることに変わりはない。組織の構造やシステムあるいは目的に、絶えず変化が起こっている今日では、労働者が意欲を失い惰性で仕事をするという状況に陥る危険性があるのは明らかだ。

「達成すべき仕事」という標的が常に流動的で固定で着ない場合には、たまたまその標的を捉えてツボにはまればよいのですが、悪くすると失敗してあきらめることにもならない可能性がある。この種の危険に対処するためには、日常的に明快で最新の内容伝えるコミュニケーションを図ることが重要になる。

企業活動にしても日々の諸活動にしても速さや柔軟性はますます重要になっており、組織に所属する人にとって、今ほど十分な情報が与えられ、その上で重要な仕事やポジッションにすばやく適応することが求められているときはない。そのため、リーダーはこれまで以上に、対話を基調とした日常的な情報共有を図らなければならない。またリーダーにとってさらに重要なのは、他者に対して表面的な情報だけではなく、必ずその意味ことをきちんと説明することだ。「説明責任」を負うということは、発言に対する信憑性も問われるということにもつながる。もし、ある目的や任務がなぜ重要なのかを説明できなければ、周りの人たちがそのために自発的に結集する見込みはないに等しい。

「コミュニケーション」という言葉が時代のキーワードとして脚光を浴びはじめてからかなりの年月が流れ、もはや訳として当てられている「情報伝達」という述語ではカバーできないほどの豊かな内包をもって我々の日常生活に浸透している。それに伴い様々な局面での諸問題が我々に突きつけられるようになってきた今日,「コミュニケーション」は日本においても学問的研究に堪える分野として認知され今日に至っている。

これまでに辞書,教科書,研究書,論文の中で用いられてきた126にも及ぶ

コミュニケーションの定義

相互作用過程説:相互作用としてのコミュニケーションが社会の基本的単位である

刺激−反応説:コミュニケーションは刺激,反応,学習の連続によって習得されるもので社会調節,管理の手段となる

意味付与説:意味を相手に伝える過程がコミュニケーションである

レトリック説:古代レトリックの観点からコミュニケーションを捉えようとする (岡部朗一 南山大学)

20世紀に入ってからアメリカにおいて学問として復活,発達し,言語学,社会学などの諸学問の成果などが取り入れられた結果,以下のような領域に分かれる研究分野として確立しています。

記号体系

個人間コミュニケーション

個人内コミュニケーション

組織コミュニケーション

異文化間コミュニケーション

レトリックとコミュニケーション理論(レトリック批評を含む)

レトリックと演説

音声解釈表現法(オーラル・インタープリテーション)

論証(argumentation)とディベート

討議と会議

演劇

スピーチコミュニケーション教育

言語音声と聴覚科学、等



「コミュニケーション」と言う用語は二つの大きなカテゴリーにわけることができるとする。

「ダイレクトコミュニケーション」と「インダイレクトコミュニケーション」

すなわち、人間同士の生のやり取りに よって行われる直接的な情報交換と、メールや電話によって 行われる間接的な情報交換に分けることができるのだ。

「ダイレクトコミュニケーション」

社会は人間によって構成されているのであって、機械によって構成されているのではない。何千年たっても、人間によって組織され、人間が動かすのと同時に、人と人とのコミュニケーション能力はいつの時代も生きていくために欠かせない重要な能力なのだ。多くの組織でもまた、小さな組織の集団を中心にしたコミュニティの意識を改めて強化する方法を探ろうとしている。こうした小集団では、グループのチームリーダーや部門のリーダーは、より一層オープンでの風通しのよいコミュニケーションを図ることが強く求められている。


第ニ節 IT社会


日経BP社の記事にこんなことが書かれていた。

某IT企業のA社長の話だが、1日にやり取りするメールは、実に1日5000件に上る。その大部分は、ライブドア社内の部署やプロジェクトといった単位で立てているメーリング・リストのメール、それに社員1200人が書く業務日誌のメールだ。元社長はキーボードを使って,スライド・ショーのように0.5秒〜数秒のピッチでメールの本文を次々に画面上に表示させていく。そのなかから経営トップとして必要な情報を拾い出して現場の動きを把握し、適宜メールを送って指示を出す。

もちろん重要な案件についてはフェース・トゥー・フェースで話すが、出席する会議は1日2件ほど。情報収集や議論,指示といった経営トップとしての仕事の多くをメールで行っているという。

相手の感情を傷つける攻撃的メールが増加

メール主体で仕事を進めることの是非については、意見が分かれるかもしれない。ただし急成長企業を率いつつ、自ら広告塔として精力的にテレビ出演もこなすA社長にとっては、「当たり前の仕事のやり方」(A社長)であるとのべている。

ITの現場でも、コミュニケーション手段としてメールの比重を高める傾向が顕著だ。重要事項に関する連絡、ややこしい議論といった用途にもメールを使うケースが増えており、今や1日に数百件のメールを受け取るITエンジニアも珍しくない。システムごとの利害関係者の増加、機能の複雑化、説明責任の強化といった状況変化に対応するために、ある意味で必然的な流れと言えるだろう。

ただしそれに伴い、コミュニケーション上のトラブルを引き起こす問題メールが増えている。典型的なのは、何が言いたいのかはっきりしない「用件が分からないメール」、無駄に長々と書かれているような「処理しづらいメール」といったところだろう。そんなメールにならないように、冒頭で用件を言い切る、メールの本文全体を個条書きの構成にする、といった心がけや工夫をしている人が少なくないと思う。

相手の気持ちを傷つける仕組み

メールが相手の感情を害しやすいことには、心理学的な裏付けがある。 さわりだけ説明すると,まずメールに限ったことではないが、私たちは自分の仕事ぶりや成果物に対して注文を付けられたとき、人格そのものを否定されたように感じる。このことがフェース・トゥー・フェースの会話であまり問題にならないのは、相手の様子を見ながら話すため、常に言い方に気を配るうえに、「ちょっと言い方がきつかったかな」と思ったときにはすぐにフォローするからである。これがメールだと、相手への気遣いがそもそも働きにくいうえに、読み手が怒ったり落ち込んだりしてもすぐには分からないためフォローもない。 理由はもう1つある。フェース・トゥー・フェースの会話では言葉という「バーバルな情報」に加えて、表情や仕草,口調といった「ノンバーバルな情報」も同時に相手に伝わる。この「ノンバーバルな情報」が、相手の心理状態を推し量るうえで重要な役割を果たすのだが、メールではすっぽりと抜け落ちてしまう。

そのためメールの読み手は,「バーバルな情報」だけで相手の心理状態を推測することになる。このとき読み手自身が怒ったり落ち込んでいたりすると、書き手が怒っているように感じがちだ。このことが、読み手の感情をさらに害することになる。 中山秀夫 [2005/03/08]

次の記事ではコミュニケーションの核心に迫っている。プロジェクトのリーダーからあるメンバーにメールで指示があった。ところが、リーダーは思い違いをしていたことに気づき、先ほどの指示を取り消すメールを送ったが、後の取り消しメールは読み飛ばされてしまった。結果的に、最初の誤った指示のまま進み、プロジェクトの進捗に混乱をもたらすことになった。指示を取り消すというのは重要なアクションなので、それが伝わったかどうか、メール以外の方法でも確認をすべきだったと思いますね。こうしたメールコミュニケーションの問題が発生するのは、たいてい仕事の役割分担が明確でないとか、職場の風通しが悪いとき。言い換えれば、コミュニケーション不足の原因は、メールの使い方や表現方法にあるのではなく、組織の構造そのものにあることが多い。スムーズに意思疎通ができるように、組織や仕事の流れを改善することが先決であって、根本問題を放置したままメールの使い方をウンヌンするのは、本末転倒というべき。(出展:情報通信会社 エンジニア Tech総研記事) 同志社大学の大田肇教授は、「デジタル・コミュニケーションが職場に導入されることで、情報伝達が速やかになり、部署や上下の壁を越えてスムーズに流通するようになりました。一方的に話しかけられて仕事を中断されるということも減るだろうし、情報伝達の曖昧さや誤解を減らすということも当初は期待されていたものです」と、太田教授はメールによる情報交換のメリットを認めたうえで、デスコミュニケーション問題が生じるのは、「以心伝心といったアナログな日本企業の風土の中に、いきなりデジタル・コミュニケーションが導入されたため、まだ十分慣れていないから」と指摘する。

一般に人々は、文字によるデジタル情報だけでなく、目や耳から入るアナログ情報をも必要としている。PCとメールだけにこもっていると、このアナログ的な刺激が得にくくなる。「周りの人の表情を見ながら仕事をすることが刺激になる。仕事の創造性を高める上でもこのアナログ的刺激は不可欠」人と雑談しているときにヒントを得られることも多い。メールコミュニケーションによる文字ばかりの世界に耽溺していると、そうしたアナログ的情報を受け止める感性がスポイルされる危険さえあるのだ。組織における意思決定と情報交換の仕組みづくりを、デジタル時代に合わせて再設計することが重要」と、コミュニケーションロスを防ぐのは、最終的には組織論の問題だと太田教授は指摘する。(太田肇 同志社大学政策学部教授、経済学博士)



おわりに



権限の有無にかかわらず他者に影響を与えて、ある目的を達成するための行動を引き出す能力、他者に影響を与える基盤としては、公式の権限だけではなく、情報・知識、優れた実績・評判、公式の権限、必要な諸資源を集められるネットワーク、好ましい対人関係が必要である。さまざまな役割と性格をもった内・外の多様な人びとが相互に協力しあっている組織は、その内部において対立する可能性を絶えずはらんでいる。こうした対立を最小限にとどめつつ、よりよい成果を引き出すことがリーダーシップの役割である。そのためには、さまざまな利害関係者がどのような利害をもっているのかを正しく把握し、お互いの人間関係を読み取った上で、めざすべき目的に向けて彼らに影響を与え、実行させる対人関係能力が必要となる。他方、不確実な将来にむけてビジョンを提示し、場合によっては組織の過去の仕組みや風土を変革していくために、そのビジョンが組織に受け入れられるよう働きかけてイノベーションを引き起こすこともリーダーシップの重要な役割である。

また、ウェーバーの述べたリーダーシップというものがビジネスの世界では通用しないのだろうか。自分はそうは思わない。なぜなら、このような問題意識のある人物たちがいる限り十二分に改善の余地はあると共にこの意識がよい意味でバランスを生むと思う。たしかにメール何通かでことがすめばそれに越したことはない。わざわざ時間を割いて、予定を合わせ、言葉を伝えることは大きなエネルギーなのかも知れない。この問題は一企業に限ったことではないのは明白だ。他の企業にしろ、自分たち学生にしろ、「インダイレクトコミュニケーション」の典型ともいえるメールというツールはあらゆる場面で増加し、さまざまな可能性と課題と共に増加していく。インターネットの普及というのは恐るべきスピードで蔓延している。以前、隙間産業といっていたものが、新たなカテゴリーとして確立しつつある。そこには必ずコミュニケーションツールの一つのメールは相互関係であろうことは絶対である。あくまでもリーダーシップコミュニケーションというのはダイレクトコミュニケーション主体であるべきでなければならない。ここで問いかけるとするならば、自分の好きな言葉にバランスオブパワーということばがある。いうなれば電子とリアルのバランスをとる、対話という基本的スキルとのバランスの兼ね合いがビジネスの社会において重要だということを問いかけたい。




参考文献


政治家とリーダーシップ (山内昌之 岩波書店 2001)

政治コミュニケーション (大石裕 勁草書房 1998)

総理の資質とは何か  (佐伯啓思 小学館文庫 2002)

リーダーシップ・コミュニケーション

(ロバート・メイ アラン・エイカーソン 徳岡晃一郎訳 ダイアモンド社 2005)

imidas

職業としての政治  (マックス・ウェーバー 岩波文庫 1980)



参考サイト


日経BP総合ポータル

http://www.nikkeibp.co.jp/

IT Pro

http://itpro.nikkeibp.co.jp/index.html

R25

http://r25.jp/

asahi.com

http://www.asahi.com/