基礎学力を伸ばそう

数学も基礎学力です

数学は社会を生きるために必要なツールである

ピザを5等分することは難しいのですが、その1切れと半径が元の半分のピザ1枚とではどちらが分量が多いでしょうか。 100g中のカロリーが記載されているケーキ1つとアイスクリーム1杯のどちらがダイエット効果があるかを真剣に悩む人は相当数いるのです。

携帯料金は謎のようなサービスが組み合わさっています。自分に合った最適なプランになってますか。 健康な若者が生命保険に加入したり、借金してまで投資することについてどう考えればよいのでしょうか。 世の中の仕組みには驚くべき緻密な工夫が施されており、悪意の仕掛けも随所で待ち受けています。

組合わせの問題は、効率よくその解を求めることができないという意味でたいへん難しいことが多い問題です。 宅配人が渡された荷物を効率よく配達するために受持地区をどんな経路でまわればよいかを計画することや、さまざまなサイズの車を決まった駐車スペースに最大限駐車するにはどのように配置すればよいかなどでは、驚くべき叡智が必要です。 仕事において、ごく初等的知識を組み合わせて問題解決に至る場合が多く、経験や直感に反することも少なくなくありません。

要素知識は中学校レベルで十分

現在の洗練され複雑に管理された世界で生きるためには、 十分に時間をかけて学修した組織的な知識と精神の充実が必要です。 しかし、この社会で生き抜くために必要な要素知識は概ね初等的な範囲に収まっており、たとえば微分や積分などの高等数学が直接要求されるような場面はたいへん稀です。

最低限必要な計算能力は、小学校で学ぶ約数・倍数と整数剰余計算と分数を含む四則演算(和と差、掛け算と割り算)や平方根(たとえば、$(\pm\sqrt7)^2=7$)であり、数式操作は中学校で学ぶ文字式の展開% $(a+b)\times(x+y)=a(x+b)+b(x+y)$ 程度です。

働く職業人に必要な総合力も、現実に生じる問題をごく簡単な中学校程度の知識を使って解決する知識の運用だと考えてください。 %(豊かな人間性などはこうした局面には登場しないことに注意されたい)。 こうして言ってしまうと、必要な基本能力の修得は簡単なように見えます。

問題解決には読解力が必要である

しかし、ここには知識というものの不思議さが潜んでいます。 実際の問題は連続的に生じており、それらを次々と解決していくためのタフな知識活用が必要です。 問題解決%のための数学 が中学校程度の知識しか必要でないとしても、それは高校で習う基礎数学の概念や文脈で使われることがあります。 そもそも初めから解くべき問題がそのような単純な形に要素分解されて提示されているわけではありません。 つまり、問題解決に向けて本当に必要なことは、直面している問題から解決可能であるような数学的文脈を取り出すための読解力なのです。

もう一度、最初に紹介した総合力の4つの側面を見直してください。 総合力はその4つの能力が独立した部品から組み立てられるものではなく、問題解決のために求められる様々な側面を有する1つの能力であることを再確認しましょう。

繰り返すと、問題解決を 中学校的問題に帰着させるためには、実際に直面している課題を正しく記述し(国語力と理科)、そこから求めるべき数量的関係性を嗅ぎ分けて抽出し(読解力と数学)、その解を実際に求めることができ(数学)、その解の適切性を検討する(数学と理科)という総合力の全側面にわたる能力がフルに活用できることが必要です。 これが意外に手強いことなのです。

基礎学力の獲得は社会への入り口である

文科系では数学は不要であるという言説は盲信です。 本当は逆で、むしろ数学は必要であるというのが正しいです(ただし、数学だけが必要なのではありません)。 数学や理科の知識は実社会を生き抜き、仕事をするために必要です。 就職採用試験においてしばしば利用されるSPI総合適性検査 や公務員試験において、基礎的な数学問題が解けることが求められています。

ただし、SPI問題集だけに取り組んだとしても、基礎学力は身につかないことも事実です。 今まで説明してきたように、総合力の各側面は互いに密接に連動しているからです。 総合力に必要な基礎学力を解体していったならば、そのような断片として取り出せただけに過ぎないのです。 この逆のプロセス、断片をかき集める、を行ったとしても総合力にはならないのです。 国語、読解力そして数学は、事実的知識(暗記可能な知識)とは全く性質を異にする能力であり、その獲得には長時間にわたる学修が欠かせません。

数学問題が解けることが重要ではなく、総合力とはどのようなものかを知っておくことが大切です。 豊かで実りある大学生活を過ごすために、総合力の涵養に注意を向けてください。