1998.5.14 に更新しました


二四 この時のところに

本 文

■二四■    この時のところに、子産むべきほどになりて、よき方選びて一つ車にはひ乗りて、一京ひびき続けて、いと聞きにくきまでののしりて、この門の前よりしも渡るものか。我は我にもあらず、ものだに言はねば、見る人、使ふより初めて、「いと胸痛きわざかな、世に道しもこそはあれ」など、言ひののしるを聞くに、ただ死ぬるものにもがなと思へど、心にしかなはねば、今よりのち、たけくはあらずとも、絶えて見えずだにあらむ、いみじう心憂しと思ひてあるに、三四日ばかりありて、文あり。あさましうつべたましと思ふ思ふ見れば、「このごろ、ここにわづらはるることありて、え参らぬを、昨日なむ、平らかにものせらるめる。穢らひもや忌むとてなむ」とぞある。あさましう、めづらかなること、限りなし。ただ「賜りぬ」とて、やりつ。使に人問ひければ、「男君になむ」と言ふを聞くに、いと胸ふたがる。三四日ばかりありて、みづから、いともつれなく見えたり。何か来たるとて見入れねば、いとはしたなくて帰ること、たびたびになりぬ。

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Copyright (C) 1997 Toshihiro Hamaguchi