ギャラリー解説
書画
静湖菅(原)楯彦、和歌(近代、AD1878〜1963) |
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紙本肉筆・・縦128cm、横28cm 「防人今奉部與曽布歌浪速御民菅原楯彦」の 下に、陽刻「菅原楯彦」の落款が押されている 。菅静湖は鳥取の人で、姓は菅(時には菅原と 署すことも有る)氏、名は楯彦、号を盛虎・静湖 などと称し、倉吉藩士で日本画家の菅盛南の 子で、幼にして大阪に移り、12歳で父を失い独 学で絵を学び、古今の名画の模写から始めて 国学・漢学・和歌・俳諧・有識故実と手当たり次 第に学び、20代中頃から図画教師・挿絵画家 として知られ出すが、彼の名が一躍話題に上っ たのは、39歳の時に明治の三大名妓(東京赤 坂の萬龍・京都祇園の千賀勇)の一人と称され 、その美貌と気っ風の良さで一世を風靡した大 阪南地の八千代(遠藤美記)と結婚してからで 、その八年間(八千代は37歳で死去)の結婚 生活は、織田作之助の『夫婦善哉』のモデルに もなっている。尚、彼はその後も大阪の風俗画 や歴史絵で名を挙げ、こよなく大阪を愛して自 ら「浪速御民」と称し、大阪市民文化賞や大阪 芸術賞を受賞した他に、長年の画業績に因り、 昭和33年に日本芸術院恩賜賞を受賞し、37 年には大阪市名誉市民第一号となった画家で ある。本品は、菅原楯彦の署名と楯彦の印象 が押された共箱に収められている。 |