1997.12.17 に更新しました


第176段 宮に初めて参りたるころ、

本 文

■第一七六段■
 宮に初めて参りたるころ(1)、ものの恥づかしきことの数知らず、涙も落ちぬべければ、夜々参りて、三尺の御几帳の後ろにさぶらふに、絵など取り出でて、見せさせ給ふを、手にても得さし出づまじう、わりなし。「これは、とあり。かかり。それか。かれか」など、のたまはす。高坏に参らせたる御殿油なれば、髪の筋なども、なかなか昼よりも顕証に見えて、まばゆけれど、念じて、見などす。いと冷たき頃なれば、さし出でさせ給へる御手のはつかに見ゆるが、いみじうにほひたる淡紅梅なるは、「かぎりなくめでたし」と、見知らぬ里人心地には、「かかる人こそは、世におはしましけれ」と、おどろかるるまでぞ、目守り参らする。暁には、「疾く下りなむ」と、急がるる。「葛城の神も、しばし」など、仰せらるるを、「いかでかは筋かひ御覧ぜられむ」とて、なほ伏したれば、御格子も参らず。女官ども参りて、「これ、放たせ給へ」など言ふを聞きて、女房の放つを、「まな」と仰せらるれば、笑ひて帰りぬ。ものなど問はせ給ひ、のたまはするに、非常なりぬれば、「下りまほしうなりにたらむ。さらば、はや。夜さりは、疾く」と仰せらる。ゐざり隠るるや遅きと上げ散らしたるに、雪降りにけり。登花殿の御前は、立蔀近くて、狭し。雪、いとをかし。
 昼つ方、「今日は、なほ参れ。雪に曇りて、あらはにもあるまじ」など、たびたび召せば、この局の主も、「見苦し。さのみやはこもりたらむとする。あへなきまで御前ゆるされたるは、さ思し召すやうこそあらめ。思ふにたがふは、憎きものぞ」と、ただ急がしに出だし立つれば、吾にもあらぬ心地すれど、参るぞ、いと苦しき。火炬屋の上に降り積みたるも、めづらしうをかし。
 御前近くは、例の、炭櫃に火こちたく熾こして、それには、わざと人もゐず。上ィ、御陪膳にさぶらひ給ひけるままに、近うゐ給へり。沈の御火桶の梨子絵したるにおはします。次の間に、長炭櫃にひまなくゐたる人々、唐衣こき垂れたるほどなど、馴れ、安らかなるを見るも、いと羨まし。御文取り次ぎ、起ち居、いきちがふさまなどの、つつましげならず、もの言ひ、笑わらふ、「いつの世にか、さやうにまじらひならむ」と思ふさへぞ、つつましき。奥寄りて、三、四人さし集ひて、絵など見るも、あめり。
 しばしありて、前駆高う逐ふ声すれば、「殿(2)参らせ給ふなり」とて、散りたるもの取りやりなどするに、「いかで下りなむ」と思へど、さらに、得ふとも身じろがねば、いま少し奥に引き入りて、さすがにゆかしきなめり、御几帳の綻びより、はつかに見入れたり。大納言殿(3)の参り給へるなりけり。御直衣・指貫の紫の色、雪に映えて、いみじうをかし。柱基にゐ給ひて、「昨日・今日、物忌にはべりつれど、雪のいたく降りはべりつれば、おぼつかなさになむ」と申し給ふ。「『道もなし(4)』と思ひつるに、いかで」とぞ、御いらへある。うち笑ひ給ひて、「『あはれ』ともや、御覧ずるとて」など、のたまふ御有様ども、「これより、何事かはまさらむ。物語に、いみじう口にまかせて言ひたるに、たがはざめり」とおぼゆ。宮は、白き御衣どもに、紅の唐綾をぞ、表にたてまつりたる。御髪のかからせ給へるなど、絵に描きたるをこそ、かかることは見しに、現にはまだ知らぬを、夢の心地ぞする。女房ともの言ひ、戯れ言などし給ふ御いらへを、「いささか恥づかし」とも思ひたらず、聞こえ返し、虚言などのたまふは、あらがひ論じなど聞こゆるは、目もあやに、あさましきまであいなう、面ぞ赤むや。御菓子まゐりなど、とりはやして、御前にも、参らせ給ふ。「御帳のうしろなるは、誰ぞ」と、問ひ給ふなるべし。さかすにこそはあらめ、起ちておはするを、「なほ、ほかへにや」と思ふに、いと近うゐ給ひて、ものなどのたまふ。まだ参らざりしより聞きおき給ひける事など、「まことにや、さありし」などのたまふに、御几帳隔てて、よそに見やりたてまつりつるだに、恥づかしかりつるに、いとあさましうさし向かひ聞こえたる心地、現ともおぼえず。行幸など見るをり、車の方にいささかも見おこせ給へば、下簾ひきふたぎて、「透影もや」と、扇をさし隠すに、なほいとわが心ながらも、「おほけなく、いかで立ち出でしにか」と、汗あえていみじきには、なに言をかは、いらへも聞こえむ。「かしこき蔭」と、捧げたる扇をさへ、取り給へるに、ふりかくべき髪のおぼえさへ、「あやしからむ」と思ふに、すべて、さる気色もこそは見ゆらめ。「疾く起ち給はなむ」と思へど、扇を手まさぐりにして、「絵のこと、誰が描かせたるぞ」などのたまひて、頓にも賜はねば、袖を押し当てて、うつ伏しゐたるも、唐衣に白いものうつりて、まだらならむかし。久しくゐ給へるを、「心なう。『苦し』と思ひたらむ」と、心得させ給へるにや、「これ見給へ。これは、誰が手ぞ」と、聞こえさせ給ふを、「賜はりて、見はべらむ」と申し給ふを、「なほ、ここへ」と、のたまはす。「人をとらへて、起てはべらぬなり」とのたまふも、いと今めかしく、身のほどに合はず、かたはらいたし。人の、草仮名書きたる造紙など、取り出でて御覧ず。「誰がにかあらむ。かれに見せさせ給へ。それぞ、世にある人の手は、みな見識りてはべらむ」など、「ただ、いらへさせむ」と、あやしき言どもをのたまふ。  一所だにあるに、また前駆うち逐はせて、おなじ直衣の人参り給ひて、これは、今少し華やぎ、猿楽言などし給ふを、笑ひ興じ、われも、「某が、とある事」など、殿上人のうへなど申し給ふを聞くは、「なほ、変化のもの・天人などの降り来たるにや」とおぼえしを、さぶらひ馴れ、日頃過ぐれば、いとさしもあらぬわざにこそはありけれ。「かく見る人々もみな、家の内出でそめけむほどは、さこそはおぼえけめ」など、観じもてゆくに、おのづから面馴れぬべし。ものなど仰せられて、「われをば思ふや」と、問はせ給ふ御いらへに、「いかがは」と啓するに合はせて、台盤所の方に、鼻をいと高う嚔たれば、「あな心憂。虚言を言ふなりけり。よし、よし」とて、奥へ入らせ給ひぬ。「いかでか、虚言にはあらむ。よろしうだに思ひ聞こえさすべきことかは。あさましう。鼻こそ虚言はしけれ」と思ふ。「さても、誰か、かく憎きわざはしつらむ。大かた『心づきなし』とおぼゆれば、さるをりも、おしひしぎつつあるものを、まいていみじ。憎し」と思へど、まだ初々しければ、ともかくも得啓し返さで、明けぬれば下りたるすなはち、浅緑なる薄様に、艶なる文を、「これ」とて来たる、開けて見れば、「『いかにしていかに知らまし偽りを空に糺すの神なかりせば』となむ、御気色は」とあるに、めでたくも、口惜しうも、思ひ乱るるにも、なほ、夜べの人ぞ、ねたく、憎ままほしき。「『淡さ濃さそれにもよらぬはなゆゑに憂き身のほどを見るぞわびしき』なほ、こればかり啓し直させ給へ。識の神もおのづから。いと畏し」とて、参らせて後にも、「うたて。をりしも、などて、さはた、ありけむ」と、いと嘆かし。

(1)正暦四年十月十五日立冬。閏十月十五日大雪。十一月一日冬至。十二月十七日立春。  (2)中宮の父関白道隆。41才。  (3)兄権大納言伊周。20才。  (4)山里は雪降り積みて道もなし今日来む人をあはれとは見む(『拾遣集』兼盛)による。


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