1998.5.14 に更新しました
本 文
■二六■ いかなる折にかあらむ、文ぞある。「まゐり来まほしけれど、つつましうてなむ。たしかに来とあらば、おづおづも」とあり。返りごともすまじと思ふも、これかれ、「いと情なし。あまりなり」などものすれば、
穂に出でて言はじやさらにおほよその
なびく尾花にまかせても見む
立ち返り、
穂に出でば先づなびきなむ花すすき
こちてふ風の吹かむまにまに
使あれば、
嵐のみ吹くめる宿に花すすき
穂に出でたりとかひやなからむ
など、よろしう言ひなして、また見えたり。
前栽の花、色々に咲き乱れたるを見やりて、臥しながらかくぞ言はるる。かたみに恨むるさまのことどもあるべし。
百草に乱れて見ゆる花の色は
ただ白露の置くにやあるらむ
とうち言ひたれば、かく言ふ、
身のあきを思ひ乱るる花の上の
つゆの心は言へばさらなり
など言ひて、例のつれなうなりぬ。寝待の月の、山の端出づるほどに、出でむとする気色あり。さらでもありぬべき夜かなと思ふ気色や見えけむ、「とまりぬべきことあらば」など言へど、さしも覚えねば、
いかがせむ山の端にだにとどまらで
心も空に出でむ月をば
返し、
ひさかたの空に心の出づと言へば
影はそこにもとまるべきかな
とて、とどまりにけり。
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