ギャラリー解説
書画
傳・周南山縣孝孺、行草書尺牘(江戸時代、AD1687〜1752) |
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紙本肉筆・・縦16cm、横30cm 「思孝 恐惶再拝」の下に、陰刻回印「山思孝印」と陽刻「字 曰佰先」の落款が押されている。山縣周南は周防の人で、 名は孝孺、字は次公、号を周南と称し、萩藩の藩儒山縣良 斎の次男で、幼少より家学を受けた後、江戸に出て荻生徂 徠に師事し、藩校明倫館の学頭祭酒となり、経術・文章を以 って称された儒者である。尚、軸外には「山縣周南先生筆」 と記されている。確かに筆跡は周南に類似しているが、彼が 別名・別字として印象の如き思孝(名)や佰先(字)を持って いた、との文献的証拠は現在見出せない。一方江戸時代の 儒者が、今に伝わらぬ別名・別字を多々持っていた事は、こ れも否定出来ないの事実でもある。更に言えば、父の良斎 は、名が長伯で字が子成であり、周南の子は名が泰恒で字 が伯恒である。また江戸時代の儒者で、姓名に「山」が付く 山内退斎以下山脇東洋に至る略百人強の人を調べたが、 誰一人として思孝や佰先の名字を持っていない。旧蔵者が 一体何に依って「山縣周南先生筆」と記したのか、疑義が生 じて来る。因って本品は、「伝」としておく。果たして如何なる 山?氏の尺牘なるや、博雅の士の御指教を切に請う。 |