1998.4.29 に更新しました


一 さて、あはつけかりしすきごとどもの

本 文

■一■   さて、あはつけかりしすきごとどものそれはそれとして、柏木の 木高きわたりより、かく言はせむと思ふことありけり。 例の人は、案内する便り、もしはなま女などして 言はすることこそあれ、これは、親と覚しき人に、たはぶれ にも、まめやかにもほのめかししに、「便なきこと」と言ひつる をも知らず顔に、馬にはひ乗りたる人して、うち叩か す。「誰」など言はするにはおぼつかなからず、騒いたれば、 もてわづらひ、取り入れてもて騒ぐ。見れば紙なども 例のやうにもあらず、至らぬところなしと聞きふるし たる手も、あらじとおぼゆるまで悪しければ、 いとぞあやしき。ありけることは、
  音にのみ聞けばかなしなほととぎす
  こと語らはむと思ふ心あり
とばかりぞある。「いかに返りごとはすべくやある」など さだむるほどに、古体なる人ありて、なほとかしこまり て書かすれば、
  語らはむ人なき里にほととぎす
  かひなかるべき声なふるしそ
 これを初めにて、またまたもおこすれど、返りごとも せざりければ、また、
  おぼつかな音なき滝の水なれや
  行方も知らぬ瀬をぞたづぬる
 これを「今これより」と言ひたれば、痴れたるやうなりや、 かくぞある。
  人知れず今や今やと待つほどに
  返り来ぬこそわびしかりけれ
とありければ、例の人、「かしこし。をさをさしきやうにも 聞こえむこそよからめ」とて、さるべき人して、ある べきに書かせてやりつ。それをしもまめやかにうち喜びて、 繁う通はす。また添へたる文見れば、
  浜千鳥跡もなぎさにふみ見ぬは
  われを越す波うちや消つらむ
 このたびも例のまめやかなる返りごとする人あれば、 まぎらはしつ。またもあり。「まめやかなるやうにてある もいと思ふやうなれど、このたびさへなうはいと辛うも あるべきかな」など、まめ文のはしに書きて添へたり。
  いづれとも分かぬ心は添へたれど
  こたびはさきに見ぬ人のがり
とあれど、例のまぎらはしつ。
 かかればまめなることにて月日は過ぐしつ。

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