闇社会の住人ヤクザ


法学部 政治学科 3年 05142101
渡辺 公人


−目次−


はじめに


1章 ヤクザ社会学

 1節 「ヤクザ」とは

 2節 ヤクザ出生の秘密とその家族


2章 ヤクザの経済

 1節 クザの収入源

 2節 トラブルにあってしまったら…


おわりに


参考文献


参考サイト






はじめに


私たちが生活する社会は安全が当たり前で悪いことをした人間は法律によって罰せられそれ相応の罰を受ける仕組みになっています。しかし、最近では暴力団がらみの発砲事件によって民間人が犠牲になったり身近なところでは私のアルバイト先の飲食店では3ヶ月に一度の割り合いでみかじめ料のような不透明な資金の流れがあることを自分の目で確認したこともあります。今回私がヤクザをレポートで調べようと思った理由はこれほどまでに身近にヤクザ達の資金調達のためこうむる被害が存在するのにもかかわらず彼らに対する知識が少ないからです。知識の有無は必ず事件発生時に影響を与えると思います。私が大学2年生のときに大学の校舎から20分ほど離れた洗車場でヤクザに金銭を奪われました。最初は道を聞かれたのでその人が普通の人ではないと思いつつも素直に道を教えて話をしていたところ徐々に恐喝まがいな話になり私も断ろうと抵抗しましたが彼の「これは俺の本業じゃないから家までついていって金をもってこいだとか銀行行っておれの目の前で有り金全部おろせって言ってるわけじゃない。穏便にすませるなら今だぞ。」という発言で激しい恐怖を感じお金を渡してしまいました。このような経験も理由のひとつです。このレポートでは私があったような事する人間がいったいどのような環境で育ったのかを調べたり私たちの社会のルールと同じくヤクザ達にもルールや人生がありそれがどのようなものなのか、そしてこれから被害にあわないために必要な知識などをまとめてしました。


1章 ヤクザ社会学


 1節 「ヤクザ」とは

闇社会の中で生きている人物のなかでヤクザという人種はいったいどのような人達を指すのだろうか。暴力団とヤクザとはどう違うのか、暴力団とは一般的に集団で暴力を駆使して利益獲得のためなら犯罪も犯す反社会的な集団であるとされている。意外であるが暴力団という言葉は90年代に入ってマスコミがこぞって使い出した言葉である。現在では暴力団対策法などと法律でも使われるほど言葉が定着している。暴力団と聞くとアウトロー集団を連想するがもちろんヤクザだけではない、映画[男はつらいよ]でおなじみの寅さんのモデルでもある縁日などに出ている屋台で稼ぐ的屋、サイコロを振って賭け事に興じる場をしきる博徒、暴力至上主義で喧嘩師ともいわれる愚連隊、そしてその中にヤクザはある。

ヤクザという言葉の語源は花札から由来するものとする説が一般的で3枚まで引いてその札の数の合計数の一の位の大小で勝負するというルールであり「8,9」と2枚引いた時点で一の位は7なのだからまともな人であればもう一枚はひかないが射幸心の強い輩はもう一枚をひくそしてまんまと3と引いてきてしまい「8,9,3」となってしまう、すると一の位は0になってしまうのだ。このようなことをする人のことを札の数字の役に立たないとかけてヤクザというようになったという。

私たちは様々なメディアを通してヤクザといわれるアウトローの存在を知っているが彼らはいつごろから日本にいたのだろうか。最初のやくざと言われる人物は江戸前期にいた。その名前は旗随院長浜衛という町奴の頭である。町奴というのは関が原の戦いの後、徳川家康が天下を打ち立て刀の時代は終わりを告げ、法律とそろばんの時代がやってくる。平和な世の中に必要なのは一握りの官僚であり戦しか知らない武士のほとんどは世の邪魔者になってしまった。そして俸禄もろくにもらえない旗本達は新興都市となった江戸を異様な出で立ちで練り歩き乱暴狼藉を働くようになった、そんな武士達を旗本奴と呼び彼らに対抗するべく江戸の町を役目を買って出てきたのが町奴である。もっとも町奴の頭の主な仕事は私設の職業安定所の運営であった。戦が終わり建設ブームをむかえていた江戸に来れば江戸に来れば食いぶちには困らないと様々な種類の人間が町奴を尋ねた。諸国で失業した元武士や年貢未納により田を捨てた農民、町民や農民の三男以下として生まれ厄介者扱いされた者など。そんな一癖ある人間達が徒党を組んで頭のことを寄親、子分のことを奇子と呼ぶようになり「奇親奇子」と呼ばれる絆が親分子分の絶対的主従関係の原点になっているといえる。つまり町奴が徒党と組むこと、親分と子分という明確で絶対的な上下関係があることからも町奴こそがヤクザの原点だと推測される。

ヤクザには「カタギ(一般市民)に迷惑をかけるな」という大義名分がある。それと同じようにヤクザ同士でも1、バヒ張るな2、バシタ取るな3、タレ込むなという約束事があるといわれている。バヒ張るなとはお金をごまかすなという意味でバシタ取るなとは仲間の女に手を出すなという意、タレ込むなは組織内部の情報を外部に漏らすなという意味である。また、規律上覚せい剤や麻薬などを使っての商売もご法度であり発見すると破門、もしくは絶縁処分になる。以上の規律をみれば分かるように本来ヤクザの社会であってもルールが存在しなにをしてもかまわないという集団ではなかった。

昔のヤクザの実像は高倉健が演じるヤクザ映画に酷似していた。どんな人物だったかといえば大げさに言うと弱気を助け強気をくじくとでもいうのだろうか、罪もない一般人達が虐げられ主人公の大切な人を殺され堪忍袋の緒が切れ単身悪役ヤクザの本部に乗り込むといったところである。昔のヤクザの組長は自分たちの稼業についてインタビューでこんなことを言っていた。「私たちはコップにそそいである水に手をつけてはいけない。コップからあふれてこぼれた水をすするんだよ。」この言葉をからも一般市民の懐から根こそぎ財産を強奪、奪還することを良しとしていないことが容易に伺える。ようするに堅気の人々が一生懸命働いてコツコツ貯めたお金のうちそこから発生する過剰利益のなかからをヤクザは頂戴するということだ。だからこそ縁日で屋台を出してたこ焼きや金魚すくいで利益を得るのも分かるし違法ではあるが賭場を設けそこでお客(一般市民)意思に任せ自由に賭けに興じそれに応じて代金を徴収するのも理にかなっていることである。またヤクザは親分と子分という厳格な主従関係を持つことでも有名である。親のいう事には子は絶対服従というくらい親と言う存在は絶対なのである。親分は絶対であり親分がカラスを見て白いと言ったらそれは子分から見ても白い鳥であるといわれるほどだ。また親分の家の当番になった子分は毎日が年末の大掃除状態でほこり一つ残さないよう雑巾をかけたり親分が外出から帰ってくる車のエンジンの音が聞こえたら当番総出で門の前に整列してお出迎えだそうだ。親としても、子とは、組の資金を調達したり抗争時には鉄砲玉(ヒットマン)になり刑務所にいく者もいるのだから大切であり懸命に育てる、もちろん子が犯した不始末は親の責任でもあるため責任をとるために子のために親が動くという事もある。このようにお互いがお互いを大切に思うからこそ子分は親分のために命を捨てる覚悟ができるし、暴力社会に生きるヤクザ達にとって大切な統率力も養われているのである。

しかし現代のヤクザにはそれらが失われつつある。今まであげてきたルールや思想が現代のヤクザにも根づいているのならば社会全体が暴力団完全追放を掲げるなどということはおこらないはずだ。その原因は日本のバブル崩壊とその後の長期不況、そして暴力団対策法暴力団対策法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律、以下暴対法と略す。)にあったのではないかとおもう。まずバブル時代には一般市民と同じくヤクザも巨額の富を得た。詳しくは2章で説明するが一説によるとバブル期にヤクザが得た利益は1兆円から2兆円のあいだといわれている。資金を豊富に持ち大企業の株を5%以上も保有してしまうヤクザをみて行政府はその存在に不安を感じヤクザを失脚させるために暴力団対策法を成立させ施行されるとみかじめ料や用心棒代、その他多くのグレーゾーンといわれている法律的に対処しづらい民事介入暴力なども取り締まれるようになり、それと時を同じくして日本経済は不況となりそのあおりをヤクザ達も受けたのである。金稼ぎの方法を制限されそれに加えて不景気で資金獲得が難しくなるとヤクザ達も任侠だ仁義だといっていると飯が食えなくなってしまいます。任侠や仁義というのは本来ヤクザ達がもつ唯一の賞賛すべき思想だと私は思ったがそんなキレイなことがその頃になると「キレイごと」としか言えなくなってしまう。また親分子分という絶対的な主従関係にも亀裂が生じてしまう。昔のヤクザ社会では親にとって子は原則として平等であり決して資金獲得の得手、不得手だけが子の優劣を決める要因ではなかった。だが不況のあおりと暴力団対策法による資金獲得方法の減少によって資金獲得が上手なヤクザが良い子分と見る親分が増えてしまった。それは子分にも同時にいえることで資金獲得が上手な組というだけでその組の親分に盃をいただき子分になるので入ったはいいが親分の人間性に納得がいかず親に対する忠誠心が無かったり、親分のお金を持ち逃げする子分まで現れてしまうのである。

こうして日本ヤクザの出来事を振り返ってみると、社会の急激な変貌が、同時にヤクザ社会の基底まで重く影を落とし始めているということが垣間見える。もうヤクザの任侠道というのは彼らが生きていくためにいやおうなく変質を迫られているのである。任侠ヤクザの時代はもう終わったといっても間違いではないだろう、すでに最近ではATM強奪やオレオレ詐欺などという凶悪な犯罪を犯してでも資金を調達しようというなんでもありの完全地下潜行型のマフィアに限りなく近い存在になっているのではないかとおもう。

 2節 ヤクザ出生の秘密とその家族

私達大学生が就職活動をしていて就職先が「○○組だよ」という学生は噂でも耳にしたことがない。いったいどのような人間がヤクザの世界つまりアンダーグラウンド、ブラックソシャエティーに踏み入れるのであろうか。ここでは闇社会に関わりを持った人の生い立ちや生活を紹介していきます。

一代で山口組を全国規模の大型組織に作り上げた山口組三代目組長の田岡一雄組長は自伝の中で幼少期をこう述べている。「まずしい農村の子に生まれ、小さい時は母ひとり子ひとりの寂しい家庭であった。薄暗い土間の片隅に私の食い散らかした茶碗が鉄鍋の中にビタビタと水につけたままの状態になっていて、それを凝視しているだけで慄然とする寂しさを感じた。」と。また働きづめの母親に会いに行きたかったが行けば同じ小作人仲間や地主から嫌味をいわれることは幼いながらも分かっていたそうだ。そして母は一雄氏を残して一人で死んでしまうがそれでも家を出て行った姉も兄も帰ってはこず医者も一度だけ来ただけだったそうだ。そしてその時に流した涙の熱さが歳を重ねた今でも忘れられないと語っていた。他にも指定暴力団の構成員日本に連れてこられた朝鮮人が戦後の混乱時に生まれた子どもで出生の届出もなく国籍がないし、貧困に苦しみ朝鮮人であるという理由で周囲の人間から差別を受けたり暴力をふるわれたりもしたそうだ。この2人の生活や体験をみて幼少期の家族愛の欠落や貧困、差別などがヤクザ社会に入り込む原因とみられる。家族からの愛情が欲しい、貧困から抜け出すために早く大人になりたい、差別のない社会で暮らしたい。この強い思いが向かう先そして受け入れることのできる社会はヤクザ社会なのである、1節にもあげた親分子分という主従関係は盃を期に交わされる擬制的血縁関係なのだ。同じような境遇の者が集まって家族愛に擬したきずなを形成するのだ。

次に山口組4代目組長竹中正之がヤクザになるまでをみてみる。竹中の生まれた家は姫路の旧家であり徳川時代には大名の宿舎にもなった代々の庄屋であり幼少期のある時期まで貧困にあえぐなどということなく裕福な幼少期をすごしている。これはヤクザの中では珍しい例である。幼少期の竹中正之は乱暴ではあったが決して粗暴ではなく小学生時代にはトップクラスの成績で優等生であったし時代が戦争中であったため竹やりでの軍事訓練などもあり今の子どもに比べて全体的に荒っぽい性格だったのだから竹中氏が特別に暴力性の強いいわゆる悪ではなかった。それでもリーダーとしての資質は十分にあって弱いものいじめをせず仲間をかばい責任を自分が負うといった高潔さを幼少期から持ち合わせていた。昭和21年、敗戦の混乱期に小学校を卒業し地元の有名進学校に進んだ。この学校は成績優秀はもちろんのこと経済的にも恵まれた家庭の子どもしか入学できず竹中家がいかに名家だったかがうかがえる。しかし街の顔役だった祖父の死をきっかけに実家の経済状況は悪化し住み慣れた家屋は人手に渡り引越しをして料理屋を開業するが家計は火の車となってしまったという。竹中家には13人の子どもがおり正之はちょうど実家の経済状況が没落しはじめる境界線上に位置していた。そのことから正之の兄や姉は進学したが正之より下の兄弟たちはそろってヤクザとなっていった。

他にも少し特殊な形でヤクザになったものもいた。青年は暴走族で親も教師も泣かせてしまうどうしようもない人間だったと本人は過去を振り返っている。盗みも喧嘩もなんとも思わず誰の言うことも聞かなかった青年に母親が覚悟を決めて息子を地元の親分のところへ連れて行きました。母親は「親子の縁は切ったからあなたはここで生きなさい。」と泣きながら話したそうです。親分は「お母さん。分かりました、一年お預かりして、お返しします。しかし、いいですか、もし息子さんが私らの世界で生きていきたい一年後に言ったらどのときは私の子にします。それを覚悟してください。」

母親はその条件をのみ息子を置いていきました。その後の厳しさは想像以上で最初の三ヶ月は事務所から一歩も出ることができず毎朝便所掃除から一日が始まり、表をはいたりするのは自分より早くからいる兄貴たちがやっていてとにかく三ヶ月間ずっと便所掃除でゴミやほこりが少しでもあれば容赦なくぶん殴られ血が流れることなど日常茶飯事だったそうです。その間親分と話をするなんてこともありませんでした。三ヶ月たち今度は表を掃除することができるようになりまた三ヶ月後には電話番で声の出し方と受け方、メモの取り方を習いさらに三ヶ月だった九ヶ月目にして親分にお茶を入れるよう言われてそのときに初めて親分に声をかけられたそうです。そして一年たち親分に「よく辛抱したな、もうどこに行っても大丈夫だぞ」と言われ青年は感動し自ら子分になることを志願したそうです。前の二つの例とは多少異なりますがそれが暴力であったにせよ結局青年のために律してくれた人に恩義を感じ身の拠り所をヤクザの家族にしたということは

ヤクザにはアウトロー達が求めている家族愛や貧困などを解決、補完できる安住の地なのかもしれない。

こうしてみるとヤクザの背景のほとんどにはやはり幼少期の家庭環境が大きな影を落としていると理解できる。幼少期の生い立ちが特殊だからヤクザのパーソナリティも特徴的な傾向を示している。協調性の欠落と社会的不適応が根底にあるものの反骨精神の旺盛さや意地の強さ、虚栄心、身勝手、頑強、尊大、直情短絡的にして行動的で情緒過多で顕示欲の旺盛さや拝金主義という傾向が見られるが人恋しく寂しがりやという側面も持ち合わせている。おそらく前にあげた意地の強さや虚栄心の強さは暴力が柱となっているヤクザ社会で弱いとみられると容赦なく生活圏を奪われてしまうために鼓舞されたいわば生き抜くために身に着けた性格ではないだろうか。

ヤクザの社会に足を踏み入れる人の多くがその幼少期に原因があることは分かったがそんな人達が形成するヤクザ組織の中になぜ女性のヤクザがいないのだろうか。私は一応参考になるだろうと思い[極道の妻たち]という映画を借りて見た。背中に刺青がびっしり入った女性が拳銃や刀を使いものすごい啖呵をきっていた。極道の妻というのは夫婦でヤクザなのかとおもうほど女性が活躍していた。しかし参考書物を読んでいるとそのようなヤクザ顔負けの極道の妻など存在しないという。なぜなら女性にできることがもともとヤクザ社会には存在しないのだ。シノギの場でも組事、義理事などどの場であっても男だけというのがヤクザ社会なのである。たしかに暴力が根底にある社会で女性がヤクザになるという事は体力的にみてすでに暴力に屈しやすいことはあきらかだからまともなことだと私も思う。だから組長の妻であっても同じで妻が表にでるということ皆無であり組の中で[極道の妻]はなんの役割も少しの権限もないのである。これは擬制的血縁関係からもみられることで親分のことを子分は「おやじ」と呼ぶがその妻を「おふくろ」とは呼ばすひとつ位を下げて「姐さん」と呼ばれるのである。男をたてる社会はどこまでいっても変化が無く、女性はひたすら影の存在といってもいい。ヤクザが女性を愛しいものとしていても自分と同等の存在とは考えていないからではないか。極道の妻を取材しようとした著者はその妻から「あきません。」と一喝され「ヤクザの世界には女は存在しまへんさかい。」といわれたそうだ。そしてそんな彼女たち極道の妻は一般女性の幸せをつかむことは例外中の例外といわれている。会社員の夫をもつ妻であれば経済の好景気、不景気に左右されることもあるがほとんどが安定した収入を得てごく普通に暮らすのが当たり前だが極道の家族はそうはいかない。まず夫の命の保障がないという時点でかなり強靭な神経でなければ毎日を過ごすことさえ至難だろうし、命の保障とまではいかずとも稼ぎ方だってヤクザなのだからまともな働きじゃないし抗争となり敵対している組の構成員を死傷させたとなれば、夫は刑務所にいってしまうのだ。そうなれば夫からの収入は絶たれるしその間は原則として組が生活費やらを面倒見るということになっているが抗争なのでその組が消滅してしまうことだって十分にありえるのだ。山口組系暴力団幹部の姐さんにとってのその苦悩は想像を絶するものであった。夫である幹部は、組事で長期刑を勤め上げてきたばかりなのに再び内部抗争の指揮を任命されてしまったのである。なぜ社会に出てきたばかりの夫が再び危険な目に遭い再び懲役に行かなければならないのかと彼女は激しく苦悩する。しかし組の幹部である夫が黙ってその任務を引き受けた以上、彼女がそれ以上口出しすることはできない。夫は女房との久しぶりのデートを楽しみそのままフラリと出かけていってしまった。その翌日には若い衆が下着や着替えを取りに来たので妻は黙って荷造りをしてボストンバッグを手渡した。それからほどなくして妻が美容院でパーマをあてていると幹部の兄弟分が息を切らせて駆け込んできた。喫茶店に呼ばれて唇を歪ませる兄弟分に夫の生死を尋ねた。すると夫は生きていて仕事を終えこれから裁判が終われば服役するという事を知らされた。裁判の結果判決は懲役15年であった。妻は無期懲役でなくてよかったと思い「盆と正月を15回過ごせばいいのでしょう」としっかりとした口調で周囲に答えたという。彼女達極道の妻はこれほどまでのつらい思いをしても惚れた夫についていくという忍耐強い女性たちであり映画のように拳銃や日本刀を使って男を殺傷するという女性はあくまでフィクションであり存在しないであろうというのが今回調べた結果でした。


2章 ヤクザの経済


 1節 クザの収入源

会社に勤めているサラリーマンと違うヤクザの収入源とはどのようなものなのだろうか。ヤクザの収入源は多岐に分かれる。賭博系だと賭博の座を開く開帳や公営ギャンブルのオッズを使いヤクザが胴元になり賭けを行うノミ行為といわれるもの、そしてバカラや機械を使ったゲームがあるがそれらはあまり儲からず安定した収入源は覚せい剤の密売であるが組織としては禁じている。他にも売春や猥褻物品の販売やみかじめ料、総会屋などそのほとんどが違法収入だ。ではそんなヤクザの収入の歴史を振り返ってみる。今から50年ほど前は博打の作法を知っているだけで食べていけたそうだ。組織内部にも拝金思想はなく社会の目も比較的ゆるやかで大相撲の一行が地方に巡業にいけば野外には代紋のはいったテントが張られていたほどだそう。しかし昭和50年代後半には警察庁による頂上作戦が始まり、ヤクザ=暴力団のキャンペーンがマスコミによって繰り返されると、世間の見る目も厳しさを増していった。博打、売春、覚せい剤といった収入源に警察の取り締まりが強化されたのはもちろんのことで過酷なまでに摘発され資金源をつくりだすためにヤクザがはじめたのが倒産整理や競売妨害といった民事介入暴力だった。

ある組の元幹部は倒産整理の個人版ともよべるサラ金整理をして収入を得ていた。その内容は生命保険のセールスレディが契約実績を維持するために解約したいと言い出した顧客に代わって自分で保険料を払い込み続けサラ金にまで手を出さなくてはいけないような状況になり返済不可能になった人の借金を整理する仕事だという。整理といってもまともな整理ではなくサラ金業者を一斉に呼び出して元幹部の組織の名前をバックにひとつの業者につき一万円で借金を帳消しにしてもらっていったそうだ。

また他の元幹部も田中角栄の日本列島改造論で建設ブームが巻き起こっているところに目をつけゼネコンの責任者を呼び出して「工事の際は俺の下請けを使え」と有無を言わさず押し通そうとする。すると責任者は「これで勘弁を。」とお金をもってくるそうだ。また土地の値段が上昇したバブルの時期には博打や倒産整理、債権取立てとは桁違いの金を手にしてヤクザ達は目を白黒させた。土地売買の話を喫茶店などでまとめてくるだけで億単位のお金が右から左へ動く。一度おいしい思いをしたらなかなか忘れられるものではなくそれからも銀行の不正融資を掴みそれをネタにして支店長から融資を強要したりもした。そしてバブルが崩壊して日本経済が底なしの不況にはまると態度を一遍ししかるべき担保が無ければ融資しなくなった銀行の影響で経営に行き詰った中小企業の経営者は年利30%の町金融などを利用する。そこで破綻すると次はヤクザの闇金融から融資を受けるように闇金融全盛期を迎えた。そして現在、暴力団対策法により博打、売春、などヤクザが昔から得ていた収入源が厳しく取り締まられるようになり民事介入暴力も激減した。現在ではカード詐欺や車の窃盗、著しくは忍び込み窃盗(要するに泥棒である)で糊口をしのぐ者がいる。ヤミ金の元締めなどはスマートな収入のうちに分類されるなかヤクザの中には中国人窃盗団の手先になる者もいて密入国を手伝ったりしている。ヤクザといえど生活がかかっているわけでこれらの任侠から程遠い稼ぎ方で得たお金でヤクザとその妻子や愛人らが生活している。ヤクザの収入源として近年増加しているのが不法就労目的で日本に密入国する外国人をヤクザが手引きし外国マフィアから金をもらうという仕事が増えていている。中国の福建省あたりから沖縄に50人もの密入国者が上陸したという例もありました。これほどの人数になるとなんらかの組織が動いていると考えられ中国ならば密航あっせん組織のスネークヘッド、蛇頭が裏にいることは明らかになっている。かれらも日本に密入国させた後、日本での受け入れ先を持っていないと仕事が上手く行かないので日本の裏稼業を担当するヤクザと手を組んで密入国をあっせんさせていたそうだ。高額な手数料を支払ってこのような方法で密入国してきても、十分な住居も与えられず、思ったような収入も得られず、挙句の果てに犯罪者になってしまう密入国者もいるようです。この稼ぎにも暗雲が立ち込めていてスネークヘッドは日本で在日スネークヘッド組織を作りヤクザに高い手数料を払うより身内で密入国者の住居や仕事場などを確保するほうが効率面でも経済面でも良いと考えだしたからです。こうなると在日スネークヘッドとヤクザの間に密入国に絡んだ利権をめぐっての抗争が起きる可能性もありますますヤクザは凶暴性を増していくことになるでしょう。

次にヤクザと芸能界の関係について調べていきたいとおもう。このふたつの関係を調べているとこれらは一般市民社会の枠外で生きている人達でありわが身ひとつの才覚でここまで世を渡ってきたという共通項を持っている。そして両者ともハングリーな環境で育ったものがたくさんいて多くの辛酸をなめてきた、その中から成功者はスターとなり親分と呼ばれるようになる。芸能界とヤクザ社会とは感覚的に話が合うのである。山口組三代目組長の田岡一雄氏と昭和の大スター美空ひばりはお互い大事なビジネスパートナーであり交友も深く美空ひばりという大スターの婚約発表の場に山口組のドンが同席するということもあったくらいだ。芸能人は芸を売ることにより生活をしているわけで江戸時代から芸能人はなにかとイチャモンをつけられがちな商売でありそれなりの保護者が必要とされそれならば盛り場を仕切るヤクザ達が適任であった。その関係は明治、大正、昭和の戦前と続いたがそこに今でいう全国ツアーという地方興行という仕事が加わる。そして地方には土地、土地のお兄さんであるヤクザがいてその地方のヤクザが「荷」と呼ぶ芸能人を自分の縄張りに呼んで興行をさせる。そしてそのなかから専門家が登場し興行師と呼ばれるようになる。人気のある芸能人は複数の興行師から声がかかる。地元有力者でもある彼らに「ノー」とは言えない商売である芸能人たちは、その場しのぎでどこにでもいい顔をしてしまう。その結果興行師どうしのケンカにまで発展することもある。芸能人が複数の興行師の依頼を断れず複数にスケジュールを渡してしまうのである。興行師はヤクザであり約束を守らないのは許せないと芸能人を責めるがラチがあかず結局ヤクザ同士の力比べになるのだ。とある浪曲師の興行権をめぐって組同士が激突し組長が襲撃されてひん死の重傷を負うこともあった。山口組三代目組長の田岡一雄氏は戦後の日本でいち早く興行に目をつけた。昭和二十三年には株式会社神戸芸能社を設立させた。まだテレビ放送が一般化されておらず歌手や俳優の生の姿を見ようと「実演ショー」と呼ばれる地方興行はどこでも大入り満員。興行師であるヤクザも有名な歌手や俳優の興行を行うことができれば、確実な儲けにつながるため歌手や俳優に猛烈なアタックをかけていた。その中でも田岡氏が仕切る神戸芸能社は群を抜いた力を見せた。それは希有なカリスマ性のある田岡氏によるところもあるが彼が美空ひばりという超売れっ子をその支配化においたことがさらなるパワーアップを果たしている。当時の興行による収入は昭和三十三年のピーク時には1億3000万えんにも達している。しかしこのヤクザと芸能界の蜜月関係も昭和四十年代を境になしくずしに崩壊していく。昭和三十年代後半から開始された警察のヤクザ組織壊滅作戦によってトップの逮捕と資金源つぶしが実行に移されたからである。神戸芸能社とて例外ではなくその活動を停止せざるえなくなってしまった。また美空ひばりもその壊滅作戦の影響で実弟にヤクザ組員がいるために彼女の興行には公共施設を貸さないという今考えてみればこれこそ人権侵害であると思えるような目にあっている。芸能界はお上からヤクザ社会との絶縁を求められたと解釈するのが一般的である。そして結果的に芸能界はお上の方針に従った。といっても業種や会社によってその対応も異なった。戦前から活動していた業種や映画会社などはヤクザ社会との縁が深くパイプは細くなってもつき合いを続けていた。それに対して戦後から営業を開始した業種、会社は素早くお上の方針に従ったのだ。しかしそれでもヤクザと芸能界の関係切れなかった。芸能プロでは売れっ子でもそうでない子でも月給制を採用していて売れっ子であっても「売り出し、売り込みに多大な金をかけた。」と称して不当に安い給料を与えていた。芸能人のほとんどが自分の正当なギャランティーなど知らないでいたがさすがに芸能人も経験を重ねれば自分の給料が不当にピン跳ねされていることに気付きだす。そのような場合に芸能人が相談をもちかけるのがヤクザであった。相談内容にもよるが力のある芸能人だと移籍や独立といったゲースもある。ヤクザは芸能人の代理として芸能プロつまり会社側とかけあう。ならば芸能プロもヤクザ色の強い男を立てて交渉をすすめる。今ではビジネスパートナーとしてはヤクザと関係を切っているが表には出せない裏交渉などでは今日でもヤクザの出番を必要としてしまっている。したがって表面上はヤクザ社会と縁を切っていても芸能界にはヤクザ社会に強力なルートのある人物が揉め事処理のフィクサーとして存在しているわけで最近の芸能界の仕事はテレビ、映画、CMやイベントなど多岐にわたっていてヤクザを求める声も減少することはなくいまだにヤクザ社会と境遇の似ている者が集まる芸能界はヤクザにとってビジネスの場なのだ。

 2節 トラブルにあってしまったら…

今ではヤクザの収入源として民間人とのトラブルは必要不可欠であり必ず起こることだと思います。それは私達一般人からすれば脅威以外のなにものでもなく知識をなにも持たずにヤクザに狙われたらなす術なく金銭を巻き上げられてしまいます。では様々な民事介入暴力のどのように対応すればよいのか、そして対応できるのか。今回はその中から交通事故のトラブルでの対応を調べていこうとおもう。

車社会が確立された日本では慢性的に渋滞が頻発するほど私の生活の中で車という存在は必要不可欠であり一般的に住宅の次に高価な買い物といえば車が上げられるでしょう。そして人間が動かす機械だからこそ間違いは起こります。そこに目をつけたヤクザ達はそのミスの穴をほじくり多額のお金を奪おうとします。例えば追突事故を起こしてしまい追突してしまった車がヤクザの車で破損として軽微なものだったのだが新車を買い換えろと言われる例。新車に買い換えさせられるなんてとんでもないと思うが追突してしまった事故の加害者である一般人は事故を引き起こしてしまったのが自分であるためになかなか強気な発言もできずに困ってしまいます。しかし交通事故により車両が破損した場合は通常、車両の修理費または事故直前の車両の時価相当額が損害だと認められます。車両が破損しても修理が可能で、かつ、車両の時価相当額よりも修理費の方が少ない場合は代車使用料の問題は別として修理費を払えば十分であり新車を提供する必要などありません。その一方、破損の程度が大きく修理費が時価を上回るいわゆる全損となってしまった場合や修理が著しく困難な場合は、事故直前の車両の時価相当額をもとに損害賠償額が算定される。だから信頼のおける修理業者に見積もりを出してもらいその見積もり金額をもとにして暴力団と交渉をしていくのが被害を免れる正しい対処法であるといえる。

次に事故を起こしたときに恐怖感を感じながら書いた念書の効力はどうなるのだろうか、例えば信号機の無い交差点で出会いがしらの衝突事故を起こしてしまった。信号もない交差点なのでお互いの過失によって生じた事故であると容易に考察できるが相手の車にはヤクザ風の人間が四人も乗っていて、大声で怒鳴られ怖くなりその現場で「全ての責任は私が負い賠償します。」という念書を書かされてしまった。この念書どおりに賠償しなければならないのか。この場合信号機がない交差点ということは交通整理がされていない交差点ということで一方が無過失でもう一方が過失100%ということは常識的にはほとんどありえないことです。双方の過失割合についてはそちらの道路が広路であるか、交差点進入時の速度はどうだったか、減速やその他事故回避の措置をとったかなど多くの観点から総合低に判断して決定するべきことです。事故現場で短時間で決められるようなことではないのだ。したがって今回の事故で一方が全責任を負うという事はありえないと考えられる。その事故現場で被害者が100%悪いと判断したからではなくヤクザ風の四人組に怒鳴られたために怖くなり念書を書くことを拒絶したらどんな暴力をふるわれるのかと恐怖が頭をよぎりその結果、念書を書いてしまったと思われます。つまり対等な当事者間での話し合いの結果、任意に賠償責任を認めたのではなく、相手側の暴力的な言葉に恐怖を感じて、やむなく意に反した念書を作成させられたという事です。その場合、念書の効果をそのまま認めたのでは不当な結果となることは明らかでこうした場合には民法では「脅迫による意思表示として、これを取り消すことができる。」(民法第96条1項)と定められています。脅迫を理由として取り消された意思表示はなんの効果も生じず、賠償の義務もなくなります。ここでいう脅迫とは脅しや無理強いというほどの意味であり必ずしも凶器によって脅されたり、直接暴力を受けたりしなくても十分適用されます。ちなみに相手が脅迫罪で逮捕されるということもないのです。この場合は勇気をもって不当な要求をはねつけるために念書の取り消しを通告するべきである。そして改めて相手方との間でこの事故に関しての過失割合、賠償方法について専門家の力を借りてお互いに納得のいく合意に結びつけるのが妥当だといえます。


おわりに


レポートを終えた後の感想は裏の社会というのは表の社会のほころびからできているのだなと感じました。たしかにヤクザのしている民事介入暴力やトラブルは民間人の私の立場としては到底許すことはできませんがその原因の根底にあるものは一般社会がそれを求めているということ。そして一般社会での差別や過度の貧困にたいする救援策としての法整備や行政府の対応がきちんとした国家であればそれが可能であったかどうかという問題は別にして、これほどまでに闇社会が日本に根付くことは無かったのではないかと思います。また暴力団対策法により警察がヤクザを根絶やしにしようとしたことがかえって民間トラブルを多くしてしまった事実も見逃すことはできません。裏の世界とはいえ日本に根づき屋台を出したり賭場を設けて資金を獲得していたのにその資金源をいきなり完全撤廃されられれば生きるためにはなんでもするマフィアのような存在にヤクザなってしまっても仕方が無いと思います。しかし、私たち一般人は一般社会に生きています。人殺しなど考えられない世界に生きています。ですが表の世界とて気を抜けば満足な生活を得ることなどできないし、ヤクザの資金に差し出すお金の余裕などないのです。ヤクザがマフィア化してしまった以上日本国家にはさらなる法整備によって現実的に彼らを根絶やしにするか法緩和によって再び仁義、任侠を重んじる下町の用心棒にもどすかの決断をお願いしたいところです。



参考文献


「ヤクザが恐喝(ゆす)りにやってきた 暴力団撃退マニュアル」 宮川 輝夫著 朝日新聞社

「アウトローの近代史―博徒・ヤクザ・暴力団」 礫川 全次著 平凡社

参考サイト


平成17年度 警察白書

http://www.npa.go.jp/hakusyo/h17/index.html

長野県暴力追放県民センター

http://w2.avis.ne.jp/~boutsui/bouryokudann.htm

民法web検索

http://www7.big.or.jp/~fujiko/web_minpo.htm