ギャラリー解説
書画
一六巖谷修、行書二十二字(幕末維新、AD1834〜1905) |
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紙本肉筆・・縦135cm、横33.5cm 「岸川兄雅属 一六居士修書」の下に、陰刻の「修字誠 卿」と陽刻の「古某(梅)居士」の落款が押されている。巖 谷一六は近江の人で、名は修、字は誠卿、号を一六・古 梅・迂堂などと称し、水口藩侍医巌谷玄通の子であるが 六歳で父を失い母と京に出て、漢学を皆川西園や家里 松濤らに、医学を三角東園に、画を藤本鉄石に、書を中 沢雪城に学び、維新後は内閣大書記官・元老院議官・貴 族院議員等を歴任し、詩文や書など多芸な才能を発揮し た官僚文化人であるが、特に中沢雪城に師事した書に 秀で、明治初期の三大家(日下部鳴鶴・長三洲)の一人 でもある。 |