ギャラリー解説
書画
五洋山田永俊、行草書七絶(近代、AD1872〜1956) |
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紙本肉筆・・縦133cm、横30.5cm 「五洋俊」の下に、陰刻「濃陽逸民」と陽刻「永俊」の 落款が押されている。山田五洋は岐阜の人で、名 は永俊、号を五洋と称し、医師にして政治家で漢詩 文を善くした文人で、岐阜市議を四期務めて大正2 年に市議会議長となり、同12年には田中守平や天 岡直嘉ら岐阜出身の名士達と、「岐阜向上会」を結 成し、更に岐阜医師会長も務め、岐阜市の市政発 展や医療充実に尽力し岐阜名誉市民となっている。 尚、五洋は、昭和六年に本学高等科を卒業して、岐 阜県下の各高等学校校長を歴任された山田修次氏 の御尊父、山田舟東(保太郎)氏の漢詩仲間でもあ る。 |