《中國映畫コレ見ヨ(情念的・恣意的コラム)

6:藻掻くアイドルヴィッキー・チャオ

これは『AbocaVoしんぶん』(月刊新聞、送料込み年間購讀料1000円)6號からの転載である。

〜趙薇〜

 趙薇(ヴィッキー・チャオ)は、中国大陸での最初の本格的アイドルタレントである。今でこそ、章子怡・徐静蕾・周迅と並べて「四大名旦」と称し、若手人気女優の一人として、2000年の『視点』が選ぶ「年間芸能人ベストテン」に選ばれたり、2001年の「華娯アジア・スパースター・トップ10」の第一位に選出されたりしているが、彼女が中国大陸での最初のアイドルタレントであったことは、間違いない。

 彼女は、1976年の生まれで、16歳の時に鞏俐(コンリー)主演の映画「画魂」で銀幕デビューを果たす。この映画は、何と言っても鞏俐の演技が出色であったが、趙薇の存在も印象深かった。眼のくりくりとしたやや強気の顔立ちが、ある種のインパクトを与えている。役柄は当然異なっているが、この「画魂」で見せたイメージで演じて見せてくれたのが、18歳の時の「女児谷」(1994年)であり、20歳の時の「東宮西宮」(1996年)であったろうと思われる。しかし、当時は、中国を代表する大女優鞏俐の活躍の最中であり、若手人気女優などと言えるものではなく、単なる若手女優の一人に過ぎなかった。

 この彼女の人気を不動のものにしたのは、彼女が北京電影学院で演技の勉強中つまり学生として在学中の21歳(1997年)の時に出演した、台湾の古装片テレビドラマ「還珠格格」(孫樹培の導演で林心如・趙薇等の主演)である。このドラマで彼女(飾小燕子、第17回金鷹賞最優秀主演女優賞を受賞)の人気は突然爆発した。と言うよりもドラマ自体が大爆発を起こしたのである。この作品は、ドラマとして特に内容的に優れていると言う譯ではなく、乾隆帝の江南行幸時期の御落胤である女の子(林心如)が、母の死後父である乾隆帝を尋ねてはるばる北京まで上京し、苦難の末に目出度く再會出來ると言う話で、そこに女盗賊(趙薇)が絡み、ドタバタの事件が起きると言うストーリーで、一種の「父戀しもの」の單純な娯樂作品であるが、女盗賊の趙薇が間違われて「公主」にされる點などは、「チャイニーズサクセスストーリー」的要素が無い譯でもない。この作品が放映されるや否や、中国・香港・台湾を卷き込んだ一大「格格ブーム」が起こり、格格グッズは言うに及ばず、中国では「子供が格格を見るために勉強しなくなるから、放送を中止してほしい」との投書が保護者から放送局に寄せられ、出演者の一人が広州で交通事故死すると、新聞が一面トップで報じてその死を悲しむと言う具合に、ある種の社会現象化を惹起させたのである。

 一躍トップアイドルに躍り出た彼女は、テレビ・映画・音楽・コマーシャルにとあらゆる分野である種のブレイク現象(既に日本でも熱烈な趙薇迷に因る趙薇のためのホームページサイトが立ち上げられている)を呈し、中国では趙薇のためのドラマ(人気男優呉奇隆との共演に因る武侠ドラマ「侠女闖天關」)や映畫(香港のトップスター劉コ華との共演に因る古装片「決戦紫禁之巓」)が作られ出したのである。無論今までにも中国には、鞏俐を始めとして有名女優は数多くいたが、その本人の爲の作品を制作しようとする動きは、趙薇が初めてである。この事は、中国に於いて初めて本格的に通用する商品価値を伴ったアイドルスター或いはアイドルタレントが登場したと言う事を表している。しかし、この「格格」のイメージ(強気で可愛いつまりおきゃん)に因る人気が、果たして女優としては良かったのか悪かったのか、甚だ疑問が残る。その後の映画である「決戦紫禁之巓」にしろ「少林足球」や「天地英雄」にしろ、更にテレビドラマの「侠女闖天關」や「情深深雨濛濛」にしろ、単にアイドル趙薇を見せると言う作品、要するアイドルタレントの使い回しに過ぎず、所謂女優としての演技を見せると言うものではない。まだ2002年の「天下無双」と2004年の「玉観音」の映画は見ていないので何とも言えないが、既に彼女も28歳であれば、何時までもアイドルタレントと言う訳にはゆかない。

 16歳の時、「画魂」で見せた女優の片鱗は今後どの様に変化するであろうか。現状では、鞏俐の後を継ぐべく大女優への道を歩いている様にみえるのが、「四大名旦」の一人章子怡(惜しいことに、張藝謀監督の「英雄」では章子怡を生かし切れていない)である。しかし、趙薇も大女優への才能を持っている。今、趙薇はアイドルからの脱皮に藻掻いている様に見られる。藻掻くアイドル趙薇もそれなりに可愛いが、「画魂」を見た小生は、アイドルタレントから再び女優・スターへ脱皮した趙薇を、スクリーン上で見たいと強く願っている。

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