ギャラリー解説
書画
二洲神谷弘孝、草書明季迪定静銘(江戸時代、AD178?〜185?) |
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紙本肉筆・・縦129cm、横31.5cm 「直養氣和養性樂天理安義命志即定心自静處萬變主一敬」の 二十四字である。「二洲居士書」の下に、陰刻「弘孝之印」と陽 刻「二洲」の落款が押されている。神谷二洲は豊前の人で、名 は弘孝、通称源内、号を二洲と称し、蘭学者として知られた中 津藩の藩士である。彼は、藩主奥平昌高の命に因り、文化七年 (1810)に『蘭語譯撰』を出している。神谷の生卒は不明である が、その職歴等から類推するに、天明年間末頃に生まれ、嘉永 年間初頃に死去している。次ぎに本品の「明季迪定静銘」なる 言葉である。明の季迪と言えば、高啓(字が季迪・号が青邱)の ことであるが、彼の銘文に定静銘なる銘文は無い。以下は、畏 友森本氏の調査に因る論証である。本品の文章は、江戸の書 家市河米庵が編集した『墨場必携』に収録されており、そこでは 「明李迪」と書かれ、その出典が『晦斎集』となっている。『晦斎 集』とは、朝鮮王朝中宗王時代の朱子学者李迪(李彦迪とも言 う、AD1491〜1553)の著作集で、その中には、確かに「定静銘」 と記された同文が存在する。因って「明季迪定静銘」は、「朝鮮 李迪定静銘」の事である。当時朝鮮は明と册封関係に在って明 の元号も使用していれば、「明」と書いたのであり、「李」を「季」 と書き誤った為に、「明季迪」となったのであろう、と言うことであ る。 |