枕について~奈良時代から鎌倉時代における~


法学部 政治学科 4年 04142324
田浦 愛海


-目次-


はじめに


第1章 枕と夢

 第1節 枕の概念

 第2節 枕の原点

 第3節 枕と夢の関係


第2章 奈良時代の枕

 第1節 枕の種類

 第2節 旅寝の枕


第3章 平安時代、鎌倉時代の枕

 第1節 時代の背景

 第2節 平安時代の絵巻、絵詞からみた枕

 第3節 鎌倉時代の絵巻、図などからみた枕


おわりに


参考文献


参考サイト






はじめに



 時代の移り変わりとともにさまざまなモノが変化・進化を遂げている。私たちが、普段当たり前のように目にし、耳にし、触れているモノに対して、深く考え、疑問をもつことがあっただろうか。もしかしたら、昔のモノは,今私たちが当たり前と思っているモノのカタチや働き、意味とは懸け離れたものであったかもしれない。そのような考えから、私たちが普段当たり前のように使用している身近なモノについて調べたいと思った。そこで、「枕」を取り上げることにした。

私たちは,「枕」と聞いて、何を想像するだろうか。寝具、寝るということだろうか。それとも、枕詞だろうか。旅行でする枕投げといった遊びだろうか。北枕といった迷信だろうか。落語の最初の前置きだろうか。こう考えるだけで,「枕」という一言には、多くの意味や言葉があることがわかる。

 そこで、私は「枕」を取り上げるにあたって、民俗的視点・文学的視点の2つの視点から「枕」について考えていきたいと思う。なお、以下の3つのことを問題提起とする。

 ・枕が誕生したきっかけとなったものはなんだったのか。

 ・枕と夢との繋がり。

 ・奈良時代、平安時代、江戸時代、それぞれの枕とはどのようなものだったのか。

 第1章では、枕(という言葉)とはどういうものとして見られていたのか。同時に、枕の誕生、枕と夢の関係について考察していく。第2章では、奈良時代の枕を論じていく上で、万葉集の中に出てくる枕の歌を題材としてどのような枕があったのかを考察していく。第3章では、平安時代と鎌倉時代の中の「枕」に触れ、文学的視点からみた枕はどのようなものだったのか考察していく。



第1章 枕と夢



 第1節 枕の概念


 「まくら」という言葉を百科事典や辞典でひくと、以下さまざまな解釈の仕方・意味があった。今回の論文で使用させて頂いた参考文献の百科事典や辞典をまとめたものがこれである。

(1)寝る際に頭をのせて、頭を支える道具。

(2)寝ている頭の方。枕元。

(3)前の方。前。

(4)寝ること。宿ること。旅で寝る。(「旅枕」「新枕」など)

(5)いつも身近に置いて離さないもの。つねのこと。(「枕言」)

(6)横に長いものを下から受け支えるもの(「枕木」)

(7)物事のよりどころ。典拠。たね。(「歌枕」)

(8)本題に入る前の前置きの言葉。冒頭の部分。落語などではじめに話す短い話。

(9)地歌・筝曲の手事(てごと=間奏)の頭につけられることのある短いゆっくりした部分。序。また、マクラというほどの独立性がない場合はツナギともいう。

(10)「まくらぞうし(枕草紙)②」の略。

 いったい枕とはなんなのか。そのようなことを考えた際、非常に難しいことである。私たちが「まくら」と聞いてすぐ頭に浮かぶのは、「頭を支えるもの」とか「寝るときに使うもの」とかくらいではないだろうか。しかし、「まくら」と「人」との歴史は長く、繋がりも深い。枕がいつから使われていたのかはいくつかの文献を読んだが定かでない。昔の枕はどのような形をしていたのだろうか。『日本枕考』の中で、小川光晹氏が次のように述べている。


 「古いことばのままに、同じ姿のものが久しく存在している例は極めて稀で、我々が毎日使っているマクラだけは、名称も昔のままだし、その形状にも大した変化はない」1


 これは、今の枕と昔の枕とではそんなに大きい変化はないということがいえる。今では、さまざまな枕の種類があるが、それも昔の枕の何らか面影を残しているのだ。 また、枕には関心の低いものであるということ、俗信が多いものであるということの2つの特徴もあげられている。現在、健康・癒しブームであり、医療も発達しているし、睡眠に関していろいろ考慮された枕が普及されているように考えられている。しかし、文献を読むと、私たちの身近なものでありながらまだまだ我々の関心の低さはいなめない。次に、枕に関わる俗信が多いということがあげられている。枕の関する昔話、伝説、習慣などを聞いたり、見たり、実行したことがあるのではないだろうか。枕は「個人の霊魂が宿る大切なもの」であることから、枕を踏んだり蹴ったりすることを嫌ったり、人が亡くなると枕を北向きにすることから、普段、北枕にすることや、むやみやたらに枕の位置を変えるのも嫌われている。先ほど枕への関心が低いことを指摘したが、このように俗信に関することに目を向けるとそうでもないように思える。更に、第3節でもふれているが、「枕」と「夢」との関係も「枕」というものを知る上で大切になってくると思う。


 第2節 枕の原点


 枕はどのようなことをきっかけにうみだされたのだろうか。


① 字源と語源

・字源

 漢字はもともと中国で作り出されたものである。今日では、日本・朝鮮など広く東アジアで使われている。漢字の原形となったのは、5000年前に鳥の足跡から発想して作られたと言われる甲骨文字が始まりとされる。

 枕とは、「木」と「冘」の組み合わさった文字である。甲骨文字で、「冘」は神への祭りの犠牲として「水中に牛を沈める」ことを意味したといわれる。殷王朝末から周王朝になり金文文字が使用された。金文字では、罪に対する罰であり、「冘」は「人が首の付け根に重い枠をはめられて上から押さえられる」ことを意味したという。つまり、枕は頭を下に沈めるものとしての意の表れであるとされている。『古事記』・『万葉集』では、万久良・麻久良・摩倶羅と示されている。

・語源

 さまざまな説があるが、定説になっているものはない。白崎繁仁氏が矢野憲一氏の著書『枕文化史』(講談社・昭和60年刊)で諸説について記述されているものをこう要約している。


「1 頭のすきまを支えるので、マクラ(間座)『大言海』大槻文彦説

2 マはアタマの略でアタマクラ(頭座)『日本訳名、和漢三才図会、茅窓漫録』貝原益軒説

3 目を置いて休むのでマクラ(目座)『和訓栞・類聚名物考、俚言集覧』谷川士清説

4 マはカミ(首)「東雅」新井白石説

5 袖を巻いて枕としたものでマク(巻)『古事記伝、俚言集覧』

6 マキクラ(纏座)キとクをちぢめた『古事記伝、和訓集説、雅言考』

7 マクとクラ(座)の合成語『国語の語根とその分類』大島正健

8 神霊を呼ぶ手段として枕を使用するためマクラ(真座)『文学以前』高崎正秀」2


 どの説も首肯できるように思われるが、いずれも十分な説得力には欠ける。しかし、どの説もクラを「座」と解釈しているところが共通点である。

他に魂倉(たまくら)という説もある。枕を頭にあてると魂が肉体から離れて枕の中に宿る。これを睡眠というので、魂の倉とする説明がもっとも妥当であると『平凡社大百科事典』で記されている。また、『日本枕考』の中で、小川光晹氏の『上古、上代の寝所と寝具』の中で述べられたことを紹介している。

 「『……クラということばは、座のほかに、蔵、倉を意味する場合も多いが、マクラのクラもじつはそれからきているものではないかと考える。もっとはっきりいうならば、マクラというものは魂の倉(魂魄の容器)という機能をもっていた。つまり、タマ・クラであったものが、これがつづまってマクラになったと思うのである。……』と。」3 これは,重要な手がかりになると思われる。

② 枕の発想

 枕(枕のようなもの)は、祖先の生活様式の変化の移り変わっていく際に、何らかの偶然によって使用され、作られるようになったと考えられている。白崎繁仁氏は以下の6つを述べている。(1)自分の腕や他の人の膝を頭の支えにすることで、具合よく寝られることを知った。(2)長時間の腕枕はしびれてしまうので、草や木、石などを使った。(3)頭部を高くして寝ることは具合がよいと知った。(4)偶然、頭部に枕になるようなものが当たり、具合がよいことを知った。(5)枕のようなものがあると寝返りがしやすい。(6)周囲の音が聞きやすい。

 このようなことから、「枕」と人間の日常での姿勢や動作、行為が大きく関わっていることが見えてくる。結局は、何らかの物体に頭部をのせ、支えるものとして使用すれば枕なのである。枕の発想の原点となるものは何なのかを考えた際に、枕の代わりとなる物体を使用しないということを前提として考えるとすると、手枕・肱枕・膝枕に手応えを感じるという清水靖彦氏の見解に注目したいと思う。清水靖彦氏は、この3つの枕が枕の発想に繋がるという根拠について次のように述べている。

(1)この世に人間が出現してから肱枕のようなことは自然に行われてきたものと推定される。

(2)袖を肱に巻きつけて肱枕としたことが、『古事記』(中)の「古くは袖を巻いて枕にした……」の部分から読み取れる。

(3)さまざまな話の中で、三つの枕がいろいろな場面で大きな役割を果たし、その時代の人々が必要性を感じていたと考えられること。

(4)三つの枕の形態と感触の面影を、古代に見られる草枕類、括り枕、木枕などから感じとれること。

何らかの物体を使わずに、すぐに枕の代わりになるようなものといえば腕や手である。所謂、肱枕と手枕である。人は頭部を支えようとする自然の要求により肱枕をした。膝枕と手枕は、肱枕の延長線上であり、どの枕も似た雰囲気を持つ枕である。しかし、上記にもあるが、3つの枕の欠点とは、長くしていると腕や手がしびれてしまうこと、他人の膝をわざわざ借りなくてはならないということである。このような欠点を解消しようという試みが物体としての枕を誕生させたのである。


 第3節 枕と夢の関係


① 初夢の起源

 「一富士・ニ鷹・三茄子」という言葉を誰しも一度は聞いたことがあるだろう。特に年末年始にはこの言葉を頻繁に耳にするのではないか。初夢(夢)にみると縁起の良い順番である。江戸時代からのことわざで、枕の形や図柄もある。起源についてさまざまな説がある。ここでは、多く解釈されるといわれる駿河の国にかかわる説を取り上げたい。

(1)〔笈埃随筆・俚言集覧・嬉遊笑覧〕駿河の国の名産を並べた。

(2)〔甲子夜話〕駿河の国で高いものを並べた(「富士」は高い、「鷹」は足高(愛鷹)山の俗称、「茄子」は初茄子の値段)。

(3)〔続五元集〕富士は高く、鷹はつかみ取る、茄子は成す(むだ花がない)。

他にも、家康の好物で「景色は富士、趣味は鷹、好物は茄子」や三大仇討としたもので「富士の裾野の曽我兄弟の仇討、鷹の羽の紋所の浅野浪士の仇討、伊賀上野の荒木又右衛門の仇討」などがある。このことに関して,次のような歌もある。

「初夢 まさに見し一富士ニ鷹三茄子夢ちがへして貘にくはすな」〔狂歌・巴人集〕

② 宝船とナンテン(南天竹、南燭)

・宝船

 宝船の版画には、宝船にのった七福神と宝物、帆には「獏」という文字が書かれている。江戸時代には、1月1日か2日の夜寝る際に、枕の下にこの版画を敷いて寝るとよい夢をみることができるとされた。現在でも、教科書を枕の下に敷くと試験で良い点が取れると言った話を聞くことがあるが、こういったものに繋がってくるのではないだろうか。このような風習の始まりは定かではないが、室町時代からは既にあったようだ。

・ナンテン(南天竹・南燭)

 ナンテンの絵を描いた枕が多くある。特に箱枕・撥枕・組み木枕に多く見られるようだ。「難を転ずる」ということから悪夢も良い夢に変えるとの言葉にかけて使用された。



第2章 奈良時代の枕



 さて、第1章では頭部を何らかの物体にのせた時点でそれは枕であり、そのような物体を使用する或いは枕が誕生したきっかけとなったものは何であったのかについて考察してきた。第2章では、どのようなものを枕としたのかについて考察していく。また、万葉集(古書)で詠われた枕を紹介して、万葉集の歌で枕がどう扱われているのかにふれる。


 第1節 枕の種類


 日本の国では、昔からさまざまな枕が使用されてきた。どのような枕が使われてきたのか。ここでは、万葉集の歌からみた奈良時代の枕について論じる前に、昔あったと思われる代表的な枕を取り上げ、枕の説明をしたいと思う。


① 草枕

 太古から現在にかけて使用されていて、古書の歌でも、草枕は枕の中で特に取り上げられている。草が原料であるために草の種類は異なる。草枕の中には、「草を束ねた束枕」、束枕とは、草・布・古紙などを束ねて枕をしたものであり、草枕は古代の枕の原形である。「ゴザを巻いた枕」、「ゴザを枕側として詰め物をした詰め物枕」などがある。詰め枕とは、布・皮・ゴザなどで枕の側部分を作って、これに詰め物をして大きさ・形を整えて作った枕であり、時代に関係なく、今も昔も広く使われている。草枕の主な材料は、イグサ・ハス・マコモ・ガマ・ススキ・ヨシ・イネ・薬草・香草類である。

 これだけ見ても本当に多くの種類の草類があることがわかる。他にもさまざまな草類で作られた草枕が存在するのだろうが、ここでは薦枕、イグサ枕、菅枕について調べていきたいと思う。

・薦枕

 薦(マコモやわらで織ったムシロ)は菰とも書く為、「まこも」の異名である。マコモを編み、目の荒いムシロとしたものを丸めて枕がわりにしたものをいう。特に、荒く織ったムシロのことを指し、ムシロを丸めて使った枕という意味が強い。ムシロとは、薦・藺・蒲・わら・竹などを荒く織った敷物の総称である。日本では、古くから織るというのは縦糸と横糸を絡み合わせて編むやり方があるが、ムシロは縦糸を固定して横糸を差し込でいくのだ。この技術は、石器時代の遺跡から麻の繊維で織ったものが見つかり、非常に古くから行われてきたことといえる。

また、『日本書紀』・『万葉集』の中でもよく扱われていて、昔、漁師が使用した粗末な枕であるとされている。

・イグサ枕

 イグサ枕は、現在も夏の季節になるとを使用している人がいるようである。イグサ枕は、イグサの茎を編んでゴザを作り、枕側とした詰め物枕がある。それだけでなく、ゴザに色紋様を編みこんだものや、形も丸形・半丸形・角形・平形・飾り付けなどといったデザインの違うものも多くあるのだ。

 イグサ(藺草・灯心草)とは多年草であり、原野・山野の湿地に生え、栽培もされる。採集の仕方は、開花期の前後に地上部分の全草を刈り取って、日陰で乾燥をさせる。畳表・ゴザ・枕側・うちわ・手さげ・夏の帽子などの材料として使われ、利用範囲が広い。茎の皮を割くと白い髄は油の吸収がよい為に、昔はあんどんなどの灯心やローソクの芯として使った。また、枕の詰め物としても利用された。このように、世界各地でも多く利用されていて、寝ゴザ・マットレス・枕といった寝具用品として使われることが多い。

・菅枕

 菅枕とは、茎を刈り取って、丈を短くしてゴザ状に織ってまるめるか、もしくは、茎を丸く束ねて両端を紐で結って作った枕のことである。菅というのは、カヤツリグサ科の草本の総称であり、種類が多い。水辺や湿地に多い。熱帯から寒帯に分布しており、世界中でおよそ900種類、日本で200種類ほどあるといわれている。夏場には、葉を刈り取り、蓑・笠・縄などを作るのに使っている。

草枕は、多くの種類があることからも、古来からの歴史のある枕であることがわかる。後になって、草枕から括り枕(中に綿やそば殻などをつめ、両端をくくってとめた枕。また、ぼうずまくらと同じ)がうまれたのである。

また、草枕というと「旅」の枕詞であると思われる程に和歌でよく詠われている。この事については、第2章の第2節で、再度「草枕」にふれつつ、「旅枕」について論じたいと思う。

② 木枕

 木枕は、1本の木を加工したり、複数の木をつなぎ合わせて1つにして作られた枕である。木枕も草枕と同様に古代から使用されていたため、形も種類も多数ある。桐枕・ヒバ枕といったように木の材質で呼ばれることもある。

・黄楊枕(つげまくら)

 黄楊枕とは、黄楊の木部を短く切ってかまぼこ状・箱型状にした枕である。中国では、黄楊枕は上等な枕として考えられていた。黄楊枕というのは枕の素材である為、本来は、木枕の代表的な1つであると考えられる。木で作ったものは、世の中に数多くあるが、木の種類によっては使えば使うほど味が出てくると感じたり、目にしたりする機会がある。黄楊枕も同様で、使い込むほどに美しさが増して木部の良さを感じさせる枕であった。

 黄楊枕は『古今和歌集』の中でたびたび扱われている。

 後に、木枕から箱枕(箱型の台の上に小さな括り枕をのせた枕)がうまれたのである。

③ その他の枕

 草枕や木枕の他にも古代から使用され、古代の歌で扱われた枕がある。その中で、手枕と石枕の2つを取り上げたいと思う。

・手枕

手枕の場合は、一個の独立した枕であるというのは考えがたいようだ。昼寝やテレビを見ながらゴロゴロする際、自分の曲げた腕に頭をのせて枕がわりにした経験がある人は多いであろう。これを手枕という。しかし、手の部分ではない為、正確には肱枕というのが正しいのではとも言われているようだが、一般には手枕といっている。古代の歌人は、手枕を扱った歌を多く詠んでいる。自分自身で肱を使って手枕をするといった歌もあるが、他人に手を貸す場合も手枕である。この誰かに手を貸す行為は、特別な情が込められた枕であったようだ。

・石枕

 枕石と石枕について論じたいと思う。枕石とは、原始的な枕の1つであり、自然にある石の中で枕となるような石を探し使ったものである。古代では、葬送の石としても使用されていたようである。地方によっては死者を葬る際に、棺を釘打ちする小石を枕石と呼ぶ。私も祖母の葬儀にこのような様子を目にしたことがあった。次に、石枕についてだ。石枕というのは、石を加工して作った枕である。石枕というのは、現在、私たちには身近でない枕のように感じる。石枕もまた枕石同様に、古代で死者を埋葬する際に、頭を安置する為に使われた。また、古墳時代の石枕が発掘され、重要文化財に指定されているものもある。石枕は、人の日常生活の中に馴染んで使用された記録は見当たらないということを指摘されていて、あるとすれば伝説の話や遺跡に関するものである。

特に中国では石枕の歴史も長い為、種類も多いようである。例えば、唐代の詩人賈島の詩にも「枕は川辺の石」とあり、自然の石を使っている様子が伺える。他にも、各地の特産の石を枕の材料とした。数年前に東京で全国古民具骨とう祭りというものが行われたようである。白崎繁仁氏は古い石枕を見た際のことをこう述べている。


 「白大理石の枕は方形で意外と重いので毎日の扱いは大変と思った。」4


 和歌に出てくる石枕とは、石の枕そのものをさすのでなく、海辺・川辺に宿って寝る、または、海辺・川辺の石を枕にすること意味する。


 第2節 旅寝の枕


① 防人の歌

「草枕旅の丸寝の紐絶えば吾(あ)が手と付けろこれの針(はる)持(も)し」

〔解説〕 これは、物部真根と椋椅部弟女(くらはしべのおとめ)の若夫婦の歌である。彼らは出発がせまった夜、竪穴式の粗末な家でかまどの火を囲んでいた。妻の弟女は、かまどの火の明かりを使って夫の門出の着物を修繕して、取れやすい着物の紐を一針一針縫い直す。夫は、旅先で丸寝(帯もとかず、衣類をつけたままで仮寝をすること)を幾夜繰り返すのだろう。針を持ったことがない夫が、この紐が切れた時には縫い直すことができるように、夫に針と糸を持たせよう。着物の紐が切れたら、自分で(わたしの手だと思って)、針をつけて下さい。と、いった妻の切ない思いがつまった歌である。

 「草枕旅行く夫(せ)なが丸寝せば家(いは)なるわれは紐解かず寝む」

〔解説〕 これは歳徳の妻、椋椅部刀自売(くらはしべのとじめ)の歌である。こう解釈されている。


「あなたは、どうせ、旅では丸寝をすることでしょう、そうとなれば、家に残るわたしも、あなたにならって、紐をとかずに寝ましょう(これが、妻であるわたしの、せめてもの心づくしです)。」5


② それ以外の歌

 「人言の繁きによりて まを薦の 同じ枕は 我はまかじやも」

〔解説〕 作者は記されていませんでした。人言というのは人が噂をするということである。この歌は、噂がひどいことから薦で作った枕はしないでいようかと歌われたと解釈されている。ここに出てくる薦枕は、男女が共同で使用する枕のことであり、歌では同じ枕と歌われている。草枕からうまれた括り枕には二人用のものがあった。これを長枕と呼んだ。

 「草枕 旅行く人も 行き触れば にほひぬべくも 咲ける萩(はぎ)かも」

〔解説〕 これは笠金村(かさのかなむら)の歌である。この歌は次のように解釈されている。咲いている萩は、旅をしている人が道を通りかかる際に触れると衣類にその色がつきそうなほどに鮮やかである。

 旅寝の枕には、草枕や薦枕といった枕が使われていた。当時、旅をする際、今のようにいたるところに旅館やホテル、マンガ喫茶があるわけではない。小屋を建てたりしない限りは野宿せざるをえなかったので、草枕や薦枕といった粗末な枕を作り、使っていたのである。

 ここでは草枕についても少しふれたい。草枕とは「旅・多胡(地名)」にかかる枕詞である。『万葉の歌ことば辞典』ではこう述べられている。


 「古代の旅人は草を結び、あるいは刈り重ねて枕としたことから旅に冠するといわれているが、実際はそうではなく、むしろ、もろもろの旅情を封じ込めた語と見るべきであろうと思われる。」6


 また、これらの歌からわかるように我々が思い描く「旅」と昔の「旅」とではまったくといっていいほど違うということである。清水靖彦はこの述べている。


 「先人達は、粗末な枕を旅中の友としながら、旅情や郷愁を歌に詠んで、心のなぐさめとしていたことも、多くの歌を通して今日伺い知ることができるのである。」7



第3章 平安時代、鎌倉時代の枕



 ここでは時代の背景にふれ、絵巻・絵詞・図から平安時代と鎌倉時代ではどのような枕が使われていたのかを考察していく。


 第1節 時代の背景


 時代の背景にふれていく中で、特に枕と大きな関係のある髪型についても述べていく。


① 平安時代

 奈良時代は、天平文化をはじめとして文化の栄えた時代であった。前時代に中国との交流がはじまり、中国文化の影響を大きく受けた時代でもあったが、平安時代になっても、風俗に関してはあまり大きい変化はなかった。しかし、中期以後遣唐使が廃止されたことで、中国模倣も徐々になくなっていき、日本独自の方向を辿るようになった。

 男性の髪型は、朝服の場合は頂頭部でまとめて結髪していた。なぜならば、頭部に撲頭と呼ばれる冠をかぶっていたからである。公家は紫色、武家や庶民は白色の元結(髪を束ねる紐や糸)を用いて髪を結んでいた。側髪は下に垂らさなかった。

 女性の髪型は、貴族・中流婦人・庶民階級の者の場合は長髪で、天然の髪を後方に垂らした垂髪であった。しかし、垂髪の場合に夫が安定すると、顔の側面の髪を切りそろえびんそぎして垂れ下げるということを上流婦人は行った。また、中流以下の婦人は、労働する際に邪魔にならないように髪の長さを背中までとした。礼装の場合は、頭の頂部に髪の輪の飾りを作って、側頭部の髪を垂らし、耳の下で丸くまとめるようにした。

② 鎌倉時代

 鎌倉時代は、12世紀末頃から始まった。鎌倉幕府が開設されてから、江戸時代に至るまでの中世前期の時代は、武士の時代であり、戦乱が続いた。

 髪型は、月代(男女が甲や冠をつけるために前頭部の髪を半月形に剃りおとした部分)8 を剃っていた。武士は甲冑を着用して戦場に行かなくてはならないために甲を冠りやすい髪型となっている。鎌倉時代の髪型は割合単調なものであったことから特殊な枕も存在していなかった。


 第2節 平安時代の絵巻、絵詞からみた枕


『伴大納言絵詩』(国宝・東京酒井忠博蔵)では、平安末期、常盤光長によって大納言が応天門を焼いた事件を描いている。大納言が放火を白状し、追捕使に連れ去られた直後の大納言の家の様子、特に寝室の光景で枕が描かれている。


 「・・・その奥の方には、今しがたまで使っていたと思われる二つの枕が見えている。これらの枕は、角ばった布張り枕(木製かと思われるほど、角がしっかりと張った布張りの箱状をなし、両側面にはたすきがけに紐の飾りが見えている)であることが知れる。」9


 『源氏物語絵巻』(徳川黎明会、五島美術館分蔵)では、一条の柏木邸で柏木が夕霧の来訪を受けて、二人が対面する場面でも枕が描かれている。


 「柏木は鳥帽子をかぶって、白い色の枕に頭にのせて寝ていたが、夕霧を見て枕から頭を上げようとしている。鳥帽子が長いので、枕はかなり縦長の背の高い木枕で、白の布張りか、或いは白く塗り上げたもののようである。枕の上には薄い布の頭あてがあかれているのが見える。」10


 第3節 鎌倉時代の絵巻、図などからみた枕


 『一遍聖絵』(国宝、歓喜光寺、東京国立博物館蔵)でも、枕の絵が描かれている。一遍は、各地を巡り歩いて修行をしていた。その中で、京都鳥丸通りの東にある平等寺または因幡堂に泊めてもらおうとしたが、修行者風情の者は泊めないと断られてしまう。しかし、この寺の執行である民部法橋覚順は、本尊に大事な客人のため粗末にしてはならないと告げられる夢をみて、一遍を寺に泊まらせた。この時の場面が描かれている。


 「寺僧達によって畳が板の間に運びこまれて、一遍の寝床をにわか作りする場面が描かれている。見たい枕はこの縁の下である。二人の乞食が既に白河夜船で、一人は薦を丸く巻いた薦枕を、一人は四角な箱状のむき出しの木枕をしている。」11


 『春日権現験記』の男女同衾の絵にも枕が描かれている。この絵巻は、寝室の図がいたるところに描かれているため、昔の生活の様子が垣間見られるのではないか。ここでは、黒漆塗りをされたような木枕が使用され、布か紙の頭あても巻かれている。そこには枕元に枕刀があり、髪型も月代を剃っているのを見ると武士であることがいえるようである。

 下記の絵巻は、『親鸞上人絵伝』(西本願寺蔵)の絵巻である。この絵巻は親鸞の生涯を15場面で描いた。人が寝ている様子が多く見られ、枕もいくつか描かれている。ここで紹介したいのは、寺僧たちの寝室を示した図である。ここでも2つの枕が描かれている。1つは黒塗りの枕、もう1つは布張り枕或いは括り枕と思われる枕をしている。

  (↑ 『日本枕考』清水靖彦、勁草書房)


 平安時代も鎌倉時代も大きく変わることはなく、草枕、木枕、括り枕、布張り枕といった枕が使用されていた。多少、鎌倉時代になり木枕に黒漆塗りの加工した美しい枕がみられ、木枕の上に薄い括り枕状のものをのせるといった使われ方もしていた。



おわりに



 第1章から第3章にかけて「枕」について考察してきた。私が身近にあるものとして選んだ「枕」というものには、本当に多くの意味や解釈があることがわかった。時代の移り変わりとともに「枕」も大きく変わっていったのだと思っていたが、その考えは違っていたのかもしれない。確かに、現在、物資や材料に関しても数多くのものが手に入る世の中であることから、昔よりは工夫することも改良することも簡単であるだろう。しかし、そのように工夫や改良された枕も「昔の枕」の面影を多少なりとも残しているのかもしれない。

 そして、「枕」に関する俗信も多いことを改めて知ることができた。「枕」は既に私たちの生活の一部であり、当たり前のものとなりすぎているのかもしれない。「枕」はどことなく懐かしさ、心地よさといった親しみを感じさせてくれるものという反面で、多くの伝説や昔話、言い伝えのようなミステリアスな部分も多くあり、学問的にもまだまだ知られざる部分があるということを感じた。

 寝具の中でももっとも古いものとされている「枕」、まだ知られざる面を持っていて、今後もさまざまな工夫・改良された枕やさまざまなデザインの枕など多くの枕が普及していくことだろうけれど、これからも常に私たちの身近なものとして私たちのすぐ傍で存在してくれることだろう。








1)清水靖彦『日本枕考』(勁草書房・1991年)P.7。

2)白崎繁仁『枕の博物誌』(北海道新聞社・1995年)P.136。

3)清水靖彦『日本枕考』(勁草書房・1991年)P.4。

4)白崎繁仁『枕の博物誌』(北海道新聞社・1995年)P.181。

5)山本藤枝『防人の歌は愛の歌』(立風書房・1988年)P.102。

6)稲岡耕ニ・橋本達雄『万葉の歌ことば辞典』(有斐閣選書R・1982年)P.121。

7)清水靖彦『日本枕考』(勁草書房・1991年)P.73。

8)清水靖彦『日本枕考』(勁草書房・1991年)P.89。

9)清水靖彦『日本枕考』(勁草書房・1991年)P.88。

10)清水靖彦『日本枕考』(勁草書房・1991年)P.88。

11)清水靖彦『日本枕考』(勁草書房・1991年)P.90。




参考文献



相賀徹夫『大日本百科事典』(小学館・1971年)

石上堅『日本民族大辞典』(桜楓社・1983年)

稲岡耕ニ・橋本達雄『万葉の歌ことば辞典』(有斐閣選書R・1982年)

白崎繁仁『枕の博物誌』(北海道新聞社・1995年)

清水靖彦『日本枕考』(勁草書房・1991年)

下中邦彦『平凡社大百科事典』(平凡社・1985年)

尚学図書『国語大辞典』(小学館・1981年)

尚学図書『故事ことわざの辞典』(小学館・1986年)

中村總一郎『ベネッセ全訳古語辞典』(株式会社ベネッセコーポレーション・1996年)

松村明・三省堂編修所『大辞林』(株式会社三省堂・1988年)

山本藤枝『防人の歌は愛の歌』(立風書房・1988年)




参考サイト



髪型の歴史(男子)

http://www.cosmo.ne.jp/~barber/kamigata.html

髪型の歴史(女子)

http://www.cosmo.ne.jp/~barber/kamigat2.html

たのしい万葉集(1532):草枕旅行く人も行き触れば

http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/eight/m1532.html