ギャラリー解説
書画
工藝・淡窓廣瀬建、行草書七絶(江戸時代、AD1782〜1856) |
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紙本印刷・・縦106.2cm、横23.9cm 陰刻の「廣瀬簡印」と、「廉卿氏」の落款が押されている。廣 瀬淡窓は豊後の人で、名は簡、字は廉卿で、この名・字は十 五歳から三十年間使われ、四十五歳の文政九年(1826) 以後、名を建に、字を子基に改め、淡窓・南陽・青溪・苓陽 などと号している。頼山陽の文政元年(1818)の西遊時の 詩に「訪廣瀬廉卿」の一詩が存在する。淡窓は十六歳で博 多の亀井塾(亀井南冥・昭陽父子)に入門して漢学を修め、 帰郷後に家塾咸宜園を開いて門弟に教授し、来学者は四千 人以上に登り、鎮西の大詩宗と称された儒者である。本品 は、落款からして四十四歳以前の作である。工芸品ではあ るが、淡窓壮年期の字のサンプルとしは参考になる。 |