ギャラリー解説

書画

稼堂黒本植、行書五字(近代、AD1858〜1936)

紙本肉筆・・縦132cm、横20.5cm

「七十翁稼堂謹書」の下に、陰刻「黒植」と「何

旨無斯華」の落款が押されている。黒本稼堂は

加賀の人で、名は植、号を稼堂・雲庵などと称

し、幼にして寺子屋の辻屋善太郎に漢字を習

い、金沢で漢学者藤田容斎の塾に入って漢学

を学び、容斎の三女恒を娶った後、大阪に遊

学して藤沢南岳の塾で研鑽を積み、以後は金

沢第四高・熊本第五高・京城中学等を漢文教

授として歴任し、教育に一生を捧げた漢学者で

あり、五高時代には夏目漱石と交流が有り、小

説『坊ちゃん』の山嵐のモデルとなった人物で

ある。尚、彼は大正14年に京城で漢詩注釈書

の『詩海津筏』を公刊している。


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