1998.4.29 に更新しました


五 つごもりがたに

本 文

■五■    かくて十月 になりぬ。ここにもの忌みなるほどを心もとなげに 言ひつつ、
  歎きつつ返す衣の露けきに
  いとど空さへ時雨添ふらむ
返し、いと古めきたり。
  思ひあらばひなましものをいかでかは
  返す衣のたれも濡るらむ
とあるほどに、わが頼もしき人みちのくにへ出で立ち ぬ。時はいとあはれなるほどなり。人はまだ見慣る と言ふべきほどにもあらず。見ゆるごとにたださしぐめる にのみあり。いと心細く悲しきこともの に似ず。見る人もいとあはれに忘るまじきさまにのみ 語らふめれど、人の心はそれに従ふべきかはと思へ ば、ただひとへに悲しう心細きことをのみ思ふ。 今はとてみな出で立つ日になりて、行く人もせきあへ ぬまであり。とまる人はたまいて言ふかたなく悲しき に、「時たがひぬる」と言ふまでもえ出でやらず、また見泣き 硯に文をおし巻きてうち入れて、またほろほろとうち泣き て出でぬ。しばしは見む心もなし。見出で果て ぬるに、ためらひてよりてなにごとぞと見れば、
  君をのみ頼む旅なる心には
  行く末遠く思ほゆるかな
とぞある。見るべき人見よとなめりとさへ思ふに、いみじう 悲しうて、ありつるやうに置きて、とばかりあるほど にものしためり。目も見合はせず思ひ入りてあれば、 「などか、世の常のことにこそあれ、いとかうしもある は我を頼まぬなめり」などもあへしらひ、硯なる 文を見つけて、「あはれ」と言ひて、門出のところに、
  我をのみ頼むと言へば行く末の
  松のちぎりも来てこそは見め
となむ。

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Copyright (C) 1997 Toshihiro Hamaguchi