1998.5.16 に更新しました


跋 文  この草子、目に見え心に思ふことを

本 文

■跋文■    この草子、目に見え、心に思ふことを、「人やは見むとする」と 思ひて、つれづれなる里居のほどに、書き集めたるを、あいなう、 人のために便なき言ひ過ぐしもしつべきところどころもあれば 「よう隠し置きたり」と思ひしを、心よりほかにこそ、漏り出てに けれ。
宮の御前に、内の大臣のたてまつりたまへりけるを、 「これに、何を書かまし。主上の御前には、『史記』といふ書を  なむ、書かせたまへる」 など、のたまはせしを、 「枕にこそは、はべらめ」 と申ししかば、 「さば、得てよ」 とて、賜はせたりしを、あやしきを、「こよや」「なにや」と、尽き せず多かる紙を書き尽くさむとせしに、いとものおぼえぬ言ぞ多か るや。
 大方、これは、世の中にをかしき言、人のめでたしなど思ふべき 名を選り出でて、歌などをも、木・草・鳥・虫をも、いひ出だした らばこそ、「思ふほどよりはわろし。心見えなり」と、譏られめ。 ただ、心一つにおのづから思ふ言を、戯れに書きつけたれば、「も のに立ちまじり、人なみなみなるべき耳をも聞くべきものかは」と 思ひしに、「恥づかしき」なんどもぞ、見る人はしたまふなれば、 いとあやしうぞあるや。
 げに、そもことわり、人の憎むを「善し」といひ、褒むるをも 「悪し」といふ人は、心のほどこそ推し量らるれ。ただ、人に見え けむぞ、ねたき。
左中将、まだ「伊勢守」と聞こえし時、里におはしたりしに、 端の方なりし畳を差し出でしものしは、この草子載りて出でにけり。 まどひ取り入れしかど、やがて持ておはして、いと久しくありてぞ、 返りたりし。それより、歩き初めたるなめり。とぞ、本に。


 (陽明文庫本)


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