《中國映畫コレ見ヨ(情念的・恣意的コラム)

3:色香漂うアダム・チェン

これは『AbocaVoしんぶん』(月刊新聞、送料込み年間購讀料1000円)3號からの転載である。

〜鄭少秋〜

 ただ一言「いい男」、それが鄭少秋(アダム・チェン)である。何と言うべきか、将に香港一の「ずら(かつら)役者」である。無論彼は、かつらを付けない現代劇であっても「いい男」である事は、本質的に変わらないが、かつらを付けるとその男っぷりが一段と際だち、匂い立つばかりの「いい男」になるのである。言うなれば、香港の「大川橋蔵」であろうか。彼の古装劇の姿は色氣に溢れているが、特に、目元・口元・所作には特段の色香が漂っており、震いつきたくなるような色っぽさに、男性からは「いよー、艶姿、中國一」と聲がかかり、女性からは「私の秋官樣〜」と黄色い嬌声が飛び交う役者である。

 彼は、1949年の2月生まれで既に50代の半ばであるが、未だに40代前半の様な若々しい姿を見せる。彼は、1967年(18歳)の現代劇『黒殺星』で銀幕デビューし、同年のミュウジカル映畫『甜甜密密的胡娘』に出演した後、1968年の王風監督『血影紅燈』で古装劇デビューする。ここから彼の「ずら(かつら)役者」人生が始まるのであるが、彼をスターダムに駆け上らせたのは、銀幕人氣ではなくブラウン管人氣に因る。彼のテレビへの登場は、銀幕デビューから遅れること4年後の、香港無線のトーク番組であった「歓楽今宵」である。しかし、この段階では、人氣若手役者ではあっても飛び抜けた存在と言う譯ではなかったが、その後金庸の『書剣恩仇録』が1976年(27歳)にテレビドラマ化され、その主役である陳家洛を演じたことから人氣に火が付き、次いで古龍の作品である「楚留香」を1979年に演じた事に因り、彼の人氣と地位は不動のものに決定付けられた様に見られたが、実はこの「楚留香」の人氣自體が不幸の元になったのである。

 娯樂と言えば映畫かテレビと言う時代に、この「楚留香」の人氣は實に凄まじいまでのものが有った。偶々放映當時に現地でその状況をかいま見た筆者の目には、「放映時間には街角から人の気配が失われる」とでも言うべき様相に写った。その結果、「楚留香」自體の人氣が勝手に一人歩きをし出し、この人氣の元は原作者の古龍のものか、演じた鄭少秋のものか、などと言うつまらぬ論議を惹起させたのである。この勝負、結果は見えている。方や人氣作家で武侠映畫の脚本家、方や人氣商賣の若手役者である。しかも不幸な事に、古龍は言いたいだけのことを言って忽然と世を去った(1984年)のである。殘された鄭少秋に一体何が言えるのであろうか、人氣商売の悲しさである。ほぼ毎年の如く銀幕を飾っていた彼の姿が、1985年から忽然と3年間銀幕から消えるのは、この「楚留香」問題の餘波であろうか。

 しかし、不死鳥の如く蘇った鄭少秋は、1988年から映畫・テレビと活躍をし續け、香港TVBの最新版テレビドラマ「血薦軒轅」でも、円熟味を増した艶姿を見せつけている。

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