ギャラリー解説
書画
方谷山田球、行書七絶(幕末維新、AD1805〜1877) |
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紙本肉筆・・縦121cm、横49cm 「方谷隱士書」の下に、陰刻「山田球印」と陽刻「方 谷」の落款が押されている。山田方谷は備中の人で 、名は球、字は琳卿、号を方谷と称し、初め新見藩 儒丸川松隠に就いて宋学を学び、二十三歳で京に 出て寺島白鹿の教えを受け、備中松山藩藩校有終 館の会頭となるが、三十歳で江戸に出て佐藤一斎 に師事し、佐久間象山らと交わり、藩校の学頭とな り更に藩主の侍講となって、藩内の教学の振興に 尽力した儒者で、岡山の閑谷学校の再興にも尽力 している。本品は、惜しいことに三行目に大きな虫 食いが有る。 |