1998.4.29 に更新しました
本 文
■二■ 秋つかたになりにけり。添へたる文に、 「心さかしらづいたるやうに見えつる憂さになむ、念じ つれど、いかなるにかあらむ、
鹿の音も聞こえぬ里に住みながら
あやしくあはぬ目をも見るかな」
とある返りごと、
「高砂のをのへわたりに住まふとも
しか覚めぬべき目とは聞かぬを
げにあやしのことや」とばかりなむ。またほどへて、
逢坂の関や何なり近けれど
越えわびぬれば歎きてぞふる
返し、
越えわぶる逢坂よりも音に聞く
勿来を難き関と知らなむ
など言ふ。まめ文通ひ通ひて、いかなる朝にか ありけむ、
夕ぐれの流れ来る間を待つほどに
涙おほゐの川とこそなれ
返し、
思ふこと大井の川の夕ぐれは
心にもあらず泣かれこそすれ
また三日ばかりの朝に、
しののめにおきける空は思ほえで
あやしく露と消えかへりつる
返し、
定めなく消えかへりつる露よりも
そら頼めする我は何なり
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