ギャラリー解説

赤銅器

前漢銅錢(五銖)四種(前漢武帝以後、BC141〜AD8)

左端・・郡國五銖錢(面四決文)、径2.5cm、外郭高0.13cm、肉厚0.1cm

中左・・赤側五銖錢(面上横文)、径2.5cm、外郭高0.18cm、肉厚0.1cm

中右・・三官五銖錢(面上横文)、径2.5cm、外郭高0.12cm、肉厚0.1cm

右端・・宣帝五銖錢、径2.52cm、外郭高0.12cm、肉厚0.1cm 

五銖錢は、文献(『史記』平準書・『漢書』食貨志)に因れば、武帝の初期には三銖錢が

行われていたが、それが軽くて姦詐され易いのを改める目的で、元狩四年に郡国で五

銖錢を鋳造(郡国五銖錢)させたのが始まりで、その後人民の勝手な姦鋳を避けるた

めに赤銅で周郭を鋳させる(赤側五銖錢)ものの、これも不便として僅か二年で廃止さ

れ、全国の銅を上林苑の三官(鍾官・辨銅・均輸)に集めて政府が中央で一元的に鋳

造させ(三官五銖錢)、以後その五銖錢が武帝・昭帝期に流通し、宣帝以後(宣帝五銖

錢)の五世は改変することが無かった、と伝える。以後五銖錢は隋時代まで続くが、大

きさ・厚み・重さは時代と共に変化し異なっている。後漢五銖銭は前漢五銖銭に比べ

て、大きさは大差無いが、厚みがやや薄く重さが可成り軽い。


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