ギャラリー解説

書画

枳園森立之・高田杏塢、行書七絶讃・採薬翁圖(幕末維新、AD1807〜1885)

紙本肉筆・・縦136.5cm、横30.5cm

贊文は「森立之」の下に、陰刻「士原立之」「森立夫」の落款が、画は「杏塢」

の下に、陰刻「成憲」と陽刻「號杏塢」の落款が押されている。本品は、同時

期に共に福山藩に仕えた二人である杏塢の絵に、枳園が七言絶句の贊を

書いたものである。

森枳園は江戸の人で、名は立之、字は立夫、号を枳園・養竹などと称し、13

歳で渋江抽斎に、15歳で伊沢蘭軒に学び、16歳で福山藩の医員となった

医者であるが、31歳で禄を失い12年間の流浪の末に、江戸の医学館で古

典医書の校勘業務に携わり、維新後は考証医家の第一人者となった儒医

で、『素問校注』は、彼の代表的著作の一つである。

高田杏塢(1806〜1889)は福山の人で、名は成憲、号を杏塢と称し、福山藩

士で日置流弓術の達人であるが、同時に松村呉春や柴田義董らに四条流

の絵を学んだ、日本画家である。


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