《中國映畫コレ見ヨ(情念的・恣意的コラム)

13:武侠ドラマの『新水滸伝』

〜見せます、見せます、血飛沫飛び散るやっぱり武侠〜

 2011年に中国語圏で公開された、中国版新水滸伝は可成り面白い。半年ほど前に全編を通して見たが、やや話が饒舌な部分と、バックグランドミュージック(戦闘場面と色恋場面は、いずれも同じ楽曲が使われている)が些か耳に付くのは、ご愛敬である。しかし、香港の袁和平が武術指導で参加して、中国ものとしては可成り娯楽度が高かった1998年度中央電視台版『水滸伝』に比べれば、圧倒的にエンターテイメント度が遙かに高い。武闘場面は映画に比してスケールこそ小さいものの、見せる、見せる、まるで香港の武侠映画を見ているようである。山東省東平市に作られたオープンセット(現在は、水滸伝のテーマパークとして公開)の可成り凝った梁山泊や宋代の町並みは流石であるし、ロケ地も可成り広範囲に渉っているように思える。総制作費に50億円以上の巨費を投じた伝えられており、テレビドラマにしては可成り金をかけて作られた大作、否、超大作であろう。

 香港の武侠映画のようだと言ったが、その理由は明白で、監督が鞠覚亮だからである。鞠覚亮は1980年代から香港の武侠ドラマの監督を務めた名監督で、その手腕は高く評価されているが、さすがに戦闘場面や武侠ドラマの見せ方等は心得たもので、ややサービス精神が旺盛過ぎるものの、その経験が遺憾なく存分に発揮されていると言えよう。

 主役級が108人も登場する男性中心の大群像劇であるため、大半が中国の若手俳優に因って演じられており、代表的なのが呉学究役の李宗翰、公孫勝役の景崗山、花栄役の張迪、柴進役の黄海冰、董平役の于博、張清役の張暁晨、史進役の韓棟、石秀役の劉冠翔、阮小二役の趙帥、阮小五役の劉滌非、阮小七役の張昊翔、張横役の劉科、張順役の魏柄樺、高衙内役の趙熠洋、方臘役の呉慶哲、らである。その若手の周囲を中堅・ベテランで固め、林冲を08年の『鹿鼎記』で多隆役を演じた胡東が、、魯智深を06年の『楚留香伝倚』で沙漠之狐役を演じた晉松が、武松を05年の『侠骨丹心』で金逐流役を演じた陳龍が、楊志を03年の『天龍八部』で虚竹役を、06年の『雪山飛狐』で平阿四役を演じた高虎が、李逵を08年の『新三国』で張飛役を演じた康凱が、燕青を06年の『大人物』で秦歌役を演じた嚴寛が、劉唐を冠占文が、楊雄を那志東が、関勝を宝力高が、廬俊義を王建新が、梁中書を駕生偉が、祭京を薛中鋭が、童貫を周明汕が、王倫を李昊翰が、智真長老を馬子俊が演じると言う具合で、また特別出演で楊子が徽宗皇帝を、杜淳が西門慶を、佟大爲がほんの一瞬顔を見せる蘇軾を演じている。

 主人公の宋江は張涵予が演じており、なかなか味の有る演技(渋みの有る落ち着いた声も良い)をしている。彼は、馮小剛の作品にちょこちょこちょい役では出るものの殆ど無名に近かったが、07年度の馮小剛監督中国映画『集結号』で08年度の中国金雞奨と台湾金馬奨の各主演男優賞を受賞し、一躍スターの仲間入りをして09年度の陳徳森監督香港映画『十月圍城』で孫文役を、11年度の李仁港監督香港映画『鴻門宴』で張良役を演じている。また出だしのちょい役であるにも関わらず、名優張鐵林が洪大尉を演じているし、香港の名優呂良偉が晁蓋を、同じく李子雄が高俅を演じている。

 女優人も、当代若手美人女優を配しており、甘婷婷の演じる潘金蓮も、熊乃瑾の閻婆惜も、丁子爍の金翠蓮も、王雯婷の白秀英も、孟瑶の潘巧云も、王紫瑄の廬金枝も、玉蘭の謝仙も、程婉兒の孫鋰華も、劉錦娘の葛思然も、李瑞蘭の許晩秋も、瓊英の黄瀛シも、共に可成り艶っぽく演じられており、何故か劉筱筱演じる女武将扈三娘も、阿婆擦れ女将であるはずの胡可の顧大嫂や何佳怡の孫二娘も、不思議と色っぽい。中国の若手美人女優の共演であり、それを見比べるのも、また一興である。

 若手とは言えないものの92年の映画『絶代雙驕』以来活躍している、香港女優の袁詠儀は落ち着いた林冲の妻役を、また01年の学園ドラマで人気女優となり、08年の『倚天屠龍記』で趙郡主役を演じた台湾の安以軒は、目の演技を意識したと思われる李師師役を、各々演じている。

 各主人公の武闘場面は、さすがに派手で血飛沫がこれでもかと言う程飛び散る。監督が鞠覚亮だからと言ってしまえば、それだけであるが、派手で見応えが有る。将に、見せます、見せます、武侠・武闘のあれこれを、と言う感じであるが、ただ何回か登場する異なる場所の攻城戦シーンで、同じ場面のカットを使い回すのは、些か艶消し(恐らく放映時間が異なるため、分からないであろうと思ってのことであろうが、編輯の段階でもう少し異なったカメラアングルのカットを使えば良かったのに、と思ってしまう)である。また空撮の戦闘場面やCGを使った場面は、何となく映画「レッドクリフ」の陸上戦闘場面を髣髴とさせる。ただ些か悪のりしている節が有り、魯智深の五台山の老師父が棒術の達人だったとは、ついぞ知らなかったし、武松が酔拳の使い手だったのも初耳であれば、西門慶が可成りの武術の使い手であったのも以外であり、女将の孫二娘や顧大嫂が亭主以上の武侠の達人で大立ち回りを演じるのは、映画『龍門客棧』女将を思い出させる。まあ長年香港で武侠ドラマを撮って来た鞠覚亮監督の水滸伝であれば、当然過ぎる立ち回りであり、武侠ドラマのサービスの一つと思えば、これもまた楽しい。

 更に言えば、時代考証も可成りしっかりしており、出てくる小道具(家具・調度品・茶碗・武器等々)は大概宋時代のものを模しており、また台詞も当時の方言(洒家・・おれ)や口語(俺・・おれ、那廝・・あのやろう)等が使われており、その気になれば中国語の勉強にも大いに役立つ。個人的ではあるが、小生が一番気に入っている台詞は、李師師が言う「一男一女、両磕頭、拝天拝地、自古以来只有拝堂成親、並没有結拝兄妹之説」である。

 ともかく、久々に視ていて楽しい武侠ドラマそれが新水滸伝である、と言えよう。話は長いが、それなりに見応えのあるエンターテイメントの武侠ドラマである。些か疲れるが、時間を措かず一週間程かけて一挙に全話を通しで視るのも、面白いであろう。

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